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  1. 関中創立戒壇図経 (關中創立戒壇圖經)
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関中創立戒壇図経 (關中創立戒壇圖經)

「關中創立戒壇圖經」について

唐 · 道宣撰 著

1.4 万字 · 約 48 分

『関中創立戒壇図経』は、唐代の高僧・道宣によって著された重要な仏教戒律文献です。道宣は律宗南山宗の開祖であり、唐初に活躍し、戒律に精通していたことで知られています。本書には、戒壇の建立に関する規定、儀式の手順、戒律の要旨が詳細に記されており、仏教における授戒の規範と意義を体系的に説いています。後世の僧団における戒壇建設の権威ある指針として用いられました。中国仏教律学の重要な典籍として、本書は唐代仏教戒律の厳格な体系を反映しているだけでなく、道宣による戒律の中国化への貢献をも示しており、漢伝仏教の戒律史上において画期的な地位を占め、東アジアの仏教戒壇制度に深い影響を与えています。


戒壇元結教興第一

戒壇元結教興第一

檢《別傳》云:「佛在祇樹園中,樓至比丘請佛立壇,為結戒受戒故。爾時如來依言許已,創置三壇。」佛院門東名「佛為比丘結戒壇」;佛院門西名「佛為比丘尼結戒壇」;外院東門南置「僧為比丘受戒壇」。初置壇日,乃集十方諸佛,于時有八百億,同名釋迦佛;十方諸佛,同名亦爾。時大梵天王造佛院內東戒壇,魔王波旬造佛院內西戒壇。壇既成已,諸佛登之。共議結戒輕重持犯等相,又議度尼滅正法相。諸佛通議曰:「古有四部,今何獨無?」初雖正法滅半,能行八敬,還住千年。故此二壇唯佛所登,共量佛事。僧受戒壇,佛非僧攝,有時度聖人者,亦臨僧壇,一時行事,非羯磨攝。

『別伝』によると、仏が祇園精舎におられた時、楼至比丘が仏に壇を設けるよう請い、戒律を制定し授けるためであった。その時、如来は言葉に従って許し、初めて三つの壇を設けられた。

仏院の門の東にある壇は「仏が比丘のために戒律を制定した壇」と名付けられ、仏院の門の西にある壇は「仏が比丘尼のために戒律を制定した壇」と名付けられた。外院の東門の南には「僧が比丘に戒を授ける壇」が置かれた。

壇を初めて設けた日、十方の諸仏が集まり、その時には八百億もの同名の釈迦仏がいた。十方の諸仏もまた同じ名であった。その時、大梵天王は仏院内の東の戒壇を造り、魔王波旬は仏院内の西の戒壇を造った。

壇が完成すると、諸仏はその上に登られた。そして、戒律の軽重や保持と違犯の様相について共に議し、また、比丘尼を度することによって正法が滅びる相についても議された。諸仏は共に議して言われた:「古には四部衆があったが、今なぜ比丘尼だけがいないのか?」初めは正法が半分滅びても、八敬法を行えば、再び千年住することができる。だから、この二つの壇はただ仏だけが登り、共に仏事を量られるのである。

僧が戒を授ける壇については、仏は僧の仲間ではないが、時に聖人を度する場合には、僧の壇にも臨まれ、一時的に行事を行うが、それは羯磨には含まれない。


序
2 戒壇立名顯號

CBETA コード: T1892

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