ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 弟子死復生経 (弟子死復生經)
  1. 弟子死復生経 (弟子死復生經)
  2. 弟子死復生経 (弟子死復生經)

弟子死復生経 (弟子死復生經)

「弟子死復生經」について

劉宋 · 底本の訳者:沮渠京聲

2,544 字 · 約 8 分

沮渠京声によって劉宋時代に漢訳された仏典『弟子死復生経』は、釈尊の弟子が死後、一時的にこの世に戻り、親族や友人に地獄での見聞と因果応報を説いた物語です。この経典は、南北朝時代における仏教の地獄観の普及と、中国の孝道思想との融合を反映しています。その内容は、戒律を守り善行を積むこと、そして亡き者の供養の重要性を強調しており、漢伝仏教に重要な因果の教えを提供しています。後世の盂蘭盆会や供養儀軌の形成に深い影響を与え、仏教の中国化の過程を研究する上で重要な文献の一つです。


弟子死復生經

弟子死復生経

宋居士沮渠京聲譯

沮渠京聲訳

聞如是:

私がこのように聞きました。

一時佛在祇樹給孤獨園,與千二百五十比丘俱,菩薩萬二千人、神足弟子五百人俱。

その時、仏は祇樹給孤独園にいまし、千二百五十人の比丘たちと、一万二千人の菩薩たち、そして神通力を持つ五百人の弟子たちと共におられた。

爾時有賢者優婆塞,本奉外九十六種道,厭苦禱祠委捨入法,奉戒不犯精進一心,勤於誦經好喜布施,笮意忍辱常有慈心,暴得疾病遂便命過。臨當死時,囑其親屬及其父母言:「我病若不諱之日,莫殯斂七日。若念我者,不違我言。」遂奄忽如死。父母親屬諸家如其所言,停屍七日,到八日親屬諸家言:「死人已八日眠,眠無所復知,當急殯斂。」父母言:「雖已日久,亦不膖脹亦不臭處,小復留之,以到十日。」語言未竟,死人便即開眼。諸家父母大小踊躍歡喜,未能動搖,諸家共守之。至十日,便能起坐,善能語言。

その時、一人の賢者である在家の信者がいました。彼はもともと外道の九十六種の教えを奉じていましたが、苦しみを厭い、祭祀をやめて仏法に帰依しました。戒律を守り、犯すことなく、精進して一心に励み、経典を誦えることを好み、布施を喜び、心を抑えて忍辱を行い、常に慈しみの心を持っていました。しかし突然病気にかかり、ついに命を終えました。臨終の際、彼は親族と父母に言いました。「私の病が治らず、もし死ぬことがあれば、七日間は棺に納めて葬らないでください。私を想うならば、私の言葉に背かないでください。」そして、彼は突然亡くなりました。父母と親族は皆、彼の言葉の通りにし、遺体を七日間安置しました。八日目になり、親族たちが言いました。「死者はすでに八日も眠っている。眠ったままで何も分からないのだから、すぐに棺に納めて葬るべきだ。」父母は言いました。「もう長い日数が経ったが、遺体は膨張もせず、悪臭もない。もう少しだけ留めて、十日まで置こう。」言葉が終わらないうちに、死者はすぐに目を開けました。親族や父母、大小の者たちは皆、飛び跳ねて喜びました。まだ体は動かせませんでしたが、皆で見守りました。十日目になると、起き上がって座ることができ、しっかりと話すこともできました。

眾人問所從來?盡見何等?言:「有吏兵來將我去,往到一大城。中有大獄,獄正黑,四面悉以鐵作城,城門悉燒鐵正赤。獄中繫人身,皆在大火中坐,上下火燒炙之,青烟出。或有人以刀割其肉,噉食之。獄中有王問我言:『若何等人?犯坐何等乃來到是中?是中治五逆、不孝父母、不忠信事其君,治諸惡人處,若罪何重乃爾?』答言:『我少小為人以來,為惡人所惑,奉事外道,少為世間愚癡,殺生祠祀天地,飲酒;又於市裏採取財利,升斗尺寸欲以自饒。會後與善師相得,相教作善,牽我入佛道中,得見沙門道人,授我五戒奉行十善。自爾以來至于今日不復犯惡,恩由明王哀我不及。』我便叩頭。

皆に「どこから来たのか、何を見たのか」と尋ねられたので、こう答えた。「役人や兵士が私を連れてきて、大きな城に連れて行かれました。そこには大きな牢獄があり、その牢獄は真っ暗で、四囲は鉄でできた城壁で囲まれ、城門もすべて鉄でできていて、真っ赤に焼かれていました。牢獄の中には人々が繋がれていて、皆大火の中に座らされ、上下から火で焼かれ、青い煙が立ち上っていました。またある者は刀で自分の肉を切り裂き、それを食べていました。牢獄の中には王がいて、私に尋ねました。『お前は何者だ。どのような罪を犯してここに来たのか。ここは五逆罪を犯した者、父母に孝行しない者、君に忠義を尽くさない者、悪人を裁く場所である。お前の罪はなぜこれほどまでに重いのか。』私は答えました。『私は幼い頃から、悪人に惑わされ、外道に仕え、世間の愚かさによって殺生をして天地に祭祀をし、酒を飲みました。また市場で利益を求めて、升や斗や寸や尺で自分を富ませようとしました。その後、善い師と出会い、教えによって善を行うようになり、私を仏道に導いてくださいました。沙門や道人に会い、五戒を授かり、十善を行ってまいりました。それ以来今日に至るまで、再び悪を犯すことはありません。それは明王の慈悲によるもので、私の罪が及ばないのです。』そこで私はひれ伏しました。」

「王即起,叉手謂我言:『止止,清信之人不應當爾!』便與我座,便坐。王便呼吏問之:『此乃無上正真弟子,汝曹等輩皆當從是人得度,以其人壽命自盡時乃當死耳!魂神自追隨行往受,若生天上,天神自當來迎之;若生人中,人中自當來迎之。何得將此尊人來入是五逆之處?』吏答王言:『世間多有是人,不畏王法、不畏四時、五行不拘,鬼神天地無所取錄,不可一二不問耶!是人橫行天下,無所拘制。有法師名之為沙門,髠剔頭髮被服踈陋,以法自大、多將弟子,東西南北無所取錄,移徙、葬埋、嫁女、取婦,不畏四時,毀敗改易不拘王相,是曹輩人應當治之。』

王はすぐに立ち上がり、手を合わせて私に言いました。「おやめなさい、おやめなさい。清らかな信心を持つ者は、そのようなことをしてはなりません。」そして私に座を勧め、私は座りました。王は役人を呼んで尋ねました。「この方は無上の正しい真実の弟子である。お前たちは皆、この方の教えによって救われるべき存在だ。この方は寿命が尽きる時に初めて死ぬのであって、その魂は自らの行いに従って赴き、受けるべき報いを受ける。もし天に生まれれば、天の神々が自ら迎えに来るだろう。もし人間に生まれれば、人間たちが自ら迎えに来るだろう。どうしてこの尊い方を、このような五逆の場所に連れて来ることができるのか。」役人は王に答えました。「世の中にはこのような者が多くおります。彼らは王の法を畏れず、四季や五行にも縛られず、鬼神や天地にも取り締まられることがなく、一人ひとりに問いただすこともできません。彼らは天下を横暴に歩き回り、何の制約も受けません。ある法師は彼らを沙門と名付け、頭を剃り、粗末な衣をまとい、法を盾に大きな顔をし、多くの弟子を従え、東西南北どこでも取り締まる者がなく、移転や埋葬、嫁入りや娶りも、四季を顧みず、秩序を壊して改変し、王の相を気にしません。このような輩は、当然罰せられるべきです。」

「王言:『止止,卿為了不解是法耶?法服之人無所貴敬、他所畏難,諸釋、梵、日月中王,下及帝王、臣民皆所尊奉。尊奉是人得福無量,使人得道,不得輕慢是人,輕慢是人者自求罪苦。急案名錄,壽命應盡未?』吏白王言:『以命錄理之,未應死耶!尚有餘算二十。以其先小時所犯罪惡,後乃欲作善,是以取之,使其黨輩小復自下。』

王が言った。「やめよ、やめよ。お前はこの法を理解していないのか。法衣をまとう者たちは、敬うべき対象ではなく、畏れ慎むべき存在である。諸々の釈迦、梵天、日月の王、さらに下は帝王や臣民に至るまで、皆が尊び従うものだ。このような者を尊び従えば、計り知れない福徳を得られ、人を悟りへ導く。決して軽んじてはならない。軽んじる者は自ら罪と苦しみを招くことになる。急いで名簿を調べよ。その者の寿命は尽きているのか、いないのか。」官吏が王に申し上げた。「寿命の記録を調べましたが、まだ死ぬべきではありません。なお余命が二十あります。しかし、先に幼い頃に犯した罪悪のため、後になって善行を積もうとしたので、そのために連れて来たのです。その仲間たちも、少しの間だけ自らを慎ませました。」

「王言:『人居世間少作惡至于百歲,是輩人罪當復云何?』吏言:『是人但可以生不可以死,死便更連延當受罪苦痛,千劫萬劫無得解脫。』

王がお尋ねになりました。「人が世に生きて、百歳になるまでわずかな悪事しか行わなかった場合、そのような者の罪はどうなるのだろうか。」 役人が答えて申し上げました。「そのような者は、生きている間はともかく、死ぬことは許されません。もし死ねば、さらに長く罪の苦しみを受け続けることになり、千劫、万劫もの長きにわたって、決して解き放たれることはないのです。」

「時王曰:『其佛弟子有戒,精進不懈怠,為天神所貴敬。所以爾者,佛以大慈大悲護心、投心,以是四等心憂念十方天下,一切人民萬物、蜎飛蠕動之類佛皆哀傷之,功德流演十方天下。是故佛子,天神、地祇、鬼龍皆敬貴之,豈當拘王相、四時、五行耶?佛恩如四海不可得限量,百億恒水邊流沙尚可升量盡知其升數,佛恩不可得量耶!』吏白王言:『大王為奉佛淨戒耶?』王曰:『坐我不奉佛故,追罪來作此獄王。卿見此獄中,今現有數壽終不受,亦不敢當前,皆當叉手起往奉迎之,使案其所行善福,福神自來迎取之;未應死者自有護,速得除愈。若有人已入正法,後悔乃復還為外道,殺生祠祀,邪道惡鬼法見之得便,此則自無護。雖有千歲壽命,當逢九橫無病自死。所以爾者,救護神不祐之,如是者終不得解脫。

その時、王が言いました。「仏の弟子たちは戒律を守り、精進して怠ることがなく、天神からも尊ばれ敬われている。なぜなら、仏は大慈大悲の心をもって全ての人を守り、その心を注ぎ、この四つの平等な心(四無量心)で十方の全世界を思いやり、一切の人々や生きとし生けるもの、虫や動くものに至るまで、仏はすべてを哀れみ、その功徳は十方の全世界に広がっているからだ。それゆえ、仏の弟子は天神、地の神々、鬼や龍までもが敬い尊ぶ。どうして王の相や四時、五行に縛られることがあろうか?仏の恩は四海のように限りがなく、百億のガンジス川の岸辺の砂粒さえも、ますます升で測り尽くしてその数を知ることができるとしても、仏の恩は計り知ることができないのだ!」と。

役人が王に申し上げました。「大王は仏の清らかな戒律を奉じていらっしゃいますか?」王が答えました。「私が仏を信じなかったために、罪を追ってこの地獄の王となったのだ。あなたがこの地獄の中を見なさい。今、寿命が尽きても受け入れようとせず、前に進もうともしない者たちがいる。彼らは皆、手を合わせて立ち上がり、出迎えに行くのだ。そしてその者が行った善い行いや福徳を調べさせれば、福の神が自ら来て迎え取る。まだ死ぬべきでない者は自ら守護され、速やかに病が治る。しかし、もし人がすでに正しい教えに入った後で後悔して再び外道に戻り、殺生をして祭祀を行い、邪道の悪鬼の教えに従うなら、それらは機会を得てその者を捕らえる。これこそ自ら守護を失った姿である。たとえ千年の寿命があっても、九つの横死に遭い、病気もなく死ぬことになる。なぜなら、守護の神々がその者を助けないからだ。このようになった者は、最後まで解脱することができない。」

「『若持戒比丘及諸弟子,當勤行六事。何等為六?一者、檀波羅蜜,當好布施無得慳惜;二者、尸羅波羅蜜,當護誡慎莫犯;三者、羼提波羅蜜,當忍辱笮意,心口莫瞋恚;四者、毘梨耶波羅蜜,當勤力精進莫懈怠;五者、禪波羅蜜,當一心定意莫放逸;六者、般若波羅蜜,當勤作經上口諷誦,當曉漚惒拘舍羅。是為六事,菩薩求道之本。

「戒律を守る修行者やその弟子たちは、次の六つの行いに励むべきです。その六つとは何か?第一は檀波羅蜜(布施)——惜しみなく施しを行い、けちってはいけません。第二は尸羅波羅蜜(持戒)——戒律を守り、慎み深く行動し、決して破ってはいけません。第三は羼提波羅蜜(忍辱)——忍耐強く心を制し、口にも心にも怒りを出してはいけません。第四は毘梨耶波羅蜜(精進)——努力を惜しまず精進し、怠けてはいけません。第五は禅波羅蜜(禅定)——心を一つに定め、散漫になってはいけません。第六は般若波羅蜜(智慧)——経典を学び唱えることに励み、巧みな方便(うばや)を理解しなさい。これら六つが、菩薩が悟りを求めるための基本です。」

「『復有六事——一者、眼,二者、耳,三者、鼻,四者、口,五者、身,六者、意——人欲求道蒙福,當護是六事。護眼莫著色,護耳莫著聲,護鼻莫著香,護口莫著味,護身莫著細滑,護意莫著愛欲。是為護六事。

さらに六つのことがあります。一つ目は眼、二つ目は耳、三つ目は鼻、四つ目は口、五つ目は身、六つ目は意です。人は道を求め、福を得ようと望むなら、この六つをしっかり守るべきです。眼を守って色にとらわれず、耳を守って声にとらわれず、鼻を守って香りにとらわれず、口を守って味にとらわれず、身を守ってなめらかな触れ心地にとらわれず、意を守って愛欲にとらわれないこと。これが六つを守るということです。

「『當復滅三事。何等為三?一者、淫泆,二者、瞋恚,三者、愚癡。是為三毒。

「さらに、三つのことを滅ぼすべきです。その三つとは、第一に欲望、第二に怒り、第三に無知です。これらを三毒と言います。」

「『當復滅五事。何等為五?一者、痛痒,二者、思想,三者、生死,四者、識,五者、愛欲。是為五陰。

さらに五つの事を滅するべきです。その五つとは何でしょうか?第一に痛みや痒み、第二に思考、第三に生と死、第四に認識、第五に愛欲です。これらを五蘊といいます。

「『復有六衰。何等為六衰?一者、眼為色衰,二者、耳為聲衰,三者、鼻為香衰,四者、口為味衰,五者、身為細滑衰,六者、意為法衰。是為六衰。

「さらに六つの衰えがあります。その六つとは? 第一に、目は色によって衰え、第二に、耳は音によって衰え、第三に、鼻は香りによって衰え、第四に、口は味によって衰え、第五に、体は触れられる感触によって衰え、第六に、心は対象によって衰えます。これが六つの衰えです。」

「『五陰、六情、三毒合為身中二十事,常在人身中,道人行道常當斷絕是二十事。不能禁絕是二十事,當墮人著罪中:六情不絕,當墮十八泥梨中;五陰不絕,當展轉五道中;三毒不絕,當入三惡道中。

「五陰、六情、三毒を合わせて、身の中にある二十の事柄とします。これらは常に人の身の中にあり、道を修行する人は修行の際に、常にこの二十の事柄を断ち切らねばなりません。もしこの二十の事柄を断ち切れなければ、人は罪の中に堕ちてしまいます。六情を断ち切れなければ、十八の地獄に堕ちます。五陰を断ち切れなければ、五つの道(天・人・畜生・餓鬼・地獄)を転々とします。三毒を断ち切れなければ、三つの悪い道(地獄・餓鬼・畜生)に入ります。」

「『若善男子、善女人,禁制持戒身中二十事,如鏡之去垢清淨無穢、內外照明者,天下千百億萬人,有一人是佛弟子不?』吏言:『實自無有。』

もし善男子、善女人が戒律を守り、身の中の二十の悪しき行いを慎み、鏡の汚れを拭き取るように清らかで穢れなく、内も外も明らかに照らすならば、この世の何千億万人の中に、一人の仏弟子がいるでしょうか?」と尋ねた。役人は答えた。「本当に、一人もおりません。」

「王曰:『以是觀之,知佛功德大巍巍,淵泓堂堂乎,如巨海不可當耶!』吏白王言:『誠如大王所言,小吏罪之所致不別真偽,請得遣之還。』王曰:『善。』吏便辭謝人,使自還去,人便如從高墮下,㸌然而穌,便得生活。」

王様が言いました。「これを見れば、仏の功徳は実に大きく、深く、荘厳であり、大海のように広大で、とても対抗できないものだとわかるのだな。」役人が王様に申し上げました。「誠におっしゃる通りでございます。私の過ちにより、真偽を見分けられず、そのような者を処断してしまいました。どうか、その者を帰らせていただきたく存じます。」王様は「よし」とおっしゃいました。そこで役人はその人に謝罪し、自由に帰らせました。するとその人は、あたかも高い所から落ちて、はっと意識が戻ったかのように、息を吹き返して生き返ったのでした。

父母便以車載,詣祇洹以白佛。佛便呼人問之,其以所見、所言答,佛便笑,五色光從頂上出,遶身三匝還從臍入。

父母は車にその人を乗せて、祇園精舎に参り、仏に申し上げました。仏はその人をお呼びになってお尋ねになりました。その人は見たことや言ったことをお答えしました。すると仏はお笑いになり、五色の光が頭の頂上から出て、体を三回巡り、臍から入っていかれました。

阿難便整衣服以膝著地,叉手白佛言:「佛不妄笑,笑當有意,願佛廣說其義!」

アーナンダは衣を整え、ひざまずいて合掌し、仏に申し上げました。「仏は決して無意味に笑われることはありません。お笑いになったのには必ず意味があるはずです。どうかその意味を詳しくお説きください。」

佛言:「阿難!諦聽受眾會。」阿難受教而聽。

仏が言われました。「阿難よ、よく聞きなさい。大衆の集まりを。」阿難は教えを受けて、聴きました。

佛言:「是間閻浮利天下為五逆惡世,子不孝父,臣不忠君,夫妻相欺,欺上罔下;人民佷戾,少有義理,輕慢無節,以強陵弱;富富相從,貧困守窮,貪利慳惜,無有慈心,但欲勝人。四王相守,鬼惡神司取其便。犯者則死,魂神展轉,隨行往受,當作餓鬼、畜生,地獄楚毒、痛掠笞斫、湯鑊燒煮。若有餘微之福得上生天,當在第六魔天,薄福短壽,不受法教。雖得作人,當作下賤奴婢;或作牛馬畜生、騾驢駱駝、象虎師子、鳥獸蟲蛾,困苦叵言,百劫、千劫、萬劫無得解脫。時適生便病,或時即死。若得為人,六情不具,癃殘、聾盲、瘖痾,如是困苦無極。

仏陀は言われた。「この閻浮提(えんぶだい)の世界は、五逆(ごぎゃく)の悪に満ちた世の中である。子は父に孝行を尽くさず、臣は君に忠義を欠き、夫婦は互いに欺き合い、上の者を欺き下の者を陥れる。人々は獰猛で道理を軽んじ、節操なく振る舞い、強い者が弱い者を虐げる。富める者は富める者とだけ交わり、貧しい者は苦しみの中に置き去りにされる。人々は利益を貪り惜しみ、慈しみの心を持たず、ただ他人に勝とうとすることばかりを願う。四天王が見守る中、悪鬼や神々がその隙を狙っており、罪を犯した者は即座に死に至る。そしてその魂は転々とさまよい、自らの行いのままに次の生を受ける。餓鬼・畜生・地獄の苦しみを受け、毒痛に苛まれ、鞭打たれ、熱湯で煮られ、焼かれるのである。もしわずかな福徳によって天に生まれることがあっても、それは第六の魔天であり、福は薄く命も短く、教えを受けることはできない。たとえ人間として生まれても、それは下賤な奴婢か、あるいは牛馬、畜生、騾馬や駱駝、象、虎、獅子、鳥、獣、虫などであり、その苦しみは言葉に尽くせない。百劫、千劫、万劫を経ても、解脱することは難しい。生まれると同時に病にかかり、あるいは即座に死ぬ。もし人間として生まれても、六根がそろわず、身体が不自由であったり、耳が聞こえず、目が見えず、声が出せないなど、その苦しみは限りがない。」

「今是世上有一人,知世間有佛,聞經法,得見比丘僧,有善心好意恭敬慈心,捐九十六種道來入正法,自惟自剋奉受五戒,修行十善以滅十惡。爾時有一人,皆是維衛佛時得道人,功德同是人,其有百劫、千劫、萬劫之罪,皆悉滅盡。其人壽終已後,不復更見三惡道中。假有所犯,當追罪輕重詣地獄,王見之,衣毛當竪敬仰其人,帝王人民一切莫不尊奉,雖未得道,功德隆赫,天人龍鬼莫不稱歎。」

「今、この世に一人の人がいて、世の中に仏が存在することを知り、経典の教えを聞き、比丘の僧侶に会う機会を得ました。その人は善い心と思いやり、敬意と慈しみの心を持ち、九十六種の外道の道を捨てて正しい教えに入りました。自らを省み、自らを戒め、五戒を受け、十善を修行して十悪を滅ぼしました。その時、もう一人の人がいましたが、その人も皆、毘婆尸仏(ヴィパッシン仏)の時代に道を得た人であり、功徳は同じです。このような人には、百劫、千劫、万劫の罪があっても、すべて消え去ります。その人は寿命が終わった後、再び三悪道に落ちることはありません。仮に何か罪を犯したとしても、その軽重に応じて地獄に追われることになりますが、地獄の王はその人を見ると、毛を逆立てて敬い、仰ぎ見るでしょう。帝王や人民、すべての者が尊び従わないことはなく、まだ悟りを得ていなくても、功徳は高く輝き、天や人、龍や鬼も皆、称賛しない者はありません。」

佛語阿難:「我般泥洹後,世人多不敬法,喜自貢高自大輕蔑於人,薄賤正法,毀諸比丘,不與分衛,罵詈、瓦石擊之,無所拘畏。是曹輩人,皆從魔界中來,生為人故,復惡如是。其信樂佛法,則是上古先世時佛上足弟子,能知真偽隨奉正法,受持經戒復滅二十事,皆悉諸菩薩摩訶薩,非凡人耶!

仏は阿難に告げられた。「私が涅槃に入った後、世の人々の多くは法を敬わず、おごり高ぶり、他人を見下し、正しい教えを軽んじるようになる。彼らは比丘たちを尊ばず、托鉢の施しも与えず、悪口を浴びせ、石を投げつけ、何の恐れも持たなくなる。こうした者たちは皆、魔の世界からこの世に生まれてきた者であり、そのためこのように悪しき振る舞いをするのだ。一方、仏法を信じ喜ぶ者たちは、古の昔、仏のすぐれた弟子たちであって、真偽を見極め、正しい法に従い、経典や戒律を守り続け、さらに二十の煩悩を滅ぼすことができる。彼らはすべて菩薩や大菩薩たちであり、決して凡夫ではないのである。」

「人生當有死,無有不死者。持戒善人不惜身命,但念大慈大悲拯濟一切,為眾人作唱導。菩薩不懼生死之變,入生死度生死;入地獄說經戒,止惡為善;入餓鬼為說布施;入畜生為說婬泆亡人身;上天生為教諸天;人中為作法惡為善。人作地獄行則有地獄想;人作畜生行則有畜生想;人作天行則有天想;人作餓鬼行則有餓鬼想;人作人行則有人想。一切萬物皆無所有,但依所作名便有思想。今是賢者,眼所見其證分明,於世生已得為人,有福德奉正法,何不努力可自致得佛尊貴?何為作勤苦之業?身當自往受之,悔有何益?」
佛語阿難:「法之欲興,世生善人;法之欲衰,惡人眾多。善相告語,各勤加精進經戒,為憂一切無常。無常力大,佛不常住。於世努力勤之,既以自度,復能救度一切人、非人。諸比丘!汝曹當及我在世,當努力,莫言佛常在,今不努力後悔何益?今以死人者名見諦。」

仏は阿難にこうおっしゃいました。

「教えが盛んになろうとするとき、世の中には善い人が生まれます。しかし教えが衰えようとするときには、悪い人が増えるのです。善い人たちは互いに教え合い、それぞれ戒めと教えの学びに励み、すべては無常であると憂いています。無常の力は大きく、仏であっても永遠にこの世にとどまることはできません。この世にいる間に努力しなさい。そうすれば自分を救うだけでなく、すべての人や人間でない者たちをも救うことができるでしょう。

比丘たちよ、あなたたちは、私がこの世にいる間に努力しなさい。『仏は永遠にいる』などと思ってはいけません。今努力しなければ、後で後悔しても何の役にも立ちません。今、死を迎えた者は、真理を見極めた者と呼ばれるのです。」

見諦聞佛說經,父母諸家皆得阿羅漢道諦,即得阿惟越致,堅住不復動轉。諸比丘及諸菩薩、大弟子、天龍鬼神,聞經莫不歡喜,皆前為佛作禮而去。

真理を観じて仏の説法を聞き、父母や親類一同は皆、阿羅漢の境地に達した。そして真理を観じたその者は、即座に不退転の位を得て、堅くその境地に留まり、再び動ずることがなかった。比丘たち、菩薩たち、大いなる弟子たち、天・龍・鬼神たちは、この経を聞いて歓喜しない者はなく、皆、仏の前に進み出て礼拝し、そして立ち去ったのである。

弟子死復生經

弟子死復生経


CBETA コード: T0826

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません