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  1. 太虚大師全書.第十二編 宗体論 (太虛大師全書.第十二編 宗體論)
  2. 第一章 現實之理
  3. 第一節 現變實事
  4. 三 易的宇宙
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太虚大師全書.第十二編 宗体論 (太虛大師全書.第十二編 宗體論)


三 易的宇宙

易の宇宙

「易」、是代表中國哲學之宇宙觀的。中國哲學的宇宙觀,在過去,無論是道家或陰陽家等,都是以「易經」為大本的。降及近人的民生史觀,唯生論,亦皆依據易經之哲學而適應現時代的需要而發揮。

「易」は、中國哲學における宇宙觀を代表するものである。中國哲學の宇宙觀は、過去においても、道家や陰陽家など、いずれも『易経』を根本としていた。近代に至っては、民生史観や唯生論も、すべて易経の哲學に基づき、現代の需要に適応しながら展開されてきたのである。

易即周易,省稱曰易。周者遍常,易者變化。猶赫拉克里特所云「常變為化」;亦猶佛說「諸有為法,無常流轉相續不斷」;所謂「神無方而易無體」者也。又易者、簡易:乾、易知也,坤、易能也,故八卦以乾坤為本。又易者、交易,相待為變以著其化也;亦近佛法緣起無性之說。萬物由周遍交待而相存相變,無能自遁,故曰周易。得此公例以臨萬化,則物理易知、人事簡能也。故又偏名曰易,所謂「易簡之義配至德」也。
三爻者,仰觀為天,俯察為地,人處其中,依天而觀象化,依地而取物用,此三才之義也。三才皆材,而乾與坤則為二性。二性遍於三才,三才皆有乾性,故☰卦有三畫;三才皆有坤性故,☷卦有三畫。非性無以呈材,非材無以見性,材性同現,材性并存;未有無材之性,亦無無性之材。故八卦之材,不出三才;八卦之性,不出乾、坤。乾、坤者,在星氣則為陰陽,在數理則為奇偶,在勢則為動靜,在行則為健順,此大公例隨物隨事可加察者。「其動也直」,乾之正例也;「其靜也翕」,坤之正例也。然乾坤二性之所存,非異處而同處者也。乾不離坤,故「其靜也專」,以專為靜,乃即動之靜,所謂天下之動貞夫一者也。坤不離乾,故「其動也闢」;但指靜有所闢者曰動,而非其所以闢,所以闢者乾也。有乾無坤,雖動而不成異;有坤無乾,雖動而不成變;二性倚伏隱顯而相為消長,則其變化繁矣。乾靜而專,坤靜而翕,異者可謂一矣;乾動而直,坤動而闢,一者可為異也。專之、直之,貫其一、異,故大生焉;翕之、闢之,熾其一、異,故廣生焉。大生、廣生,原始澈終,不離三才二性,互錯交構而成象者也。雷、風、火動乎上、天之屬也;山、澤、水凝于下、地之屬也;故喻之以長、中、少之三男三女。其變既著,其象既章,猶夫男女既生,則離父母而有自體。雖男女皆由父母生,各有父性、母性,而自體之男性女性亦有分定,不相混合,亦終不復與父母合為一體。故三男三女,則與父母並為八人,而震、巽、坎、離、艮、兌,亦與乾、坤並列為八。至夫重卦,則猶男女更生男女,男女亦轉為父母矣。重卦之乾、坤卦,子對之則父母,孫對之則祖父祖母;或是臣對之為帝后,民對之為君吏,故成二重。否、泰二卦,在自則為夫婦,對於子則為父母,故亦二重;皆由交待異功殊分,可以推知矣。其生生也彌蕃,其存存也彌異,要以三才、二性之交變為共依。猶夫草木依山,山復依地,而地氣亦徹草木之枝葉花果也。

三爻というのは、上を見上げれば天を観じ、下を見下ろせば地を観じ、人はその中にあって、天に依って象や変化を観察し、地に依って物や用を取り入れる。これが三才の意味である。三才はすべて材であり、乾と坤はその二つの性である。二つの性は三才のすべてに遍く存在する。三才のすべてに乾の性があるから、☰卦には三画がある。三才のすべてに坤の性があるから、☷卦にも三画がある。性がなければ材を現すことができず、材がなければ性を見ることができない。材と性は同時に現れ、材と性はともに存在する。材のない性はなく、性のない材もない。だから八卦の材は三才を出ず、八卦の性は乾坤を出ない。乾坤とは、星気においては陰陽となり、数理においては奇偶となり、勢においては動静となり、行においては健順となる。これは大きな公理であり、物や事に従って観察することができるものである。「その動くや直し」は乾の正しい理であり、「その静かなるや翕し」は坤の正しい理である。しかし乾坤の二性が存在するところは、別々にあるのではなく、同じところにあるのである。乾は坤を離れないから、「その静かなるや専し」という。専を以て静と為すのは、すなわち動の中の静であり、いわゆる天下の動は一に貞(ただ)しいということである。坤は乾を離れないから、「その動くや闢し」という。ただ静の中に開き出すものがあることを指して動と言うのであって、その開き出す所以は乾なのである。乾があって坤がなければ、動いても異なるものを成さない。坤があって乾がなければ、動いても変化を成さない。二性は寄り添い隠れ顕れ、互いに消長し合うから、その変化は繁いものとなる。乾の静は専であり、坤の静は翕であり、異なるものも一と言える。乾の動は直であり、坤の動は闢であり、一なるものも異と為すことができる。専にし直にするは、その一と異を貫くから、大生が生じる。翕にし闢にするは、その一と異を盛んにするから、広生が生じる。大生と広生は、始めを究め終わりを徹しても、三才と二性を離れず、互いに錯綜し交わり構えて象を成すのである。雷・風・火は上に動き、これは天の類である。山・沢・水は下に凝り、これは地の類である。だから長男・中男・少男、長女・中女・少女に喩えられるのである。その変化がすでに著しく、その象がすでに明らかになれば、ちょうど男女が生まれたならば、父母を離れて自らの体を持つようなものである。男女はみな父母から生まれるけれども、それぞれ父性・母性を持ちながら、自らの体における男性・女性の性も分け定められていて、混ざり合うことがなく、ついには父母と再び一体となることもない。だから三男三女は父母と並んで八人となり、震・巽・坎・離・艮・兌も乾・坤と並んで八つとなるのである。重卦に至っては、ちょうど男女がさらに男女を生み、男女もまた父母に転ずるようなものである。重卦の乾・坤の卦は、子から見れば父母であり、孫から見れば祖父母である。あるいは臣から見れば帝后であり、民から見れば君吏であるから、二重となるのである。否・泰の二卦は、自分にとっては夫婦であり、子にとっては父母であるから、これもまた二重となる。みな交代によって功が異なり、分け目が異なることによるもので、これによって推し知ることができるのである。その生々することはいよいよ盛んであり、その存存することはいよいよ異なるが、要するに三才と二性の交わり変わることを共通のよりどころとするのである。ちょうど草木が山に依り、山がまた地に依り、地の気が草木の枝・葉・花・果実にまで徹するようなものである。

明此易學之精要者,有「物各一乾坤,物各一太極」之二語;亦即物各陰陽,物各一宇宙也。以每一事物皆是乾坤二性之一平衡體,此體即太極。凡成為一事物者,即一乾坤平衡體的太極;此平衡體,即二性之平衡,非別有一平衡物。故即依平衡可起毘陰毘陽的不平衡,由此而有轉易變化,在不平衡上又去求平衡;所求到之平衡,仍為含有陰陽二性之平衡。因而證知一一事物之成,皆不是一種單獨純一性,故仍時起不平衡而成事物的流行變化。一事物如此,宇宙人生亦如此:此中國易的哲學亦為最能說明現變實事者。

この易学の精髄を明らかにするものに、「物各一乾坤、物各一太極」という二つの言葉があります。つまり、万物はそれぞれ陰陽を備え、それぞれ一つの宇宙であるということです。すべての事物は乾坤という二つの性質の一つの平衡体であり、この平衡体こそが太極です。何か一つの事物として成り立つものは、すなわち乾坤の平衡体である太極なのです。この平衡体は、二つの性質の釣り合いであり、別に平衡というものがあるわけではありません。ですから、その平衡に依って、陰陽が互いにはみ出す不平衡が生じ、そこから転じ変じる変化が起こり、さらにその不平衡の上でまた平衡を求めるのです。求められた平衡も、やはり陰陽の二つの性質を含んだ平衡です。それによって、一つ一つの事物の成立は、決して単独の純粋な一つの性質によるものではなく、それゆえに常に不平衡を生じて、事物の流れ行く変化が起こることが確かめられます。一つの事物がこのようであるなら、宇宙や人生もまたこのようであります。これは中国の易の哲学が、まさに現在の変化する現実を最もよく説明し得るものであることを示しています。

易的宇宙異於辨證法的世界者:辨證法在演變的世界中發揮其矛盾對立的衝突性,主張爭鬥;易在變易的宇宙中發揮其陰陽調協的均衡性,注重和平。故易為生理的,而辨證法為病理的。然「生」與「病」為必然的連結,故易之既濟終於未濟,實為現變實事上莫可逾越之缺陷!

二 辨證法的世界
四 業果的二種生死

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