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華厳経旨帰 (華嚴經旨歸)


明經益第九

明経益第九

夫以。信向趣入此普賢法。圓通頓益廣大無邊。略攝經文現其十種。一見聞益。二發心益。三起行益。四攝位益。五速證益。六滅障益。七轉利益。八造修益。九頓得益。十稱性益。初見聞益者。謂依此普法。見聞如來及此遺法。所種善根成金剛種。不可破壞。要必成佛。如性起品云。若有得經卷地如來塔廟禮拜供養。彼眾生等。具足善根滅煩惱患。得賢聖樂。佛子乃至不信邪見眾生見聞佛者。彼諸眾生於見聞中所種善根果報不虛。乃至究竟涅槃。斷一切惡諸不善根。具足善根。佛子於如來所。見聞供養恭敬。所種善根不可言說不可為喻何以故。如來不可思議過思議故。二發心益者。謂信位滿稱彼佛境。發此大心。此心即是普賢法攝。是故融通即遍。如前無盡時處等法界。既入彼攝彼。則令諸位亦皆成滿。故經云。初發心時便成正覺。知一切法真實之性。具足慧身不由他悟。又云。初發心菩薩則是佛故。悉與三世諸如來等。廣如發心功德品偈頌中說。三起行益者。謂若起一普賢行時。即遍一切行位。一功德一切法。一切處一切時。一切因一切果。窮盡法界具足一切。如帝網等。是故一行徹至究竟。如普賢品略現六十種普賢行。皆一一遍一切速至佛果。是故經云。菩薩摩訶薩得聞此法。以小作方便。疾得阿耨多羅三藐三菩提。與三世佛等。廣如彼文頌中說耳。四攝位益者。謂信等五位。一一位中攝一切位。然有二門。一全位相是門。即一切位是一位故。十信滿處即便成佛。二諸位相資門。即一位中具一切位。如十信中有十住乃至十地。如賢首品說。十住等中各攝諸位。皆具二門。如海幢比丘處及十住品等說。又云。在於一地。普攝一切諸地功德。餘廣狹無礙乃至帝網等皆具。准思可知。五速證益者。依此普門一證一切證。速入十地。如含那菩薩在兜率天。放足下光。普照十佛世界微塵數剎。遍照彼處。地獄眾生滅除苦痛。得十眼十耳等。命終皆生兜率天上。聞空聲說法。悉得十地諸力莊嚴具足三昧。皆悉成就眾生界等。善身口意普見諸佛廣益眾生。並悉頓成。具如小相光明品說。解云。讒從地獄出聞此普法。即得十地者。明是此法之深益也。六滅障益者。依此普門。亦一斷一切斷。謂如前兜率天子得十地已。一一毛孔化作眾生界等妙香華雲。供養盧舍那佛。散香華已。一一華中見諸如來時。彼香雲普熏無量佛剎微塵數世界。眾生其蒙香者。身心快樂諸罪業障皆悉除滅。於色聲香味觸。內外各有五百煩惱八萬四千煩惱。皆悉除滅。彼諸眾生。具足種種淨香自在。解云。前地獄天子。非直自身頓得十地。亦乃毛孔香熏。令爾許眾生頓滅如此無量煩惱。並是普法之勝力也。七轉利益者。普行亦成則能頓益無邊眾生。悉亦同得此十地法。如前兜率天子得十地已。毛孔中出蓋雲供養佛。經云。若有眾生見此蓋雲者。彼諸眾生。種一恒河沙轉輪聖王所殖善根。所謂白淨寶網轉輪王等。菩薩摩訶薩安住如是轉輪王處。於百千億那由他佛剎微塵數世界中。教化彼轉輪王。放曼陀羅自在光明。若有眾生遇斯光者。皆得菩薩十地。又云。彼輪王放大光明。名周羅摩尼。若有眾生遇斯光者。得菩薩十地。悉得無量智慧光。明得十種眼清淨行業。乃至十種意清淨業。具足成就淨力三昧。乃至得普見肉眼等。解云。此上三重廣多深益同時成就。一天子得十地。二天子毛孔蓋雲。利他令得輪王。此亦是十地菩薩。三輪王放光更轉廣益。復令多人亦得十地。皆剎塵數量迅速展轉。皆悉頓成。不可說不可說。廣如彼品說。八造修益者。謂如善財依此普法。於一生身。從初發心至普賢位。十地位滿。乃至云一切菩薩無量劫修。善財一生皆得。解云。以就普門一得一切得故。廣如入法界品說。又如善財前生曾見聞普法成金剛種。遂令今生頓成解行門。此豈不三僧祇劫。答此中時劫不定。或一念則無量劫。無量劫即一念。一生即無量生等。並具如前十種無礙。准思可見九頓得益者。如六千比丘頓見如來一眼境界。祇洹林中不可說塵數菩薩。頓得無盡自在法海。如法界品初說。又性起品。十方一一世界。各百千佛剎塵數菩薩。得一切光明等至一生位等。又發心品所得益。及舍那品初雲集菩薩毛光成益。有六重無礙等。具如彼說。十稱性益者。謂依此普法。一切眾生無不皆悉稱其本性。在佛果海中。即舊來益竟更無新。如性起品云。佛子如來身中。悉見一切眾生。發菩提心修菩薩行。成等正覺。乃至見一切眾生寂滅涅槃。亦復如是。皆悉一性以無性故。乃至云。一切如來無極大悲度脫眾生。解云。辨眾生舊來同佛者。是無極大悲也。

まことに、この普賢の法を信じ向かい、趣き入るならば、その円通頓益は広大にして辺りがありません。経文を略して摂め、その十種をここに示します。一には見聞の益、二には発心の益、三には起行の益、四には摂位の益、五には速証の益、六には滅障の益、七には転利の益、八には造修の益、九には頓得の益、十には称性の益です。

第一の見聞の益とは、この普く平等な法に依って、如来およびこの遺された法を見聞し、植えた善根は金剛の種となって壊すことができず、必ず成仏するということです。『性起品』にこう説かれています。「もし経巻の在る地、如来の塔廟を得て、礼拝し供養するならば、それらの衆生は善根を具足し、煩悩の患いを滅し、賢聖の楽を得ます。仏子よ、たとえ不信で邪見の衆生であっても、仏を見聞するならば、それらの衆生は見聞のうちに植えた善根の果報が虚しくなることはなく、ついには究竟涅槃に至り、一切の悪と諸々の不善根を断ち、善根を具足します。仏子よ、如来のもとで見聞し供養し恭敬して植えた善根は、言い表すこともできず、たとえることもできません。なぜでしょうか。如来は不可思議にして、思議を超えているからです。」

第二の発心の益とは、信の位が満ちてかの仏の境界にかなうとき、この大きな心を発すということです。この心はすなわち普賢の法に摂められます。ですから融通し合って、ただちに遍く行き渡ります。先に述べた無尽の時・処などの法界と同じです。すでにその中に入り、それに摂められるならば、諸々の位もまた皆、成就し満たされます。ですから経にこうあります。「初めて発心したとき、すでに正覚を成る。一切の法の真実の性を知り、慧の身を具足して、他によって悟るのではない。」またこうあります。「初めて発心した菩薩はすなわち仏である。ことごとく三世の諸如来と等しい。」詳しくは『発心功徳品』の偈頌の中に説かれているとおりです。

第三の起行の益とは、一つの普賢の行を起こすとき、ただちに一切の行と位に遍く行き渡るということです。一つの功徳が一切の法に、一切の処に、一切の時に、一切の因に、一切の果に及び、法界を窮め尽くして一切を具足します。帝網のようなものです。ですから一行が究竟まで徹します。『普賢品』に六十種の普賢の行が略して示されており、そのいずれもが一つ一つ一切に遍く行き渡り、速やかに仏果に至ります。ですから経にこうあります。「菩薩摩訶薩はこの法を聞くことを得て、小さな方便をもって、速やかに阿耨多羅三藐三菩提を得、三世の仏と等しくなる。」詳しくはかの文の頌の中に説かれているとおりです。

第四の摂位の益とは、信などの五位について、その一々の位の中に一切の位を摂めるということです。ただし二つの門があります。第一は全位相是の門で、一切の位がすなわち一位であるからです。十信の満ちる処で、そのまま成仏します。第二は諸位相資の門で、一位の中に一切の位を具えるからです。十信の中に十住から十地までがあるようなものです。『賢首品』に説かれているとおりです。十住などの中でもそれぞれ諸位を摂め、いずれも二つの門を具えています。海幢比丘の処や『十住品』などに説かれているとおりです。またこうあります。「一地にあって、普く一切の諸地の功徳を摂める。」その他の広さ狭さの無礙、さらには帝網なども皆具わっています。推し量って思えば分かります。

第五の速証の益とは、この普門に依れば、一つの証が一切の証となり、速やかに十地に入るということです。含那菩薩が兜率天にあって足の下から光を放ち、普く十仏世界の微塵数の刹を照らしたようなものです。かの処を遍く照らし、地獄の衆生は苦痛を滅除して十眼・十耳などを得、命終の後は皆兜率天に生まれ、空の声の説法を聞いて、ことごとく十地の諸力の荘厳を具足した三昧を得ます。皆ことごとく成就し、衆生界と等しく、善なる身・口・意をもって普く諸仏を見、広く衆生を益します。これらは皆、頓に成ります。詳しくは『小相光明品』に説かれているとおりです。解して言えば、地獄から出た者がこの普く平等な法を聞いて、ただちに十地を得るのは、これがこの法の深い益であることを明かしています。

第六の滅障の益とは、この普門に依れば、また一つの断が一切の断となるということです。先の兜率の天子が十地を得てから、一々の毛孔に衆生界と等しい妙なる香華の雲を化作し、盧舎那仏を供養したといいます。香華を散じ終えると、一々の華の中に諸如来を見ます。そのとき、かの香の雲は普く無量の仏刹の微塵数の世界を薫じ、その香りを蒙った衆生は、身心が快楽で、諸々の罪業の障りが皆ことごとく除滅します。色・声・香・味・触について、内にも外にもそれぞれ五百の煩悩、八万四千の煩悩があり、それらが皆ことごとく除滅します。それらの衆生は、種々の浄らかな香の自在を具足します。解して言えば、先の地獄の天子は、ただ自身が頓に十地を得ただけでなく、毛孔の香が薫じて、これほどの多くの衆生に頓にこれほどの無量の煩悩を滅させました。これらは皆、普く平等な法の勝れた力です。

第七の転利の益とは、普賢の行が成れば、頓に無辺の衆生を益し、皆同じくこの十地の法を得るということです。先の兜率の天子が十地を得てから、毛孔の中から蓋の雲を出して仏を供養したといいます。経にこうあります。「もし衆生がこの蓋の雲を見るならば、それらの衆生は一恒河沙の転輪聖王が植えた善根を種えます。いわゆる白浄宝網転輪王などのことです。菩薩摩訶薩はこのような転輪王の処に安住し、百千億那由他の仏刹の微塵数の世界の中で、かの転輪王を教化し、曼陀羅自在の光明を放ちます。もし衆生がこの光に遇うならば、皆、菩薩の十地を得ます。」またこうあります。「かの転輪王は大きな光明を放ち、周羅摩尼と名づけます。もし衆生がこの光に遇うならば、菩薩の十地を得、ことごとく無量の智慧の光明を得、十種の眼の清浄な行業を得、さらには十種の意の清浄な業を得て、浄力の三昧を具足成就し、さらには普見の肉眼などを得ます。」解して言えば、以上の三重の広大で多い深い益は、同時に成就します。第一に天子が十地を得ること、第二に天子の毛孔の蓋の雲が他を利して転輪王を得させることで、これもまた十地の菩薩です。第三に転輪王が光を放ってさらに広く益を転じ、また多くの人に十地を得させることです。いずれも刹の塵の数ほどの量で、速やかに展転し、皆ことごとく頓に成ります。不可説不可説にして、詳しくはかの品に説かれているとおりです。

第八の造修の益とは、善財がこの普く平等な法に依り、一生の身において、初発心から普賢の位に至り、十地の位が満ちるということです。さらにはこうあります。「一切の菩薩は無量劫に修するが、善財は一生で皆得る。」解して言えば、普門に就いては一つの得が一切の得となるからです。詳しくは『入法界品』に説かれているとおりです。また善財は前世にすでに普く平等な法を見聞して金剛の種を成し、それによって今生に頓に解行の門を成し遂げました。どうして三僧祇劫を経ないことがありましょうか。答えていえば、ここでは時劫は定まっていません。あるいは一念が無量劫であり、無量劫がすなわち一念であり、一生がすなわち無量生であるなどです。いずれも先に述べた十種の無礙を具えています。推し量って思えば分かります。

第九の頓得の益とは、六千の比丘が頓に如来の一眼の境界を見たようなものです。祇洹林の中の不可説の塵数の菩薩は、頓に無尽自在の法海を得ました。『法界品』の初めに説かれているとおりです。また『性起品』には、十方の一々の世界にそれぞれ百千の仏刹の塵数の菩薩があり、一切光明等至の一生の位などを得たとあります。また『発心品』に説かれる所得の益、および『舎那品』の初めに雲集した菩薩の毛光による成就の益には、六重の無礙などがあります。詳しくはかの説のとおりです。

第十の称性の益とは、この普く平等な法に依れば、一切の衆生は皆ことごとくその本性にかなって仏果の海の中にあり、もとからすでに益は究竟していて、さらに新たなものはないということです。『性起品』にこうあります。「仏子よ、如来の身の中に、一切の衆生が菩提心を発し菩薩行を修し等正覚を成すのを、ことごとく見る。さらには一切の衆生が寂滅涅槃するのを見ることもまた同じである。皆ことごとく一性であり、無性であるからです。」さらにはこうあります。「一切の如来の無極の大悲は衆生を度脱します。」解して言えば、衆生がもとから仏と同じであることを明かすのが、この無極の大悲です。


8 釋經意
10 示經圓

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