師は言われた。柳の目が芳しさを競い、風煙が秀麗を混ぜる。まだ露が現れぬうちに、春の色は密かに移り、芽吹かぬ時に、谷川の光をそっと染める。寒い岩場では樵夫が歌い、野の渡し場では漁師が腹鼓を打つ。それゆえに、正ならば龍は異宝をくわえ、偏ならば鶴は銀の籠に宿るという。さて、偏にも正にも落ちないとは、どういうことか、よく考えてみよ。(しばらく沈黙して)万機休まるところ、一曲の韻に私なし。
上堂。ある僧が尋ねた。「経典にあるように、毒のある土地を通るときは、一滴の水さえ口にすべきではない、とあります。この意味はどう理解すればよいのでしょうか。」 師は言われた。「すべてを飲み尽くしてこそ、全身が通じるのだ。」 僧がさらに尋ねた。「全身が通じた後はどうなりますか。」 師は言われた。「そのとき初めて、打ち破ることができないと知るのだ。」
師は言われた。「錐を立てる地さえなければ、どこに身を置くのか。瞬目すら通じなければ、どうして留まろうとするのか。それゆえに、乾坤を定める眼をしっかりと握り、綿々として毫も漏らさず、造化を融通し、その機は的々として、さらに滲み漏れるところがない。正にこのような時、画瓶を打ち破る一句は、どうして互いに委ね合うのか。」(しばらくして言われた)雲散じ水は流れ去り、寂然として天地空し。
上堂。傍らに参じて密旨を究め、妙に玄宗を会す。句は混沌の前に在り、豈に今時の路に渉らんや。舌なき人語を解し、情なき者皆聞く。通途消耗して時を分たず、霊脈浩流して間処無し。且つ道え、借りずして借りる底を如何にせん。(良久して云く)堆堆として全体露はれ、只麼として曾て蔵せず。
上堂。ある僧が尋ねた。「風采を露わさずに、それでも転身することは許されるでしょうか。」 師は言われた。「石女の行くところ、功を同じくせず。」 僧が言う。「向上の事はどうなさいますか。」 師は言われた。「妙なるは一漚の前にあり、千聖の眼に容れられようか。」 僧は礼拝した。 師は言われた。「ただ、そうではないかもしれないと心配する。」
師は言われた。知恵が届かないところ、道が語られれば角が生える。心が消えないとき、それを認めれば影が現れる。百重千重の束縛もすべて振り払い、今を超え古を照らしても、本来欠けるものはない。木鶏が鳴きやみ海の雲は暗く、石虎が吠えて山の景色は鮮やかになる。光も境もともに消えたならば、手を差し伸べないその人は誰か。(しばらく沈黙して言われた)青松は古い韻を生み、白髪は寒い巖に笑う。
上堂にて云く。 機輪密なる処、霊艸未だ生ぜず。 溢目に登らず、眉を揚げて自ら曉る。 時に意到りて句到らず。白雲玉鳳を蔵す。 時に句到りて意到らず。秋露銀河に滴る。 時に意句俱に到る。妙盡して今に當らず。虗明戸を出でず。 且つ道え、意句俱に到らざるは、又作麼生。 (良久して云く) 千聖の口に傳えず、萬機に求むる莫れ。
上堂して言う。暗闇の中で横骨を抜き取り、天を覆う言葉はすでに明らか。明るみの中で舌を座らせ、地を巡っても紋様も彩りもない。混然としてその跡を留めず、照らしてもその痕を残さない。金烏が真夜中に乾坤を出で、濃雲が正午に嶽の面に生ず。さて、須弥山の向こう側では、誰がそれを担っているというのか。(しばらくして言う)玄妙な道を行くことなかれ、功を尽くせば平常に合う。
上堂。僧が問う、「如何なるか是れ学不停午」。師云く、「海底銀輪秀」。僧云く、「如何なるか是れ意不立玄」。師云く、「無影樹頭春」。僧云く、「恁麼ならば則ち未露の機、当鋒に妙を得ん」。師云く、「亦須く転却すべし」。僧云く、「転却した後は如何」。師云く、「混融の機に堕せず」。
師は言われた。 微細を窮めて本を失い、妙を体して宗を失う。 一句で流れを断ち、淵源は尽きる。 それゆえ、金の針が密なる処は光鋩を露わさず、 玉の線が通ずる時は潜かに異彩を舒べる。 しかりといえども、なお是れ交互に双明なり。 且つ道え、巧拙の到らざる処、どうして相い委ねるか。
(しばらく沈黙の後、言われた) 雲と蔦の秀でたる処、青陰合い、 岩上の樹高き時、翠色深く鎖す。
上堂にて言う。功を転じて位に就くは、向かって去る人なり。玉は荊山に韞(かく)れて貴し。位を転じて功に就くは、却って来たる人なり。紅炉(こうろ)の片雪(へんせつ)春。功と位ともに転ずれば、通身滞るところなし。手を撒(さ)って依るを忘る。石女(せきじょ)夜に機に登る。密室人無く掃わず。正に恁麼(いんも)の時、絶(た)えて氣息(きそく)する一句、どうかして相(あい)委(ゆだ)ねん。
上堂にて云く。 粗の中に細を弁じ、門の中から身を出す。石女孤ならず、機梭暗に泄る。 細の中に粗を弁じ、身の中から門を出づ。暖気は消ゆれども、岩上の雪氷、壺未だ破れず、劫前の春。 六門の活計冷然として翛たり。万頃の瑠璃寒くして骨を徹す。 且つ道え、滴水滴凍の一句、作麼生か相委せん。(良久して云く)堂に帰りて聖僧に問え。
上堂で言われた。 動きの中にあっても常に静寂であり、暗闇の中にあればますます明るい。 二つの極端な立場に落ちることなく、真っ向から誰が触れることができようか。 正面から押さえ、傍らから引き出すにも根拠があり、真の慈悲と妙なる応現は尽きることがない。 たとえ言葉がまだ芽生える前にあっても、要するに今この場を離れていない。 さて、結局のところどうなのか。 白雲は留まることができず、やはり青空へと出ていく。
上堂。僧が問う、「泥牛は常に運歩す。なぜ波瀾に触るるを許さざるや」。師云く、「虚空暗に頭を点ず」。僧云く、「恁麼ならば、子の父に就く時、なお依倚有り」。師云く、「更に一人未だ肯せざる有り」。僧云く、「未だ審らかにせず、是れ什麼の人ぞ」。師云く、「紅爛通身、火裏に看よ」。
師は言われた。
「虚玄を極め尽くすと、見るところは偏り枯れる。明らかで澄み切って揺るがないと、想いの中に漏れが生じる。だからこそ、千の峰が翠を流し、万の谷が春を流す。霊妙な苗は秀でるが気はまだ芽生えず、瑞しい彩りは分かれるが天は明けようとする。光は水月と融け合い、影は空の潭に混じる。照らし合って痕跡を忘れるなら、どうして違いを弁えようか。木龍が深夜に吟じる、妙は未だ聞こえる前に在る。」
上堂にて云く。身を隠す処には跡なし。広大な意が溶け合う時、誰がこれを弁えよう。跡なき処に身を隠すな。ふと歩みを移す処、妙にして尋ね難し。枯れた根、石の中に花は明らかに秀で、劫を超えた威光は密々として新たなり。故に道う、三十年間薬山に在って只この事を明らかにす、と。諸仁者よ、どういうのがこの事か。(しばらくして云う)白髪にして顔は玉の如く、霊然として今に堕ちず。
上堂して云う。無功の妙旨、玄微に渉らず。一念潜通して、全機密運す。高山流水の曲を奏するは易く、虚空夜明の符を伝うるは難し。暗中の霊句、誰か許して知らん。化外の威光、須らく自ら看よ。然りと雖も、青嶂の路を行かずんば、争でか白雲の根に到らん。
上堂して云く、妙なる化導は潜かに敷かれ、無の中より忽ち有り。泡の紋は纔かに擬するも、湛然たるを失い真に乖く。九霄の浄処は廓然として疆なく、四海の清時は徹して明らかなり。若しこの消息を知らば、報ずべからざるの恩に堪えん。其れ或いは未だ然らずんば、天水混ずる時秋一色、衆星攢る処紫微高し。
上堂して云く、家の音は歴歴たり。的要は通じ難し。紹了は功に非ず。其の擔荷を忘る。戸外に雲有り、斷徑に従う。坐中に照無く、燃燈に勝る。既に活計の現成なるを知れば、便ち合に深沈して消耗すべし。何ぞ為んや更に途中の事有る。(良久して云く)功は超歷劫に齊しく、運歩は當陽に當たらず。
師は言われた。「塵の一つを払えば、大小の量は空となる。念と劫は両々に融け、前後の際は断たれる。当処を離れずして円く応じ、窮まりなし。この中に安住し、周遍に施して怠らず。正にこの時、木童が月の戸を敲けば、六用は虚明。石筍が密かに条を抽せば、孤標は秀密。さて、これは誰の境界というのか。」(しばらくして言われた)「江岸の風濤急なり、蘆村の景色幽なり。」
上堂にて云う。見聞は曇ることなく、声と色は純粋に真実なり。動と静は欠けることなく、去り留まるは本来妙なるもの。もしも底までしっかりと受け止め、理解することができれば、初めてすべての法が円満に成就していると信じることができる。そうすれば、どこにいても宗旨を立て、常に立ち返って道に合致することができる。もしそれがまだできなければ、襟いっぱいに秋の露が濡れ、鏡のように冷たく痕跡もない。
上堂して云く、未だ休まずして休み去れ、未だ歇まずして歇み去れ。豁然として宝鏡台に当たり、無限の清光戸に満つ。故に道う、一句子は明に当たりて照に当たらず、一句子は照に当たりて明に当たらず。若し或いは照に当たり明に当たる時は、またどうするか。(良久して云く)枯枝の頭上に雪有り、太陽の春を待たず。
上堂して言う。石頭が饒舌なのを怪しむなかれ。ただちに言え、霊源は明らかに皎潔なり、功成って照らすも失わず。虚妙は尽く明らかで間断なし。今や果たしてかくのごとく、隠し難く、尽く秋の光に漏れ洩れる。海内の道人に報ぜんがため、この中の時節を参取せよ。
上堂。ある僧が尋ねた。「昼の灯火は照らすものではなく、夜の松明は天を満たして赤く輝く時、どうなりますか。」師は言われた。「なお傍らの道に堕ちている。」僧が言う。「では、向上の機はどういうものですか。」師は言われた。「明暗が尽きるとき、ともに照らさない。」
師は言われた。「毛皮をまとって火の集まる中を遊び、炎の中に身を隠す。角を戴いて塵泥にまみれ、光の中で歩みを転ずる。霊珠には一点の汚れもなく、卞和の玉に瑕はない。一念が広く融け、千の機が秀でて発する。正にこの時、傍らから来る道を坐してしまう。さらに言い得る者があるか。」(しばらくして言われた)「歴然として化表を超え、浩劫の体は分け難し。」
上堂にて云く。明簾未だ捲かず。秘殿光を舒ぶ。妙體潜かに彰る。真機尚密なり。直ちに龍碧海に吟じ、鳳丹霄に舞い、大地祥を鋪き、長空瑞を布くを得たり。正に恁麼の時、借位誕生の一句、作麼生にか相委せん。(良久して云く)金印未だ開かず沙界静かなり。玉輪の轉ずる處、風に當たらず。
上堂して言う。内側は日の如く明るく、わずかな隔たりもない。一つの霊は胎に頼らず、四大(地水火風)は誰が主となるのか。今、徹底的に露わに現れ、縁に従って運用し、常に自在である。しかしながら、これでもなお日常の行いである。それならば、宗を超え格を越えるとは、どういうことか。虚空には顔がなく、巧みに眉を描く必要もない。
上堂にて言う。一日中、分別するも、ただ自心を分別するのみ。笑うべし、かの観音の力を念ずるも、結局は本人に帰する。黄頭の老衲、理あれども伸べ難し。なぜ理あれども伸べ難きや。賊は家親なり。
上堂。僧問。影草を施さず、千途の賞を罷む。未だ審らかにせず、其中の事、作麼生。師云く、堂に正しく坐せず。僧云く、恁麼ならば則ち全功轉去す。師云く、什麼處に轉向す。僧云く、古渡月明秋色晚。師云く、須く是の驢漢なり。
師は言われた。 人は明るい道に迷い、戸には枯れ木がかかっている。 出たり没したり、混ざり融け合い、凝り流れて清らかだ。 妙なる体は霊然として影も跡もなく、全身を尽くしても陽に当たらない。 水の音と松の響き、一筋の深い渓流。 月の光と波の輝き、全体が妙なるもの。 ちょうどこの時、誰の分上に落ちるのか。 (しばらく沈黙して言われた) 満ちた船は空しく夜ならず、穏やかに密かに釣り針にかかる時。
上堂して云く。雨は摩尼を洗い秀色を増す。全身は一絲の頭も昧まず。霊源は傾瀉して間歇無し。滁山の水逆流するを添う。故に道う、真慈妙応は感に赴き縁に随う。大寂光の中、本より出没無し。然りと雖も、絶頂に登らずんば、争でか白雲の高きを見ん。
上堂で言われた。 鏡と鏡が互いに照らし合い、光と光が互いに溶け合う。 それでもなお、それは影や形の域のことだ。 あらゆるものの上に現れ、あらゆる物の上に明らかである。 これを「事を了した者」と呼ぶ。 たとえ縁にふれず、位を受けず、 全き機が密やかに混ざり合い、一つの念が広大に融け合ったとしても、 なお、類がある。 では、どうすれば異類と言えるのか。 (しばらく沈黙してから言われた) どの門にも隠れたものはなく、妙なるものは未だ分かれる前にある。
上堂して云く。密々に親近して去れ。時時に奉重せよ。猶お孝養の存する在り。親近・孝養・奉重を見ること無くして、始めて尊貴を得る。然りと雖も、烏兎は任従して更に互いに照らし、碧霄雲外、相い干せず。
上堂。僧が問う、「諸聖を慕わず、己霊を重んぜず、時如何」。師云く、「古鏡台前、荒草秀つ」。僧云く、「便に恁麼にして去る時、如何」。師云く、「金烏、片雲を銜む」。
師は言われた。
流れに沿って行けば、定まった止まる場所はない。 真実の光は、跡を留めない。
千の峰が秀でたところには、鶴も棲み難く、 万の水が澄み切った時には、魚は自ずから穏やかである。
樵人は賞でることをやめ、 釣り客は棲家を見失う。
古い渡し場には深い雲がかかり、 共に絶妙な韻を歌う。
まさにこのような時、 知音はどこにいるのだろうか。
(しばらく間を置いて言われた) 玉の兎は常に真昼にあり、 白日の光は車輪を移さない。
上堂にて云う。清らかで勝れた妙なる心は、もともと沙界(全宇宙)に遍満している。精妙で真実なるその広大さは、明らかに照らし、深く通じている。霊妙な花は密やかに咲き誇り、今春とは異なる姿を見せる。その風味は、塵世を超えた一句のように渾然と成っている。寒林に彩りが施され、野水に芳香が流れるに至る。寂然として凝滞せず、一体どうやってその本質の違いを捉えればよいのか。真っ向から今時の道を踏まず、意を得て私心なき鳥道の玄妙に至る。
上堂にて言う。日月は常に霊妙であり、古今を通じて変わることがない。それなのに、どうしてわざわざ新たにというのか。各自、三拝を施すべし。依る所が尽きれば、体は自ずと玄妙となる。双六の盆中で喝采を休めよ。どうして得失を弁じようか。(しばらくして言う)十の言葉で九つ当たるよりも、一つの沈黙に如かず。
上堂。ある僧が問うた。「古路不逢人時如何(古い道で人に出会わない時はどうでしょうか)」 師は言われた。「相随来也(共に従って来たのだ)」 僧が言う。「恁麼則萬像光中全身出沒(それならば、万象の光の中に全身で出没しているのですね)」 師は言われた。「猶是往來人(それでもまだ往来の人だ)」 僧が問う。「如何是非往來人(往来しない人とはどういうものでしょうか)」 師は言われた。「古路覓不得(古い道を探しても見つからないものだ)」
師は言われた。一頭の牛が水を飲む。密やかに渓流と雲が混じり合う。五頭の馬は嘶かず。ひそかに風骨をあらわす。朝の機微に落ち着かないなら、ひとまず置いておこう。あまりにも綿密で、あまりにも霊妙に現れている。どうやって互いに融通し合うのか。(しばらく沈黙してから言われた)白髪の蚕飼いの女が織る。はっきりと夜、梭を鳴らす。
上堂で言われた。 機縁が回って明らかな位に至り、妙なる働きが尽きて身を転ずる。 一つの夢は青山、船は満ちて白月。 夜半に雲は碧天に収まり、中秋の露は銀河に混じる。 芦花の深き処でふと出会い、談笑し茶を飲むも避ける処なし。 正にこの時、更に知るべし、一人の伴わざる者あり。
上堂して言う。霊鷲の深き機、少林の密かなる旨。山岳は高低あれども共に唱え、水雲は去住すれども自ずから聞こえる。これを得る者は頭角強く生じ、これを失う者は功勳徒らに爾り。故に道う、悟りを求むること莫れ、本より迷い無し。日は東方に出で、夜は西に沈む。然りと雖も、且つ道え、何に拠るか。(しばらくして言う)澄める九鼎を労せず、流動して百花新たなり。
上堂して云く、心・意・識を離れ、本に達して情を忘る。千聖の頂𩕳を撥開し、萬象の根源を徹透す。まさに隠照を明らかにすべし。戸に入りて帰るを忘れ、野老謳歌し、石人撫掌す。正に恁麼の時、なお落處を知れる底有るか。
上堂して言う。百億の毛先に花が開くも、春風に触れず。三冬の雪の中に芳しさを争うも、すべて浩たる意思を明らかにする。雲は谷に凝り、夜明けに、滴る水は氷となる。生計は現成し、誰に依って受用せん。(しばらくして言う)頭上に青灰三五斗あり、明らかにして朝来の機に堕せず。
上堂して云う。ただこのままに。尋ね求めず。現成の堂堂、得失を忘る。たとえ心が無量の時を通じたとしても、歴劫、何ぞ曾て今日に異ならん。(呵呵大笑して云う)聖僧堂に坐し、金剛門外に立つ。広長舌相、乾坤を耀かし、半夜、烏飛びて白きこと漆の如し。
師は言われた。
「一念もまだ生じない時、万里に一寸の草もない。全身が赤く爛れるところ、世界の隅々まで隠れているものはない。鳥の飛ぶ道は依る所を忘れ、雲の跡はそれぞれに異なる。まさにこのようであっても、なお妙を究めて宗を失う。だからこそ、天下の人々が皆喜んでいようとも、ただ私だけは肯んじないと言われるのだ。さて、それは何に拠っているのか。」
(しばらく沈黙してから言われた)
「魚が砂の上を動いても、決して清らかな波を乱さない」
上堂して言う。 黙然として輝き、堂堂と現れ、密々と成り立つ。 通じる道は隠れ、互いに回り合い、分け難い。 家風は孤寂、妙明の前にあり、活計は荒虗、玄路の外にある。 もし能く手を放ち、かくの如く去れば、絶後して再び甦る。 身を横たえ、かくの如く来れば、当頭に犯さず。 始めて随変任化、物と推移することを解す。 もし未だ然らずば、雲は影なき樹を蔵し、丹鳳は梧に棲まず。
上堂して言う。言葉の外に宗旨を明らかにし、玄妙の中に真実を弁える。古い帆を掛けずとも、洞水は逆に流れる。黄蘆の渡しで陽春を奏で、偃月の城頭に画角を吹く。ただ異なる苗が繁茂するのみならず、別に円満な音声のあることを知るべし。さらに浮かぶ泡を炒め続けるなかれ、時を乗じて手を放すことを請う。さて、それは誰の分に落ちるというのか。(しばらくして言う)錦繡の溪辺へ去り、新豊の路上に分かれる。
上堂して云く。 清らかで一点の曇りもなく、鏡のようにいつも明るく澄んでいる。 照らしても虚ろになることはなく、すべての現象はそのままに妙なる姿を現す。 細やかな中にもさらに細やかな、雪が尽きて氷が消えるような境地。 功を成し遂げたその功は、自然に現れて完成している。 諸仁者よ、照らすことも鑑みることもない境地があることを知っているか。 (しばらくして云く) 枯れ木に花が咲き乱れ、青草の渡し場は空っぽである。
上堂して云く、不変の境地に安住すべからず。途切れることなき時こそ、さらに手放すを要す。羚羊が角を掛けて、息づかいすらなくなるに至っても、なお化城に滞り、宝所に至らず。さて、混ぜることできず、類を同じくせず、どうすべきか。玉壺に霜の漏れ永く、天外に翠の峰高し。
上堂にて言う。幻は滅びるがゆえに、幻ならざるものは滅びず。光は透かさず、明は徹さず。長歌を吹き起こす棹頭の風。永夜に恣に眠る篷底の月。正にこの時、浮き沈み定まるも、釣りの機密は漏れ出る。三寸離れた鉤に時節を知るべし。既に時節を知るならば、なぜ露柱の口を多く饒舌に任せるのか。(しばらくして言う)却って長蘆が一説を倒す。
上堂にて言う。 休むには、心の底から休みきらねばならぬ。 働くには、微細なところまで行き届かねばならぬ。
丹霄(あかね空)を歩み転じ、 清らかな暁の風が巡る。 野菊は金色を含み、 山川は玉を漱ぐ。
まさにこの時、どうしたら「一念が万年となる」境地に至れるか。
(しばらく沈黙してから言う) 六つの窓(六根)は昼のように明るく、 懸崖より手を放して見よ。
お堂にて説法。
舟は遠くの岸を離れ、風は長き淮水を渡る。 秋の露は襟を満たし、寒き江は目に溢れる。 隠れ現れることで明らかになる。 触れずとも出会う。 両刃に傷つかず。 これこそが道のあり方。 家に着いたら、流れに沿う時節を問うな。
とはいえ、古木の暖かさに戻らなければ、 どうして石の吟ずる声を聞き分けられようか。
上堂して云く。朝晡(朝夕)に飲み食いするも、身を蔵する処なし。乃ち大衆を顧みて曰く。今ただ東辺にも著(つ)き、西辺にも著く。さらに回避することを得る者あらんや。(良久して云く)一時に勘破して了(おわ)ったなり。
上堂して言う。空でありながら霊妙であり、静寂でありながら妙なるもの。明らかで密やかで広大無辺であるが、それでもなお鏡に映し照らすような境地に落ちている。では、鏡に映し照らすような境地に落ちないとはどういうことか。たとえ玄妙な境地を会得したとしても、それすらもなお眼の中の塵に過ぎない。
上堂して言う。第一句を道得すれば、拄杖子に瞞されず。拄杖子を識得するも、なお途中の事なり。どうすれば地頭の一句となるか。
上堂で言われた。「あちこち探しても見つからない。ただ一つの場所だけは、探さなくても自然と見つかる。さて、それはどの一つの場所だろうか。」(しばらく沈黙してから言われた)「賊の心はすでに露わになった。」