淨心誡觀法五字釋名法篇第一
清浄心を誡め観る法、五字の名を釈する法、第一篇
淨心者,於汝現行煩惱諸部過患,教修對治,令汝即時隨分解脫。垢染漸滅,心轉明淨,發生定慧,起於大乘清淨信心,趣向菩提種性住處。以今微因後感當果,是故教汝察病對治,興隆功業,修入信境,成決定根力。其三賢十聖、無垢妙覺、四十二地空宗真理,唯可知聞影像麁相,下地凡夫力所未及,亦未能行。今唯使汝淨除業鏡客塵𪾼等,見汝身中少分佛性。汝可飲服般若甘露,洗蕩蓋纏漸顯淨心,心若清淨令眾生界淨,眾生既淨則佛土淨。始除煩惱令戒清淨,戒既完具定復清淨,以戒定淨令智慧淨,智既淨已顯自身源,有此義故名為淨心。已下諸篇,治過雖別,同名淨心。誡者,令汝識知對治初門,先除麁染根本惡業,知病知藥守心慎口,勵己修道離過患故名誡。觀者,察義,觀察此誡與佛法相應不相應,及障道過患,名字句偈審諦思量,如實解心得誡本意。又能隨順止觀二門,此二法者定始慧初,生長一切禪支道品,故名觀。法者,即此誡文首軸次第,慇懃曉示,欲使禁斷煩惱止諸惡業,加行勝進住不退心,故名為法。下諸篇中皆有此淨心誡觀法五義,當須知之。
清らかな心とは、あなたが今現れている煩悩や様々な過ちの害悪に対して、それに対処する修行を教え、あなたがすぐに理解に応じて解脱できるようにすることです。
汚れが次第に滅び、心が明るく清らかに転じ、禅定と智慧が生じ、大乗の清らかな信心が起こり、菩提に向かう種性の住処へと向かいます。
今のわずかな因が後に大きな果を招くからこそ、あなたに病を見極めて対処し、功徳の業を盛んにし、信心の境地へと入り、確固たる根と力を完成するよう教えるのです。
三賢十聖、無垢の妙覚、四十二地の空の真理などは、ただ知り聞くことができる映像の大まかな相に過ぎず、下位の凡夫の力では及びもつかず、また行うこともできません。
今はただ、あなたに業の鏡に付着した客塵の埃などを清め除き、あなたの身の中にあるわずかな仏性を見せるだけです。
あなたは般若の甘露を飲み、覆いや煩悩を洗い流して、次第に清らかな心を顕わにしてください。心が清らかになれば、衆生の世界も清らかになり、衆生が清らかになれば、仏国土も清らかになります。
まず煩悩を取り除いて戒を清らかにし、戒が完全に備われば禅定も清らかになり、戒と禅定の清らかさによって智慧も清らかになります。智慧が清らかになった時、自らの根源が顕われるのです。この意味があるからこそ、清らかな心と呼ばれるのです。
これより下の各篇では、過ちを治める方法はそれぞれ異なりますが、同じく清らかな心と名付けられています。
誡とは、あなたに対処法の最初の入り口を認識させ、まず粗い汚れの根本である悪業を取り除き、病を知り薬を知り、心を守り口を慎み、自らを励まして道を修め、過ちや害悪から離れるようにするものです。それゆえに誡と呼ばれます。
観とは、観察するという意味です。この誡が仏法と相応するか相応しないか、および道を妨げる過ちや害悪を観察し、その名前や文句、偈頌を詳しく考え、真実の理解を得て誡の本来の意図を把握することです。
また、止観の二門に随順することができます。この二つの法は、禅定の始まりであり智慧の初めであり、すべての禅の支分や道品を生長させるものです。それゆえに観と呼ばれます。
法とは、この誡の文章の始めから終わりまでの順序を、丁寧に明示して、煩悩を禁じ止め、悪業を止め、精進して勝れた境地へ進み、不退転の心に住するようにさせるものです。それゆえに法と呼ばれます。
以下の各篇には、すべてこの清らかな心・誡・観・法という五つの意義があります。どうか知っておいてください。