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金剛経筆記 (金剛經筆記)


No. 478-B金剛般若波羅蜜經筆記自序

No. 478-B 金剛般若波羅蜜経筆記自序

蓋聞般若如大火聚,釋迦世尊從此大冶爐中煅煉幾番,所以菩提場內正覺初成。嘆云:奇哉,奇哉!普見一切眾生皆有如來智慧德相,但以妄想執着而不證得。繇此觀之,則聖凡一體之旨可知矣。然我佛已悟,眾生尚迷,向水月場中多方設化,如長風之吹萬竅,空谷之答眾響。良繇機感千差,法門無量,因指觀月,猶隔纖雲。洗凡聖之情塵,純談般若;斷我法之妄執,取譬金剛。空生以上求下化而興問端,世尊約自利利他以通疑滯。廣修六度,無度可修;普化四生,無生可化。菩提煩惱,類鏡像之妍媸;生死涅槃,等空華之濃淡。法身寂滅,無而不無;應化隨緣,有而不有。演說一偈,布施河沙身命,功不較多;受持全經,供養無量諸佛,福不為廣。一念淨信,實相現前,非實非虗,超情離見。則知着衣持鉢,孰運神通?趺坐游行,憑誰道力?一經要旨,體用全彰,雖八萬法門、百千公案,何以踰此哉?然離言妙性,不屬筌蹄;訓詁繁辭,猶為剩語。前賢往哲,註疏科文;秋菊春蘭,各擅其美(觀)。游心講席,蓋亦有年,欲益將來,聊陳管見。緣茲像季,樂簡憚繁,撮先彥之玄微,附鄙衷之陋見,命曰筆記,以質諸方。然五百弟子各說身因,佛許無非正說。古語云:見聞為種,八難超十地之堦;解行在躬,一生圓曠劫之果。固有望於斯也。知我罪我,又何辭焉?

そもそも、般若は大きな火の集まりのようであり、釈迦世尊はこの大きな炉の中で幾度も鍛えられ、そのため菩提樹の下で初めて正しい悟りを成し遂げられた。そして嘆いて言われた。「まことに稀有なり、まことに稀有なり!あらゆる衆生には皆、如来の智慧と徳の相が備わっている。ただ妄想と執着によって、それを悟り得ないだけである」。これを見れば、聖者と凡夫が一体であるという教えがわかるだろう。

しかし、仏はすでに悟られたが、衆生はまだ迷っている。水に映る月のようなこの世で、様々な方便を設けて教化される。それは、長風が万の穴を吹き鳴らすがごとく、空谷が多くの響きに応えるがごとくである。それは、衆生の機根と感応が千差万別であり、法門が無量であるからだ。指を指して月を見せるように教えても、なお細い雲がかかっているようなもの。凡夫と聖者の情けの塵を洗い流し、ひたすら般若を説く。我と法の妄執を断ち切るために、金剛を譬えとして用いる。

須菩提は、上は仏を求め下は衆生を化すために問いを発し、世尊は自利利他によってその疑いを解かれた。広く六波羅蜜を修めても、修めるべき波羅蜜はなく、あまねく四生を化しても、化すべき衆生はない。菩提と煩悩は、鏡に映る美醜のようなもの。生死と涅槃は、空に浮かぶ花の濃淡のようなもの。法身は寂滅であり、無でありながら無ではない。応化は縁に随って現れ、有でありながら有ではない。

一偈を説くことは、河の砂ほどの身命を布施する功徳にも劣らず、全経を受持することは、無量の諸仏を供養する福徳にも勝る。一念の清浄な信心によって、実相が目の前に現れる。それは実でも虚でもなく、感情や見解を超えている。衣を着て鉢を持つのに、いったい誰が神通力を働かせるのか?結跏趺坐して遊行するのに、いったい誰が道力を頼りにするのか?この経の要旨は、体と用がすべて明らかであり、たとえ八万の法門や百千の公案があっても、これを超えるものはない。

しかし、言葉を離れた妙なる本性は、筌蹄(手段)に属さない。訓詁の繁雑な言葉は、なお余計な言葉である。先賢や往哲が注疏や科文を残されたのは、秋の菊と春の蘭がそれぞれに美を競うようなものだ(観)。講席に心を遊ばせて、すでに長い年月が経った。将来のためになればと、私見を述べてみたい。この末法の時代、人々は簡略を好み煩雑を嫌う。先人の玄妙な微意を集め、私の拙い見解を加え、「筆記」と名づけて、諸方に問うてみたい。五百の弟子がそれぞれに身の因縁を説いたが、仏はすべて正説であると認められた。古語に言う。「見聞が種となり、八難を超えて十地の階梯に至る。解行が身にあれば、一生で永劫の果を円満する」。まさにこの経に望みを託すのである。私を理解する者も、私を責める者も、それについて何も言うことはない。

旹崇禎歲次丁丑佛生日武原崇福菴沙門如觀譔

No. 478-A 金剛經筆記序
金剛般若波羅蜜經筆記

CBETA コード: X0478

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