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title: "真心直說 · 真心正信"
description: "《真心直说》是高丽时期著名禅僧知訥所撰的佛教经典，成书于12世纪末。知訥是韩国曹溪宗的创始人，主张顿悟渐修，融合华严与禅宗思想。该书以直指人心为核心，阐述真心即佛性的禅理，强调修行者应直探本心、明心见性。内容简明扼要，语言通俗易懂，系统论述了禅宗修行的要旨与方法。作为高丽佛教的重要文献，《真心直说》对韩国禅宗发展影响深远，至今仍被奉为禅修指导的权威著作，在东亚佛教思想史上占有重要地位。"
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### 真心正信

> 真心の正信

華嚴云。信為道源功德母。長養一切諸善根。又唯識云。信如水清珠。能清濁水故。是知萬善發生信為前導。故佛經首立如是我聞。生信之所謂也。或曰。祖門之信與教門信有何異耶。曰多種不同。教門令人天信於因果。有愛福樂者。信十善為妙因。人天為樂果。有樂空寂者。信生滅因緣為正因。苦集滅道為聖果。有樂佛果者。信三劫六度為大因。菩提涅槃為正果。祖門正信非同前也。不信一切有為因果。只要信自己本來是佛。天真自性人人具足。涅槃妙體箇箇圓成。不假他求從來自備。三祖云。圓同太虛無欠無餘。良由取舍所以不如。志公云。有相身中無相身。無明路上無生路。永嘉云。無明實性即佛性。幻化空身即法身。故知眾生本來是佛。既生正信須要解滋。永明云。信而不解增長無明。解而不信增長邪見故。知信解相兼得入道疾。或曰。初發信心未能入道有利益不。曰起信論云。若人聞是法已不生怯弱。當知是人定紹佛種。必為諸佛之所授記。假使有人能化三千大千世界滿中眾生令行十善。不如有人於一念頃正思惟此法。過前功德不可為喻。又般若經云。乃至一念生淨信者。如來悉知悉見。是諸眾生得如是無量福德。是知欲行千里初步要正。初步若錯千里俱錯。入無為國初信要正。初信既失萬善俱退。故祖師云。毫釐有差天地懸隔。是此理也。

> 『華厳経』にこう説かれています。「信は道の源、功徳の母であり、あらゆる善い根を育て養う」と。また『唯識論』には「信は水を清める宝珠のようなもので、濁った水を清めることができる」とあります。これによって知られるのは、あらゆる善行は信を先導として起こるということです。だからこそ仏典の冒頭に「如是我聞」と置かれているのは、信を生じさせるためなのです。 ある人が問いました。「祖師の法門（禅宗）における信と、教えの法門（経典中心）における信に違いはあるのでしょうか？」 答えましょう。「多くの違いがあります。教えの法門では、人天に因果を信じさせます。福報を愛する者には、十善を妙なる因とし、人天を楽しい果と説きます。空の寂滅を楽しむ者には、生滅の因縁を正しい因とし、苦集滅道を聖なる果と説きます。仏の果報を楽しむ者には、三劫・六度を大いなる因とし、菩提・涅槃を正しい果と説きます。しかし祖師の法門における正しい信は、これらの教えとは異なります。あらゆる作為（有為）の因果を信じるのではなく、ただ自己が本来仏であることを信じるのです。生まれつきの自性（本性）はすべての人が具えており、涅槃の妙なる体は一人ひとりが完全にそなえています。他人に求める必要はなく、初めから自らにそなわっています。」 第三祖（僧璨）は言っています。「円くして大虚の如く、欠けることも余ることもない。まさに取捨するがゆえに、かくの如くならざるなり」と。 志公（宝誌禅師）は言っています。「有相の身の中に無相の身があり、無明の道の上に無生の道がある」と。 永嘉（玄覚禅師）は言っています。「無明の実性こそが仏性であり、幻化の空身こそが法身である」と。 ゆえに知るべきです。衆生は元来、仏であると。このように正しい信を生じたら、さらに智慧による理解（解）を養う必要があります。 永明（延寿禅師）は言っています。「信じて解しなければ無明を増長し、解して信じなければ邪見を増長する」と。 だからこそ信と解が共にあってこそ、道に入ることが速やかなのです。 ある人が問いました。「初めて信心を発しても、まだ道に入っていなければ、利益はあるのでしょうか？」 答えましょう。「『大乗起信論』にはこうあります。『もし人がこの法を聞いて、ひるんだり弱気になったりしなければ、まさに知るべきである。この人は必ず仏の種を継ぎ、必ず諸仏から授記されるであろう』と。たとえ三千大千世界のあらゆる衆生に十善を行わせる者がいたとしても、一瞬のうちにこの法を正しく思惟する者には及ばない。その功徳は比べものにならないほど大きいのです。また『金剛般若経』には、『一瞬でも清らかな信を生じる者を、如来はことごとく知り、ことごとく見る。これらの衆生は量り知れない福徳を得る』とあります。」 これによって知るべきです。千里を行こうとするなら、最初の一歩を正しくしなければなりません。最初の一歩を誤れば、千里すべてが誤ることになります。無為の国に入るには、最初の信が正しくなければなりません。最初の信を失えば、あらゆる善が退いてしまいます。 だから祖師は言っています。「わずかな差も天地ほど隔たる」と。まさにこの道理のことです。