成唯識論自攷録縁起
重ねて言うこと十七。これは先哲の言葉を借りて、自らの見聞を述べたものである。私は三十歳になるまで、古の聖なる道があることを知らなかった。ある日、蓮居を訪れ、先師の講義室で『観経』の上品上生章を耳にした。一度聞いただけで、心躍る思いがした。仏法の中にこのような導きがあるのに、どうして自ら沈んでいようか。翌日も再び訪れ、日々通い続けた。寒さ暑さも厭わず、雪の中に立ち、道の味わいを求め、十余年にわたり一日も欠かさず、時を空けることなく学んだ。師は常に私の志を称え、勤勉さを憐れんでくださった。多くの人が集まる中でも、師は必ず「慧至は来たか」と問い、それから座に着かれた。これが常であった。三つの時を説き、二つの時に慈愛を注ぎ、性相や天台宗を一つ一つ伝え習った。特に天台と法相の両宗が長く伝わっていないことを嘆き、心に誓ってその真髄を得ようとした。しかし、私の根性は暗く鈍く、聞いたことを十分に理解できず、時が経つにつれて忘れてしまうことを恐れた。そのため、師の教えを朝夕に唱え、自らを戒めた。以前、俗縁に引かれ、金臺に二十年留まった。俗世の中にあっても、常に経典を携え、講義に臨んでは、法相宗に関わる異説が多いことに気づいた。これらは皆、相と質を明確にせず、法を心の外に求めるからである。まことに嘆かわしい。近代には注釈があるが、諸家の説は同異が多く、初めから定まった基準がない。ある者は「相分が所縁であり、本質が縁である。相と質を合わせて説き、所縁縁という」と言い、ある者は「根本智が真如を帯びて縁ることを親所縁縁とし、有漏の心心所及び無漏の後得智の見分が境に相を変えて縁ることを疎所縁縁とする」と言う。また、前七識を第八識の見分とする者もいれば、七大中の見識を第八識の見分とする者もいる。真如を性境とする説もあれば、四縁を八識に配する説もある。三自性を八識に配し、四分配を八識に配し、さらに四分配を三自性に配するなど、これらは皆、拠り所とするのが難しい。私の先師の『音義』八巻は、惜しいことに完全な形で残っていない。門人の辯音が補って疏を編み、海昌で刻んだ。初めてこれを手にした時、再び師の教えを聞くかのように喜んだ。しかし、読み進めるうちに、意味が欠けていたり、今と昔で解釈が異なったりする部分があった。同じ教えを聞いた者同士で指摘し合い、理解の深まったところもあった。例えば、三有為の有為相を解釈する際、能と所が逆転していたり、前後の文が矛盾していたりする。また、東と西に柱があり、東の柱が光を受け、西の柱が影を映すといった類の誤りも少なくない。諸方は蓮居を正学と見なしているが、その論述は果たしてそうだろうか。この疏は、字字が先師の筆によるものではない。ああ、同じ教えを聞いた者でさえ解釈が異なるのだから、異なる聞き方や受け取り方をする者が同じ主旨を理解できるだろうか。今年の春、私は京の都から帰り、龍居に寄った。新伊と一相の二人の兄が私を誘い、共に一つの基準を定め、後学のための指針としようとした。また、諸法友も私に習ったことを説くよう望んだ。私は年老いて智が昏いことを思い、疎漏を理由に固辞したが、叶わず、一夏の間に講義をし、それを記録した。講義と記録が終わり、大まかに章節を分けた。言葉は拙く、意味は浅いが、虚飾を飾らず、義を覆い隠さず、繁雑な科文を並べず、時流に合わせず、広く傍説を引いて正道を害さず、自説を誇って人を傷つけず、ただ過去を記し、今に訂正を加え、末年の探求に備えた。名付けて『自攷録』とする。大方に示すものではなく、添足の誚りを恐れている。どうして爝火が二曜と明るさを競おうか。録が成り、筆を置いて始末を記す。
天啓丙寅の重陽の日に、大惠が記す。