No. 980-C 輔宏記補訂自敘
『四教儀集註輔宏記』という書物の著者は、その名を伝えていない。講師たちの間では秘伝の書として伝えられてきた。私はこれを華蔵の単先生から授かり、その後、元如師から示三氏の補註を、源洪師からは紹曇上人の『辨訛』を賜った。これらはすべて『四教儀』とその註釈の要点を解き明かす重要な書物である。
私は智慧が乏しく、困難に遭遇することも多く、また浄財にも乏しかった。翻訳し、読み、削除し、編集する作業は、二十回以上にも及んだ。朝な夕なに三宝の加護を祈り、五年の歳月をかけてようやく定稿とすることができた。活字を整え、懸命に完成させたのである。丙子年の五月十二日から印刷を始め、十一月の三日に至って完成した。その間、誤りを校正し、この事業を助けてくれたのは、源師の力によるものである。
ある人が尋ねた。「あなたは曹谿の単伝を受け継いでいるのに、なぜ諸教を広く研究するのか。ましてや、今、天台宗の『輔宏記』を流通させることに、なぜそれほど熱心なのか」と。
私は笑って答えた。「宗門においては、水を運び、薪を運ぶような日常の行いも、粗い言葉も細やかな言葉も、すべてが西来の意(仏法の真髄)である。経論についても、どうしてそれだけが例外であろうか。しかし、理は頓悟であっても、悟りとともにすべてが消え去るわけではない。事(現象)は徐々に除かれていくものであり、順序を追って尽きていくべきである。あなたは、一度悟れば即座に仏となり、それ以上の修行は必要ないとでも思っているのか。初祖(達磨大師)は文字を立てず、二祖に『楞伽経』を授けた。あなたはそのことを聞いたことがないのか。ましてや、私たちのような浅はかな知識と見識しかなく、三毒(貪・瞋・癡)が盛んな者が、どうして戒律を破り、経典を否定して、師子身中の虫(仏法を内部から破壊する者)となることができようか。
かつて私は華蔵先生からこのように教えを受けた。『仏法が東に伝わり、今日まで繁栄してきたのは天台宗による。その外に直指を標榜するものに達磨があり、法界を闡明するものに賢首があり、唯識を完成したものに慈恩がある。その他、浄土宗、密宗、律宗など、これらの諸祖は皆、大悲を心とし、それぞれ方便の門を開いて、如来の使者となったのである。しかし、偏りと円融とを簡別し、邪と正とを弁別し、病を知り薬を識り、病に応じて薬を授け、縦横に網羅し、教えと観行とを美しく備え、諸家の権(方便)と実(真実)とを評定し、一生で登住(菩薩の位)を目指す者にとって、天台宗に及ぶものはない。それを学んでも全く功を奏さない者は、空論に終わり補うところがないか、一曝十寒であるか、あるいは方便と正修、境と乗とが欠けているのであって、天台宗の過ちではない』と。
しかし、天台宗一家について論じれば、智者大師、章安大師、荊谿大師、四明大師らの著述は、文が豊かで義が深遠であり、奥深く広大で、目が眩み心が驚くほどである。加えて、一家の立てる義は、それぞれの趣旨がある。例えば、『地論』の教証四種を借用したり、『妙玄』が二意を成すために借用し、『輔行』が三意を成すために借用したり、『別行』が横に学んで無作の四門を立てたり、位が浅ければただ中道を説くべきところを、『釋籤』では彼の教えに付すと説いたり、このような異同は枚挙にいとまがない。
『四教儀集註』が世に出てから、先後して多くの註釈書が現れ、これによって大綱をまとめ、旨趣を通じさせ、後の学者が容易にその端緒を掴めるようにした。つまり、天台宗は仏法十二部の大成であり、『儀註』はさらに天台宗三大部の鍵なのである。これは重要ではないか。『儀註』が重要であれば、『儀註』を闡明して教えと観行を宣揚することもまた重要である。『輔宏記』という一編がこれに当たる。
『儀註』は大小乗の経論を百十部以上も引用している。『備簡』や『節義』などの書物があっても、まだ十分とは言えない。この『記』は、引用された言葉を詳しく記録し、その文義を疏通している。末学の鈍根であっても、この『記』によって天台宗を理解することができれば、偏円・邪正、諸家の権実の所以が、掌を指すように明らかになるであろう。それによって自ら行じ、また他を教化する。この深き心をもって塵刹に奉じるならば、これこそが仏恩に報いることなのである。これはかつて華蔵先生から聞いたことであり、私が熱心にこれを流通させようとする微意である。
もし、霊峰大師が『四教儀が出て天台宗が晦(かく)れた』とおっしゃったならば、それはおそらく激しい思いがあっての発言であろう。私があえて言うまでもないことである。
清の嘉慶二十一年丙子の十一月、長至の日に、武林の三宝に帰依する弟子、銭伊葊、謹んで序す。