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title: "成唯識論自攷 · No. 823-D 成唯識論自攷錄緣起"
description: "成唯识论自考是大惠禅师在明代所著的唯识宗重要注疏。该书以玄奘所传唯识思想为基础，系统阐释了唯识三十颂的精义，重点探讨八识理论、三性三无相、转识成智等核心教义。作者大惠禅师通过精微的哲学辨析，深化了对心识结构与修行次第的论述。此作代表了明代唯识学的研究高峰，为研究唯识宗提供重要依据，在汉传佛教思想史上具有承前启后的学术地位，是理解法相唯识体系的重要文献。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmex33rk31vfqjp04888n9c38"
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### No. 823-D成唯識論自攷錄緣起

> 成唯識論自攷録縁起

重言十七。所以借重先哲之言。以發己之聞見也。余生三十之年。尚不知有古先聖道。偶一日步蓮居。入先師講室得聞觀。經上品上生章。一歷耳根。即為踊躍。慶佛法中有如斯之津梁。胡自甘陸沈也耶。次日復往。如是日。復一日。雖祁寒溽暑不輟。立雪味道。積十餘載。無虗日。無間時。師嘗嘉我之志。愍我之勤。縱雲集握麈之久。師必問慧至不慧至。而後陞座。如是率以為常。三際敷揚。二時慈注。性相台宗一一傳習。尤慨台相兩宗久沒其傳矢心。必得其旨焉。第恨神根暗鈍。非惟聞者。未及致精。猶懼久而缺漏。以故誦習師說。朝夕乾惕。向者俗緣所牽。留金臺二十載。雖歷塵闤。未嘗不以方䇿自隨。間臨講肆。凡涉相宗。輙多異說。皆緣相質不明法指心外。良可太息。近代即有註釋。諸家同異。初無準的。或云。相分為所緣。本質為緣。相質合說。名所緣緣。或云。根本智挾帶真如而緣。為親所緣緣。有漏心心所及無漏後得智見分緣境變相。而緣不簡有質無質。皆是變帶相狀。為疎所緣緣。或以前七識為第八見分。或云。七大中見識為第八見分。或言真如為性境。或以四緣配八識。或以三自性配八識。又以四分配八識。又以四分配三自性等。此皆難憑也。吾先師音義八卷。惜乎不獲全璧。門人辯音補輯成。疏刻之海昌。始余獲本喜。若復聆師說。讀未卒業。義或缺如。今昔有異。指眎同聞。悉知其有披襟處。且如釋三有為之有為相。能所倒置。前後文自矛盾。又如東西各有一柱。東柱承光西柱發影之類。其謬稍多。諸方咸目蓮居為正學。所論著固。若是乎。此疏實非字字出先師筆也。嗚呼同聽者尚自。異聞異稟者豈能共旨。今年春。余歸自京邑。寄錫龍居。新伊一相兩兄約余。同訂一準。則為後學之指南。暨諸法友亦欲余宣演所習。自惟年耄智昏。堅以疎漏為辭。不獲已。於一夏中。且講且錄。講錄並訖。麤分章節。詞鄙義疎。不搆虗文。以葢義不列繁科。以適時不廣引旁。而害正不騁己是。而病人惟事記。昔訂今用。備末年尋討。命名自攷錄。非敢舉似大方也。惴惴添足之誚是懼。豈爝火與二曜爭明哉。錄成閣筆為紀始末云爾。

> 重ねて言うこと十七。これは先哲の言葉を借りて、自らの見聞を述べたものである。私は三十歳になるまで、古の聖なる道があることを知らなかった。ある日、蓮居を訪れ、先師の講義室で『観経』の上品上生章を耳にした。一度聞いただけで、心躍る思いがした。仏法の中にこのような導きがあるのに、どうして自ら沈んでいようか。翌日も再び訪れ、日々通い続けた。寒さ暑さも厭わず、雪の中に立ち、道の味わいを求め、十余年にわたり一日も欠かさず、時を空けることなく学んだ。師は常に私の志を称え、勤勉さを憐れんでくださった。多くの人が集まる中でも、師は必ず「慧至は来たか」と問い、それから座に着かれた。これが常であった。三つの時を説き、二つの時に慈愛を注ぎ、性相や天台宗を一つ一つ伝え習った。特に天台と法相の両宗が長く伝わっていないことを嘆き、心に誓ってその真髄を得ようとした。しかし、私の根性は暗く鈍く、聞いたことを十分に理解できず、時が経つにつれて忘れてしまうことを恐れた。そのため、師の教えを朝夕に唱え、自らを戒めた。以前、俗縁に引かれ、金臺に二十年留まった。俗世の中にあっても、常に経典を携え、講義に臨んでは、法相宗に関わる異説が多いことに気づいた。これらは皆、相と質を明確にせず、法を心の外に求めるからである。まことに嘆かわしい。近代には注釈があるが、諸家の説は同異が多く、初めから定まった基準がない。ある者は「相分が所縁であり、本質が縁である。相と質を合わせて説き、所縁縁という」と言い、ある者は「根本智が真如を帯びて縁ることを親所縁縁とし、有漏の心心所及び無漏の後得智の見分が境に相を変えて縁ることを疎所縁縁とする」と言う。また、前七識を第八識の見分とする者もいれば、七大中の見識を第八識の見分とする者もいる。真如を性境とする説もあれば、四縁を八識に配する説もある。三自性を八識に配し、四分配を八識に配し、さらに四分配を三自性に配するなど、これらは皆、拠り所とするのが難しい。私の先師の『音義』八巻は、惜しいことに完全な形で残っていない。門人の辯音が補って疏を編み、海昌で刻んだ。初めてこれを手にした時、再び師の教えを聞くかのように喜んだ。しかし、読み進めるうちに、意味が欠けていたり、今と昔で解釈が異なったりする部分があった。同じ教えを聞いた者同士で指摘し合い、理解の深まったところもあった。例えば、三有為の有為相を解釈する際、能と所が逆転していたり、前後の文が矛盾していたりする。また、東と西に柱があり、東の柱が光を受け、西の柱が影を映すといった類の誤りも少なくない。諸方は蓮居を正学と見なしているが、その論述は果たしてそうだろうか。この疏は、字字が先師の筆によるものではない。ああ、同じ教えを聞いた者でさえ解釈が異なるのだから、異なる聞き方や受け取り方をする者が同じ主旨を理解できるだろうか。今年の春、私は京の都から帰り、龍居に寄った。新伊と一相の二人の兄が私を誘い、共に一つの基準を定め、後学のための指針としようとした。また、諸法友も私に習ったことを説くよう望んだ。私は年老いて智が昏いことを思い、疎漏を理由に固辞したが、叶わず、一夏の間に講義をし、それを記録した。講義と記録が終わり、大まかに章節を分けた。言葉は拙く、意味は浅いが、虚飾を飾らず、義を覆い隠さず、繁雑な科文を並べず、時流に合わせず、広く傍説を引いて正道を害さず、自説を誇って人を傷つけず、ただ過去を記し、今に訂正を加え、末年の探求に備えた。名付けて『自攷録』とする。大方に示すものではなく、添足の誚りを恐れている。どうして爝火が二曜と明るさを競おうか。録が成り、筆を置いて始末を記す。

旹天啟丙寅重九日大惠識

> 天啓丙寅の重陽の日に、大惠が記す。