ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 密雲悟禅師語録 (密雲悟禪師語錄)
  2. 第一 (第一)
  3. 序文 (序文)
←と→
矢印キーでページをめくれます

密雲悟禅師語録 (密雲悟禪師語錄)


密雲禪師語錄序

密雲禅師語録序

達磨受西天般若多羅密印六傳而至曹谿曹谿之後分為二支而臨濟之兒孫獨盛臨濟之後又分為二支而楊岐之兒孫獨盛盖監寺受慈明遙記與黃檗之記臨濟正同故禪道獨為天下冠今之所傳臨濟派者則皆系出於圓悟勤之子虎邱隆者也虎邱之子天童華知見高邁大慧嘗作偈特稱之天童華傳天童傑傑傳破菴先先傳無準範範傳雪嵒欽欽傳高峰玅玅傳中峰本本傳千嵒長長傳萬峰蔚蔚傳寶藏持持傳東明旵旵傳海舟慈慈傳寶峰瑄瑄傳天奇瑞瑞傳絕學聰聰傳月心寶寶傳禹門傳禹門嫡子是為今天童圓悟大師大師之望前圓悟勤公凡二十世其望臨濟則三十世而望達磨則四十世也天童居大海之東山川環擁當年之坐道場說法者八十餘員大率皆臨濟之裔也庚午之春余在武林僧舍偶見大師語錄一編始知臨濟宗風至今未墜修書致敬請師說法太白山中即天童華禪師故址也棒喝交馳學者無開口處莫不望風而靡以為臨濟再來也大師操履嚴峻有古尊宿之風行解相應與末世之狂禪迥別余嘗覩其用處縱奪自䌛每吐一言盖天盖地其所從來者異矣應般若多羅之讖而中興臨濟之道於今時正令全提坐斷十方世界至矣哉。

達磨は西天の般若多羅より密印を受け、六伝を経て曹谿に至る。曹谿の後、二つの支流に分かれ、臨済の子孫のみが特に栄えた。臨済の後もまた二支に分かれ、楊岐の子孫のみが特に栄えた。これは監寺が慈明の遠い記別を受け、黄檗の記別と臨済の正伝とが同じであったため、禅道が天下に冠たるものとなったのである。今伝わる臨済派は、すべて円悟勤の子、虎邱隆の系統に連なる。虎邱の子、天童華は見識が高く、大慧が特に偈をもって称えた。天童華は天童傑に伝え、傑は破菴先に、先は無準範に、範は雪嵒欽に、欽は高峰玅に、玅は中峰本に、本は千嵒長に、長は万峰蔚に、蔚は宝蔵持に、持は東明旵に、旵は海舟慈に、慈は宝峰瑄に、瑄は天奇瑞に、瑞は絶学聰に、聰は月心宝に、宝は禹門に伝え、禹門の嫡子こそが、今日の天童円悟大師である。大師から前の円悟勤公を望めば二十世、臨済を望めば三十世、達磨を望めば四十世となる。天童は大海の東にあり、山川に囲まれている。かつて道場に坐して説法した者は八十余人、おおむね皆、臨済の末裔である。庚午の春、余は武林の僧舎にて、偶然大師の語録一編を見て、臨済の宗風が今なお廃れていないことを知り、書を修めて敬意を表し、師に太白山中(天童華禅師の旧跡)で説法を請うた。棒喝交々に馳せ、学ぶ者に開口の余地なく、風を見て靡かざる者はなく、臨済の再来と称された。大師の操行は厳しく峻烈、古尊宿の風あり、行いと理解が相応し、末世の狂禅とは全く異なる。余はその用いるところを観るに、縦奪自在、一言を吐けば天地を覆い、その来歴は尋常ではない。般若多羅の讖記に応え、今この時に臨済の道を中興し、正令を全提し、十方世界を坐断する。至極なるかな。

崇禎壬申歲三月朔旦弟子黃端伯稽首和南譔

崇禎壬申の年、三月の初めの日、弟子黄端伯、謹んで頭を地につけて拝礼し、南に向かって敬虔に記す。


奏章
目錄

CBETA コード: L1640

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません