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title: "金剛經易解 · 持經功德分第十五"
description: "金刚经易解是清代学者谢承謨对佛教经典《金刚经》的注释著作。谢承謨以通俗易懂的语言阐释了这部大乘佛教核心经典，帮助读者理解般若空性思想。该书成书于清代，反映了当时佛教义学的研究水平。注释内容紧扣经文，重点解析了“应无所住而生其心”等核心教义，阐发离相破执的修行要旨。作为般若部重要经典，《金刚经》在中国佛教史上影响深远，被誉为“经中之王”。谢承謨的注解既保持了佛经原义，又适应了普通信众的阅读需求，是清代佛经注释中颇具价值的读本。"
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### ○持經功德分第十五

> 第十五章 経を持ち受ける功徳

言持經功德之勝。遠超於恒沙身命布施。況行之較易。而收功甚鉅。人胡不自勉。而坐失此勝方便哉。

> この経典を受持する功徳の勝れていることは、ガンジス川の砂の数ほどの命を捧げる布施をはるかに超えている。ましてや、実践が比較的容易で、得られる功徳が非常に大きいのである。どうして人が自ら奮い立って、この優れた善巧の方法を見過ごしてしまうことがあろうか。

須菩提。若有善男子善女人。初日分。以恒河沙等身布施。中日分復以恒河沙等身布施。後日分。亦以恒河沙等身布施。

> 須菩提、もし善き男子や善き女性が、午前中にガンジス川の砂の数ほどの自分の体を施し、午後にもまたガンジス川の砂の数ほどの自分の体を施し、夕方にも同じくガンジス川の砂の数ほどの自分の体を施すとしたならば。

分去聲。

> わけ（去声）。

○初日分。寅卯辰時也。中日分。巳午未時也。後日分。申酉戌時也。此如來更設喻。以極顯持說之勝也。故呼須菩提曰。若有善信男女於此。每日三時。而皆以恒河沙等身命布施者。則視寶施功德不可以同年而語者矣。

> ある人が、もし善男子・善女として、一日の三つの時間帯（午前・午後・晩）のそれぞれに、ガンジス川の砂の数ほどの身体や命を投げ打って施しを行ったとしても、それがどれほどの功徳かは、この経典を受持し、人に説く功徳とは比べ物になりません。

如是無量百千萬億劫。以身布施。

> このように、無量の百千万億劫（むりょうのひゃくせんまんおくこう）の間、自らの身を喜んで差し出すのです。

言是人每日三時。而以恒河沙命布施。復經無量長劫。則所施身命。不可計量。而獲福亦更無量矣。此固必無之事。即使有之。終屬有為法。徒享世間頑福。與心性毫無交涉。故下文復顯持說之勝。

> この人が毎日三回、ガンジス川の砂ほどの数の命を施し、それをさらに計り知れない長い劫の間続けたとしたら、その施しによる功徳は限りなく大きいでしょう。しかしこれは実際にはありえない話です。たとえあったとしても、結局は「条件づけられた行為（有為法）」に過ぎず、ただ世の中の一時的な幸せを享受するだけで、心の本質（心性）とはまったく関係がありません。そこで、次の文章では、教えを保ち説くことの優れた功徳（持説の勝）を明らかにしているのです。

若復有人。聞此經典。信心不逆。其福勝彼。

> また、もしこの経典を聞いて、確かな信心を起こして疑わない人がいれば、その人の功徳は、あの布施の功徳を超えるのです。

言彼命施者。獲福固無量矣。然若有人而得聞此經。信心不疑。則雖未行持。而所得福德。已超勝於彼矣。

> （仏は言われた。）「あの命を施す者は、確かに無量の福徳を得るでしょう。しかし、もしこの経典を聞いて、疑いの心なく信じる人がいるならば、たとえ実際に行じなくとも、その人の得る福徳は、すでにあの方々を超え勝っているのです。」

何況書寫受持讀誦。為人解說。

> ましてや、これを書き写し、心に守り、読み習い、他の人のために説き明かすことができれば、その功徳はなおさら大きいのです。

夫聞經生信。已勝身命布施。況復鈔寫持誦。又為人解說者乎。則其獲福之多。自不待言矣。

> この経典を聞いて信心を生じることは、すでに身命を投げ打って布施するよりも勝れています。ましてや、書き写し、暗唱し、さらに他人のために解説する者においてはなおさらです。その人が得る福徳の多さは、言うまでもありません。