江西南康府建昌県鳳棲山同安禅寺語録
師は壬寅の冬、十一月四日に寺院に入られた。
山門。 「古くからの礎は、二十五代の老古錐が建立した解脫の門であった。今日、山の僧が訪ねてくれば、なぜ荒れ果てた跡となっているのか。」 杖で地を一線引きながら言う。 「門なきを法門とし、全身をもって押し入らねばならぬ。」
観音殿。「古仏と呼べば、観音であり、観音と呼べば、また古仏である。さて、結局何と呼ぶべきか?」そう言って深く拝礼した。
韋馱天よ。「護法の善神であるならば、なぜ宝杵を手に持ち、胸には軒轅を掲げているのか?」左右を見回して言う。「礼は君子を守るもの。」
伽藍よ。「この荒れ果てた草むらの一片一片が、あなたの真心の一片一片でなかったなら、どうして今日の朝を迎えられようか? 山の僧も、その真心に背くことはできない。」そう言って、香を焚いた。
ご安心ください。わざわざお訪ねしたのは、あなたの心の屈託を解きほぐすためです。
方丈は座に着かれた。 「この室は歴代の祖師方が難題を解決された場所である。 私はこのような細かいことを言うつもりはない。 なぜなら、『仁を求めれば、仁はここに至る』と説かれているではないか。」
その日、上堂。師は座の前に至り、疏を手に取り、大衆を招いて言われた。 「わかるか?これは黄面の老漢(釈尊)が最後に残した、未解決の公案である。それが諸大護法の筆先に落ち、珠が回り玉が転がるように伝わってきた。今日、特に同安院において、山僧(私)にこの件を結着させようと求められたので、人天の大衆の前で露布(布告)をすることにした。」 疏を差し出して、「もう一度、お読みいただきたい」と言われた。 読み上げが終わると、師は法座を指して言われた。 「宝華王の座、誰が先に登ろうか?たとえ並外れた英霊であろうとも、まともに見ることさえできない。ここに、それで納得しない者はいるか?」 一喝して、そのまま座に登られた。 香を手に取り、言われた。 「この一瓣の香は、ひたすら今上皇帝陛下の万歳・万歳・万々歳を祈念し、その御徳が伏羲・黄帝に匹敵し、その道が堯・舜よりも高からんことを願うものである。 この香は、満朝の文武百官、全国の公卿に捧げ、慈雨のごとき政治を行い、その業績が伊尹・周公に等しからんことを願う。 この香は、省や郡の尊官、本邑の県主、および護法の縉紳・士庶らに捧げ、その爵位が高く昇り、法門の城塹(守り)とならんことを願う。 この香は、旧住の請主、諸山の耆徳らに捧げ、金剛の正智を執り、堅固の願心を立て、皆で破れた砂盆(不完全なもの)を扶け起こし、共に無生等の法忍を証せんことを願う。 この一瓣の香は、明月堂の夜半に伝わり、紫竹林の日午に掲げ出されたものである。二十年間、函に蔵して蠱毒(激しい毒)のごとく、二三度、徹骨の氷霜にさらされた。ひたすら雲居堂上に伝わる臨済正宗第三十世、傘居先師顓愚大和尚のために捧げ、法乳(教えの恩)に報いるものである。」 衣を整え、座に敷かれた。 上首が白椎(槌を打ち鳴らし)して言った。 「法筵の龍象衆、まさに第一義を観るべし。」 師は喝して言われた。 「とっくに第二義になってしまった。いったい、どういうのが第一義なのか?山僧が龍門を出る前が第一義なのか?それとも、同安で上堂することが第一義なのか?二つの道には関わらず、中道は攀縁(執着)を断つ。大衆の中に、よく観る者はいるか?」 龍門の首座が問うた。 「千年の祖席(祖師の法席)が、今日、重ねて興される。正令(真の教え)を高く提げるが、どのように話し合うべきか?」 師は言われた。 「獅子は碧天に杲日(明るい太陽)を呑み、象王は緑水に清風を噛む。」 進んで言う。 「それならば、師象(師匠と象)は今日、関(とどめるもの)もなく、東風が吹き起こして老龍がやって来たということですね。」 師は言われた。 「西江の一滴の水を吸い尽くす。」 進んで言う。 「一滴が乾き枯れて金が井戸から出、吐き洒ぐ秋蟾(秋の月)が玉池に映る。」 師は言われた。 「無孔笛(穴のない笛)を逆さまに持ち、鳳凰が雲を遊ぶように吹き出す。」 進んで言う。 「もしそうなら、師児(師匠の子)は窟に帰ってしまいましたね。」 師は言われた。 「思う存分、跳ね回れ。」 問うた。 「千山は遥かに隔たり、万水は滔滔と流れる。二九の道程(距離)は問わない。入門の一句はどういうものか?」 師はすぐに打った。 進んで言う。 「黄檗禅師もそうされた、和尚もそうされる。さて、同じか違うか、あるのかないのか?」 師は打って言われた。 「黄尚書、李僕射(かつての高官の名。公案の答えとして用いられる)。」 進んで言う。 「それならば、一派の寒風が万壑(多くの谷)に巡り、同安の祖席がまた新たになるということですね。」 師は言われた。 「讃嘆する分がある。」 問うた。 「万法は本来、閑かである。人が自ら騒ぐ。どういうのが自ら騒ぐ句か?」 師は言われた。 「盲人が東の城に入る。」 進んで言う。 「二十五代の老古錐(歴代の祖師)が到来したら、どうやって接待するのですか?」 師は声に随って打ちながら言われた。 「これをもって接待する。」 進んで言う。 「棒の下に無生忍があり、機に臨んで師に譲らない。」 師はまた打って言われた。 「これも第二頭(二番目)だ。」 僧が喝した。 師は言われた。 「もう一度喝してみよ。」 僧が礼をした。 師は言われた。 「まったくの鈍置(鈍い仕打ち)だ。」 そこで払子を一払いして言われた。 「宝鏡が軒に当たり、十方を普く照らす。天を輝かせ地を灼き、古を耀かせ今を騰がせる。このような境地でさえ、まだ金鎖玄関(束縛や関門)であり、まだ衲僧(真の禅僧)の作略(振る舞い)ではない。さて、どういうのが衲僧の作略か?」 突然、拄杖をついて言われた。 「天下の者を一人残らず、頭を破り脳を裂かせることだ。汝ら諸人はどう理解するか?もし黒衣(僧)も白衣(在家)も悟りを得るなら、初めて共に皇風(天子の徳風)を浴び、斉しく仏日(仏の教えの光)に浴することを許そう。もしそうでなければ、行く人の尽きるところは青山であり、青山はさらに行く人の外にある。」 しばらくして、また言われた。 「山僧は道は荒れ徳は薄く、智は浅く行いは疎い。ただ雲の谷に棲み耕すにふさわしく、利生接物(衆生を利益し人と接する)には堪えない。しかしながら、同安の祖席が長く虚しく廃れていたため、本邑の僧会の雲曇老宿が深くこの地が振るわないことを憐れみ、幸い大護法の昆湖廖翁が本府の司理に任ぜられ、旨を奉じて恢復された。翁は『夜半に驚きて香界の夢を回し、今朝は還す我が古き同安』という詩句を詠まれた。その後、曇公が西逝(亡くなられ)、その弟子の中公が謹んで同邑の紳衿(士大夫)および諸山の耆宿と共に越山にて山僧にこの席を主持するよう専ら請われた。その時、監院の眉剣に命じて独力で支えさせ、すでに十年近くになる。今、幸い法堂が輝き、荒れ地もかなり開墾された。また、合省・本邑および諸山の方々から前の請いを重ねて申し出られ、山僧も事、已むを得ず、ただ時節に応えることとした。さて、時節にはどう応えるべきか?」 そこで挙げられた。 「当山の常察禅師に、僧が問うた。『如何なるか是れ鳳棲の家風?』常察は云う。『鳳棲に家風無し。』僧が云う。『既是れ鳳棲、因甚麼(なぜ)に家風無きや?』師は云う。『賓を迎えず、客を待たず。』僧が云う。『恁麼ならば、四海参尋、当に何の事を為すべきや?』師は云う。『盤飣(食物)は自ら傍人の施す有り。』」 師は手に取って言われた。 「この老漢は、たとえ担いで人を渡すとしても、どうして身につけた荷物(執着)を免れられようか?山僧はそうではない。もし問う者がいて、『如何なるか是れ鳳棲の家風?』と言えば、彼に向かって言うだろう。『賓を迎え客を待つ。なぜそうなのか?聞かないか、雲板の響く時、旧座に帰り、大家斉しく口を揃えて新羹を噛む、と。』」 結座して言われた。 「諦かに法王の法を観よ、法王の法は是の如し。」 下座された。
今日、夕方の参禅の時。師は言われた:「昔の人は叢林を建て、宗旨を立てる時、必ずそれを受け継ぐ人がいた。今日、山僧(私)がこの席にふさわしくないのに座り、宗乗(禅の教え)を説くが、一体誰が受け継ぐというのか?大衆の中に知音(理解者)はいるか?」大衆からは誰も出てこなかった。再び言われた:「皆が慈悲を示さないので、山僧は自ら取り上げ、自ら弄ぶしかない。来い来い、私が上手に取り計らってやろう。去れ去れ、彼の跡形もないところへ。来ることもなく、去ることもない。緑の水は常に谷底を流れ、碧雲は時折青山に留まる。」払子を一振りし、言われた:「わかるか?金の井戸に玉の池、碧眼が開く。仏頭峰の髻に円満の音が広がる。」一拍、そのまま立ち去られた。
上堂。僧が問う:「曹洞の祖席、臨済が重ねて興す、正令を全提す。如何にか挙唱すべきか?」師は打って云う:「一棒、老いた古錐を掀げ翻す。」進みて云う:「恁麼ならば、水あるところ皆月を含み、山なきところ雲を帯びず。」師云く:「汝の境界に非ず。」僧は一喝して便に行く。師云く:「喝を用いて作麼す?」一僧出でて、一喝す。師云く:「未だ釣餌を垂れずして、先ず尾鍼を弄ぶ。」進みて云う:「一喝は即ち問わず、如何が是れ第一句か?」師云く:「何をか道う?」「如何が是れ第二句か?」師云く:「道い過ぎたり。」「如何が是れ第三句か?」師云く:「者裏には用い著れず。」僧云く:「直下に分明なり。」師云く:「投子の道う底なり。」問う:「銅頭鉄額、炉鞴重ねて開く、棒喝交馳す。如何にか煆煉すべきか?」師云く:「早く已に一身紅なり。」進みて云う:「把住すれば則ち黄金色を失い、放行すれば則ち瓦礫光を生ず。還た把住是か?放行是か?」師云く:「両頭坐断す。」進みて云う:「臨済初めて黄檗に参じ、三度棒を喫す。因甚麼ぞ大愚の脅下に到って拳を還す?且つ道え、大愚の力を得るか?黄檗の力を得るか?」師云く:「一任に卜度せよ。」乃ち云く:「把住放行已に是れ土を撒き沙を揚ぐるに過ぎず、棒を受け拳を還すは未だ腔板鼓弄を免れず。直饒三句を斉しく収むるも、依然として斗を跳れ出でず。什麼をか人境俱に奪い、棒喝交馳すと道う?会得する者は、始めて水あるところ皆月を含み、山なきところ雲を帯びずと道うことを許す。もし会せずんば、却って第二番の葛藤に向かうなり。」復た杖を豎げて云く:「見るか?」一卓して云く:「聞くか?聞くは耳の聞くに非ず、見るは眼の見るに非ず。眼見すれば則ち瞎し、耳聞すれば則ち聾す。恁麼に会して去れば、方に人天に号令し、佛祖を提持することを得、并せて脅下に拳を還し、三度棒を喫するを知り、能く虎の尾を収め亦虎の頭に踞る。正に好し、仏頭峰上に任往任還し、太子嶺頭に直上直下して、始めて今日に負わず、古音上座が闔省の檀那を領して山に入り斎を設け、此の事を請い揚ぐるに。諸仁者!此の事作麼生にか挙聻すべきか?」復た卓して云く:「別に消息有る時を待ちて、却って伊に向かって吐露せん。」喝一喝して、下座す。
二つの序列を設け、上堂して言われた。 「龍が吟ずれば霧が立ち、虎が嘯けば風が生じる。師子は堂々と巡り、象王は悠然と歩み出す。今日、名を定め位を正し、法の幢を立てる。五つの須弥山を大衆の頭首とし、七つの金山を諸々の列職とし、さらに日月星辰・森羅万象を雲水の禅流とする。廬阜の雲居、南嶽の普陀も、水を汲み運ぶ役目を担う。ここまで至ってこそ、天のように広く覆い、地のように大きく支えることができよう。どうして法の道が広まらぬことを憂えようか。どうして宗風が振るわぬことを恐れようか。諸仁者よ、さてどのような人がこのようにできるというのか」
手を挙げて左右を見回し、言われた。 「孤掌はむやみに鳴らぬ」 下座した。
儲將が山王居士の誕生日を承けて、上堂を請う。問う:「雪は千山を覆い、瓊瑤(美玉)が地に満ちる。瑞景(めでたい景色)が重なり重なることは問わず、慶生(誕生を祝う)の一句を師に請い宣(のたま)わん。」師云く:「曙日(あけぼのの太陽)が地の雪を収めて起こすも、万林(多くの林)はなお旧時の容(すがた)なり。」進みて云く:「慶(よろこび)の中の境色(景色)はいかがか。」師云く:「珠簾(玉のすだれ)は夜雨を捲き、画棟(絵画のような棟)は朝雲に映ず。」進みて云く:「只だ無生(不生不滅)の一句はまたどう生じるか。」師云く:「昨夜の眉毛は地に白く垂れ、明朝(あした)はなお天に青く接す。」進みて云く:「これならば、情あるものと無情のものと一斉に慶讚(祝い讃える)していくことなり。」師云く:「且つ喜べ、上座が証明することを。」乃ち挙げて云く:「物ありて天地に先立ち、形無くして本寂寥(本来静かでもの寂しい)。能く万象の主たり、四時に逐(したが)わず凋(しぼ)まず。古人このように道う、あまりにも骨身を露わにし過ぎたり。それでもなお、且つ王居士の慶祝の一句はどう道うか。」杖を以って一劃し、云く:「亀は緑野に浮かび雲を連れて出で、鶴は秦関(関所)を過ぎ雪を帯びて来る。」下座。
本郷の檀信徒一同が上堂を請うた。問う:「五葉流芳については問いません。臨済の四喝とはどのようなものですか。」師は言う:「一問を挙げよ。」「一喝が金剛王の宝剣の如きとは如何に。」師は打って言う:「未だ匣を出でざる時、光已に露わる。」「一喝が地に踞る師子の如きとは如何に。」師は打って言う:「石人の心胆も寒からんことを須う。」「一喝が探竿影草の如きとは如何に。」師は打って言う:「屈棒を喫する者ありと云うなかれ。」「一喝が一喝の用をなさざるとは如何に。」師は打って言う:「才だ古今に渉れば便ち中らず。」進みて云う:「四喝は已に師の指示を蒙りました。今日の上堂の事は如何に。」師は言う:「紅日正に午に当たり、端的に照らして私無し。」僧は礼をして言う:「然らば則ち千峰斉しく下って拝し、万派尽く朝宗す。」師は言う:「これを瞻り、これを仰げ。」乃ち言う:「千年の祖席、今日重ねて興る。時節既に彰れり、容易に当たるなかれ。二十五代の祖庭の脈運幾ばくか灰に帰し、千百余載の法幢桑田幾ばくか変ず。乃ち無量の大人を得て、棘荊を回らして瓊楼玉殿と成し、草萊を転じて紫壁金沙と為し、遂に海内の衲僧をして仏の慧命を継がしめ、十方の檀信をして己れの霊を頓悟せしむ。赫赫たる光明、沙界に周遍す。如是の如く則ち両輪勝つ莫く、周遍遮る莫し。始に在り終に在りて凝然として一道なり。始めて同安に於いて宗風を扶豎し、祖道を中興することを得べし。還って委悉せんや。」一卓して言う:「三教の聖人同一の轍、当陽未発の機を薦取せよ。」座を下る。
沙彌戒、堂上にお進みください。僧が問う。「草を払い風を眺めることは問わないが、鳳棲が座に昇る事はいかがでしょうか。」師曰く。「立ち位置をはっきりさせよ。」さらに問う。「ただ戒と定がともに顕れるように、沙弥が力を発揮する所はどこか。」師曰く。「今日、袈裟の端を濡らす。」「比丘が身を転じる所はどこか。」師曰く。「明朝、相変わらず西川へ下る。」「菩薩が親密に接する所はどこか。」師曰く。「鉢を托して雲堂を出るのは違う。」さらに問う。「ならば、龍門の夜に千山の雨を広げ、鳳棲の日に万里の天を掛ける。」師曰く。「無駄話だ。」そして言う。「頭蓋にさらに楔を打ち込む、背面を絶つことは許されず、全身で慶快に行くも、やはり判断を重ねねばならぬ。なぜそうなのか。ただ諸人が無始劫よりこの黒漆の縄に足首を縛られ、自由を得られぬからだ。」杖を一突きして言う。「もしここで体得すれば、八万の法門は一瞬にして証され、三壇の大戒は指を弾く間に円満成就する。そうして初めて山僧の袈裟の端が濡れ、相変わらず西川へ下ることを知る。もしそうでなければ、たとえ力を発揮し、身を転じ、親密に接する所があっても、全身で慶快に行こうとするなら、それも鄭州から曹門を出るようなものだ。」一喝し、座を下りる。
比丘戒の儀式にて、上堂を請う。問う:「宗風を広め教えを説き、衆生を導き利益する。毘尼(戒律)の大いなる展開については問わぬ。新たなる一句、いかがなされますか?」師云く:「東山に曙の色現れ、万の谷にことごとく光輝く」。進みて云く:「光輝はひとまず措く。ただ、向上の事、いかに指示されますか?」師云く:「高く眼をつけよ」。進みて云く:「雲は千峰を巻いて碧く、溪流は万派清く流れ去るなり」。師、咄す:「乱れ歩くことなかれ」。
問う:「龍吟き虎嘯いて風雲会い、鳳翥き鸞翔けて日月高し。龍虎鳳鸞については問わぬ。浮山九帯、師に請うて宣べられよ」。師云く:「草木漫ろに労して拈い出す」。進みて云く:「如何なるか是れ仏の正法眼帯?」師云く:「万里晴空雲影尽き、千江平淡波流を截つ」。「如何なるか是れ仏法蔵帯?」師云く:「塵塵立てず全機露れ、法法皆空にして一鏡収む」。「如何なるか是れ事貫帯?」師云く:「街前にて衲を補い連雲に繡い、水を担ぎて溪頭月を帯びて帰る」。「如何なるか是れ理貫帯?」師云く:「古より弟なる者は長と為す可く、从来孝子は爺の名を覆う」。「如何なるか是れ理事縦横帯?」師云く:「蜂は上陽の花を採りて室に到り、蝶は幽径の草を翻して籬に帰る」。「如何なるか是れ屈曲垂帯?」師云く:「塗炭穿たず牙珮の服、郷に帰りて且つ破れたる襴衫を著る」。「如何なるか是れ妙協兼帯?」師云く:「楽を聞きて相忘るる三月の味、始めて知る釣を垂るる深潭に在るを」。「如何なるか是れ金鍼双鎖帯?」師云く:「李白桃紅関えず住まじ、逍遙として上苑に眉を展べて歓ぶ」。「如何なるか是れ平懐常実帯?」師云く:「一片の白雲谷口に起こり、数声の黄鳥泉を帯びて飛ぶ」。
乃ち云く:「今朝、比丘戒を説かんと為し、我先に曲彔床に陞るを請う。聊か諸人の為に一線を通じ、浮山九帯快く承当せよ。もし未だ然らずんば、千里を行かんと欲すれば、一步を初めと為す。向下文長し、且つ三師七証の分付を聴け」。一喝し、下座す。
菩薩戒の授戒の儀式に臨み、堂上に登る。問う:「昔、丹霞は受戒の話を聞くと、なぜ耳を押さえて出て行ったのか?」師曰く:「美食も満腹の人には要らない。」さらに問う:「律には『手で比丘を押す者は波夷提(懺悔すべき罪)なり』とある。では、徳山はなぜ僧を見るとすぐに棒で打ったのか?」師曰く:「一片の真心からだ。」さらに問う:「比丘を罵る者は波夷提なりとある。では、臨済はなぜ僧を見るとすぐに喝をかけたのか?」師曰く:「真心の一片からだ。」さらに問う:「清浄な比丘は生い茂る草を踏まないとある。では、南泉はなぜ猫を斬ったのか?」師曰く:「お前はどこで王老師(南泉)を見たというのか?」そして曰く:「経には『衆生が仏の戒を受ければ、すなわち諸仏の位に入り、位が大覚と同じになったならば、真実の諸仏の子である』とある。とはいえ、これではただ仏に入るだけで、まだ魔に入ることはできない。なぜか?衆生が仏の戒を受けなくても、すでに諸仏の位に入っていることを知らないからだ。だからこそ、臨済や徳山は波夷提と呼ばれても構わず、丹霞や南泉はいつだって清浄な行いではないか?この意味がわかれば、霊機禅人の懇請に応えてこのことを説くに恥じない。もしそうでなければ、別に考えをめぐらせていくがよい。」そこで挙げる:「中邑洪恩禅師が仰山の受戒の挨拶を受けたとき、恩は禅床の上で手を叩いて言った:『鳴くか、鳴くか。』仰は東から西へ、西から東へと歩き、中央に立ってから受戒の挨拶をした。恩が『どこでこの三昧を得たのか?』と問うと、仰は『曹溪の印子から脱したのです』と答えた。恩が『曹溪はこの三昧でどんな人を導いたと思う?』と尋ねると、仰は『一宿覚を導きました』と答えた。仰がさらに恩に『和尚はどこでこの三昧を得られたのですか?』と問うと、恩は『私は馬大師のもとで得た』と答えた。」師曰く:「この二人の老いたる者も、欠点は少なくない。もし今日、誰かが『山僧はどこでこの三昧を得たのか?』と問うならば、背中を一棒打って言うだろう:『曹溪から得たのでもなく、馬大師から来たのでもない。』」喝を一つかけ、座を下りる。
結制の儀式、上堂。問う:「大いに炉鞴を開き、聖と凡を鍛え練る。しかるに、本分の衲僧が到来すれば、どうやって鍛えるというのか?」師曰く:「お前は本分の者ではない。」進みて云う:「鉗鎚で仏祖を鍛えるには、必ず作家でなければならぬ。如何なるかが作家であるか?」師曰く:「人を殺しても瞬きせぬ。」進みて云う:「ならば、干戈を動かさずして太平を定めるというわけだ。」師曰く:「足下を見よ。」僧、一喝す。師曰く:「まことに然り。」問う:「祖令の行われることは問わず、作家同士の相見は如何なるものか?」師、打って云う:「伯牙と子期、閑なる相識にあらず。」乃ち云う:「諸方は十月十五に結制す。同安は却って諸方と別なり。試みに問う、その中の事いかん?因縁相まさにこの時節に値う。時節はさておき、只今、今日、炉を開くは何れの辺りの事を明らかにするか?」良久して、云う:「炉に満ちて炭を添えても猶冷たしと嫌い、路上の行人空しく寒さを守る。参れ!」