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解迷顕智成悲十明論 (解迷顯智成悲十明論)

「解迷顯智成悲十明論」について

唐 · 李通玄撰 著

8,084 字 · 約 27 分

李通玄は唐代の著名な在家居士であり、世に李長者と称され、その著した『解迷顕智成悲十明論』は華厳宗の重要な論書です。この論は『華厳経』を基盤とし、如来蔵思想と菩薩行の理念を融合させ、無明の迷いを破り、本来具わる智慧を顕わし、大悲をもって他者を利する修行体系を系統的に説いています。その十明の構造は層を追って深まり、体・相・用の三大範疇を包括し、迷いと悟りは不二であり、智慧と慈悲は双運するという円頓の教理を強調しています。この論は中国華厳思想の発展に深遠な影響を与え、特に後世の禅と教えの融合に理論的根拠を提供し、在家仏教の権威ある著作と称され、漢伝仏教哲学において重要な地位を占めています。


釋華嚴十明論敘
宋寶覺圓明禪師惠洪覺範撰
顯謨閣待制朱公世英。為余言。頃過金陵。謁王文公於鍾山。公以彥里閈晚生有志學道。謂曰。若讀史見勾踐伍員事乎。勾踐保栖會稽。置膽於坐臥則仰膽。飯食亦嘗膽也。伍員去楚櫜載。而去昭關至蒲伏行乞於吳市。二子設心止欲雪恥復仇。而焦身苦思二十餘年。而後遂其欲。蓋有志者事竟成也。然移此心以學無上菩提。其何以禦之。世英囑予記其言。世英歿一年。余還自海外。築室筠溪石門寺。夏釋此論。追念平時之語曰。嗟乎流轉三界未即棄去。其恥亦大矣。囚縛五陰未能超出。其仇亦深矣。以吳楚之仇恥較之。其相倍如日劫。而學者亦思掣肘徑去。然至誠惻怛勇決力行。較勾踐伍員特太山毫芒耳。豈不惜哉。金剛般若經。須菩提聞世尊言以恒河沙等身命布施。不如受持四句偈為他人說之福。於是泣下。其心豈不謂學者多以一身味著懈怠故自為障閡乎。夫雜華具四天下微塵數偈。而其所詮者。如來普光明大智一法而已。親近隨順此智者。戒定慧三法而已。以戒定慧觀照方便破滅無明。一切眾生彈指實證。故金剛藏菩薩曰。隨順無明起諸有。若不隨順諸有離。是謂成佛顯訣人法要旨。借令三世如來重復宣示深奧。不能加毫末於此矣。其於利害去取。曉如白黑。其義理昭著。粲如日星。不知。學者於戒定慧。何疑而不隨順。於無明煩惱。何戀而不棄遺乎。孟軻曰。今有無名之指屈而不信。非疾痛害事也。如有能信之者。則不遠秦楚之路。為指之不若人也。指不若人則知惡之。心不若人則不知惡。此之謂不知類也。今之知類者。吾特未見耳。豈密行暗證。隱實顯玼。世不得而知歟。抑觀力麁浮習重。境強多遇緣而退歟。余切慕。思大智者父子於道能遺虛名收實効。三十年間決期現證。皆獲宿智通。入法華三昧。乳中之酪此其驗矣。嗚呼安得如南嶽天台兩人者。與之增進此道哉。 政和五年六月十日書
解迷顯智成悲十明論
唐太原李通玄撰

釋十二緣生

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