天岸昇禅師語録 巻第四
侍者溢元の記録
青州大覚禅院での説法録
上堂。飯頭が問う:「大事が明らかでないとき、どう修行すればよいのでしょうか?」師は言う:「ご飯はよく炊きなさい。」さらに問う:「大事が明らかになった後は、どう行動すればよいのでしょうか?」師は言う:「食事は腹加減を知りなさい。」さらに言う:「法施を喜んで受け、人天に利益を与えたい。」師は言う:「三十年馬を操っていたのに、今日は驢馬にやられてしまった。」
そして言う:「三十年馬を操っていたのに、今日は驢馬にやられてしまった。一撃で倒され、誰も助け起こす者がいない。」杖を突き立て、言う:「幸い杖が力を貸して支えてくれた。さもなければ、金剛輪際までまっさかさまに転げ落ち、足を止める場所もなかっただろう。この時に臨済に会ったら、三千里も後退しなければならない。徳山に会ったら、さらに別の道を譲ってやらねばならない。杖が言う:『長老よ、長老よ、普段は強情に仏祖を押さえつけていたのに、今日はどうしてこんなにへりくだっているのか?』はははと笑って言う:『杖よ、お前は知らないだろうが、自分を退けて人に譲るのもまた大丈夫のすることなのだ。』」
晩参の時、師は言われた。「あなた方、今ここにいる皆は、私の弟子である。私の弟子であるなら、皆、家の中の人である。家の中の人であるなら、家の中のものはすべて見ているはずだ。家の中のものがすべて見えているなら、遠慮して客扱いする必要はない。遠慮して客扱いしないなら、お茶があればお茶を飲み、ご飯があればご飯を食べ、寝床があれば寝床で寝、寝床がなければ床を敷いて寝る。豊かさも質素さもその時々に応じて、客寮で過ごせばよい。では、この山僧はどうするのか?会っても別に用事はないが、来ないとまた君のことを思い出すのだ。」
上堂。問:「住世春秋八十五、清らかな溪流の明月が禅心を照らす。今は老いぼれてよろよろしているけれど、真人は古びずに新たであることを喜ぶ。」師曰く:「老いてますます盛ん。」進んで云う:「長い古道には行人少なく、徳雲は常に妙高峰にあり。善財童子が頂上に至って初めて親しく見る。悟らぬ凡流にはどうしてその跡が見えようか。」師曰く:「八十の翁が繍毬を転がすようだ。」
問:「斎会の慶讃に、多くの参詣者が雲のように集い、大覚の宗風を、どうか師匠が示してください。」
師は言われた:「普同供養と唱えよ。」そして続けられた:「大覚に至る前は、疑うのも無理はない。しかし、いったん大覚に至れば、氷が解けるようにすべてが消え去る。なぜか?大覚に至る前は、山の僧に三つの頭と六つの腕があると思っていたかもしれない。しかし、実際に来てみれば、ただ弱々しい田舎の僧がいるだけだ。山の僧は本当に人と変わるところはなく、人もまた山の僧と変わるところはないのだ。皆さんは普段、空腹になればご飯を食べ、眠くなれば眠り、歩くときは歩き、座るときは座る。座っているときには歩いているときの理屈はなく、歩いているときには座っているときの理屈はない。眠っているときには目覚めているときの理屈はなく、目覚めているときには眠っているときの理屈はない。満腹のときには空腹のときの理屈はなく、空腹のときには満腹のときの理屈はない。それぞれが互いに交わらず、お互いに知ることがない。諸法には自性がなく、本来空寂であるからだ。それなのに、なぜここに来て『わからない』と言うのか?凡夫の法を会得すれば、それが聖人の法となる。聖人の法を識れば、それが凡夫の法となる。凡夫と聖人は、本来二つではない。ただ憎しみや執着を離れれば、明らかにわかる。とはいえ、それでもなお、転身の一句を知る必要がある。転身の一句とは何か?それぞれ堂に帰ってお茶を飲むことだ。」
晩参の時。「賊は小人だが、智は君子を超える。山僧(私)は今晩、あなた方のために賊を捕まえに行こう。釈迦老子は賊の首領、毘盧遮那は賊の本体、文殊は賊の智恵、普賢は賊の足、観音は賊の耳、勢至は賊のはたらき、迦葉と阿難は賊の通訳、三賢十聖は賊の使い走り、達磨は賊の息子、臨済と徳山は賊の遠い孫。さて、この賊たちは一体何を盗んだというのか?あなた方の目を盗んで明珠として使い、耳を盗んで金の輪として使い、鼻の穴を盗んで筆筒として使い、舌を盗んで黄葉(偽りの言葉)として使い、頭蓋骨を盗んで尿器として使い、手足を盗んで払子として使い、体を盗んでロバの鞍として使い、心肝五臓を盗んで膾炙(料理)として使った。あなた方はすっかり盗まれているのに、まだ気づかず知らずだ。今晩、盗品は目の前にあり、賊の自白もすんでいる。さあ、あなた方で判断してみよ。もし判断できれば、東隅を失い桑榆を得る(一つの損失を他の利益で補う)と言えよう。判断できなければ、哀れなことに代々の立派な家柄が、賊の手にかかって商品にされてしまうだけだ。」
晩の参禅。昨夜、山僧は夜中まで眠っていたが、一人の禅修行者が騒がしく、自分を静めることもできず、山僧に一掴みで捕らえられた。それは大きな蚤であった。観音菩薩が布団の中から顔を出し、手を叩いて大笑いし、言った。「明るい時も合う、暗い時も合う。」と。喝を一声かけ、言う。「山僧がその場で喝をかけて、大鉄囲山に投げつけた。さて、過ちはどこにあるのか?」
晩の参禅の時、師が言われた。 「口を動かさずに、一言、道ってみよ。」 一人の僧が進み出て礼をし、自分の席に立った。 師は言われた。「もう八刻も遅い。」 別の僧が進み出て、座をひっくり返す勢いを見せた。 師は連打で棒を振り、追い返した。 そして振り返って言われた。 「鯨や鮫を釣り上げる巨きな釣り竿に慣れた者が、 どうして蛙が泥を踏みしめるような小細工を憐れむことがあろうか。」
晩の参禅。杖を掲げて言う、「この杖は、時には千金の価値があり、時には一文の値打ちもない。時には縦横無尽に振るわれ、時には抑えつけられる。時には見当違いの打撃となり、時には厳密に計られる。時には強者に弱く、時には弱者に強く当たる。さて、その利害はどこにあるのか?」と。杖を一突きして言う、「洞を出て以来敵手なく、人を許すところでは人を許す」と。
晩参。「今日、山門を散策していたところ、一人の男が驢馬に逆さまに乗り、家路を急いでいるのを見た。鞭を振るえば振るうほど、歩みは速まるが、家からは遠ざかり、ついには溝に落ちてしまった。そこで、雪峰は毬を転がしてその行く手を塞ぎ、禾山は太鼓を打ってその精神を奮い立たせ、祕魔は叉を掲げて驢馬の首を押さえ、徳山は棒を手に取り要所を指し示したが、結局、彼を動かすことはできなかった。さらに、南嶽の牛を引いて牽かせ、大雄の虎を駆って追い立てても、やはり元のままだった。そばに一人の者が彼に向かって言った。『ただ驢馬の頭を向き直せば、自然と手間はかからない』と。すると彼は突然、疑念を抱き、言った。『驢馬の頭を向き直せば、私の頭は逆を向いてしまう』と。また別の者が彼に向かって言った。『お前の頭を向き直せば、自然と道に沿って家に帰れる』と。すると彼は再び疑念を生じ、言った。『私の頭を向き直せば、驢馬の頭は逆を向いてしまう』と。山僧は笑いをこらえきれず、彼に向かって言った。『ただ順に乗って帰ればよい』と。大衆よ!驢馬の頭を向き直せば人の頭は背を向け、人の頭を向き直せば驢馬の頭は背を向ける。順に乗って帰れば、指南は貴ばれない。すでに順に乗って帰るならば、なぜ指南が貴ばれないのか?広々とした一本の官道、誰が目を曇らせて来たというのか?」
開炉の儀式、晩の参禅。問う:「明日の開炉は問わないが、趙州の四仏についてお聞かせください。」 師曰く:「『仏』という字は、私は聞きたくない。」 さらに問う:「金仏が炉を通らないとはどういうことですか?」 師曰く:「鍛えることができない。」 「木仏が火を通らないとはどういうことですか?」 師曰く:「焼くことができない。」 「泥仏が水を通らないとはどういうことですか?」 師曰く:「濡らすことができない。」 「真仏が屋内に坐すとはどういうことですか?」 師曰く:「動かすことができない。」 さらに問う:「四仏についてはすでにご指示いただきましたが、同じ弦で別の調べを奏でる時はどうなりますか?」 師曰く:「仏のいないところには住まず、仏のいるところは急いで通り過ぎよ。」 さらに問う:「金輪が一回転すれば天地が定まり、これより家に帰って太平を楽しむ。」 師曰く:「仏のいないところで尊大に振る舞う。」 そして言う:「世界が一尺広ければ、火炉も一尺広い。世界が一丈広ければ、火炉も一丈広い。そうなると世界はすべて火炉に占め尽くされてしまうが、諸君はどこに身を置き、命を立てるのか?ここに一つの眼を据えることができれば、三世の諸仏は炎の上で大法輪を転じる。もしそうでなければ、炎が三世の諸仏を焼き殺してしまう。」
上堂。問われた。「向上の宗乗は問わず、開炉の一句はいかがですか。」師は言われた。「河は音なく、狐が渡り始める。」進んで言う。「学人はそうはしません。」師は言われた。「お前、試しにでたらめを言ってみよ。」進んで言う。「みんなで輪になって、無生の話を語り合いましょう。」師は言われた。「無生の話とは何か。」僧が一喝した。師は言われた。「やみくもに喝ばかりするな。」
問:「人は皆、本来から備わっており、一人一人欠けるところはありません。大覚が炉を開いて、一体何を鍛錬するのでしょうか?」
師曰く:「一言既に出でれば、駟馬も追う能わず。」
進みて云く:「それならば、草鞋を踏み破って探し求めるも見つからず、得たものは全く工夫を要しません。」
師曰く:「お前が工夫を要しないと言うその言葉は、どういうものか?」
進みて云く:「皆で精神を奮い立たせて行き、霊山の大徹堂に親しく至ります。」
師曰く:「あまりに力を費やしすぎている。」
進みて云く:「師のご返答に感謝いたします。」
師曰く:「善し悪しもわからぬ者よ。」
問:「今日の結制は、一体何のためですか?」 師は言われた:「馬の頭に角を探すようなものだ。」 そして続けられた:「今日、大覚寺で開炉の儀を行い、龍神と土地神に申し上げる。一つには、僧堂に災難なく平穏であること。二つには、修行僧たちが病まず悩まずあること。三つには、朝夕の粥と飯が十分にあること。四つには、役僧たちが大小和合してあること。さらに一つあるが、山僧には言い表せない。なぜなら、一字が公の門に入れば、九頭の牛でも引き戻せぬからだ。」
晩の参禅。
羅山の剣を帯び、石鞏の弓を引き、西河の師子にまたがり、長沙の大虫を射る。 宝岸ことごとく踏み倒し、狐兎死して跡なし。 意気あり、豪雄を添う。 年来老いて大いに慵甚し、順朱村院に従いて蒙童を教う。 蒙童よ蒙童、祖翁を辱しむるなかれ。 子我を搆えず、我が心忡忡たり。 我が悠懐、衷に熱く炙る。 惟れ子憫み念い、及第して心空ならんことを。