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摩訶般若波羅蜜経 (摩訶般若波羅蜜經)

「摩訶般若波羅蜜經」について

後秦 · 底本の訳者:鳩摩羅什

28.7 万字 · 約 957 分

摩訶般若波羅蜜経は、後秦の時代に著名な訳経大師である鳩摩羅什によって漢訳された大乗仏教の重要経典であり、般若部経典の中核をなす文献である。本経は5世紀初頭に成立し、羅什は長安の逍遥園訳場において翻訳を主導し、大乗仏教の空性思想と菩薩の修行法門を体系的に説き明かした。経文は般若智慧を核心とし、諸法の空相や無所得などの深遠な義理を詳細に論じ、般若波羅蜜多を通じて究竟涅槃に至ることができることを強調している。大乗仏教の根本経典の一つとして、本経は中国仏教における天台宗、三論宗などの宗派形成に深遠な影響を与え、大乗空観思想を研究する上での重要な依拠となり、漢伝仏教において崇高な地位を占めている。


摩訶般若波羅蜜經卷第一

摩訶般若波羅蜜経 巻第一

後秦龜茲國三藏鳩摩羅什譯

後秦・亀茲国三蔵法師鳩摩羅什訳

序品第一

序品第一

如是我聞:

私はこのように聞きました。

一時佛住王舍城耆闍崛山中,共摩訶比丘僧大數五千分,皆是阿羅漢——諸漏已盡無復煩惱,心得好解脫、慧得好解脫,其心調柔軟摩訶那伽,所作已辦,棄擔能擔逮得己利,盡諸有結,正智已得解脫——唯阿難在學地得須陀洹。復有五百比丘尼、優婆塞、優婆夷等,皆得聖諦。復有菩薩摩訶薩——皆得陀羅尼及諸三昧行,空、無相、無作,已得等忍、得無閡陀羅尼,悉是五通,言必信受無復懈怠,已捨利養名聞,說法無所悕望,度深法忍得無畏力,過諸魔事,一切業障悉得解脫。巧說因緣法。從阿僧祇劫以來發大誓願,顏色和悅,常先問訊,所語不麁,於大眾中而無所畏。無數億劫說法巧出,解了諸法如幻、如焰、如水中月、如虛空、如響、如揵闥婆城、如夢、如影、如鏡中像、如化,得無閡無所畏。悉知眾生心行所趣,以微妙慧而度脫之。意無罣閡,大忍成就,如實巧度。願受無量諸佛國土,念無量國土諸佛三昧常現在前,能請無量諸佛。能斷種種見纏及諸煩惱,遊戲出生百千三昧——諸菩薩如是等種種無量功德成就,其名曰颰陀婆羅菩薩、罽那伽羅菩薩、導師菩薩、那羅達菩薩、星得菩薩、水天菩薩、主天菩薩、大意菩薩、益意菩薩、增意菩薩、不虛見菩薩、善進菩薩、勢勝菩薩、常懃菩薩、不捨精進菩薩、日藏菩薩、不缺意菩薩、觀世音菩薩、文殊師利菩薩、執寶印菩薩、常舉手菩薩、彌勒菩薩,如是等無量百千萬億那由他諸菩薩摩訶薩。一切菩薩皆是補處,紹尊位者。

ある時、仏が王舎城の耆闍崛山(ぎしゃくつせん)におられた時、五千人の大比丘僧が共にいました。彼らは皆阿羅漢であり、諸々の結・漏を尽くして再び煩悩はなく、心はよき解脱を得、慧はよき解脱を得ていました。その心は調えられ、柔軟であり、あたかも大いなる龍のようであり、なすべきことを成し終え、重荷を捨てて自らの利益に達し、あらゆる有の結縛を尽くし、正智によって既に解脱を得ていました。ただし、阿難だけは学地にあって須陀洹の位を得ていました。

また、五百人の比丘尼、優婆塞、優婆夷などがいて、皆、聖諦を得ていました。

さらに菩薩摩訶薩たちがいました。彼らは皆、陀羅尼および諸々の三昧の行を得ており、空、無相、無作に達し、既に等忍と無碍の陀羅尼を得ていました。ことごとく五通を備え、言葉は必ず信受され、もはや懈怠はなく、すでに利養や名聞を捨て、法を説くにあたっても何ら望むところがありません。深法忍を渡り、無畏の力を得て、諸々の魔事を乗り越え、一切の業障からことごとく解脱しています。因縁の法を巧みに説きます。阿僧祇劫の昔より大誓願を発し、顔色は和らぎ、常に先んじて問訊し、語る言葉に粗野なところがなく、大衆の中にあっても畏れるところがありません。無数億劫にわたって法を説き、巧みに教えを出し、諸法が幻のごとく、陽炎のごとく、水中の月のごとく、虚空のごとく、響きのごとく、乾闥婆城のごとく、夢のごとく、影のごとく、鏡の中の像のごとく、変化のごときものであると解了し、無碍で無畏の境地を得ています。衆生の心行が趣くところを悉く知り、微妙な慧をもって彼らを救い脱せしめます。心に滞りなく、大いなる忍を成就し、如実にして巧みに人々を度します。無量なる諸仏の国土を受け入れることを願い、無量なる国土の諸仏の三昧を常に眼前し、無量なる諸仏に教えを請うことができます。種々の見纏(見惑による執着)および諸々の煩悩を断ち切り、百千の三昧を遊戯し生み出します。

諸々の菩薩は、このような種々無量の功徳を成就していました。その名は、跋陀婆羅菩薩、罽那伽羅菩薩、導師菩薩、那羅達菩薩、星得菩薩、水天菩薩、主天菩薩、大意菩薩、益意菩薩、増意菩薩、不虚見菩薩、善進菩薩、勢勝菩薩、常懃菩薩、不捨精進菩薩、日蔵菩薩、不缺意菩薩、観世音菩薩、文殊師利菩薩、執宝印菩薩、常挙手菩薩、弥勒菩薩などであり、このような無量百千万億那由他の諸々の菩薩摩訶薩たちです。すべての菩薩は皆、補処(仏位を継ぐべき位)にあり、尊い位を受け継ぐ者たちです。

爾時世尊自敷師子座,結跏趺坐,直身繫念在前,入三昧王三昧,一切三昧悉入其中。是時世尊從三昧安詳而起,以天眼觀視世界,舉身微笑,從足下千輻相輪中放六百萬億光明,足十指、兩踝、兩𨄔、兩膝、兩髀、腰脊腹脇背臍、心胸德字、肩臂手十指、項、口四十齒、鼻兩孔、兩眼、兩耳、白毫相、肉髻,各各放六百萬億光明。從是諸光出大光明,遍照三千大千國土;從三千大千國土,遍照東方如恒河沙等諸佛國土,南西北方四維上下亦復如是。若有眾生遇斯光者,必得阿耨多羅三藐三菩提。光明出過東方如恒河沙等諸佛國土,南西北方四維上下亦復如是。

そのとき、世尊は自ら獅子座を敷き、結跏趺坐し、背筋を伸ばして心を目の前に集中させ、三昧王の三昧に入られた。あらゆる三昧はこの三昧の中に含まれている。

そののち、世尊は三昧から安らかに立ち上がり、天眼をもって世界を見渡された。そして全身に微笑みを浮かべられると、足の裏の千輻相輪から六百万億の光明を放たれた。足の十指、両踝、両踵、両膝、両腿、腰・背骨・腹・脇・背中・へそ、心臓・胸の徳の字、肩・腕・手の十指、項、口の四十の歯、鼻の二つの孔、両眼、両耳、白毫相、肉髻―その一つ一つから、それぞれ六百万億の光明を放たれた。

これらの光から大いなる光明が現れ、三千大千世界の国土をくまなく照らした。さらに三千大千世界から、東方のガンジス川の砂の数ほどの仏国土を照らし、南方・西方・北方、四維(四隅)・上方・下方も同様であった。

もしこの光に触れる衆生がいたならば、必ず無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)を得るであろう。

この光明は、東方のガンジス川の砂の数ほどの仏国土を超えて広がり、南方・西方・北方、四維・上方・下方も同様であった。

爾時世尊舉身毛孔皆亦微笑而放諸光,遍照三千大千國土,復至十方如恒河沙等諸佛國土。若有眾生遇斯光者,必得阿耨多羅三藐三菩提。爾時世尊以常光明遍照三千大千國土,亦至東方如恒河沙等諸佛國土,乃至十方亦復如是。若有眾生遇斯光者,必得阿耨多羅三藐三菩提。

その時、世尊の全身の毛穴の一つ一つからも微笑みが広がり、光を放ちました。その光は、三千大千世界全体を照らし、さらに、東方など十方の、ガンジス川の砂の数ほどもある無数の仏の国々にまで届きました。この光に触れた者たちは、皆、必ず最高の悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を得ることができるのです。

また、その時、世尊は日常の智慧の光で、三千大千世界全体を照らし、同じように東方など十方の無数の仏の国々にも光を届けました。この光に触れた者たちも、皆、必ず最高の悟りを得ることができるのです。

爾時世尊出廣長舌相,遍覆三千大千國土。熈怡微笑,從其舌根放無量千萬億光,是一一光化成千葉金色寶花。是諸花上皆有化佛,結跏趺坐說六波羅蜜。眾生聞者必得阿耨多羅三藐三菩提。復至十方如恒河沙等諸佛國土皆亦如是。

その時、世尊は広く長い舌相を現し、それが三千大千世界全体を覆い尽くしました。そして、にこやかに微笑みながら、その舌の根元から無数の光を放ちました。その一筋一筋の光は、千枚の花びらを持つ金色の宝の蓮華へと変わっていきました。それらの蓮華の上には、それぞれに化身の仏が安坐し、六波羅蜜を説いていました。その教えを聞く者は、必ず至高の悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を得ることができました。また、十方の、ガンジス川の砂の数ほどの無数の仏の国土でも、全く同じことが行われていました。

爾時世尊故在師子座入師子遊戲三昧,以神通力感動三千大千國土六種震動,東踊西沒、西踊東沒、南踊北沒、北踊南沒、邊踊中沒、中踊邊沒,地皆柔軟,令眾生和悅。是三千大千國土中地獄、餓鬼、畜生及八難處,即時解脫得生天上。從四天王天處乃至他化自在天處,是諸天人自識宿命,皆大歡喜來詣佛所。頭面禮佛足却住一面。如是十方如恒河沙等國土地皆六種震動,一切地獄、餓鬼、畜生及八難處即時解脫,得生天上齊第六天。爾時三千大千國土,眾生盲者得視,聾者得聽,瘂者能言,狂者得正,亂者得定,裸者得衣,飢渴者得飽滿,病者得愈,形殘者得具足。一切眾生皆得等心,相視如父如母如兄如弟如姊如妹,亦如親族及善知識。是時眾生等行十善業道、淨修梵行,無諸瑕穢,恬然快樂,譬如比丘入第三禪皆得好慧,持戒自守不嬈眾生。

その時、世尊は獅子座に坐したまま、獅子遊戯三昧に入られた。神通力によって三千大千世界を揺り動かし、六種の震動が起こった。東が湧き上がり西が沈み、西が湧き上がり東が沈み、南が湧き上がり北が沈み、北が湧き上がり南が沈み、端が湧き上がり中央が沈み、中央が湧き上がり端が沈んだ。大地はすべて柔らかくなり、すべての生きとし生けるものは和やかで喜びに満ちた。

その三千大千世界の中の地獄、餓鬼、畜生、そして八つの難所にいた者たちは、即座に苦しみから解き放たれ、天界に生まれ変わった。四天王天から他化自在天に至るまで、天人たちは自らの前世を悟り、大いに喜んで仏のもとに集まった。頭を仏の足に伏せて礼拝し、片隅に立って控えた。

同じように、十方のガンジス川の砂の数ほどの世界でも、地は六種に震動し、すべての地獄、餓鬼、畜生、八つの難所の者たちは即座に解脱し、第六天まで生まれ変わった。

その時、三千大千世界において、目の見えなかった者は見えるようになり、耳の聞こえなかった者は聞こえるようになり、口のきけなかった者は話せるようになり、狂っていた者は正気に戻り、乱れていた者は落ち着き、裸だった者は衣服を得、飢え渇いていた者は満たされ、病んでいた者は治り、体の不自由だった者は完全なからだを得た。

すべての生きとし生けるものは平等な心を持ち、互いを父や母、兄や弟、姉や妹のように、また親族や善き友のように見つめ合った。その時、すべての者は十善業道を実践し、清らかな修行に励み、心に汚れなく、静かで安らかに、まるで比丘が第三禅の境地にあるかのように、智慧を備え、戒律を守り、他を煩わすことなく過ごした。

爾時世尊在師子座上坐,於三千大千國土中其德特尊,光明色像威德巍巍,遍至十方如恒河沙等諸佛國土。譬如須彌山王光色殊特,眾山無能及者。爾時,世尊以常身示此三千大千國土一切眾生。是時首陀會天、梵眾天、他化自在天、化樂天、兜率陀天、夜摩天、三十三天、四天王天及三千大千國土人與非人,以諸天花、天瓔珞、天澤香、天末香,天青蓮花、赤蓮花、白蓮花、紅蓮花、天樹葉香持詣佛所,是諸天花乃至天樹葉香以散佛上,所散寶花於此三千大千國土上,在虛空中化成大臺。是花臺邊垂諸瓔珞,雜色花蓋五色繽紛,是諸花蓋瓔珞遍滿三千大千世界。以是花蓋瓔珞嚴飾故,此三千大千國土皆作金色,及十方如恒河沙等諸佛國土皆亦如是。爾時三千大千國土及十方眾生,各各自念佛獨為我說法不為餘人。

その時、世尊は獅子座に座しておられた。三千大千世界において、その徳は特に優れ、光明と相好の威徳は輝かしく、十方の恒河沙の数の諸仏国土にまで及んでいた。あたかも須弥山王の光り輝く姿が特別であり、他の山々が及ばないようであった。

その時、世尊は常の身をもって、この三千大千世界の一切の衆生に示現された。すると、首陀会天、梵衆天、他化自在天、化楽天、兜率天、夜摩天、三十三天、四天王天、そして三千大千世界の人々と非人たちが、様々な天の花、天の瓔珞、天の塗香、天の末香、そして天の青蓮華、赤蓮華、白蓮華、紅蓮華、天の樹葉の香りを手に持って、仏のもとへ参った。これらの天の花や天の樹葉の香りを仏の上に散じると、散らされた宝華は、この三千大千世界の上空で虚空に大きな台となった。その花台の辺りには瓔珞が垂れ、様々な色の花蓋が五色に彩られて揺れていた。これらの花蓋や瓔珞は、三千大千世界に満ち渡った。この花蓋と瓔珞の荘厳により、この三千大千世界は黄金色に輝き、さらに十方の恒河沙の数の諸仏国土もまた、すべて同様になった。

その時、三千大千世界及び十方の衆生は、それぞれが「仏は私だけのために法を説いており、他の人のためではない」と自ら思った。

爾時世尊在師子座熈怡微笑,光從口出,遍照三千大千國土。以此光故,此間三千大千國土中眾生,皆見東方如恒河沙等諸佛及僧;彼間如恒河沙等國土中眾生,亦見此間三千大千國土中釋迦牟尼佛及諸大眾。南西北方四維上下亦復如是。

その時、世尊は獅子座に座って穏やかに微笑まれました。お口から放たれた光が、三千大千世界のすべての国土を照らしました。この光のおかげで、この三千大千世界の衆生は皆、東の方、ガンジス川の砂の数ほどの多くの諸仏とその僧侶たちをはっきりと見ることができました。また、あちらのガンジス川の砂の数ほどの国土の衆生も、こちら側の三千大千世界にいる釈迦牟尼仏と大勢の僧侶たちをはっきりと見ました。南、西、北、そして四隅(北東、南東、南西、北西)、さらには上と下の方向でも、まったく同じようでありました。

是時東方過如恒河沙等諸佛國土,其國最在邊國名多寶,佛號寶積,今現在為諸菩薩摩訶薩說般若波羅蜜。彼國有菩薩名曰普明,見大光明、見地大動又見佛身,到寶積佛所白佛言:「世尊!今何因緣,有此光明照於世間,地大震動又見佛身?」

その時、東方の、ガンジス川の砂ほどの数の仏国土を通り過ぎた最も辺境にある国、国名を多宝といい、仏の名を宝積という。その仏は今まさにそこに在って、多くの大菩薩たちに般若波羅蜜を説いておられる。その国に普明という名の菩薩がいた。彼は大いなる光明を見、大地が大きく震動するのを見、また仏の御姿を見て、宝積仏の御許に参り、こう申し上げた。「世尊よ、今、どのような因縁によって、この光明が世の中を照らし、大地が大きく震動し、また仏の御姿を見ることができるのでしょうか?」

寶積佛報普明言:「善男子!西方度如恒河沙等國,有世界名娑婆,佛號釋迦牟尼,今現在欲為諸菩薩摩訶薩說般若波羅蜜。是其神力。」

宝積仏が普明に答えました。「善男子よ、西の方、ガンジス川の砂の数ほどの国を過ぎたところに、『娑婆世界』という世界があり、そこの仏様は『釈迦牟尼』とお呼びします。今、その方は、大菩薩たちに『般若波羅蜜』(智慧の完成)を説こうとしています。この光は、その仏様の力によるものです。」

是時普明菩薩白寶積佛言:「世尊!我今當往見釋迦牟尼佛禮拜供養,及見彼諸菩薩摩訶薩紹尊位者——皆得陀羅尼及諸三昧,於諸三昧而得自在。」

そのとき、普明菩薩が寶積佛に申し上げました。「世尊よ、私は今、釋迦牟尼佛のもとへ参り、禮拜し供養したいと願います。また、かの地で佛の後を繼ぐ大菩薩たち——陀羅尼や様々な三昧を體得し、それらの三昧において自在なる境地に至っておられる方々——にもお目にかかりたいと存じます。」

佛告普明:「欲往隨意,宜知是時。」

仏、普明に告げたまわく、「行きたいなら、そのまま行きなさい。まさにその時であることを知るがよい。」

爾時,寶積佛以千葉金色蓮花與普明菩薩而告之曰:「善男子!汝以此花散釋迦牟尼佛上。生彼娑婆國中諸菩薩難勝難及,汝當一心以遊彼國。」

その時、宝積仏は、千枚の花びらを持つ金色の蓮華を普明菩薩に授けて、こう告げられました。 「善き男子よ、あなたはこの花を、釈迦牟尼仏の上に散り捧げなさい。かの娑婆世界に生まれた菩薩たちは、非常に勝れた存在であり、並ぶ者がないほどです。あなたは、心を一つにして、かの国を巡りなさい。」

爾時普明菩薩從寶積佛受千葉金色光明蓮花,與無數出家、在家菩薩及諸童男童女,俱共發引,皆供養恭敬尊重讚歎東方諸佛,持諸花香、瓔珞澤香、末香塗香、衣服幢蓋,向釋迦牟尼佛所。到已,頭面禮佛足一面立,白佛言:「世尊!寶積如來致問:『世尊!少惱少患、起居輕利、氣力安樂不?』又以此千葉金色蓮花供養世尊。」

その時、普明菩薩は宝積仏から千枚の金の花びらを持つ金色の光明蓮華を受け取り、無数の出家や在家の菩薩たち、そして多くの少年少女たちと共に出発しました。皆で東方の諸仏に供養し、敬い、称賛し、様々な花や香り、瓔珞、香油、抹香、塗香、衣や幡蓋を携えて、釈迦牟尼仏のもとへ向かいました。到着すると、頭を地につけて仏の足に礼拝し、片側に立って仏に申し上げました。「世尊よ、宝積如来がお尋ねです。『世尊よ、悩みや苦しみは少なく、日常の生活は軽やかで、気力は安らかでいらっしゃいますか?』と。また、この千枚の金の花びらを持つ金色の蓮華を世尊に供養いたします。」

爾時釋迦牟尼佛受是千葉金色蓮花,以散東方如恒河沙等諸國土中。佛所散寶花滿東方如恒河沙等諸佛國土,一一花上皆有菩薩結跏趺坐說六波羅蜜,聞此法者必至阿耨多羅三藐三菩提。諸出家、在家菩薩及諸童男童女,頭面禮釋迦牟尼佛足,各以供養具供養恭敬尊重讚歎釋迦牟尼佛。是諸出家、在家菩薩及諸童男童女,各各以善根福德力故,得供養釋迦牟尼佛多陀阿伽度、阿羅訶、三藐三佛陀。

その時、釈迦牟尼仏はこの千枚の金色の蓮華を受け取り、東方のガンジス川の砂の数に等しい多くの国々に散らされた。仏が散らされた宝花は、東方のガンジス川の砂の数に等しいすべての仏国土を満たし、その一つの花の上にも菩薩が結跏趺坐して六波羅蜜を説いていた。この法を聞く者は、必ず阿耨多羅三藐三菩提に至るであろう。

出家や在家の菩薩たち、そして多くの童男・童女たちは、頭を地につけて釈迦牟尼仏の足に礼拝し、それぞれ供養の品々をもって釈迦牟尼仏に敬意を表し、供養し、尊び、讚嘆した。これらの出家・在家の菩薩たち、そして多くの童男・童女たちは、それぞれの善根と福徳の力によって、釈迦牟尼仏(多陀阿伽度、阿羅訶、三藐三佛陀)を供養する機会を得たのである。

南方度如恒河沙等諸佛國土,其國最在邊國名離一切憂,佛號無憂德,菩薩名離憂。西方度如恒河沙等諸佛國土,其國最在邊國名滅惡,佛號寶山,菩薩名儀意。北方度如恒河沙等諸佛國土,其國最在邊國名勝,佛號勝王,菩薩名德勝。下方度如恒河沙等諸佛國土,其國最在邊國名善,佛號善德,菩薩名花上。上方度如恒河沙等諸佛國土,其國最在邊國名喜,佛號喜德,菩薩名德喜。如是一切皆如東方。

南方、ガンジス川の砂の数ほどの仏の国々を超えたところに、その国々の中で最も辺境にある国があります。その名を「一切の憂いを離れる国」といい、仏の名は「憂いのない徳」、菩薩の名は「憂いを離れる者」といいます。西方、ガンジス川の砂の数ほどの仏の国々を超えたところに、その国々の中で最も辺境にある国があります。その名を「悪を滅ぼす国」といい、仏の名は「宝の山」、菩薩の名は「心のまま」といいます。北方、ガンジス川の砂の数ほどの仏の国々を超えたところに、その国々の中で最も辺境にある国があります。その名を「勝れた国」といい、仏の名は「勝れた王」、菩薩の名は「徳に勝れる者」といいます。下方、ガンジス川の砂の数ほどの仏の国々を超えたところに、その国々の中で最も辺境にある国があります。その名を「善い国」といい、仏の名は「善い徳」、菩薩の名は「花の上」といいます。上方、ガンジス川の砂の数ほどの仏の国々を超えたところに、その国々の中で最も辺境にある国があります。その名を「喜びの国」といい、仏の名は「喜びの徳」、菩薩の名は「徳の喜び」といいます。このように、すべて東方と同様です。

爾時,是三千大千國土皆成為寶花遍䨱,地懸繒幡蓋,香樹花樹皆悉莊嚴。譬如花積世界普花佛國,妙德菩薩、善住意菩薩及餘大威神諸菩薩皆在彼住。

その時、この三千大千世界の国土はすべて宝の花で覆い尽くされ、地面には美しい旗や天蓋が飾られ、香りの木々や花々がすべて荘厳に飾られました。ちょうど花積世界の普花仏の国のように、妙徳菩薩、善住意菩薩、そしてその他の大いなる威神力を持つ菩薩たちが、その地に留まられました。

爾時,佛知一切世界,若天世界、若魔世界、若梵世界,若沙門、婆羅門及天,若犍闥婆、人、阿修羅等,及諸菩薩摩訶薩紹尊位者,一切皆集。

その時、仏はすべての世界——天の世界、魔の世界、梵天の世界、さらには沙門や婆羅門、天、乾闥婆、人、阿修羅など、そして仏の後を継ぐ高貴な菩薩たち——が、すべて集まっているのを知った。

佛知眾會已集,佛告舍利弗:「菩薩摩訶薩欲以一切種智知一切法,當習行般若波羅蜜。」

仏は、大勢の者が集まったのをご存知で、舎利弗にこうおっしゃいました。

「菩薩であり大いなる者であるあなたが、あらゆるものを完全に知る智慧(一切種智)であらゆる法を悟りたいのであれば、智慧の完成(般若波羅蜜)を学び、実践しなさい。」

舍利弗白佛言:「世尊!菩薩摩訶薩云何欲以一切種智知一切法當習行般若波羅蜜?」

舎利弗が仏に申し上げました。「世尊よ、菩薩摩訶薩(大きな悟りを目指す者)は、あらゆる智慧をもってすべてのものを知ろうとするとき、どのように般若波羅蜜(智慧の完成)を学び実践すればよいのでしょうか?」

佛告舍利弗:「菩薩摩訶薩以不住法住般若波羅蜜中,以無所捨法應具足檀那波羅蜜,施者、受者及財物不可得故;罪不罪不可得故,應具足尸羅波羅蜜;心不動故,應具足羼提波羅蜜;身心精進不懈怠故,應具足毘梨耶波羅蜜;不亂不味故,應具足禪那波羅蜜;於一切法不著故,應具足般若波羅蜜。菩薩摩訶薩以不住法住般若波羅蜜中,不生故,應具足四念處、四正懃、四如意足、五根、五力、七覺分、八聖道分,空三昧、無相三昧、無作三昧,四禪、四無量心、四無色定、八背捨、八勝處、九次第定、十一切處,九相——脹相、壞相、血塗相、膿爛相、青相、噉相、散相、骨相、燒相,念佛、念法、念僧、念戒、念捨、念天、念入出息、念死,十想——無常想、苦想、無我想、食不淨想、一切世間不可樂想、死想、不淨想、斷想、離欲想、盡想,十一智——法智、比智、他心智、世智、苦智、集智、滅智、道智、盡智、無生智、如實智,三三昧——有覺有觀三昧、無覺有觀三昧、無覺無觀三昧,三根——未知欲知根、知根、知已根。舍利弗!菩薩摩訶薩欲遍知佛十力、四無所畏、四無閡智、十八不共法、大慈大悲,當習行般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲具足道慧,當習行般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲以道慧具足道種慧,當習行般若波羅蜜。欲以道種慧具足一切智,當習行般若波羅蜜。欲以一切智具足一切種智,當習行般若波羅蜜。欲以一切種智斷煩惱習,當習行般若波羅蜜。舍利弗!菩薩摩訶薩應如是學般若波羅蜜。

仏が舎利弗に告げられた。「菩薩摩訶薩は、執着しない心で般若波羅蜜に安住し、『与えるものがない』という立場から布施波羅蜜を完成させるべきである。なぜなら、施す者、受ける者、そして財物は実体として捉えられないからである。罪も罪でないものも実体として捉えられないから、尸羅波羅蜜を完成させるべきである。心が動かないから、羼提波羅蜜を完成させるべきである。心と体が精進して怠らないから、毘梨耶波羅蜜を完成させるべきである。心が乱れず、味わいに執着しないから、禅那波羅蜜を完成させるべきである。すべての法に執着しないから、般若波羅蜜を完成させるべきである。

菩薩摩訶薩は、執着しない心で般若波羅蜜に安住し、『生じるものがない』という立場から、四念処、四正勤、四如意足、五根、五力、七覚支、八正道、空三昧、無相三昧、無作三昧、四禅、四無量心、四無色定、八背捨、八勝処、九次第定、十一切処、九相(脹相・壊相・血塗相・膿爛相・青相・噉相・散相・骨相・焼相)、念仏・念法・念僧・念戒・念捨・念天・念入出息・念死、十想(無常想・苦想・無我想・食不浄想・一切世間不可楽想・死想・不浄想・断想・離欲想・尽想)、十一智(法智・比智・他心智・世智・苦智・集智・滅智・道智・尽智・無生智・如実智)、三三昧(有覚有観三昧・無覚有観三昧・無覚無観三昧)、三根(未知欲知根・知根・知已根)を完成させるべきである。

舎利弗よ!菩薩摩訶薩が、仏の十力、四無所畏、四無碍智、十八不共法、大慈大悲を完全に知りたいと願うなら、般若波羅蜜を修行し実践すべきである。菩薩摩訶薩が道の智慧を具えたいと願うなら、般若波羅蜜を修行し実践すべきである。菩薩摩訶薩が道の智慧によって、さらに道の種々の智慧を具えたいと願うなら、般若波羅蜜を修行し実践すべきである。道の種々の智慧によって一切智を具えたいと願うなら、般若波羅蜜を修行し実践すべきである。一切智によって一切種智を具えたいと願うなら、般若波羅蜜を修行し実践すべきである。一切種智によって煩悩の習気を断ち切りたいと願うなら、般若波羅蜜を修行し実践すべきである。舎利弗よ!菩薩摩訶薩はこのように般若波羅蜜を学ぶべきである。」

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲上菩薩位,當學般若波羅蜜。欲過聲聞、辟支佛地住阿惟越致地,當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲住六神通,當學般若波羅蜜。欲知一切眾生意所趣向,當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲勝一切聲聞、辟支佛智慧,當學般若波羅蜜。欲得諸陀羅尼門諸三昧門,當學般若波羅蜜。一切求聲聞、辟支佛人布施時,欲以隨喜心過其上者,當學般若波羅蜜。一切求聲聞、辟支佛人持戒時,欲以隨喜心過其上者,當學般若波羅蜜。一切求聲聞、辟支佛人三昧、智慧、解脫、解脫知見,欲以隨喜心過其上者,當學般若波羅蜜。一切求聲聞、辟支佛人諸禪定解脫三昧,欲以隨喜心過其上者,當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩行少施、少戒、少忍、少進、少禪、少智,欲以方便力迴向故而得無量無邊功德者,當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲行檀那波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禪那波羅蜜,當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲使世世身體與佛相似,欲具足三十二相、八十隨形好,當學般若波羅蜜。欲生菩薩家、欲得童真地、欲得不離諸佛者,當學般若波羅蜜。欲以諸善根供養諸佛,恭敬尊重讚歎隨意成就,當學般若波羅蜜。欲滿一切眾生所願,飲食、衣服、臥具、塗香、車乘、房舍、床榻、燈燭等,當學般若波羅蜜。

また、舎利弗よ。菩薩摩訶薩が菩薩の位に上ろうと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。声聞や辟支仏の境地を超え、阿惟越致の位に留まろうと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。菩薩摩訶薩が六神通に安住しようと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。一切の衆生の心の趣くところを知ろうと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。菩薩摩訶薩が一切の声聞や辟支仏の智慧に勝ろうと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。諸々の陀羅尼の門や諸々の三昧の門を得ようと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。一切の声聞や辟支仏を求める人々が布施を行うとき、その上を行く随喜の心を持とうと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。一切の声聞や辟支仏を求める人々が戒律を守るとき、その上を行く随喜の心を持とうと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。一切の声聞や辟支仏を求める人々の三昧、智慧、解脱、解脱知見に対して、その上を行く随喜の心を持とうと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。一切の声聞や辟支仏を求める人々の諸々の禅定や解脱三昧に対して、その上を行く随喜の心を持とうと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。菩薩摩訶薩がわずかな布施、わずかな戒律、わずかな忍耐、わずかな精進、わずかな禅定、わずかな智慧を行いながら、方便の力によってそれを回向し、無量無辺の功徳を得ようと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。菩薩摩訶薩が檀那波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅那波羅蜜を行おうと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。菩薩摩訶薩が世々の身体を仏と等しくし、三十二相や八十種の随形好を具えようと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。菩薩の家に生まれようと欲し、童真の地を得ようと欲し、諸仏から離れないことを得ようと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。諸々の善根をもって諸仏に供養し、恭敬し尊重し讃嘆することを意のままに成就しようと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。一切の衆生の願いを満たし、飲食、衣服、寝具、塗香、乗り物、房舎、寝台、灯燭などを与えようと欲するならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲使如恒河沙等國土眾生,立於檀那波羅蜜,立於尸羅、羼提、毘梨耶、禪那、般若波羅蜜,當學般若波羅蜜。欲植一善根於佛福田中,至得阿耨多羅三藐三菩提不盡者,當學般若波羅蜜。

さらに、舎利弗よ。菩薩であり大いなる覚りを目指す者は、ガンジス川の砂の数ほどの国の衆生を、檀那波羅蜜(布施の完成)や、尸羅、羼提、毘梨耶、禅那、般若の各波羅蜜(戒律・忍耐・努力・瞑想・智慧の完成)に導きたいと願うなら、般若波羅蜜(智慧の完成)を学ぶべきである。また、仏の功徳の田んぼに一つの善根を植え、それを尽きることなく無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)に至るまで保ちたいと願うなら、般若波羅蜜を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲令十方諸佛稱讚其名,當學般若波羅蜜。

さらに、舎利弗よ。菩薩であり大いなる者(菩薩摩訶薩)が、十方のすべての仏からその名を称えられたいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲一發意到十方如恒河沙等諸佛國土,當學般若波羅蜜。

また、舎利弗よ。菩薩(大いなる目覚めを求める者)が、一度の心の働きで、ガンジス川の砂の数ほどもある無数の仏の国々に到達したいと願うならば、般若波羅蜜(智慧の完成)を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲發一音使十方如恒河沙等諸佛國土聞聲,當學般若波羅蜜。

「また、舎利弗よ。菩薩摩訶薩が、たった一つの声で、十方の、ガンジス川の砂の数ほどもある無数の仏の国々にその声を届けさせたいと願うなら、般若波羅蜜を学ぶべきなのです。」

「復次,舍利弗!菩薩欲使諸佛國土不斷者,當學般若波羅蜜。

また、舎利弗よ。菩薩が諸仏の国土を絶えずに保ちたいと望むならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲住內空、外空、內外空、空空、大空、第一義空、有為空、無為空、畢竟空、無始空、散空、性空、自相空、諸法空、不可得空、無法空、有法空、無法有法空,當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲知諸法因緣、次第緣、緣緣、增上緣,當學般若波羅蜜。

また、舎利弗よ。菩薩(大いなる存在)が内なる空、外なる空、内外の空、空そのものの空、大いなる空、最高の意味での空、作られたものの空、作られないものの空、究極の空、始まりのない空、散りゆく空、本質の空、自らの特徴の空、あらゆるものの空、捉えどころのない空、存在しないものの空、存在するものの空、そして存在と非存在の両方の空にとどまりたいと望むなら、般若波羅蜜(智慧の完成)を学ぶべきです。 また、舎利弗よ。菩薩があらゆる現象の因縁、次第の縁、縁の縁、そして増上の縁を理解したいと望むなら、般若波羅蜜を学ぶべきです。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲知諸法如、法性、實際,當學般若波羅蜜。舍利弗!菩薩摩訶薩應如是住般若波羅蜜。

さらに、舎利弗よ。菩薩摩しさ(大乗の修行者)が、すべての現象の「あるがままの姿(如)」「その本質(法性)」「真実の在り方(実際)」を知りたいと思うなら、般若波羅蜜(智慧の完成)を学ぶべきである。舎利弗よ。菩薩摩しさは、このように般若波羅蜜にとどまるべきなのである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲數知三千大千國土中大地諸山微塵,當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩析一毛為百分,欲以一分毛盡舉三千大千國土中大海、江河、池泉諸水而不嬈水性,當學般若波羅蜜。三千大千國土中諸火一時皆然,譬如劫盡燒時,菩薩摩訶薩欲一吹令滅者,當學般若波羅蜜。三千大千國土中諸大風起,欲吹破三千大千國土及諸須彌山如摧腐草,菩薩摩訶薩欲以一指障其風力令不起者,當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲一結跏趺坐遍滿三千大千國土虛空,當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲以一毛舉三千大千國土中諸須彌山王,擲過他方無量阿僧祇諸佛國土不嬈眾生,欲以一食供養十方各如恒河沙等諸佛及僧,當學般若波羅蜜。欲以一衣花香瓔珞、末香塗香燒香、燈燭幢幡花蓋等供養諸佛及僧,當學般若波羅蜜。

また、舎利弗よ。菩薩摩訶薩が、三千大千世界の大地や山々の微塵の数をことごとく知りたいと思うなら、般若波羅蜜を学ぶべきである。菩薩摩訶薩が、一本の毛を百に分け、その一分の毛で三千大千世界の海、川、泉、池のすべての水を、水の性質を乱すことなく汲み上げたいと思うなら、般若波羅蜜を学ぶべきである。三千大千世界のすべての火が同時に燃え上がり、あたかも劫の終わりに焼き尽くされる時のように燃え盛る中で、菩薩摩訶薩が一度の息でそれを消し去りたいと思うなら、般若波羅蜜を学ぶべきである。三千大千世界に大風が起こり、三千大千世界やすべての須弥山を腐った草のように吹き飛ばそうとする中で、菩薩摩訶薩が一本の指でその風力を遮り、起こらせないようにしたいと思うなら、般若波羅蜜を学ぶべきである。菩薩摩訶薩が、一度結跏趺坐しただけで、三千大千世界の虚空に満ち満ちたいと思うなら、般若波羅蜜を学ぶべきである。菩薩摩訶薩が、一本の毛で三千大千世界のすべての須弥山王を持ち上げ、それを他方の無量無数の仏国土に投げ渡しても、そこに住む衆生を少しも乱さず、また一度の食事で十方の、それぞれガンジス河の砂の数ほどの仏とその僧団に供養したいと思うなら、般若波羅蜜を学ぶべきである。また、一枚の衣や、花、香り、瓔珞、粉末の香、塗る香、焼香、灯明、燈火、幢幡、花蓋などで、諸仏とその僧団に供養したいと思うなら、般若波羅蜜を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲使十方各如恒河沙等國土中眾生,悉具於戒、三昧、智慧、解脫、解脫知見,令得須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果,乃至令得無餘涅槃,當學般若波羅蜜。

さらに、舎利弗よ。大いなる菩薩が、十方の世界、それぞれガンジス川の砂の数ほどもある国々のすべての衆生に、戒律、三昧、智慧、解脱、解脱の知見を完全に具えさせ、須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果を得させ、さらには無余涅槃に至らせようと望むならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜布施時,應如是分別:『如是布施得大果報,如是布施得生剎利大姓、婆羅門大姓、居士大家,如是布施得生四天王天處、三十三天、夜摩天、兜率陀天、化樂天、他化自在天,因是布施得入初禪、二禪、三禪、四禪、無邊空處、無邊識處、無所有處、非有想非無想處,因是布施得生八聖道分,因是布施能得須陀洹道乃至佛道,當學般若波羅蜜。』

「また、舎利弗よ、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を実践しながら布施を行う時には、次のように分別(判断)すべきです。 『このような布施は大きな果報をもたらす。このような布施によって、クシャトリヤ(王族)の大姓、バラモンの大姓、あるいは在家の大家に生まれることができる。このような布施によって、四天王天、三十三天、夜摩天、兜率天、化楽天、他化自在天に生まれることができる。この布施によって、初禅、二禅、三禅、四禅、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処に入ることができる。この布施によって、八聖道分を成就することができる。この布施によって、須陀洹道から仏道に至ることさえも得られるのだから、般若波羅蜜を学ぶべきである。』」

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜布施時,以慧方便力故,能具足檀那波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禪那波羅蜜、般若波羅蜜。」

また、舎利弗よ。 菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を実践しながら布施を行うとき、智慧と巧みな手段の力によって、布施の完成(檀那波羅蜜)、戒律の完成(尸羅波羅蜜)、忍耐の完成(羼提波羅蜜)、精進の完成(毘梨耶波羅蜜)、瞑想の完成(禅那波羅蜜)、智慧の完成(般若波羅蜜)のすべてを完全に具えることができるのです。

舍利弗白佛言:「世尊!菩薩摩訶薩云何布施時以慧方便力故,具足檀那波羅蜜乃至般若波羅蜜?」

舎利弗が仏に申し上げた。「世尊よ、菩薩摩訶薩はどのように布施を行うときに、智慧と方便の力によって、檀那波羅蜜から般若波羅蜜に至るまでを完全に具現するのでしょうか?」

佛告舍利弗:「施人、受人、財物不可得故,能具足檀那波羅蜜;罪、不罪不可得故,具足尸羅波羅蜜;心不動故,具足羼提波羅蜜;身心精進不懈怠故,具足毘梨耶波羅蜜;不亂不味故,具足禪那波羅蜜;知一切法不可得故,具足般若波羅蜜。

仏は舎利弗に告げられました。「施す人、施しを受ける人、施す物、これらが実体として得られないと知るからこそ、布施波羅蜜を完全にすることができるのです。罪と罪でないことの区別を実体として得られないと知るからこそ、持戒波羅蜜を完全にすることができるのです。心が動じないからこそ、忍辱波羅蜜を完全にすることができるのです。身体と心が共に精進して怠らないからこそ、精進波羅蜜を完全にすることができるのです。心が乱れず、味わいに執着しないからこそ、禅定波羅蜜を完全にすることができるのです。すべての現象が実体として得られないと知るからこそ、智慧波羅蜜を完全にすることができるのです。」

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲得過去未來現在諸佛功德,當學般若波羅蜜。

「さらに、舎利弗よ。大いなる菩薩が、過去・未来・現在の諸仏の功徳を得ようと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲到有為、無為法彼岸,當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲知過去未來現在諸法如、法相、無生際者,當學般若波羅蜜。

「さらに、舎利弗よ。菩薩摩訶薩が、この世のあらゆる現象(有為)と、それを超えた真理(無為)の彼方に至りたいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきです。菩薩摩訶薩が、過去・未来・現在のすべての法の真実の姿(如)、その本質(法相)、そして生じることも滅することもない根源(無生際)を悟りたいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきです。」

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲在一切聲聞、辟支佛前,欲給侍諸佛,欲為諸佛內眷屬,欲得大眷屬,欲得菩薩眷屬,欲淨報大施,當學般若波羅蜜。

さらに、舎利弗よ。菩薩である大いなる者の道を歩む者は、すべての声聞や辟支仏よりも先んじ、諸仏に仕え、その内側の眷属となり、大きな眷属を得、菩薩の眷属を得、そして大きな布施に対する報いを清らかにしたいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲不起慳心、破戒心、瞋恚心、懈怠心、亂心、癡心者,當學般若波羅蜜。

「また、舎利弗よ。菩薩であり大いなる者(菩薩摩訶薩)が、物惜しみの心、戒を破る心、怒りの心、怠け心、乱れた心、愚かな心を起こさないようにしたいと望むなら、般若波羅蜜を学ぶべきである。」

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲使一切眾生立於布施福處、持戒福處、修定福處、勸導福處,欲令眾生立於財福、法福者,當學般若波羅蜜。

また、舎利弗よ。菩薩摩訶薩が、すべての生きとし生けるものを、布施の功徳、戒を守る功徳、心を静める功徳、教え導く功徳という、正しい行いの場に立たせたいと願い、また、生きとし生けるものを、物質的な財の功徳と、真理の教え(法)による功徳という、二つの福徳に導きたいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲得五眼,當學般若波羅蜜。何等五眼?肉眼、天眼、慧眼、法眼、佛眼。菩薩摩訶薩欲以天眼見十方如恒河沙等國土中諸佛,欲以天耳聞十方諸佛所說法,欲知諸佛心,當學般若波羅蜜。欲聞十方諸佛所說法,聞已乃至阿耨多羅三藐三菩提不忘者,當學般若波羅蜜。

「さらに、舎利弗よ。菩薩である大いなる者は、五つの眼を得ようと願うなら、般若波羅蜜を学ぶべきです。その五つの眼とは何か?肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼です。菩薩である大いなる者は、天眼によって十方のガンジス川の砂の数ほどの国土にいる諸仏を見たいと願い、天耳によって十方の諸仏の説法を聞きたいと願い、諸仏の心を知りたいと願うなら、般若波羅蜜を学ぶべきです。また、十方の諸仏の説法を聞き、それを聞いてから無上正等覚(アノッタラ・サンミャク・サンボーディ)に至るまで忘れないようにしたいと願うなら、般若波羅蜜を学ぶべきです。」

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲見過去未來諸佛國土及見現在十方諸佛國土,當學般若波羅蜜。

また、舎利弗よ。菩薩摩訶薩が、過去・未来の諸仏の国土を見たいと願い、また現在の十方の諸仏の国土を見たいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲聞十方諸佛所說十二部經——修多羅、祇夜、受記經、伽陀、憂陀那、因緣經、阿波陀那、如是語經、本生經、方廣經、未曾有經、論議經,諸聲聞等聞與不聞,盡欲誦受持者,當學般若波羅蜜。十方如恒河沙等世界中,諸佛所說法,已說、今說、當說,聞已欲一切信持自行亦為他人說,當學般若波羅蜜。

また、舎利弗よ。菩薩摩诃薩が、十方の諸仏が説かれた十二部経——すなわち、経、偈頌、授記、伽陀、憂陀那、因縁、譬喩、如是語、本生、方広、未曾有、論議——を聞こうと望むならば、声聞たちがそれを聞くか聞かないかにかかわらず、すべてを暗誦し受持したいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。また、ガンジス川の砂の数ほどもある十方の世界において、諸仏が説かれた法——すでに説かれたものも、今説かれているものも、これから説かれるものも——を聞き、それをすべて信じ、自ら修行し、さらに他の人々にも説きたいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩,過去諸佛已說、未來諸佛當說,欲聞,聞已自利亦利他人,當學般若波羅蜜。十方如恒河沙等諸世界中間闇處,日月所不照處,欲持光明普照者,當學般若波羅蜜。十方如恒河沙等世界中,無有佛名、法名、僧名,欲使一切眾生皆得正見聞三寶名者,當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲令十方如恒河沙等諸世界中眾生,以我力故,盲者得視、聾者得聽、狂者得念、裸者得衣、飢渴者得飽滿,當學般若波羅蜜。

さらに、舎利弗よ。菩薩摩訶薩は、過去の諸仏がすでに説き、未来の諸仏がまさに説こうとしている教えを聞き、聞いた後に自らを利するとともに他者をも利そうと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。また、十方のガンジス川の砂の数ほどの世界中の、日月の光も届かぬ暗闇の場所に、自らの光明を広く照らそうと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。さらに、十方のガンジス川の砂の数ほどの世界中で、仏の名も法の名も僧の名も聞かれぬ所に、すべての衆生が正しい見解を得て三宝の名を聞くことができるようにしたいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。菩薩摩訶薩は、十方のガンジス川の砂の数ほどの世界中の衆生が、我が力によって、盲者が見えるようになり、聾者が聞こえるようになり、狂者が正気を取り戻し、裸の者が衣を得、飢え渇く者が満たされるようにしたいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩若欲令十方如恒河沙等世界中眾生諸在三惡趣者,以我力故皆得人身,當學般若波羅蜜。欲令十方如恒河沙等世界中眾生,以我力故,立於戒、三昧、智慧、解脫、解脫知見,令得須陀洹果乃至阿耨多羅三藐三菩提,當學般若波羅蜜。

舎利弗よ、さらに言えば、大いなる菩薩が、もし私の力によって、ガンジス川の砂の数ほどの無数の世界にいる地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちた衆生すべてを、人間の身に生まれ変わらせたいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。また、同じく無数の世界の衆生を、私の力によって戒律、三昧、智慧、解脱、解脱知見に安住させ、須陀洹果から最高の悟りである阿耨多羅三藐三菩提に至らせたいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲學諸佛威儀者,當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲得如象王視觀,當學般若波羅蜜。菩薩作是願:『使我行時離地四指、足不蹈地,我當共四天王天乃至阿迦尼吒天無量千萬億諸天眾,圍遶恭敬至菩提樹下。』當學般若波羅蜜。『我當於菩提樹下坐,四天王天乃至阿迦尼吒天,以天衣為座。』當學般若波羅蜜。『我得阿耨多羅三藐三菩提時,行住坐臥處欲使悉為金剛。』當學般若波羅蜜。

「さらに、舎利弗よ。菩薩摩いたる大士が、諸仏の威儀を学びたいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。菩薩摩いたる大士が、象王のような視線を得たいと願うならば、般若波羅蜜を学ぶべきである。菩薩がこう願うならば——『我、歩くときには地より四指を離れ、足は地面を踏まず、四天王天から阿迦尼吒天に至る無量千万億の諸天の衆と共に、囲繞され敬われながら菩提樹の下に至ろう』——般若波羅蜜を学ぶべきである。『我、菩提樹の下に坐し、四天王天から阿迦尼吒天に至るまで、天の衣を座とせん』——般若波羅蜜を学ぶべきである。『我、阿耨多羅三藐三菩提を得たならば、行・住・坐・臥のすべての場所を、金剛となさん』——般若波羅蜜を学ぶべきである。」

「復次,舍利弗!菩薩摩訶薩欲出家日即成阿耨多羅三藐三菩提,即是日轉法輪,轉法輪時無量阿僧祇眾生遠塵離垢,諸法中得法眼淨,無量阿僧祇眾生一切法不受故,諸漏心得解脫,無量阿僧祇眾生於阿耨多羅三藐三菩提得不退轉,當學般若波羅蜜。我得阿耨多羅三藐三菩提時,以無量阿僧祇聲聞為僧,我一說法時便於座上盡得阿羅漢,當學般若波羅蜜。我當以無量阿僧祇菩薩摩訶薩為僧,我一說法時無量阿僧祇菩薩皆得阿惟越致,欲得壽命無量光明具足,當學般若波羅蜜。我成阿耨多羅三藐三菩提時,世界中無婬欲、瞋恚、愚癡亦無三毒之名,一切眾生成就如是智慧善、施善、戒善、定善、梵行善不嬈眾生,當學般若波羅蜜。使我般涅槃後,法無滅盡亦無滅盡之名,當學般若波羅蜜。我得阿耨多羅三藐三菩提時,十方如恒河沙等世界中眾生聞我名者,必得阿耨多羅三藐三菩提。欲得如是等功德者,當學般若波羅蜜。」

「さらに、舎利弗よ。菩薩摩诃薩が、悟りを開くその日に、無上正等覚を成就し、その日に法輪を転じ、法輪を転じたときに無数の衆生が塵や垢から離れて諸法の中に法眼が清らかになり、無数の衆生が一切の法を受け入れないゆえに、すべての煩悩から心が解脱し、無数の衆生が無上正等覚において退転しない境地を得るならば、般若波羅蜜を学ぶべきです。私が無上正等覚を得たとき、無数の声聞を僧とし、私が一度説法すれば、その場で皆が阿羅漢果を得るようにしたいならば、般若波羅蜜を学ぶべきです。私は無数の菩薩摩诃薩を僧とし、私が一度説法すれば、無数の菩薩が皆、不退転の位を得るようにしたい。寿命が無量で、光明が満ち足りていることを望むならば、般若波羅蜜を学ぶべきです。私が無上正等覚を成就したとき、世界に欲情、怒り、愚かさがなく、三毒の名さえもなく、すべての衆生がこのような智慧ある善、施しの善、戒めの善、禅定の善、清らかな行いの善、他者を悩ませないことを成就するならば、般若波羅蜜を学ぶべきです。私が涅槃に入った後も、法が滅び尽きることがなく、滅び尽きるという名さえもないようにしたいならば、般若波羅蜜を学ぶべきです。私が無上正等覚を得たとき、十方のガンジス河の砂の数ほどの世界の衆生が、私の名を聞けば、必ず無上正等覚を得るようにしたい。このような功徳を得たいと望むならば、般若波羅蜜を学ぶべきです。」


2 奉鉢品

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