彌勒上生經宗要
彌勒上生経宗要
釋元曉撰
釈元暁撰
將說此經,十門分別:初述大意、次辨宗致、三二藏是非、四三經同異、五生身處所、六出世時節、七二世有無、八三會增減、九發心久近、十證果前後。
この経典を説き明かすに当たり、十の門から分別いたします。第一に大まかな趣旨を述べ、第二に宗派の教えの要旨を明らかにし、第三に二蔵(経蔵と論蔵)の正邪を弁別し、第四に三経(関連する三部の経典)の同異を究め、第五に仏が生まれた場所を論じ、第六に世に出現した時節を考え、第七に過去世と未来世の有無を説き、第八に三度の説法の集まりにおける増減を論じ、第九に発心から悟りに至るまでの遠近を考究し、第十に修行の果報を得る順序を明らかにします。
第一述大意者,蓋聞彌勒菩薩之為人也,遠近莫量、深淺莫測,無始無終、非心非色,天地不能載其功、宇宙不能容其德,八聖未甞窺其𨓍、七辨無足談其極,窈窈冥冥、非言非默者乎。然不周之山之高其跡可跋、朝夕之池之深其疆可涉,是知至人之玄猶有可尋之跡、玄德之遼非無可□之行。今隨跡疆之近蹤,誠論始終之遠趣。言其始也,感慈定之光熾、發廣度之道心,浴八解之清流、息七覺之苑林,四等之情等閏四生、三明之慧明導三界。論其終也,度苦海於法雲、發等覺於長夢,却二障之重闇、照四智之明鏡,乘六通之寶車、遊八極之曠野,千應萬化之術事啻百億□□□。今此經者,斯乃略歎至人垂天之妙迹、勸物修觀之真典也。彌勒菩薩者,此云慈氏覺士,賢劫千佛之內是其□□如來。弗沙佛時無習慈定,熏修其心遂成常性,從此已來每稱慈氏,乃至成佛猶立是名也。兜率陀者,譯言知足,欲界六天之中是其第四□□□□、欲情重,上二浮、逸心多,此第四天,欲輕逸少、非沈非浮,莫蕩於塵,故名知足。□受用具,不待營作、隨念自然,故名為天。菩薩從人昇天,故曰上生。行者靜慮思察,名之為觀。聞金口、演玉句,澍法雨之沃閏、成佛種之華菓,故言佛說。若人受持此經、觀察彼天,則能生妙樂之淨處,承慈氏之至人,登無退之聖階、謝有死之凡塵。舉是大意,以標題目,故言佛說觀彌勒菩薩上生兜率陀天經(云云)。
まず大意を述べるならば、聞くところによると、弥勒菩薩というお方は、その遠さ近さは測り知れず、深さ浅さも計り難い。始まりも終わりもなく、心でもなく形でもない。天地もその功績を載せきれず、宇宙もその徳を収めきれない。八聖もその庭を覗いたことはなく、七弁もその極みを語るに足りない。幽玄にして冥々として、言葉でもなく沈黙でもないのである。
しかしながら、不周の山の高さもその跡は歩むことができ、朝夕の池の深さもその岸は渡ることができる。これにより知る、至人の玄妙さにもなお尋ね求めるべき跡があり、玄徳の遠大さにも歩むことのできない道はないということを。今、この跡と岸との近き蹤に従いて、誠に始終の遠き趣を論じよう。
その始まりを言えば、慈定の光の熾んにするを感じ、広く度する道心を発し、八解脱の清き流れに浴し、七覚支の苑林に憩う。四無量心の情は四生に等しく潤い、三明の慧は三界を明らかに導く。
その終わりを論じれば、法雲にて苦海を渡り、長夢にて等覚を発し、二障の重き闇を退け、四智の明鏡を照らし、六通の宝車に乗り、八極の野原を遊行し、千の応変万の化現の術は、ただ百億の…に過ぎない。
今この経は、すなわちこれ至人の天に垂るる妙なる跡を略して歎じ、物に観修を勧める真実の典である。
弥勒菩薩とは、これを慈氏の覚士という。賢劫の千仏の中において、これは…の如来である。弗沙仏の時に慈定を習い、その心を薫修してついに常性と成り、この時より以降、常に慈氏と称し、成仏に至るまでなおこの名を立てるのである。
兜率陀とは、訳して知足という。欲界の六天の中、これはその第四…欲情は重く、上の二天は浮かび逸心が多い。この第四天は、欲は軽く逸は少なく、沈みもせず浮かびもせず、塵に蕩かされることないがゆえに、知足と名付けるのである。…受用の具は、営み作すを待たず、念に随いて自然に現れるがゆえに、天と名付ける。菩薩が人より天に昇ることを、上生という。行者の静慮思察を、観と名付ける。金口を聞き、玉句を演じ、法雨の沃潤を注ぎ、仏種の花果を成ずるがゆえに、仏説という。若し人がこの経を受持し、彼の天を観ずるならば、すなわち妙楽の浄き処に生まれ、慈氏の至人を承け、退くことなき聖階に登り、生死ある凡塵を謝すことができる。
この大意を挙げて、もって題目を標す。故に仏説観弥勒菩薩上生兜率陀天経という。
次第二明經宗致者,此經正以觀行因果而為其宗,令人生天、永無退轉以為意致。所言觀者,有其二種:一觀彼天依報莊嚴、二觀菩薩正報殊勝。專念觀察,故名三昧;而非修慧,唯在聞思。此但名為電光三昧,而無輕安,是欲界因也。所言行者,略有三種:一者聞大慈名,敬心悔前所作之罪;二者聞慈氏名,仰信此名所表之德;三者行於掃塔塗地、香華供養等諸事業,如下文說。此觀此行合為一根,所生之果略有四種:一者牙莖離土之果、二者華葉蔭涼之果、三者妙華開敷之果、四者芳菓成就之果。第一牙莖離土果者,伏滅前來所作眾罪,是因初行所得果也。第二華葉蔭涼果者,不墮三途邊地耶見,因第二行所得果也。第三妙華開敷果者,謂得兜率依正妙報,因第三行之所得也。第四芳菓成就果者,於無上道得不退轉,依前二觀之所得也。所以然者,觀察菩薩依正報故,生彼天時親承聖導,永不退於阿耨菩提,故依二觀得第四果。由聞慈氏之名、信其仁賢之德,遠離不聞賢聖名處,恒隨正見、成就眷屬,故依聞名得第二果。餘二因果,相當可知。知是觀行因果成就,無上菩提自然而至,是謂上生之果之所致也。
次に第二に、この経の宗旨を明かす。この経は、まさに観行と因果をもってその宗とし、人々をして天に生まれ、永遠に退転しないことをもって意趣とするものである。
ここでいう「観」には二種ある。第一に、あの天の依報の荘厳を観ずること。第二に、菩薩の正報の殊勝さを観ずることである。心を一つに集中して観察することを「三昧」と名づける。しかしこれは修慧ではなく、ただ聞慧と思慧にあるのみである。これはただ「電光三昧」と名づけるだけで、軽安を伴わず、欲界の因である。
ここでいう「行」には、おおよそ三種ある。第一に、大慈の名を聞いて、敬う心をもって以前の罪を悔いること。第二に、慈氏の名を聞いて、この名が表す徳を敬い信じること。第三に、塔を掃き、地を塗り、香華を供養するなどの諸々の事業を行うことで、これは以下の文に説く通りである。
この観とこの行を合わせて一つの根本とし、生ずる果にはおおよそ四種ある。第一に、牙茎が土を離れる果。第二に、華葉が蔭凉を与える果。第三に、妙華が開敷する果。第四に、芳菓が成就する果である。
第一の「牙茎が土を離れる果」とは、これまでの所作の諸々の罪を伏滅することであり、これは初めの行によって得られる果である。
第二の「華葉が蔭凉を与える果」とは、三途や辺地、邪見に堕ちないことであり、これは第二の行によって得られる果である。
第三の「妙華が開敷する果」とは、兜率天の依報と正報の妙なる報いを得ることであり、これは第三の行によって得られる果である。
第四の「芳菓が成就する果」とは、無上道において退転しないことを得ることであり、これは前の二つの観によって得られる果である。
なぜそうなのかといえば、菩薩の依報と正報を観察するからである。あの天に生まれた時、親しく聖なる導きを受け、永遠に阿耨菩提から退転しない。ゆえに二つの観によって第四の果を得るのである。
慈氏の名を聞き、その仁賢の徳を信じることによって、賢聖の名を聞くことのない処から遠く離れ、常に正見に従い、眷属を成就する。ゆえに名を聞くことによって第二の果を得るのである。
残りの二つの因果も、それに照らして理解できるであろう。
このように観行と因果が成就すれば、無上菩提は自然と至り、これが上生の果の帰するところであると知るべきである。
次第三明二藏是非者,諸說不同。或有說者,此上生經是小乘教,聲聞藏攝。所以然者,說阿逸多具凡夫身、未斷諸漏,又說彼果為十善報,以之故知非大乘教。或有說者,此經正是大乘之教,菩薩藏收,略以四文而證此義。一者《智度論》說「聲聞藏中無菩薩眾,猶如川流不容大海。菩薩藏中有菩薩眾及聲聞眾,猶如大海容於眾流。」今此經中既有聲聞及菩薩眾,故知是大而非小也。《金剛般若》序中雖無初菩薩眾,後流通分列菩薩眾,是故不應以彼作難。二者經下文中說「牢度大神禮十方佛發弘誓願」,故知是大而非小也。以小乘教中無十方佛故。三者下文說言「晝夜六時常說不退轉地法輪之行,逕一時中成就五百億天子令不退於阿耨菩提」,此言實非小乘教所容,故知是大而非小也。四者聞說是經,他方來會十萬菩薩得首楞嚴三昧,八萬億諸天發菩提心。准此得益菩薩行願,故知所聞是大乘教也。評曰:此教通被大小根性,如言「愛敬無上菩提心者欲為彌勒作弟子者」,乃至廣說,故但小不容大、大能含小,故隨所宗,菩薩藏攝。所以後師所說是也。
次に第三に、二蔵(声聞蔵と菩薩蔵)の是非について明らかにする。諸説さまざまで、異なる解釈がある。
ある説では、「この『上生経』は小乗教であり、声聞蔵に属する」という。その理由は、阿逸多(弥勒菩薩)が凡夫の身を具え、まだ諸々の煩悩を断ち切っていないと説かれ、またその果報が十善の報いであると説かれているからであり、これによって大乗教ではないと知るのである。
またある説では、「この経はまさに大乗の教えであり、菩薩蔵に収められる」とし、おおよそ四つの文をもってこの義を証明する。
第一に、『大智度論』に「声聞蔵の中には菩薩の衆はなく、それはちょうど川の流れが大海を容れることがないようなものである。菩薩蔵の中には菩薩の衆と声聞の衆とがあり、それはちょうど大海が多くの流れを容れるようなものである」と説かれている。今この経の中に、声聞と菩薩の衆の両方が存在するので、これは大乗であり小乗ではないと知るのである。『金剛般若経』の序文には最初の菩薩衆がないが、後の流通分には菩薩衆が列挙されているので、それをもって難じてはならない。
第二に、経の後の方の文に「牢度大神が十方の仏に礼し、広大な誓いを発した」と説かれているので、これは大乗であり小乗ではないと知るのである。小乗教の中には十方の仏という概念がないからである。
第三に、後の文に「昼夜六時に常に不退転地の法輪の行を説き、一時の間に五百億の天子を成就させて、阿耨多羅三藐三菩提において退転しないようにさせる」と説かれている。この言葉は実に小乗教の内容が容れるところではなく、これによって大乗であり小乗ではないと知るのである。
第四に、この経を聞いて、他方から来会した十万の菩薩が首楞厳三昧を得、八万億の諸天が菩提心を発したと説かれている。この得る所の利益は菩薩の行願によるものであるから、聞いた経が大乗教であると知るのである。
評して言う。この教えは大乗・小乗の両方の根性に通じて利益を与えるものである。「無上菩提の心を敬愛する者、弥勒の弟子となろうと欲する者」と言っているようにであり、以下広く説かれているとおりである。したがって、小乗は大乗を容れないが、大乗は小乗を含むことができる。それゆえ、宗旨によって判断すれば、これは菩薩蔵に収められる。後者の師の説が正しいのである。
問:若如後說,初所引文云何和會?解云:所言具凡夫身等者,是舉小乘所執釋作問。而答文言身圓光中有首楞嚴三昧波若波羅蜜字義炳然者,是表菩薩位登十地,以此三昧在彼地故。又言十善報應者,欲明菩薩十善之報實遍十方,非直在此。但應物機,局示彼天,以之故言十善報應。由是道理,彌合大教。如下文言「若我住世一小劫中,應說一生補處菩薩報應及十善果者,不能窮盡」,故知非直十善果義說名報應,亦示以淨報應於物機。依如是義故言報應,非直實報名十善果,由是不違大乘道理也。
問い:もし後で述べたように解するならば、先に引用した文はどのように調和させるべきか。
答え:いわゆる「凡夫の身を具える」などと言うのは、小乗の執われを挙げて問いを立てたものである。そして答える文に「身の円光の中に首楞嚴三昧・般若波羅蜜の字義が炳然と現れる」とあるのは、菩薩が十地の位に登ることを示しており、この三昧がその境地にあるからである。また「十善の報応」と言うのは、菩薩の十善による報いが実に十方に遍く及ぶことを明らかにしようとしたものであり、単にこの場所だけに留まるものではない。ただ、衆生の機根に応じて、限定的にかの天に示現したに過ぎない。それゆえに「十善の報応」と説くのである。この道理によって、ますます大乗の教えに適合する。後に述べる文に「もし私が一劫の間この世に住して、一生補処の菩薩の報応および十善の果報について説くならば、尽くすことはできないだろう」とあるように、ゆえに十善の果報の意味だけを報応と名付けるのではなく、清浄な報いを衆生の機根に示すことも意味しているのである。このような意味に基づいて「報応」と言うのであり、単なる現実の報いだけを十善の果報と呼ぶのではない。それゆえに大乗の道理に違背しないのである。
問:此中菩薩依正莊嚴,為是萬行所感實報、為是隨機所應化相?若如前者,非凡所見,是報非應;若如後者,不遍十方,是應非報。云何得言菩薩報應?解云:彼一一相皆有分齊,不壞分齊各遍十方,遍十方邊非凡所見、其分齊邊是凡所覩,然分齊即遍、遍即分齊,無障無礙、無二無別,如是功德無非實報、隨分所見無非應化。由是道理故說報應;就實而言,因具萬行、果圓萬德。但今局說在天報應,故說其因直取十善也。
問:この場合の菩薩の依報と正報の荘厳について、これは万行(あらゆる修行)によって感得された真実の報いであるのか、それとも衆生の機根に応じて現れた応化の姿であるのか。もし前者であれば、凡夫には見ることができず、それは報であって応ではない。もし後者であれば、十方に遍満することはなく、それは応であって報ではない。それでは、なぜ菩薩の報身と応身について言うことができるのか。
答え:あの一つ一つの相には、それぞれ限界(分斉)がある。しかし、その限界を壊すことなく、それぞれが十方に遍満している。十方に遍満するという側面は凡夫には見えないが、その限界の側面は凡夫にも見ることができる。しかし、限界がすなわち遍満であり、遍満がすなわち限界である。障害もなく、隔てもなく、二つではなく、区別もない。このような功徳は、すべて真実の報いではないものはなく、見るところに応じて、すべて応化ではないものはない。このような道理によって、報身と応身の両方を説くのである。真実の立場から言えば、因において万行を具え、果において万徳を円満する。ただ、今は限定的に天上における報身と応身について説くので、その因として直接に十善を挙げるのである。
次第四明三經同異者,《上生》、《下生》及《成佛經》,相望略有三種同異:一所為同異、二所詮同異、三所攝同異。言所為同異者,修觀行也。有其三品:上品之人,或修觀佛三昧、或因懺悔行法,即於現身得見彌勒,隨心優劣見形大小。此如《觀佛三昧海經》及《大方等陀羅尼經》說也。中品之人,或修觀佛三昧、或因作諸淨業,捨此身後生兜率天,得見彌勒,至不退轉。是故《上生經》所說也。下品之人,修施戒等種種善業,依此發願願見彌勒。捨此身後隨業受生,乃至彌勒成道之時,要見世尊三會得度。是如《下生成佛經》說。是即上生所為,為中品人;餘二經者,為下品人也。
次に、第四として三経の同異を明らかとする。『上生経』『下生経』および『成仏経』は、互いに対照すると、おおよそ三種の同異がある。一つには所為の同異、二つには所詮の同異、三つには所摂の同異である。
まず所為の同異について述べる。それは修行の観法についてである。そこには三つの段階がある。上品の人は、あるいは観仏三昧を修め、あるいは懺悔の行法によって、現身のままで弥勒菩薩を拝見することができる。その心の優劣に応じて、見える姿の大小が異なる。これは『観仏三昧海経』や『大方等陀羅尼経』に説かれている通りである。
中品の人は、あるいは観仏三昧を修め、あるいは様々な清らかな行いを積むことによって、この身を終えたのち兜率天に生まれ、弥勒菩薩を拝見して、退き転じない境地に至る。これは『上生経』に説かれるところである。
下品の人は、布施や戒律などの様々な善い行いを修め、それによって弥勒菩薩に会いたいと願を立てる。この身を終えたのち、その業に従って生を受け、やがて弥勒菩薩が成道される時、必ず世尊にお目にかかり、三度の説法の会で救いを得る。これは『下生成仏経』に説かれる通りである。
つまり、『上生経』が対象とするのは中品の人であり、残りの二経は下品の人を対象としているのである。
第二所詮有同異者,《上生》所詮,是天報應菩薩功德;餘二經者,詮於人報成佛等相。此後二經互有廣略,其所詮理大意同也。
第二に、経典が説く内容に同じところと異なるところがあることについて述べます。『上生経』が説くのは、天に生まれる報いと菩薩の功徳です。残りの二経(『下生経』と『成仏経』)は、人として生まれる報いや成仏などの様相を説いています。この後の二経は互いに詳しいところと簡略なところはありますが、その説く理の大筋は同じです。
第三所攝有同異者,《上生經》者,菩薩藏攝,義如前說。餘二經者,聲聞藏收。所以然者,其《成佛經》出《長阿含》。《下生》經文深淺不異,又說成道未明應現,依經得益證小乘果,以之故知非菩薩藏。然縫衣之時短針為要,雖有長戟而無所用;避雨之日小蓋是用,普天雖覆而無所救。是故不可以小為輕,隨其根性大小皆珍者也。
次第五明生身處所者,說處不同。《華嚴經.入法界品》中,彌勒菩薩告善財童子言:「我於此閻浮提南界摩離國內拘提聚落婆羅門家種性中生,為欲滅彼憍慢心故、化度父母及親屬故。於此命終生兜率天,為欲化度彼諸天故」也。《賢愚經》第十二卷云「爾時波羅奈王名波羅度達。王有輔相,生一男兒,三十二相、眾好備滿。輔相增悅,即召相師令占相之,因為立字。相師問言:『自從生來有何異事?』輔相答言:『其母素性不能良善;懷妊已來,悲矝苦厄、慈潤黎元。』相師喜曰:『此是兒志。』因為立字,號曰彌勒。其兒殊稱,令土宣聞。國王聞之,懷懼言曰:『今此小兒,名相顯美;儻有高德,必奪我位。寧其未長,當豫除滅。』作是計已,即勅輔相:『聞汝有子,容相有異。汝可將來,吾欲得見。』其兒有舅名婆婆梨,在波梨富羅國,為彼國師。於時輔相憐哀其子,懼被其容。復作密計,密遣人乘送與其舅,令彼長養」,乃至廣說。今此經言「波羅奈國劫波梨村波婆梨大婆羅門家本所生處」。此三種說,云何相會?解云:後二經文,文異意同。所以然者,《賢愚經》意,寄父表生,故言輔相生一男兒;此非的出其生之處。《上生經》文的明生處。彼土之法,婦懷妊已還本家產,本家在於劫波梨村。知此二經,文不相違也。《華嚴經》意,別顯異處。大聖分身隨機異見,處處異生,不足致怪。由是道理,不相違背也。
次に第五に、生身の処所を明かす。説くところは同じではない。『華厳経』「入法界品」には、弥勒菩薩が善財童子に告げて言うには「私はこの閻浮提の南端、摩離国内の拘提聚落の婆羅門の家の種姓の中に生まれた。その憍慢の心を滅ぼすためであり、父母や親族を教化し度するためである。ここで命を終えて兜率天に生まれるのは、あの天の者たちを教化し度するためである」と。『賢愚経』第十二巻には「その時、波羅奈の王は波羅度達といった。王には輔相がいて、男の子が生まれた。三十二相、多くの好が満ち備わっていた。輔相は喜び、すぐに相師を召して占わせ、そのために名前を付けさせた。相師が尋ねて言うには『生まれて以来、何か異なる事はありましたか』と。輔相が答えて言うには『その母はもともと善良な性質ではなかったが、妊娠して以来、苦しみや災いを悲しみ、民を慈しみ潤した』と。相師は喜んで言うには『これはこの子の志によるものです』と。そのために名前を付けて、弥勒と号した。その子の優れた呼び名は、国中に知れ渡った。国王がこれを聞いて、恐れを持って言うには『今この幼子は、名前も相も優れて美しい。もし高徳があれば、必ず私の位を奪うだろう。成長する前に、予め滅ぼしておくのが良い』と。この考えを巡らせて、すぐに輔相に命じて言うには『あなたに子がいて、容姿や相が異なっていると聞く。あなたは連れて来なさい。私は見たいと思う』と。その子には舅の婆婆梨という者がいて、波梨富羅国にいて、その国の師であった。その時、輔相はその子を哀れみ、その身に危険が及ぶことを恐れた。また密かに計略を巡らせ、ひそかに人を遣わしてその舅のもとに送り届け、そこで養育させた」と。これらの詳しい説話は広く語られている。今この経典には「波羅奈国劫波梨村の波婆梨という大婆羅門の家が本来生まれたところである」と言う。この三つの説は、どのようにして一致するのか。解説して言うには、後の二つの経文は、文字は異なるが意味は同じである。なぜならば、『賢愚経』の意図は、父を借りて生まれたことを表すものであり、ゆえに「輔相が男の子を生んだ」と言うのであって、これは生まれた場所を直接示してはいない。『上生経』の文は、生まれた場所を明確に示している。あの国の習慣では、婦人は妊娠すると実家に帰って出産する。実家は劫波梨村にある。これによって、この二つの経は矛盾しないと知るべきである。『華厳経』の意図は、別のところを示す。大聖は身を分けて機に随って異なって示現し、場所ごとに異なって生まれるのは、怪しむに足りない。この道理によって、互いに違背することはないのである。
次第六明出世時節者,欲顯彌勒世尊何劫何節幾時出世。言何劫者,在第十劫。如藏論云「二十住劫中,有五佛出世故。前五劫中無佛出世,第六劫中拘留孫陀佛出世,第七劫中拘那含牟尼佛出世,第八劫中迦葉佛出世,第九劫中釋迦牟尼佛出世,第十劫中彌勒佛出世。後十住劫中亦無佛出世」,乃至廣說。言何節者,劫減時出。如論說云「為劫上時,諸佛出世,為於劫下」,偈曰「成佛於劫下,減八萬至百」。云何不於劫上時出?此時眾生難教厭離。從百歲至十,厭離心重,最應易生。何故不出於此時中?五濁熾盛故。又云「人壽無量時,乃至八萬歲」。輪王出世,不減八萬時。何以故?減八萬時,非此吉祥福樂品故。
問依此論文,輪王與佛出世時異。云何輪王與佛同世?解云:輪王生時,未減八萬;末及始減,故得相值。如《賢劫經》言「稍增至六萬歲時,有轉輪王,輪王相次。經第七王時,人壽八萬四千歲,彌勒出興。」《大彌勒成佛經》亦云八萬四千,《阿含經》及《賢愚經》中止論八萬。《俱舍論》云「長極八萬,短至十歲。」案云:言八萬者,舉其大數,不至九萬故言極八。又佛出時始減數十,大數未𨷂,所以猶言八萬四千。若依此經,六萬歲時亦有輪王,如何論說不減八萬者?經說增時,論說減時。由是道理,不相違也。言幾時者,經論不同。《賢劫經》言「人壽二萬歲時,第六迦葉佛出世。人壽增減至千二百歲時,釋迦始上兜率天。於天四千歲,人間得五十六億七千七萬歲。人壽百年時,下閻浮提。」《雜心論》云「彌勒菩薩滅後生第四天,壽四千歲。一日一夜當人間四百年,即準人間合五十七億六百萬歲,然後下閻浮提成等正覺。」《賢愚經》云「五十六億七千萬歲」,《菩薩處胎經》亦同此說。《一切智光仙人經》云「五十六億萬歲」,今《上生經》亦同此說。《定意經》云「彌勒五億七十六萬歲作佛」。案云:彼天四千歲,準人間歲數得五萬七千六百之萬年。此是以萬為首,而數至於五萬七千六百。此中若依千萬為億,即為五十七億六百之萬歲,當於《雜心》之文;若依萬萬為億之數,即為五億七千六百之萬歲,近於《定意經》說。而言七十六萬歲者,算位誤取之耳,七千為七十、六百為六也。其餘三經皆云五十餘億等者,並依千萬為億之數,而隨翻譯之家頗有增減之云耳。天人歲數相配如是,而於其中多有妨難。何者?《俱舍論》說「如是此壽長遠究竟極此八十千歲,是時諸人安坐受樂,無所馳求,壽八十千歲,住阿僧祇年,乃至眾生未造十惡。從起十惡集道時節,壽命因此十十歲減,度一百年即減十歲」,乃至廣說。今於彼天四千歲數,不滿人間阿僧祇年。況從百歲稍減至十,從十稍增至於八萬乃至減時,準此而言不得相當。是一難也。又依彌勒百歲時上,至於八萬減時下生,此於中劫纔過其半。若論釋迦,人壽千二百歲時上,稍減至十、增至八萬,還減至百方乃下生。此過一劫,倍長於前。而於二處齊言於天四千歲、人間得五十餘億等,如是相違。是二難也。若言釋迦逕多死生、彌勒於彼逕少死生,非但受彼四千一生,故不違於半劫一劫者,即違經說一生補處,亦違五十餘億等文。是三難也。如是相違,云何和會?此中,真諦三藏解云:補處菩薩生於彼天,雖無中夭,受多死生。所以然者,一由旬城所有芥子,百年去一乃至盡時,是一兵刀劫量,是即人間四百年為彼一日一夜。一日一夜中除四芥子,一月除百二十芥子,乃至四千年中除五十七億六萬芥子,不過二三升。然釋迦菩薩下生之時,一由旬城芥子已盡;彌勒菩薩下生之時,彼城芥子除其半餘。故知於彼逕多死生,而於剡浮唯有一生,故說此為一生補處。三藏法師作如是通。若依此義通餘經論者,諸說五十餘億等文,直理當於彼天一生之數,不說上下之間唯有爾許之年。由是道理,故不相違也。若準論文,於彼天中逕多死生,其有道理。如《瑜伽論》第四卷云「四大王眾天滿足壽量,是等活大那落迦一日一夜。則以此三十日為一月,十二月為一歲,彼壽五百歲。如是以三十三天壽量成黑繩壽量,以時分天壽量成眾合壽量,以知足天壽量成號叫壽量,以樂化天壽量成大號叫壽量,以他化自在天壽量成燒熱壽量,應知亦爾。」極燒熱大那落迦有情壽量半中劫,無間大那落迦壽一中劫。準此而言,彼知足天滿足壽量,是號叫大那落迦一日一夜。即以此三十日為一月,十二月為一歲,彼壽四千歲。如是大號叫壽量,燒熱壽量轉倍於前。極熱半劫,無間一劫,亦轉倍之。然今彌勒菩薩在知足天逕半劫餘、釋迦菩薩在於彼天逕一劫餘,且經號叫一壽量時已逕彼天無數死生,況逕半劫及一劫乎?
この論に基づいて問う。転輪王と仏の出世する時は異なる。なぜ転輪王と仏が同じ世に現れるのか。解釈して言う。転輪王が生まれる時は、まだ八万歳を減じていない。その初めの減少期にも及ばないので、同じ時に出会うことができる。例えば『賢劫経』に「寿命が漸く六万歳に増えた時に転輪王が現れ、輪王が次々と続く。その第七王の時に、人の寿命は八万四千歳となり、弥勒が出現する」とある。『大弥勒成仏経』にも八万四千歳とあり、『阿含経』と『賢愚経』にはただ八万歳とだけある。『倶舎論』には「寿命は最も長くて八万歳、最も短くて十歳」とある。考察して言う。八万歳というのは、その大きな数字を挙げたものであり、九万歳に至らないので「極めて八万」と言うのである。また仏が出現する時は、寿命が減り始めてから数十歳の頃であり、大きな数字としてはまだ尽きていないので、なお八万四千歳と言うのである。もしこの経に従えば、六万歳の時にも転輪王がいることになるが、どうして論には八万歳を減じないと言うのか。経は増加の時を説き、論は減少の時を説く。この道理によって、互いに矛盾しないのである。「何時か」と言うことについては、経と論で異なる。『賢劫経』には「人の寿命が二万歳の時、第六の迦葉仏が出現した。寿命が増減して千二百歳になった時、釈迦が初めて兜率天に上った。天において四千歳、人間では五十六億七千七万歳となる。寿命が百歳の時、閻浮提に下った」とある。『雑心論』には「弥勒菩薩は滅後、第四天に生まれ、寿命は四千歳。一日一夜は人間の四百年に当たる。すなわち人間で計算すると合わせて五十七億六百歳となり、その後閻浮提に下って正等覚を成就する」とある。『賢愚経』には「五十六億七千万歳」とあり、『菩薩処胎経』も同じ説である。『一切智光仙人経』には「五十六億万歳」とあり、今の『上生経』も同じ説である。『定意経』には「弥勒は五億七十六万歳で仏となる」とある。考察して言う。彼の天の四千歳は、人間の歳数に換算すると五万七千六百の万年を得る。これは「万」を基本として数えて五万七千六百に至るものである。この中で、もし千万を億とするならば、五十七億六百の万歳となり、『雑心論』の文に当たる。もし万万を億とする数ならば、五億七千六百の万歳となり、『定意経』の説に近い。そして「七十六万歳」と言うのは、計算の位を誤って取ったものであり、七千を七十とし、六百を六としたのである。その他の三経が皆「五十余億」などと言うのは、いずれも千万を億とする数に従っており、翻訳者によって多少の増減があるというだけである。天人と人間の歳数の対応はこのようであるが、その中に多くの難点がある。何か。『倶舎論』に「このようにこの寿命は長遠で、究竟して極まるのはこの八万歳である。その時、人々は安坐して楽を受け、求めるものもなく、寿命は八万歳であり、阿僧祇年の間住し、衆生が十悪を造らないままでいる。十悪の集道を起こす時節から、寿命はこのために十歳ずつ減り、百年ごとに十歳減る」と説き、さらに広く説いている。今、彼の天の四千歳の数は、人間の阿僧祇年を満たさない。ましてや百歳から漸く十に減り、十から漸く八万に増え、さらに減る時を考えるならば、これに照らして言えば、相当しない、というのが第一の難点である。また弥勒は百歳の時に上がり、八万の減る時に下生するとすれば、これは中劫のちょうど半分を過ぎただけである。釈迦について言えば、人の寿命千二百歳の時に上がり、漸く十に減って八万に増え、また減って百になって初めて下生する。これは一劫を過ぎており、前の倍の長さである。そして二つの場合に共に「天の四千歳、人間では五十余億」と言うのは、このように矛盾する。これが第二の難点である。もし釈迦は多くの死生を経て、弥勒は彼の天で少ない死生を経たのであって、ただ彼の天の四千歳の一生を受けるのではないから、半劫と一劫の違いに矛盾しないと言うならば、それは経の説く「一生補処」に違反し、また「五十余億」等の文にも違反する。これが第三の難点である。このように矛盾するが、どう調和させるのか。ここで真諦三蔵は解釈して言う。補処菩薩は彼の天に生まれるが、途中で夭折することはないけれども、多くの死生を受けるのである。なぜか。一由旬の城にあるすべての芥子を、百年ごとに一つ取り除き、ついに尽きる時が、これは一つの兵劫の量である。すなわち人間の四百年が彼の一日一夜である。一日一夜のうちに四つの芥子を取り除き、一月には百二十の芥子を取り除き、四千年のうちに五十七億六万の芥子を取り除くが、それは二三升に過ぎない。しかし釈迦菩薩が下生する時は、一由旬の城の芥子はすでに尽きていた。弥勒菩薩が下生する時は、彼の城の芥子はその半分余りを取り除いただけである。それで彼の天で多くの死生を経ることが知られるが、閻浮提ではただ一生だけであるので、これを「一生補処」と説くのである。三蔵法師はこのように通釈した。もしこの義によって他の経論を通釈するならば、諸説の「五十余億」等の文は、ただ彼の天の一生の数に当たるのであって、上下の間にただそれだけの年数があるとは説かないのである。この道理によって、矛盾しないのである。もし論の文に照らせば、彼の天で多くの死生を経ることは、道理がある。例えば『瑜伽論』第四巻に「四大王衆天の満足の寿量は、等活の大那落迦の一日一夜である。すなわちこの三十日を一月とし、十二月を一歳として、彼の寿命は五百歳である。このように三十三天の寿量をもって黒縄の寿量とし、時分天の寿量をもって衆合の寿量とし、知足天の寿量をもって号叫の寿量とし、楽化天の寿量をもって大号叫の寿量とし、他化自在天の寿量をもって焼熱の寿量とする、と知るべきである。」極焼熱の大那落迦の有情の寿量は半中劫であり、無間の大那落迦の寿量は一中劫である。これに照らして言えば、彼の知足天の満足の寿量は、号叫の大那落迦の一日一夜である。すなわちこの三十日を一月とし、十二月を一歳として、彼の寿命は四千歳である。このように大号叫の寿量、焼熱の寿量は転倍して前より多い。極熱は半劫、無間は一劫であり、また転倍している。しかし今、弥勒菩薩は知足天に半劫余りを経ており、釈迦菩薩は彼の天で一劫余りを経ている。すでに号叫の一寿量の時を経るならば、彼の天で無数の死生を経ているのであり、まして半劫や一劫を経る場合はなおさらである。
次第七明二世有無者,慈氏出世在於賢劫,賢劫千佛諸經同說。過去未來二劫之中千佛有無,經說不同。如《觀藥王藥上經》中,釋迦佛言:「我昔於妙光佛末法中出家,聞是五十三佛名。以心喜故,後轉教人。乃至三千人同音讚歎、一心敬禮,即時超越無數億劫生死之罪。其初千人者,華光佛為首、下至毘舍,於莊嚴劫成佛。過去千佛是也。中千人者,拘留孫佛為首、下至樓至,於賢劫中次第成佛。後千人者,日光如來為首、下至須彌相佛,於星宿劫當得成佛。」依此經文,三世有千佛也。《大智度論》第九卷云「前九十劫有三佛,後一劫有千佛。九十劫初劫有毘婆尸佛,第三十劫中有二佛,一名尸棄、二名鞞怒婆附。第九十一劫初有四佛,一名迦羅鳩飡陀、二名迦那含牟尼佛、三名迦葉佛、四名釋迦牟尼。」《賢劫經》言「從拘留秦佛至九百九十九佛,共出前半劫,後有樓至佛獨用半劫。樓至滅後,更六十二劫空過無佛。過爾有一佛興,號曰淨光稱王,壽十小劫。過此佛後,復三百劫亦空過無佛。」依此經論,去來二劫應無千佛。云何和會?解云:有無二說,皆實不虛。所以然者,隨機見聞有無不定,故說有無皆不相妨。
次に第七として、二世(過去・未来)における仏の有無について明らかにする。慈氏(弥勒菩薩)の出世は賢劫にあるとされ、賢劫に千仏が現れることは諸経で同じく説かれている。しかし過去・未来の二劫に千仏がいるかどうかについては、経によって説が異なる。
『観薬王薬上経』には、釈迦仏がこう語っている。「私は昔、妙光仏の教法が終わる時代に出家し、この五十三仏の名を聞いた。心に喜びを生じたので、その後人々に教え伝えた。やがて三千人が声を揃えて讃嘆し、一心に礼拝したところ、即座に無数の億劫の生死の罪を超越した。その最初の千人とは、華光仏を先頭とし、毘舎仏に至るまで、荘厳劫において成仏した者たちである。これが過去千仏である。中の千人とは、拘留孫仏を先頭とし、楼至仏に至るまで、賢劫において順に成仏する者たちである。後の千人とは、日光如来を先頭とし、須弥相仏に至るまで、星宿劫において成仏するであろう者たちである。」この経文によれば、三世に千仏がいることになる。
一方、『大智度論』第九巻にはこうある。「前の九十劫には三仏がおり、後の一劫には千仏がいる。九十劫の最初の劫には毘婆尸仏がいた。第三十劫には二仏がおり、一人は尸棄、もう一人は鞞怒婆附という。第九十一劫の初めには四仏がおり、迦羅鳩飡陀、迦那含牟尼仏、迦葉仏、釈迦牟尼である。」また『賢劫経』にはこうある。「拘留秦仏から九百九十九仏までが前半劫に共に出現し、後に楼至仏が単独で半劫を用いる。楼至仏が滅した後、さらに六十二劫は仏がなく空過する。その後、一仏が興り、浄光称王と号し、寿命は十小劫である。この仏の後、さらに三百劫も空過して仏がない。」
これらの経論によれば、過去・未来の二劫には千仏はいないことになる。どのように調和させればよいのか。
答えていうには、有るとの説も無いとの説も、どちらも真実であり虚偽ではない。なぜならば、衆生の機根や見聞によって有無は定まらないからである。ゆえに有るとも無いとも説いても、互いに妨げることはないのである。
問:賢劫之量,以何為限?樓至如來獨用半劫,為一相續故是一壽、為多過去故為多壽?解云:《金剛力士經》言「昔有轉輪聖王,千子發心,願求作佛。王欲試其誰先得佛,於是取千籌,以香湯洗之,令千子取。得第一者最初成佛,如是至九百九十九佛,最後一子為第千佛。諸兄譏言:『我等成佛,化人已盡。汝後作佛,何所度邪?』於是小子聞此悲泣。後復思惟:『世界無邊,眾生不盡。我今發願:願我後作佛時,壽命與諸兄等,所度眾生其數亦同。於是地動,佛與其記。是因緣故,獨用半劫。以啼泣故,名啼泣佛。於是諸兄即願作金剛神護樓至佛。』」《賢劫經》中亦同此說。依此經文,一壽之量等諸兄等。言一壽者,數多為一,一本所垂、一名出故。賢劫量者,相傳說言:六十四劫為一大劫,名賢劫等。所以然者,火水風劫一周轉訖合六十四,以此為限也。
問い:賢劫の長さは、何をもって限りとするのか。楼至如来はただ半劫を用いるとされるが、これは一つの相続であるから一つの寿命なのか、それとも多くの過去があるから多くの寿命なのか。
解釈:『金剛力士経』にはこうある。「昔、転輪聖王がいて、千人の子がみな発心して仏になることを願った。王はその中で誰が最初に仏になるかを試そうと思い、千本の籌(くじ)を取り、香湯で洗って、千人の子に取らせた。最初の籌を得た者が最初に成仏し、このようにして九百九十九仏に至り、最後の一人の子が千番目の仏となった。兄たちはこの子を嘲って言った。『われわれが成仏するときには、教化すべき人はすでに尽きている。あなたが後になって仏になっても、いったい誰を度するのか』と。これを聞いて末の子は悲しみ泣いた。その後、よく考えて言った。『世界は限りなく、衆生も尽きることがない。私は今願を立てよう。願わくば、私が後になって仏になるとき、寿命は兄たちと同じで、度する衆生の数も同じであるように』と。すると大地が動き、仏は彼に記別(未来成仏の約束)を与えた。この因縁によって、ただ半劫を用いるのである。泣いたことから、啼泣仏と名づけられた。そこで兄たちはすぐに金剛神となって楼至仏を護ることを願った。」『賢劫経』にも同じ説がある。この経文によれば、一つの寿命の量は兄たちと同じであるという。「一寿」と言うのは、多数をまとめて一つとし、一本の教えが垂れられ、一つの名が現れるからである。賢劫の量については、伝え聞くところでは、六十四劫を一大劫とし、これを賢劫と名づける。そうである理由は、火・水・風の劫が一巡して終わり、合わせて六十四となるからで、これを限りとするのである。
次第八三會增減者,然通論一化說法之會,有無數會,何得唯云而說三會度爾許者?準度前佛所遺弟子,通論諸佛度先所遺,此亦未必唯在三會,或一二會度先所遺,或有四五乃至十會。然今釋迦、彌勒二佛,齊有三會度先弟子,但其所度有多小耳。如《菩薩處胎經》佛語彌勒言:「汝生快樂國,不如我累苦。汝說法甚易,我說法甚難。初說九十六億、二說九十四億、三說九十二億;我初說十二、二說二十四、三說三十六。汝所說三人,是吾先所化:九十六億人受持五戒者、九十四億人受持三歸者、九十二億人一稱南無佛者。汝父梵摩淨將八萬四千,非我先所化,是汝所開度」,乃至廣說。案云:三會唯度小乘弟子,以皆證得阿羅漢果故。若論大乘根性之人、令得無生忍等果者,無非先佛之所化度,故無限於三四會等。於中委悉,文處當說也。
第八十三會の増減について考えると、そもそも一世代の教えを説く会合を通して見れば、無数の会合がある。どうしてただ三会だけを挙げて、これだけの人数を度すると言えるだろうか?過去の仏が遺した弟子を度するという考え方に基づけば、諸仏が過去に遺された者を度する場合も、必ずしも三会に限らない。ある仏は一会や二会で過去の遺した者を度し、あるいは四会、五会、十会に及ぶこともある。しかし今の釈迦仏と弥勒仏の二仏は、ともに三会で過去の弟子を度するとされているが、ただその度する数の多少が異なるだけである。例えば『菩薩処胎経』の中で仏が弥勒に言われた:「汝は楽しみの国に生まれて、我が苦労を積むのとは異なる。汝の説法は非常に易しく、我の説法は非常に難しい。初めに九十六億を説き、二度目に九十四億を説き、三度目に九十二億を説く。我は初めに十二を説き、二度目に二十四を説き、三度目に三十六を説く。汝が説く三人の者たちは、皆我が以前に教化した者である:九十六億人は五戒を受持した者、九十四億人は三帰を受持した者、九十二億人は一度南無仏と唱えた者である。汝の父の梵摩浄は八万四千を伴うが、これは我が以前に教化した者ではなく、汝が開き導いた者である」と、詳しく説かれている。これを考えてみると、三会はただ小乗の弟子だけを度するものである。なぜなら、皆が阿羅漢の果を証するからである。もし大乗の根性を持つ人々が、無生法忍などの果を得ることを論じるならば、これはどれも先の仏が教化し度したものではないものはなく、したがって三会や四会などの数に限られることはない。その中で詳細なことは、本文の箇所で述べられるであろう。
次第九明發心久近者,《佛本行經》第一卷云「昔有如來號曰善恩,彌勒菩薩於彼佛所最初發心。彌勒菩薩在於我前四十餘劫發菩提心,然後我發道心。昔有佛名示海幢如來,我於彼佛國作轉輪王,名曰窂□弓,初發道心。」《智度論》第二十四卷云「釋迦牟尼佛與彌勒等諸菩薩同時發心,精進力故,超越九劫。」案云:釋迦、彌勒各有眾多,同時前後皆無妨也。
次に第九として、発心の久遠・近遠を明かすことについて述べる。
『仏本行経』の第一巻にはこうある。「昔、善恩という如来がおられた。弥勒菩薩はその仏のもとで最初に発心した。弥勒菩薩は私より四十余劫も前に菩提心を発し、その後に私(釈迦)が道心を発したのである。また昔、示海幢如来という仏がおられたが、私はその仏の国で転輪王となり、窂□弓という名で、その時に初めて道心を発した。」
『智度論』の第二十四巻にはこうある。「釈迦牟尼仏は弥勒ら諸菩薩と同時に発心したが、精進の力によって九劫を超越したのである。」
考えるに、釈迦と弥勒にはそれぞれ多くの(過去世における)発心があり、同時であれ先後であれ、いずれも差し支えないのである。
問:論說釋迦所超九劫,為是大劫、為是小劫?若是大劫,同劫成佛,何得言超?若是小劫,在前一劫,云何超九?若言釋迦應在彌勒之後九劫成佛,而今同在一劫成道,所以得言超九劫者,云何而言同時發心?解云:此中所超,準是大劫。所以然者,言超劫者非就實行,但依獲準示其超耳。謂三僧祇已滿之後,脩相好業應逕百劫,而於九十一劫修滿故,言超九也。論說第九十一劫中千佛出世,故知其九亦是大劫。然此二菩薩同時所發,是不定心。若論決定發心之時,彌勒發心九劫已後,釋迦乃發決定之心。故應在後九劫成道,而今超九同在一劫。此論約彼最初發心,故言同時發心之耳。由是道理,不相違背也。餘處所說超十二劫,準此應知也。
問い:論では、釈迦が九劫を超越したと説かれていますが、これは大劫でしょうか、それとも小劫でしょうか。もし大劫であるなら、同じ劫に成仏するのに、どうして超越したと言えるのでしょうか。もし小劫であるなら、一つの劫の前で、どうして九劫を超越するのでしょうか。もし釈迦は弥勒より九劫後に成仏すべきところ、今同じ劫に成道したので、九劫を超越したと言えるなら、どうして同時に発心したと言えるのでしょうか。
解釈:ここで超越したと言うのは、大劫を指しています。なぜなら、「劫を超える」というのは実際の修行によるものではなく、基準を得たことを示して超越を説いているにすぎないからです。すなわち、三阿僧祇劫が満ちた後、相好の業を修めて百劫を経るべきところ、九十一劫で修め終えたので、「九劫を超えた」と言うのです。論では第九十一劫に千仏が出現すると説かれているので、その九劫も大劫であると知られます。
しかし、この二菩薩(釈迦と弥勒)が同時に発心したのは、未だ定まらない心(不定心)の状態でした。決定心を発した時点を論じれば、弥勒が発心して九劫後に、釈迦が決定の心を発したのです。それゆえ、本来は九劫後に成道すべきでしたが、今は九劫を超越して同じ劫に成道したのです。この論は最初の発心に基づいて説くので、「同時に発心した」と言うのです。この道理によって、矛盾することはありません。
他の経典で説かれる「十二劫を超えた」というのも、これに準じて理解すべきです。
次第十明證果前後者,如《十住斷結經》云「彌勒菩薩方習菩薩行乎?莫造斯觀。所以者何?慈氏積行恒沙數劫,先以誓願成等正覺,吾方習行而在其後。」案此而言,彌勒之本在先證果。然釋迦證果,經說不同。如《因果經》言「善慧菩薩功行成滿,位登十地,在一生補處,生兜率天,名聖善白。」《梵網經》言「我今盧舍那,方坐蓮華臺,周匝千華上,復現千釋迦。一華百億國,一國一釋迦,各坐菩提樹,一時成佛道」,乃至廣說。案此而言,寄迹表本。善慧菩薩生兜率本在十地,釋迦如來坐樹下時本方證果。又《法華經.壽量品》云「我實成佛已來,無量無邊百千萬億那由他劫」,乃至廣說。案此而言,釋迦證果有久有近,彌勒成道例亦應爾。良由多本共垂一迹,所以異言莫不皆實。由是道理,不相違也。
次に第十に、証果の前後について説明します。『十住断結経』にこうあります。「弥勒菩薩はまさに菩薩行を習っているのか。そのように見てはならない。なぜならば、慈氏(弥勒)は無数の劫のあいだ功徳を積み、まず誓願によって等正覚を成就したのであり、私はいま修行を習っているが、その後にあたるからである。」これを考えれば、弥勒の根本は先に証果しているのです。
しかし、釈迦の証果については、経典によって説き方が異なります。『因果経』には「善慧菩薩は功行が満ち足り、十地の位に登り、一生補処の位にあって、兜率天に生まれ、聖善白と名づけられる」とあります。『梵網経』には「我れいま盧舎那は、まさに蓮華の台に坐し、周囲の千の花の上に、さらに千の釈迦を現ずる。一つの花に百億の国があり、一つの国に一の釈迦があり、それぞれ菩提樹の下に坐して、一時に仏道を成ずる」とあり、さらに詳しく説かれています。これを考えれば、迹に仮託して本を表しているのです。善慧菩薩が兜率天に生まれるのは、もと十地の位にあり、釈迦如来が樹の下に坐したとき、まさに本として証果したのです。
また『法華経』の寿量品には「我れが実に成仏してこのかた、無量無辺百千万億那由他劫を経たり」とあり、さらに詳しく説かれています。これを考えれば、釈迦の証果には久しいものもあれば近いものもあり、弥勒の成道もまた同じであるべきです。実に多くの本がともに一つの迹を垂れるがゆえに、異なる言説もみな実でないものはないのです。この道理によって、互いに矛盾することはありません。
彌勒上生經宗要(終)
弥勒上生経宗要(終)
波羅捺(此云江遶)。劫波利(此云捉髑髏鬼)。波波利(此云守護)。祇陀(此云戰勝)。須達(此云善溫)。
元慶二年七月十日定心院政所交了
元慶2年7月10日、定心院の政所にて交付しました。
釋圓敏