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title: "林泉老人評唱投子青和尚頌古空谷集 · 第四十五則問法身寶"
description: "林泉老人評唱投子青和尚頌古空谷集是元代禅僧从伦对宋代高僧投子义青百则颂古的评唱集。义青以诗偈形式评析禅门公案，从伦则加以详细解说，融合临济与曹洞宗风。本书成于元代，反映了宋元时期禅宗“文字禅”的盛行与禅学思想的交融。作为禅宗重要文献，它不仅阐释公案深意，更展现了禅法的心要，是研究宋代禅宗思想及颂古评唱体例的经典之作，在佛教文学与哲学史上具有崇高地位。"
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### 第四十五則問法身寶

> 第四十五則：法身の宝を問う

示眾云。莊宗收得。幸遇興化商量。三角拈來。可惜強賊錯認。莫有賞鑒者麼。

> 皆に告ぐ。荘宗が手に入れたものを、幸運にも興化が評した。三角が持ち出したが、惜しいことに、強盗が誤って認めてしまった。はたして、これを正しく見極める者はいるだろうか。

舉僧問仰山湧和尚。如何是法身寶五眼難窺。湧云。百舌未休枝上語。鳳凰那肯共同棲南海波斯笑點頭。

> ある僧が仰山湧和尚に問うた。「法身の宝とは、どのようなものですか？」 （注：五眼をもってしても見極めがたい。） 湧和尚は答えた。「百舌鳥が枝の上でまだ鳴きやまない。鳳凰がどうして同じ枝に共に止まろうか。」 （注：南海のペルシャ人が笑ってうなずく。）

師云。洞山問講維摩經僧曰。不可以智知。不可以識識。喚作甚麼語。云讚法身語。曰喚作法身早是讚也。林泉道。何不向未開口時會取。疎山上堂云。病僧咸通年前會得法身邊事。咸通年後會得法身向上事。雲門出問。如何是法身邊事。曰枯樁。云如何是法身向上事。曰非枯樁。云還許某甲說道理也無。曰許。云枯樁豈不是明法身邊事。曰是。云非枯樁豈不是明法身向上事。曰是。云。祇如法身。還該一切也無。曰法身周徧豈得不該。門指淨缾曰。祇如淨缾。還該法身麼。曰闍黎莫向淨缾邊覓。門便禮拜。林泉道。子細敁詳無縫罅。方知不是繫驢橛。為同不世之珍。所以罕逢別者。若非仰山具天眼龍睛。向不作貴不作賤處平展。演大鋪舒。分星擘兩。為汝提撕道。百舌未休枝上語。鳳凰那肯共同棲。只如仰山恁麼道。為復是卞和之璧。為復是隋侯之珠。為復是指東畵西。為復是將無做有。南海波斯知價例。不須更上試金石。頌曰。

> 師は言った。「洞山が維摩経を講じる僧に問うた。『智によって知ることができず、識によって識別することもできない。これを何という言葉か。』僧は『法身を賛嘆する言葉です』と答えた。洞山は言った。『法身と呼ぶこと自体がすでに賛嘆である。』林泉は言う。『なぜ言葉が発せられる前に悟り取らないのか。』 疎山は上堂して言った。「病僧は咸通年前に法身の辺りの事を会得した。咸通年後に法身の向上の事を会得した。」雲門が出て問うた。「如何なるか是れ法身の辺りの事。」疎山は「枯れ杭だ」と答えた。雲門は問う。「如何なるか是れ法身の向上の事。」疎山は「枯れ杭ではない」と答えた。雲門は言った。「我に道理を説くことを許してくれませんか。」疎山は「許す」と言った。雲門は言った。「枯れ杭は法身の辺りの事を明らかにするものではないのですか。」疎山は「その通りだ」と言った。雲門は言った。「枯れ杭でないものは法身の向上の事を明らかにするものではないのですか。」疎山は「その通りだ」と言った。雲門は言った。「ただ法身は、すべてを包括するのですか、しませんか。」疎山は「法身は周遍している。どうして包括しないことがあろうか。」と言った。雲門は浄瓶を指して言った。「ただこの浄瓶のように、法身を包括するのですか。」疎山は「あなたは浄瓶の辺りで探してはいけない」と言った。雲門はすぐに礼拝した。 林泉は言う。「細かく吟味すれば隙間のないことを知るだろう。これがロバを繋ぐ杭でないことを初めて知るのだ。同じく世に珍しい宝であるから、めったに識者に会わないのだ。仰山が天眼龍睛を持って、貴しとせず賤しとせずのところで平らかに展開し、大いに広げ、細かく分け、あなたのために提示して教えたのでなければ。百舌鳥が枝の上で鳴き止まないならば、鳳凰はどうして共に棲むことを肯んじようか。ただ仰山がこのように言ったのは、卞和の璧であろうか、隋侯の珠であろうか、それとも東西を指し示すだけであろうか、無いものを有るとするのであろうか。南海の波斯人は値段の例を知っている。試金石にかけるまでもない。」 頌して曰く、

松生巖畔鶴停穩坐着即不堪。鳳出丹山鸞並群方以類聚。面壁尚虧庵外事只知其一。淨名何苦太言論不知其二。

> 松が岩のほとりに生い、鶴がそこに静かに留まる（座ればもう立たれぬ）。鳳は丹山より出で、鸞と群れをなす（類は集まるもの）。壁に向かうのみでは、庵の外のこともなお欠ける（一を知るのみ）。淨名（維摩居士）はどうしてここまで語るのか（二を知らぬ）。

師云。有箇十八公。唯好居巖壑。朱頂來親依。殊不畏寂寞。雖是恁麼。也合隄防樹下底一場懡㦬。況九包之鳳出自丹山。非呈瑞祥鸞莫能為侶。此皆建化門中暫時光影。幸不以隨言定旨逐語分宗。略向癡人面前為他說夢。吾初祖達磨大士九年面壁。為汝全提空劫前事。猶被人譏呼為壁觀婆羅門。端的是鳥棲林麓易。人出是非難。又復點撿淨名居士。梵語維摩詰。此云無垢稱。亦云淨名。問文殊師利。何等是菩薩入不二法門。文殊師利曰。如我意者。於一切法無言無說無示無識。離諸問答。是為入不二法門。於是文殊師利問維摩詰言。我等各自說已。仁者當說何等是菩薩入不二法門。維摩默然。今謂何苦太言論者。意謂雖云不語其聲如雷。自古至今驚天動地。恁麼舉來。未審法身寶在甚麼處也。咄。闍黎不是不將來。老僧不是不拈出。

> 師は言われた。「十八公という者がいる。ただ岩山や谷間を好んで住み処とする。朱色の頂を持った鳥が来て親しみ寄り添い、決して寂しさを恐れない。たとえそのようであっても、樹の下での一場の面目のなさを警戒すべきである。ましてや九つの苞を持つ鳳凰は丹山から出るものであり、瑞祥を示す鸞でなければ、その伴侶となることはできない。これらはすべて化導の門の中における一時の光影に過ぎない。どうか言葉に従って意味を定め、語句に従って宗旨を分かつことをしないでほしい。愚か者の面前で、彼のために夢を説くようなものである。 我が初祖達磨大士は九年間壁に向かって坐り、あなたたちのために空劫以前の事をことごとく提起されたが、それでも人々に「壁観婆羅門」と嘲笑された。まことに、鳥が林の麓に巣を作るのは易くとも、人が是非の世界から出るのは難しいのである。 さらに浄名居士を点検する。梵語で維摩詰、これを訳して無垢称、また浄名ともいう。維摩居士が文殊師利に問うた。「どのようなことが菩薩の不二法門に入るということなのでしょうか」。文殊師利が言った。「我が意によれば、一切の法について、言うこともなく、説くこともなく、示すこともなく、認識することもなく、もろもろの問答を離れること、これが菩薩の不二法門に入ることである」。そこで文殊師利が維摩詰に問うて言った。「われわれはそれぞれ自分の考えを述べましたが、あなたはどのようなことが菩薩の不二法門に入ることだとお考えですか」。維摩は黙っていた。 今、何ゆえに言葉論議を多くするのかと言うなら、その意は、「言葉を発しないといえども、その声は雷の如し。古より今に至るまで、天を驚かし地を動かす」ということである。このように挙げてみるが、はたして法身の宝はどこにあるのか。咄！ 闍黎よ、お前は持って来ないのではない。老僧もまた取り出さないのではないのだ。」