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title: "雨山和尚語錄 · 住龍舒白雲禪院語"
description: "雨山和尚语录上思说是清代禅宗典籍由禅师雨山所著。该书成于清代禅宗发展期反映了当时禅林的思想与实践。内容主要为雨山和尚的上堂说法机缘问答及禅修开示旨在引导学人明心见性。其语言简练直指人心承继临济宗风在佛教禅宗史上具有重要地位是研究清代禅宗思想及实践的重要文献对后世禅修者具有深远的指导意义。"
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## 雨山和尚語錄卷第四

> 雨山和尚語録 巻第四

嗣法門人　　記

> 嗣法門人　　記

### 住龍舒白雲禪院語

> 龍舒白雲禅院に住して語る

子待上座四十誕辰，請小參。「冷落門戶，獨推風穴；破落門戶，還遜楊岐。東鼓門戶，冷則夜燃松脂，破則床盈雪霰，蓋真有二老風味也。所以，山僧自踏足此間，有椎不拈、有拂不豎，一日打眠三五度，也消不得許多閒。奈有箇無事尋事做底，朝和南、暮不審，欲求一言以永壽命，山僧推托不過，只得扯箇古話以塞其白。記得魯國老孔有云：『知者樂水，仁者樂山；知者動，仁者靜。』拋卻城隍古寺，來空閒寂寞之濱，不可不謂之靜。者既靜矣，且道：仁者壽量又何如演說？」驀豎起拂子，云：「看，看！秪者箇歷千劫而不古，任他白鼠推遷，要且銀臺不變。山僧恁麼舉揚，還稱諸上座意也無？」良久，云：「遇明眼人，一任舉似。」

> 子待上座が四十歳の誕辰を迎え、小参を請うた。「寂れた門戸では、風穴和尚を第一と推し、荒れ果てた門戸では、楊岐和尚に譲る。東鼓の門戸は、寒ければ夜に松脂を燃やし、荒れれば床に雪霰が積もる。まさに二老の風味があると言えよう。それゆえ、山僧がこの地に足を踏み入れてからは、椎も取らず、払子も立てず、一日に三五度うたた寝をしても、まだまだ暇が余っている。しかし、わざわざ用事のないところに用事を作る者がいて、朝は和南し、夕には不審を抱き、一言を求めて寿命を永らえようとする。山僧は断りきれず、古い話を引っ張り出してその口を塞ぐほかない。魯の国の古老、孔子がこう言ったのを覚えている。『知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなる。』城隍の古寺を捨てて、閑寂な水辺に来たのは、静かであると言わざるを得ない。すでに静かであるならば、さて、仁者の寿命の量は、どう説き明かすべきか？」突然、払子を立てて言う。「見よ、見よ！ただこのものが千劫を経ても古びず、白鼠が時を推し移そうとも、銀の台座は変わらない。山僧がこのように挙揚しても、諸上座の意に叶うであろうか？」しばらくして言う。「明眼の人に出会えば、任せて挙示せよ。」

端午，師誕日祈雨，羽公蔣居士請小參。「山僧自到龍舒口邊，實情掃得白醭出，提著佛法兩字，如生冤家相似，非故不近人情，蓋從上風規應如是也。記得長沙岑和尚有云：『我若一向舉揚宗教，法堂前須草深一丈。』爾等既稱祖師門下客，何不略自回眸，看看先宗是何標格？真實向你道：若心地未明、智眼未開，切忌求佛、求祖、求心性、求玄妙，以當平生。設使求而得之，皆屬所依，譬如水母以蝦為目，無有自由分。試看天地未分、未有生佛名字以前一著，你還馳求得麼？你還依傍得麼？既馳求、依傍他不得，到這裏直饒智如鶖子、辯似滿慈，尚未彷彿其趨向，何況今時望道未見者妄自承當，一味露布葛藤以稱得旨？何殊平人妄稱帝王，自取誅戮？奉勸兄弟：既在此箇門中，參須徹、悟須透，莫秪向門頭戶口掠些光影，便為得本。如此見解，不但不契我衲僧分上，亦且未合契經深旨。不見先佛云：『從無住本立一切法。』即魯論亦云：『君子務本，本立而道生。』就使你真得其本，而不知法立道生的旨趣，正古人所謂：『會得自己，不會目前，有足無眼是也。』可見世、出世間聖人立言無不圓活，而小根執之即成偏枯。今日承羽公居士率眾檀請陞此座，故不覺叨怛如此。諸人要識無住的本麼？」驀以拄杖卓一下，云：「向這裏會，要識法立道生旨趣麼？」復提起拄杖，云：「拄杖子𨁝跳上三十三天，觸著帝釋鼻孔，東海鯉魚打一棒，雨似盆傾。秪如這一道真言又作麼生理會？如理會得，始知佛祖用處與自己無二無別。其或未然，更聽一偈：從來至理彰時節，榴火蒲煙競發機，會得目前無盡藏，祖燈由此永長輝。」

> 端午の節句、師の誕生日に雨を祈り、羽公蔣居士が小参を請うた。 「山僧が龍舒の地に来てからというもの、実のところ、心の塵を払い白く清めることに努め、『仏法』という二文字を口にするたび、まるで宿敵に遭うかのようだ。決して人情に背くつもりはないが、古来よりの風習・規矩はこのようなものだからだ。長沙の岑和尚がかつてこう言われたのを覚えている：『もし私がひたすらに宗門の教えを説き立てるならば、法堂の前には草が一丈も生い茂るだろう』と。あなたがたは既に祖師の門下の客と称しているのだから、どうして少しも自分を振り返り、先代の宗匠たちがどのような規範を示していたかを見ようとしないのか？ 真実をあなたに告げよう：もし心の本性が明らかでなく、智慧の眼が開けていないならば、くれぐれも仏を求め、祖師を求め、心性を求め、玄妙を求めて、それを平生の拠り所とするな。仮に求めて得たとしても、それはすべて依り所となるものに過ぎず、ちょうどクラゲがエビを目として頼り、自由の分け前がないようなものだ。天地が未だ分かず、生仏の名前さえなかった以前の一着を、試しに見てみよ。あなたはまだそこへ馳せ求めることができるか？ まだそれに依りかかることはできるか？ 既に馳せ求め、依りかかることもできないこの境地に至っては、たとえ智慧が舎利弗の如く、弁舌が富楼那の如くであっても、なおその趨向を彷彿とさせることすらできない。ましてや、今の時代、道を見ることすらできずに妄りに自分で引き受け、ひたすらに葛藤を露わにして、それをもって宗旨を得たと称する者たちはどうだろうか？ それは、常人でありながら妄りに帝王を称し、自ら誅戮を招くのに何ら変わらない。兄弟たちに奉げて勧める：既にこの門の中にいるならば、参究は徹底し、悟りは透徹せよ。ただ門戸のあたりで掠め取った些細な光や影を、本を得たと思ってはならない。このような見解は、我ら衲僧の分上に合わないばかりか、経典の深い旨にも合致しない。先仏が『無住の本より一切の法を立つ』と説かれたのを、見ないのか？ すなわち、魯論（論語）にも『君子は本を務む、本立ちて道生ず』とある。たとえあなたが真にその本を得たとしても、法が立ち道が生ずる旨趣を知らなければ、正に古人の言う『自己は会得しても、目前を会得せず、足はあれど眼なし』というところだ。これを見れば、世間・出世間の聖人が言葉を立てるには、すべて円活であるが、小根の者がそれに執着すれば偏枯となることが分かる。今日、羽公居士が衆檀越を率いてこの座に上がるよう請うたので、ついこのように長々と話してしまった。諸人が無住の本を識りたいか？」 突然、杖を地に突いて一たたきし、言う： 「ここに向かって会得せよ。法立ちて道生ずる旨趣を識りたいか？」 再び杖を提げ上げて、言う： 「杖子がぴょんと跳ね上がって三十三天に至り、帝釈天の鼻に触れ、東海の鯉魚を一棒打てば、雨は盆を傾けたように降り注ぐ。ただ、この一道の真言を、またどうやって道理に合わせて理解するのか？ もし道理に合わせて理解できれば、始めて佛祖の用いるところが、自己と二つも別れないことを知るだろう。もしそうでなければ、さらに一偈を聴け： 『從來、至理彰るるは時節にあり、 榴火蒲煙競いて機を発す。 会得せば目前無尽の蔵、 祖燈ここよりして永く長く輝かん。』」

烏沙臣五許文學伯仲，為先嚴緯蒼明府請對靈小參。「假借四大以為身，心本無生因境有，前境若無心亦無，罪福如幻起亦滅。古佛與麼告報，諸仁作麼生會？四大既云假借，正當分潰之時，且道一靈真性畢竟何依？直饒道箇高超三界、獨步大方，猶是尋常秪對，未為真實超證。」驀豎拂子，云：「若向這裏踏著實際，始知從本不受一塵。既不受一塵，則真如妄想皆是夢言，生死涅槃並為增語，更說甚地水為我先身、火風為我本體？是故，《楞嚴經》云：『汝但棄其生滅、守于真常，常光現前，根塵識性應時銷落。』便恁麼去，盡十方界是箇大解脫場，無論若生、若佛、若聖、若凡、若智、若愚，乃至山河大地、草芥人畜，苟蒙其光、被其澤，無有不發真歸元者也。試看即今緯蒼大居士生平功業書於竹帛，遺德在人口碑，謂其六十三年住世是生耶？大似水中撈月；謂其六十三年後去世是死耶？何殊空裏採花。何故？良以實際理地上絕無這箇消息。不見宋時樞密徐師川俯因丁父憂，念無以報罔極，特延靈源禪師歸孝址說法，源云：『諸仁者！龍圖平日讀萬卷書，如水傳器，涓滴不遺，且道著在甚麼處？而今捨識之後，這著萬卷書底又卻向甚麼處著？』師川聞之，灑然有得，曰：『吾無憾矣。』諸仁者！靈源得說法三昧，故不動聲氣，使師川徹證無生。今日臣五居士欲報罔極，亦延山僧到此，冀舉揚般若，以資令先嚴冥福，可謂與師川同德、同心、同理、同事。既一切皆同，且作麼生得同得同證去？」復豎拂子，云：「我今為汝保任此事，終不虛也。」

> 烏沙臣五居士は、先父である緯蒼明府のため、霊前にて小参を請うた。 「四大を仮りて身と為し、心は本より無生、境に因りて有す。前境若し無ければ心も亦無し。罪福は幻の如く起こり、また滅す。古仏はこのように告げられたが、皆さんはどう受け止められますか？四大がすでに仮のものというなら、まさに分解する時、一体一霊の真性は結局どこに依るのでしょうか。たとえ『三界を超え、大方を独歩す』と説いたとしても、それはまだ尋常の受け答えに過ぎず、真実の超証とは言えません。」 突然、払子を掲げて言う。 「ここで実際を踏みしめれば、初めて本来一塵も受けずと知るでしょう。一塵も受けなければ、真如も妄想もすべて夢の言葉、生死も涅槃も付け足しの言葉に過ぎず、さらに地水火風が我が身だなどと説く必要があろうか。ゆえに『楞厳経』には、『ただ生滅を棄てて真常を守れば、常光が現前し、根・塵・識の性はたちまち消え落ちる』とある。このまま進めば、十方世界全体が大解脱の場となり、生も仏も聖も凡も、智も愚も、さらには山河大地、草や塵、人や畜牲に至るまで、その光を蒙り、その恵みを受けて、真実に帰元しないものはない。今、緯蒼大居士の生涯の功業が史書に記され、遺徳が人々の口に残るのを見よ。彼の六十三年の在世を生というか？ 水に月を掬うようなもの。六十三年後に世を去ったことを死というか？ 空に花を摘むようなもの。なぜか？ まことの実際理地には、こんな消息は絶えてないからだ。 昔、宋の枢密・徐師川は父の喪に遭い、その恩に報いようと、霊源禅師を招いて孝址で説法を請うた。源は言った。『皆さん、龍図（師川の父）は平生、万巻の書を読み、水が器を伝うように一滴も漏らさなかった。では、それはどこに置かれているのか？ 今、識を捨てた後、この万巻の書を置いたものは、またどこに向かうのか？』師川はこれを聞いて、さっと悟るところがあり、『我に憾みなし』と言った。皆さん、霊源は説法三昧を得ていたから、声気を動かさずに師川を無生に徹証させた。今日、臣五居士が恩に報いようと、私をここに招き、般若を挙揚して先父の冥福を資することを願うのは、師川と徳を同じくし、心を同じくし、理を同じくし、事を同じくするというもの。すべてが同じなら、どうすれば同じく証することができるか？」 再び払子を掲げて言う。 「私は今、あなたがたにこの事を保任する。決して虚妄ではない。」

比丘恒修、沙彌是修，二禪人入塔小參。「剪木為函，功高化樂；壘石成屋，名重祗林。雖則頭頭挾路、處處通途，其奈金鎖虛拘、重門無縫，夜簾垂蔭、密室難窺？直饒寒山子鞋獰似虎，琉璃殿上覷捕無門；拾得兒杖活如龍，明月堂前轉身無路。何況驅烏未解、制犢未馴？欲躋寶所，不其難哉？雖然，思頭陀既承法爾殷殷，誼不容默，有箇不展功勳、直升灌頂底方便。」以拂子打圓相，云：「祖佛眾妙門，只此箇為最。珍重肇與融，努力紹其位。」

> 比丘は常に修行し、沙彌もまた修行する。二人の禅者が塔に入り、小参に臨む。「木を切り函と為せば、その功は化楽天よりも高く、石を積み屋と成せば、その名は祇園精舎よりも重し。頭頭に路を挟み、処処に途を通ずるといえども、金鎖は虚しく拘え、重門には縫い目なし。夜の簾は蔭を垂れ、密室は窺い難し。たとえ寒山子の鞋が虎のように獰猛であろうとも、瑠璃殿の上には覗き捕らえる門なく、拾得児の杖が龍のように活発であろうとも、明月堂の前には身を転ずる路なし。ましてや烏を駆ることを未だ解せず、犢を制することを未だ馴らさぬ者、宝所に登らんと欲するは、その難きこと甚だしからずや。とはいえ、思頭陀は既に法爾の殷々たるを受け継ぎ、誼をもって黙するを許さず。功勲を展べずして、直ちに灌頂に昇る底の方便あらん。」払子を以て円相を打ち、云く、「祖仏の衆妙門、只この箇最も為る。肇と融を珍重し、努力してその位を紹げ。」

蕭理卿居士率次男信斯，薦長男玉衡請對靈小參。「朔風凜冽，寒氣陰森，直得無陰陽地上滴水滴凍。昨日瑞雪紛紛，萬山盡縞，當此時也，峨眉老子大逞神通，有般目眩生花底，睹此光灼灼、白皚皚，都道是一色邊事，那知今朝太陽一出，倏忽成流，直下覓這一色了不可得，更說甚轉句？更說甚半提、全提？所以，過去古佛有云：『起諸善法本是幻，造諸惡業亦是幻，身如聚沫心如風，幻出無根無實性。』如是，則生也如幻、滅也如幻，善也如幻、惡也如幻，陰也如幻、陽也如幻，寒也如幻、熱也如幻，既一切盡皆如幻，則三際圓滿、一道虛融，無生死可了、無涅槃可證，佛與眾生性相平等。今日當薦玉衡居士有靈，聞山僧如此舉揚，一歷耳根，當下徹證無生，方不負乃父乃弟一段慈念薦拔之意。正當恁麼時，且道：當薦亡者畢竟超昇何位？」良久，云：「踢翻穢土無尋處，頓證唯心淨法身。」

> 蕭理卿居士が次男信斯を伴い、長男玉衡の供養のために霊前の小参を請うた。「北風は厳しく、寒気は陰鬱に満ち、陰陽のない大地に水が滴り凍るような境地に至る。昨日は瑞雪が舞い、万山はことごとく白く覆われた。この時、峨眉の老子は大いに神通を現じ、目が眩むほどに花が咲き乱れるかのようであった。この輝き煌めく白さを見て、皆が一色の境地だと言うが、今朝太陽が昇ると、あっという間に流れ去り、この一色を探しても全く見つからぬ。ましてや転句など、半提・全提などと論じる必要があろうか。故に、過去の古仏はこう説かれた：『諸の善法を起こすもこれ幻、諸の悪業を造るもこれ幻、身は聚沫の如く心は風の如し、幻の如く出でて根無く実性無し』と。かくの如く、生も幻、滅も幻、善も幻、悪も幻、陰も幻、陽も幻、寒さも幻、暑さも幻。一切がことごとく幻であるならば、三際は円満し、一道は虚ろに融け、了うべき生死もなく、証すべき涅槃もない。仏と衆生の性相は平等である。今日、玉衡居士の霊を供養するにあたり、山僧がこのように説き明かすことを、一度耳にすれば、ただちに無生を徹証し、父と弟の慈愛に満ちた供養の心に背かぬであろう。まさにこの時、いったい供養される亡き人はどの位に昇るのか？」しばらく間を置き、云う：「穢土を蹴散らして尋ぬる処無く、唯心の浄法身を頓証す。」

師到吳陵，晉儒劉文學薦嚴膚公孝廉請對靈小參。「正覺離名相，以名相求之即差，握節當胸者到此實為沉屈。白雲今日放一線道，與當薦劉公作箇指南。」遂豎拂子，云：「看！看！只這箇為毘盧師、為法身主，天也賴以成立、萬物藉以滋培，苟能洞徹根源，始知佛與眾生本來平等。不見吾佛昔在雪山成道，睹明星而嘆曰：『奇哉！一切眾生具有如來智慧德相，但以妄想執著不能證得。』諸仁者！要知釋迦老子意麼？良以諸佛智慧德相蘊在含識心源，秪因不覺，頓起業惑。以業惑故，遂結成八萬四千塵勞山、釀深八萬四千煩惱海。靈利漢直下了知業惑本無自性、當體全空，則塵勞山翻為智山、煩惱海變為覺海，到這裏不妨住世、出世，居塵、了塵，更有甚生為可戀、死有可悲？又不見宋時徐師川居士欲報先龍圖罔極之恩，特請靈源禪師就孝址說法，源云：『諸仁者！先龍圖平日讀萬卷書，只這身如椰子大，萬卷書著在何處？而今捨識之後，這讀萬卷書底又向甚麼處著？』師川聞之，當下了悟。今日晉儒居士欲報先孝廉罔極之恩，亦請山僧就孝址說法，用展哀思。或有人問：『先孝廉平日讀萬卷書，而今捨識之後，這讀萬卷書底畢竟向何處安身立命？』諸仁者！要知麼？」乃以拂子擊案一下，云：「彈指頓超清淨界，方知吾道不思議。」

> 師が呉陵に到着された時、晋儒の劉文學が厳膚公孝廉を推薦し、霊前にて小参を請うた。 「正覚は名相を離れています。名相をもってこれを求めれば、すなわち誤りとなります。節を胸に握りしめてここに至る者は、実に沈み屈するもの。白雲（私）が今日、一筋の道を開き、推薦者の劉公のために指南としましょう。」 かくて払子を掲げて言われた。 「見よ、見よ。ただこのものが毘盧師となり、法身の主となる。天もこれによって成立し、万物もこれによって育まれる。もし根源を洞徹することができれば、はじめて仏と衆生が本来平等であることを知るでしょう。 かつて吾が仏が雪山で成道され、明星を観て嘆じて言われたことを思い出しませんか。『奇なるかな、一切の衆生は如来の智慧徳相を具えている。ただ妄想執著によって証得することができないだけである』と。 諸仁者よ、釈迦老子の意を理解したいですか。まことに、諸仏の智慧徳相は含識の心源に蘊まれています。ただ不覚のゆえに、たちまち業惑が起こるのです。業惑があるがゆえに、八万四千の塵労の山を結び、八万四千の煩悩の海を深く醸すのです。 霊利な漢は、直ちに業惑が本来自性なく、当体全く空であることを了知すれば、塵労の山は翻って智山となり、煩悩の海は覚海へと変わります。ここに至れば、世に住むも出るも、塵に居りて塵を了ずるも、何の妨げもありません。さらに、何の生が恋しく、死が悲しむべきものでありましょうか。 また、宋の時代の徐師川居士が先龍図の尽きせぬ恩に報いようと、特に霊源禅師を請じて孝址で説法を乞うた時のことを思い出しませんか。源禅師は言われました。『諸仁者よ、先龍図は平生、万巻の書を読みましたが、この身は椰子の実ほどの大きさしかありません。万巻の書はどこに置かれたのでしょう。今、識を捨てた後、この万巻の書を読んだものは、またどこに向かって置かれるのでしょうか』と。師川はこれを聞いて、たちどころに悟りを開きました。 今日、晋儒居士が先孝廉の尽きせぬ恩に報いようと、同様に山僧を請じて孝址で説法を求め、哀思を展べようとされています。もし人が問うならば、『先孝廉は平生、万巻の書を読みましたが、今、識を捨てた後、この万巻の書を読んだものは、畢竟どこに安身立命するのでしょうか』と。 諸仁者よ、知りたいですか？」 かくて払子を机に一撃し、言われた。 「弾指の間に清浄界を超え、方て吾が道の不思議を知る。」

映子朱居士為先嚴長源山主請掩土。「毘耶高鎖白雲深，不二門開見夙心；倒跨六龍歸去後，嘉聲留得播叢林。恭惟大山主長源老居士，佛心夙植，道韻天成。折節求師，不憚雲門路嶮；橫身為法，寧教海甸禪荒？赤手扶剎竿，妙用縱橫，唯憑一力；鬧藍開祖域，神通廓徹，那羨五丁？方期諸山保社，永受帡幪；豈意六轡神駒，遽爾仙逝？化城昔滯，盡道馬鬣之未封；寶所今登，那識牛眠之可慶？十字交橫，洵哉安貞應地；一儀高厚，允矣深固靈根。山野忝居祖席，聊展法誠。解脫門開，固是昔年親證；真實相顯，還期此日圓成。正恁麼時，全身奉重一句作麼生道？乾坤存正脈，山水護真龍。」

> 映子朱居士が先父長源山主のために土を掩うことを請う。 「毘耶は高く鎖さえ、白雲深く、不二の門開きて夙心を見る。 六龍を倒跨して帰去した後、嘉声留まって叢林に播く。 恭しく惟うに、大山主長源老居士は、仏心夙に植え、道韻天に成る。 節を折りて師を求め、雲門の路の嶮しきを憚らず。 身を横たえて法のため、寧ろ海甸の禅荒るるを教えんや。 赤手に剎竿を扶け、妙用縦横、唯だ一力を憑む。 鬧藍に祖域を開き、神通廓徹、那ぞ五丁を羨まん。 方に諸山の保社を期し、永く帡幪を受かんとす。 豈に意図せんや、六轡の神駒、遽爾として仙逝せんとは。 化城昔に滞り、尽く馬鬣の未だ封ぜざるを道う。 宝所今に登り、那ぞ牛眠の慶ぶべきを識らん。 十字交横、洵に安貞地に応じ。 一儀高厚、允に深固霊根たり。 山野、忝くも祖席に居り、聊か法誠を展ぶ。 解脱の門開く、固より昔年の親証。 真実の相顕る、還って期す此の日の円成。 正に恁麼の時、全身奉重の一句、作麼生か道わん。 乾坤正脈を存し、山水真龍を護る。」

丁穎公居士率姪元亮，為亡弟庶公請對靈小參。「真如淨境界，能證者甚難。得人有底道：若欲明真，先須息妄。妄息，則生死海不待截而徑渡；真明，則涅槃岸何勞躋而先登？如此理論，是則固是，爭奈取捨未亡，欲躋他先聖閫奧猶未可在。不見道：『起諸善法本是幻，造諸惡業亦是幻；身如聚沫心如風，幻出無根無實性。』諸仁者！作麼生說箇幻出無實底道理？向這裏見得，始知從本已來原自忘懷廓落、消息沖融，狸奴白牯不見下劣、寶几珍御亦無驚異，更有何多生業障、累劫冤親而不一切智智清淨無二、無二分、無別、無斷？所以云：『佛說一切法，為度一切心；我無一切心，何用一切法？』又云：『凡聖一真，猶存見隔；見存即凡，情忘即佛。』寂音讚以為先聖不能加毫末于此也，豈非得處真實、用處真實，令人不可意度者哉？庶公居士，山僧知名雖久，謀面未曾，夏初獲晤高齋，時抱病已篤，承不鄙山野，折節皈依，別後以霪雨連綿，音問曠絕，不謂遂于五月念一日下世矣。嗚呼！可勝歎哉！聞易簣時，諄諄遺囑，冀請山僧到靈址說法。昨者乃姪啣命而至，適山僧有禁足之期，不獲已，只得破制而來，以慰其靈。記得宋時王公韶居士帥西塞，自以殺業深重，特請佛印禪師到上藍說法，以祈澡雪。印拈香云：『此香為殺人不眨眼底上將軍，立地成佛大居士。』眾稱善，公亦悠然意消。今日山僧亦將上來所揚般若功德用資庶公，惟願一歷耳根，頓明自性，從此功名富貴視如夢幻，聲色貨利等之浮漚，一任天上人間隨緣放曠，他方此土任意縱橫，復何生死榮枯之足云？更聽一偈：智眼豁開蕉夢醒，始知天地一蘧廬，從今解卻塵勞縛，直入蓮花國裏居。」

> 丁穎公居士が甥の元亮を連れ、亡き弟の庶公のために霊前にて小参を請うた。 「真如の清浄なる境、これを証する者は甚だ難し。ある人が言うには、真を明らかにせんと欲すれば、まず妄を息めよと。妄が息めば、生死の海は断ち切るを待たずして直ちに渡り、真が明らかになれば、涅槃の岸はどうして登る労を要しようか。このような理屈は、確かにその通りではあるが、残念ながら取捨の心がまだ消えず、先聖の奥深き境地に至ることはまだ叶わない。言われるではないか、『諸々の善法を起こすもこれ幻、諸々の悪業を造るもこれまた幻。身は聚沫の如く心は風の如し、幻より出でて根無く実性無し』と。諸仁者よ、どうしてこの『幻より出でて実無し』という道理を説くのか。ここに見得すれば、初めて知る、本来より元より忘懐廓落、消息沖融たることを。狸奴や白牯を見ても劣れるとせず、宝几や珍御にも驚かず、さらにいかなる多生の業障、累劫の冤親があって、一切智智清浄にして二無く、二分無く、別無く、断無きに至らぬことがあろうか。故に云う、『仏は一切の法を説く、一切の心を度するがため。我に一切の心無ければ、何を用いん一切の法を』と。また云う、『凡聖一真なりと雖も、なお見隔たりを存す。見存すれば即ち凡、情忘るれば即ち仏』と。寂音がこれを讃えて、先聖もここに毫末を加えること能わずと為す。豈に得処真実、用処真実にして、人の意度すべからざる者ならずや。庶公居士、山僧その名を知って久しけれど、面を謀ることは未だ曾て無し。夏の初めに高齋にて会いし時、すでに病篤く、山野を鄙しまずして、節を折りて帰依せしむ。別れてより霖雨連綿、音問絶え、まさか五月二十一日に世を去らんとは。嗚呼、勝げて歎ずべきかな。易簀の時、諄諄として遺嘱し、山僧の霊址に到りて説法を請わんことを冀う。昨日、甥君命を啣えて至る。時に山僧に禁足の期あり、已むを得ず、ただ制を破りて来たり、その霊を慰む。宋の時、王公韶居士が西塞を帥い、自ら殺業の深重なるを以て、特に仏印禅師を上藍に請じて説法せしめ、以て澡雪を祈る。印は香を拈って云う、『この香は、人を殺して眼を瞬かざる上將軍、立地に成仏する大居士のためなり』と。衆善しと称し、公もまた悠然として意消ゆ。今日、山僧もまた上に揚げし般若の功德を以て庶公に資けん。惟うらくは、一たび耳根に歴りて、頓に自性を明らかにし、ここより功名富貴を夢幻の如く視、声色貨利を浮漚に等しくし、一任して天上人間に随縁放曠、他方此土に任意縦横し、さらにいかなる生死栄枯の足りて云うべきことがあろうか。さらに一偈を聴け、智眼豁開して蕉夢醒む、始めて知る天地一蘧廬なることを。今より塵労の縛を解きて、直ちに蓮花の国裏に入りて居らん。」

晚參。「世尊拈花，堪笑堪嗟，贏得他人一笑，輸卻自己三車，狗子分明無佛性，貓兒真箇有爪牙，擊碎禾山之鼓，拗折秘魔之叉，嗄嗄嗄，誰信風流出當家。」

> 晩の参禅の時。 「世尊が花を拈じ上げた。 笑うべきか嘆くべきか。 他人の一笑を勝ち得て、 自らの三車を失った。 犬には明らかに仏性はなく、 猫には確かに爪と牙がある。 禾山の太鼓を打ち砕き、 秘魔の叉を折り曲げる。 ああ、ああ、ああ、 誰が風流が当家を出ると信じようか。」

晚參。「佛不是，心亦非，眼裏著砂不得、耳裏著水不得，便恁麼去，也好一員無事道人。雖然，忽若毘嵐風起，把七金五嶽一時吹入你鼻孔裏，又作麼生向者裏施得一機熱炙盞子與茶你喫？其或不然，平地上死人無數，透得荊棘林是好手。」

> 晩の参禅。「仏はそうではなく、心もまたそうではない。目に砂が入るのもならず、耳に水が入るのもならず、そのままにしておくのも、一人の無事の道人としては良い。しかし、もし突風が吹き起こり、七つの金や五つの山を一瞬にしてあなたの鼻の穴に吹き込んだとしたら、どうやってここで一機の熱い茶碗を差し出し、あなたにお茶を飲ませることができるだろうか？もしそうでなければ、平らな地面で無数の死者が出て、茨の林をくぐり抜けるのが上手な者だ。」

白龍、雨華兩和尚訃音到山，上供。師指白龍真云：「這箇是白龍蔭公。」復指雨華真云：「這箇是雨華願老。白雲忝續末派，皆獲週旋其門，近聞在潤州同時遷化了也。今日特地炊一甌飯，煮一盞羹，以表道誼。諸兄弟！若謂雨華昔與我親，曾受其益，大似方木逗圓孔；若謂白龍昔與我疏，曾喫其虧，何殊短竹點長空？殊不知潤州兩兄，世不得而親疏；龍舒一弟，人豈可以損益？是稱天寧門下聱頭禪，堪與諸方為標格。」

> 白龍和尚と雨華和尚の両師の訃報が山に届き、供養を捧げました。 師は白龍和尚の肖像を指して言われました。 「これは白龍蔭公です。」 さらに雨華和尚の肖像を指して、 「これは雨華願老です。白雲（私）は末派に連なる者として、両師の門下で共に過ごす機会を得ました。近頃、潤州で二人が同時に遷化されたと聞きました。今日は特に一椀の飯を炊き、一盞の羹を煮て、道誼を表したいと思います。 諸兄弟よ！もし雨華和尚が昔、私と親しく、その恩恵を受けたからと言うなら、それはまるで四角い木を丸い穴に嵌めようとするようなもの。もし白龍和尚が昔、私と疎遠で、そのために損をしたからと言うなら、それは短い竹竿で長い空を突くようなもの。 知らないのか、潤州の両師は、世間の親しみや疎遠によって計られるものではない。龍舒の一弟（私）は、人の損得で評価できるものだろうか。これこそ天寧門下の聱頭禅であり、諸方の手本となるべきものである。」

潘明卿為伯父成所居士請起棺。「人生虛幻若浮漚，忽地風移夜壑舟，翻思插標功未就，賢于去速實堪愁。恭惟故山主成所居士，青年立志，白手成家，曰男曰女雖無，而財而帛恒有。昔曾皈心佛寶，創白社以傳燈；今擬託跡緇流，效青山而斷髮。詎意一病纔起，二豎便入膏肓；頂相未圓，四大忽離本主。嗚呼！九夏公招我而我不來，三冬我望公而公已去，致白雲裏一舖功德瓓珊，龍舒山中幾位耆年寂寞。今者孝姪志清，承命家業，永紹箕裘，修佛事投誠佛天，卜吉日歸棺吉地，惟冀居士披精進鎧、操智慧刀，斬斷名利鎖韁，掀翻是非窠臼，白牛車乘時穩駕，三界獄指日高超，大展遊戲神通，直到本有田地。且道即今快行得步一句作麼生道？」良久，云：「好音莫謂西歸遠，咫尺家山罷問程。」公有志出家而未果。

> 潘明卿が伯父の成所居士のために棺を上げることを請う。 「人生は虚しく幻の如く、浮き草のよう。突然の風が夜の谷の舟を移すが如し。思い返せば、功績を立てる標を掲げたものの未だ成らず、賢き者が速やかに去るは実に愁い堪えぬ。謹んで故山主成所居士を思うに、青年の志を立て、何もないところから家を成し、男子も女子もいないながらも、財産と絹布は常に豊かであった。かつては仏宝に心を帰依し、白蓮社を創って法灯を伝え、今は緇衣の流れに身を寄せ、青山に倣って髪を断たんとしていた。思いがけず一病が起こり、二つの病魔が膏肓に入り込み、頂相（頭部の相）未だ円満ならぬうちに、四大（地水火風）が忽然と本主を離れた。ああ、九夏（長い夏）の間、公は私を招かれたが私は来ず、三冬（長い冬）の間、私は公を待ち望んだが公は既に去ってしまわれた。それゆえ白雲の裡に一つの功徳が寂しく、龍舒山中の数人の老いた人々は孤独である。今、孝行なる甥の志清は家業を継ぎ、箕裘（祖先の業）を永遠に受け継ぎ、仏事を修めて仏天に誠を尽くし、吉日を選んで棺を吉地に帰す。ただ居士が精進の鎧をまとい、智慧の刀を操り、名利の鎖と手綱を断ち切り、是非の巣窟をひっくり返し、白牛車に時を乗じて穩やかに駕し、三界の牢獄を指日（近い将来）に超え、大いに遊戯神通を展べ、本有の田地（本来の境地）にまで到達されることを願う。さて、今すぐに快く一歩を進める一句をどう言おうか。」 しばらくして、云う。 「良い知らせは西に帰る遠しと謂うなかれ、咫尺の家山に程を問うを罷めよ。」<note place="inline">公は出家を志したが果たせなかった。</note>

晚參。舉：「昔龐公至藥山，山命十禪客相送至門首，公乃指空中雪，曰：『好雪片片，不落別處。』有全禪客，曰：『落在甚處？』公遂與一掌，全曰：『也不得草草。』公曰：『恁麼稱禪客，閻羅老子未放你在。』全曰：『居士作麼生？』公又掌，曰：『眼見如盲，口說若啞。』」乃云：「卻物為上，逐物為下。奯船長已言之於前矣，而龐公問處固是不當好心，若是箇善嚙鏃機底，縱饒有蓋世英雄，亦須倒退三千里。可惜全公不解作主，無端上人鉤線，欲使藥山門風不致掃地，焉可得乎？今日白雲不是抑弱扶強，亦非拗直作曲，諸人要識是非。」驀拈拄杖，云：「但向者裏辨取。」

> 晩参の時、挙す。昔、龐居士が薬山のもとを訪れた。薬山は十人の禅客に命じて門前まで見送らせた。龐公は空に舞う雪を指さして言った。「見事な雪だ。一片一片、別の場所には落ちない。」すると全禅客が尋ねた。「ではどこに落ちるのか？」龐公は彼を一撃した。全が言う。「そう軽々しく扱われる覚えはない。」龐公は言った。「これで禅客と称するのか。閻魔大王もお前を見逃さぬだろう。」全が言う。「居士はどうなさるおつもりか？」龐公は再び打ち据え、言った。「目は見えていても盲目、口は話せても唖者だ。」 そこで言う。物を退けるを上とし、物に逐うを下とす。奯船長はすでに以前にこれを説いた。しかし龐公の問いかけは、もとより良からぬ心によるものではない。もし嚙鏃機の妙を得た者であれば、たとえ世を覆うほどの英雄であっても、三千里退かねばなるまい。惜しいかな全公は主となることを解せず、わけもなく人の鉤線にかかり、薬山の門風が地を掃かれることなからんと欲したが、どうして叶うだろうか。今日、白雲は弱きを抑え強きを扶けるためではなく、また直きを拗げて曲げるためでもない。諸君らは是非を識らねばならぬ。驀地に拄杖を拈じ、云く。「ただここに向かって弁ぜよ。」

師至淨梵寺，主人元白老宿率眾請上堂。「行腳高士入得淨梵門，試看古宿威光、先德風彩，畢竟從何處建立？向這裏一一緇素得出，始知世界未形，未有生佛名字已前，便具有這箇保社。苟非辦真實心、行真實行底阿師撤去籓籬，那能和四海為一家、合十方為一己？」驀拈拄杖卓一下，云：「汝諸仁的的從這裏承紹得去，于一毫端現寶王剎、坐微塵裏轉大法輪，殊非難事。且道目前畢竟以何為驗？」良久，云：「客是主人相。」師便下座。

> 師が浄梵寺に到着すると、主人の元白老宿が大衆を率いて上堂を請うた。 「修行の高士が浄梵の門に入るや、古宿の威光と先徳の風采を試しに見よ。畢竟、何処より建立せしものか？ここにおいて一々に緇素（僧俗）がこれを悟り得て、初めて世界未だ形なく、生仏の名字未だ有らざる以前より、すでにこの保社（道場）を具せしことを知る。もし真実の心を弁え、真実の行をなす阿師（修行者）が藩籬（垣根）を撤去せずば、いずくんぞ四海を一家と為し、十方を一己と合せんや？」 突然に杖を拈じて地を突き、「汝ら諸仁、ここより明らかに承継して行けば、一毫の端に宝王刹を現じ、微塵の裡に坐して大法輪を転ずること、決して難事にあらず。しかるに、目前畢竟何を以て験と為すべきか？」と問う。 しばらく沈黙し、「客は主人の相なり」と述べ、師は座を下りた。

晚參。「世尊一大藏教只說得箇半字，祖師一千七百則公案只說得箇滿字。」驀豎竹篦，云：「須知這裏半也收不得、滿也收不得，有時𨁝跳上天，撞倒南辰、磕落北斗，盡乾坤一時黑暗，你這夥漆桶向那裏安身立命？」眾無對，遂以竹篦旋風打散。

> 晩参。 「世尊の一大蔵教は、ただ半字を説くに過ぎず、祖師の一千七百則の公案は、ただ満字を説くに過ぎない。」 突然、竹篦を掲げて言う。 「知るべし、ここでは半も収められず、満も収められぬ。時に、跳ね上がって天に至り、南辰を倒し、北斗を叩き落とし、乾坤ことごとく一時に暗黒となる。お前たち漆桶ども、どこに身を置き、命を立てようとするのか？」 衆、答えず。そこで竹篦を旋風のように振り回して、散らした。

念慈謝護法請為閻太恭人對靈小參。「凡聖分明共一真，急須著眼看仙人，從今脫卻娑婆苦，珍重蓮花國裏身。」

> 念慈謝護法が閻太恭人の霊前にて小参を請う。 「凡夫も聖者も、その真実は一つ。 急ぎて目を凝らせよ、仙人を観るがごとく。 今より娑婆の苦しみを脱し、 蓮華の国にて身を重んぜよ。」

公遜謝護法請為亡室張氏對靈小參。「生滅原無住，一靈性自真，回頭登彼岸，莫謂失青春。」

> 公が護法に謝し、亡き妻張氏のために霊前に小参を請うた。 「生滅はもとより住むところなく、一霊の性は自ら真なり。 振り返って彼岸に登り、青春を失うと謂うなかれ。」

## 雨山和尚語錄卷第四終

> 雨山和尚語録 巻第四