隋祖智者說摩訶止觀約四種三昧示諸經行法讀者雖眾修者無幾何為其然乎以人根膚淺法味漓薄從師勞於名相事佛懈於資熏故十觀成乘五悔助道僅存空言矣予切於講習之暇務求課念之益因發經藏得如意輪呪凡四本詳其文實同出而異譯也(一實叉難陀此云覺喜唐天后久視元年譯八紙二阿彌真那此云寶思惟中宗神龍二年譯七紙三唐天后代三藏法師義淨譯三紙四唐天竺三藏法師菩提流志此云覺愛譯十九紙)章句既簡方軌且約遮惡可以盡三障持善可以具二嚴先天竺法師諱遵式常觀此經知利物之要特愛義淨所譯呪辭易誦乃鏤板模印詒厥四軰然而淨譯頗略所說法式但云攝心口誦至於事儀觀想曾未點示受持之際意或缺如今輒采諸文為之補助原始洎末緫成七科一法式二觀想三禮讚四持誦五懺願六證驗七釋疑斯皆沿襲本經使源流之不別放則先制貴箕裘之有在知罪于我以俟來哲云。
隋の祖師である智者大師が説かれた『摩訶止観』では、四種の三昧によって多くの経典の修行法が示されています。読者は多いものの、実際に修行する者はほとんどいません。なぜでしょうか?それは、人々の素質が浅く、教えの味わいが薄まっているからです。師について学んでも名相に苦労し、仏に仕えても積む功徳がおろそかになっています。そのため、十観によって乗を成し、五悔によって道を助けるという教えも、ただ空しい言葉となっています。
私は講義や学習の合間に、日々の読誦による功徳を求めることに努めました。そこで経蔵を開き、『如意輪呪』を全てで四本見つけました。詳しく調べると、その内容は同じものから出ているものの、訳が異なっています。 (一、実叉難陀(これは覚喜と訳す)が、唐の天后・久視元年に訳したもの。八紙。 二、阿弥真那(これは宝思惟と訳す)が、中宗・神龍二年に訳したもの。七紙。 三、唐の天后の代の三蔵法師・義浄が訳したもの。三紙。 四、唐の天竺三蔵法師・菩提流志(これは覚愛と訳す)が訳したもの。十九紙。) 章句は簡潔で、修行の仕方も簡約です。悪を防ぐことで三障を尽くし、善を保つことで二厳を備えることができます。
先に亡くなられた天竺の法師・遵式師は、常にこの経典を拝し、衆生を利益する要であると知っていました。特に義浄訳の呪文が唱えやすいと愛用し、版木に彫って印刷し、四衆に伝えました。しかし、義浄訳はかなり簡略で、説かれた方法はただ「心を落ち着けて口で唱える」とあるのみで、具体的な作法や観想については全く示されていません。そのため、受持する際に意味が分かりにくい面があります。
そこで今、諸々の文を採り集めて補助とし、初めから終わりまでを総合して七つの項目としました。一、作法。二、観想。三、礼讃。四、持誦。五、懺願。六、証験。七、疑いの解消。 これらはすべて本経に依拠し、源流が異ならないようにしたものです。また、先人の作った慣例に従い、その業績を継承することに努めました。過ちがあれば私に責任があり、未来の賢者たちの判断を待ちます。