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title: "萬松老人評唱天童覺和尚拈古請益錄 · 第三十九則夾山目前"
description: "萬松老人評唱天童覺和尚拈古請益錄，簡稱萬松老人評唱天童拈古請益錄，由宋代高僧正覺拈古，元代高僧行秀評唱而成。該書屬禪宗語錄體著作，內容輯錄天童正覺禪師對古德公案的拈提評唱，萬松行秀在此基礎上進一步闡釋發揮，以問答形式啟發學人悟入禪機。此作誕生於宋元禪宗鼎盛時期，融合了臨濟與曹洞宗風，深刻體現了禪宗“不立文字、直指人心”的宗旨，是研究宋元禪宗思想與公案詮釋的重要文獻，在佛教史上具有承先啟後的地位，為後世學人參究禪法提供了權威依據。"
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### 第三十九則夾山目前

> 第三十九則　夾山目前

舉夾山云。目前無法。背後底聻意在目前。莫錯認他不是目前法。是你眼睛非耳目之所到。聲色縱然。見聞不昧天童拈云。夾山老子解開布袋頭。財不著身。痛不著己將差珍異寶山材野物撒向諸人面前了也。見者有分正當恁麼時作麼生任情取捨路不拾遺。君子稱美不義之財。於我如浮雲。

> 夾山和尚は言った。「今、目の前には何の法もない。〈背後にあるものはどうなのか〉その意味は目の前にある。〈間違って受け取るな〉それは目の前の法ではない。〈それはあなたの目そのものだ〉耳や目が届くところではない。〈色や音がたとえあっても、見聞は曇らない〉」 天童和尚はこれを取り上げて言った。「夾山の老人は袋の口を解き、〈財は身につかず、痛みは己につかない〉貴重な宝や〈山の材木や野の物〉を皆の前に撒き散らした。〈見る者には分け前がある〉ちょうどこの時、どうするか？〈好き勝手に取るも捨てるも〉道に落ちたものを拾わないのは、君子が称賛する美徳だ。〈不義の財は、私にとって浮雲のようなものだ〉」

師云。北院通禪師問夾山。目前無法。意在目前。他不是目前法。非耳目之所到。豈不是和尚語。夾曰。是。通乃掀倒禪床叉手立。夾起來打一拄杖。通便下去。法眼云。且他掀倒禪床。何不便去。須待他打了纔去。意在什麼處。萬松道。我當時見道豈不是和尚語。驀面唾云。咬屎橛漢。拽棒打出。北院也好有後手。法眼拈出令後人見。可謂為眾竭力。禍出私門。洛浦嘗舉此話問彥從上座。那句是賓。那句是主。也權借此問以為影草。今天童特舉此話。著實為人。王婆嬭子行人事。紫羅帳裏撒珍珠若是識便宜底。其珠遍地。目覩如泥。僧問圓通秀鐵壁。知師久蘊囊中寶。今日筵前略借看。壁道君子愛財。取之有道。還知天童路不拾遺處麼。滿船珍寶沈江去。誰羨芒繩十陌錢。

> 師が言われた。 かつて北院の通禅師が夾山に問うた。 「目前に法無し、意は目前に在り。他は目前の法に非ず、耳目の到る所に非ず。これ和尚の語に非ずや」 夾山は「然り」と答えた。 通禅師はそこで禅床をひっくり返し、叉手して立った。 夾山は立ち上がり、一杖を打った。 通禅師はそのまま下がって行った。 法眼禅師が評して言う。 「彼が禅床をひっくり返した時、なぜすぐに去らなかったのか。彼に打たれてから去った。その意は何処にあるのか」 万松禅師が言う。 「私がもし『これ和尚の語に非ずや』と聞いたならば、いきなり顔に唾を吐きかけて『糞食らいの奴め』と罵り、棒を引っ張って打ち出しただろう。北院もまた、後手を用意していたのだ。法眼がこれを取り上げて後人に見せたのは、まさに衆生のために力を尽くし、禍は私門より出づ、と言える」 かつて洛浦禅師がこの話を挙げて、彦従上座に問うた。 「どの句が賓で、どの句が主か」 これもまた、一時的にこの問いを借りて、影草としたのである。 今日、天童禅師は特にこの話を挙げて、実に人々のために示す。 まるで王婆の乳母が人の世を歩むが如く、紫羅帳の中に真珠を撒く。 もし得をわきまえる者ならば、その珠は地に満ち、目に映るものは泥の如し。 僧が円通秀鉄壁に問うた。 「師は久しく囊中の宝を秘蔵されていると知る。今日の筵前で少し拝見させてください」 壁は答えた。 「君子は財を愛す、これを取るに道あり」 天童禅師の、道に落ちているものを拾わぬ境地を知っているか。 満船の珍宝が江に沈んでゆく、誰が芒縄の十陌の銭を羨ましがろうか。