戒壇元結教興第一
戒壇元結教興第一
檢《別傳》云:「佛在祇樹園中,樓至比丘請佛立壇,為結戒受戒故。爾時如來依言許已,創置三壇。」佛院門東名「佛為比丘結戒壇」;佛院門西名「佛為比丘尼結戒壇」;外院東門南置「僧為比丘受戒壇」。初置壇日,乃集十方諸佛,于時有八百億,同名釋迦佛;十方諸佛,同名亦爾。時大梵天王造佛院內東戒壇,魔王波旬造佛院內西戒壇。壇既成已,諸佛登之。共議結戒輕重持犯等相,又議度尼滅正法相。諸佛通議曰:「古有四部,今何獨無?」初雖正法滅半,能行八敬,還住千年。故此二壇唯佛所登,共量佛事。僧受戒壇,佛非僧攝,有時度聖人者,亦臨僧壇,一時行事,非羯磨攝。
『別伝』によると、仏が祇園精舎におられた時、楼至比丘が仏に壇を設けるよう請い、戒律を制定し授けるためであった。その時、如来は言葉に従って許し、初めて三つの壇を設けられた。
仏院の門の東にある壇は「仏が比丘のために戒律を制定した壇」と名付けられ、仏院の門の西にある壇は「仏が比丘尼のために戒律を制定した壇」と名付けられた。外院の東門の南には「僧が比丘に戒を授ける壇」が置かれた。
壇を初めて設けた日、十方の諸仏が集まり、その時には八百億もの同名の釈迦仏がいた。十方の諸仏もまた同じ名であった。その時、大梵天王は仏院内の東の戒壇を造り、魔王波旬は仏院内の西の戒壇を造った。
壇が完成すると、諸仏はその上に登られた。そして、戒律の軽重や保持と違犯の様相について共に議し、また、比丘尼を度することによって正法が滅びる相についても議された。諸仏は共に議して言われた:「古には四部衆があったが、今なぜ比丘尼だけがいないのか?」初めは正法が半分滅びても、八敬法を行えば、再び千年住することができる。だから、この二つの壇はただ仏だけが登り、共に仏事を量られるのである。
僧が戒を授ける壇については、仏は僧の仲間ではないが、時に聖人を度する場合には、僧の壇にも臨まれ、一時的に行事を行うが、それは羯磨には含まれない。