佛說五恐怖世經
仏説五恐怖世経
宋居士沮渠京聲譯
沮渠京聲訳
聞如是:
私がこのように聞きました。
一時,佛在舍衛國祇樹給孤獨園。佛告諸比丘:「有五當來恐怖,未到未成,且來不久,可畏。當善思惟,以方便遠離之。何謂五?
その時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園におられた。仏は比丘たちに告げられた。「五つの未来に起こる恐れがある。まだ来ず、まだ起きていないが、間もなく来て、畏れるべきものである。よく考え、方便をもって遠く離れるべきである。その五つとは何か。」
「一者、謂後當來比丘身無行無戒、意不拘、無慧從身。自無行無戒、意不拘至無慧內。彼人為學至與大戒,從其學以師之,自可戒、自從意、自明慧。本從上學類,至後學者,法先頭學如上,從後毀律,言謗法經,真慧所遠。比丘!是為第一未來恐怖可畏,且來不久。當善思惟,方便避之。
一つの目の未来の恐怖:将来の修行者の中には、戒律や修行の実践を持たず、心を律せず、智慧もない者が現れるでしょう。彼ら自身が戒律も修行も持たず、心も定まらず、智慧もないにもかかわらず、世俗の名声を求め、大戒(高い地位や名誉)を得ることを学びます。彼らはこれを師と仰ぎ、自らの戒律を正しいとし、自らの考えに従い、自らの智慧を誇示します。本来、先人から教えを学び、後に学ぶ者たちも、最初は正しい法に従って修行しますが、後には戒律を破り、仏法を誹謗し、真の智慧から遠ざかります。比丘たちよ、これが第一の未来の恐怖であり、恐れるべきことです。それは遠くない未来に訪れるでしょう。よく考えて、その誤りを避けるための方法を学びなさい。
「二者、謂後當來比丘,身無行無戒、意不拘、無慧,為彼稱說有藏寶,以非次、內無戒、違尊令彼學,謂從是可到岸,為以遠流。是為第二未來可畏,且來不久。當善思惟,方便避之。
第二に、未来の比丘たちについてである。彼らは身に行いがなく、戒めを守らず、心は定まらず、智慧もない。そのような者たちのために、財宝が隠されていると称えて説く。しかし実際には、順序を踏まず、内に戒めがなく、尊い教えに背いている。彼らに学ばせようとしても、そこから彼岸に到達できると言うのは、遠い流れのようなものである。これが第二の未来における恐るべきことであり、やがて訪れるであろう。よく考え、手段を尽くしてそれを避けるべきである。
「三者、謂後當來比丘,身無行無戒、意不拘、無慧,本無明師,受不正法,比丘從受法,失法律義。是為第三未來可畏,且來不久。當善思惟,方便避之。
三つ目の恐れるべき未来とは、未来の比丘たちについてです。彼らは身を律する行いがなく、戒めを守らず、心を調御せず、智慧もありません。彼らには正しい師がおらず、誤った法を受けています。そして他の比丘たちが彼らから法を学ぶことで、仏法と戒律の真義を失ってしまいます。これが第三の未来における危険であり、それは遠くない将来に訪れるでしょう。よく考えて、賢明に避ける道を求めなさい。
「四者、後當來比丘,身無行無戒、意不拘、無慧,從身無行無戒、意不拘、無慧,比丘聚會講律說義,後語現之在中,中語現之在後,從是失明就冥,不能自覺,遠離正法。是為第四未來可畏,且來不久。當善思惟,方便避之。
「五者、後當來比丘,身無行無戒、意不拘、無慧,從身無行無戒、意不拘、無慧,世之所造巧言放語悉受意善,見彼誦之意為悅樂;尊所說合十二因緣、苦、空、非常,意態不樂,悉捨不受,聞彼之說意疑不然,亦不悅喜。是為第五未來可畏,且來不久。當善思惟,方便避之。」
佛說如是。
仏はこのように説かれました。
佛說五恐怖世經
仏説五恐怖世経