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仏説無量寿経 (佛說無量壽經)


佛說無量壽經卷下

仏説無量寿経 巻下

曹魏天竺三藏康僧鎧譯

曹魏・天竺三蔵 康僧鎧 訳

佛告阿難:「其有眾生生彼國者,皆悉住於正定之聚。所以者何?彼佛國中無諸邪聚及不定之聚,十方恒沙諸佛如來皆共讚歎無量壽佛威神功德不可思議。諸有眾生聞其名號信心歡喜,乃至一念,至心迴向願生彼國,即得往生住不退轉,唯除五逆、誹謗正法。」

仏は阿難に告げられました。「かの極楽浄土に生まれる者たちは、皆、正しい悟りの境地に安住しています。なぜなら、あの仏の国には、間違った考えに固執する者や、迷いの定まらない者はいないからです。十方の無数の世界にいらっしゃる全ての仏・如来が、一斉に無量寿仏の尊い力と功徳は計り知れないと称賛されています。全ての生きとし生けるものたちは、その名号を聞いて、信仰心と喜びを心に抱き、たとえ一度の心であっても、真心から浄土への往生を願い、その行いを積めば、必ずその国に生まれ、仏道から退転しない身となります。ただし、五逆の罪を犯したり、正しい教えを誹謗する者は別です。」

佛告阿難:「十方世界諸天人民,其有至心願生彼國,凡有三輩。其上輩者,捨家棄欲而作沙門,發菩提心,一向專念無量壽佛,修諸功德願生彼國。此等眾生臨壽終時,無量壽佛與諸大眾現其人前,即隨彼佛往生其國,便於七寶華中自然化生,住不退轉,智慧勇猛,神通自在。是故,阿難!其有眾生欲於今世見無量壽佛,應發無上菩提之心,修行功德,願生彼國。」

仏陀は阿難に告げられた。 「十方の世界に住む人々のうち、心からあの国に生まれたいと願う者には、三つの種類がある。 第一の者とは、家を捨て欲望を離れて沙門となり、菩提心を起こし、ひたすらに無量寿仏を念じ、さまざまな善い行いを積み、あの国に生まれたいと願う者である。 このような者たちは、命の終わりに臨むとき、無量寿仏が多くの聖者たちと共にその前に現れ、その者はすぐに仏に従ってあの国に生まれる。 そして七宝の花の中に自然に生まれ変わり、不退転の位にとどまり、智慧は勇ましく、神通も自在になる。 それゆえ、阿難よ。もし今の世で無量寿仏に会いたいと願う者がいるなら、最高の菩提心を起こし、善い行いを積み、あの国に生まれたいと願いなさい。」

佛語阿難:「其中輩者,十方世界諸天人民,其有至心願生彼國,雖不能行作沙門大修功德,當發無上菩提之心,一向專念無量壽佛。多少修善、奉持齋戒、起立塔像、飯食沙門、懸繒然燈、散華燒香,以此迴向願生彼國。其人臨終,無量壽佛化現其身——光明相好,具如真佛——與諸大眾現其人前,即隨化佛往生其國,住不退轉,功德智慧次如上輩者也。」

仏、阿難に告げたまわく、「その中位の者は、十方世界の諸天人民にして、心からその国に生まれんと願い、沙門として大いに功徳を修めることを行えなくとも、無上の菩提心を発し、ひたすらに無量寿仏を念じなさい。多少の善を修め、斎戒を守り、塔や像を建て、僧に飲食を施し、幡をかけ灯をともし、花を散らし香をたくことにより、これを回向してその国に生まれんと願うのです。その人が臨終のとき、無量寿仏はその身を化現し——光明相好は真の仏とまったく同じであり——多くの聖衆とともにその人前に現れます。その人はすぐに化仏に従いその国に生まれ、不退転の位に住し、その功徳と智慧は前の上位の者に次ぐものとなります。」

佛語阿難:「其下輩者,十方世界諸天人民,其有至心欲生彼國,假使不能作諸功德,當發無上菩提之心,一向專意乃至十念,念無量壽佛,願生其國。若聞深法歡喜信樂,不生疑惑,乃至一念念於彼佛,以至誠心願生其國。此人臨終夢見彼佛,亦得往生,功德智慧次如中輩者也。」

仏は阿難に告げられた。 「下の位の人々とは、十方世界のあらゆる天や人のうち、真心からかの国に生まれたいと願いながらも、さまざまな善行を積むことができない人々のことである。そのような人は、無上の悟りを求める心を起こし、ひたすらに心を集中し、わずか十回の念仏でもよいから、無量寿仏を念じ、かの国に生まれたいと願いなさい。

もし深い教えを聞いて、喜びと信じる心を持ち、疑いを起こさず、ただ一念でもかの仏を思い、誠の心でかの国に生まれたいと願うならば、この人は臨終の際に夢の中でかの仏を見ることができ、やはり往生を果たせるであろう。ただし、その功徳と智慧は、中の位の人々に次ぐものである。」

佛告阿難:「無量壽佛威神無極,十方世界無量無邊不可思議諸佛如來莫不稱歎。於彼東方恒沙佛國,無量無數諸菩薩眾,皆悉往詣無量壽佛所恭敬供養,及諸菩薩、聲聞大眾聽受經法,宣布道化;南、西、北方、四維,上、下亦復如是。」

仏は阿難に告げられました。「無量寿仏の威光と神妙なる力は極まりなく、十方の世界にある無量無辺、不可思議な諸仏・如来も、皆ひとしくその功徳を称え讃嘆しておられます。その東の方、ガンジス河の砂の数ほどもある仏の国々から、無数の菩薩たちが皆、無量寿仏のもとへ赴き、恭敬して供養し、また菩薩・声聞の大衆とともに教えを聴き受け、道の教えを宣べ広めています。南・西・北の方、四維(四隅)、上方・下方もまた同じようであります。」

爾時,世尊而說頌曰:

その時、世尊は偈を説かれた。

「東方諸佛國, 其數如恒沙,
彼土諸菩薩, 往覲無量覺;
南、西、北四維, 上、下亦復然。
彼土菩薩眾, 往覲無量覺,
一切諸菩薩, 各齎天妙華,
寶香無價衣, 供養無量覺;
咸然奏天樂, 暢發和雅音,
歌歎最勝尊, 供養無量覺。
究達神通慧, 遊入深法門,
具足功德藏, 妙智無等倫。
慧日照世間, 消除生死雲,
恭敬遶三匝, 稽首無上尊。
見彼嚴淨土, 微妙難思議,
因發無量心, 願我國亦然。
應時無量尊, 動容發欣笑,
口出無數光, 遍照十方國。
迴光圍遶身, 三匝從頂入,
一切天、人眾, 踊躍皆歡喜。
大士觀世音, 整服稽首問,
白佛:『何緣笑? 唯然願說意。』
梵聲猶雷震, 八音暢妙響:
『當授菩薩記, 今說仁諦聽。
十方來正士, 吾悉知彼願,
志求嚴淨土, 受決當作佛;
覺了一切法, 猶如夢幻響,
滿足諸妙願, 必成如是剎。
知法如電影, 究竟菩薩道,
具諸功德本, 受決當作佛;
通達諸法門, 一切空無我,
專求淨佛土, 必成如是剎。』
諸佛告菩薩: 『令覲安養佛,
聞法樂受行, 疾得清淨處。
至彼嚴淨土, 便速得神通,
必於無量尊, 受記成等覺。』
其佛本願力, 聞名欲往生,
皆悉到彼國, 自致不退轉。
菩薩興志願, 願己國無異,
普念度一切, 名顯達十方。
奉事億如來, 飛化遍諸剎,
恭敬歡喜去, 還到安養國。
若人無善本, 不得聞此經;
清淨有戒者, 乃獲聞正法。
曾更見世尊, 則能信此事,
謙敬聞奉行, 踊躍大歡喜。
憍慢弊懈怠, 難以信此法;
宿世見諸佛, 樂聽如是教。
聲聞或菩薩, 莫能究聖心,
譬如從生盲, 欲行開導人。
如來智慧海, 深廣無崖底,
二乘非所測, 唯佛獨明了。
假使一切人, 具足皆得道,
淨慧如本空, 億劫思佛智,
窮力極講說, 盡壽猶不知。
佛慧無邊際, 如是致清淨,
壽命甚難得, 佛世亦難值。
人有信慧難, 若聞精進求,
聞法能不忘, 見敬得大慶,
則我善親友, 是故當發意。
設滿世界火, 必過要聞法,
會當成佛道, 廣濟生死流。」

東方の数えきれない仏の国々、 その数はガンジス川の砂のよう。 そこに住む菩薩たちは皆、 無量寿仏(弥陀)を拝しに参る。 南、西、北、そして四隅、 上、下の世界もまた同じ。 そこの菩薩の大衆も皆、 無量寿仏を仰ぎに来る。 すべての菩薩たちは、 それぞれ天の美しい花、 宝の香り、値踏みできない衣を持ち寄り、 無量寿仏に捧げる。 みな心を合わせて天の音楽を奏で、 和やかで美しい音を響かせる。 最も優れた尊い方を歌い称え、 無量寿仏に供養する。 究極の智慧と神通力を極め、 深い教えの世界に入り、 功徳の宝庫を備え持ち、 その妙なる智慧は比類ない。 智慧の太陽が世を照らし、 生死の雲を消し去る。 敬い、三度周りを巡り、 至高の尊に頭を下げる。 彼の清らかで荘厳な国を見て、 その微細で不思議な素晴らしさに、 無量の心を起こし、 「我が国もまた同じであれ」と願う。 その時、無量寿仏は、 表情を和らげ、喜びの笑みを浮かべ、 口から無数の光を放ち、 十方の国々を余すところなく照らす。 その光が巡り、仏の体を三度回り、 頂上から入る。 すべての天や人の大衆は、 踊り上がって皆、喜び楽しむ。 偉大な観音菩薩が、 衣を整え、ひざまずいて問う。 仏に申し上げる。「なぜ笑われたのですか? どうかその心をお示しください。」 仏の声は雷のように響き、 八つの美しい音が妙なる響きを放つ。 「まさに菩薩たちに、未来の成仏の予言を与えよう。 今、説くから、仁よ、良く聞け。 十方から来た正しい人々よ、 私は彼らの願いをすべて知っている。 清らかな国を荘厳にしようと志し、 予言を受けて、仏となろうと願う者。 すべての法が、 夢や幻、やまびこのようなものであると悟り、 すべての妙なる願いを満たしたなら、 必ずこのような国を成就するだろう。 法が影や稲妻のようなものだと知り、 菩薩の道を極め、 すべての功徳の根本を備えたなら、 予言を受けて、必ず仏となるだろう。 あらゆる教えの門を通達し、 すべては空であり、我はないと理解し、 ただひたすら清らかな仏の国を求めるなら、 必ずこのような国を成就するだろう。」 諸仏は菩薩たちに告げる。 「安養の国(極楽浄土)の仏を拝しに行け。 法を聞き、喜んで実践すれば、 速やかに清らかな境地を得られる。 彼の荘厳で清らかな国に至れば、 すぐに神通力を得て、 必ず無量寿仏のもとで、 予言を受けて、悟りを完成するだろう。」 その仏の本願の力により、 その名を聞き、生まれたいと願う者は皆、 みなその国に至り、 自然に退転しない境地を得る。 菩薩たちが志を起こし、 「我が国もまた同じであれ」と願い、 すべての者を救おうと心を巡らせれば、 その名は十方にとどろく。 何億もの如来に仕え、 神通力で飛び、すべての国々を巡り、 敬い、喜んで去り、 再び安養の国に還る。 もし人に善い根がなければ、 この教えを聞くことはできない。 清らかな戒律を持つ者こそ、 正しい法を聞くことができる。 かつて世尊にまみえた者は、 このことを信じることができ、 謙虚に敬い、聞いて実践し、 踊り上がって大いに喜ぶ。 高慢で誤り、怠惰な者は、 この法を信じることが難しい。 前世で諸仏と出会った者は、 この教えを喜んで聞くのである。 声聞(弟子)や菩薩でさえ、 仏の心を究めることはできない。 例えば、生まれつきの盲人が、 人を導こうとするようなもの。 如来の智慧の海は、 深く広く、底なし。 小乗や大乗の者でも計り知れず、 ただ仏だけが明らかに知る。 たとえすべての人が、 皆、道を得て、 清らかな智慧で本来の空を悟ったとしても、 何億年もの間、仏の智慧を思い、 全力を尽くして説き続けても、 一生を終えてもなお、知ることはできない。 仏の智慧は限りなく、 このようにして清らかさに至る。 寿命を得ることは難しく、 仏の世に出会うこともまた難しい。 人が信じる智慧を得ることは難しく、 もし聞いて、熱心に求めるなら、 法を聞いて忘れず、 敬い見て、大きな慶びを得る。 そのような人は、我が良き友である。 だからこそ、志を起こすべきだ。 たとえ全世界が火に満ちていても、 必ずそれを超えて、法を聞くべきである。 必ずや仏の道を成就し、 広く生死の流れを救うだろう。」

佛告阿難:「彼國菩薩皆當究竟一生補處——除其本願為眾生故——以弘誓功德而自莊嚴,普欲度脫一切眾生。阿難!彼佛國中諸聲聞眾身光一尋,菩薩光明照百由旬。有二菩薩最尊第一,威神光明普照三千大千世界。」

仏は阿難に告げられた。「あの国(極楽浄土)の菩薩たちは、皆、最終的には一生補処(最後の一生で仏となる位)に至る。ただし、もともと衆生を救うという自らの誓いがある場合は別である。彼らは広大な誓いの功徳によって自らを飾り、すべての生きとし生けるものを救おうと願っている。 阿難よ、あの仏の国にいる声聞たちの体の光は一尋(約二メートル)の広がりであるが、菩薩たちの光明は百由旬(約千二百キロメートル)を照らす。また、二人の菩薩が最も尊く第一であり、その威神力と光明は三千大千世界(全宇宙)を照らし渡るのである。」

阿難白佛:「彼二菩薩其號云何?」

阿難が仏に尋ねました。「あの二人の菩薩様は、どのようなお名前でしょうか?」

佛言:「一名觀世音,二名大勢至。是二菩薩於此國土修菩薩行,命終轉化生彼佛國。阿難!其有眾生生彼國者,皆悉具足三十二相,智慧成滿,深入諸法,究暢要妙,神通無礙,諸根明利。其鈍根者成就二忍,其利根者得阿僧祇無生法忍。又彼菩薩乃至成佛不更惡趣,神通自在常識宿命,除生他方五濁惡世,示現同彼如我國也。」

仏は言われた。「一を観世音、二を大勢至という。この二菩薩はこの国土で菩薩の修行を行い、命終わった後、転生してかの仏の国に生まれる。阿難よ、かの国に生まれる者たちは、みな三十二相を完全に備え、智慧が成就し満ちており、諸法を深く体得し、その要諦を究め尽くし、神通力に妨げがなく、諸々の感覚器官も明らかに鋭い。根機の鈍い者は二つの忍を成就し、根機の鋭い者は無量の無生法忍を得る。また、かの菩薩たちは、成仏に至るまで悪趣に堕ちることはない。ただし、他方の五濁悪世に生まれ変わって、この国土と同じように姿を現す場合は別である。」

佛語阿難:「彼國菩薩承佛威神,一食之頃往詣十方無量世界,恭敬供養諸佛世尊,隨心所念,華香、伎樂、繒蓋、幢幡,無數無量供養之具自然化生,應念即至,珍妙殊特非世所有。轉以奉散諸佛、菩薩、聲聞大眾,在虛空中化成華蓋,光色晃耀,香氣普熏。其華周圓四百里者,如是轉倍,乃覆三千大千世界,隨其前後以次化沒。其諸菩薩僉然欣悅,於虛空中共奏天樂,以微妙音歌歎佛德,聽受經法歡喜無量。供養佛已、未食之前,忽然輕舉還其本國。」

仏が阿難に告げられた。 「かの国の菩薩たちは、仏の威神力により、一食の間(わずかな時間)に十方の無数の世界に赴き、諸仏世尊を恭敬し供養する。心に思うままに、華、香、伎楽、絹の蓋、幢幡など、無数の供養の具が自然に化現し、思いのままに現れる。それらは世にも珍しく、この世のものではない。 菩薩たちはそれらを諸仏、菩薩、声聞の大衆に捧げ散じると、虚空の中で華の蓋となり、光がきらめき、香気はあまねく薫じる。 その華は周囲四百里(約二百キロ)にも及び、さらに倍々となり、ついには三千大千世界を覆い尽くす。そして前後の順に従い、次第に消え去る。 諸菩薩たちは皆楽しみ喜び、虚空の中で共に天の音楽を奏で、微細な声で仏の徳をたたえる歌をうたい、経法を聴聞して無量の歓喜を得る。 こうして仏に供養を終えた後、食事の前に、たちまち軽やかに飛び立ち、かの国に帰っていくのである。」

佛語阿難:「無量壽佛為諸聲聞、菩薩大眾頒宣法時,都悉集會七寶講堂,廣宣道教,演暢妙法,莫不歡喜,心解得道。即時四方自然風起,普吹寶樹出五音聲,雨無量妙華隨風周遍,自然供養如是不絕。一切諸天皆齎天上百千華香、萬種伎樂供養其佛及諸菩薩、聲聞大眾,普散華香、奏諸音樂,前後來往更相開避。當斯之時,熙然快樂不可勝言。」

仏が阿難に告げられた。「無量寿仏が、声聞や菩薩たちの大衆に教えを説かれる時、皆が七宝の講堂に集まり、広く道を説き、妙なる法を自在に説き明かされると、誰もが欢喜し、心に悟りを得た。その時、四方から自然に風が起こり、宝の木々を吹いて五つの音声を響かせ、無量の妙なる花々が風に乗って辺りに降り注ぎ、絶えることなく自然に供養が行われた。すべての天の人々は、天上の百千の花や香り、万種の音楽を携えて、仏と菩薩、声聞の大衆に供養し、花や香りをまき散らし、音楽を奏で、前後に行き来しながら互いに道を譲り合った。この時、人々は限りない喜びと楽しさに満たされ、言葉では言い表せないほどであった。」

佛告阿難:「生彼佛國諸菩薩等,所可講說常宣正法,隨順智慧無違無失。於其國土所有萬物,無我所心、無染著心,去來進止情無所係,隨意自在無所適莫,無彼、無我,無競、無訟。於諸眾生得大慈悲饒益之心、柔軟調伏無忿恨心、離蓋清淨無厭怠心、等心、勝心、深心、定心、愛法樂法喜法之心、滅諸煩惱離惡趣心,究竟一切菩薩所行,具足成就無量功德,得深禪定諸通明慧,遊志七覺修心佛法,肉眼清徹靡不分了、天眼通達無量無限、法眼觀察究竟諸道、慧眼見真能度彼岸、佛眼具足覺了法性。以無礙智為人演說,等觀三界空無所有,志求佛法具諸辯才,除滅眾生煩惱之患。從如來生,解法如如,善知習滅,音聲方便。不欣世語,樂在正論,修諸善本,志崇佛道。知一切法皆悉寂滅,生身煩惱二餘俱盡。聞甚深法心不疑懼,常能修行其大悲者。深遠微妙靡不覆載,究竟一乘至于彼岸。決斷疑網,慧由心出,於佛教法該羅無外。智慧如大海、三昧如山王,慧光明淨超踰日月,清白之法具足圓滿。

仏は阿難に告げられた。 「その仏の国に生まれる菩薩たちは、語るところは常に正しい法を宣べ、智慧に従って違うことなく失うこともない。その国土にあるすべてのものに対して、我がものとする心なく、執着する心なく、来たり去り進み止むにも心は束縛されず、意のままに自在であって何も好まず何も憎まず、彼もなく我もなく、競うことも争うこともない。諸々の衆生に対して大いなる慈悲と利益の心を得て、柔和に調伏され忿恨の心なく、煩悩の覆いを離れ清らかで厭い怠る心なく、平等の心、殊勝なる心、深き心、定まった心、法を愛し法を楽しみ法を喜ぶ心、諸々の煩悩を滅し悪趣を離れる心を得る。菩薩の行うところを究竟し、無量の功徳を成就し、深い禅定と諸々の神通・明・慧を得て、七覚支を遊ぶ心をもち仏法を修め、肉眼は清らかに徹して見分けられぬものなく、天眼は通達して無量無限、法眼は観察してあらゆる道を究竟し、慧眼は真実を見て彼岸に渡ることができ、仏眼は具足して法性を覚了する。障りのない智慧をもって人々のために説き、三界を等しく観じて空にして所有するものなしと見、仏法を求める志をもって諸々の弁才を具え、衆生の煩悩の患いを除き去る。如来より生まれ、法の如如を解し、習いと滅びをよく知り、音声の方便に通じる。世俗の語りを喜ばず、正しい論を楽しみ、諸々の善本を修め心を高く仏道に置く。一切の法はみな寂滅であると知り、生身と煩悩の二つの余りをともに尽くす。深い法を聞いても心に疑い恐れず、常にその大悲を修行する。深遠微妙にして覆わず載せざるものなく、一乗を究竟して彼岸に至る。疑いの網を断ち切り、智慧は心より出で、仏の教えと法を漏れなく網羅する。智慧は大海のごとく、三昧は山王のごとく、智慧の光明は清らかに明るく日月を超え、清白の法は具足し円満である。」

「猶如雪山,照諸功德等一淨故;猶如大地,淨穢好惡無異心故;猶如淨水,洗除塵勞諸垢染故;猶如火王,燒滅一切煩惱薪故;猶如大風,行諸世界無障閡故;猶如虛空,於一切有無所著故;猶如蓮華,於諸世間無染污故;猶如大乘,運載群萌出生死故;猶如重雲,震大法雷覺未覺故;猶如大雨,雨甘露法潤眾生故;如金剛山,眾魔外道不能動故;如梵天王,於諸善法最上首故;如尼拘類樹,普覆一切故;如優曇鉢華,希有難遇故;如金翅鳥,威伏外道故;如眾遊禽,無所藏積故;猶如牛王,無能勝故;猶如象王,善調伏故;如師子王,無所畏故。

雪山のように、あらゆる功徳を清らかに照らし出すからです。 大地のように、清らかでも汚れていても、良いものでも悪いものでも、心に区別を持たないからです。 清らかな水のように、塵や煩わしさ、あらゆる汚れを洗い流すからです。 火の王のように、あらゆる煩悩という薪を焼き尽くすからです。 大風のように、世界をめぐって障害となるものがないからです。 虚空のように、すべての存在に執着することがないからです。 蓮華のように、世間の汚れに染まることがないからです。 大きな乗り物のように、多くの人々を乗せて生まれ変わりの迷いから救い出すからです。 厚い雲のように、大いなる法の雷を轟かせて、まだ目覚めていない人々を目覚めさせるからです。 大雨のように、甘露の法を降り注いで、すべての生きとし生けるものを潤すからです。 金剛山のように、あらゆる悪魔や外道に動かされることがないからです。 梵天の王のように、あらゆる善い行いの中で最も優れているからです。 尼拘律樹のように、すべてを広く覆うからです。 優曇華のように、めったに出会うことのない希有な存在だからです。 金翅鳥のように、外道たちを威圧して従わせるからです。 多くの遊ぶ鳥たちのように、何も蓄えたり隠したりしないからです。 牛王のように、誰にも打ち負かされることがないからです。 象王のように、よく調御されているからです。 獅子王のように、何も恐れることがないからです。

「曠若虛空,大慈等故;摧滅嫉心,不望勝故。專樂求法,心無厭足;常欲廣說,志無疲倦。擊法鼓、建法幢、曜慧日、除癡闇、修六和敬、常行法施,志勇精進,心不退弱。為世燈明、最勝福田,常為師導等無憎愛。唯樂正道無餘欣慼,拔諸欲刺以安群生,功德殊勝莫不尊敬,滅三垢障遊諸神通。因力、緣力、意力、願力、方便之力、常力、善力、定力、慧力、多聞之力、施戒、忍辱、精進、禪定、智慧之力、正念止觀諸通明力、如法調伏諸眾生力,如是等力一切具足。身色相好,功德、辯才具足莊嚴,無與等者。恭敬供養無量諸佛,常為諸佛所共稱歎。究竟菩薩諸波羅蜜,修空無相無願三昧、不生不滅諸三昧門,遠離聲聞緣覺之地。

広大なること虚空の如く、大慈は一切の平等によるがゆえ。嫉妬の心を打ち壊し、他に勝ることを望まない。ただ専ら法を求め楽しみ、心に飽き足りることなし。常に広く説こうと欲し、志に疲れ倦むことなし。法の鼓を打ち、法の幢を立て、智慧の日を輝かせ、愚痴の闇を除き、六和敬を修し、常に法施を行い、志勇猛に精進し、心退転し弱まることなし。世の灯明となり、最勝の福田となり、常に師・導師として、愛憎の区別なく等しく接す。ただ正道を楽しみ、他の喜びも憂いもなく、諸々の欲望の刺を抜き去り、群生を安んず。功徳は殊勝にして、尊び敬わぬ者なし。三つの垢・障りを滅し、諸々の神通に遊ぶ。因の力、縁の力、意の力、願の力、方便の力、常の力、善の力、定の力、慧の力、多聞の力、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の力、正念・止観・諸通明の力、法の如く衆生を調伏する力、これらの力全てを具足す。身の色相も好ましく、功徳・弁才も具足し厳かにして、比ぶる者なし。無量の諸仏を恭敬供養し、常に諸仏の共に称え歎ずるところとなる。菩薩の諸波羅蜜を究竟し、空・無相・無願の三昧、不生不滅の諸三昧門を修し、声聞・縁覚の境地を遠く離る。

「阿難!彼諸菩薩成就如是無量功德,我但為汝略言之耳;若廣說者,百千萬劫不能窮盡。」

「阿難よ、かの菩薩たちはこのような無量の功徳を成就している。私はあなたにその一端を簡潔に述べたにすぎない。もし詳しく説こうものなら、百千万劫の長き時を経ても、そのすべてを語り尽くすことはできないであろう。」

佛告彌勒菩薩、諸天、人等:「無量壽國聲聞、菩薩功德智慧不可稱說,又其國土微妙安樂清淨若此,何不力為善,念道之自然,著於無上下,洞達無邊際?宜各勤精進,努力自求之,必得超絕去,往生安養國。橫截五惡趣,惡趣自然閉;昇道無窮極,易往而無人。其國不逆違,自然之所牽,何不棄世事,勤行求道德,可獲極長生,壽樂無有極?

仏は弥勒菩薩、諸天、人々に告げられた。「無量寿国の声聞や菩薩たちの功徳や智慧は、言葉で表すことのできないほどである。また、その国はこのように微細で安楽であり、清らかである。なぜ、善をなすことに力を尽くし、道の自然を思い、上下のないところに安住し、限りなく透き通った境地に達しようとしないのか。 各自、精進に励み、努力して自らそれを求めなさい。必ずや超絶してこの世を離れ、安養国に生まれ往くことができるだろう。五つの悪い世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間)を断ち切り、悪い世界は自然に閉ざされる。 道は限りなく高く、往くことは易しいのに、往く人がいない。その国は受け入れないことはなく、自然の力によって導かれる。どうして世の中のことにこだわらず、精進して道と徳を求め、極めて長い命と、限りのない幸せを得ないのか」

「然世人薄俗,共諍不急之事。於此劇惡極苦之中,勤身營務以自給濟。無尊、無卑,無貧、無富,少、長、男、女共憂錢財,有無同然,憂思適等。屏營愁苦,累念積慮,為心走使,無有安時——有田憂田、有宅憂宅,牛、馬、六畜、奴婢、錢財、衣、食、什物,復共憂之——重思累息,憂念愁怖,橫為非常、水、火、盜賊、怨家、債主焚漂劫奪,消散磨滅,憂毒忪忪,無有解時。結憤心中不離憂惱,心堅意固適無縱捨,或坐摧碎身亡命終,棄捐之去莫誰隨者。

しかし、世の人々は浅はかで俗っぽく、皆が争って不急のことに熱中しています。この非常に苦しく辛い世界の中で、身を粉にして働き、生活を支えています。身分の高い低い、貧しい富める、老いも若きも、男も女も、皆が等しくお金や財産を心配し、ある者もない者も同じように思い悩み、心配は皆同じです。不安に駆られ、苦しみ悲しみ、思いを積み、考えを募らせ、心のままに駆け回り、安らかな時はありません。

田んぼがあれば田んぼを憂い、家があれば家を憂い、牛、馬、家畜、召使い、お金や衣服、食べ物、日用品についてもまた憂えます。何度も考え、ため息をつき、憂え、恐れ、不安に震えます。思いがけず水害、火災、盗賊、恨みを持つ者、借金取りに襲われ、燃やされ、流され、奪われ、すべてが消え去り、なくなり、苦しみと不安で心は落ち着かず、晴れることはありません。

心には恨みが積もり、憂いや苦しみから離れられず、心は固く頑なで、少しも手放すことがありません。ついに押し潰され、命も終わり、すべてを捨てて去っていく時、誰も一緒に来てくれる者はいないのです。

「尊貴、豪富亦有斯患,憂懼萬端,勤苦若此,結眾寒熱與痛共俱。貧窮下劣困乏常無,無田亦憂欲有田、無宅亦憂欲有宅,無牛、馬、六畜、奴婢、錢財、衣、食、什物亦憂欲有之。適有一復少一、有是少是,思有齊等;適欲具有便復糜散。如是憂苦當復求索,不能時得思想無益,身心俱勞,坐起不安,憂念相隨,勤苦若此,亦結眾寒熱與痛共俱。或時坐之終身夭命,不肯為善、行道、進德,壽終身死當獨遠去,有所趣向善惡之道,莫能知者。

身分が高く、裕福な家系にも、このような悩みはつきものです。心配や恐れは尽きず、その苦労はこの通り、多くの寒さや熱さ、痛みを共に背負っているのです。

貧しく、身分が低く、乏しい者は、常に持たない苦しみを抱えています。田んぼがなければ田んぼが欲しいと憂い、家がなければ家が欲しいと憂い、牛、馬、六畜、召使い、金銭、衣服、食べ物、日用品がなければ、それらを欲しいと憂います。

やっと一つ手に入れても、また一つが足りず、これがあるのに、あれがないと思い、すべてを揃えたいと考えます。やっとすべてを揃えたと思っても、またすぐに散り散りになってしまいます。

このように、憂いや苦しみの中にあって、また求め続けます。すぐに得られなければ、無駄な思いを巡らせ、心も体も疲れ果て、座っても立っても落ち着かず、憂いの思いが絶え間なくつきまといます。その苦労はこの通り、多くの寒さや熱さ、痛みと共にあるのです。

あるいは、そうした苦しみが原因で、若くして命を落とすこともあります。善を行わず、道に励まず、徳を積まなければ、寿命が尽きて死ぬときには、一人で遠くへ去り、向かう先は善悪の道。その行き先を知る者は誰もいないのです。

「世間人民,父子、兄弟、夫婦、家室、中外親屬,當相敬愛,無相憎嫉;有無相通,無得貪惜;言色常和,莫相違戾。或時心諍有所恚怒,今世恨意微相憎嫉,後世轉劇至成大怨。所以者何?世間之事更相患害,雖不即時應急相破,然含毒畜怒結憤精神,自然剋識不得相離,皆當對生更相報復。人在世間愛欲之中,獨生、獨死,獨去、獨來,當行至趣苦樂之地,身自當之無有代者。善惡變化、殃福異處,宿豫嚴待,當獨趣入。遠到他所莫能見者,善惡自然追行所生。窈窈冥冥別離久長,道路不同會見無期,甚難甚難復得相值。何不棄眾事,各曼強健時,努力勤修善,精進願度世,可得極長生?如何不求道,安所須待,欲何樂乎?

世の中の人々よ、父と子、兄弟、夫婦、家庭内、そして親戚関係にある者同士は、互いに敬い愛し合うべきであり、憎しみや妬みを持ってはならない。必要なものがあるなら分け与え、貪ったり惜しんだりしてはならない。言葉遣いや表情は常に穏やかにし、互いに逆らったり争ったりしてはならない。

しかし時に、心に争いが生じて怒りや恨みを持つことがある。この世でわずかな恨みや憎しみ、妬みを抱くと、次の世ではそれが激しくなり、大きな怨みに発展する。それはなぜか。世の中の出来事は互いに害を与え合うものであり、すぐに直接的な破滅をもたらさなくとも、内に毒を抱え、怒りを蓄え、心に恨みを結び固める。自然とその業(ごう)は刻み込まれ、互いに離れることができず、必ず向かい合って生まれ変わり、互いに報復し合うことになる。

人は世の中において愛欲の中にあり、独りで生まれ、独りで死に、独りで去り、独りで来るのである。行く先々で苦しみや喜びの場所を経験するが、その身が自ら受け止めるのであり、代わってくれる者はいない。

善悪の行いは変化し、福と災いはそれぞれ異なる場所にある。過去からの報いは厳しく待ち受けており、人は独りでその中に入っていく。遠く離れた場所へ行けば、誰も見る者はないが、善悪は自然についてきて、生まれる先々で追いかけてくる。

暗くおぼろげな中での別れは長く続き、行く道筋が異なれば再び会う約束もない。再び巡り合うことは、非常に難しく、非常に難しいことなのである。

それならば、どうして様々な世俗のことを捨てて、それぞれが健やかで元気なうちに、努力して善を修め、精進してこの世を超えることを願い、極めて長い生命を得ようとしないのか。どうして道を求めようとせず、何を待ち、何の楽しみを求めているのか。

「如是,世人不信作善得善、為道得道,不信人死更生、惠施得福,善惡之事都不信之,謂之不然終無有是。但坐此故,且自見之,更相瞻視,先後同然。轉相承受父餘教令,先人祖父素不為善、不識道德,身愚神闇,心塞意閉。死生之趣、善惡之道,自不能見,無有語者;吉凶禍福,競各作之,無一怪也。生死常道轉相嗣立,或父哭子、或子哭父,兄弟、夫婦更相哭泣,顛倒上下無常根本,皆當過去不可常保。教語開導,信之者少,是以生死流轉無有休止。

このように、世の人々は「善い行いをすれば善い報いがあり、道を求める者は悟りを得る」ということを信じない。また、「人が死んで再び生まれ変わること(輪廻)や、施しをすれば福徳が得られること」も信じない。善悪の因果について一切信じず、「そんなことはない、実際にはあり得ない」と言うのである。

ただ、そのような考え方のために、人々は自らの目で見たことだけを頼りにし、互いに見渡しても、先人も後輩も皆同じように考えている。そうして、父から子へとその誤った教えが受け継がれていく。先祖や父祖もそもそも善を行わず、道徳を理解せず、身も愚かで神も暗く、心は塞がり、意は閉ざされている。

死後の世界、生まれ変わる道、善悪の因果を自ら見ることもできず、それを教える者もいない。吉凶や禍福について、人々は互いに競って様々な行いをするが、その結果がどうなるかを怪しむ者もいない。

生死は常の道であり、互いに継承し合って続いていく。ある時は父が子を悼み、またある時は子が父を悼む。兄弟や夫婦も互いに泣き合う。上下の立場は逆転し、常に変わって根本がなく、すべてのものは過ぎ去っていき、永遠に保つことはできない。

このような道理を教え導いても、信じる者は少ない。そのため、生死の流転は休むことなく続いていくのである。

「如此之人,曚冥抵突,不信經法,心無遠慮,各欲快意;癡惑於愛欲,不達於道德;迷沒於瞋怒,貪狼於財色。坐之不得道,當更惡趣苦,生死無窮已,哀哉甚可傷。或時室家,父子、兄弟、夫婦,一死一生更相哀愍,恩愛、思慕、憂念結縛,心意痛著迭相顧戀,窮日卒歲無有解已。教語道德心不開明,思想恩好不離情欲。惛曚閉塞,愚惑所覆,不能深思熟計、心自端政、專精行道、決斷世事,便旋至竟年壽終盡不能得道,無可奈何。

このような人々は、暗闇の中を手探りで進むかのように、経典や教えを信じず、先のことを深く考えず、ただその場の快楽を追い求めます。愛欲に惑わされて道理を悟らず、怒りに飲み込まれ、財や色欲にむさぼりつきます。その結果、悟りを得ることはできず、さらなる苦しみの世界に落ち、生死の迷いから永遠に逃れられません。なんと哀れで、傷ましいことでしょうか。

また、家庭の中で、親子、兄弟、夫婦が、一方は死に、一方は生き残ると、互いに嘆き悲しみ、愛情や想い、憂いに縛られ、心は深く痛み、互いに執着し合って、一年中、一日中、その悩みから解放されることがありません。

教えを説いても心は開けず、愛執の思いに浸って情欲から離れられません。暗闇に閉ざされ、愚かさに覆われて、深く考え、心を正し、専ら道に励み、世俗のことを断ち切ることができません。

そうするうちに、あっという間に寿命が尽き、ついに悟りを得ることはできず、どうすることもできないのです。

「總猥憒擾皆貪愛欲,惑道者眾、悟之者寡,世間怱怱,無可聊賴。尊卑、上下、貧富、貴賤,勤苦怱務各懷殺毒,惡氣窈冥為妄興事,違逆天地不從人心,自然非惡先隨與之。恣聽所為待其罪極,其壽未盡便頓奪之。下入惡道,累世懟苦展轉其中,數千億劫無有出期。痛不可言,甚可哀愍。」

世の中は、ただただ混乱し、人々は皆、欲望に執着しています。道を惑う者は多く、悟る者はごくわずかです。世の中はあわただしく過ぎ去り、頼りになるものは何もありません。身分の上下、貧富、貴賤を問わず、人々は苦しみながら忙しく働き、心には殺し合いの毒を宿し、悪しき気配は深く暗く、偽りの行いを起こします。天地の理に背き、人々の真心にも従わないため、自然の罰として先に悪が訪れます。その者の好き勝手に任せ罪が極まるのを待ち、寿命が尽きる前に、すぐにその命を奪い取ります。そして、悪道に堕ち、幾多の生にわたって苦しみ続け、その中を転々とし、数千億劫もの間、出ることのできる時はありません。その苦しみは言葉に尽くせず、まことに哀れみ悲しむべきことです。

佛告彌勒菩薩、諸天人等:「我今語汝世間之事,人用是故,坐不得道。當熟思計遠離眾惡,擇其善者勤而行之。愛欲榮華不可常保,皆當別離無可樂者。曼佛在世當勤精進,其有至願生安樂國者,可得智慧明達、功德殊勝;勿得隨心所欲,虧負經戒在人後也。儻有疑意不解經者,可具問佛,當為說之。」

仏は弥勒菩薩と天人の人々に告げられた。「私は今、あなた方に世の中のことを語ろう。人が道を得られないのは、このことのためである。よく考え、よく計らい、さまざまな悪から遠く離れ、善いものを選んで熱心に行いなさい。愛欲や栄華は決して永遠に続くものではなく、すべては別れゆくものであり、楽しめるものなど何もない。仏が世に在るうちに、熱心に努力しなさい。安楽の国に生まれたいという強い願いを持つ者は、智慧が明らかに達し、功徳がすぐれて素晴らしいものとなるであろう。心のままに欲するままにふるまい、経典や戒めにそむいて他の人より遅れをとってはならない。もしも疑いの心があって経典の意味がわからないなら、遠慮なく仏に尋ねなさい。仏があなた方のために説き明かそう。」

彌勒菩薩長跪白言:「佛威神尊重,所說快善,聽佛經者貫心思之。世人實爾如佛所言,今佛慈愍顯示大道,耳目開明長得度脫,聞佛所說莫不歡喜。諸天、人民、蠕動之類,皆蒙慈恩解脫憂苦。佛語教誡甚深甚善,智慧明見八方、上下、去來今事,莫不究暢。今我眾等所以蒙得度脫,皆佛前世求道之時謙苦所致。恩德普覆,福祿巍巍,光明徹照達空無極;開入泥洹,教授典攬威制消化,感動十方無窮無極。佛為法王尊超眾聖,普為一切天人之師,隨心所願皆令得道。今得值佛,復聞無量壽聲,靡不歡喜,心得開明。」

弥勒菩薩はひざまずいて、こう申し上げました。 「仏の威光と尊厳は並ぶものがなく、説かれる教えは素晴らしいものです。仏の経を聴く者は、心を込めてその意味を深く考えるべきです。世の人々のあり方は、まさに仏のおっしゃる通りです。今、仏は慈しみをもって、悟りへの大道を示してくださいました。私たちの目と耳は開かれ、永遠の救いを得ることができるのです。仏の教えを聞いて、喜ばない者はおりません。天の人々も、人間も、生きとし生けるもの全てが、仏の慈しみの恩恵を受け、苦しみや悩みから解き放たれます。仏の教えと戒めは、非常に深く、そして素晴らしいものです。智慧は明らかに、東西南北、上下、過去・未来・現在の全ての出来事を見通し、明らかにしないものはありません。私たち一同が救いを得られたのは、すべて仏が前世において修行の道を求め、謙虚に苦しまれたおかげです。その恩徳はすべてを包み込み、福徳は比類なく高く、その光明は尽きることのない空の真理にまで達しています。私たちを涅槃へと導き、教えを説き示し、全てを掌握し、情念を溶かし消し去り、無限の世界を動かす力があります。仏は法の王であり、その尊さはすべての聖者を超え、あまねく全ての天や人の師であります。それぞれの願いに従い、悟りを得させてくださいます。今、仏に出会い、さらに無量寿の声を聞くことができて、喜ばない者はおらず、誰もが心を開き、智慧の光に照らされたのです。」

佛告彌勒:「汝言是也。若有慈敬於佛者,實為大善。天下久久乃復有佛,今我於此世作佛,演說經法,宣布道教,斷諸疑網;拔愛欲之本,杜眾惡之源。遊步三界無所拘閡,典攬智慧眾道之要,執持綱維昭然分明,開示五趣度未度者,決正生死泥洹之道。

仏は弥勒に告げられた。「おまえの言う通りだ。もし仏に対して慈しみと敬いの心を持つ者がいれば、それは実に大きな善である。この世に仏が現れるのは、長い長い年月を経てのことである。今、わたしはこの世に仏として現れ、経典や教えを説き、道の教えを宣べ伝え、あらゆる疑惑の網を断ち切る。愛欲の元を取り除き、あらゆる悪の根源を塞ぐ。三界(欲界・色界・無色界)を自由に歩み、何ものにも妨げられることなく、智慧すなわちすべての道の要点を統べ治め、教えの網の目をしっかりと掲げて明らかに示し、五つの迷いの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天)を開いて示し、まだ救われていない者たちを救い、生死と

「彌勒當知,汝從無數劫來修菩薩行,欲度眾生,其已久遠,從汝得道至于泥洹不可稱數。汝及十方諸天、人民一切四眾,永劫已來展轉五道,憂畏勤苦不可具言,乃至今世生死不絕,與佛相值聽受經法,又復得聞無量壽佛。快哉甚善,吾助爾喜。

弥勒よ、知っておくがよい。あなたは数え切れないほど長い劫(大変に長い時間)の昔から菩薩の修行を積み、人々を救おうとしてきた。その道のりは実に長遠である。あなたが悟りを開いてから、涅槃に入るまでに至った者たちは、数えきれないほどである。

あなたと、十方の天界の人々、さらにあらゆる人々の四つの集まりは、永遠の昔から五つの迷いの世界を渡り歩き、憂いと恐れ、苦しみや疲れを尽くしてきた。そのすべては口で言い尽くせないほどである。そして、今の世に至ってもなお生死を繰り返し、ようやく仏に出遇い、教えを聴き、さらに無量寿仏の名を聞くことができた。

なんと喜ばしいことか。これこそ素晴

「汝今亦可自厭生、死、老、病、痛苦、惡露、不淨、無可樂者,宜自決斷。端身正行,益作諸善;修己潔體,洗除心垢;言行忠信,表裏相應;人能自度,轉相拯濟;精明求願,積累善本。雖一世勤苦須臾之間,後生無量壽佛國快樂無極,長與道德合明,永拔生死根本,無復貪恚、愚癡、苦惱之患。欲壽一劫、百劫、千億萬劫,自在隨意皆可得之,無為自然次於泥洹之道。汝等宜各精進求心所願,無得疑惑中悔自為過咎,生彼邊地七寶宮殿,五百歲中受諸厄也。」

あなたは今、生・死・老・病の苦しみ、汚れ、不浄、少しも楽しむことのできないものを自ら厭い、自ら決断しなさい。身を正しく整えて正しい行いをし、ますます多くの善を行いなさい。自らを修めて身を清め、心の垢を洗い除きなさい。言葉と行いを忠実にし、表と裏が一致するようにしなさい。人は自ら救われることができ、互いに助け合いなさい。明晰に願いを求め、善の根本を積み重ねなさい。たとえ一生の間、勤め苦しむことがほんのわずかの間であっても、後に無量寿仏の国に生まれれば、楽しみはこの上なく、長く道徳とともに輝き、生死の根本を永遠に断ち切り、もはや貪り・怒り・愚かさ・苦悩の患いを受けることはありません。一劫、百劫、千億万劫の寿命を望むなら、自在に思いのままに得ることができ、無為自然にして泥洹の道に次ぐものです。あなたがたはそれぞれ精進して心に願うところを求めなさい。疑い迷って途中で悔い、自ら過ちを作り、かの辺地の七宝の宮殿に生まれ、五百歳の間さまざまな苦難を受けることがあってはなりません。

彌勒白佛:「受佛重誨,專精修學,如教奉行,不敢有疑。」

弥勒が仏に申し上げました。「仏様の大切なお教えを謹んで受け止め、心を込めて修行に励み、教えの通りに実践し、少しも疑いを挟みません。」

佛告彌勒:「汝等能於此世端心正意,不作眾惡,甚為至德,十方世界最無倫匹。所以者何?諸佛國土天人之類自然作善,不大為惡,易可開化。今我於此世間作佛,處於五惡、五痛、五燒之中,為最劇苦。教化群生令捨五惡、令去五痛、令離五燒;降化其意令持五善,獲其福德度世長壽泥洹之道。」

仏は弥勒に告げられた。 「あなたがたがこの世界において心を正しくし、悪を行わないのは、実にこの上ない徳である。十方世界の中でも、比べる者はいない。なぜなら、諸仏の国土に住む天や人は、自然に善を行い、あまり悪をなさず、教え導きやすいからである。しかし今、私はこの世界で仏となり、五悪・五痛・五焼の中にあって、最も激しい苦しみの只中にある。人々を教え導き、五悪を捨てさせ、五痛を去らせ、五焼から離れさせようとしている。彼らの心を調伏して五善を保たせ、その功徳によって、この世を超えた長寿の涅槃の道を得させるためである。」

佛言:「何等為五惡?何等五痛?何等五燒?何等消化五惡、令持五善,獲其福德度世長壽泥洹之道?

仏は言われた。「五つの悪とは何か。五つの苦しみとは何か。五つの地獄の苦しみとは何か。五つの悪を消し去り、五つの善を保ち、その功徳を得て、この世を超え、長寿の涅槃の境地に至るにはどうすればよいのか。」

「其一惡者,諸天、人民、蠕動之類。欲為眾惡莫不皆然。強者伏弱轉相剋賊,殘害殺戮迭相吞噬,不知修善惡逆無道,後受殃罰自然趣向。神明記識犯者不赦,故有貧窮、下賤、乞丐、孤獨、聾盲、瘖啞、愚癡、憋惡,至有尫狂不逮之屬。又有尊貴、豪富、高才、明達皆由宿世慈孝、修善積德所致。世有常道、王法、牢獄不肯畏慎,為惡入罪受其殃罰,求望解脫難得免出。世間有此目前現事,壽終後世尤深尤劇,入其幽冥轉生受身。譬如王法痛苦極刑,故有自然三塗無量苦惱,轉貿其身、改形易道,所受壽命或長或短,魂神精識自然趣之。當獨值向相從共生,更相報復無有止已,殃惡未盡不得相離,展轉其中無有出期,難得解脫痛不可言。天地之間自然有是,雖不即時卒暴應至,善惡之道會當歸之。是為一大惡、一痛、一燒,勤苦如是。

第一の悪とは、天界の者も、人間も、地を這う生き物たちも含めた全ての存在が、互いに悪事を働こうとすることです。強い者は弱い者を虐げ、奪い合い、殺し合い、食い合う。善を積むことを知らず、道に背き、法を無視する。そうした行いの報いとして、自然と苦しみの道へと導かれていくのです。

神や仏の目はごまかせず、罪を犯した者は決して許されません。その報いとして、貧しい者、身分の低い者、物乞い、孤独な者、耳の聞こえない者、目の見えない者、口のきけない者、愚かな者、心のねじ曲がった者、さらには精神を病んだ者などが存在します。

一方で、尊ばれる者、裕福な者、才能に恵まれた者、聡明な者たちがいるのは、全て前世において慈しみの心を持ち、親に孝行を尽くし、善行を積み、徳を培った結果なのです。

この世には、王法や牢獄といった社会の秩序があるにもかかわらず、人々はそれを畏れず、悪事を重ねて罰を受けます。逃れようとしても、その罰を免れることは難しい。こうしたことは、この世の中でも実際に目の当たりにすることができる現実です。

そして、命が終わった後には、さらに深く、さらに厳しい報いが待っています。暗黒の世界に落ち、新たな命を受けて生まれ変わるのです。それはまるで、王法による極刑のような苦しみです。

それゆえに、自然と三つの悪道(地獄・餓鬼・畜生)が生じ、そこでは計り知れない苦しみが続きます。苦しみに応じて異なる姿に変えられ、違った道へと移り変わります。そこで受ける命の長さはそれぞれ異なり、魂や意識は自然とそれにふさわしい場所へと向かっていくのです。

自分自身の行いが原因となり、その結果として、ある者は共に生まれ、また互いに報復を繰り返し、決して終わることがありません。悪い行いの報いが尽きない限り、そこから離れることはできず、苦しみの中で迷い続け、逃れ出る時は訪れません。その苦しみは、言葉にできないほど耐えがたいものです。

天地の間には、自然とこのような理(ことわり)が存在します。善悪の報いはすぐに現れるとは限りませんが、その道は必ず自らのもとへと帰ってくるのです。

これが第一の大悪と、それに伴う痛みと焼かれるような苦しみの現実であり、このようにして

「譬如大火焚燒人身,人能於中一心制意、端身正行,獨作諸善、不為眾惡者,身獨度脫,獲其福德度世上天泥洹之道,是為一大善也。」

例えば、大火が人の体を焼き尽くすような状況にあっても、その中で心を一つに定め、行いを正しく整え、ただ一人で善行を積み、悪を為さない人がいます。その人は自らの力で迷いの世界を超え、幸せを得て、天に生まれ、究極の安らぎの境地(泥洹)に至ります。これが大いなる善の一つです。

佛言:「其二惡者,世間人民——父子、兄弟、室家、夫婦——都無義理,不順法度。奢婬憍縱,各欲快意,任心自恣,更相欺惑。心口各異、言念無實、佞諂不忠、巧言諛媚、嫉賢謗善,陷入怨枉。主上不明任用臣下、臣下自在機偽多端,踐度能行知其形勢。在位不正為其所欺,妄損忠良不當天心。臣欺其君、子欺其父,兄弟、夫婦、中外知識更相欺誑,各懷貪欲、瞋恚、愚癡,欲自厚己、欲貪多有,尊卑、上下心俱同然。破家亡身不顧前後,親屬內外坐之滅族。或時室家、知識、鄉黨、市里、愚民、野人轉共從事,更相剝害,忿成怨結。富有慳惜不肯施與,愛保貪重心勞身苦,如是至竟無所恃怙,獨來獨去無一隨者。善惡、禍福追命所生,或在樂處、或入苦毒,然後乃悔,當復何及?世間人民心愚少智,見善憎謗不思慕及,但欲為惡妄作非法,常懷盜心悕望他利,消散磨盡而復求索。邪心不正,懼人有色,不豫思計,事至乃悔。今世現有王法牢獄,隨罪趣向受其殃罰。因其前世不信道德、不修善本,今復為惡,天神剋識別其名籍,壽終神逝下入惡道,故有自然三塗無量苦惱。展轉其中,世世累劫無有出期,難得解脫痛不可言,是為二大惡、二痛、二燒,勤苦如是。

仏陀は言われた。「第二の悪とは、世の人々——父と子、兄弟、家族、夫婦——の間に、道理や正しい秩序が全く無くなっていることです。彼らは贅沢に溺れ、情欲のままに振る舞い、思い通りになって気ままに過ごし、互いに欺き惑わし合います。心と口は一致せず、言葉に誠実さはなく、へつらい偽り、忠義は無く、巧みな言葉で媚びへつらい、賢者を妬み善を誹謗し、恨みや誤った非難を仕向けます。

主君は明らかでなく、臣下を思うままに任せると、臣下は好き勝手に振る舞い、機知と偽りを多用し、相手の状況を見抜いて行動します。地位にある者が正しくないため、その者に欺かれ、忠実で有能な者を損ない、天の心に適いません。臣下は主君を欺き、子は父を欺き、兄弟、夫婦、親戚、知人同士が互いに欺き合います。各自が貪欲、怒り、愚かさを抱え、自らを富ませようとし、多くを得たいと望み、上下間わず心は皆同じです。家を破り身を滅ぼすことも顧みず、親族内外はそのために一族絶えることになります。

時に家族、知人、同郷、町中、愚かな民、田舎の人々が互いに結託し、互いに奪い傷つけ合い、怒りから恨みを結びます。富んでいる者は惜しんで施しをせず、愛着と貪欲で心を労し身を苦しめ、最後まで頼るものなく、ただ独り来て独り去り、一人も従う者はいません。善悪や禍福は命に従って生まれ、あるいは楽しい場所に、あるいは苦しみの中に入り、その後悔いても、どうしようもありません。

世の人々は心愚かで知恵が少なく、善を見れば憎み誹謗して慕い求めず、ただ悪を行い法に背けることばかりを望み、常に盗む心を抱いて他人の利益を期待し、それが尽き散り去ってもまた求めます。心は邪で正しくなく、他人の様子を恐れ、事前に考え計らず、事が起こって初めて悔います。今世には現に王法の牢獄があり、罪に従ってその罰を受けます。前世において道徳を信ぜず、善の根本を修めなかったため、今また悪を行えば、天の神々がその者の名籍を明らかに記録し、寿命が尽きて神が去れば悪道に落ち、そこに自然に三悪道の無量の苦悩があります。その中を転々とし、世々劫を重ねても出る時期がなく、解脱することは難しく、その苦しみは言葉にできません。これが第二の大悪、第二の痛み、第二の焼きであり、このように苦しみは厳しいのです。」

「譬如大火焚燒人身,人能於中一心制意、端身正行,獨作諸善、不為眾惡者,身獨度脫,獲其福德度世上天泥洹之道,是為二大善也。」

例えば、大火が人の身を焼くような時であっても、その中で心を一つに保ち、思いを制し、身を整えて正しい行いをし、ただ一人で様々な善を積み、多くの悪を行わない者がいるならば、その人はただ一人で苦しみから脱し、その功徳によって世を超えて天に生まれ、涅槃の道に至ることができます。これが第二大の善となります。

佛言:「其三惡者,世間人民相因寄生,共居天地之間,處年壽命無能幾何。上有賢明長者、尊貴豪富,下有貧窮㒋賤、尫劣愚夫,中有不善之人常懷邪惡,但念婬妷,煩滿胸中,愛欲交亂坐起不安,貪意守惜但欲唐得。眄睞細色邪態外逸,自妻厭憎私妄出入,費損家財事為非法,交結聚會興師相伐,攻劫殺戮強奪不道。惡心在外不自修業,盜竊趣得欲擊成事,恐勢迫脅歸給妻子,恣心快意極身作樂。或於親屬不避尊卑,家室中外患而苦之,亦復不畏王法禁令。如是之惡著於人鬼,日月照見、神明記識,故有自然三塗無量苦惱。展轉其中,世世累劫無有出期,難得解脫痛不可言,是為三大惡、三痛、三燒,勤苦如是。

仏陀は言われた。「第三の悪とは、世の人々が互いに依存して生き、共に天地の間に住みながら、その寿命がどれほど短いか気づかないことである。上には賢明な年長者や尊い身分の富豪がいる。下には貧しい賤民や病弱で愚かな者がいる。その中間には不善の者がいて、常に邪悪な思いを抱き、ただ婬欲ばかりを考え、胸は煩悩で満ちている。愛欲に惑わされて立ち居振る舞いも落ち着かず、貪りの心で守り惜しみ、ただ無償で得ようとする。

魅惑的な細やかな色香に目を奪われ、外に淫らな振る舞いをあらわす。自分の妻には嫌悪し、ひそかに不倫にふける。家財を費やして不法なことを行い、仲間と集まり軍を起こして互いに攻め合い、人を殺し奪い、力ずくで不正を行う。

悪心を外に向け、自ら善行に努めず、盗みを企てて打撃を与えようとし、脅迫して妻や子に与え、心のままに楽しみ、身の限り快楽をむさぼる。あるいは親族の間で尊卑の区別もなく、家の内外に苦しみをもたらす。また、王法の禁令をも恐れない。

このような悪は、人にも鬼にも知られ、日月も照らし見、神々も記憶する。ゆえに自然に三つの悪道(地獄・餓鬼・畜生)の無量の苦しみがある。そこに次々と生まれ変わり、幾世代もの長い間、出る時がなく、解脱することは難しく、その苦しみは言葉に尽くせない。これが第三の大悪であり、三つの苦しみと三つの焼き尽くす苦しみであり、その苦しみはこのようである。」

「譬如大火焚燒人身,人能於中一心制意、端身正行,獨作諸善、不為眾惡者,身獨度脫,獲其福德度世上天泥洹之道,是為三大善也。」

例えば、大火が人の体を焼き尽くすような時でも、その中で心を一つに保ち、行いを正しく整え、ただ一人で善を積み、多くの悪を行わない者がいます。その人は独りで苦しみから救われ、福徳を得て、この世を超え、天界に生まれ、やがて涅槃の道に至ります。これが三つ目の大いなる善なのです。

佛言:「其四惡者,世間人民不念修善,轉相教令共為眾惡。兩舌、惡口、妄言、綺語、讒賊、鬪亂,憎嫉善人、敗壞賢明,於傍快喜。不孝二親、輕慢師長,朋友無信,難得誠實。尊貴自大謂己有道,橫行威勢侵易於人,不能自知,為惡無恥,自以強健欲人敬難,不畏天地、神明、日月,不肯作善,難可降化。自用偃蹇謂可常爾,無所憂懼,常懷憍慢。如是眾惡,天神記識,賴其前世頗作福德,小善扶接營護助之;今世為惡福德盡滅,諸善神鬼各去離之,身獨空立無所復依。壽命終盡諸惡所歸,自然迫促共趣奪之。又其名籍記在神明,殃咎牽引當往趣向,罪報自然無從捨離。但得前行入於火鑊,身心摧碎、精神痛苦,當斯之時悔復何及?天道自然,不得蹉跌,故有自然三塗無量苦惱。展轉其中,世世累劫無有出期,難得解脫痛不可言,是為四大惡、四痛、四燒,勤苦如是。

仏は言われた。「第四の悪とは、世の人々が善を修めることを思わず、互いに教え合って共に様々な悪をなすことである。二枚舌、悪口、嘘、飾り言葉、讒言、争いを起こすこと。善人を憎み嫉み、賢明な人を損ない陥れ、その様子を見て喜ぶこと。両親に孝行せず、師や年長者を軽んじ、朋友との間に誠実さがなく、真実を尽くすことをしない。自らを尊く思い傲慢になり、『我に道あり』と称し、横暴に振る舞い、権勢を振るって他人を侵し、己の過ちを顧みず、悪をなして恥じるところがない。自らの強健さを恃み、人からの尊敬を望みながら、天や地、神霊や日月を畏れず、善をなそうとせず、教化され難い。我が儘に振る舞い高慢で『これで永遠に続く』と思い込み、恐れや憂いがなく、常に驕り慢心を抱く。

これらの様々な悪を、天神は記録している。前世において少しばかりの福徳を積んでいたため、少しの善が支えとなり守り助けていたのであるが、今世に悪をなしたためにその福徳は尽きて滅び、善なる神や鬼神たちは皆去って離れてしまい、ただ一人空しく立ち、よりどころを失う。寿命が尽きるとき、諸々の悪の報いが集まり、自然に急き立てられて奪い合う。さらに、その者の名簿は神明に記録され、罪の咎が引き連れて、その報いの世界へと向かわせる。罪の報いは自然にやって来て、逃れ去ることができない。ただ進んで熱した鉄の釜の中に入り、身心は砕かれ、精神は苦しみ嘆く。このような時になって、悔やんでもどうにもならない。

天道は自然に進み、誤ることがない。それゆえに、自然に三悪道という無量の苦悩がある。その中を次々と巡り、世々累劫を経ても出ることのない時があり、解脱は難しく、その苦しみは言葉にできない。これが第四の大悪、四つの痛み、四つの焼きであり、苦しみはこのようである。」

「譬如大火焚燒人身,人能於中一心制意、端身正行,獨作諸善、不為眾惡,身獨度脫,獲其福德度世上天泥洹之道,是為四大善也。」

例えば、大火が人の体を焼き尽くすように、人がその中で心をひとつにして思いを制し、身を正しく整え、

善行だけを行い、悪行を行わなければ、

その人はひとりでに悟りの境地へと至り、

福徳を得て、この世を超え、天に生まれ、

涅槃の道に達することができます。

これが「四大の善」と呼ばれるものです。

佛言:「其五惡者,世間人民徙倚懈惰,不肯作善、治身修業,家室眷屬飢寒困苦。父母教誨瞋目怒應,言令不和違戾反逆譬如怨家,不如無子。取與無節,眾共患厭,負恩違義,無有報償之心。貧窮困乏不能復得,辜較縱奪放恣遊散,串數唐得用自賑給。耽酒嗜美、飲食無度,肆心蕩逸、魯扈抵突,不識人情強欲抑制。見人有善憎嫉惡之,無義、無禮,無所顧錄。自用職當不可諫曉,六親眷屬所資有無不能憂念。不惟父母之恩、不存師友之義,心常念惡、口常言惡、身常行惡,曾無一善。不信先聖諸佛經法、不信行道可得度世、不信死後神明更生、不信作善得善為惡得惡。欲殺真人,鬪亂眾僧,欲害父母、兄弟、眷屬,六親憎惡願令其死。

仏は言われた。「第五の悪とは、世の人々が怠け心に流されて善を行わず、自らの身を整え、身を修める行いを拒み、家族や親族を飢えや寒さに苦しめることである。父母が教え諭しても、怒った目で睨みつけて怒りたけり、調和を欠き逆らうこと、まるで怨みを持つ敵のように振る舞い、子などいない方がましと思う。与えるにも奪うにも節度がなく、人々から厭われ疎まれ、恩を背負いながら義に反し、返済の心が全くない。貧しく困って再び得ることもできなくなると、やたらと奪い取り、好き勝手に振る舞い、遊びほうける癖がつき、不正な手段で得ても自ら満たすことに使用する。酒に溺れ美味を好み、飲食に節度なく心を放縦に遊ばせ、乱暴横柄で理不尽に働きかけ、人情を理解せず無理に抑え込もうとする。

人の善を見れば妬み憎み、義も礼も顧みず、何もかもお構いなしである。独りよがりであると自負し、忠告や諫めを受け入れず、六親や親族が何を求めていようと顧みることはない。父母の恩を思わず、師友の義を心に留めず、心は常に悪を思い、口は常に悪を語り、身は常に悪を行い、良いことをすることは全くない。

先聖や諸仏の経法を信じず、道を実践すれば世の苦しみを超えられることを信じず、死後に精神が新たな生を受けることや、善を行えば善果を得、悪を行えば悪果を得ることを信じようとしない。真人を殺そうと企み、僧の間を混乱させ、父母や兄弟、親族を害そうとし、六親から嫌われ憎まれて彼らの死を願う。

「如是世人心意俱然,愚癡曚昧而自以智慧,不知生所從來、死所趣向。不仁、不順,逆惡天地,而於其中悕望僥倖,欲求長生,會當歸死。慈心教誨令其念善,開示生死善惡之趣自然有是,而不信之;苦心與語無益其人,心中閉塞意不開解。大命將終悔懼交至,不豫修善臨窮方悔,悔之於後將何及乎?天地之間五道分明,恢廓窈冥浩浩茫茫,善惡報應禍福相承,身自當之無誰代者。

このように、世の人々の心は皆同じで、愚かでおろかであり、自分の考えを分別と思い込んでいる。自らがどこから生まれ、死後どこへ向かうのかを知らない。慈しみの心がなく、道理に従わず、天地に逆らい悪をなす。そのような中で、偶然の幸運を願い求め、長生を欲しながらも、結局は死を迎える定めにある。慈しみの心で教え諭し、善を想うように促し、生死や善悪の報いは自然の道理であることを示しても、それを信じようとしない。心を込めて語りかけても、その人にとっては無益であり、心は閉ざされ、理解しようとしない。やがて命の終わりが迫り、後悔と恐れが同時に押し寄せる。前もって善を積まず、窮地に陥って初めて後悔する。その後の後悔が、何の役に立つだろうか。天地の間には五つの道が明らかに存在し、それは広大で計り知れず、広漠として果てしない。善悪の報いは、禍福となって応報し、自らがその責めを受けるのであり、代わりになる者など誰もいないのである。

「數之自然應其所行,殃咎追命無得縱捨。善人行善,從樂入樂、從明入明;惡人行惡,從苦入苦、從冥入冥。誰能知者?獨佛知耳。教語開示,信用者少,生死不休,惡道不絕。如是,世人難可具盡,故有自然三塗無量苦惱。展轉其中,世世累劫無有出期,難得解脫,痛不可言,是為五大惡、五痛、五燒,勤苦如是。

因果の道理は自然にその行いに応じ、災いや咎は命を追いかけて逃れられません。善人が善を行うならば、楽から楽へ、明るさから明るさへと進みます。しかし、悪人が悪を行うならば、苦しみから苦しみへ、闇から闇へと進むのです。このことを誰が知っているのでしょうか。ただ仏のみが知っておられます。しかし、教えを示し開き語っても、信じて従う者は少なく、生死は終わらず、悪い道は絶えることがありません。このように、世の人々の行いのすべてを尽くすことは難しいのです。それゆえに、自然に三つの悪道(地獄・餓鬼・畜生)という無量の苦しみが存在します。人々はその中に次々に生まれ変わり、世々累劫にわたって出る時がなく、解脱は難しく、その苦しみは言葉に尽くせません。これが第五の大悪、五つの痛み、五つの焼きであり、苦しみはこのように厳しいのです。

「譬如大火焚燒人身,人能於中一心制意、端身正念,言行相副、所作至誠,所語如語、心口不轉,獨作諸善、不為眾惡者,身獨度脫,獲其福德度世上天泥洹之道,是為五大善也。」

例えば、大火が人の体を焼き尽くすかのような時でも、その中にあって心を一つに定め、身を正しく整え、言葉と行いを一致させ、全ての行いを誠実に行い、口にした通りに行動し、心と言葉が変わることなく、ただ一人で善を積み、悪を行わない人がいます。その人は自ら解脱を得て、その功徳によってこの世を超え、天に生まれ、涅槃の道に至ることができます。これが第五の大いなる善行です。

佛告彌勒:「吾語汝等,是世五惡勤苦若此,五痛、五燒展轉相生,但作眾惡不修善本,皆悉自然入諸惡趣。或其今世先被殃病,求死不得、求生不得,罪惡所招示眾見之。身死隨行入三惡道,苦毒無量自相燋然。至其久後共作怨結,從小微起遂成大惡,皆由貪著財色、不能施慧,癡欲所迫、隨心思想,煩惱結縛無有解已,厚己諍利無所省錄。富貴榮華當時快意,不能忍辱不務修善,威勢無幾隨以磨滅,身生勞苦久後大劇。天道施張自然糺舉,綱紀羅網上下相應,焭焭忪忪當入其中。古今有是,痛哉可傷!」

仏が弥勒に告げられた。「私はあなたたちに語る。この世には五つの悪があり、その苦しみはこのようなものである。五つの痛みと五つの焼き尽くす苦しみが互いに生じ合い、ただ悪を積み重ねて善の根本を修めず、すべてが自然に諸々の悪道へと赴く。あるいは現世で先に災いや病に遭い、死のうとしても得られず、生きようとしても得られず、罪悪の報いによるものであることを人々に示す。身が死ねば、その行いに従って三悪道に入り、苦しみ毒は限りなく、自ら燃え尽きる。やがて長い時を経て互いに怨みを結び、小さなことから始まって大きな悪となる。すべては財物や欲望に執着し、施しや智慧を行わず、無知な欲求にせきたてられ、心のままに思い巡らし、煩悩の束縛から解かれることがなく、自己を厚くし利益を争って省みることがないからである。富や栄華はその時だけの快楽であり、忍耐できず善を修めようとせず、勢いも長く続かずやがて消え去る。身に苦しみを生じ、長く経てば大きな苦悩となる。天の道は張り巡らされ、自然に罪を糾明し挙げる。網の目のような掟は上下相応じ、恐れおののく者はその中に入る。古来よりこのようなことはあり、痛ましく哀れむべきことである。」

佛語彌勒:「世間如是,佛皆哀之。以威神力摧滅眾惡,悉令就善棄捐所思,奉持經戒、受行道法,無所違失,終得度世泥洹之道。」

仏は弥勒に告げられた。「世の中はこのようなものだ。仏はすべての人々を哀れみ、その神通力をもってあらゆる悪を打ち砕き滅ぼし、すべての人を善に向かわせる。自らの思惑を捨て去り、経典と戒律を守り受け入れ、道と教えを行い実践し、少しの違反も失うこともなく、ついにはこの世を超え、涅槃の境地に至るのである。」

佛言:「汝今諸天人民及後世人,得佛經語當熟思之,能於其中端心正行,主上為善、率化其下,轉相勅令各自端守,尊聖敬善、仁慈博愛。佛語教誨無敢虧負,當求度世拔斷生死眾惡之本,永離三塗無量憂畏苦痛之道。汝等於是廣殖德本,布恩施慧,勿犯道禁,忍辱、精進、一心、智慧轉相教化。

仏は言われた。「あなたがた天の人々や後の世の人々は、仏の教えを得たならば、それをよくよく心に思い巡らせなさい。その教えに従って心を正し行いを正しくし、上の者が善を行い、その下の者を導き、互いに教え戒め合って、それぞれ自らを正しく保ちなさい。聖なる者を尊び、善を敬い、慈しみの心で広く愛し合いなさい。仏の教えを決して軽んじたり、背いたりしてはなりません。 生死の苦しみやあらゆる悪の根源を断ち切り、迷いの三つの世界(地獄・餓鬼・畜生)から永遠に離れ、計り知れない憂いや恐れ、苦しみの道から逃れることを求めなさい。 あなたがたはそこで広く善い行いの種をまき、恩恵を施し、智慧を広げなさい。道の戒めを犯してはならず、忍び、努め、心を一つにし、智慧をもって互いに教え導き

「為德立善,正心正意,齋戒清淨一日一夜,勝在無量壽國為善百歲。所以者何?彼佛國土無為自然,皆積眾善,無毛髮之惡,於此修善十日十夜,勝於他方諸佛國中為善千歲。所以者何?他方佛國為善者多、為惡者少,福德自然,無造惡之地。唯此間多惡無有自然,勤苦求欲轉相欺殆,心勞形困飲苦食毒,如是怱務未甞寧息。吾哀汝等天人之類,苦心誨喻教令修善,隨器開導授與經法,莫不承用,在意所願皆令得道。佛所遊履,國邑丘聚靡不蒙化,天下和順,日月清明,風雨以時,災厲不起,國豐民安,兵戈無用,崇德興仁,務修禮讓。」

人の徳を立て善を行うには、心を正しくし、意を正しくし、斎戒を清らかにして一日一夜行うことが、無量寿国で百年間善を行うよりも勝れています。なぜなら、かの仏の国土は無為自然であり、すべての善を積んでいて、毛髪ほどの悪もありません。この世界で十日十夜、善を修めることは、他の仏の国々で千年間善を行うよりも勝れています。なぜなら、他の仏の国々では善を行う者が多く、悪を行う者が少なく、福徳は自然に備わり悪を行う場所がないからです。ただこの世界だけは、悪が多く自然に任せることなく、苦労して欲望を求め、互いに欺き合い、心は疲れ体は苦しみ、苦しみを飲み毒を食べるようにして、慌ただしく過ごし、安らぐ暇がありません。

私はあなたがた天人のような者たちを哀れみ、心を砕いて教え諭し、善を行うよう教えています。能力に応じて導き、経典の教えを授ければ、誰もがそれを受け入れて実践し、願うままに悟りを得ることができるのです。仏が訪れた国々、村や町は、ことごとく教化を受けないところはなく、天下は和やかに従い、日月は清らかに明るく、風雨は適時に訪れ、災害や疫病は起こらず、国は豊かで民は安らかで、軍を用いることはなく、徳を尊び仁を起こし、礼儀や譲り合いを努めて修めるのです。

佛言:「我哀愍汝等諸天人民,甚於父母念子。今吾於此世作佛,降化五惡、消除五痛、絕滅五燒,以善攻惡,拔生死之苦,令獲五德,昇無為之安。吾去世後經道漸滅,人民諂偽復為眾惡,五燒、五痛還如前法,久後轉劇不可悉說,我但為汝略言之耳。」

仏陀は言われた。「私は、あなたがた天の人々や人間たちを、父母が子を思うよりも深く哀れみ、慈しんでいる。今、私はこの世に仏として現れ、五つの悪を抑え、五つの苦しみを除き、五つの焼き尽くす苦しみを絶ち滅ぼした。善をもって悪に立ち向かい、生死の苦しみから救い出し、五つの徳を得させて、何ものにも縛られない安らかな境地に至らせようとしている。

私がこの世を去った後、教えは次第に衰え、人々は偽りや欺きに陥り、再びさまざまな悪を行い、五つの焼き尽くす苦しみと五つの苦しみは以前のように戻るだろう。やがてそれはますます激しくなり、そのすべてを語り尽くすことはできない。私はただ、あなたがたのためにその概要を述べる

佛告彌勒:「汝等各善思之,轉相教誡,如佛經法,無得犯也。」

仏は弥勒に告げて言われた。「あなたがたは、それぞれよくよくこのことを心に留め、互いに教え戒め合いなさい。仏の教えと法則に従い、それに背くことがあってはならない。」

於是,彌勒菩薩合掌白言:「佛所說甚善。世人實爾,如來普慈哀愍悉令度脫,受佛重誨不敢違失。」

そこで、弥勒菩薩は合掌して申し上げました。「仏様のお言葉、まことに素晴らしいものです。世の人々は確かにその通りでございます。如来はすべてを慈しみ、憐れみ、皆を救い悟りへ導かれます。私どもは仏様の大切なお教えを謹んで受け止め、決して背くことはございません。」

佛告阿難:「汝起更整衣服,合掌恭敬,禮無量壽佛。十方國土諸佛如來,常共稱揚讚歎彼佛,無著無閡。」

仏は阿難に告げられた。「汝、起きて更に衣を整え、合掌し敬いを尽くして、無量寿仏を礼拝せよ。十方の国土の諸仏・如来は、常に共にその仏を称え、讃嘆し、執着もなく妨げもないのである。」

於是,阿難起整衣服,正身西向,恭敬合掌,五體投地禮無量壽佛。白言:「世尊!願見彼佛安樂國土及諸菩薩聲聞大眾。」

そこで、阿難は立ち上がって衣を整え、体をまっすぐにして西方を向き、敬いの気持ちを込めて合掌し、五体投地して無量寿仏に礼を尽くしました。そして申し上げました。「世尊よ、どうかかの仏の安楽国土と、そこに集う菩薩や声聞の大衆をお見せください。」

說是語已,即時無量壽佛放大光明,普照一切諸佛世界,金剛圍山、須彌山王、大小諸山,一切所有皆同一色。譬如劫水彌滿世界,其中萬物沈沒不現,滉瀁浩汗唯見大水;彼佛光明亦復如是,聲聞、菩薩一切光明皆悉隱蔽,唯見佛光明耀顯赫。

この言葉が終わると、たちまち無量寿仏が大いなる光明を放ち、あらゆる諸仏の世界を照らし尽くした。金剛囲山、須弥山王、大小の諸山、すべてのものがみな同じ色となった。たとえば、劫の水が世界に満ちあふれ、その中の万物が沈んで見えなくなり、水が広々と茫々としてただ大水だけが見えるようなものである。かの仏の光明もまた、これと同じである。声聞や菩薩のすべての光明はみな隠れ、ただ仏の光明だけが輝き映えて、明らかに見えるのである。

爾時,阿難即見無量壽佛,威德巍巍如須彌山王,高出一切諸世界上,相好光明靡不照耀。此會四眾一時悉見,彼見此土亦復如是。

そのとき、阿難(あなん)は無量寿仏(むりょうじゅぶつ)を目の当たりにしました。その威厳と徳は、あたかも世界の頂(いただき)にそびえる須弥山王(しゅみせんのう)のように高く、あらゆる諸仏の世界を超えて輝き、相(すがた)や光明(こうみょう)は至るところを照らしていました。この会の四衆(ししゅう)は皆、その姿を心に収めました。また、彼らがあの世界を見たように、あちらの仏たちもこの世界を同じように見ていたのです。

爾時,佛告阿難及慈氏菩薩:「汝見彼國,從地已上至淨居天,其中所有微妙嚴淨自然之物,為悉見不?」

そのとき、仏は阿難と慈氏菩薩に告げられた。「あなたがたは、かの国(極楽浄土)を、大地から上の浄居天に至るまで、その中にあるすべての微妙で荘厳かつ清らかな、自然に現れたものを、すべてはっきりと見たか。」

阿難對曰:「唯然,已見。」

阿難が答えた。「はい、すでに見ております。」

「汝寧復聞無量壽佛大音宣布一切世界化眾生不?」

あなたは、無量寿仏の大きな声がすべての世界に響き渡り、人々を教化しているのを、再び聞いたことがありますか?

阿難對曰:「唯然,已聞。」

阿難がお答えしました。「はい、承りました。」

「彼國人民乘百千由旬七寶宮殿無所障閡,遍至十方供養諸佛,汝復見不?」

「その国の人々は、百千由旬(※非常に長い距離)もの七宝でできた宮殿に乗って、どこへでも自由に行くことができ、十方のあらゆる仏様のもとへ赴いて供養している姿を、あなたはもう見ましたか?」

對曰:「已見。」

答えて言った。「もう見えました。」

「彼國人民有胎生者,汝復見不?」

「あの国(極楽浄土)には、胎内から生まれる者もいるのです。あなたはそれを見ましたか?」

對曰:「已見。」

「はい、見えました。」

「其胎生者所處宮殿,或百由旬或五百由旬,各於其中受諸快樂,如忉利天,亦皆自然。」

胎生の者が住む宮殿は、広さが百由旬あるいは五百由旬にも及びます。彼らはそれぞれその中で、あたかも忉利天(とうりてん)の天人のように、自然と生じる様々な楽しみを受けています。

爾時,慈氏菩薩白佛言:「世尊!何因何緣彼國人民胎生化生?」

その時、慈氏菩薩が仏に申し上げました。 「世尊(尊いお方)、どのような因縁によって、かの国の人々は胎生(母胎から生まれること)と化生(自然に現れること)とに分かれるのでしょうか?」

佛告慈氏:「若有眾生以疑惑心修諸功德,願生彼國,不了佛智、不思議智、不可稱智、大乘廣智、無等無倫最上勝智,於此諸智疑惑不信;然猶信罪福,修習善本,願生其國。此諸眾生生彼宮殿,壽五百歲,常不見佛、不聞經法、不見菩薩聲聞聖眾,是故於彼國土謂之胎生。若有眾生明信佛智乃至勝智,作諸功德信心迴向,此諸眾生於七寶華中自然化生,加趺而坐,須臾之頃,身相光明,智慧功德如諸菩薩具足成就。

仏は慈氏に告げられた。「もしある衆生が疑いの心をもって諸々の功徳を修め、かの国に生まれようと願いながら、仏の智慧、不可思議な智慧、はかり知れない智慧、大乗の広大な智慧、比べるものなく最上の勝れた智慧を理解せず、これらの諸々の智慧に疑惑を抱いて信じないとする。しかし、それでもなお罪と福徳を信じ、善の根元を修習して、かの国に生まれようと願うならば、これらの衆生はかの宮殿に生まれ、五百歳の間、常に仏を見ず、経法を聞かず、菩薩や声聞の聖なる衆に会うこともない。そのため、かの国においてこれを胎生という。

もしある衆生が、仏の智慧から最上の智慧に至るまでを明らかに信じ、諸々の功徳をなし、信心をもって回向するならば、これらの衆生は七宝の花のなかに自然に化生し、結跏趺坐して、しばらくのうちに、身の相と光明、智慧と功徳は、諸々の菩薩のように具足して成就する。」

「復次,慈氏!他方諸大菩薩發心欲見無量壽佛,恭敬供養及諸菩薩聲聞之眾。彼菩薩等命終得生無量壽國,於七寶華中自然化生。彌勒當知,彼化生者智慧勝故。其胎生者皆無智慧,於五百歲中常不見佛、不聞經法、不見菩薩諸聲聞眾,無由供養於佛、不知菩薩法式、不得修習功德,當知此人宿世之時無有智慧,疑惑所致。」

「さらに、慈氏(弥勒)よ。他方の世界における大菩薩たちの中には、無量寿仏(阿弥陀如来)にお目にかかりたい、敬い捧げたい、そして多くの菩薩や声聞の僧侶たちにも同様にしたいと願う者たちがいる。それらの菩薩たちは、命終の後、無量寿国(極楽浄土)に生まれ、七宝の蓮華の中に自然に姿を現すのだ。

弥勒よ、知るがよい。このように蓮華から姿を現す者(化生)は、智慧がすぐれているからだ。一方、胎内に宿るようにして生まれる者(胎生)は、みな智慧がなく、五百年もの間、常に仏にお目にかかれず、経典の教えを聞くこともできず、菩薩や声聞の僧侶たちにも会えない。仏に供養する機会もなく、菩薩としての正しい在り方も知らず、修行や功徳を積むこともできない。これは、その人が前世において智慧がなく、疑惑の心に惑わされていたからだと知るべきである。」

佛告彌勒:「譬如轉輪聖王別有宮室,七寶莊飾,張設床帳,懸諸繒幡。若有諸小王子得罪於王,輒內彼宮中,繫以金鎖,供給飲食、衣服、床蓐、華香、伎樂,如轉輪王無所乏少。於意云何?此諸王子寧樂彼處不?」

仏陀は弥勒菩薩に告げられました。「たとえば、転輪聖王が特別な宮殿を持ち、七宝で飾り立て、寝台や帳を設け、様々な絹の旗を掲げているとしましょう。もしも王子たちが王の御心に背く罪を犯したなら、王は彼らをその宮殿に入れ、金の鎖で繋ぎます。しかし、飲食、衣服、寝具、花や香り、音楽など、転輪聖王に何ひとつ不足ないものはすべて与えられます。あなたはどう思いますか。これらの王子たちは、その場所を楽しいと思うでしょうか。」

對曰:「不也,但種種方便求諸大力欲自勉出。」

答えて言った。「いいえ。ただ、さまざまな手段を使って、大きな力を求め、自力で抜け出そうとしているのです。」

佛告彌勒:「此諸眾生亦復如是。以疑惑佛智生彼宮殿,無有刑罰乃至一念惡事,但於五百歲中不見三寶,不得供養修諸善本。以此為苦,雖有餘樂猶不樂彼處。若此眾生識其本罪,深自悔責求離彼處,即得如意,往詣無量壽佛所恭敬供養,亦得遍至無量無數諸如來所修諸功德。彌勒當知,其有菩薩生疑惑者,為失大利。是故,應當明信諸佛無上智慧。」

仏が彌勒に告げられた。「これらの衆生もまた同じである。仏の智慧を疑うために、彼らは宮殿に生まれる。そこには刑罰はおろか、一瞬の悪いこともない。しかし、五百歳の間、三宝(仏・法・僧)を見ることができず、善根を修める供養をすることもできない。これが苦しみであり、他の楽しみがあっても、その場所に留まることを喜ばない。もしこれらの衆生が自らの本来の罪を悟り、深く悔い改めてその場所を離れようと求めるならば、即座に思いのままに、無量寿仏のところに至り、敬い供養することができる。また、無数無量の如来のもとを巡り、全ての功徳を修めることもできる。彌勒よ、知るがよい。菩薩でありながら疑いを抱く者は、大きな利益を失うのである。ゆえに、諸仏の無上の智慧を明らかに信じるべきである。」

彌勒菩薩白佛言:「世尊!於此世界有幾所不退菩薩生彼佛國?」

弥勒菩薩が釈尊に申し上げました。「世尊(お釈迦さま)にお尋ねいたします。この世界には、不退転の位に達した菩薩がどれほどいて、あの阿弥陀仏の国に生まれるのでしょうか?」

佛告彌勒:「於此世界有六十七億不退菩薩往生彼國。一一菩薩已曾供養無數諸佛,次如彌勒者也;諸小行菩薩及修習少功德者不可稱計,皆當往生。」

仏は弥勒に告げられた:「この世界には、六十七億の退転しない菩薩たちがいて、かの国に生まれ変わる。一人ひとりの菩薩はすでに無数の仏に供養を捧げてきた。それはまさに弥勒のような者たちである。また、小さな修行をする菩薩や、少しの功徳を修める者たちは、数えきれないほどいて、皆、往生するであろう。」

佛告彌勒:「不但我剎諸菩薩等往生彼國,他方佛土亦復如是。其第一佛名曰遠照,彼有百八十億菩薩皆當往生。其第二佛名曰寶藏,彼有九十億菩薩皆當往生。其第三佛名曰無量音,彼有二百二十億菩薩皆當往生。其第四佛名曰甘露味,彼有二百五十億菩薩皆當往生。其第五佛名曰龍勝,彼有十四億菩薩皆當往生。其第六佛名曰勝力,彼有萬四千菩薩皆當往生。其第七佛名曰師子,彼有五百億菩薩皆當往生。其第八佛名曰離垢光,彼有八十億菩薩皆當往生。其第九佛名曰德首,彼有六十億菩薩皆當往生。其第十佛名曰妙德山,彼有六十億菩薩皆當往生。其第十一佛名曰人王,彼有十億菩薩皆當往生。其第十二佛名曰無上華,彼有無數不可稱計諸菩薩眾——皆不退轉,智慧勇猛,已曾供養無量諸佛,於七日中即能攝取百千億劫大士所修堅固之法——斯等菩薩皆當往生。其第十三佛名曰無畏,彼有七百九十億大菩薩眾、諸小菩薩及比丘等不可稱計皆當往生。」

仏は弥勒に告げられた。「私の浄土の菩薩たちだけがその国に生まれるのではない。他の仏の国土でも同じである。第一の仏の名は遠照といい、その国には百八十億の菩薩がいて、皆、生まれるであろう。第二の仏の名は宝藏といい、その国には九十億の菩薩がいて、皆、生まれるであろう。第三の仏の名は無量音といい、その国には二百二十億の菩薩がいて、皆、生まれるであろう。第四の仏の名は甘露味といい、その国には二百五十億の菩薩がいて、皆、生まれるであろう。第五の仏の名は龍勝といい、その国には十四億の菩薩がいて、皆、生まれるであろう。第六の仏の名は勝力といい、その国には一万四千の菩薩がいて、皆、生まれるであろう。第七の仏の名は師子といい、その国には五百億の菩薩がいて、皆、生まれるであろう。第八の仏の名は離垢光といい、その国には八十億の菩薩がいて、皆、生まれるであろう。第九の仏の名は徳首といい、その国には六十億の菩薩がいて、皆、生まれるであろう。第十の仏の名は妙徳山といい、その国には六十億の菩薩がいて、皆、生まれるであろう。第十一の仏の名は人王といい、その国には十億の菩薩がいて、皆、生まれるであろう。第十二の仏の名は無上華といい、その国には数え切れないほどの菩薩たちがいる。彼らは皆、退転することなく、智慧は勇猛で、すでに無量の仏に供養してきた。七日間のうちに、百千億劫の大菩薩が修める堅固な法を身につけることができる。これらの菩薩たちは皆、生まれるであろう。第十三の仏の名は無畏といい、その国には七百九十億の大菩薩たちと、数え切れないほどの小菩薩や比丘たちがいて、皆、生まれるであろう。」

佛語彌勒:「不但此十四佛國中諸菩薩等當往生也,十方世界無量佛國其往生者亦復如是,甚多無數。我但說十方諸佛名號及菩薩、比丘生彼國者,晝夜一劫尚未能竟,我今為汝略說之耳。」

仏は弥勒に告げられた。「ただこの十四の仏国土の中の菩薩たちだけが往生するのではない。十方世界の無数の仏国土からも、同様に数えきれないほどの者たちが往生するのだ。私は、十方の諸仏の名と、その国に生まれる菩薩や比丘たちを挙げようとすれば、昼夜一劫かけてもなお語り尽くせない。今は、あなたのためにその一端を簡潔に語ろう。」

佛語彌勒:「其有得聞彼佛名號,歡喜踊躍,乃至一念,當知此人為得大利,則是具足無上功德。是故,彌勒!設有大火充滿三千大千世界,要當過此。聞是經法,歡喜信樂,受持讀誦,如說修行。所以者何?多有菩薩欲聞此經而不能得。若有眾生聞此經者,於無上道終不退轉,是故應當專心信受持誦說行。吾今為諸眾生說此經法,令見無量壽佛及其國土一切所有,所當為者皆可求之,無得以我滅度之後復生疑惑。當來之世經道滅盡,我以慈悲哀愍特留此經止住百歲,其有眾生值斯經者,隨意所願皆可得度。」

仏は弥勒菩薩に告げられた。「この仏の名号を聞き、歓喜踊跃して、たとえ一念でも心を向ける者があれば、この人が大いなる利得を得ることを知るべきである。すなわち、これは無上の功徳を具えているということである。ゆえに、弥勒よ、たとえ三千大千世界に満ちる大火があろうとも、これを超えて進まねばならない。この経の教えを聞いて、喜び信じ喜び、受持し読誦し、説かれるままに修行しなさい。なぜならば、多くの菩薩がこの経を聞こうとしても聞くことができないからである。もしこの経を聞く衆生があれば、無上の道において決して退転することはない。ゆえに、心を一つにして信じ受け持ち、誦し、説き、行うべきである。私は今、すべての衆生のためにこの経の教えを説き、無量寿仏とその国土の一切のありさまを見せている。なすべきことはすべて求めなさい。私が滅度した後に疑いを起こしてはならない。未来の世に経道が尽き滅びるとき、私は大慈悲の哀れみをもって、特にこの経をとどめて百歳の間、世に留める。この経に出会う衆生は、その願いのままに皆、救われるであろう。」

佛語彌勒:「如來興世難值難見、諸佛經道難得難聞;菩薩勝法諸波羅蜜得聞亦難;遇善知識、聞法能行此亦為難;若聞斯經信樂受持,難中之難無過此難。是故我法,如是作、如是說、如是教,應當信順,如法修行。」

仏陀は弥勒菩薩に告げられました。「如来がこの世に現れることは、めったにない貴重な機会であり、諸仏の教えや道を得て聞くこともまた難しい。菩薩の優れた教えである波羅蜜多を聞くことも難しい。善き指導者に出会い、教えを聞いて実践に移すこともまた難しい。しかし、この経典を聞いて、心から信じ喜んで受け入れ、実践するということは、数ある難しいことの中でもこの上なく難しいことである。ゆえに、私の教えをこのように理解し、このように説き、このように実践するならば、信仰と順従をもって、教えに従い修行するべきである。」

爾時,世尊說此經法,無量眾生皆發無上正覺之心,萬二千那由他人得清淨法眼,二十二億諸天人民得阿那含,八十萬比丘漏盡意解,四十億菩薩得不退轉,以弘誓功德而自莊嚴,於將來世當成正覺。爾時,三千大千世界六種震動,大光普照十方國土,百千音樂自然而作,無量妙華芬芬而降。

その時、世尊がこの教えを説かれたところ、無数の生きとし生けるものたちが皆、最高の悟りを求める心を起こしました。一万二千那由他の人々は清らかな真理の眼を得、二十二億の天の人々や人間は阿那含の境地に達しました。八十万の比丘は煩悩が尽きて心が解脱し、四十億の菩薩は退くことのない境地を得て、広大な誓いの功徳によって自らを飾り、未来の世において正しい悟りを成就するでしょう。

その時、三千大千世界は六種に震動し、大きな光が十方の国々を照らし渡りました。何百何千もの音楽が自然に奏でられ、数え切れないほどの美しい花々が香り高く降り注ぎました。

佛說經已,彌勒菩薩及十方來諸菩薩眾,長老阿難、諸大聲聞,一切大眾,聞佛所說靡不歡喜。

仏がこの経典を説き終えると、弥勒菩薩と十方から来た多くの菩薩たち、長老アーナンダ、大いなる声聞たち、そしてすべての大衆は、仏の説法を聞いて、皆が喜びを感じない者はありませんでした。

無量壽經卷下

無量寿経 巻下


第一

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