維摩詰所說經菩薩品第四
維摩経 菩薩品 第四
於是佛告彌勒菩薩:「汝行詣維摩詰問疾。」
そこで仏は弥勒菩薩にお告げになりました。「あなたが維摩詰居士のもとへ行き、病を見舞いなさい」
彌勒白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔為兜率天王及其眷屬,說不退轉地之行。時維摩詰來謂我言:『彌勒!世尊授仁者記,一生當得阿耨多羅三藐三菩提。為用何生得受記乎?過去耶?未來耶?現在耶?若過去生,過去生已滅;若未來生,未來生未至;若現在生,現在生無住。如佛所說:「比丘!汝今即時亦生亦老亦滅。」若以無生得受記者,無生即是正位;於正位中,亦無受記,亦無得阿耨多羅三藐三菩提。云何彌勒受一生記乎?為從如生得受記耶?為從如滅得受記耶?若以如生得受記者,如無有生;若以如滅得受記者,如無有滅。一切眾生皆如也,一切法亦如也,眾聖賢亦如也,至於彌勒亦如也。若彌勒得受記者,一切眾生亦應受記。所以者何?夫如者不二不異,若彌勒得阿耨多羅三藐三菩提者,一切眾生皆亦應得。所以者何?一切眾生即菩提相。若彌勒得滅度者,一切眾生亦應滅度。所以者何?諸佛知一切眾生畢竟寂滅,即涅槃相,不復更滅。是故,彌勒!無以此法誘諸天子,實無發阿耨多羅三藐三菩提心者,亦無退者。彌勒!當令此諸天子,捨於分別菩提之見。所以者何?菩提者不可以身得,不可以心得;寂滅是菩提,滅諸相故;不觀是菩提,離諸緣故;不行是菩提,無憶念故;斷是菩提,捨諸見故;離是菩提,離諸妄想故;障是菩提,障諸願故;不入是菩提,無貪著故;順是菩提,順於如故;住是菩提,住法性故;至是菩提,至實際故;不二是菩提,離意法故;等是菩提,等虛空故;無為是菩提,無生住滅故;知是菩提,了眾生心行故;不會是菩提,諸入不會故;不合是菩提,離煩惱習故;無處是菩提,無形色故;假名是菩提,名字空故;如化是菩提,無取捨故;無亂是菩提,常自靜故;善寂是菩提,性清淨故;無取是菩提,離攀緣故;無異是菩提,諸法等故;無比是菩提,無可喻故;微妙是菩提,諸法難知故。』世尊!維摩詰說是法時,二百天子得無生法忍。故我不任詣彼問疾。」
弥勒菩薩は仏に申し上げました。 「世尊よ、私は彼のもとへ行って病を問うことはできません。なぜなら、かつて私が兜率天の天王とその眷属に、不退転の境地について説いていた時のことです。その時、維摩居士がやって来て私にこう言いました。
『弥勒よ、世尊はあなたに記別を授け、一生のうちに阿耨多羅三藐三菩提を得ると予言されました。では、どの生において記別を受けるのでしょうか。過去の生ですか?未来の生ですか?それとも現在の生ですか?
もし過去の生なら、過去の生はすでに滅びています。未来の生なら、未来の生はまだ来ていません。現在の生なら、現在の生はとどまることがありません。仏が説かれたように、『比丘よ、今この瞬間、あなたは生じ、老い、滅びている』のですから。
もし無生によって記別を受けるなら、無生とはすなわち正位です。正位の中には、記別を受けることも、阿耨多羅三藐三菩提を得ることもありません。それなのに、どうして弥勒は一生のうちに記別を受けるのでしょうか。
真如の生じることに基づいて記別を受けるのですか?それとも真如の滅することに基づいて記別を受けるのですか?もし真如の生じることに基づくなら、真如には生じることはありません。もし真如の滅することに基づくなら、真如には滅することはありません。
一切の衆生は皆、真如です。一切の法もまた真如です。聖者や賢者も真如です。弥勒に至るまでも真如です。もし弥勒が記別を受けるなら、一切の衆生もまた記別を受けるべきです。なぜなら、真如は二つではなく、異なることもないからです。
もし弥勒が阿耨多羅三藐三菩提を得るなら、一切の衆生も皆、得るべきです。なぜなら、一切の衆生はそのまま菩提の相だからです。もし弥勒が滅度を得るなら、一切の衆生もまた滅度を得るべきです。なぜなら、諸仏は知っておられる、一切の衆生は畢竟寂滅であり、それがそのまま涅槃の相であって、さらに滅するものはないと。
ですから、弥勒よ、このような法をもって諸天子を導いてはなりません。実のところ、阿耨多羅三藐三菩提の心を発する者もなく、また退転する者もないのです。弥勒よ、これらの諸天子に、菩提についての分別の見解を捨てさせなさい。
なぜなら、菩提は身によって得られるものではなく、心によって得られるものでもありません。
寂滅が菩提です。すべての相を滅するからです。 観ないことが菩提です。すべての縁を離れるからです。 行わないことが菩提です。憶念がないからです。 断じることが菩提です。すべての見解を捨てるからです。 離れることが菩提です。すべての妄想を離れるからです。 妨げることが菩提です。すべての願いを妨げるからです。 入らないことが菩提です。貪り執着がないからです。 順うことが菩提です。真如に順うからです。 住することが菩提です。法性に住するからです。 至ることが菩提です。実際に至るからです。 不二が菩提です。意と法を離れるからです。 平等が菩提です。虚空と等しいからです。 無為が菩提です。生・住・滅がないからです。 知ることが菩提です。衆生の心の行いを了知するからです。 会しないことが菩提です。諸入が会しないからです。 合わないことが菩提です。煩悩の習気を離れるからです。 処がないことが菩提です。形や色がないからです。 仮名が菩提です。名前が空だからです。 化の如きが菩提です。取ることも捨てることもないからです。 乱れないことが菩提です。常に自ら静かだからです。 善く寂しいことが菩提です。本性が清浄だからです。 取らないことが菩提です。攀縁を離れるからです。 異ならないことが菩提です。諸法が等しいからです。 比べるものがないことが菩提です。譬えることができないからです。 微妙であることが菩提です。諸法は知り難いからです。』
世尊よ、維摩居士がこの法を説いた時、二百人の天子が無生法忍を得ました。ですから、私は彼のもとへ行って病を問うことはできないのです。」
佛告光嚴童子:「汝行詣維摩詰問疾。」
仏は光厳童子に告げられた。「そなたは維摩詰のもとへ行き、病を問うがよい。」
光嚴白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔出毘耶離大城,時維摩詰方入城,我即為作禮而問言:『居士從何所來?』答我言:『吾從道場來。』我問:『道場者何所是?』答曰:『直心是道場,無虛假故;發行是道場,能辦事故;深心是道場,增益功德故;菩提心是道場,無錯謬故;布施是道場,不望報故;持戒是道場,得願具故;忍辱是道場,於諸眾生心無礙故;精進是道場,不懈退故;禪定是道場,心調柔故;智慧是道場,現見諸法故;慈是道場,等眾生故;悲是道場,忍疲苦故;喜是道場,悅樂法故;捨是道場,憎愛斷故;神通是道場,成就六通故;解脫是道場,能背捨故;方便是道場,教化眾生故;四攝是道場,攝眾生故;多聞是道場,如聞行故;伏心是道場,正觀諸法故;三十七品是道場,捨有為法故;諦是道場,不誑世間故;緣起是道場,無明乃至老死皆無盡故;諸煩惱是道場,知如實故;眾生是道場,知無我故;一切法是道場,知諸法空故;降魔是道場,不傾動故;三界是道場,無所趣故;師子吼是道場,無所畏故;力、無畏、不共法是道場,無諸過故;三明是道場,無餘礙故;一念知一切法是道場,成就一切智故。如是,善男子!菩薩若應諸波羅蜜教化眾生,諸有所作,舉足下足,當知皆從道場來,住於佛法矣!』說是法時,五百天、人皆發阿耨多羅三藐三菩提心。故我不任詣彼問疾。」
光厳は仏に申し上げました。 「世尊よ、私はあの方を見舞うにはふさわしくありません。そのわけは、思い起こせば、かつて私が毘耶離の大城を出たときのことです。ちょうど維摩詰が城に入ろうとしておられました。私はすぐに礼をして尋ねました。『居士、どちらからおいでですか』と。すると、こうお答えになりました。『私は道場から来た』と。私は尋ねました。『道場とは、どこにあるのですか』と。すると、お答えになりました。
『直心が道場である。偽りがないから。 実践が道場である。事を成し遂げるから。 深い心が道場である。功徳を増すから。 菩提心が道場である。誤りがないから。 布施が道場である。報いを求めないから。 持戒が道場である。願いが満たされるから。 忍辱が道場である。すべての衆生に対して心にわだかまりがないから。 精進が道場である。怠らず退かないから。 禅定が道場である。心が調えられるから。 智慧が道場である。すべての法をありのままに見るから。 慈が道場である。衆生を平等にみるから。 悲が道場である。疲れや苦しみに耐えるから。 喜が道場である。法を喜び楽しむから。 捨が道場である。憎しみと愛着を断つから。 神通が道場である。六通を成就するから。 解脱が道場である。背き捨てることができるから。 方便が道場である。衆生を教化するから。 四摂が道場である。衆生を摂取するから。 多聞が道場である。聞いた通りに行うから。 心を調えることが道場である。すべての法を正しく観るから。 三十七品が道場である。有為の法を捨てるから。 真理が道場である。世間を欺かないから。 縁起が道場である。無明から老死に至るまで尽きることがないから。 すべての煩悩が道場である。ありのままを知るから。 衆生が道場である。無我を知るから。 一切法が道場である。すべての法が空であることを知るから。 魔を降伏することが道場である。動揺しないから。 三界が道場である。向かうところがないから。 獅子吼が道場である。何も恐れないから。 力、無畏、不共法が道場である。あらゆる過ちがないから。 三明が道場である。残るわだかまりがないから。 一念にして一切法を知ることが道場である。一切智を成就するから。
このように、善男子よ。菩薩がもし、あらゆる波羅蜜をもって衆生を教化するならば、その行うところのすべて、足を上げることも下ろすことも、すべて道場から来たものであり、仏法に住しているのだと知るべきである』
この法を説かれたとき、五百人の天と人がみな、阿耨多羅三藐三菩提心を発しました。ですから、私はあの方を見舞うにはふさわしくありません」
佛告持世菩薩:「汝行詣維摩詰問疾。」
仏は持世菩薩に告げた。「あなたが維摩詰のもとへ行き、病を尋ねてきなさい。」
持世白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔,住於靜室,時魔波旬,從萬二千天女,狀如帝釋,鼓樂絃歌,來詣我所。與其眷屬,稽首我足,合掌恭敬,於一面立。我意謂是帝釋,而語之言:『善來憍尸迦!雖福應有,不當自恣。當觀五欲無常,以求善本,於身命財而修堅法。』即語我言:『正士!受是萬二千天女,可備掃灑。』我言:『憍尸迦!無以此非法之物要我沙門釋子,此非我宜。』所言未訖,時維摩詰來謂我言:『非帝釋也,是為魔來嬈固汝耳!』即語魔言:『是諸女等,可以與我,如我應受。』魔即驚懼,念:『維摩詰將無惱我?』欲隱形去,而不能隱;盡其神力,亦不得去。即聞空中聲曰:『波旬!以女與之,乃可得去。』魔以畏故,俛仰而與。
持世は仏に申し上げました。 「世尊よ、私は彼のところへ見舞いに行くことはできません。なぜなら、思い起こせば昔、私が静かな部屋にいたときのことです。魔王波旬が一万二千の天女を従え、帝釈天のような姿で、音楽を奏で、歌い踊りながら、私のところにやって来ました。彼は眷属たちと共に、私の足を礼拝し、合掌して恭しく、傍らに立ちました。私は帝釈天だと思い、彼にこう言いました。『ようこそ、憍尸迦。福徳はおありでしょうが、欲望のままに振る舞うべきではありません。五欲が無常であることを観察し、善き根本を求め、身と命と財産において堅固な法を修めるべきです』 すると彼は私に言いました。『正士よ、この一万二千の天女を受け取って、掃除や給仕に使ってください』 私は言いました。『憍尸迦よ、このような正しくないものを、私のような沙門釈子に勧めないでください。これは私にふさわしくありません』 その言葉が終わらないうちに、維摩詰が来て私に言いました。『これは帝釈天ではありません。これは魔があなたを惑わそうと来たのです』 そしてすぐに魔に言いました。『これらの女たちを私にください。私が受け取るべきですから』 魔は驚き恐れ、こう思いました。『維摩詰は私を困らせようとしているのではないか』 魔は姿を消して逃げようとしましたが、消すことができませんでした。ありったけの神力を使っても、去ることができませんでした。 すると空中から声が聞こえました。『波旬よ、女たちを彼に与えなさい。そうすれば去ることができる』 魔は恐れたので、しぶしぶながら与えました。
「爾時維摩詰語諸女言:『魔以汝等與我,今汝皆當發阿耨多羅三藐三菩提心。』即隨所應而為說法,令發道意。復言:『汝等已發道意,有法樂可以自娛,不應復樂五欲樂也。』天女即問:『何謂法樂?』答言:『樂常信佛,樂欲聽法,樂供養眾,樂離五欲;樂觀五陰如怨賊,樂觀四大如毒蛇,樂觀內入如空聚;樂隨護道意,樂饒益眾生,樂敬養師;樂廣行施,樂堅持戒,樂忍辱柔和,樂勤集善根,樂禪定不亂,樂離垢明慧;樂廣菩提心,樂降伏眾魔,樂斷諸煩惱,樂淨佛國土,樂成就相好故,修諸功德;樂嚴道場;樂聞深法不畏;樂三脫門,不樂非時;樂近同學,樂於非同學中,心無恚礙;樂將護惡知識,樂親近善知識;樂心喜清淨,樂修無量道品之法。是為菩薩法樂。』
その時、維摩詰は天女たちに言いました。 「魔王があなた方を私に与えた今、あなた方は皆、阿耨多羅三藐三菩提心を発すべきです」 そして、それぞれにふさわしい方法で説法し、菩提心を起こさせました。 さらに言いました。 「あなた方はすでに菩提心を起こしたのですから、法の喜びをもって自らを楽しませるべきであり、もはや五欲の楽しみにふけるべきではありません」 天女たちが尋ねました。 「法の喜びとは何ですか?」 答えました。 「常に仏を信じることを喜びとし、 法を聞きたいと願うことを喜びとし、 僧伽に供養することを喜びとし、 五欲を離れることを喜びとする。 五蘊を怨賊のごとく観じることを喜びとし、 四大を毒蛇のごとく観じることを喜びとし、 六入を空き家のごとく観じることを喜びとする。 菩提心を守り育てることを喜びとし、 衆生の利益をはかることを喜びとし、 師を敬い養うことを喜びとする。 広く布施を行うことを喜びとし、 戒律を堅く守ることを喜びとし、 忍辱と柔和を喜びとし、 善根を積み集めることに励むことを喜びとし、 禅定に乱れがないことを喜びとし、 煩悩の垢を離れた明るい智慧を喜びとする。 広大な菩提心を喜びとし、 衆魔を降伏させることを喜びとし、 諸々の煩悩を断つことを喜びとし、 仏国土を清浄にすることを喜びとし、 相好を成就するために、諸々の功徳を修めることを喜びとする。 道場を厳かにすることを喜びとし、 深遠な法を聞いても恐れないことを喜びとする。 三つの解脱門を喜びとし、時ならぬことを喜ばない。 同じ志を持つ者と親しむことを喜びとし、 志を同じくしない者の中にあっても、心に怒りやとらわれがないことを喜びとする。 悪知識からは離れ護ることを喜びとし、 善知識に親しむことを喜びとする。 心が喜び清らかであることを喜びとし、 無量の道品の法を修めることを喜びとする。 これが菩薩の法の喜びです」
「於是波旬告諸女言:『我欲與汝俱還天宮。』諸女言:『以我等與此居士,有法樂我等甚樂,不復樂五欲樂也。』魔言:『居士可捨此女?一切所有施於彼者,是為菩薩。』維摩詰言:『我已捨矣!汝便將去,令一切眾生得法願具足。』於是諸女問維摩詰:『我等云何止於魔宮?』維摩詰言:『諸姊!有法門名無盡燈,汝等當學。無盡燈者,譬如一燈,燃百千燈,冥者皆明,明終不盡。如是,諸姊!夫一菩薩開導百千眾生,令發阿耨多羅三藐三菩提心,於其道意亦不滅盡,隨所說法而自增益一切善法,是名無盡燈也。汝等雖住魔宮,以是無盡燈,令無數天子天女發阿耨多羅三藐三菩提心者,為報佛恩,亦大饒益一切眾生。』爾時天女頭面禮維摩詰足,隨魔還宮,忽然不現。世尊!維摩詰有如是自在神力、智慧辯才,故我不任詣彼問疾。」
そこで魔王波旬は侍女たちに告げました。「私はお前たちと一緒に天宮に帰りたい。」侍女たちは言いました。「私たちはこの維摩居士と共に法の喜びを味わい、とても楽しんでいます。もう五欲の楽しみには心ひかれません。」魔王は言いました。「居士よ、この女たちを手放してはどうか。すべての所有物を他者に施すこと、それが菩薩のあり方ではないか。」維摩詰は答えました。「私はすでに手放した。さあ、連れて行きなさい。すべての衆生が法の願いを満たすことができますように。」そこで侍女たちは維摩詰に尋ねました。「私たちはどうすれば魔宮にいながら修行できるでしょうか?」維摩詰は言いました。「姉妹たちよ、『無尽灯』という法門があります。あなたがたはこれを学ぶべきです。無尽灯とは、たとえば一つの灯が百千の灯をともし、暗闇がすべて明るくなり、その明かりが尽きることがないようなものです。同じように、姉妹たちよ、一人の菩薩が百千の衆生を導き、阿耨多羅三藐三菩提の心を起こさせるとき、その菩薩の求道の心も尽きることがなく、説く教えに従って自らも一切の善法を増していく。これを無尽灯と言うのです。あなたがたは魔宮に住んでいても、この無尽灯によって、無数の天子や天女に阿耨多羅三藐三菩提の心を起こさせなさい。それは仏の恩に報いることであり、また一切の衆生を大いに利益することなのです。」その時、天女たちは維摩詰の足に頭面礼して、魔王に従って宮殿に帰り、たちまち姿を消しました。世尊よ、維摩詰にはこのような自在の神力と智慧弁才があります。ですから、私は彼のもとへお見舞いに行く任には堪えません。
佛告長者子善德:「汝行詣維摩詰問疾。」
仏陀は長者子の善徳に告げられた。「汝、維摩詰のもとに赴き、病を問え。」
善德白佛言:「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?憶念我昔自於父舍設大施會,供養一切沙門、婆羅門,及諸外道、貧窮、下賤、孤獨、乞人。期滿七日,時維摩詰來入會中,謂我言:『長者子!夫大施會不當如汝所設,當為法施之會,何用是財施會為?』我言:『居士!何謂法施之會?』答曰:『法施會者,無前無後,一時供養一切眾生,是名法施之會。』曰:『何謂也?』『謂以菩提,起於慈心;以救眾生,起大悲心;以持正法,起於喜心;以攝智慧,行於捨心;以攝慳貪,起檀波羅蜜;以化犯戒,起尸羅波羅蜜;以無我法,起羼提波羅蜜;以離身心相,起毘梨耶波羅蜜;以菩提相,起禪波羅蜜;以一切智,起般若波羅蜜。教化眾生,而起於空;不捨有為法,而起無相;示現受生,而起無作;護持正法,起方便力;以度眾生,起四攝法;以敬事一切,起除慢法;於身命財,起三堅法;於六念中,起思念法;於六和敬,起質直心;正行善法,起於淨命;心淨歡喜,起近賢聖;不憎惡人,起調伏心;以出家法,起於深心;以如說行,起於多聞;以無諍法,起空閑處;趣向佛慧,起於宴坐;解眾生縛,起修行地;以具相好,及淨佛土,起福德業;知一切眾生心念,如應說法,起於智業;知一切法不取不捨,入一相門,起於慧業;斷一切煩惱、一切障礙、一切不善法,起一切善業;以得一切智慧、一切善法,起於一切助佛道法。如是,善男子!是為法施之會。若菩薩住是法施會者,為大施主,亦為一切世間福田。』
善徳は仏に申し上げた。 「世尊よ、私はあの方(維摩詰)のもとへ問疾に行くことはできません。なぜなら、昔、私が父の家で盛大な布施会を設け、すべての沙門・婆羅門、および諸々の外道、貧しい者、身分の低い者、孤児、乞食の人々を供養していた時のことを思い出すからです。 七日目の満願の時、維摩詰が会場にやって来て、私に言いました。 『長者の子よ、大いなる布施会は、あなたが設けたようなものであってはならない。法施の会とすべきである。このような財施の会に何の意味があろうか』 私は言いました。 『居士、法施の会とは何でしょうか』 彼は答えました。 『法施の会とは、前もなく後もなく、一瞬にして一切の衆生を供養することをいう。これが法施の会である』 私は言いました。 『それはどういうことですか』 彼は言いました。 『菩提心によって慈しみの心を起こし、衆生を救うために大悲の心を起こし、正法を護持するために喜びの心を起こし、智慧を摂するために捨てる心を行じること。 慳貪を摂するために布施波羅蜜を起こし、犯戒を教化するために持戒波羅蜜を起こし、無我の法によって忍辱波羅蜜を起こし、身心の相を離れることによって精進波羅蜜を起こし、菩提の相によって禅定波羅蜜を起こし、一切智によって般若波羅蜜を起こすこと。 衆生を教化して空を起こし、有為の法を捨てずして無相を起こし、生を受けることを示現して無作を起こし、正法を護持して方便力を起こし、衆生を度するために四摂法を起こし、一切を敬い仕えることによって慢心を除く法を起こすこと。 身・命・財に対して三堅法を起こし、六念の中において思念の法を起こし、六和敬において質直な心を起こし、正しく善法を行じて清浄な生活を起こすこと。 心清らかに歓喜して賢聖に近づき、悪人を憎まずして調伏の心を起こし、出家の法によって深遠な心を起こし、説かれた通りに行うことによって多聞を起こすこと。 諍いのない法によって閑静な処を起こし、仏の智慧に向かうことによって静座を起こし、衆生の束縛を解くことによって修行の地を起こすこと。 相好を具え、浄仏国土を成就するために福徳の業を起こし、一切衆生の心念を知り、応じて説法するために智の業を起こすこと。 一切の法を取らず捨てず、一相の門に入るために慧の業を起こし、一切の煩悩・一切の障害・一切の不善の法を断つために一切の善業を起こすこと。 一切の智慧、一切の善法を得て、一切の仏道を助ける法を起こすこと。 このように、善男子よ、これが法施の会である。もし菩薩がこの法施の会に住するならば、大いなる施主となり、また一切世間の福田となるのである』」
「世尊!維摩詰說是法時,婆羅門眾中二百人,皆發阿耨多羅三藐三菩提心。我時心得清淨,歎未曾有!稽首禮維摩詰足,即解瓔珞價直百千以上之,不肯取。我言:『居士!願必納受,隨意所與。』維摩詰乃受瓔珞,分作二分,持一分施此會中一最下乞人,持一分奉彼難勝如來。一切眾會皆見光明國土難勝如來,又見珠瓔在彼佛上變成四柱寶臺,四面嚴飾,不相障蔽。時維摩詰現神變已,作是言:『若施主等心施一最下乞人,猶如如來福田之相,無所分別,等于大悲,不求果報,是則名曰具足法施。』城中一最下乞人,見是神力,聞其所說,皆發阿耨多羅三藐三菩提心,故我不任詣彼問疾。」
世尊よ、維摩詰がこの法を説いた時、婆羅門の大衆の中の二百人が、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発しました。その時、私の心は清らかになり、かつてないことを嘆じました。そして維摩詰の足を礼拝し、すぐに価値十万にも及ぶ瓔珞を解いて捧げましたが、彼は受け取ろうとしませんでした。私は言いました。「居士よ、どうか必ずお受け取りください。ご随意にお使いください。」すると維摩詰は瓔珞を受け取り、二つに分け、一つをこの会の中の最も貧しい乞食に施し、もう一つをあの難勝如来に奉りました。すべての会衆は、光明の国土の難勝如来を見、また珠の瓔珞がその仏の上で四本の柱の宝台に変わり、四面が厳かに飾られ、互いに障げることのないのを見ました。その時、維摩詰は神通力を現した後、こう言いました。「もし施主が平等の心で、最も貧しい乞食に施すことが、如来の福田の相のようであり、分別なく、大悲に等しく、果報を求めないならば、これを具足した法施と言うのです。」城中の最も貧しい乞食は、この神通力を見、その説法を聞き、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発しました。ですから、私は彼のもとへ行って病を問うことはできません。
如是諸菩薩各各向佛說其本緣,稱述維摩詰所言,皆曰不任詣彼問疾。
このように、諸菩薩たちはそれぞれ仏に自らの縁を語り、維摩詰の言葉を称え述べて、皆「彼の所に赴いて病を問うことはできません」と申し上げました。
維摩詰經卷上
維摩経 上巻