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title: "不會禪師語錄 · 行實"
description: "不會禪師語錄是清代臨濟宗高僧不會禪師的法語集錄由弟子法通和性靈等人依據駒本刊印編纂而成該語錄收錄了不會禪師的開示語錄機鋒對答及詩偈等內容生動體現了其禪學思想與修行指導不會禪師繼承並弘揚了臨濟宗風強調直指人心見性成佛在清初佛教界具有重要影響該語錄是研究清代禪宗特別是臨濟宗發展與思想流變的珍貴文獻對於理解當時的禪風與修行實踐具有很高的歷史與學術價值"
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### 行實

> 行実

靈耀、象埜二禪人領眾入方丈，請開示行腳因緣。師云：「予生來福薄愚鈍，氣質麤鹵，若盡說出，笑破諸方口。」耀云：「只饒不說，也知狼籍不少。」師云：「予乃南克楊氏子，母趙氏，生天啟元年辛酉十月廿二日辰時。幼小獃蠢，見人便羞說話，凡遇人啼哭、殺生，及背真逐妄、奸心巧計、心口不合，如割身肉，滿眼痛淚，自覺幻形非堅，人心不古，再來恐迷，與道轉遠。雖處富貴之家，如在火坑，如帶枷鎖，知色色是障道之根，有為造作世事，如飛塵過目，俱不在意，暗中只愁虛度。予十六歲時，暗走蓬溪智林寺出家，老母在家一月，減食形枯，予聞速回，且全母命，志不同群，雖入學堂，不愛讀書寫字。初遇天隱大師在予俗宅開示緇素做工夫，教參萬法歸一，只向一歸何處起疑，十年五年自有倒斷。予乃隨眾得聞，時刻疑著，頓在胸中，如油入麵。後值劫運大變，父母親緣俱喪，方得自由，始投惺初師祝髮。其年廿六，單包出蜀，值扺漢上，侍埜詰和尚山居四載，圓具足戒。一日，予問：『如何是父母未生前面目？』師云：『洗臉自抹著，何必問外人？』予曰：『者個是已生面目，如何是未生？』師大怒，高聲云：『快向未生時問來。』予罔措，師連棒打出法堂，痛罵一頓。自此胸中如結石然，行住坐臥只向一歸何處起疑，晝則隨眾作務，夜則衣不解帶，每被昏、散二魔打攪，不得清平，終夜昏沉，甚重難遣。常禮千佛懺。一日師云：『我者一堂僧都是頑皮癩骨，恰似泥塑木雕的飯袋子，無一個轉身吐氣，識老僧說話，不惟孤負四恩，一息不來，不在蠻婆肚裏，便在牛胎馬腹。』予聞得恰似在冰池裏相似，遂與同戒連打三七工夫，自覺成片，不疑自疑，不被聲色搖動，動靜一如，只是不得倒斷，如擔重檐一般，擔不起、放不下，自云：『大事不明，何惜身命？』似鬼神催住一般，數日內弄盡伎倆，捏緊拳頭，踞定腳跟，大張兩眼，盡力立參，一副心肝如迸出來一般，身體枯弱，逼得吐血猶不放過。連日師自打普挪，予只得帶病而出，行至中路，大雨不止，四面山水瀑漲，通身泥水透濕，寸步難行。天時已暮，只得勉強回山，正過懸巖，大風震吼，山谷應聲，予瞥爾通身似脫碎了一般，身世俱空，一歸何處？不覺出聲追審，自己聽得在此得個倒斷，遂有偈云：『萬法歸一一歸何？盡虛空界總包羅，帶累通身泥水濕，翻來覆去自磋磨。』予將偈念與師聽，師云：『此是途路得底，山僧看來屬途路在。』予云：『如何是途路事？』師云：『泥水不少。』予云：『如何是到家事？』師云：『待子到家，方與子說。』予云：『者回瞞我不得。』一喝便出，乃辭師下山。其年滿三十，往南方參徑山費隱和尚，一見便問：『你是甚處人？』予云：『四川人。』師云：『你帶有附子、黃連，何不呈出？』予進前兩三步作女人拜，師云：『四川僧個個是弄虛頭。』予云：『既以親見親收，何曾虛頭來？』師云：『是玉須經火。』予云：『莫嵞污人。』師打，予連喝而出。至金陵天界寺，參覺浪和尚，予問云：『天不能蓋，地不能載時如何？』師云：『非公境界。』予一喝，師云：『者一喝落在甚處？』予云：『者老漢猶嫌少在。』復喝便出。予至天童，參木陳和尚，問：『如何是如如不動？』師良久，予云：『者老漢賣弄不少。』師云：『秖識老僧體，不識老僧用。』予云：『請和尚歸方丈。』予走南北十省，參濟洞二宗三十餘員知識，當機時受了許多痛打痛罵，作務時受了許多苦磨，多有機緣問答，予手拙不能寫，但只緣自了，盡行忘卻。其年四十，忽見破山和尚語錄，果有過諸方處，遂而還蜀，住靜一載，將佛祖言教語錄一目便知，方參本師破山和尚，一見始問：『通法末後來，請和尚最初句。』師云：『老僧舉杯吃酒，不知甚麼麤細？』予云：『恁麼舉處甚分明，家家無二路。』師一喝，云：『當面錯過。』予云：『通法奔南走北全仗他力，那裏是錯過處？』師云：『他是張保、李保。』予兩手叉腰作聽勢，師便打，云：『者漢久在江南吃餿飯，卻來者裏討新鮮。』予云：『若從他覓，已不新鮮。』師復打，予連喝，便出。一日，同眾拆房，值瓦落，打破頭頂，血染通身，一眾忙然，師走出方丈，云：『此子頂門具眼。』予云：『正要和尚證盟。』師云：『本無一物，與子證個甚麼？』予云：『既然無物，何處不明？』師云：『正恁麼時聻？』予揩血視師，曰：『滿目風雲收不住，紅光一道射寒空。』即時呈偈：『香巖擊竹聞聲處，何似當空驀劈開？驚起泥牛吞宇宙，從前知解一時灰。』一日，本師在眾，舉：『路逢達道人，不將語默對，將甚麼對？』予云：『蒼天，蒼天，醜態家常說向誰？』師云：『者個猶是語。』予云：『和尚又作麼生？』師云：『默默自知田地穩，騰騰誰為肚皮憨？』予云：『和尚猶在語中。』師云：『將謂老僧是語耶？』予云：『瞞通法即得。』次日出坡，本師當路高聲，復舉前話，予大喝，師云：『再喝看。』予云：『再喝即頭上安頭。』師笑云：『此子欠學。』次日，本師喚予進方丈，豎拳，云：『喚作拳頭卻是巴掌，喚作巴掌卻又是拳頭，喚作甚麼？道一偈看。』予云：『明明古鏡照無私，覿面難藏向上機，若作拳頭巴掌會，新羅鷂子過多時。』值中秋，師指月餅示眾云：『時臨泠淡中秋節，四海禪和心未歇，雲集同來覓指歸，一人一餅一輪月。有時明中有暗，有時暗中有明，且道作麼生吞吐？試吐出看。』予云：『一輪光皎潔，本自無言說，森羅萬象中，體別神不別。』師云：『此是長連床上學來舊話。』予繞坐一匝，師云：『此是月，作麼生吞吐？』予云：『若教吞吐，已不圓全。』師咄！予從東過西，師即命眾和韻，予云：『吾師命眾賞秋節，本自無塵何用歇？吞吐渾教宇宙空，抬眸不見天邊月。』師一日云：『我者一堂都是會底，秖有你一個不會。』予云：『教通法會個甚麼？』師云：『難道你喫飯也不會？』予云：『若論喫飯，誰不具足？會亦是病。』師深肯之。重陽日，師指菊誡眾云：『危石孤標菊正芳，隨風飄墮落禪堂，諸人惜取娘生鼻，莫逐目前臭與香。』予和云：『獨立尖峰菊自芳，滿腔意氣透雲堂，而今鼻孔隨收放，遍界人聞遍界香。』師同眾坐飲，夜深忽舉杯云：『道道看！』予云：『團圞高舉示禪流，老大漁翁意在鉤，一吸曹源波月盡，萬億須彌笑不休。』師一日喚予進方丈：『你不喫酒，寫把扇子，作個寬限，拿去收拾。偈云：閒來雙桂習枯禪，七破蒲團非偶然。捲起簾兒云不隔，始知不負草鞋錢。』予云：『者老漢漏逗不少。』師云：『卻是你恁麼。』子云：『做賊人心虛。』師瞠目云：『正是做賊人心虛。』予作懼怕勢，以扇遮面便出。不數日，師舉牧牛頌、德山托缽公案驗眾安職，師頌云：『手持缽也身袈裟，日逐形儀何太賒？動靜自忘纔舉念，出門撞著生冤家。歸去罷，較些些，暗驚春鳥落藤花。』予頌云：『托缽堂前老作家，令人一見眼添沙。巖頭縱奪槍旗轉，幾識全機露爪牙？』師命予西堂職，予本無學無福，曾受許多驚險憎嫉。予辭行，師云：『老僧將滿七十，要來空手來不得，要去空手去不好。你此時在千人足下存，後來在萬人頭上坐。』師正滿七十，眾集二千餘人，共慶大年。師將眼、耳、鼻、舌、身、意各分一偈，以付六人。予得其眼，偈云：『得吾眼也覷浮沉，淺則淺兮深則深。莫學瞎驢趨大隊，破沙盆句對誰吟？』遂將偈拂面付與予，杜絕人事，閒居寢堂，大眾驚諍，大震叢林，予不敢辭。予年四十五，匿跡射江清果禪院，甘苦備嘗，有志未逮。又越辛亥冬，其年五十有二，始得拈香。予賦性不敏，未工文字，種種醜態，難盡舉似，略出其概，以告眾兄弟，幸勿見笑。」

> 霊耀・象埜の二人の禅人が大衆を率いて方丈に入り、行脚の因縁について開示を請うた。 師は言われた。「私は生まれつき福が薄く愚かで、気質も粗雑である。すべて話せば、諸方の笑い者になるだろう。」 霊耀が言った。「話さなくても、すでに多くの問題があることは分かっています。」 師は言われた。「私は南克の楊氏の子で、母は趙氏。天啓元年（1621年）十月二十二日の辰の時に生まれた。幼い頃から愚鈍で、人に会うと恥ずかしくて話せず、人が泣いたり殺生したり、真心に背いて虚妄を追い、狡賢く計略を弄し、心と口が一致しないのを見ると、我が身の肉を切られるかのように痛み、目に涙が溢れた。自分でもこの幻の身体は堅牢ではないと感じ、人の心は古き良き時代のままではなく、今世で迷えば道から遠ざかってしまうと恐れた。裕福な家に生まれながらも、火の穴の中にいるかのようであり、枷鎖をはめられたかのようであった。すべての色境が道を妨げる根源であると知り、作為的な世の営みは埃が目の前を過ぎるようなもので、一切心に留めなかった。ただ密かに虚しく日々を過ごすことを憂えていた。 十六歳の時、密かに蓬溪の智林寺へ出家に行ったが、母が一ヶ月間食事を減らして身体を衰えさせたと聞き、すぐに戻って母の命を全うした。しかし志は同輩とは異なり、学堂に入っても読書や習字を好まなかった。 初めて天隠大師が私の実家で僧俗に工夫を説かれ、『万法は一に帰す』という公案を参じ、『一は何処に帰す』と疑いを起こせば、十年五年のうちに必ず決着がつくであろうと教えられた。私も大衆に混じって聴聞し、常にこの疑いを抱き続け、胸中に固着して、油が粉に染み込むかのようであった。 その後、劫運の大変動に遭い、父母や親族が全て亡くなり、ようやく自由を得て、惺初禅師のもとで得度した。その年は二十六歳で、単身で蜀を出て漢上に至り、埜詰和尚に山居で四載侍し、具足戒を受けた。 ある日、私は問うた。『父母未生以前の面目とは如何なるものですか？』 師は言われた。『顔を洗えば自ずから分かるであろう。なぜ他人に問うのか？』 私は言った。『それは已生の面目です。未生は如何ですか？』 師は大いに怒り、声を高くして言われた。『すぐに未生の時に問うて来い！』 私は呆然とし、師は棒で私を法堂から打ち出し、ひどく罵った。このことから胸の中に石が詰まったかのようになり、行住坐臥ただひたすら『一は何処に帰す』と疑いを起こした。昼は大衆とともに務め、夜は衣も解かずに坐禅した。しかし昏沈と散乱の二つの魔に妨げられ、平安を得られず、夜中ずっと昏沈が重く、払いのけるのが難しかった。常に千仏懺を礼した。 ある日、師が言われた。『我が堂の僧侶たちは皆、無骨で愚かであり、まるで泥人形や木像のような飯食い袋だ。一人として身を翻して気を吐き、老僧の言葉を理解する者がない。四恩に背くばかりか、息が絶えれば、蛮婆の胎内か牛馬の腹の中だ。』 私はこれを聞いて、まるで氷の池の中にいるかのような心地がした。そこで同戒の者とともに三七日、連続して工夫をし、自ずと身心が一貫するのを覚え、疑おうとせずとも疑いが生じ、声色に揺さぶられることもなく、動静一如となった。ただ決着がつかず、重い荷を担ぐように、担げず、放せなかった。自ら言った。『大事が明らかにならなければ、身命を惜しむことがあろうか？』 鬼神に追われるかのように、数日のうちにあらゆる伎倆を用い、拳を握り締め、足を踏ん張り、両眼を大きく見開いて、全力で立ち参究した。心肝が飛び出さんばかりになり、身体は弱り果て、血を吐くようになってもなお手を緩めなかった。 数日後、師自ら打普（働きの割り当て）を行ったので、私は病を押して出た。道の半ばで大雨が降り止まず、周囲の山水が漲り、全身泥水に濡れて、一歩も進めなかった。日も暮れたので、やむを得ず山に戻ることにした。まさに懸崖を通りかかった時、大風が轟き、谷にこだました。私はふと全身が砕け散ったかのような感覚に襲われ、身も世も空になり、『一は何処に帰す』と、思わず声を出して追及した。自分自身のその声を聞いて、ここで決着がついたのである。そこで偈を作った。 「万法帰一 一帰何（万法は一に帰し、一は何に帰す） 尽虚空界 総包羅（虚空界を尽くして総べて包み羅む） 帯累通身 泥水湿（通身に累を帯びて泥水に湿う） 翻来覆去 自磋磨（翻来覆去して自ら磋磨す）」 （万法は一に帰す、一は何に帰すのか。虚空界のすべてを包み込む。全身泥水に濡れながらも、行きつ戻りつ自らを磨き続ける。） 私はこの偈を師に読み上げた。師は言われた。『これは道中で得たものである。山僧の見るところ、それは道中にある。』 私は言った。『如何なるものが道中の事ですか？』 師は言われた。『泥水が少なくない。』 私は言った。『如何なるものが到家の事ですか？』 師は言われた。『子が家に到ってから、始めて子に説こう。』 私は言った。『今回は私を欺けません。』と一喝して出て、師に辞して下山した。 その年三十歳で、南方の径山の費隠和尚を參じた。和尚は会うなり問われた。『お前は何処の者か？』 私は言った。『四川の者です。』 師は言われた。『附子や黄連を持っているなら、なぜ差し出さないのか？』 私は二三歩進んで女のように礼した。師は言われた。『四川の僧は皆、虚仮を弄ぶ者だ。』 私は言った。『既に親しく見て親しく収めたなら、どうして虚仮でありましょうか？』 師は言われた。『玉ならば火に掛けねばならぬ。』 私は言った。『私を汚さないでください。』 師は打ち、私は連喝して出た。 金陵の天界寺で覚浪和尚を參じ、私は問うた。『天も覆うことができず、地も載せることができない時は如何？』 師は言われた。『それは君の境地ではない。』 私は一喝した。師は言われた。『この一喝は何処に落ちたか？』 私は言った。『この老漢はまだ少ないと嫌っている。』と再び喝して出た。 天童で木陳和尚を參じ、問うた。『如何なるものが如如動ぜざるですか？』 師は久しく黙された。私は言った。『この老漢は不少を売り込んでいる。』 師は言われた。『ただ老僧の体を知るだけで、老僧の用を知らない。』 私は言った。『和尚は方丈にお帰りください。』 私は南北の十省を巡り、臨済・曹洞の二宗の三十余名の善知識を參じた。その際、多くの痛打痛罵を受け、作務の際には多くの苦難を味わった。多くの機縁問答があったが、私は筆不精で書けず、自分自身のことだけは了得し、すべて忘れてしまった。 四十歳の時、ふと破山和尚の語録を見て、なるほど諸方を超えた処があると感じ、ついに蜀に還り、一年の間静かに住した。仏祖の言教や語録を一目見ればすぐに理解できた。そこで初めて本師の破山和尚を參じた。 參じるや否や問うた。『通法は末後に来ました。和尚の最初の句をお示しください。』 師は言われた。『老僧は杯を挙げて酒を飲むだけだ。何が麁く何が細かいのか分からぬ。』 私は言った。『そのように挙する処は甚だ分明で、どの家も二つの道はありません。』 師は一喝して言われた。『当面にて見失う。』 私は言った。『通法が南北を奔るのは全て他力に依るものです。どこが見失う処でありましょうか？』 師は言われた。『彼は張保・李保だ。』 私は両手を腰に当てて聴くふりをした。師は打って言われた。『この男は久しく江南で饐えた飯を食ってきたが、ここへ来て新鮮なものを求めるのか。』 私は言った。『もし彼から求めるならば、すでに新鮮ではありません。』 師はまた打ち、私は連喝して出た。 ある日、大衆とともに家を壊す作業中、瓦が落ちて頭頂を打ち破り、血が全身に染み渡った。大衆は慌てふためいたが、師は方丈から出て来て言われた。『この子は頂門に眼を具えている。』 私は言った。『まさに和尚に証明していただきたいのです。』 師は言われた。『本より一物も無い。子に何を証明せよというのか？』 私は言った。『既然として無物なら、何処が明らかでないのですか？』 師は言われた。『正に恁麼の時は如何？』 私は血を拭いて師を見て言った。『満目の風雲は収め難く、紅光一道は寒空を射る。』 即座に偈を呈した。 「香巌撃竹 聞声処（香巌の竹を撃つ声を聞く処） 何似当空 驀劈開（当空に驀地に劈き開くに似たるや） 驚起泥牛 呑宇宙（驚き起つ泥牛は宇宙を呑み） 従前知解 一時灰（従前の知解は一時に灰となる）」 （香厳が竹を打つ音を聞いて悟ったことは、空中を真っ二つに劈くような今の体験と何と似ていることか。驚いて立ち上がった泥牛が宇宙を呑み込み、かつての知的理解は一瞬のうちに灰となった。） ある日、本師が大衆の中で挙げられた。『道に達した人に逢えば、語を用いず黙を用いずに、何を用いて対するか？』 私は言った。『蒼天、蒼天、醜態の家常を誰に向かって説こうか。』 師は言われた。『それはなお語である。』 私は言った。『和尚はまた如何ですか？』 師は言われた。『黙々として自ら知る田地の穩なるを、騰騰として誰が為に肚皮の憨なるを。』 （黙々として自ら田地が穩やかなるを知り、悠悠として誰のために腹の愚かさを耐えようか。） 私は言った。『和尚はなお語の中にいます。』 師は言われた。『老僧を語だと思ったのか？』 私は言った。『通法を欺くことはできますが。』 翌日、坡仕事の途中で、本師は道に立ち塞がり声を高くして、再び前の話を挙げた。私は大喝した。師は言われた。『もう一度喝してみよ。』 私は言った。『もう一度喝すれば、頭の上に頭を置くことになります。』 師は笑って言われた。『この子は修行が足りない。』 翌日、本師は私を方丈に呼び、拳を立てて言われた。『これを拳と呼べば掌であり、掌と呼べばまた拳である。何と呼ぶべきか。一偈を言ってみよ。』 私は言った。 「明明古鏡 照無私（明々と古鏡は無私に照らし） 覿面相逢 難蔵向上機（直面して相逢えば向上の機は蔵し難し） 若作拳頭 巴掌会（もし拳頭・巴掌と会すれば） 新羅鷂子 過多時（新羅の鷂子は久しく過ぎ去る）」 （明々と古鏡が私心なく照らす。正面から向き合えば向上の機は隠せない。もしこれを拳や掌と理解すれば、新羅の鷹はもう遙か彼方へ過ぎ去ってしまう。） 中秋節に際し、師は月餅を指して大衆に示された。『時は冷淡な中秋節に臨む、四海の禅和は心が未だ歇まず、雲の如く集まり来って指帰を求める、一人に一つの餅、一つの月。時には明の中に暗があり、時には暗の中に明がある。さあ、どのように吞吐すると言うのか。試しに吐き出して見よ。』 私は言った。 「一輪光皎潔（一輪の光は皎潔として） 本自無言説（本より言説なし） 森羅万象中（森羅万象の中に） 体別神不別（体は別なれど神は別ならず）」 師は言われた。『これは長連床上で学んだ古い話だ。』 私は坐禅堂の周りを一巡した。師は言われた。『これは月である。どのように吞吐するのか？』 私は言った。『もし吞吐を教えるならば、すでに円満ではありません。』 師は咄！とされた。私は東から西へ渡った。師は大衆に韻を和するよう命じられた。私は言った。 「吾師命衆 賞秋節（吾が師は衆に命じて秋節を賞す） 本自無塵 何用歇（本より塵なし、何ぞ歇むるを用いん） 吞吐渾教 宇宙空（吞吐すれば全て宇宙は空にして） 抬眸不見 天辺月（眸を抬ぐれば天辺の月は見えず）」 ある日、師は言われた。『我が一堂は皆、会得している者ばかりだ。ただお前だけが会得していない。』 私は言った。『通法に何を会得させようというのですか？』 師は言われた。『お前は飯を食うことさえも会得していないというのか？』 私は言った。『飯を食うことについて言えば、誰が具足していないことがありましょうか。会得することもまた病です。』 師は深く肯かれた。 重陽の日、師は菊を指して大衆を戒められた。 「危石孤標 菊正芳（危石に孤標として菊は正に芳し） 随風飄堕 落禅堂（風に随いて飄堕して禅堂に落つ） 諸人惜取 娘生鼻（諸人よ惜しみ取れ娘生の鼻を） 莫逐目前 臭与香（目前の臭と香を追うこと莫れ）」 私は和した。 「独立尖峰 菊自芳（尖峰に独立して菊は自ずから芳し） 満腔意気 透雲堂（満腔の意気は雲堂を透る） 而今鼻孔 随収放（而今鼻孔は収放に随い） 遍界人聞 遍界香（遍界の人の聞く処、遍界の香）」 師は大衆とともに座して酒を飲み、夜深くになって突然杯を挙げて言われた。『道ってみよ！』 私は言った。 「団圞高挙 示禅流（団圞と高く挙げて禅流に示す） 老大漁翁 意在鉤（老いたる漁翁は意は鉤にあり） 一吸曹源 波月尽（一吸して曹源の波月尽き） 万億須弥 笑不休（億万の須弥は笑ってやまない）」 ある日、師は私を方丈に呼んで言われた。『お前は酒を飲まないから、扇子に一筆書いて、ゆっくりと支度していくがよい。偈はこうだ。 「閑来双桂 習枯禅（閑に双桂に来たりて枯禅を習い） 七破蒲団 非偶然（七度破れた蒲団は偶然に非ず） 捲起簾児 雲不隔（簾を巻き上げれば雲も隔てず） 始知不負 草鞋銭（始めて知る草鞋銭に負わざるを）」 （暇に双桂堂に来て枯禅を修め、七度も蒲団を破ったのは偶然ではない。簾を巻き上げれば雲も隔てず、今こそ草鞋銭（修行の旅費）を無駄にしなかったと知る。） 私は言った。『この老漢は多くを漏らしている。』 師は言われた。『まさにその通り、お前がそうするのだ。』 私は言った。『盗人、心が虚しければ。』 師は目を大きく見開いて言われた。『まさに盗人、心が虚しいという通りだ。』 私は恐れるふりをして、扇子で顔を隠して出た。 数日も経たないうちに、師は牧牛頌・徳山托鉢の公案を挙げて大衆を試し、職位を授けられた。師の頌はこうである。 「手に托鉢す 身には袈裟 日々に形儀を逐う 何ぞ太だ賒かならん 動静自ら忘る 纔かに念を舉ぐれば 門を出でて 生冤家に撞著す 帰去罷 較些些 暗に驚く春鳥の 藤花に落つるを」 （手には鉢を持ち、身には袈裟を纏う。日々の形相はどうしてあまりに大げさなのか。動静を忘れ、ほんの少し念を起こすと、門を出たところで生きた宿敵にぶつかる。帰ろうか、少しはましか。暗闇に驚く春の鳥が藤の花に落ちるように。） 私の頌はこうである。 「托鉢堂前 老作家（托鉢の堂前に老作家あり） 令人一見 眼添沙（人をして一目見れば眼に沙を添うるが如し） 巌頭縦奪 槍旗転（巌頭は縦に奪い槍旗を転じ） 幾識全機 露爪牙（幾んど全機を知って爪牙を露わす）」 師は私に西堂の職を命じられたが、私はもともと学も福もなく、多くの危険や妬みを受けてきた。辞去しようとすると、師は言われた。『老僧はもうすぐ七十歳になる。来るなら手ぶらでは来られないし、去るなら手ぶらで去るのは良くない。お前は今、千人の足下にいるが、後には万の人の頭の上に座るであろう。』 師は満七十歳を迎え、二千余人の大衆が集い、共に大きな年を祝った。師は眼・耳・鼻・舌・身・意のそれぞれに一偈を分け与え、六人に付された。私はその眼を得た。偈はこうである。 「得吾眼也 覯浮沈（我が眼を得て浮沈を覯る） 浅則浅兮 深則深（浅きは浅く、深きは深し） 莫学瞎驢 趨大隊（瞎驢の大隊に趨くを学ぶこと莫れ） 破沙盆句 対誰吟（破沙盆の句を誰に向かって吟ぜん）」 （我が眼を得て、世の浮き沈みを見る。浅いものは浅く、深いものは深い。目くらなろばが大部隊に従うことを学ぶな。破れた沙盆の句を誰に向かって吟じようか。） 師はこの偈を私の顔に向かって払うようにして渡し、人事を絶って寝堂に閑居された。大衆は驚き、寺院は大いに動揺したが、私は敢えて辞することはできなかった。 私は四十五歳の時、射江の清果禅院に隠れ住み、苦楽を嘗め尽くしたが、志はまだ果たせなかった。さらに辛亥の冬を越え、五十二歳の時、ようやく拈香の法を継ぐことができた。 私は生来賢くなく、文章も巧みではない。種々の醜態を挙げ尽くすことはできないが、その概略を述べて、諸兄に告げる次第である。どうか笑わないでいただきたい。」