---
title: "真心直說 · 真心所往"
description: "《真心直说》是高丽时期著名禅僧知訥所撰的佛教经典，成书于12世纪末。知訥是韩国曹溪宗的创始人，主张顿悟渐修，融合华严与禅宗思想。该书以直指人心为核心，阐述真心即佛性的禅理，强调修行者应直探本心、明心见性。内容简明扼要，语言通俗易懂，系统论述了禅宗修行的要旨与方法。作为高丽佛教的重要文献，《真心直说》对韩国禅宗发展影响深远，至今仍被奉为禅修指导的权威著作，在东亚佛教思想史上占有重要地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cm9tfjpvn0dlnfe0va7bgb7po"
---

### 真心所往

> 真心のゆくえ

或曰。未達真心人。由迷真心故作善惡因。由作善因故生善道中。由作惡因故入惡道中。逐業受生其理不疑。若達真心人妄情歇盡契證真心無善惡因。一靈身後何所依託耶。曰莫謂有依託者勝無依託耶。又莫將無依託者。同人間飄零之蕩子。似鬼趣無主之孤魂。特為此問求有依託耳。或曰然。曰達性則不然也。一切眾生迷覺性故。忘情愛念結業為因。生六趣中受善惡報。假如天業為因只得天果。除合生處餘並不得受用。諸趣皆爾。既從其業故。合生處為樂。不生處為非樂。以合生處為自己依託。不生處為他人依託。所以有妄情則有妄因。有妄因則有妄果。有妄果則有依託。有依託則分彼此。分彼此則有可不可也。今達真心契無生滅之覺性。起無生滅之妙用。妙體真常本無生滅。妙用隨緣似有生滅。然從體生用用即是體。何生滅之可有。達人即證真體。其生滅何干涉耶。如水以濕性為體波浪為用。濕性元無生滅故。波中濕性何生滅耶。然波離濕性別無故。波亦無生滅。所以古人云。盡大地是沙門一雙正眼。盡大地是箇伽藍。盡是悟理人安身立命處。既達真心。四生六道一時消殞。山河大地悉是真心。不可離此真心之外別有依託處也。既無三界妄因。必無六趣妄果。妄果既無說甚依託。必無彼此。既無彼此則何可不可也。即十方世界唯一真心。全身受用無別依託。又於示現門中隨意往生而無障礙。故傳燈云。溫操尚書問圭峯曰。悟理之人一期壽終何所依託。圭峯曰。一切眾生無不具有靈明覺性與佛無殊。若能悟此性即是法身。本自無生何有依託。靈明不昧了了常知。無所從來亦無所去。但以空寂為自體。勿認色身。以靈知為自心。勿認妄念。妄念若起都不隨之。則臨命終時自然業不能繫。雖有中陰所向自由。天上人間隨意寄託。此即前真心身後所往者也。

> ある人が言った。「真心を悟っていない人は、真心に迷っているから善悪の因を作る。善因を作るから善道に生まれ、悪因を作るから悪道に入る。業に従って生を受け、その道理は疑いない。では、真心を悟った人は、妄情が消え尽きて真心を証得し、善悪の因が無い。一霊（いちれい）は身後、どこに依託するのだろうか。」 答えて言う。「依託がある者が、依託のない者より勝っていると思うな。また、依託のない者を、世の中の漂泊する放蕩者や、鬼道の主無き孤魂のようだと思ってはならない。特にこの問いを立てて、依託を求めるのだろう。」 ある人が言った。「その通りです。」 答えて言う。「本性を達すれば、そうではない。一切の衆生は覚性に迷っているから、情愛を忘れず、業を結んで因とし、六趣の中に生まれて善悪の報いを受ける。例えば、天の業を因とすれば、ただ天の果を得るだけで、生まれるべき場所以外は、すべて受用できない。諸趣も皆そうである。すでにその業に従うから、生まれる場所を楽しみとし、生まれない場所を楽しみでないとする。生まれる場所を自己の依託とし、生まれない場所を他人の依託とする。だから妄情があれば妄因があり、妄因があれば妄果があり、妄果があれば依託があり、依託があれば彼此を分け、彼此を分ければ可・不可が生じる。 今、真心を達して無生滅の覚性に契い、無生滅の妙用を起こす。妙体は真常であり、本来無生滅である。妙用は縁に随って、あたかも生滅があるようである。しかし体から用を生じ、用は即ち体であるから、何の生滅があろうか。達人は真体を証得する。その生滅が何の関係があろうか。例えば、水は湿性を体とし、波浪を用とする。湿性は元来無生滅であるから、波の中の湿性に何の生滅があろうか。しかし波は湿性を離れては別に無いから、波もまた無生滅である。だから古人は言う。「尽大地は沙門の一双の正眼、尽大地は箇の伽藍、尽く悟理人の安身立命の処なり」。すでに真心を達すれば、四生六趣は一時に消え失せ、山河大地はことごとく真心である。この真心の外に別に依託の処を求めてはならない。すでに三界の妄因が無ければ、必ず六趣の妄果も無い。妄果がすでに無ければ、何の依託を言おうか。必ず彼此も無い。彼此が無ければ、何が可・不可であろうか。すなわち十方世界は唯一の真心であり、全身で受用し、別に依託は無い。また、示現の門の中においては、随意に往生して障碍が無い。 故に『伝灯録』に云う。温操尚書が圭峯に問うた。「悟理の人は、一期の寿命が終わるとき、どこに依託するのか。」圭峯が答えた。「一切の衆生は、ことごとく霊明覚性を具えており、仏と異ならない。もしこの性を悟れば、即ちこれ法身であり、もとより無生であるから、何の依託があろうか。霊明は不昧（くらまず）、了了として常に知る。来たる所も無く、去る所も無い。ただ空寂を自らの体とし、色身を認めてはならない。霊知を自らの心とし、妄念を認めてはならない。妄念がもし起きても、すべてそれに随わなければ、命終の時に自然に業が繫ぐことができない。中陰があっても、向かう所は自由であり、天上・人間に随意に寄託する。これが先に言った真心の、身後に往く所である。」

## 真心直說終

> 真心直説終