大方広仏華厳経 巻第二
東晋天竺三蔵仏駄跋陀羅訳
世間浄眼品 第一の二
また、帝釈天は、過去・現在・未来の三世にわたる仏が出現し、住し、滅することを決定する大いなる智慧の念喜の法門において自在を得ておられます。普称満天は、衆生の色と如来の色身の諸功徳力が清浄である法門において自在を得ておられます。慈眼天は、平等の慈しみの雲が覆いかける法門において自在を得ておられます。宝光称天は、あらゆる光の色を備え、仏を念じる普き勢いの法門において自在を得ておられます。楽喜髻天は、衆生の業報を観ずる法門において自在を得ておられます。楽念浄天は、諸仏の国土が清浄である法門において自在を得ておられます。須弥勝音天は、世間の生滅を観ずる法門において自在を得ておられます。念智慧天は、未来に菩薩の諸行を起こし、衆生を教化する因縁を超えて念ずる法門において自在を得ておられます。浄華光天は、一切の天の娯楽の法門において自在を得ておられます。慧日眼天は、諸天の処において教化を行い、善根を流通させる法門において自在を得ておられます。
その時、帝釈天は仏の神力に導かれ、三十三天のすべての衆生を見渡し、偈を唱えて言いました。
もし一切の三世の仏を念じ、広く仏の境界を観察することができ、 諸仏の国土の成敗の事を、仏の神力によってことごとく見ることができ、 仏身は清らかで十方に満ち、妙なる色は無比で一切に応じ、 光明は照り輝き最も殊勝で、広く称えられることを具足してこのように見るならば、 本より修めた方便の大慈の海は、一切の衆生を満たし、 悉く一切の衆生を調伏し、清浄の眼を開いて無極を見ることができ、 仏の功徳の無量なることを念ずるゆえに、広大なる歓喜心を得て生じ、 世間に如来に等しいものはなく、垢を離れた称王は法門に住し、 清浄なる業の海は衆生を満たし、一切を余すところなく見ることができ、 種々の因によって深く広い福を起こし、このような善き見は満月のごとく、 諸仏は十方に遍く満ち、一切の衆生は見えないものはなく、 見ることができたならば悉く調伏され、皆無上の方便の念を得、 如来の智身と明浄の眼は、一切の十方の国土に周遍し、 悉く衆生をして皆見させ、妙なる音で宣化して解らぬものはなく、 仏の一毛孔に衆行を現じ、仏子は見て具に修習し、 具足して無量の徳を成就し、このような善き智慧は満月のごとく、 一切の衆生は悦楽を得、皆如来の神力によって生じ、 如来の無量の功徳のゆえに、これは無垢雑華門と名づけられ、 もし須臾の間に如来を念じ、乃至一念の功徳の力によって、 永く衆悪の趣を遠く離れ、智慧の日輪が愚痴の闇を滅ぼすのである。
また、日光天子は、十方のすべての衆生の身を照らし尽くし、未来際に正しく住して荘厳する法門に自在を得ておられます。 眼焰光天は、すべての色を照らす無上の智海の法門に自在を得ておられます。 須弥光天は、衆生を起こして転勝清浄の功徳を増す法門に自在を得ておられます。 浄宝月天は、すべての苦行を喜んで度する法門に自在を得ておられます。 勇猛不退天は、無障礙に普く照らす法門に自在を得ておられます。 妙華光天は、清浄な日光照らして衆生の身を浄める法門に自在を得ておられます。 勝光天は、世間を照らして功徳を積み集める法門に自在を得ておられます。 宝髻天は、衆宝の海にさまざまな色の境界を現す法門に自在を得ておられます。 明眼天は、すべての趣において清浄な眼を開き、法界の蔵を観ずる法門に自在を得ておられます。 勝地天は、すべての衆生を浄乗に導く法門に自在を得ておられます。
その時、日光天子は仏の神力を受け、日天子の衆を遍く観て、偈をもって頌して曰く:
仏の智慧の光明は限りなく広がり、 十方の無数の世界をあまねく照らす。 すべての衆生が仏の御顔を拝し、 さまざまな方便で衆生を教化される。
衆生の大海は広大で量りがたく、 その心をことごとく知り尽くし、 衆生の智慧の海を開き顕わす。 善き勝利の光明はこのように見える。
如来は広く世に現れ出で、 十方を余すところなく照らされる。 如来の法身は比べるものなく、 無上の智慧をもって法を説かれる。
無数の劫の海のような諸世界にあって、 衆生のために難行苦行をなされた。 それゆえ清浄の光は虚空のごとく、 妙なる御身は満月のように顕れる。
仏の妙なる音声は障りなく、 十方に周遍して余すところなく、 すべての法を広く分別して説き、 因縁と方便を具足して示される。
不思議な大光明を放たれ、 十方世界はことごとく明るく清らか。 人々を喜ばせて菩提心を起こさせ、 これこそ荘厳なる勝れた法門である。
すべての世間のあらゆる光明も、 仏の御身の一毛の光には及ばない。 仏の光明は微妙で思いはかれず、 最勝なるこの神変を現じられる。
すべての諸仏の法はこのようであり、 それぞれ十方の菩提樹の下に坐し、 衆生のために道と非道を分別される。 清浄なる妙眼はこのように見る。
無明の衆生は盲目で目がなく、 このような苦しむ者に清浄の眼を開き、 彼らのために智慧の灯を現じられ、 如来の清浄なる御身を見せしめられる。
方便自在に倒惑なく、 すべての供養を受けるにふさわしく、 次第に教え導き解脱の道を開示する。 これこそ清浄の眼の方便の地である。
一つの法門において無辺を説き、 無数の劫の中に広く敷演し、 深遠で清浄なる義を分別する。 これこそ周遍なる妙なる法門である。
また月天子は、衆生を調伏し法界を普く照らす法門において自在を得ており、耀華天は、一切の諸法の境界を普く観て摂する法門において自在を得ている。勝光荘厳天は、すべての衆生の心の海の境界をことごとく転じて法門とさせることにおいて自在を得ており、雑楽世間天は、一切の不可思議な愛楽を生じさせる法門において自在を得ている。眼光天は、衆生に真実を見させる法門において自在を得ており、現浄光天は、大いなる慈悲をもって一切の苦悩する衆生を救護する法門において自在を得ている。普遊静光天は、無痴の清らかな月の法門において自在を得ており、妙荘厳天は、諸法が幻の如く化の如く空にして無いことを観る法門において自在を得ている。浄菩提天は、一切の業行の起こる所を善く解する法門において自在を得ており、大光焔天は、諸天の疑いを滅ぼし照らして度す法門において自在を得ている。
その時、月天子は仏の神力を受け、月天子の大衆を遍く見渡して、偈頌をもって言った:
すべての衆生に広く大いなる光を放ち、 十方の国土に如来を見る。 すべての愚かさと闇を照らし除き、 不可思議な法を明らかにする。
仏の境地は果てしなく尽きることはなく、 無量の劫の中で功徳を積み集め、 様々な巧みな法門によって、 すべての衆生を調伏する。
如来の智慧は甚深で遠大、 無量の心の海を知り、 それに随順して清浄な法輪を転じ、 無量の歓喜の心を生じさせる。
衆生は賢聖の楽しみから遠く離れ、 世間の無量の苦しみに沈んでいる。 仏は彼らに清浄な法を与え、 心に喜びと安らぎを得て住まわせる。
如来は広く大いなる光明を放ち、 世間の諸法の相を分別し、 罪と福の報いは滅びることなく、 清浄な光の天はこのように見る。
仏はすべての衆生の大地であり、 無量の善き果報を支え持ち、 すべての衆生を邪道から離れさせ、 巧みに安立の地に置かれる。
大慈悲の雲は覆わぬものなく、 仏身は衆生と等しく不可思議。 広く法の雨を降らせて一切を潤し、 これが仏の第一の優れた方便である。
一切の有無の性は空の如く、 仏は衆生の大いなる光明。 常に方便を勤めて一切を利し、 最勝の清浄はこのように見る。
また、国を保つ乾闥婆王は、一切の衆生を楽しませる方便の法門において自在を得ており、 楽樹光の乾闥婆は、仏の功徳を荘厳する法門において自在を得ており、 浄眼を起こす乾闥婆は、衆生の憂いと喜びを離れる法門において自在を得ており、 華樹の乾闥婆は、煩悩の結びつきを滅する法門において自在を得ており、 楽遊行の乾闥婆は、希望を調え伏せる法門において自在を得ており、 妙眼の乾闥婆は、一切の楽しみと喜びの光を蔵し正しく住する法門において自在を得ており、 師子幢の乾闥婆は、あらゆる方角に宝の雨を降らせる法門において自在を得ており、 宝光解脱の乾闥婆は、一切の妙なる身と広大な智を現す法門において自在を得ており、 金剛樹の乾闥婆は、諸々の樹木を育て喜びの光を放つ法門において自在を得ており、 諸々の荘厳を現す乾闥婆は、一切の仏のあらゆる境界の行いを、すべての衆生に楽しみを受けさせる法門において自在を得ています。
その時、持國乾闥婆王は仏の神力を受け、乾闥婆の衆生をあまねく見渡し、偈頌をもって言った。
如来の境地は無量の門、 一切の衆生、思い量る能わず。 世尊の清浄は虚空の如く、 衆生に示して正しい道を見せ給う。
如来の無量の功徳の海、 一々の毛孔にも悉く見ることを得て、 一切をして意のままに楽しませ、 清浄なる悦びをかくの如く見せ給う。
衆生の無量の憂い苦しみの海、 仏は能く除き滅ぼし悉く余すこと無し。 仏は大いなる慈悲と多様な方便をもって、 衆生の清浄なる眼を開き給う。
諸仏の国土の海は十方に満ち、 如来の光明は悉く遍く照らし、 衆生の煩悩の垢を除き、 甚深なる清浄の法を演説し給う。
仏は無量の劫の海において、 方便を広く修めて清浄な国土を整え、 一切智の無上の音をもって、 辺りなき衆生の類を慰め給う。
如来の普く清浄なる姿を喜んで見る時、 衆生は悉く尽きせぬ楽しみを得、 随順して解脱の因を起こし、 解脱の冠を得て心は歓喜する。
愚痴と覆いの障りは甚だ堅固に、 衆生は生死の海に輪転す。 如来は広大なる法を示現し、 清浄を演説して法の幢を建て給う。
一切の衆生の無量の門に、 如来は為に種々の形を現じ、 多様な方便の門をもって衆生を照らし、 慈愛の音、如来はかくの如く現じ給う。
如来の方便は辺際無く、 善逝は広く開き現じ具足し、 最勝の道に入る方便の行、 金剛樹の下に正覚を成じ給う。
無量の劫を一念と為し、 仏力は能く現じても積もること無く、 衆生に一切の楽しみを与え給う、 これ名づけて楽見の方便の門と為す。
また毘樓勒鳩槃荼王は、あらゆる争いを滅する法門に自在を得ており、長燈照光鳩槃荼は、すべての行いが現前に現れる法門に自在を得ています。善修幢鳩槃荼は、あらゆる道を正しく導く法門に自在を得ており、饒益諸行鳩槃荼は、善悪を平等に清らかにする法門に自在を得ています。除恐怖鳩槃荼は、すべての生きとし生けるものに恐れなく安らぎを与える荘厳なる法門に自在を得ており、淨娑羅林鳩槃荼は、無量の衆生の愛の海の激しい炎を除き滅する法門に自在を得ています。起須彌鳩槃荼は、あらゆる道を照らす雲の法門に自在を得ており、常勤鳩槃荼は、すべてを照らし出す法門に自在を得ています。無量淨眼鳩槃荼は、退転しない大いなる慈悲の蔵を起こす法門に自在を得ており、無量門鳩槃荼は、あらゆる道におけるすべての行いを起こす法門に自在を得ています。
その時、毘樓勒鳩槃荼王は仏の神力を受け、鳩槃荼の大衆を見渡して、偈頌をもって言いました。
如来の忍辱の力は満ち足りて成じ、無量劫の行いを為して衆生のため、 放逸と慢心、諸々の煩悩を離れ、故に仏身は清らかに十方を照らす。
昔、菩薩の諸行の海を行じ、十方の無量の衆生を調伏し、 種々の方便をもって慈しみの門を起こし、衆生をして一切智を得せしむ。
如来の智慧は群生を救い、悉く分別して衆生の心を知り、 無量の自在をもって衆生を調え、一切の見る者は皆歓喜す。
仏の神力の境は思議し難く、当来世の一切劫において、 宝の法輪を転じること虚空の如く、無量の衆生は浄眼を得る。
衆生の痴垢は心目を翳らすも、如来の照らし除くに遇い、正道を見る。 救済して永く無量の苦を離れ、恐怖無くして浄智を得せしむ。
衆生は愛苦の海に沈むも、如来の智照は滅すること余り無く、 欲を離れ垢無くして仏身を見るは、宝樹の悉く清浄なるが如し。
仏身は普く応じて見ざる無く、種々の方便をもって衆生を化す。 音は雷震の如く法雨を降らす、是を山王の慧法門と名づく。
仏光は無垢にして最も清浄、衆生の痴冥の山を照らし除き、 如来の無量の徳を顕現し、痴無き方便をもって仏身を見る。
無量劫に大悲の門を修め、悉く衆生に自在の楽を与え、 種々の方便をもって衆苦を滅し、垢を離れ清浄なるは華の開くが如し。
最勝の現身は悉く周遍し、十方界に去来無く、 自覚の大聖は一切に現じ、是れ無量門の仏の能く見る所なり。
また毘樓波叉龍王は、一切の龍の世界において燃え盛る恐怖を除き、救済の法門に自在を得ておられます。 海龍王は、一瞬のうちに一切の不可思議な龍の姿を自在に転じる法門を得ておられます。 雲楽妙幢龍は、一切の存在する世界に清浄の輪を転じ、その声を聞く法門に自在を得ておられます。 須弥普幢龍は、一切の衆生に大いなる功徳の海を示す法門に自在を得ておられます。 徳叉伽龍は、恐怖を離れた清浄の法門に自在を得ておられます。 無量歩龍は、一切の衆生に無量の雲を示し、無量の劫を超え、寿命を保つ法門に自在を得ておられます。 焔眼善住龍は、一切の世界を安立し、無量の仏法を分別して示現する方便の法門に自在を得ておられます。 離垢勢色龍は、一切の衆生が煩悩を離れ、歓喜し、足るを知る方便の法門に入ることに自在を得ておられます。 普行広聖龍は、一切の善悪の音声を平等に観じる満ち足りた法門に自在を得ておられます。 阿那婆達多龍王は、大悲の雲をもって一切の衆生を覆い、苦しみから離れる法門に自在を得ておられます。
その時、毘樓波叉龍王は仏の神力を承け、龍の衆を遍く観て、偈頌を以て曰く。
一切の最勝なる法を観見し、十方の群生類を救済す。 悪趣の衆生は常に輪転すれども、大悲の力をもって能く済い抜く。 諸の衆生の楽む所の色に随って、仏の一毛孔に皆悉く現ず。 神足の境界は量無く、仏の功徳の海は清浄に現ず。
最勝の妙法は限量無く、譬えば大海の深きが如く底無し。 其の楽む所に随って聞かしめ、妙声は柔軟にして雷音を発す。 一切の衆生の瞋恚の心は、蔭蓋として愚癡の海を障覆す。 如来の無上の大慈悲は、神足の力をもって度脱せしむ。
如来の身の一毛孔には、衆生の功徳皆悉く現ず。 深き無量の功徳の海に入り、須弥山の幢の功徳現ず。 衆生の種種の恐怖の苦は、法王の智光悉く救済す。 最勝の毛孔は妙音を演じ、無量の衆生の浄眼を開く。
十方三世の諸の如来は、仏の身中に色像を現ず。 無量劫の中に仏土を浄め、是れを無上の大龍地と名づく。 仏の一毛の中に皆悉く現ず、無量の神変の荘厳土。 仏は眷属と囲遶して坐し、衆生の為に微妙の法を説く。
仏は菩薩の道を求むる時、恭敬供養して諸仏の海に、 種種無量の方便の門を以て、一切の衆生の海を度脱す。 如来の正法を演説する時は、一切の衆生の楽を充満せしめ、 仏音は能く歓悦の心を起こし、普く衆生をして法喜を得せしむ。
また、毘沙門夜叉王は、平等なる観照と巧みな手段によって一切の悪を離れ、衆生を利益する法門において自在を得ておられる。 音主夜叉は、一切を普遍的に勝り超える法門において自在を得ておられる。 持地夜叉は、衆生の精気を奪うものを除き、一切の生気を長養する法門において自在を得ておられる。 一切主夜叉は、一切の聖なる功徳を観ずる法門において自在を得ておられる。 勝眼神足夜叉は、一切衆生の智慧を観ずる法門において自在を得ておられる。 堅固金剛眼夜叉は、一切衆生に安楽を与える法門において自在を得ておられる。 護命夜叉は、力を保ち救済する法門において自在を得ておられる。 能破須弥山夜叉は、仏の力に随順して起こる法門において自在を得ておられる。
その時、毘沙門夜叉王は仏の神力に導かれ、夜叉の群れを見渡し、偈を唱えて言った。
(「衆生の罪の垢は甚だ深重にして、百千劫にも仏を見ず、 輪転生死して衆苦を受け、これらを度さんがために仏は世に興る。 仏は一切を救済せんがために、悉く十方の衆生の前に現じ、 諸趣の衆苦の輪を抜き済し、因縁の音主は最も方便なり。 衆生の重罪悪業の障りを、仏は方便をもって悉く除き滅し、 衆生を正法の中に安立せしめ、これ名づけて離癡方便見とす。 仏は昔、無量劫を行ずる時、十方一切の仏を讃歎し、 故に高遠なる大名称あり、皆悉く普く十方の国に聞こゆ。 仏の慧は無辺にして虚空に等しく、如来の法身は不思議なり、 故に能く顕現して十方を照らし、明浄眼王の妙法門なり。 一切衆生は邪径に入るも、仏は正道を示して難思議なり、 諸の衆生の化を受くべきを見て、種種の方便をもって調伏せしむ。 一切衆生の諸の功徳も、如来の一光の福に及ばず、 仏の智慧の海は議すべからず、これ名づけて宝王かくの如く見るとす。 無量劫数は難思議なり、仏は是の中に十力を修し、 是の故に世尊は力具足し、一切の世間に能く壊すものなし。」)
また、金剛眼照力士は、如来の無量の色像を現す法門において自在を得ており、離垢日踊力士は、諸仏の無量の色法門において自在を得ています。須弥華光力士は、垢を離れ自在に種々の姿を現す法門において自在を得ており、浄雲音力士は、如来の限りない清らかな音声を量り知れない法門において自在を得ています。阿修羅主力士は、あらゆる姿を現す種々の法門において自在を得ており、金剛光楽力士は、一切の仏法に入り尽くす法門において自在を得ています。雷音力士は、すべての天界を挙げる法門において自在を得ており、師子端厳王力士は、如来の功徳を広く照らす法門において自在を得ています。勝光明力士は、衆生の悪しき心を除き、仏の境地を安立する法門において自在を得ており、珠髻華光力士は、菩薩が一切の世間に宝を雨のように降らせて示現する法門において自在を得ています。
その時、金剛眼照力士は仏の神力を受け、力士たちの群れを見渡し、偈頌を唱えて言った。
三界のすべての衆生のために広く、 諸法の中で法王となられる方。 無量の妙なる色を具えられ、 十方を照らして明らかならざるものはありません。
仏身のすべての毛孔からは、 計り知れない光明が普く放たれ、 一切の日の光を覆い隠し、 十方に遍く照らして行き届かないところはありません。
如来の大いなる聖なる自在の力は、 一切の法界に満ち溢れ、 法身は際限なく示現され、 すべての衆生の前に現れます。
仏の音声は清らかで深く妙、 十方の諸世界に普く響き渡り、 柔らかく微妙で和やかな響きは、 衆生の煩悩を滅ぼし願いを満たします。
十方三界の諸宮殿において、 最勝の姿でそこに坐し、 それぞれの仏のもとにある無量の衆生を、 導師はその中で説法されます。
法の海は無量で限りなく、 多くの方便の門がすべてそこに入り、 一切の法界を分別し、 最勝の示現は尽きることがありません。
衆生の大海は果てしなく、 最勝の清浄な眼は度脱することができ、 如来の光明は衆生を照らし、 すべてが大導師を普く見ます。
皆が恭敬して供養を捧げ、 無量の塵の海のような国土の仏を、 その功徳は虚空のように無量で、 すべてが大導師を普く見ます。
如来の神力は壊れることがなく、 一切の仏土がことごとく現れ、 如来は清浄な道場に安坐され、 一切の衆生が眼前に見ます。
光明は雲の湧き起こるように普く照らし、 多くの妙なる荘厳の光は円満し、 一切の法界を普く照らして、 諸仏の深く妙なる法を示現されます。
この時、普賢菩薩は、不可思議なる方便法門の海を成就し、如来の無量なる功徳の海に入ることができた。
すなわち: - 究竟清浄なる諸仏国土を生み出し、衆生を調伏する法門。 - 諸仏のもとに赴き、一切の具足した功徳を起こす法門。 - 菩薩の諸地における願と行の法門。 - 普門として法界の塵数ほどの身の雲を示現する法門。 - 諸仏国土を保持する不可思議なる方便輪の法門。 - 一切の衆中において自在に無量無辺なる菩薩の境界を顕現する法門。 - 一念のうちに三世の劫の生滅を知る法門。 - 一切の菩薩の諸根の境界の海を分別して顕現する法門。 - その身が自在に無量無辺なる法界に満ちる法門。 - 一切の菩薩の種々なる方便を広く分別し、一切智の方便法門に入る法門。
その時、普賢菩薩はすべての大衆を見渡し、偈頌をもって次のように述べられた。
最も勝れた荘厳で清らかな、数え切れない仏国土。 無量の清浄な光と、深遠なる功徳に満ちています。 真実の清らかさは汚れを離れ、仏の子たちが満ちあふれ、 常に妙なる法を聞き、思議しがたい音を聴きます。 仏がここに座す獅子座を見るように、 あらゆる微塵の中にも、同じくこのように現れています。 しかも如来の御身は、そこへ赴くこともなく、 すべての仏国土に普く現れ、 功徳の境界は、すべて無量の諸方の方便に入り、 仏は一切の菩薩行を示し、あらゆる方便を説き、 それは思議を超えています。 諸々の仏子たちを、清浄な法界に入らせ、 汚れを離れた清浄な眼をもって、深遠な法性に住まわせます。 十方の無量無辺、微塵の数ほどの諸々の化仏の御身は、 無量の衆生たちを教え導いています。 一切の十方の如来の国土は、 世尊がすべて平等に護っておられます。 仏は方便において、すでに完全に清浄であり、 衆生を調伏して、垢穢を除かせます。 一切の微塵の数ほどの諸仏国土に、 如来は無量の自在を示現します。 梵音は和やかで雅やかに、すべての道場に遍く響き渡り、 最も勝れた菩薩の本行を演暢します。 一切の三世のすべての劫数は、 一瞬一瞬の中に、すべて余すところなく見られます。 その生滅を観じ、真実の法相のままに、 それは思議を超え、世の護り主は見ることができ、 無量大衆の数は尽きることがありません。 如来の真実の子たちが、仏地を観じようと欲する、 一切の法門は無量無辺であり、 それは諸々の仏子たちの境界ではありません。 垢を離れた如来は、あたかも虚空のごとく、 清浄で執着なく、真実の法性に等しいのです。 無量の化現を示し、それは窮め尽くせず、 すべて道樹に坐して、等しい正覚を成じます。 仏は一言をもって、一切の地を説き、 一切の法相を、すべて窮め尽くします。 無量の方便の、一つ一つの門の中で、 諸法を演暢しても、またすべて余すところなく。
その時、仏の獅子座を中心に、あらゆる妙華や摩尼宝の輪、高き楼閣や荘厳具の中から、それぞれに一仏世界の微塵数に等しい大菩薩の群れが現れました。その名は、海慧超越菩薩、無量師子吼菩薩、衆宝光幢菩薩、智日超慧菩薩、不思議功徳智称菩薩、方便寂静妙華髻菩薩、金光焔菩薩、法界普音菩薩、浄雲月幢菩薩、善超浄光菩薩などです。このように、一仏世界の微塵数に等しい大菩薩たちは、さまざまな供養を捧げ、妙なる華を虚空に散らし、香を焚いてその煙が雲のように立ち昇り、あらゆる宝の円光をあまねく現しました。また、無量の浄らかな日輪の光明を放ち、微妙な音楽を奏で、種々の宝樹の枝葉や華や実が、雲のように光を放ち、無量の宝を雨のように降らせました。このように、それぞれの菩薩が捧げた供養具は、それぞれが一仏世界の微塵数に等しく、さらに一つの供養具ごとにまた一仏世界の微塵数に等しいほどでした。彼らは皆、大いに歓喜し、世尊に供養を捧げ、百千回巡った後、それぞれの縁に応じて大衆に供養を施し、雲や雨のように途切れることなく続きました。そして、現れた方角ごとに宝蓮華蔵の獅子座を化現し、仏に向かって恭敬の心で結跏趺坐しました。その菩薩たちは皆、無量の清浄なる法海と普く照らす法門を得て、仏の境界に何の障りもなく、あらゆる弁才の法海に入りました。また、不可思議な照明の法門を得て、如来の普門の境界に正しく住し、三世の智地にすでに入り、大いなる法愛を具足し、無量の功徳を清浄円満に成就し、常に法界の畢竟空性を行じ、すでにあらゆる仏を供養することを具足していました。
その時、一切海慧自在智明王菩薩が、次のような偈頌を唱えました。
仏はすべての法が平等で真実であり、何の妨げもなく、 虚空のように清らかであることを覚られました。 あまねく十方世界を照らし、 すべての衆生の中にあって最も勝れた特質をお持ちです。 自然に正覚を成し、 量もなく限りもなく、十方に満ちて、衆生の境界に広がっています。
すべては菩提樹王の下に座し、 諸々の衆生の主が皆、周りを取り囲んでいます。 仏はこのような自在の神力をお持ちで、 一瞬のうちに無数の身を現し、あまねく衆生に 垢や穢れを滅除させられます。 如来の境界は果てしなく、 無量の劫の海を修行し具足されています。
如来はすべての有の海におられ、 様々な方便で衆生を調伏されます。 皆、最勝の正法を受けて行い、 衆会は垢を離れ、あまねく清浄を得ます。 すべてが仏を観て深く喜び、飽くことがなく、 最勝の妙相が荘厳に具足し、蓮華蔵の中、 宝師子座にいらっしゃいます。あらゆる衆宝や 諸々の荘厳具は、 無量の微妙な香りを漂わせ、 色とりどりの華鬘が虚空に懸けられています。
仏はこのような宝師子座におられ、 無量の衆宝からは妙なる光が流れ出て、 輝く炎は清浄で、十方を明るく照らします。 如来は荘厳な楼観に安住し、 清浄で微密な梵音を響かせ、 最勝の無上正法を宣暢されます。 聞く者は歓喜し、清浄なる妙道を得ます。
金剛の承座は安らかに堅固に立ち、 如意蔵の宝をもって荘厳されています。 宝髻菩薩が常にこれを守護します。 世尊はここにあまねく現れ、照らされます。 天尊は宝師子座におられ、 三世を遍く照らす一切の導師です。 無数の化仏が十方に遍満し、 如来の尽きることなき法蔵を闡揚します。
その時、仏の神通力によって、蓮華蔵荘厳世界海に、六種十八相の震動が起こりました。すなわち、動、遍動、等遍動。起、遍起、等遍起。覚、遍覚、等遍覚。震、遍震、等遍震。吼、遍吼、等遍吼。涌、遍涌、等遍涌です。
また、あらゆる世界の諸王たちに、それぞれが計り知れない供養具の雨を降らせ、如来と大衆の海のような集いを供養させました。すなわち、あらゆる香華の雲、多くの妙なる宝の雲、さまざまな宝の蓮華の雲、無量の色の宝曼陀羅の雲、解脱の宝の雲、砕いた栴檀香の雲、清浄で柔らかな声の雲、宝網の日雲を、それぞれの力に応じて多くの供養の雨として降らせたのです。このように、それぞれの世界の諸王は、計り知れない供養の雲を設け、あまねく一切の如来と大衆を供養しました。この世界で多くの供養が設けられたように、すべての十方の諸仏国土でも同じことが行われました。
この世界において仏が道場に坐す時、世界の諸王たちはそれぞれに楽しむところの境界、三昧、さまざまな方便の門、歓喜と厭離、諸方に通達する勇猛の法、如来の境界と神力の入るところ、諸仏の無量の法海の門を、ことごとく渡り終えました。この世界がそうであるように、十方の一切の世界もまた同じなのです。