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  1. 因明入正理論一巻 (因明入正理論一卷)
  1. 因明入正理論 (因明入正理論)
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因明入正理論 (因明入正理論)

「因明入正理論」について

唐 · 南羯羅主菩薩造 著 · 底本の訳者:玄奘

2,863 字 · 約 10 分

『因明入正理論』は、インドのシャンカラスヴァーミン(南羯羅主)菩薩によって著され、唐代の玄奘三蔵法師が貞観年間に漢訳しました。本書は仏教論理学(因明)の核心的な典籍であり、宗・因・喻の三支からなる推論の法則と、現量・比量という二種の認識理論を体系的に説いています。その目的は、正しい論理的思考と議論の規範を確立することにあります。内容は精緻で体系が厳密であり、古代インド哲学的思弁の頂点を示すとともに、漢伝仏教における認識論・論理学研究の基礎を築きました。仏教思想史および論理学の分野で高い評価を受け、因明を学ぶうえで欠かせない入門書として権威ある著作とされています。


因明入正理論一卷

因明入正理論(一巻)

商羯羅主菩薩造

商羯羅主菩薩造

三藏法師玄奘奉 詔譯

三蔵法師玄奘奉詔訳

能立與能破, 及似唯悟他,
現量與比量, 及似唯自悟。

能立(ろうりつ)と能破(のうは)、 そして似(に)たものは、他(た)を悟らせるためだけのもの。

現量(げんりょう)と比量(ひりょう)、 そして似たものは、自(みずか)らを悟るためだけのもの。

如是總攝諸論要義。此中宗等多言,名為能立。由宗、因、喻多言,開示諸有問者未了義故。此中宗者,謂極成有法,極成能別差別為性,隨自樂為所成立性,是名為宗。如有成立「聲是無常」。

以上が、さまざまな論書の大切な意味をまとめたものです。ここで「宗」などの多くの言葉によって構成されるものを、論証の手段(能立)と呼びます。それは「宗」「因」「喻」という多くの言葉を用いて、問いを持つ者たちにまだ明らかでない意味を明らかにするからです。

この中で「宗」とは、話し手と聞き手の両方がすでに認めている事柄(極成有法)と、両方が認める属性(極成能別)との関係をその性質とし、話し手自らが望んで成立させようとする事柄を指します。これを「宗」と呼びます。例えば、「音は無常である」と主張するような場合です。

因有三相。何等為三?謂遍是宗法性、同品定有性、異品遍無性。云何名為同品、異品?謂所立法均等義品,說名同品。如立「無常」,瓶等無常,是名同品。異品者,謂於是處無其所立,「若有是常,見非所作,如虛空等」。此中所作性或勤勇無間所發性,遍是宗法性。同品定有性、異品遍無性,是無常等因。

因には三つの相(特徴)があります。その三つとは何か。第一に「遍く宗(主張)の法性であること」、第二に「同品には必ず存在すること」、第三に「異品には全く存在しないこと」です。

では、「同品」と「異品」とは何を意味するのでしょうか。立証しようとする法(性質)と均等な意味を持つ品(カテゴリー)を「同品」と呼びます。例えば「無常」を立てる場合、瓶などが無常であること、これを同品とします。

一方、「異品」とは、そこに立てられた法が存在しない場所のことです。「もし常住ならば、所作ではないということが認められる。例えば虚空のように」という場合がこれに当たります。

この中で、「所作性」あるいは「勤勇無間所発性(努力によって生じる性質)」は、遍く宗の法性であり、同品には必ず存在し、異品には全く存在しないという性質を持つもの、これが無常などの因(理由)となるのです。

喻有二種:一者同法;二者異法。同法者,若於是處顯因同品決定有性,謂「若所作見,彼無常,譬如瓶等」。異法者,若於是處說所立無,因遍非有,謂「若是常,見非所作,如虛空等」。此中「常」言表「非無常」,「非所作」言表「無所作」,如有非有,說名「非有」。

比喩には二種類あります。第一は「同じ性質による比喩」、第二は「異なる性質による比喩」です。

「同じ性質による比喩」とは、ある例において、理由と結果の因果関係が確かに存在することを示すものです。例えば、「作られたものは無常である。例えば瓶などのように」といった形です。

「異なる性質による比喩」とは、ある例において、結論が成立せず、理由もまったく存在しないことを示すものです。例えば、「もし常なるものであれば、作られたものではない。例えば虚空のようなもの」といった形です。

ここで「常」という言葉は、「無常ではない」という意味を表し、「作られたものではない」という言葉は、「作られたものがない」という意味を表します。例えば、「ある」ということが「ない」と言われるように、「有る」を否定して「無い」と表現するのです。

已說宗等如是多言開悟他時,說名「能立」。如說「聲無常」者,是立宗言。「所作性故」者,是宗法言。「若是所作,見彼無常,如瓶等」者,是隨同品言。「若是其常,見非所作,如虛空」者,是遠離言。唯此三分,說名「能立」。

宗など、これまで述べた多くの言葉によって他者を悟りに導くとき、これを「能立(証明の手段)」と呼びます。たとえば、「音は無常である」というのは、宗(主張)を述べた言葉です。「作られたものだから」というのは、宗法(理由)を述べた言葉です。「もし作られたものであれば、それは無常であると見られる。例えば瓶などのように」というのは、随同品(同類の例)を述べた言葉です。「もし常なるものであれば、それは作られたものではないと見られる。例えば虚空のように」というのは、遠離(異類の例)を述べた言葉です。これらの三つの部分こそを、「能立」と呼びます。

雖樂成立,由與現量等相違故,名似立宗。謂現量相違、比量相違、自教相違、世間相違、自語相違、能別不極成、所別不極成、俱不極成、相符極成。此中現量相違者,如說「聲非所聞」。比量相違者,如說「瓶等是常」。自教相違者,如勝論師立「聲為常」。世間相違者,如說「懷兔非月,有故」,又如說言「人頂骨淨,眾生分故,猶如螺貝」。自語相違者,如言「我母是其石女」。能別不極成者,如佛弟子對數論師立「聲滅壞」。所別不極成者,如數論師對佛弟子說「我是思」。俱不極成者,如勝論師對佛弟子立「我以為和合因緣」。相符極成者,如說「聲是所聞」。如是多言,是遣諸法自相門故、不容成故、立無果故,名似立宗過。

たとえ成立を喜ぶとしても、現量などに矛盾するから、似而非立宗と名づける。 すなわち、現量に反する、比量に反する、自教に反する、世間に反する、自己の言説に反する、能別(述語)が認められない、所別(主語)が認められない、両方が認められない、両方が認められてしまって無意味、というものがある。

このうち、現量に反するものとは、「音は聞かれない」と言うようなものである。 比量に反するものとは、「瓶などは常住である」と言うようなものである。 自教に反するものとは、勝論師が「音は常住である」と立てるようなものである。 世間に反するものとは、「月に兎はいない、それは存在するからである」と言うようなものや、「人間の頭頂骨は清らかである、それは衆生の一部分であるから、螺貝のようなものである」と言うようなものである。 自己の言説に反するものとは、「私の母は石女である」と言うようなものである。 能別(述語)が認められないものとは、仏弟子が数論師に対して「音は滅壊するものである」と立てるようなものである。 所別(主語)が認められないものとは、数論師が仏弟子に対して「我は思である」と言うようなものである。 両方が認められないものとは、勝論師が仏弟子に対して「我を和合因縁とする」と立てるようなものである。 両方が認められて無意味なものとは、「音は聞かれるものである」と言うようなものである。

このように多くの言説は、諸法の自相(固有の性質)を否定する門となり、成立せず、立てても結果がないから、似而非立宗の過失と名づけるのである。

已說似宗,當說似因。不成、不定及與相違,是名似因。
不成有四:一、兩俱不成;二、隨一不成;三、猶豫不成;四、所依不成。如成立「聲為無常」等,若言「是眼所見性故」,兩俱不成。「所作性故」,對聲顯論,隨一不成。於霧等性起疑惑時,為成「大種和合火有」而有所說,猶豫不成。「虛空實有,德所依故」,對無空論,所依不成。

四つの「不成」があります。第一は「両俱不成(両方にとって成立しない)」。第二は「随一不成(一方だけに成立しない)」。第三は「猶豫不成(ためらいがあって成立しない)」。第四は「所依不成(根拠が成立しない)」です。

例えば「音声は無常である」と証明しようとして、「それは眼に見える性質だから」と言った場合、これは「両俱不成」です。 「作られたものである性質だから」と言った場合、声が常住であると主張する学派に対しては「随一不成」になります。 また、霧やもやに惑わされて「火の大きな要素が集まって存在する」と言い出した時は、「猶豫不成」です。 「虚空は実在する、なぜなら属性の拠り所だから」と言う場合、虚空の存在を否定する学派に対しては「所依不成」になります。

不定有六:一、共;二、不共;三、同品一分轉異品遍轉;四、異品一分轉同品遍轉;五、俱品一分轉;六、相違決定。此中共者,如言「聲常,所量性故」。常無常品皆共此因,是故不定。為如瓶等所量性故,聲是無常?為如空等所量性故,聲是其常?言不共者,如說「聲常,所聞性故」,常無常品皆離此因,常無常外餘非有故,是猶豫因。此所聞性,其猶何等?同品一分轉異品遍轉者,如說「聲非勤勇無間所發,無常性故」。此中非勤勇無間所發宗,以電空等為其同品。此無常性,於電等有、於空等無。非勤勇無間所發宗,以瓶等為異品,於彼遍有。此因以電、瓶等為同法故,亦是不定。為如瓶等無常性故,彼是勤勇無間所發?為如電等無常性故,彼非勤勇無間所發?異品一分轉同品遍轉者,如立宗言「聲是勤勇無間所發,無常性故」。勤勇無間所發宗,以瓶等為同品,其無常性於此遍有;以電空等為異品,於彼一分電等是有、空等是無。是故如前,亦為不定。俱品一分轉者,如說「聲常,無質礙故」。此中常宗,以虛空極微等為同品,無質礙性於虛空等有、於極微等無;以瓶樂等為異品,於樂等有、於瓶等無。是故此因,以樂以空為同法故,亦名不定。相違決定者,如立宗言「聲是無常,所作性故,譬如瓶等」;有立「聲常,所聞性故,譬如聲性」。此二皆是猶豫因故,俱名不定。
相違有四:謂法自相相違因、法差別相違因、有法自相相違因、有法差別相違因等。此中,法自相相違因者,如說「聲常,所作性故,或勤勇無間所發性故」。此因唯於異品中有,是故相違。法差別相違因者,如說「眼等必為他用,積聚性故,如臥具等」。此因如能成立眼等必為他用,如是亦能成立所立法差別相違積聚他用,諸臥具等為積聚他所受用故。有法自相相違因者,如說「有性非實非德非業,有一實故、有德業故,如同異性」。此因如能成遮實等,如是亦能成遮有性,俱決定故。有法差別相違因者,如即此因即於前宗有法差別作有緣性,亦能成立與此相違作非有緣性,如遮實等,俱決定故。已說似因,當說似喻。
似同法喻有其五種:一、能立法不成;二、所立法不成;三、俱不成;四、無合;五、倒合。似異法喻亦有五種:一、所立不遣;二、能立不遣;三、俱不遣;四、不離;五、倒離。能立法不成者,如說「聲常,無質礙故。諸無質礙,見彼是常,猶如極微。」然彼極微,所成立法常性是有,能成立法無質礙無,以諸極微質礙性故。所立法不成者,謂說「如覺」。然一切覺,能成立法無質礙有,所成立法常住性無,以一切覺皆無常故。俱不成者,復有二種:有及非有。若言「如瓶」,有俱不成。若說「如空」,對無空論,無俱不成。無合者,謂於是處無有配合,但於瓶等雙現能立、所立二法。如言「於瓶,見所作性及無常性」。倒合者,謂應說言「諸所作者皆是無常」,而倒說言「諸無常者皆是所作」。如是名似同法喻品。
似異法中,所立不遣者,且如有言「諸無常者,見彼質礙,譬如極微」。由於極微所成立法常性不遣,彼立極微是常性故,能成立法無質礙無。能立不遣者,謂說「如業」。但遣所立,不遣能立,彼說諸業無質礙故。俱不遣者,對彼有論,說「如虛空」。由彼虛空不遣常性、無質礙性,以說虛空是常性故、無質礙故。不離者,謂說「如瓶,見無常性、有質礙性」。倒離者,謂如說言「諸質礙者皆是無常」。如是等似宗、因、喻言,非正能立。
復次為自開悟,當知唯有現、比二量。此中現量,謂無分別。若有正智於色等義,離名種等所有分別,現現別轉,故名現量。言比量者,謂藉眾相而觀於義。相有三種,如前已說。由彼為因,於所比義有正智生,了知有火或無常等,是名比量。於二量中,即智名果,是證相故。如有作用而顯現故,亦名為量。
有分別智於義異轉,名似現量。謂諸有智了瓶衣等分別而生,由彼於義不以自相為境界故,名似現量。若似因智為先所起諸似義智,名似比量。似因多種,如先已說。用彼為因,於似所比諸有智生,不能正解,名似比量。
復次若正顯示能立過失,說名能破。謂初能立缺減過性、立宗過性、不成因性、不定因性、相違因性及喻過性,顯示此言開曉問者,故名能破。若不實顯能立過言,名似能破。謂於圓滿能立顯示缺減性言、於無過宗有過宗言、於成就因不成因言、於決定因不定因言、於不相違因相違因言、於無過喻有過喻言。如是言說,名似能破,以不能顯他宗過失,彼無過故。且止斯事。
已宣少句義, 為始立方隅;
其間理非理, 妙辯於餘處。
因明入正理論一卷
因明入正理論後序
因明入正理論者,蓋乃抗辯標宗、摧邪顯正之悶閾也。因談照實;明彰顯理;入言趣本;正以離邪;論之者,較言旨歸、審明要會也。昔應符道樹茲義備焉,登庸鹿林斯風扇矣。六師稽顙而卷舌,十仙請命以知歸。非天靈曜寢光、邪津鼓浪,同惡孔熾寔繁有徒,所以世親弘盛烈於前,陳那纂遺芳於後,揚真殄謬、夷難解紛,至矣神功備詳餘論。粵有天主菩薩亞聖挺生,博綜研詳,聿修前緒,撰略精祕,逗適時機,啟以八門通其二益,芟夷五分取定三支,其義簡而彰,其文約而顯。西方時彥鑽仰彌深,自非履此通規,未足預其高論。大唐皇帝乘時啟聖,闡金鏡而運金輪,納錄嗣明,振玉鼓而調玉燭,洞敷玄化、載緝彝章,爇慧炬而鑒昏城,艤智舟而濟苦海。我三藏法師玄奘,神悟爽𢪛峻節冠群,行四勤如不及、瞻三宗而好問,漢地先達各擅專門,寓目必察其微、納心並殫其妙。嗟乎聖迹緜遠、像教陵夷,未嘗不臨訛文以喟然、撫疑義而太息。望葱山而高視,期鷲峯而遠遊。既而冒險乘危詢師訪道,行達北印度迦濕彌羅國,屬大論師僧伽耶舍,稽疑八藏、考決五乘。論師以大義磐根嘉其素蓄,唯因明妙術誨其未喻,梵音覯止氷釋于懷。後於中印度摩竭陀國,遇尸羅跋陀羅菩薩,更廣其例,觸類而長、優而柔之。於是遍謁遺靈、備訊餘烈,雖遇鍱腹,縱辯無前,風偃邪徒;抑兼茲論,旋弘周化,景福會昌。粵以貞觀二十一年秋八月六日,於弘福寺承詔譯訖。弘福寺沙門明濬筆受證文,弘福寺沙門玄謨證梵語,大總持寺沙門玄應正字,大總持寺沙門道洪、實際寺沙門明琰、羅漢寺沙門慧貴、寶昌寺沙門法祥、弘福寺沙門文備、廓州法講寺沙門道深、蒲州栖巖寺沙門神泰,詳證大義。銀青光祿大夫行左庶子高陽縣開國男臣許敬宗奉詔監譯。三藏法師以虛已應物闢此幽關,義海淼其無源、詞峯峻而難仰,異方秀傑同稟親承,筆記玄章並行於世。余以不敏妄忝吹噓,受旨證文偶茲嘉會,敢錄時事貽諸後毘,勝範鴻因無泯來際。

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