觀世音菩薩往生淨土本緣經
觀世音菩薩浄土往生の因縁経
失譯人今附西晉錄
失訳者 西晋録に附す
如是我聞:
私はこのように聞きました。
一時佛在王舍城鷲峰山頂,與大比丘眾及諸大菩薩、天龍八部、人非人等恭敬圍遶,而為說大菩薩本生因緣。爾時佛前有大光明遍照南閻浮提,漸及佗方國土,而光明中說偈言曰:
ある時、お釈迦様は王舎城の霊鷲山の頂上におられました。大勢の比丘や大菩薩、天龍八部、人々や非人の存在たちが敬虔に取り囲み、大菩薩の前世の因縁について説法をされていました。その時、お釈迦様の前から大いなる光明が放たれ、南閻浮提をくまなく照らし、次第に他の国々へと広がっていきました。その光明の中から、次のような偈(詩句)が響き渡りました:
「成就大悲解脫門, 常在娑婆補陀山,
晝夜六變觀世間, 本願因緣利一切。」
<p>大いなる慈悲を完成させ、解脱の門を開き、<br>常にこの世の補陀洛山(ふだらくさん)に住まう。</p><p>昼夜の六つの時、世の中を見渡し、<br>本願の因縁によって、全ての者を利するのである。</p>
是時眾會見此光明、聞說偈言,生未曾有想,莫不疑怪。次第問因緣,無答者。爾時眾中有一菩薩摩訶薩,名曰總持自在,從座而起,便白佛言:「世尊!有何因緣現此光明?誰人所放?我等大眾見斯光明、聞說偈頌,未知因緣。願為我等當說其因緣。」佛告總持自在菩薩:「善哉善哉!汝等諦聽。從此西方過二十恒河沙佛土,有世界名曰極樂。其土眾生無有眾苦,但受諸樂。其國有佛號阿彌陀,三乘聖眾充滿。其中有一生補處大士名觀世音自在,久植善根,成就大悲行願,今來此土,為欲顯示往生淨土本末因緣,現此光明普照世界。不久自來,汝等當問偈頌因緣。」
その時、会衆はこの光明を見、偈頌を聞いて、これまでにない思いを抱き、誰もが疑い驚いた。次々にその因縁を尋ねたが、答える者はなかった。その時、会衆の中に総持自在という名の菩薩摩訶薩がおり、座より立ち上がり、仏に申し上げた。「世尊よ、どのような因縁でこの光明が現れたのでしょうか?誰が放ったのでしょうか?私たち大衆はこの光明を見、偈頌を聞きましたが、その因縁がわかりません。どうか私たちのために、その因縁をお説きください。」
仏は総持自在菩薩に告げられた。「善きかな、善きかな。汝らよく聞け。ここから西方、二十恒河沙の仏土を過ぎたところに、極楽という世界がある。その土の衆生には一切の苦しみがなく、ただ諸々の楽しみを受ける。その国には阿弥陀という仏がおられ、三乗の聖衆が満ちている。その中に一生補処の大士、観世音自在という方がおられる。久しく善根を培い、大悲の行願を成就された。今、この土に来られ、往生浄土の本末因縁を示すために、この光明を現して世界を普く照らしておられる。まもなく自ら来られるであろう。汝らはその偈頌の因縁を尋ねるがよい。」
爾時觀世音菩薩摩訶薩,百千大菩薩眾俱,共來詣鷲山頂,頭面禮佛,讚嘆供養已退坐一面。時總持自在菩薩承佛威力,往觀世音所共相慰問,白觀世音言:「善男子所放光明,演說微妙伽陀。未識本末因緣,其意云何?」時觀世音告總持自在言:「乃往過去不可說阿僧祗劫前,當於南閻天竺,有一國名摩涅婆吒。其國有一梵士名曰長那,居家豐饒,有妻□名摩那斯羅,未有子息。夫婦常歎恨:『我等財產雖豐足,亦無餘念,未有子息是為遺恨。』祈禱天神慇重求子,其妻未久之間有身,月滿生男子端正無比;至有三歲,復生男子。梵士得二子,歡喜踊躍,招占相使見二子。相者見而不悅,良久告言:『此兒雖端正,別離父母不久。兄號早離,弟名速離。』雖聞此言,夫妻相共愛養無厭。早離年至七歲、速離年至五歲,時母摩那斯羅四大乖違,重病卒起,形色衰損,辛苦病惱,不得安臥,水食絕,將入死門。時二子有母左右,瞻仰面目,憂悲啼哭。長母聞子悲聲,血淚交流,從病牀而起,以左右手摩二子頭言:『生死敗壞,不可免脫。占相所言有實。唯然,所恨汝等未及盛年,捨而別離。我有何罪報?汝等何無幸?』爾時早離在枕側悶絕而臥,良久蘇起,呼天唱言:『我等如今者幼稚無識,非生母者,誰示明操道?天地空曠、神心無據,一何捨告別離?』悲母則誘諭言:『世間法爾,生者必滅。譬如駛流,必不久住。今聽悲聲,深生病惜。』又速離以幼稚心,舒於二手繁細頸,高聲啼哭。是時摩那斯羅語二子言:『明操至道,無過發菩提心。菩提心者,大悲是。若至老大時欲報四恩,宜須發心。如只今者,汝莫啼哭。我雖死亡,共父住。』即呼長那而語遺言:『我今與汝,如車輪、如鳥翼,而有二子。我死汝生,汝愛養不異我生時。曾從佗緣,莫心改變。』梵士聞婦遺言,悶絕僻地,蘇起唱言:『車無一輪,不進寸步;鳥無一翼,不飛尺空。汝入死門,我與誰人養育二子?夫婦別離,恩愛至悲。我不樂世間,將捨命入死門。』時婦復言:『二子者,汝與我共生。願止別離,養二子。』言訖閉眼。父及二子取其遺言,葬死屍還家。兄在右膝上,戀慕母;弟在左膝上,求食而悲。梵士憂懷中,而作是念:『我無力,求佗女為婦,養育稚子。』
そのとき、観世音菩薩摩訶薩は、百千の大菩薩衆とともに、そろって鷲山の頂にやって来られ、頭を地につけて仏を礼拝し、讃嘆し供養してから、一方に退いて座られました。そのとき、総持自在菩薩は、仏の威力をお受けして、観世音のもとへ行き、ともに互いを慰問され、観世音にこう申されました。「善男子よ、あなたが放たれた光明と、演説された微妙な伽陀について、まだその本末の因縁を存じません。その意味はどのようなものでしょうか。」そのとき、観世音は総持自在に告げられました。「はるか過去、不可説阿僧祇劫の昔、南閻天竺において、摩涅婆吒という国がありました。その国に長那という一人の梵士がいて、家は豊かで、摩那斯羅という妻がいましたが、まだ子がありませんでした。夫婦はいつも嘆き恨んでいました。『われらの財産は豊かであるけれども、ほかに思うこともなく、ただ子がないことが心残りである。』と。そこで天神に祈り、ねんごろに子を求めました。その妻はほどなく身ごもり、月が満ちて男の子を生みました。端正で比べるものもありません。三歳になると、また男の子を生みました。梵士は二人の子を得て、喜び躍り、占相師を招いて二人の子を見せました。相者は見て喜ばず、しばらくして告げました。『この子は端正ではあるが、父母と別れるのは間もなくであろう。兄は早離と名づけ、弟は速離と名づけよ。』と。この言葉を聞いても、夫妻はともに愛し養うことに飽きることがありませんでした。早離が七歳、速離が五歳になったとき、母の摩那斯羅は四大が調わず、重い病が急に起こり、姿かたちは衰え損じ、苦しみ悩み、安らかに臥すことができず、水も食も絶え、死の門に入ろうとしていました。そのとき二人の子は母の左右にいて、その顔を見上げ、憂い悲しみ泣き叫びました。母は子の悲しむ声を聞き、血の涙が交じり流れ、病の床から起き上がり、左右の手で二人の子の頭を撫でて言いました。『生死の敗壊は免れることができない。占相の言ったことは真実であった。ただ、恨めしいのは、お前たちがまだ盛年にも達しないうちに、捨てて別れなければならないことだ。わたしにどんな罪の報いがあるのか。お前たちには何の幸もないのか。』そのとき早離は枕のそばで気を失って臥し、しばらくして蘇って起き、天を呼んで唱えました。『われらは今、幼くて識がない。生みの母でなければ、誰が明らかな道を教え示してくれようか。天地は空しく広く、心の拠りどころもない。どうして捨てて別れ告げるのか。』悲しむ母はなだめ諭して言いました。『世間の法はもとよりそうで、生あるものは必ず滅する。たとえば速い流れが必ずしも久しく留まらないようなものだ。今、悲しむ声を聞いて、深く生への惜しみが起こる。』また速離は幼い心で、両手を伸ばして細い首に絡め、高声で泣き叫びました。そのとき摩那斯羅は二人の子に言いました。『明らかな道に至るには、発菩提心にまさるものはない。菩提心とは、大悲のことである。もし大人になったとき四恩に報いたいと思うなら、心を発すべきである。ただ今のように、お前たちは泣いてはならない。わたしは死んでも、父とともに住んでいる。』そこで長那を呼んで遺言を告げました。『わたしとお前とは、車輪のようであり、鳥の翼のようであり、二人の子がいる。わたしは死に、お前は生きる。お前は、わたしが生きていたときと同じように愛し養いなさい。かつて他の縁に従って、心を変えてはならない。』梵士は妻の遺言を聞き、気を失って地に倒れ、蘇って起きて唱えました。『車は一つの輪がなければ、一寸も進まない。鳥は一つの翼がなければ、一尺も空を飛ばない。お前が死の門に入れば、わたしは誰とともに二人の子を養育しようか。夫婦の別離は、恩愛の悲しみの極みである。わたしは世間を楽しまず、命を捨てて死の門に入ろう。』そのとき妻はまた言いました。『二人の子は、お前とわたしがともに生んだものである。どうか別離を思いとどまり、二人の子を養いなさい。』と言い終えて目を閉じました。父と二人の子はその遺言を取って、死屍を葬り、家に帰りました。兄は右の膝の上で、母を恋い慕い、弟は左の膝の上で、食を求めて悲しみました。梵士は憂いの思いの中で、こう考えました。『わたしには力がない。他の女を求めて妻とし、幼い子を養育しよう。』
「爰有梵士名毗羅,有一女,心情貞良,即取彼女收為婦。時舉世飢苦,財穀漸盡、庫藏空無,生活無憑。長那即語妻言:『我聞從是北往七日,有山名檀羅山,有甘菓名鎮頭,將行彼山取妙菓,養汝及二子。汝我還來間,將可養育。』妻受其語,養育二子如生母。夫差彼山獨往,去後二七日更不還來。時妻生異念,作是思惟:『長那若住彼山不來者,我如何養育二子?若採菓雖來,彼愛念二子,我有何等分?今以方便除遣二子。』思惟已語海師,定出時已,更告二子:『我汝等養無力。汝父既未還,從此南方近有島,海岸孤絕,岸有甘菓,濵有美草。我與汝等共往絕島。』即詣船師所,二子俱乘船渡海。到絕島岸,語二子:『汝等二人先下,戲濵挊沙。我在船中料理餘糧,次下欲求草菓。』二子即下,東西馳走遊戲,不知餘事。後母密乘本船還古鄉。二子還到本濵,見之無船,及母不知去所,海側走疲,舉聲呼母,更無答者。二子晝夜悲哭,兄早離作如是言:『悲母告別離,一去更不來。慈父往檀那羅山,更不還來;後母者置絕島,密還去。如何存身命耶?』時憶念生母遺言。『我須發無上道心,成就菩薩大悲,行解脫門,先度他人,然後成佛。若為無父母者,現父母像;若為無師長者,現師長身;若為貧賤者,現富貴身;國王大臣、長者居士、宰官、婆羅門、四眾八部,一切隨類無不現之。願我常在此島,於十方國能施安樂,變作山河大地、草木五穀甘菓等,令受用者早出生死。願我隨母生處,不離父生處。』如是發一百願,壽終。
時に、梵士(婆羅門)の毘羅という者がいた。彼には一人の娘がおり、心根が貞潔で善良であったので、その娘を娶って妻とした。世の中は飢饉に苦しみ、財貨や穀物は次第に尽き、倉庫は空になり、生活のよりどころがなくなった。長那(毘羅の別名か)は妻に言った。「私は聞くところによると、ここから北へ七日行ったところに檀羅山という山があり、そこには鎮頭という甘い果実があるという。私はあの山へ行ってその妙なる果実を採り、お前と二人の子どもを養おう。私が戻ってくるまでの間、どうか二人の子を育てておくれ。」妻はその言葉を受け、二人の子を実の母のように育てた。夫はその山へと一人で向かい、去ってから二七日(十四日)たってもまだ戻ってこない。その時、妻は変わった考えを抱き、こう思った。「長那がもしあの山に留まって戻ってこないなら、私はどうやって二人の子を育てればよいのか? たとえ果実を採って戻ってきたとしても、彼は二人の子を愛おしむだろう。私にはどんな分け前があるというのか? 今、何とかして二人の子を追い払おう。」そう思うと、船乗りに話をつけ、出航の時を定めた。そして二人の子に告げた。「私はお前たちを養う力がない。お前たちの父はまだ戻らず、ここから南の方に近く島がある。海岸は人里離れ、岸には甘い果実があり、浜辺には美しい草がある。私はお前たちと共にあの絶島へ行こう。」すぐに船師のところへ行き、二人の子を連れて船に乗り海を渡った。絶島の岸に着くと、二人の子に言った。「お前たち二人、先に降りて浜辺で砂遊びをしていなさい。私は船の中で残りの食料を整理し、その後降りて草や果実を探そう。」二人の子はすぐに降り、東西に走り回って遊び、他のことは何も知らなかった。その後、継母は密かに元の船に乗って故郷へ帰ってしまった。二人の子が元の浜辺に戻ってみると、船はなく、母もどこへ行ったかわからない。海辺を走り回って疲れ果て、声を張り上げて母を呼んだが、答える者は誰もいなかった。二人の子は昼も夜も悲しんで泣いた。兄の早離はこう言った。「悲しいかな、母は別れを告げて、一度去ったきり戻ってこない。慈愛深い父は檀那羅山へ行ったきり、戻ってこない。継母はこの絶島に置き去りにして、密かに帰ってしまった。どうやってこの身を保てばよいのだろうか?」その時、実の母の遺言を思い出した。「私は無上道心を発し、菩薩の大悲を成就し、解脱の門を行じ、まず他人を救い、それから仏とならなければならない。もし父母のいない者のためには、父母の姿を現じ、師長のいない者のためには、師長の身を現じ、貧しく賤しい者のためには、富貴の身を現じよう。国王・大臣、長者・居士、役人、婆羅門、四衆八部、一切の類に随って、現じないことはない。願わくは、私は常にこの島にいて、十方の国々に安楽を施し、山河大地、草木五穀甘果などに変じ、それを受用する者が早く生死を離れられますように。願わくは、私は母の生まれたところに随い、父の生まれたところから離れませんように。」このように百の願いを発し、寿命が尽きた。
「父長那從檀那羅山採鎮頭菓,還來本宅。先問其二子,後母即答言:『汝子只今乞求飲食遊出。』其父有朋友,往其所,問子在所。彼答言:『汝出後,過二七日,後母送置南海絕島,餓死定不疑。』爾時長那嗚呼甚自責:『我往檀那羅山取甘菓來者,為養二子。而有何罪,忽遇二別離悲?先別離難忍,今亦值生別離。』不堪任,即求覔小船到絕島濵,四方奔求,唯是白骨一處聚集,衣服散在海濵。知是我子死骨,懷衣骨啼哭發願:『願我度脫諸惡眾生,速成佛道。或變大地、或水火風、或變草木藂林,為眾生作依止。或變五穀,增益佗身。或若天若人若神,一切貴賤種形色,無剎不現身。』如是發五百願。『又願我常住娑婆世界,說法教化。』如此時間,不食命終。閻浮提大動,諸天來會,禽獸悲鳴不安,空中散化供養白骨。
父である長那は、檀那羅山から鎮頭菓を採って、もとの家に帰ってきました。まず二人の息子のことを尋ねると、継母はすぐに答えて言いました。「あなたの息子たちは、今、食べ物を乞い求めて遊びに出かけています。」
父には友人がいたので、その人のところへ行き、息子たちの居場所を尋ねました。彼は答えて言いました。「あなたが出かけた後、二週間が過ぎたころ、継母が二人を南海の絶島に送り置き、餓死させたに違いありません。」
その時、長那は「ああ」と嘆き、ひどく自分を責めました。「私は檀那羅山へ甘い果物を取りに行ったのは、二人の息子を養うためだった。それなのに、どんな罪があって、突然このような別離の悲しみに遭うのだろうか。以前の別離は耐え難かったが、今また生き別れに遭うとは。」
耐えきれず、すぐに小船を求めて絶島の岸辺へ行き、四方を走り回って探しました。すると、ただ一か所に白骨が集まり、衣服が海岸に散らばっているだけでした。これが我が子の死んだ骨だと知り、衣服と骨を抱きしめて泣き叫び、誓いを発しました。
「願わくは、私はあらゆる悪しき衆生を救い、速やかに仏道を成じますように。ある時は大地に、ある時は水火風に、ある時は草木や森に変わり、衆生のよりどころとなりますように。ある時は五穀に変わり、他の身を豊かにしますように。あるいは天となり、人となり、神となり、すべての貴賤、あらゆる形や色を、現れないところなく現しますように。」
このように五百の願いを発しました。「また、私は常に娑婆世界に住み、説法して教化しますように。」こうしているうちに、食べずに命が終わりました。閻浮提は大きく揺れ、諸天が集まり、鳥獣は悲しげに鳴いて安らかでなく、空中から供養の花が白骨に降り注ぎました。
「爾時梵士長那者,今釋迦牟尼如來是也。母摩那斯羅者,西方阿彌陀如來是也。兄早離者,我身是也。弟速離者,大勢至菩薩是也。朋友者,總持自在菩薩是也。昔檀那羅山者,今靈山是也。昔絕島者,今補陀落山是也。劫壞之時器界雖壞,劫成時先相還現。彼山北面有堀若金剛,有大石號寶業,我常在彼石上說大悲行解脫門成就眾生,昔為早離時發願處。山頂有七寶殿堂莊嚴奇妙,我常在寶宮殿示教利喜,昔呼父母處也。我依彼思,往生淨土得不退位。思昔捨身,故常在彼山。異類禽獸,昔我所化。現草木,向捨身所而低其葉。當知光明中偈頌,亦如是始末因緣。」
その時、梵士長那という者は、今の釈迦牟尼如来であります。母の摩那斯羅は、西方の阿弥陀如来であります。兄の早離は、私自身であります。弟の速離は、大勢至菩薩であります。友人の者は、総持自在菩薩であります。
かつての檀那羅山は、今の霊山であります。かつての絶島は、今の補陀落山であります。劫が壊れる時、器界は滅びますが、劫が成る時には、その先の様相が再び現れます。あの山の北面には、金剛のような堀があり、宝業という名の大きな石があります。私は常にその石の上で、大悲行解脱門を説き、衆生を成就させてきました。それは、かつて早離であった時に願いを発した場所です。
山頂には七宝の殿堂があり、荘厳で奇妙な美しさに満ちています。私は常にその宝宮殿で、教えを示し、利と喜びをもたらしています。それは、かつて父母を呼んだ場所です。私はその思いによって、浄土に往生し不退の位を得ました。かつて身を捨てたことを思うゆえに、常にあの山にいます。
異類の禽獣は、かつて私が教化した者たちです。今は草木となり、身を捨てた場所に向かって葉を低く垂れています。光明の中の偈頌もまた、このような始まりと終わりの因縁であることを知るべきです。
爾時釋迦牟尼如來讚嘆觀世音菩薩:「善哉善哉!誠如所言。往生因緣,一一如斯。汝等當知,如今日者,我及阿彌陀一化始終也。譬如父母有一子,幼稚墮井底。其父入井底,救其子,置岸上。其母在岸,抱取養育。諸親屬助母養志,結朋友儀,不還本井穢中。我如慈父,五濁眾生如墮井底,阿彌陀如悲母,在岸上如淨土,觀世音等如朋友,得不退如不還。當知入娑婆五濁穢中教化六道愚癡眾生,令生淨土。彌陀引不捨,觀世音、大勢至守護令不退還,皆依往昔誓願因緣也。」
その時、釈迦牟尼如来は観世音菩薩を讃えて言われた。 「善きかな、善きかな。まことにその通りである。往生の因縁は、一つひとつこのようである。あなたたちは知るべきである。今日の私と阿弥陀如来の一つの教化の始めから終わりまでを。たとえば、父母に一人の子があり、幼くして井戸の底に落ちたとする。その父は井戸の底に入り、その子を救い出して岸に置く。その母は岸にいて、抱き取って養い育てる。多くの親族は母を助けて養育の志を遂げさせ、友としての儀を結び、もとの穢れた井戸には戻らないようにする。私は慈父のようであり、五濁の衆生は井戸の底に落ちた者のようである。阿弥陀如来は悲母のようであり、岸にいることは浄土のようである。観世音菩薩らは友のようであり、不退転を得ることは戻らないことのようである。知るべきである、娑婆の五濁の穢れの中に入り、六道の愚かな衆生を教化して、浄土に生まれさせることが。阿弥陀如来は引き離さず、観世音菩薩と大勢至菩薩は守護して不退転に還らせない。これらは皆、往昔の誓願の因縁によるのである。」
爾時阿彌陀如來無數百千聖眾現空中,說偈言:
その時、阿弥陀如来が無数の聖なる衆生と共に空中に現れ、偈を説かれました。
「善哉釋迦文! 在濁利眾生, 聞名見身者,
決定成佛道。 往昔因緣故, 今來現空中,
欲生我因者, 必來迎西方。」
「善きかな釈迦文よ、濁世に在りて衆生を利する。その名を聞き、その身を見る者は、必ず仏道を成じ、往昔の因縁により、今、空中に現れて、我が因を生ぜんと欲する者を、必ず西方へ迎えん。」
爾時釋迦牟尼佛讚阿彌陀,說偈曰:
その時、釈迦牟尼仏は阿弥陀仏を讃えて、次の偈を説かれました。
「善哉兩足尊! 能利娑婆界, 證明真實法,
慈悲施一切。 若有重業障, 無生淨土因,
乘彌陀願力, 必生安樂國。 若人造多罪,
應墮地獄中, 纔聞彌陀名, 猛火為清凉。
若念彌陀佛, 即滅無量罪, 現受無比樂,
後必生淨土。」
善きかな、両足の尊よ! よく娑婆世界を利し、 真実の法を証明して、 慈悲を一切に施す。
もし重い業障あれば、 浄土に生まるる因なけれど、 弥陀の願力に乗じて、 必ず安楽国に生まるべし。
もし人多く罪を造り、 地獄に堕つべきも、 ただ弥陀の名を聞くに、 猛火も清涼となる。
もし弥陀仏を念ずれば、 すなわち無量の罪滅し、 現世に無比の楽を受け、 後に必ず浄土に生まる。
爾時觀世音從座而起,說偈言:
その時、観世音菩薩は座から立ち上がり、偈を唱えました。
「二尊如日出, 能破生死闇, 顯示往因緣,
經劫不敗亡。 我念無量劫, 在於絕島側,
發心時因緣, 常在補陀落。 昔在生死時,
二尊為父母, 今在淨穢土, 互助化世間。」
二尊は日のように昇り、生死の闇を破り、過去の因縁を示し、 劫を経ても滅びることはありません。私は無量劫の昔、 絶島のほとりで発心した時の因縁を思い、常に補陀落に在りました。 かつて生死の海にあった時、二尊は私の父母であり、 今は浄土と穢土に在って、互いに世間を教化しておられます。
爾時大勢至說偈言:
その時、大勢至菩薩が偈を説いて言いました。
「我從初發心, 隨二尊不離, 今聞昔因緣,
能知緣不已。 我動一足時, 三惡離苦惱,
若生淨土時, 授手迎西方。」
我が初発心の時より、二尊に随い離れず、今、昔の因縁を聞きて、縁を知ること已まざるなり。我が一足を動かす時、三悪道の苦悩を離る。もし浄土に生まれる時は、手を授けて西方に迎えん。
爾時總持自在王亦復偈說言:
その時、総持自在王もまた、この偈を説いた。「
「我昔為朋友, 今日能知之, 當來得聞者,
決定生淨土。」
「私は昔、あなたと友であった。 今日、その縁を知ることができた。 やがてこの教えを聞く者は、 必ず浄土に生まれるであろう。」
爾時阿彌陀佛忽念不現。大眾歡喜,作禮而去。
そのとき、阿弥陀仏は忽然として姿を消し、姿を現されなくなった。大衆は皆、歓喜して、礼拝を終え、それぞれの場所へと帰っていった。
觀世音菩薩往生淨土本緣經
觀世音菩薩浄土往生の因縁経