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title: "天岸昇禪師語錄 · 第四"
description: "天岸昇禪師語錄是清代禪宗高僧天岸昇的法語記錄，由弟子元玉等人編纂。該書成於清初，反映了當時禪宗在中國的傳承與發展狀況。內容主要收錄昇禪師的開示、機鋒語句及修行指導，體現了臨濟宗直指人心、見性成佛的禪風。作為清代禪宗重要文獻，此語錄不僅傳承了唐宋以來的禪學精髓，更展現了禪師應機施教的實踐智慧，對研究明清佛教思想與禪宗語錄體系的演變具有重要價值，是了解清代禪宗不可多得的原始典籍。"
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## 天岸昇禪師語錄卷第四

> 天岸昇禅師語録 巻第四

侍者溢元記錄

> 侍者溢元の記録

住青州大覺禪院語錄

> 青州大覚禅院での説法録

上堂。飯頭問：「大事不明，如何修攝？」師云：「飯要煮得熟。」進云：「大事既明，如何行履？」師云：「喫飯要知饑飽。」進云：「喜餐法施利人天。」師云：「三十年弄馬騎，今日卻被驢子撲。」乃云：「三十年弄馬騎，今日卻被驢子撲，一撲撲倒地，無人扶得起。」卓拄杖，云：「幸賴拄杖子著力撐住，不然直跌倒金剛輪際尚無歇腳處在。此時若遇臨濟，便須倒退三千里；若見德山，更須別路讓它還。拄杖子道：『長老！長老！平日硬糾糾地生按佛祖，今日如何者般委蛇？』呵呵笑云：『拄杖子！你卻不知退己讓人也是大丈夫事。』」

> 上堂。飯頭が問う：「大事が明らかでないとき、どう修行すればよいのでしょうか？」師は言う：「ご飯はよく炊きなさい。」さらに問う：「大事が明らかになった後は、どう行動すればよいのでしょうか？」師は言う：「食事は腹加減を知りなさい。」さらに言う：「法施を喜んで受け、人天に利益を与えたい。」師は言う：「三十年馬を操っていたのに、今日は驢馬にやられてしまった。」 そして言う：「三十年馬を操っていたのに、今日は驢馬にやられてしまった。一撃で倒され、誰も助け起こす者がいない。」杖を突き立て、言う：「幸い杖が力を貸して支えてくれた。さもなければ、金剛輪際までまっさかさまに転げ落ち、足を止める場所もなかっただろう。この時に臨済に会ったら、三千里も後退しなければならない。徳山に会ったら、さらに別の道を譲ってやらねばならない。杖が言う：『長老よ、長老よ、普段は強情に仏祖を押さえつけていたのに、今日はどうしてこんなにへりくだっているのか？』はははと笑って言う：『杖よ、お前は知らないだろうが、自分を退けて人に譲るのもまた大丈夫のすることなのだ。』」

晚參。「汝等現前一眾盡是吾弟子也。既是吾弟子，則盡家裏人也；既是家裏人，則家中所有已盡見也；家中所有既已盡見，則不可客氣相待也；既不客氣相待，則有茶喫茶、有飯喫飯，有床睡床、無床打舖，豐儉隨時，客寮發付。然則山僧卻又如何？相見又無事，不來還憶君。」

> 晩参の時、師は言われた。「あなた方、今ここにいる皆は、私の弟子である。私の弟子であるなら、皆、家の中の人である。家の中の人であるなら、家の中のものはすべて見ているはずだ。家の中のものがすべて見えているなら、遠慮して客扱いする必要はない。遠慮して客扱いしないなら、お茶があればお茶を飲み、ご飯があればご飯を食べ、寝床があれば寝床で寝、寝床がなければ床を敷いて寝る。豊かさも質素さもその時々に応じて、客寮で過ごせばよい。では、この山僧はどうするのか？会っても別に用事はないが、来ないとまた君のことを思い出すのだ。」

上堂。問：「住世春秋八十五，清谿明月炤禪心，而今潦倒龍鍾甚，且喜真人無故新。」師云：「老當益壯。」進云：「悠悠古道行人少，德雲常在玅高峰，善財到頂方親見，未悟凡流那見蹤？」師云：「八十翁翁滾繡毬。」

> 上堂。問：「住世春秋八十五、清らかな溪流の明月が禅心を照らす。今は老いぼれてよろよろしているけれど、真人は古びずに新たであることを喜ぶ。」師曰く：「老いてますます盛ん。」進んで云う：「長い古道には行人少なく、徳雲は常に妙高峰にあり。善財童子が頂上に至って初めて親しく見る。悟らぬ凡流にはどうしてその跡が見えようか。」師曰く：「八十の翁が繍毬を転がすようだ。」

問：「因齋慶贊，萬指雲臻，大覺宗風，請師舉唱。」師云：「念箇普同供養。」乃云：「未到大覺，不妨疑著；既到大覺，瓦解冰消。何故？未到大覺，將謂山僧有三頭六臂；及至到來，祇見痿痿羸羸箇村僧。山僧實無異乎人，人亦無異乎山僧也。諸人尋常饑時喫飯、困來打眠，行便行、坐便坐，坐時無行時底道理、行時無坐時底道理，睡時無醒時底道理、醒時無睡時底道理，飽時無饑時底道理、饑時無飽時底道理，彼彼不相到、各各不相知，諸法無自性，本來空寂故，因甚到此卻言不會？會得凡夫法即是聖人法，識得聖人法即是凡夫法。凡之與聖，本來不二，但莫憎愛，洞然明白。然雖如是，更須知有轉身句子。如何是轉身句子？各各歸堂喫茶。」

> 問：「斎会の慶讃に、多くの参詣者が雲のように集い、大覚の宗風を、どうか師匠が示してください。」 師は言われた：「普同供養と唱えよ。」そして続けられた：「大覚に至る前は、疑うのも無理はない。しかし、いったん大覚に至れば、氷が解けるようにすべてが消え去る。なぜか？大覚に至る前は、山の僧に三つの頭と六つの腕があると思っていたかもしれない。しかし、実際に来てみれば、ただ弱々しい田舎の僧がいるだけだ。山の僧は本当に人と変わるところはなく、人もまた山の僧と変わるところはないのだ。皆さんは普段、空腹になればご飯を食べ、眠くなれば眠り、歩くときは歩き、座るときは座る。座っているときには歩いているときの理屈はなく、歩いているときには座っているときの理屈はない。眠っているときには目覚めているときの理屈はなく、目覚めているときには眠っているときの理屈はない。満腹のときには空腹のときの理屈はなく、空腹のときには満腹のときの理屈はない。それぞれが互いに交わらず、お互いに知ることがない。諸法には自性がなく、本来空寂であるからだ。それなのに、なぜここに来て『わからない』と言うのか？凡夫の法を会得すれば、それが聖人の法となる。聖人の法を識れば、それが凡夫の法となる。凡夫と聖人は、本来二つではない。ただ憎しみや執着を離れれば、明らかにわかる。とはいえ、それでもなお、転身の一句を知る必要がある。転身の一句とは何か？それぞれ堂に帰ってお茶を飲むことだ。」

晚參。「賊是小人，智過君子。山僧今晚為汝諸人捉賊去也。釋迦老子是賊首，毗盧遮那是賊體，文殊是賊智，普賢是賊腳，觀音是賊耳，勢至是賊用，迦葉、阿難是賊通事，三賢十聖是賊走使，達磨是賊兒子，臨濟、德山是賊遠孫。且道：者班賊漢曾盜甚麼來？盜汝諸人眼睛作明珠使、盜諸人耳朵作金環使、盜諸人鼻孔作筆筒使、盜諸人舌頭作黃葉使、盜諸人髑髏作溺器使、盜諸人手足作拂塵使、盜諸人體段作驢鞍橋使、盜諸人心肝五臟作膾炙使，諸人總被它盜完了猶自不覺不知。今晚賊贓現在、賊款已供，諸人試判斷看。若判斷得，可謂失之東隅，得之桑榆；判斷不得，可憐歷代好簪纓，剛被賊家作行貨。」

> 晩参の時。「賊は小人だが、智は君子を超える。山僧（私）は今晩、あなた方のために賊を捕まえに行こう。釈迦老子は賊の首領、毘盧遮那は賊の本体、文殊は賊の智恵、普賢は賊の足、観音は賊の耳、勢至は賊のはたらき、迦葉と阿難は賊の通訳、三賢十聖は賊の使い走り、達磨は賊の息子、臨済と徳山は賊の遠い孫。さて、この賊たちは一体何を盗んだというのか？あなた方の目を盗んで明珠として使い、耳を盗んで金の輪として使い、鼻の穴を盗んで筆筒として使い、舌を盗んで黄葉（偽りの言葉）として使い、頭蓋骨を盗んで尿器として使い、手足を盗んで払子として使い、体を盗んでロバの鞍として使い、心肝五臓を盗んで膾炙（料理）として使った。あなた方はすっかり盗まれているのに、まだ気づかず知らずだ。今晩、盗品は目の前にあり、賊の自白もすんでいる。さあ、あなた方で判断してみよ。もし判断できれば、東隅を失い桑榆を得る（一つの損失を他の利益で補う）と言えよう。判断できなければ、哀れなことに代々の立派な家柄が、賊の手にかかって商品にされてしまうだけだ。」

晚參。「昨晚山僧睡至中夜，有一禪和子喧喧嚷嚷，不自寧戢，被山僧一手擒來，卻是一枚大獦蚤。觀世音菩薩在被窩裏出頭撫掌，呵呵大笑，道：『明頭也合，暗頭也合。』」喝一喝，云：「被山僧當時喝住，眨向大鐵圍山去也。且道過在甚麼處？」

> 晩の参禅。昨夜、山僧は夜中まで眠っていたが、一人の禅修行者が騒がしく、自分を静めることもできず、山僧に一掴みで捕らえられた。それは大きな蚤であった。観音菩薩が布団の中から顔を出し、手を叩いて大笑いし、言った。「明るい時も合う、暗い時も合う。」と。喝を一声かけ、言う。「山僧がその場で喝をかけて、大鉄囲山に投げつけた。さて、過ちはどこにあるのか？」

晚參。「不動脣皮，道一句看。」一僧出作禮，依位而立，師云：「已遲八刻。」一僧出作掀座勢，師連棒打退，轉身，云：「慣釣鯨鯢沈巨浸，卻憐蛙步輾泥沙。」

> 晩の参禅の時、師が言われた。 「口を動かさずに、一言、道ってみよ。」 一人の僧が進み出て礼をし、自分の席に立った。 師は言われた。「もう八刻も遅い。」 別の僧が進み出て、座をひっくり返す勢いを見せた。 師は連打で棒を振り、追い返した。 そして振り返って言われた。 「鯨や鮫を釣り上げる巨きな釣り竿に慣れた者が、 どうして蛙が泥を踏みしめるような小細工を憐れむことがあろうか。」

晚參。拈拄杖，云：「拄杖子有時價重千金、有時分文不值，有時七縱八橫、有時抑抑逼逼，有時盲枷瞎棒、有時銖兩分明，有時逢彊即弱、有時遇弱即彊。且道：利害在甚麼處？」卓一下，云：「自出洞來無敵手，得饒人處且饒人。」

> 晩の参禅。杖を掲げて言う、「この杖は、時には千金の価値があり、時には一文の値打ちもない。時には縦横無尽に振るわれ、時には抑えつけられる。時には見当違いの打撃となり、時には厳密に計られる。時には強者に弱く、時には弱者に強く当たる。さて、その利害はどこにあるのか？」と。杖を一突きして言う、「洞を出て以来敵手なく、人を許すところでは人を許す」と。

晚參。「今日山門閒行，見一丈夫倒騎驢子，欲回家舍，鞭策愈急，步趨愈遠，遂至墮阬落塹。由是，雪峰輥毬塞其去路，禾山打鼓奮其精神，祕魔擎叉叉其驢項，德山拈棒指其要津，到底莫能動彈，復牽以南嶽之牛、驅以大雄之虎，依然如故。傍有一人向它道：『只須掇轉驢頭，自然不費周折。』其人忽自疑，道：『掇轉驢頭，我頭復背。』又有一人向它道：『汝頭掇轉，自然順路歸家。』其人復生疑，道：『我頭掇轉，驢頭復背。』山僧忍俊不禁，向它道：『只須順騎而歸。』大眾！掇轉驢頭、人頭復背，人頭掇轉、驢頭復背，順騎而歸，指南不貴。既是順騎而歸，因甚指南不貴？蕩蕩一條官驛路，何人昧卻眼睛來？」

> 晩参。「今日、山門を散策していたところ、一人の男が驢馬に逆さまに乗り、家路を急いでいるのを見た。鞭を振るえば振るうほど、歩みは速まるが、家からは遠ざかり、ついには溝に落ちてしまった。そこで、雪峰は毬を転がしてその行く手を塞ぎ、禾山は太鼓を打ってその精神を奮い立たせ、祕魔は叉を掲げて驢馬の首を押さえ、徳山は棒を手に取り要所を指し示したが、結局、彼を動かすことはできなかった。さらに、南嶽の牛を引いて牽かせ、大雄の虎を駆って追い立てても、やはり元のままだった。そばに一人の者が彼に向かって言った。『ただ驢馬の頭を向き直せば、自然と手間はかからない』と。すると彼は突然、疑念を抱き、言った。『驢馬の頭を向き直せば、私の頭は逆を向いてしまう』と。また別の者が彼に向かって言った。『お前の頭を向き直せば、自然と道に沿って家に帰れる』と。すると彼は再び疑念を生じ、言った。『私の頭を向き直せば、驢馬の頭は逆を向いてしまう』と。山僧は笑いをこらえきれず、彼に向かって言った。『ただ順に乗って帰ればよい』と。大衆よ！驢馬の頭を向き直せば人の頭は背を向け、人の頭を向き直せば驢馬の頭は背を向ける。順に乗って帰れば、指南は貴ばれない。すでに順に乗って帰るならば、なぜ指南が貴ばれないのか？広々とした一本の官道、誰が目を曇らせて来たというのか？」

開爐，晚參。問：「明旦開爐即不問，趙州四佛請宣揚。」師云：「『佛』之一字，吾不喜聞。」進云：「如何是金佛不度爐？」師云：「鍛不得。」「如何是木佛不度火？」師云：「燒不得。」「如何是泥佛不度水？」師云：「溼不得。」「如何是真佛屋裏坐？」師云：「動不得。」進云：「四佛已蒙師指示，同絃別調時如何？」師云：「無佛處不得住，有佛處急走過。」進云：「金輪一舉乾坤定，自此歸家享太平。」師云：「無佛處稱尊。」乃云：「世界闊一尺，火爐闊一尺；世界闊一丈，火爐闊一丈。與麼則世界總被火爐占盡了也，諸人向甚麼處安身立命？若者裏著得隻眼，三世諸佛在火燄上轉大法輪；其或未然，火燄燒殺三世諸佛。」

> 開炉の儀式、晩の参禅。問う：「明日の開炉は問わないが、趙州の四仏についてお聞かせください。」 師曰く：「『仏』という字は、私は聞きたくない。」 さらに問う：「金仏が炉を通らないとはどういうことですか？」 師曰く：「鍛えることができない。」 「木仏が火を通らないとはどういうことですか？」 師曰く：「焼くことができない。」 「泥仏が水を通らないとはどういうことですか？」 師曰く：「濡らすことができない。」 「真仏が屋内に坐すとはどういうことですか？」 師曰く：「動かすことができない。」 さらに問う：「四仏についてはすでにご指示いただきましたが、同じ弦で別の調べを奏でる時はどうなりますか？」 師曰く：「仏のいないところには住まず、仏のいるところは急いで通り過ぎよ。」 さらに問う：「金輪が一回転すれば天地が定まり、これより家に帰って太平を楽しむ。」 師曰く：「仏のいないところで尊大に振る舞う。」 そして言う：「世界が一尺広ければ、火炉も一尺広い。世界が一丈広ければ、火炉も一丈広い。そうなると世界はすべて火炉に占め尽くされてしまうが、諸君はどこに身を置き、命を立てるのか？ここに一つの眼を据えることができれば、三世の諸仏は炎の上で大法輪を転じる。もしそうでなければ、炎が三世の諸仏を焼き殺してしまう。」

上堂。問：「向上宗乘即不問，開爐一句是如何？」師云：「河無聲，狐始渡。」進云：「學人則不然。」師云：「你試亂統看。」進云：「大家團圞頭，共說無生話。」師云：「如何是無生話？」僧一喝，師云：「胡喝亂喝。」

> 上堂。問われた。「向上の宗乗は問わず、開炉の一句はいかがですか。」師は言われた。「河は音なく、狐が渡り始める。」進んで言う。「学人はそうはしません。」師は言われた。「お前、試しにでたらめを言ってみよ。」進んで言う。「みんなで輪になって、無生の話を語り合いましょう。」師は言われた。「無生の話とは何か。」僧が一喝した。師は言われた。「やみくもに喝ばかりするな。」

問：「人人本具，箇箇不無，大覺開爐，又煆煉箇甚麼？」師云：「一言既出，駟馬難追。」進云：「恁麼則蹋破艸鞋無覓處，得來全不費工夫。」師云：「如何是你不費工夫底句子？」進云：「大家抖擻精神去，親到靈山大徹堂。」師云：「太費力生。」進云：「謝師畣話。」師云：「好惡不識。」

> 問：「人は皆、本来から備わっており、一人一人欠けるところはありません。大覚が炉を開いて、一体何を鍛錬するのでしょうか？」 師曰く：「一言既に出でれば、駟馬も追う能わず。」 進みて云く：「それならば、草鞋を踏み破って探し求めるも見つからず、得たものは全く工夫を要しません。」 師曰く：「お前が工夫を要しないと言うその言葉は、どういうものか？」 進みて云く：「皆で精神を奮い立たせて行き、霊山の大徹堂に親しく至ります。」 師曰く：「あまりに力を費やしすぎている。」 進みて云く：「師のご返答に感謝いたします。」 師曰く：「善し悪しもわからぬ者よ。」

問：「今朝結制，端為何事？」師云：「馬頭覓角。」乃云：「今朝大覺開爐，奉告龍神土地：一、要叢林無難無災，二、要禪流少病少惱，三、要二時粥足飯足，四、要執事大小和諧。更有一要，山僧不能說得。何故？一字入公門，九牛拔不出。」

> 問：「今日の結制は、一体何のためですか？」 師は言われた：「馬の頭に角を探すようなものだ。」 そして続けられた：「今日、大覚寺で開炉の儀を行い、龍神と土地神に申し上げる。一つには、僧堂に災難なく平穏であること。二つには、修行僧たちが病まず悩まずあること。三つには、朝夕の粥と飯が十分にあること。四つには、役僧たちが大小和合してあること。さらに一つあるが、山僧には言い表せない。なぜなら、一字が公の門に入れば、九頭の牛でも引き戻せぬからだ。」

晚參。「佩羅山劍，張石鞏弓，跨西河師子，射長沙大蟲，寶岸盡蹋倒，狐兔死無蹤。有意氣，添豪雄，年來老大疏慵甚，順朱村院教蒙童。蒙童蒙童，莫辱祖翁，子不我搆，我心忡忡。我之悠懷，熱炙於衷，惟子憫念，及第心空。」

> 晩の参禅。 羅山の剣を帯び、石鞏の弓を引き、西河の師子にまたがり、長沙の大虫を射る。 宝岸ことごとく踏み倒し、狐兎死して跡なし。 意気あり、豪雄を添う。 年来老いて大いに慵甚し、順朱村院に従いて蒙童を教う。 蒙童よ蒙童、祖翁を辱しむるなかれ。 子我を搆えず、我が心忡忡たり。 我が悠懐、衷に熱く炙る。 惟れ子憫み念い、及第して心空ならんことを。

晚參。「未明心地印，難透祖師關。作麼生是心地印？初三初四月如鉤。」

晚參。「金毛師子喋屎狗，白象王兒推磨驢，應如是知、如是見、如是信解，不生法相，直饒恁麼，未免陳老師簡點在。」

上堂。問：「刮去髓，存箇甚麼？」師云：「描也描不成，畫也畫不就。」進云：「雖然不離人間世，別是人間一洞天。」師云：「那裏是別洞天？」進云：「大家在者裏。」師云：「學語之流，一札千行。」

問：「眾色歸空，空歸何所？」師云：「寒風劈面急。」乃拈拄杖，云：「有利、無利，不離行市，我今為汝保任此事，終不虛也。」擿下，云：「不得春風華不開，及至華開又吹落。」

冬夜，小參。「朔風凜凜，寒月絲絲，書雲節屆，大地咸知，畢竟陽來何所？試看陰去何之。好消息，露風規，何事男兒眼搭眵？」

上堂。問：「天寒地寒、冰霜凜冽；佛寒祖寒，鼻孔貫穿。應時一句，便請師宣。」師云：「問得卻好。」進云：「還許學人請益也未？」師云：「祇許一，不許二。」進云：「拈卻一二義，否極泰方來。」師云：「客情步步隨人轉。」進云：「莫便是指蹤學人處麼？」師云：「山僧忍笑不禁。」

問：「陽極陰生、陰極陽生，只如陰陽不到處是何消息？」師云：「文殊堂裏萬菩薩。」進云：「恁麼則塵中能作主，化外自來賓。」師云：「古人道過底。」進云：「借路經過，有何不可？」師云：「卻借得熟。」

問：「陽長陰消即不問，法筵中義若為觀？」師云：「眉長不蓋眼。」僧指眉云：「且道學人眼上有幾莖？」師云：「面皮厚一尺。」僧喝，師打云：「慚惶叫苦。」進云：「龍得水時添意氣，虎逢山勢長威獰。」師云：「莫嚇山僧。」

問：「昨日夜叉心，今朝菩薩面。如何是菩薩面？」師云：「識取夜叉心。」僧喝，師云：「如何即是？」僧云：「異類中行。」師云：「要且不識菩薩面。」乃云：「冷湫湫地去，寒灰枯木去，一念萬年去，似者般漢，搥殺千千萬萬，有甚麼過？直饒燄吐冰河，華開鐵樹，條抽石筍，正好捉來朝打三千、暮打八百。畢竟如何？衲被蒙頭萬事休，此時山僧都不會。」

晚參。「左不得、右不得，進不得、退不得，上無衝天之計、下無入地之謀，正當恁麼時如何？蘇武回朝，李陵背漢？」

晚參。「擬欲舉古人因緣與你說，又墮古人途轍；擬欲舉今時因緣與你說，又墮今時途轍；抹卻古，坐卻今，又墮現成途轍。有般瞎漢便道：『上馬見路。』者裏要且無你措足處。阿呵呵！汝等父母渾身墮在荊棘，朝朝莫莫望救心切，速速歸寧，方顯孝子慈孫；其或未然，莫道三冬無霹靂。」

晚參。問：「說性說心，時人功幹；行棒行喝，上古風規。去此二途，請師指示。」師云：「笑須三十年。」進云：「謝師畣話。」師云：「笑須三十年。」乃云：「說性說心，時人功幹，笑須三十年；行棒行喝，上古風規，笑須三十年。」

「去此二途，請師指示。」「笑須三十年。」「謝師畣話。」「笑須三十年。有人道：『長老恁麼舉話，也應笑須三十年。』笑便繇你笑了，且問笑箇甚麼？若笑得是，笑須三十年；笑得不是，真箇笑須三十年。」乃呵呵大笑。

晚參。問：「一七已前，人人拿龍捉虎；一七已後，箇箇脫體風光。拿龍捉虎即不問，脫體風光事若何？」師云：「冬不寒，臘後看。」進云：「寒風吹落木，枯梗盡撐天。」師云：「休將閒學解，埋沒祖師心。」僧喝，師打云：「胡喝亂喝。」進云：「長老休得在此躲跟。」師云：「卻是你在此躲跟。」

問：「透過一切時如何？」師云：「神爐前領紙。」僧禮拜，師云：「便恁麼去也。」乃云：「昨晚雲門山子與范公泉商量佛法，雲門山道：『此山從混沌未判已前便爾，巍巍卓卓，輝輝煌煌。自秦王劍劈之後，乃致元氣盡洩。此山之不靈，秦王之過也。』范公泉道：『此泉自鴻蒙未彰之始便爾，澄澄湛湛，混混淵淵，自范公開鑿以來，即苦應用多方。此泉之不幸，范公之過也。』山僧當時喝住，道：『汝二人所謂山精水魅受恩而不知戴者也。』高莫高於五嶽，若不封建其長，還同土阜丘陵；深莫深於四瀆，若不溯其源流，止成汎濫洪波。是以棟梁之材必經大匠之手，總使精金無雜，也須大冶鎔成。所以山僧尋常向諸人道：『此事直須爆地斷、卒地折，久久依師決擇，得大機、明大法，方堪入作。若不然者，只是依艸木精靈、無尾巴猴子，弄出人前便成笑具。』幸各成龍上天，莫學蚯蚓入地。」

晚參。問：「古者道：『大統綱宗中事須識句。』未審是那一句？」師云：「伊蘭作旃檀之樹。」進云：「明眼宗師天然有在，祇如末後一句又作麼生？」師云：「甘露乃蒺藜之園。」

問：「一七以內緊捎艸鞋，一七以後艸鞋繩斷時如何？」師云：「胡孫上樹尾連顛。」乃云：「世尊云：『吾有正法眼藏涅槃玅心付與摩訶大迦葉。』從此西天四七、東土二三遞相傳心，山僧忝為後裔，今晚將正法眼藏涅槃玅心付與現前諸大弟子。是則固是，切不可使外人聞得。若使聞得，報與官府捉諸人去。」

問：「長老傳底是甚麼心？卻如何對付？」「對付不得，山僧行腳時學得箇海上僊方一併分付。」乃云：「樹頭，樹頭。」

上堂。問：「者事從來本無得失，為甚學人不得透脫？」師云：「木人空撫掌，石女不抬頭。」進云：「祇如斷臂雪庭人，因甚便悟去？」師云：「紅爐爆出鐵烏龜。」進云：「恁麼則陸地波濤、晴空霹靂去也。」師云：「看腳下。」

又一僧纔出禮拜，師云：「今日不許喝，喝者罰銀五錢。」進云：「依教奉行。」師云：「羞也不識。」僧拂坐具便行，師拋下拄杖，僧拾拄杖送還，師云：「卻也伶俐。」僧擬議，師便打。乃云：「似地擎山，不知山之孤峻；如石含玉，不知玉之無瑕。汝等盡是懷寶迷邦、棄本逐末，背卻自己阿爺，到處伶俜作賊，夜裏被人家狗咬，白日受人家箭射，非惟痛癢不相關，抑且好惡全不識。只如識好惡、知痛癢者又作麼生？尋常一樣窗前月，纔有梅華便不同。」

陳、李二邑侯見訪，上堂。問：「佛祖因緣即不問，居士分燈事若何？」師云：「光生泉石。」進云：「祇如大顛叩齒，韓文公直下知歸；黃檗安名，裴相國便知落處。今日現前尊官與和尚相見，畢竟如何指示？」師云：「相逢自有知音知，何必清風動天地？」進云：「莫便是指示麼？」師云：「是指示即領受去。」進云：「定光金地遙招手，智者江陵暗點頭。」師云：「引得卻好。」進云：「不是，和尚好與一喝。」師云：「鼠兒伎倆。」

問：「如何是自性佛寶？」師云：「殿裏看。」「如何是自性法寶？」師云：「藏樓看。」「如何是自性僧寶？」師云：「堂中看。」進云：「三寶已蒙師指示，向上一路是如何？」師云：「歸依佛、法、僧。」乃云：「汝等諸人！未得箇入處，須得箇入處；既得箇入處，須知有出身一路始得。作麼生是諸人入處？如儒家讀書相似，自幼讀得子史經書，受盡螢窗雪案之苦，一朝雁塔題名，身致青雲之上，自此腰金衣紫，出而為國為民。雖無異乎昔人，而不可仍謂之昔人也，此初心入道之樣子也。從此既登仕藉，往往有不虞之譽、求全之毀，所謂女入宮而見妒、士入朝而見嫉，須是寵辱不驚、得失無繫，居廊廟不異乎山林氣味、處山林無越乎廊廟情懷，皆生人之常分，何昨是而今非？此悟後出身之樣子也。然雖如是，尤在資格中間，未見超方作略。如何是超方之作？若是陶淵明，攢眉便歸去。」

復舉：「比部孫居士因楊岐會禪師來謁直示斷次，公曰：『某為王事所牽，何由免離？』岐指曰：『委悉得麼？』公曰：『望師點破。』岐曰：『此是比部弘願深，廣利濟群生。』公曰：『未審如何？』岐示以偈曰：『應現宰官身，廣弘悲願深，為人重指處，棒下血淋淋。』公於此有省。」師云：「提持恁麼事，須是恁麼人始得。今日承陳、李二邑侯見訪，山僧亦有一偈要與古人賽采：寵辱不驚神暇豫，風流逸格任天真，相逢向道休官好，林下而今有二人。」

晚參。「求驪珠者，不懼九洄之深；追藍琰者，無憚三襲之嶮。汝等既稱參禪學道，望見縣崖峭壁便乃中路而回、聞說劍樹刀山即爾渾身怕怖。殊不知涓滴能成大海、星火能燒須彌，若不偷心死盡，安能坐致太平？直須斬盡精靈，方可歸家穩坐。不見道：聲聞人悲，猶如畫皮；菩薩大悲，猶如破肉；如來大悲，破骨徹髓。祇如衲僧門下又如何？饒君髓骨都捐盡，怨恨方教漸漸深。」

因雪小參。「古人云：『雪下有三種僧：一種坐禪、一種吟詩、一種說食。』此三種僧，且道那一種最親切？」一僧云：「坐禪親切。」一僧云：「吟詩親切。」師云：「總不親切。坐禪者，大似擔雪填井。吟詩者，何異捏雪成團？惟有說食者卻最親切。何故？曾聞一飽忘百饑，此是人間第一義。」

復云：「昨夜楊岐開舖，撒下珍珠無數，怪來鑒炤多端，紛紛各說相似。有說若西崑之閬風、有說若北荒之明月、有說麵市鹽車、有說梨華萬樹、有說凝月空階、有說玉樓銀世，縱饒說得十成，不及襄陽居士。不見昔日龐公辭藥山出門，道：『好雪片片，不落別處。』既不落別處，且道畢竟落在甚麼處？若知落處，便可坐斷龐公舌頭；不知落處，反笑普賢騎白虎。」

晚參。「有一句子舉似大眾。」良久，云：「雖鞭之長，不及馬腹。」

晚參。「適來聞鼓聲，上堂要說法，忙促失打點，一字說不出。就此各歸單，看來亦不惡，但炤顧腳跟，恐階前路滑。」

說戒，上堂。舉起衣，云：「多子塔前圍繞底只此物，無別物；雞足山中等待底只此物，無別物；得髓當年傳授底只此物，無別物；曹谿昔日承稟底只此物，無別物。如是，則現前人人迦葉、箇箇慈尊，說甚大小乘？分別禪律藏？但時當末年，室中無立雪之操持；世日下趨，槽廠無負舂之實履，遂使豐城寶劍埋獄而無光，九曲明珠入泥而晦色。昨晚已為汝等括垢揚塵，今朝復為汝等斬新提出。若能直下承當，可謂功不浪施；其或未然。」卓拄杖，云：「盧行者驀過西天，優波離杖頭突出。」

成道，上堂。問：「正覺山前舊案不勞指註，法王陞座上新條便請施陳。」師云：「一輪紅日到天心。」進云：「恁麼則箇箇成佛去也。」師云：「你因甚尚作眾生？」進云：「且喜傳家最清白，直饒佛祖也羞為。」師云：「庭前師子雪裝成。」

問：「爐鞴弘開，直接上乘根器；毗尼普施，曲為後學初機。即今四海雲臻，未審如何施設？」師云：「隨分納些些。」進云：「有箇無禪可學、無戒可持底漢來，和尚又作麼生相待？」師云：「此間不是嬴形國。」進云：「可謂河北重提佛祖令，寰中千古󳰲嘉聲。」師云：「山僧不受誣。」

問：「世尊成道，大覺設供，未審瞿曇老漢還來受供也無？」師云：「阿難笑你。」進云：「既來，又作麼生相待？」師云：「少刻殿上燒香，你也隨眾得禮拜。」進云：「恁麼則端坐受供養，大眾常安樂。」師云：「你只解喫飯。」乃云：「昔日世尊於正覺山前睹明星而悟道，乃歎曰：『一切眾生皆具如來智慧德相，但以妄想執著不能證得。』我要問世尊：『當時睹的是甚麼星？是紫微星？是太白星？是北斗星？是毛頭星？悟得是甚麼道？是佛道？是天道？是人道？是地獄道？』直饒答得分明，更向它道：『禍不入慎家之門。』若答不得，卻有一偈為作解嘲：『六年冷坐太無端，剛睹明星被眼謾，大底入山無合殺，捏成話杷與人傳。』然雖如是，正法難扶、邪法靈驗，普請大眾同上大雄寶殿，諷經上供，非圖報德酬恩，就地揚它醜拙。」

晚參。「天寒人寒，一點不相謾；滴水滴凍，到底全無用。有者便道：『時節若至，其理自彰。』似者般底漢，速向荒郊送。君不見？老丹霞燒木佛，院主鬚眉盡落脫。此事從來今古傳，試問諸人瞥不瞥？若得瞥，洞山好佛已舒光；若未瞥，一班木佛留與丹霞燒火熱。」

晚參。「昔有一童子求人學識字，人告之曰：『一字是一畫，二字是二畫，三字是三畫。』童子遂向人前誇識字。後遇一人問之曰：『萬字如何寫？』童子遂欲畫一萬。大似今時禪和子學喝底一般，問他：『如何是第一句？』喝一喝。『如何是第二句？』喝一喝。『如何是第三句？』喝一喝。乃至千句萬句便下千喝萬喝，大智若愚、大巧若拙，達磨不會禪、夫子不識字，後代兒孫皆成相似，雞似鳳、蛇似龍、狗似師子、貓似大蟲、衲僧似童子。且道：童子又似箇甚麼？未讀上大人，莫問丘乙己。」

上堂。問：「大覺堂前有一寶，千人萬人覷不著。未審此理如何？」師云：「雪觀音向火。」僧禮拜，師云：「瓦解冰消。」復云：「『有句無句』，百千滯貨。『如藤倚樹』，不誤主顧。『樹倒藤枯』，卸馱脫籠。『句歸何處』，失利失利。且道：是古人失利？大覺失利？諸人失利？青州紙貴，一狀領過。」

晚參。「攪長河為酥酪，變大地作黃金，雖善調有餘而補不足，爭似大覺此間朝朝握土成金，一錢不肯易使？不是慳、不是妒，要使兒子們各自撐門拄戶，免被傍人喚作郎，破敗伶俜，辱父罵祖。」

晚參。「歸宗斬蛇、疏山木蛇，何似南山鱉鼻蛇？弄蛇須是弄蛇手，阿誰是弄蛇手？」擿拄杖，云：「蛇蛇。」

春朝，早雪，上堂。問：「向上宗乘即不問，西來祖意是如何？」師云：「春朝把筆，百事大吉。」進云：「春行冬令又作麼生？」師云：「日日是好日。」

問：「爆竹一聲催臘去，梅華數點送春來。如何是送春來底句？」師云：「一點謾闍黎不得。」進云：「箇中消息無人識，獨許通方作者知。」師云：「多虛不如少實。」進云：「大眾證明和尚此語。」師云：「多虛不如少實。」

問：「陽春纔露布，和氣漸來臨，冰雪宜枯老，時節若為存。」師云：「陳摶古洞日高眠。」

問：「舊日葛藤即且置，應時一句是如何？」師云：「雪消谿畔水潺潺。」進云：「恁麼則寒即言寒、熱即言熱。」師云：「寒時寒殺闍黎，熱時熱殺闍黎」進云：「祇如無寒無暑又作麼生？」師云：「冷水浸石頭。」進云：「雲散碧空盡，江湖萬里天。」師云：「直須水底火發，始得圊頭。」

問：「諸法因緣生，世法如何盡？」師云：「你祇解運糞入，不解運糞出。」乃云：「東風齊著力，吹轉枝頭碧，好天孫繡出珊瑚月，呈似普賢王菩薩。普賢怒其盡把天機都漏洩，喚雲光、呼六出蓋覆蓋覆，令它轉身吐氣不得，殊不知添足畫蛇、弄巧成拙也是為眾竭力。」

上堂。「把斷要津，不通凡聖，春色緣何入得來？天地合其德，四時同其序，何思也？何慮也？寂然不動，感而遂通，鐵牛之機，如是如是。」

晚參。問眾：「纔有是非，紛然失心。如何是你不失底心？」印緣云：「長安雖鬧，我國晏然。」靈石云：「任它風浪起，穩坐釣魚舟。」師云：「山僧卻又不然，煩惱海中為雨露，無明山上起雲雷。」復云：「不因訕謗起冤親，何表無生慈忍力？好事不出門，惡事傳千里。佛是西天老比丘，達磨打落當門齒。從古至今，同生同死，但願你早成阿耨多羅三藐三菩提，皇風蕩蕩，無彼無此。」

晚參。「諸方善說禪、能說道，大覺此間止說一味。若知味，絕忌諱；不知味，須牢記。著衣不挂一縷絲，喫飯不咬一粒米，廬陵米價知幾幾？」喝一喝，云：「參。」

晚參。「太顢頇，沒合殺，六不收，鬧聒聒。有權有實，有炤有用，借人面具舞三臺，到底何曾得通達？趙州老，太潦倒，逢人便說青州布衫重七斤，何似現前諸人各各有箇破衲襖？好不好，莫教拾得語寒山，饒舌豐干笑不了。」

晚參。「年又盡，歲方新，真薄福，笑難停。去年貧，庫中尚有麤茶三五斤；今年貧，贏得現前三五百雙光眼睛。眼眼相看，面面相呈，既是你知我見歷歷分明，山僧亦不勞脣費舌，更將閒事叮嚀：但得人情好，喫水也歡欣。」

晚參。問：「已去光陰即不問，年窮歲盡事如何？」師云：「雪溜谿聲活。」進云：「如何是離四句？」師云：「十字街頭鬧聒聒。」進云：「如何是絕百非？」師云：「吹毛利劍逼人寒。」

進云：「恁麼則男兒不借春風力，陸地行舟到岸頭。」師云：「撞殺闍黎。」僧喝，師云：「棺材裏瞠眼。」乃云：「空合空，水歸水，何曾跨出門限裏？翻大地，覆乾坤，依然相隔萬重雲。高處入平處放、平處入高處放，大鵬展翅蓋十洲，籬邊之雀空啾啾。」

除夕，小參。問：「年去年來即不問，歲除一句是如何？」師云：「敲冰取火。」進云：「恁麼則心思路絕去也。」師云：「百尺竿頭須進步。」

問：「年窮歲盡即不問，如何是目前機？」師云：「生鐵鑄成。」

問：「古人烹白牛分歲，未審和尚將甚麼供養大眾？」師云：「滿盤拓出。」進云：「一物用不盡，何必許多般？」師云：「且道是甚麼物？」僧呈坐具，師云：「羞也不識。」僧擿下坐具，師便打，乃云：「愚人除境不除心。」以拄杖右邊卓，云：「過者邊著，智者除心不除境。」以拄杖左邊卓，云：「過者邊著，直饒心境兩俱除，來年更有新條在，惱亂春風卒未休。」

復云：「盡乾坤大地是一箇棋局，自古至今，若佛、若祖、若聖、若凡，是弈棋底人。但善弈者著著有出身之路、頭頭有先見之明，然而殘棋敗著者多矣，罕見能收全局。自釋迦老子於二千年前波波挈挈，下得半局；達磨大師航海而來辛苦萬端，也祇下得半局；臨濟、德山竭力扶持，也祇下得半局。山僧一向痿羸過時，從不散拈著者一著子，今晚適遇年窮歲盡，無可與諸人啗啄，特特下場與諸人對局，還有敵勝驚群，出手為古人了此殘局者麼？」良久，云：「棋高一著，縛手縛腳。」

元旦，上堂。問：「元正啟祚即且置，斬新條令事如何？」師云：「萬人遐仰處，紅日到天心。」僧作圓相，云：「者箇還屬新舊也無？」師云：「陳年故紙。」進云：「鏡清道有、明教道無，未審大覺道箇甚麼？」師云：「不說有，不說無。」進云：「學人又不然。」師云：「你又作麼生？」進云：「孟春猶寒，伏惟和尚尊候，起居萬福。」師云：「卻是你來得香燈。」

問：「棄舊迎新即不問，歲朝一句是如何？」師云：「佛殿裏燒香。」進云：「拈起，則大千俱現；放下，則法界全收。祇如不拈不放又作麼生？」師云：「山門頭合掌。」乃云：「歲朝把筆，百事大吉，風調雨順，國泰民安，此皇家之吉也。加官進爵，福祿駢臻，此臣宰之吉也。一舉首登龍虎榜，十年身到鳳凰池，此士人之吉也。五日風、十日雨，此農夫之吉也。生意滔滔長，財源滾滾來，此工商之吉也。作麼生是衲僧門下之吉？」豎如意，云：「一番提起一番新，爍迦羅眼透金塵。」

晚參。「九月黃華滿地金，風吹香霧溼成勻，空生只解嵒中坐，錯過南無觀世音。」

晚參。「大覺有一竅，觸著真奇妙，愛弄死蝦蟆，致令生叫跳。一跳、兩跳、三跳、四跳，跳到三十三天，依舊莫能窺竅。畢竟如何？」卓拄杖，云：「一心請召。」

## 天岸昇禪師語錄卷第四