禪宗永嘉集序
唐慶州刺史魏靜述
唐の慶州刺史・魏静が述べる
聞夫。慧門廣闢。理絕色相之端。覺路遙登。跡晦名言之表。悲夫。能仁示現。應化無方。開妙典於三乘。暢真詮於八部。所以發揮至賾。懸梵景於昏衢。光闡大猷。泛禪波於欲浪。是以金棺揜耀。玉毫收彩。孤標靈鷲之英。獨負成麟之業者。其唯大師歟。大師俗姓戴氏。永嘉人也。少挺生知。學不加思。幼則遊心三藏。長則通志大乘。三業精勤。偏弘禪觀。境智俱寂。定慧雙融。遂使塵靜昏衢。波澄玄海。心珠道種。瑩七淨以交輝。戒月悲花。耿三空而列耀。加復霜松潔操。水月虛襟。布衣蔬食。忘身為法。愍傷含識。物物斯安。觀念相續。心心靡間。始終抗節。金石方堅。淺深心要。貫花慚潔。神徹言表。理契寰中。曲己推人。順凡同聖。則不起滅定而秉護四儀。名重當時道扇方外。三吳碩學輻輳禪階。八表高人風趨理窟。靜往因薄宦。親承接足。恨未盡於方寸。俄赴京畿。自爾已來。幽冥遽隔。永慨玄眸。積翳忽喪金錍。欲海洪濤。遄沈智檝。遺文尚在。龕室寂寥。嗚呼哀哉。痛纏心腑。所嗟一方眼滅。七眾何依。德音無聞。遠增悽感。大師在生。凡所宣紀。總有十篇。集為一卷。庶同歸郢悟者。得意忘言耳。今略紀斯文。多有謬誤。用俟明哲。非者正之。
そもそも、智慧の門は広く開かれているが、その理は色彩や形相という手がかりを絶している。悟りへの道は遥かに続くが、その跡は言葉や概念の彼方に隠れている。ああ、悲しいかな。能仁(釈尊)は世に現れ、機に応じて限りなく教化を示された。三乗の流れにおいて妙なる経典を開き、八部の衆において真実の教えを説き明かされた。それによって、この上なく深遠な真理を顕わし、昏き道に仏の智慧の光を掲げられた。その大いなる教えを輝かせ、欲望の波の中に静かな禅の流れを広げられたのである。それゆえ、金の棺はその輝きを収め、白毫の光も姿を消した。しかし、霊鷲山の華やかな英知をひと際高く掲げ、独り成鱗の大業を担われた方は、まさに大師をおいて他にいないであろう。
大師は俗姓を戴氏といい、永嘉の人である。若くして生まれながらの智を発揮し、学んでも思案に頼ることがなかった。幼くしてすでに三蔵に心を遊ばせ、長じては大乗に志を通じられた。身・口・意の三業を精進して修め、特に禅観を広く弘められた。境と智は共に静まり、定と慧は一つに溶け合った。そのため塵は昏き道に鎮まり、波は玄妙な海に澄み渡った。心の珠、仏性の種は、七種の清浄な功徳に磨かれ、互いに輝きを放った。戒律の月、慈悲の花は、三つの空(三空)の境地に鮮やかに掲げられ、光り輝いた。さらに、霜に耐える松のように潔い操り、水に映る月のように虚ろな襟懷を持ち、粗末な衣服をまとい、質素な食事をされ、自らの身を忘れて修行に専念された。生きとし生けるものを慈しみ、あらゆるものが安らかであることを願い、観想を途切れなく続け、心の念に一瞬の隙もなかった。終始その志を守り通し、その堅さは金や石にも勝っていた。心の要諦の深さ浅さは、花に例えられる比喩(華厳経)すらもその清らかさに及ばないと言える。その境地は言葉の彼方にあり、理はこの世界の内に叶っていた。自らを曲げて他者を推し、凡夫に順じて聖者と同じくされた。すなわち、滅尽定に入ることなくして、四威儀を守り行われたのである。
その名声は時の世に重く、戒律の風は世外にも広まった。三呉の地の優れた学者たちは、車の輻(や)が轂(こしき)に集まるように禅の修行の場に集まり、八表の高邁な人々は、風が赴くように真理の奥義の場に集まった。私は(作者・魏静)かって薄い官職にあった縁で、親しく大師に接してその教えを受け継いだ。ただ、心の奥底のすべてを尽くせなかったことを悔やみながら、すぐに都へ向かうこととなった。それ以来、幽明の境は隔たり、遠く隔たってしまった。永遠に、この深き眼の曇りを取り除く金の錐(金篦)を失ってしまったことを嘆く。欲望の大海の激しい波に、智慧の舟はあっけなく沈んでしまった。遺された文章はなおここにあるが、龕室は寂としてひっそりとしている。ああ、悲しいかな。痛みは心の腑に深く絡みつく。嘆かわしいことだ。一方の目の灯が消えたならば、
禪宗永嘉集
禅宗永嘉集
唐慎水沙門玄覺撰
唐慎水沙門玄覚撰
大章分為十門。慕道志儀第一。夫欲修道。先須立志。及事師儀則。彰乎軌訓。故標第一。慕道儀式。戒憍奢意第二。初雖立志修道。善識軌儀。若三業憍奢。妄心擾動。何能得定。故次第二明戒憍奢意也。淨修三業第三。前戒憍奢。略標綱要。今子細檢責。令麁過不生。故次第三明淨修三業。戒乎身口意也。奢摩他頌第四。前已檢責身口。令麁過不生。次須入門。修道漸次。不出定慧。五種起心。六種料簡。故次第四。明奢摩他頌也。毘婆舍那頌第五。非戒不禪。非禪不慧。上既修定。定久慧明。故次第五明毘婆舍那頌也。優畢叉頌第六。偏修於定。定久則沈。偏學於慧。慧多心動。故次第六明優畢叉頌。等於定慧。令不沈動。使定慧均等。捨於二邊。三乘漸次第七。定慧既均。則寂而常照。三觀一心。何疑不遣。何照不圓。自解雖明。悲他未悟。悟有淺深。故次第七明三乘漸次也。理事不二第八。三乘悟理。理無不窮。窮理在事。了事即理。故次第八明事理不二。即事而真。用祛倒見也。勸友人書第九。事理既融。內心自瑩。復悲遠學。虛擲寸陰。故次第九明勸友人書也。發願文第十。勸友雖是悲他。專心在一。情猶未普。故次第十明發願文。誓度一切也。
大章は十門に分かれます。慕道志儀第一。修道を志すには、まず志を立てる必要があります。また師に仕える儀則は、規範として明らかに示されています。それゆえ第一に標します。慕道儀式。戒憍奢意第二。初めは志を立てて修道しても、善く軌儀を識っていなければ、もし三業が憍奢で妄心が擾動するならば、どうして定を得ることができるでしょうか。それゆえ次に第二として戒憍奢意を明かします。浄修三業第三。前に憍奢を戒め、略して綱要を標しました。今、子細に検責して、麁い過ちを生じさせません。それゆえ次に第三として浄修三業を明かします。身口意を戒めるのです。奢摩他頌第四。前にすでに身口を検責して、麁い過ちを生じさせません。次に入門する必要があります。修道の漸次は、定慧を出でません。五種の起心、六種の料簡。それゆえ次に第四として、奢摩他頌を明かします。毘婆舍那頌第五。戒なくして禅はなく、禅なくして慧はありません。上にすでに定を修め、定が久しければ慧が明らかになります。それゆえ次に第五として毘婆舍那頌を明かします。優畢叉頌第六。偏り定を修めれば、定が久しければ沈みます。偏り慧を学べば、慧が多ければ心が動きます。それゆえ次に第六として優畢叉頌を明かします。定慧を等しくし、沈動させず、定慧を均等にし、二辺を捨てます。三乗漸次第七。定慧がすでに均等であれば、寂にして常に照らします。三観一心、何の疑いを遣らず、何の照りを円かにしないでしょうか。自解は明らかでも、他が未だ悟らないことを悲しみます。悟りには浅深があります。それゆえ次に第七として三乗漸次を明かします。理事不二第八。三乗は理を悟り、理は窮めないものはありません。理を窮めることは事にあり、事を了れば即ち理です。それゆえ次に第八として事理不二を明かします。即事而真、倒見を祛めるために用います。勧友人書第九。事理がすでに融ければ、内心は自ずから瑩きます。さらに遠学の者が、虚しく寸陰を擲つことを悲しみます。それゆえ次に第九として勧友人書を明かします。発願文第十。友を勧めるのは悲他ではありますが、専心は一にあり、情はなお普くありません。それゆえ次に第十として発願文を明かします。誓って一切を度するのです。