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法句経 (法句經)

「法句經」について

底本の訳者:悟醒

1.1 万字 · 約 36 分

『ダンマパダ』(法句経)は、初期仏教の核心的な経典であり、パーリ三蔵の『小部』に収録されています。これは多くの仏陀の弟子たちによって共同で編纂・編集され、その内容は仏陀在世の教えに由来し、紀元前三世紀頃に成立した、非常に長い歴史を持つ経典です。全編が偈頌(詩句)の形式でまとめられており、仏陀の教えの精髄を集めたもので、全二十六章(双品、愚品、心品など)からなる四百二十三の詩句で構成されています。その核心は、因果・業、戒・定・慧の修行、道徳的実践、そして心の目覚めを主題としており、言葉は簡潔ながら深遠で、直接人の心に響きます。仏教においてその地位は高く、「仏教の詩の総集」と称賛され、仏法に入門する最も直接的な手引きとなっています。これは上座部仏教(南伝仏教)の重要な典籍であり、後世の仏教思想と


法句經

法句経

歸命彼世尊 應供等覺者

かの世尊に帰命したてまつる 応供・等覚者に

一 雙品

一 双対の章

一

一

諸法意為導,意主意造作。人若染穢意,或語或〔身〕行,苦事則隨彼,如輪隨獸足。

諸々の法は心が導き、心が主となり、心が作り出す。 もし人が汚れた心を抱けば、言葉や行いを通じて、 苦しみはその人につき従う、獣の足跡に車輪が従うように。

二

二

諸法意為導,意主意造作。人若清淨意、或語或〔身〕行,樂事則隨彼,如影之隨形。

諸法は意を導きとし、意が主となり、意が造りなす。もし人が清らかな意を持てば、言葉であれ、身体の行いであれ、喜びはその人に従う。影が形に従うように。

三

三

「彼罵我擲我,敗我奪取我」,於懷如此念,忿怨事不息。

「彼は私を罵り、私に物を投げつけ、私を打ち負かし、私から奪い取った」と、このように心に抱いていると、怒りと恨みは収まりません。

四

四

「彼罵我擲我,敗我奪取我」,不懷如是念,忿怨終自息。

「彼は私を罵り、私に物を投げつけ、私を打ち負かし、私から奪い取った」、このような思いを抱かなければ、怒りや恨みはやがて自ずと消えていく。

五

五

實於此世中,非以怨止怨,唯以〔忍〕止怨,此為古常法。

この世において、怨みは怨みによっては止まず、ただ〔忍耐〕によってのみ怨みは止む。これが古来変わらぬ真理である。

六

六

彼人不曉悟:「我等終毀滅」。惟有此悟者,彼諍自然息。

彼らは悟らない。「我々はついに滅びるのだ」と。ただこの悟りを得た者において、その争いは自然に静まる。

七

七

唯求享樂事,不攝護諸根,飲食無限度,怠惰不精勤,彼實為魔服,如風吹弱樹。

ただ快楽を求めることにのみ心を奪われ、諸々の感覚器官を守ることをせず、飲食に節度なく、怠惰で精進しない者は、まさに魔に征服される。それはまるで、弱い木が風に吹き倒されるかのようである。

八

八

不求享樂事,善護攝諸根,飲食有限度,信念又精勤,魔王不勝彼,如風吹巖山。

楽しみを求めず、諸根を善く護り、飲食はほどほどに、信念は精進に満ちる。魔王も彼に勝てず、岩山を風が吹くがごとし。

九

九

雖為纏袈裟,不脫垢濁者,無真實克己,不應纏袈裟。

たとえ袈裟をまとっていても、心の垢を脱がぬ者は、真実の克己心なく、袈裟をまとうに値しない。

一〇

十

離棄諸垢濁,善住於戒律,真實以克己,彼應纏袈裟。

一切の垢濁を離れ捨て、 戒律に善く住し、 真実をもって己を克し、 彼は袈裟を纏うべし。

一一

一。

非真思為真,真實為非真,住於邪思惟,則不達真實。

真実でないものを真実と思い、 真実を真実でないと考える。 そのような誤った考えにとらわれていると、 真実にたどり着くことはできません。

一二

一、二

於真知為真,非真知非真,住於正思惟,能達於真實。

真実を知ることをもって真実とし、真実を知らないことをもって真実ではないとするのではなく、正しい思考にとどまることで、真実に到達することができる。

一三

「十三」

粗茸劣家屋,必受雨漏浸,如此不修心,貪欲則浸入。

粗末な家屋は、必ず雨漏りに浸される。同じように、心を修めない者は、貪りの欲に浸されてしまう。

一四

十四

善茸精家屋,不受雨漏浸,如此善修心,貪欲不浸入。

良い修行者が立派な家を建てるように、心をしっかりと修めることは、雨漏りのない家のようなものです。このように心を善く修める者には、貪欲が入り込むことはありません。

一五

一五

現世於此悲,死後他世悲,造諸惡業者,兩世皆憂悲。見自穢業已,彼悲彼苦惱。

この世で悲しみ、死んだ後も悲しむ。悪い行いをした者は、どちらの世界でも憂い悲しむ。自分の汚れた行いを見て、その者は悲しみ、苦しむ。

一六

「一六」という表現は、仏教の文

現世於此喜,死後他世歡,造諸善業者,兩世皆歡喜。見自淨業已,彼樂彼歡喜。

現世ではこの世で喜び、死んだ後はあの世で喜ぶ。善い行いを積んだ者は、両方の世界で喜ぶ。自分の清らかな行いを見て、その人は楽しく、その人は喜ぶ。

一七

**十七** (仏教の文脈において)

現世於此苦,死後他世苦,造諸惡業者,兩世皆受苦。謂:「今悲我作惡,墮惡趣更苦。」

この世で苦しみ、死んでからも苦しむ。悪い行いをした者は、この世とあの世の両方で苦しみを受ける。「今、自分は悪いことをしたと悲しみ、悪い場所に落ちてさらに苦しむ」と言う。

一八

申し上げます。

現世於此喜,死後他世歡,造諸善業者,兩世皆歡喜。謂:「今造善業喜,往善趣更喜。」

この世で喜び、死後もあの世で喜ぶ。善い行いを積んだ者は、この世とあの世の両方で喜ぶ。そして「今、善い行いをしているから嬉しい。善い世界へ生まれ変わるのだから、さらに嬉しい」と心から喜ぶのである。

一九

一九という数字は、仏教の教えの中では

縱多誦經典,放逸不實行,如牧算他牛,不入真沙門。

たとえ多くの経典を暗唱しても、怠け心で実践しなければ、それは他人の牛を数える牛飼いのようなもので、本当の修行者とは言えません。

二〇

二〇

雖誦經典少,舉止遵法行,具足正智識,棄滅貪瞋癡,善淨心解脫,捨離此世欲,此世或他世,入真沙門列。

経典を多く読まなくても、行いが法に従い、正しい智慧と知識を備え、貪り・怒り・無知を捨て去り、心が清らかに解脱し、この世の欲を離れているならば、この世でも来世でも、真の修行者の列に加わる。


二 不放逸品

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