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title: "摩訶般若波羅蜜經 · 21 出到品"
description: "摩诃般若波罗蜜经是后秦时期著名译经大师鸠摩罗什翻译的大乘佛教重要经典，属于般若类经典的核心文献。该经成书于公元5世纪初，罗什在长安逍遥园译场主持翻译，系统阐述了大乘佛教空性思想与菩萨修行法门。经文以般若智慧为核心，详细论述诸法空相、无所得等深奥义理，强调通过般若波罗蜜多可达究竟涅槃。作为大乘佛教根本经典之一，该经对中国佛教天台宗、三论宗等宗派形成产生深远影响，是研究大乘空观思想的重要依据，在汉传佛教中具有崇高地位。"
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### 摩訶般若波羅蜜經出到品第二十一

佛告須菩提：「汝所問：『是乘何處出？至何處住？』者。」佛言：「是乘從三界中出，至薩婆若中住，以不二法故。何以故？摩訶衍、薩婆若是二法，不合不散、無色無形無對，一相所謂無相。若人欲使實際出，是人為欲使無相法出。若人欲使如、法性、不可思議性出，是人為欲使無相法出。若人欲使色空出，是人為欲使無相法出。若人欲使受想行識空出，是人為欲使無相法出。何以故？須菩提！色空相不出三界亦不住薩婆若。受想行識空相不出三界亦不住薩婆若。所以者何？色，色相空；受想行識，識相空故。若人欲使眼空出，是人為欲使無相法出。若人欲使耳鼻舌身意空出，是人為欲使無相法出。若人欲使乃至意觸因緣生受空出，是人為欲使無相法出。何以故？須菩提！眼空不出三界亦不住薩婆若，乃至意觸因緣生受空不出三界亦不住薩婆若。所以者何？眼，眼相空；乃至意觸因緣生受，意觸因緣生受相空故。若人欲使夢出，是人為欲使無相法出。若人欲使幻、焰、響、影、化出，是人為欲使無相法出。何以故？須菩提！夢相不出三界亦不住薩婆若，幻、焰、響、影、化相亦不出三界亦不住薩婆若。須菩提！若人欲使檀那波羅蜜出，是人為欲使無相法出。若人欲使尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禪那波羅蜜、般若波羅蜜出，是人為欲使無相法出。何以故？檀那波羅蜜相不出三界亦不住薩婆若，尸羅波羅蜜乃至般若波羅蜜不出三界亦不住薩婆若。所以者何？檀那波羅蜜，檀那波羅蜜相空；尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禪那波羅蜜、般若波羅蜜，般若波羅蜜相空故。若人欲使內空出乃至無法有法空出，是人為欲使無相法出。何以故？須菩提！內空相乃至無法有法空相不出三界亦不住薩婆若。所以者何？內空內空性空乃至無法有法空無法有法空性空故。若人欲使四念處出，是人為欲使無相法出。何以故？四念處性不出三界亦不住薩婆若。所以者何？四念處性，四念處性空故。若人欲使四正懃、四如意足、五根、五力、七覺分、八聖道分出，是人為欲使無相法出。何以故？八聖道分性不出三界不住薩婆若。所以者何？八聖道分性，八聖道分性空故。乃至十八不共法亦如是。須菩提！若人欲使阿羅漢出生處，是人為欲使無相法出。若人欲使辟支佛出生處，是人為欲使無相法出。若人欲使多陀阿伽度、阿羅訶、三藐三佛陀出生處，是人為欲使無相法出。何以故？阿羅漢性、辟支佛性佛性不出三界亦不住薩婆若。所以者何？阿羅漢性，阿羅漢性空；辟支佛性，辟支佛性空；佛性，佛性空故。若人欲使須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、辟支佛道、佛道、一切種智出，是人為欲使無相法出。如上說。若人欲使名字、假名施設相、但有語言出，是人為欲使無相法出。何以故？名字空不出三界亦不住薩婆若。所以者何？名字相，名字相空故。乃至施設亦如是。是人欲使不生不滅法、不垢不淨無作法出，是人為欲使無相法出。何以故？不生乃至無作法性不出三界亦不住薩婆若。所以者何？不生性乃至無作性性空故。須菩提！以是因緣故，摩訶衍從三界中出，至薩婆若中，住不動故。

> 仏陀は須菩提に告げられた。「あなたが尋ねた『この乗り物はどこから出て、どこにとどまるのか』ということについて、私はこう答える。この大乗は三界（欲望・物質・精神の世界）から出て、薩婆若（一切を知る智慧）にとどまる。それは不二の法によるからである。なぜなら、大乗と薩婆若という二つの法は、合わさることも離れることもなく、色も形もなく対立するものもなく、一つの相、すなわち無相だからである。 もしある人が、真如（あるがままの真理）を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしているのである。もしある人が、如（あるがまま）、法性（ものごとの本質）、不可思議性を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしているのである。もしある人が、色の空を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしているのである。もしある人が、受・想・行・識（感覚・概念・心の働き・認識）の空を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしている。なぜなら、須菩提よ、色の空の相は三界から出ることもなく、薩婆若にとどまることもない。受・想・行・識の空の相も三界から出ることなく、薩婆若にとどまらない。なぜか。色というものは、その色の相が空だからである。受・想・行・識も、それぞれの相が空だからである。 もしある人が、眼の空を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしているのである。もしある人が、耳・鼻・舌・身・意の空を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしている。さらに、意の接触から生じる感覚の空までも、同様である。なぜなら、須菩提よ、眼の空は三界から出ることもなく、薩婆若にとどまることもない。意の接触から生じる感覚の空も同様である。なぜか。眼はその眼の相が空であり、意の接触から生じる感覚もその相が空だからである。 もしある人が、夢を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしているのである。もしある人が、幻影、陽炎、こだま、影、変化を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしている。なぜなら、須菩提よ、夢の相は三界から出ることもなく、薩婆若にとどまることもない。幻影などの相も同様である。 須菩提よ、もしある人が、布施の完成（檀那波羅蜜）を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしているのである。同様に、戒律の完成（尸羅波羅蜜）、忍耐の完成（羼提波羅蜜）、努力の完成（毘梨耶波羅蜜）、瞑想の完成（禅那波羅蜜）、智慧の完成（般若波羅蜜）についても同じである。なぜなら、布施の完成の相は三界から出ることもなく、薩婆若にとどまることもない。戒律から智慧までの完成も同様である。なぜか。布施の完成はその相が空であり、智慧の完成もその相が空だからである。 もしある人が、内なる空から、存在するとしないものの空（無法有法空）までを外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしているのである。なぜなら、須菩提よ、内なる空の相から無法有法空の相まで、三界から出ることもなく、薩婆若にとどまることもない。なぜか。内なる空はその本質が空であり、無法有法空もその本質が空だからである。 もしある人が、四念処（身体・感覚・心・現象への気づき）を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしているのである。なぜなら、四念処の本質は三界から出ることもなく、薩婆若にとどまることもない。なぜか。四念処の本質は空だからである。四正勤（正しい努力）、四如意足（瞑想の基盤）、五根（信仰・努力・気づき・集中・智慧の五つの能力）、五力（同五つの力）、七覚支（悟りの七つの要素）、八正道（正しい八つの道）についても同様である。八正道の本質は三界から出ることなく、薩婆若にとどまらない。なぜか。八正道の本質は空だからである。さらに、仏の十八の独自の特性（十八不共法）についても同じである。 須菩提よ、もしある人が、阿羅漢（完全な聖者）の生まれる場所を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしているのである。もしある人が、独覚（辟支仏）の生まれる場所を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしている。もしある人が、如来（多陀阿伽度）、応供（阿羅訶）、正等覚者（三藐三仏陀）の生まれる場所を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしている。なぜなら、阿羅漢の本質、独覚の本質、仏の本質は、三界から出ることもなく、薩婆若にとどまることもない。なぜか。阿羅漢の本質は空であり、独覚の本質は空であり、仏の本質は空だからである。 もしある人が、預流果（須陀洹果）、一来果（斯陀含果）、不還果（阿那含果）、阿羅漢果、独覚の道、仏の道、一切種智（すべてを知る智慧）を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしているのである。これは先に述べたのと同じである。 もしある人が、名称、仮に設けられた呼び名、言葉だけの表現を外に出そうとするなら、その人は無相の法を外に出そうとしているのである。なぜなら、名称の空は三界から出ることもなく、薩婆若にとどまることもない。なぜか。名称の相は空だからである。仮の呼び名についても同様である。 この人は、不生不滅の法、汚れも清めもなく、作為を超えた法を外に出そうとしているのである。その人は無相の法を外に出そうとしている。なぜなら、不生から無作に至る法の本質は、三界から出ることもなく、薩婆若にとどまることもない。なぜか。不生の本質も、無作の本質も、空だからである。 須菩提よ、これらの理由により、大乗は三界から出て、薩婆若の中にとどまるのである。それは動くことなく、安住しているからである。」

「須菩提！汝所問：『是乘至何處住？』者，須菩提！是大乘無住處。何以故？一切法無住相故，是乘若住不住法住。須菩提！譬如法性不生不滅、不垢不淨、無相無作，非住非不住。須菩提！是乘亦如是，非住非不住。何以故？法性相非住非不住。所以者何？法性相空故，乃至無作性無作性空故。諸餘法亦如是。須菩提！以是因緣故，是乘無所住。以不住法、不動法故。

「須菩提！汝所問：『誰當乘是乘出？』者，無有人乘是乘出者。何以故？是乘及出者，所用法及出時，是一切法皆無所有。若一切法無所有，用何等法當出？何以故？我不可得乃至知者、見者不可得，畢竟淨故。不可思議性不可得，畢竟淨故。陰入界不可得，畢竟淨故。檀那波羅蜜不可得，畢竟淨故。乃至般若波羅蜜不可得，畢竟淨故。內空不可得，畢竟淨故。乃至無法有法空不可得，畢竟淨故。四念處不可得，乃至十八不共法不可得，畢竟淨故。須陀洹不可得，乃至阿羅漢、辟支佛、菩薩、佛不可得，畢竟淨故。須陀洹果乃至阿羅漢果、辟支佛道、佛道、一切種智不可得，畢竟淨故。不生不滅、不垢不淨、無起無作不可得，畢竟淨故。過去世未來現在世生住滅不可得，畢竟淨故。增減不可得，畢竟淨故。何法不可得故不可得？法性不可得故不可得，如、實際、不可思議性、法相、法位、檀那波羅蜜不可得故不可得，乃至般若波羅蜜不可得故不可得。內空不可得故不可得，乃至無法有法空不可得故不可得。四念處不可得故不可得，乃至十八不共法不可得故不可得。須陀洹不可得故不可得，乃至佛不可得故不可得。須陀洹果不可得故不可得，乃至佛道不可得故不可得。不生不滅乃至不起不作不可得故不可得。

「復次，須菩提！初地不可得故不可得，乃至第十地不可得故不可得，畢竟淨故。云何為初地乃至十地？所謂乾慧地、性地、八人地、見地、薄地、離欲地、已作地、辟支佛地、菩薩地、佛地。內空中初地不可得，乃至無法有法空中，初地不可得。內空乃至無法有法空中，第二第三第四第五第六第七第八第九第十地不可得。何以故？須菩提！初地非得非不得，乃至十地非得非不得，畢竟淨故。內空乃至無法有法空中，成就眾生不可得，畢竟淨故。內空乃至無法有法空中，淨佛國土不可得，畢竟淨故。內空乃至無法有法空中，五眼不可得，畢竟淨故。如是，須菩提！菩薩摩訶薩以一切諸法不可得故，乘是摩訶衍出三界，住薩婆若。」