大佛頂如來密因修證了義諸菩薩萬行首楞嚴經卷第九(一名中印度那蘭陀大道場經,於灌頂部錄出別行)
大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経 巻第九
唐天竺沙門般剌蜜帝譯
唐天竺沙門般剌蜜帝訳
「阿難!世間一切所修心人,不假禪那,無有智慧。但能執身不行婬慾,若行、若坐想念俱無,愛染不生無留欲界;是人應念身為梵侶,如是一類名梵眾天。欲習既除,離欲心現,於諸律儀愛樂隨順,是人應時能行梵德,如是一類名梵輔天。身心妙圓,威儀不缺,清淨禁戒加以明悟,是人應時能統梵眾為大梵王,如是一類名大梵天。阿難!此三勝流,一切苦惱所不能逼。雖非正修真三摩地,清淨心中諸漏不動,名為初禪。
阿難よ、世の中のすべての心を修める人々の中で、禅那(ぜんな)に頼らず、智慧を持たない者であっても、ただ身を律して婬欲(いんよく)を行わないならば、行くにも座するにも想念がなく、愛欲の汚れが生じなければ、欲界(よくかい)に留まることはない。このような人は、その思いに応じて梵(ぼん)の仲間となる。このような種類の人々を梵衆天(ぼんしゅてん)という。
婬欲の習いを既に除き、欲を離れる心が現れ、様々な戒律を喜んで守り従うならば、このような人は、その時に応じて梵の徳を実践することができる。このような種類の人々を梵輔天(ぼんほてん)という。
身も心も妙に円満で、威儀に欠けるところがなく、清らかな戒律を保ち、さらに明らかな悟りを加えるならば、このような人は、その時に応じて梵衆を統べる大梵王(だいぼんおう)となることができる。このような種類の人々を大梵天(だいぼんてん)という。
阿難よ、この三つの優れた流れは、一切の苦しみや悩みに迫られることがない。しかし、正しく真の三昧(さんまい)を修めるものではないが、清らかな心の中では、もろもろの煩悩が動くことがない。これを初禅(しょぜん)と名付ける。
「阿難!其次梵天,統攝梵人圓滿梵行,澄心不動寂湛生光,如是一類名少光天。光光相然,照耀無盡,映十方界遍成瑠璃,如是一類名無量光天。吸持圓光,成就教體,發化清淨,應用無盡,如是一類名光音天。阿難!此三勝流,一切憂懸所不能逼。雖非正修真三摩地,清淨心中麁漏已伏,名為二禪。
「阿難よ。次に梵天があり、梵の衆生を統べ導いて梵行を圆满させ、心を澄ませて動かず、静かに湛えて光を生じる。このような類を少光天という。光と光とが相照らし、照らすこと限りなく、十方の世界を映し出して全て瑠璃のようになる。このような類を無量光天という。円満な光を受け持ち、教えの体を成就し、清らかな教化を発し、その働きは尽きることがない。このような類を光音天という。阿難よ。これらの三つの優れた流れは、一切の憂いや苦しみが迫ることができない。正しい修行による真の三摩地ではないが、清らかな心の中では粗い煩悩はすでに抑えられており、これを二禅という。」
「阿難!如是天人,圓光成音,披音露妙,發成精行,通寂滅樂,如是一類名少淨天。淨空現前,引發無際,身心輕安,成寂滅樂,如是一類名無量淨天。世界身心一切圓淨,淨德成就,勝託現前,歸寂滅樂,如是一類名遍淨天。阿難!此三勝流,具大隨順,身心安隱得無量樂。雖非正得真三摩地,安隱心中歡喜畢具,名為三禪。
阿難よ、これらの天人たちは、円満な光が音となり、その音によって妙なる理を現し、精妙な行いを起こして、寂滅の楽に通じる。このような者たちを少浄天と名づける。清らかな境地が目前に現れ、限りなく広がり、身心は軽やかに安らぎ、寂滅の楽を成就する。このような者たちを無量浄天と名づける。世界も身心もすべてが円満に清らかで、清らかな徳が成就し、殊勝な依処が現前して、寂滅の楽に帰する。このような者たちを遍浄天と名づける。阿難よ、この三つの勝れた流れは、大いなる随順を具え、身心は安らかで、無量の楽を得る。真の三摩地を正しく得たわけではないが、安らかな心のうちに歓喜が満ち溢れている。これを三禅と名づける。
「阿難!復次,天人不逼身心,苦因已盡;樂非常住,久必壞生,苦樂二心俱時頓捨。麁重相滅,淨福性生,如是一類名福生天。捨心圓融,勝解清淨,福無遮中得妙隨順,窮未來際,如是一類名福愛天。阿難!從是天中有二歧路:若於先心,無量淨光福德圓明修證而住,如是一類名廣果天。若於先心,雙厭苦樂,精研捨心相續不斷,圓窮捨道身心俱滅,心慮灰凝經五百劫;是人既以生滅為因,不能發明不生滅性,初半劫滅,後半劫生,如是一類名無想天。阿難!此四勝流,一切世間諸苦樂境所不能動。雖非無為真不動地,有所得心功用純熟,名為四禪。
「阿難よ。また、天人たちは身心に苦しみを受けることがなく、苦しみの原因はすでに尽きています。しかし楽しみも永遠に続くものではなく、長く続けば必ず壊れが生じます。ここで苦しみと楽しみの二つの心を同時にすべて捨て去ります。重く覆いかぶさっていた苦しみの想いが消え去り、清らかな福徳の性質が生まれます。このような種類の者たちを福生天と言います。
このように捨てる心が円熟して融け合い、優れた理解は清らかになり、福徳に覆い尽くされることなく、その中で素晴らしい自在の境地を得て、未来の際限なく続きます。このような種類の者たちを福愛天と言います。
阿難よ。この天の中から二つの分かれ道があります。もし先ほどの心によって、限りない清らかな光と福徳が円満に明らかになり、その境地を修めて保つならば、このような種類の者たちを広果天と言います。
もし先ほどの心によって、苦しみと楽しみの両方を厭い離れ、捨てる心を精しく研き続けて絶え間なくし、捨てる道を究め尽くして身心がともに滅び、心の働きは灰のごとく凝固して五百劫の間続きます。この人は生滅をよりどころとしているがゆえに、不生不滅の本性を発見することができません。前半の劫で滅し、後半の劫で再び生じます。このような種類の者たちを無想天と言います。
阿難よ。この四つの優れた境地は、一切の世間の苦しみや楽しみの境遇によって動かされることはありません。しかし無為の真の不動地ではありません。得るという心を持ちながらも、その働きが熟達していることから、これを四禅と呼びます。」
「阿難!此中復有五不還天。於下界中九品習氣,俱時滅盡,苦樂雙亡;下無卜居,故於捨心眾同分中,安立居處。阿難!苦樂兩滅,鬪心不交,如是一類名無煩天。機括獨行,研交無地,如是一類名無熱天。十方世界妙見圓澄,更無塵象一切沈垢,如是一類名善見天。精見現前,陶鑄無礙,如是一類名善現天。究竟群幾,窮色性性入無邊際,如是一類名色究竟天。
阿難よ、ここにさらに五つの不還天がある。下界における九品の習気は、すべて同時に尽き果て、苦しみも楽しみもともに消え去る。下には滞在すべき場所がないため、捨受の心を持つ者たちの共通の境涯の中に、住む場所を定めるのである。
阿難よ、苦しみと楽しみの両方が消え去り、闘争心がもはや交わることがない。このような種類の者たちを無煩天と名づける。
機制が単独で働き、煩悩の交わりを究めても、その場所を見出すことがない。このような種類の者たちを無熱天と名づける。
十方の世界を微妙な智慧で明らかに見通し、完全に澄み切っており、もはや塵のような現象も、深い汚れも存在しない。このような種類の者たちを善見天と名づける。
精妙な見解が目の前に現れ、完全に自由自在で、何の妨げもない。このような種類の者たちを善現天と名づける。
あらゆる微細なものを究め尽くし、色そのものの本質を極め尽くして、果てしない境界に入る。このような種類の者たちを色究竟天と名づける。
「阿難!此不還天,彼諸四禪四位天王獨有欽聞,不能知見。如今世間曠野深山聖道場地,皆阿羅漢所住持故,世間麁人所不能見。阿難!是十八天獨行無交,未盡形累。自此已還名為色界。
「阿難よ、これらの不還天は、その上の四禅天の四位の天王たちでさえ、ただその名を敬って聞くだけで、実際に見たり知ったりすることはできません。ちょうどこの世の果てしない野原や深い山の中にある聖人の修行の場が、すべて阿羅漢たちによって守られているため、普通の粗い心の人間には見えないのと同じです。阿難よ、この十八の天は、孤独にあり、交わりがなく、まだ肉体の束縛から完全には解放されていません。この天より下を、色界と呼びます。」
「復次,阿難!從是有頂色邊際中,其間復有二種歧路:若於捨心發明智慧,慧光圓通便出塵界,成阿羅漢,入菩薩乘,如是一類名為迴心大阿羅漢。若在捨心捨厭成就,覺身為礙,銷礙入空,如是一類名為空處。諸礙既銷,無礙無滅,其中唯留阿賴耶識,全於末那半分微細,如是一類名為識處。空色既亡,識心都滅,十方寂然逈無攸往,如是一類名無所有處。識性不動,以滅窮研,於無盡中發宣盡性,如存不存,若盡非盡,如是一類名為非想非非想處。此等窮空,不盡空理。從不還天聖道窮者,如是一類名不迴心鈍阿羅漢。若從無想諸外道天窮空不歸,迷漏無聞,便入輪轉。
さらに、阿難よ。この有頂天の色界の果てから、その間にまた二つの歧路がある。もし捨心において智慧を発明し、慧光が円通すれば、塵界を出て阿羅漢となり、菩薩乗に入る。このような種類を回心大阿羅漢という。もし捨心において捨て厭うことを成就し、身を障礙と覚り、障礙を消して空に入る。このような種類を空処という。諸々の障礙がすでに消え、障礙なく滅することもなく、その中にただ阿頼耶識だけを残し、末那の半分の微細を全く保つ。このような種類を識処という。空と色がすでに亡び、識心もすべて滅し、十方が寂然として、どこにも行くところがない。このような種類を無所有処という。識性は動かず、滅によって極め究め、尽きることのない中で尽きる性を発し宣べる。存在するようで存在せず、尽きるようで尽きない。このような種類を非想非非想処という。これらの者は空を窮めるが、空の理を尽くさない。不還天から聖道を窮める者は、このような種類を不迴心鈍阿羅漢という。もし無想の諸外道天から空を窮めて帰らず、漏に迷い聞くことがなければ、輪転に入る。
「阿難!是諸天上各各天人,則是凡夫業果酬答,答盡入輪。彼之天王,即是菩薩遊三摩提,漸次增進,迴向聖倫所修行路。阿難!是四空天身心滅盡,定性現前,無業果色,從此逮終,名無色界。此皆不了妙覺明心,積妄發生,妄有三界,中間妄隨七趣沈溺。補特伽羅,各從其類。
「アーナンダよ、これらの天界にはそれぞれ天人たちがいるが、彼らは凡夫の業の報いによるものであり、報いが尽きれば再び輪廻に入る。その天界の王たちは、実は菩薩が三摩提(さんまだい)を遊戯し、徐々に修行を深め、聖者の道へと向かって歩む途中の姿である。アーナンダよ、この四つの空天(くうてん)では心身の働きが完全に滅し、静かな境地が現れ、業による身体の苦しみはない。しかし、これから後に至るまで、これを無色界と呼ぶ。これらはすべて、妙なる悟りの心を理解できず、迷いの思いが重なり合って生じたものであり、迷いによって三界が仮に現れ、その中で衆生は七つの趣(しゅ)に沈み漂うのである。仏教の修行者たちは、それぞれ自分の業に応じた境遇に従っているのだ。
「復次,阿難!是三界中,復有四種阿修羅類:若於鬼道,以護法力成通入空,此阿修羅從卵而生,鬼趣所攝。若於天中降德貶墜,其所卜居隣於日月,此阿修羅從胎而出,人趣所攝。有修羅王執持世界,力洞無畏,能與梵王及天帝釋、四天爭權,此阿修羅因變化有,天趣所攝。阿難!別有一分下劣修羅,生大海心,沈水穴口,旦遊虛空,暮歸水宿,此阿修羅因濕氣有,畜生趣攝。
また、阿難よ。この三界の中には、さらに四種類の阿修羅がいる。ある者は鬼道において、法を護る力によって神通を得て空を飛び回る。この阿修羅は卵から生まれ、鬼道に属する。ある者は天界において徳を失って堕落し、その住まいは日月の近くにある。この阿修羅は胎から生まれ、人道に属する。ある阿修羅の王は世界を支え、その力は甚だ強く、梵王や帝釈天、四天王と権勢を争うことができる。この阿修羅は変化によって現れ、天道に属する。阿難よ。また別に、劣った阿修羅がいて、大海の底に生まれ、水中の穴に住み、朝には虚空を遊び、夕べには水に帰って眠る。この阿修羅は湿気から生まれ、畜生道に属する。
「阿難!如是地獄、餓鬼、畜生、人及神仙、天洎修羅,精研七趣,皆是昏沈諸有為想。妄想受生,妄想隨業,於妙圓明無作本心,皆如空花,元無所有。但一虛妄,更無根緒。阿難!此等眾生不識本心,受此輪迴,經無量劫不得真淨。皆由隨順殺、盜、婬故;反此三種,又則出生無殺、盜、婬。有名鬼倫,無名天趣,有無相傾,起輪迴性。若得妙發三摩提者,則妙常寂。有、無二無,無二亦滅,尚無不殺、不偷、不婬,云何更隨殺、盜、婬事?阿難!不斷三業,各各有私,因各各私,眾私同分非無定處。自妄發生,生妄無因,無可尋究。汝勗修行,欲得菩提,要除三惑。不盡三惑,縱得神通,皆是世間有為功用,習氣不滅,落於魔道。雖欲除妄,倍加虛偽,如來說為可哀憐者。汝妄自造,非菩提咎。作是說者,名為正說;若他說者,即魔王說。」
「アーナンダよ。この地獄・餓鬼・畜生・人・神仙・天・修羅の七つの趣(生存の領域)を詳しく見ると、それらはすべて、迷いによる暗い心がつくり出したものなのです。妄想によって生を受け、妄想によって業に従う。本来の妙なる円明な心、作意のない本心から見れば、これらはすべて空に浮かぶ花のようなもので、もともと実体はありません。ただの虚妄であり、根本的な実体などないのです。
アーナンダよ。これらの衆生は本来の心を知らずに、この輪廻を受け、無量の劫(長い時間)を経ても、真の清らかさを得ることができません。それはすべて、殺生・盗み・淫欲に従うからです。しかし、この三つを離れると、また「殺さない・盗まない・淫しない」という執着が生まれます。これらに執着する者は鬼道に落ち、執着を離れる者は天界に生まれます。有ると無しとが互いに争い、輪廻の性質を起こすのです。
もしこの妙なる三昧(サマーディ)を発現するならば、妙にして常に寂滅した境地を得ます。有も無し、無も無し、そして「有も無し無も無し」ということもまた滅するのです。ましてや「殺さない・盗まない・淫しない」という執着すらもないのですから、どうして殺・盗・淫の行為に従うことがありましょうか。
アーナンダよ。この三つの業を断たなければ、それぞれに私的な執着があります。その私的な執着ゆえに、多くのものに共通する結果もありますが、それは必ずしも定まった場所があるわけではありません。すべては自己の妄想から生じるのです。しかし、その妄の生じる原因はなく、どこまでも探究することはできません。
あなたは修行に励み、菩提(悟り)を得たいと望むならば、三つの惑(殺・盗・淫の迷い)を除かなければなりません。この三惑を尽くさなければ、たとえ神通力を得ても、それはすべて世間の有為な働きであり、習気(習慣的な迷いの力)が消えないので、魔道に落ちてしまいます。 妄を除こうとしても、かえって偽りを増すことになるのです。 このような者を、如来は「哀れむべき者」と説かれます。あなたの迷いは自分自身がつくったものであり、菩提の罪ではありません。このように説くのが正しい説法であり、もしこれと異なる説があれば、それは魔王の説であるのです。」
即時如來將罷法座,於師子床攬七寶机,迴紫金山,再來凭倚,普告大眾及阿難言:「汝等有學緣覺、聲聞,今日迴心趣大菩提無上妙覺,吾今已說真修行法。汝猶未識修奢摩他、毘婆舍那微細魔事;魔境現前,汝不能識,洗心非正,落於邪見。或汝陰魔,或復天魔,或著鬼神,或遭魑魅;心中不明,認賊為子。又復於中得少為足,如第四禪無聞比丘妄言證聖,天報已畢衰相現前,謗阿羅漢身遭後有,墮阿鼻獄。汝應諦聽!吾今為汝子細分別。」阿難起立,并其會中同有學者,歡喜頂禮,伏聽慈誨。
その時、如来はまさに法座を離れようとされ、獅子の座より七宝の机を取り、紫金山のようなお身体をめぐらして、再び寄りかかられ、すべての大衆と阿難に告げられました。「あなたがた有学の縁覚・声聞たちよ。今日、心を転じて大菩提の無上妙覚を求めるようになった。私はすでに真の修行の法を説いた。しかし、あなたがたはまだ奢摩他(しゃまた)や毘婆舍那(びばしゃな)の微細な魔事を識別していない。魔の境が目前に現れても、あなたがたはそれを識別できず、心を清めようとしても正しくなく、邪見に落ちてしまうだろう。あるいはあなたがた自身の陰魔であることもあり、あるいは天魔であり、鬼神に執着することもあり、魑魅(ちみ)に遭うこともある。心の中が明らかでないため、賊を自分の子と見なしてしまうのだ。また、その中で少し得れば十分とし、第四禅の無聞比丘のように、誤って聖果を得たと宣言しながら、天の報いが終わり衰相が現れると、阿羅漢を誹謗し、身は後有を受け、阿鼻地獄に堕ちるような者もいるであろう。あなたがたはよく聞きなさい。私は今、あなたがたのために細かく説明しよう。」
阿難は立ち上がり、会の中の同様に有学の者たちと共に、歓喜して頂礼し、伏して慈しみの教えを聞いた。
佛告阿難及諸大眾:「汝等當知有漏世界十二類生,本覺妙明覺圓心體,與十方佛無二無別。由汝妄想迷理為咎,癡愛發生,生發遍迷,故有空性;化迷不息,有世界生。則此十方微塵國土,非無漏者,皆是迷頑妄想安立。當知虛空生汝心內,猶如片雲點太清裏。況諸世界在虛空耶?汝等一人發真歸元,此十方空皆悉銷殞;云何空中所有國土而不振裂?汝輩修禪飾三摩地,十方菩薩及諸無漏大阿羅漢心精通㳷,當處湛然。一切魔王及與鬼神、諸凡夫天,見其宮殿無故崩裂,大地振坼;水陸飛騰,無不驚慴。凡夫昏暗,不覺遷訛。彼等咸得五種神通,唯除漏盡,戀此塵勞,如何令汝摧裂其處?是故神鬼及諸天魔、魍魎、妖精,於三昧時僉來惱汝。
仏は阿難および大いなる大衆に告げられた。「あなたがたは知るべきである。漏ある世界の十二類の生けるものたちは、その本覚の妙明なる覚り、円満した心の本体においては、十方の諸仏と少しも変わりなく、同じものである。しかし、あなたがたの妄想が真理を迷い、それが過ちとなる。愚痴と愛執が起こり、迷いが生じて遍く広がり、それゆえに空の性質が現れる。この迷いの変化が絶えることなく続くことによって、世界が生じるのである。それゆえ、この十方の微塵のごとき国々も、煩悩のままのものはすべて、迷い固まった妄想によって立てられたものである。
知るがよい。虚空はあなたがたの心の内に生じるものであり、それはちょうど広大な晴れ空に浮かぶ一片の雲のようなものである。ましてや、諸々の世界が虚空の内にあるとは、なおさらのことではないか。
あなたがたの中の一人でも、真実に目覚めて本来の心に帰ることがあれば、この十方の虚空はすべて消え去るであろう。どうして虚空の中にある国土が、揺れ裂けないことがあろうか。
あなたがたが禅を修行し、三昧を成就させれば、十方の菩薩や煩悩を尽くした大阿羅漢たちは、心が互いに通じ合い、その場で清らかに澄み切った状態になるであろう。すると、すべての魔王や鬼神、凡夫の天人たちは、自分の宮殿が理由もなく崩れ裂き、大地が揺れ砕けるのを見るであろう。水に住むもの、陸に住むもの、空を飛ぶものたちは、すべて驚き恐れるであろう。
凡夫は暗くて、この変化に気づくことはない。しかし、それらの魔王や鬼神たちは、五種の神通力を得ている。ただ漏尽通だけは得ていない。彼らはこの煩悩の世界に執着しているので、どうしてあなたがたにその住処を壊されることを許すであろうか。
それゆえに、鬼神や天魔、魍魎、妖精たちは、あなたがたが三昧に入ろうとするとき、皆で集まってきてあなたがたを悩ませるのである。」
「然彼諸魔雖有大怒,彼塵勞內,汝妙覺中,如風吹光,如刀斷水,了不相觸。汝如沸湯,彼如堅氷,煖氣漸隣,不日銷殞。徒恃神力,但為其客;成就破亂,由汝心中五陰主人。主人若迷,客得其便。當處禪那覺悟無惑,則彼魔事無奈汝何。陰銷入明,則彼群邪咸受幽氣。明能破暗,近自銷殞,如何敢留擾亂禪定?若不明悟被陰所迷,則汝阿難必為魔子,成就魔人。如摩登伽,殊為眇劣,彼雖呪汝破佛律儀,八萬行中秖毀一戒,心清淨故尚未淪溺。此乃隳汝寶覺全身,如宰臣家忽逢籍沒,宛轉零落,無可哀救。
しかし、彼の諸々の魔どもがどれほど大きな怒りを抱こうとも、その煩悩の内側は、あなたの妙覚の中にあっては、風が光を吹くがごとく、刀で水を断つがごとく、全く触れ合うことはありません。あなたは沸き立つ湯のようであり、彼らは堅い氷のようなもの。温かい気が次第に近づけば、氷は長くは保たずに溶け去ってしまいます。彼らはただ神力を頼みにしているだけであり、結局は客人に過ぎません。破壊や乱れが成就するかどうかは、あなたの心の中の五陰(ごおん)という主人次第なのです。主人が迷ってしまえば、客人がその隙に乗るでしょう。まさにその場で禅那(ぜんな)の悟りにおいて惑いがなければ、魔の働きはあなたに対して何もできません。五陰が消えて光明に入れば、それらの邪な者たちはすべて闇の気を受けることになります。光明は闇を破ることができ、近づけば自然と消え去るのです。どうして留まって禅定を乱すことができましょうか。もし悟らずに五陰に迷わされれば、あなた阿難は必ず魔の子となり、魔人となってしまうでしょう。摩登伽(まとうが)のような者は、実に小さく劣った存在です。彼女は呪いであなたの仏の戒律を破らせようとしましたが、八万の行の中のただ一つの戒を毀ったに過ぎません。心が清らかであったので、まだ溺れ沈むには至らなかったのです。しかしこれはあなたの宝の覚りという全身を壊すものであり、あたかも大臣の家が突然財産を没収されるようなもの。転々と落ちぶれてしまい、救いを求めることもできないのです。
「阿難當知,汝坐道場銷落諸念,其念若盡,則諸離念一切精明,動靜不移,憶忘如一。當住此處入三摩提,如明目人處大幽暗,精性妙淨心未發光;此則名為色陰區宇。若目明朗,十方洞開無復幽黯,名色陰盡,是人則能超越劫濁。觀其所由,堅固妄想以為其本。
阿難よ、知るがよい。おまえが道場に坐して、あらゆる念を消し去るとき、その念がすべて尽きれば、念を離れたすべてのものは精明となり、動いても静かでも揺るぐことなく、憶えていることも忘れていることも一つとなる。この境地に留まって三摩提に入るならば、それは目の見える人が深い暗闇の中にいるようなもので、精妙で清らかな心ながら、まだ光明を発してはいない。これを色陰の領域と名づける。もし眼が明るく澄みわたり、十方が開け渡って暗闇がなくなれば、これを色陰が尽きたという。この人は劫濁を超越することができる。その由来を観察すれば、堅固な妄想がその根本である。
「阿難!當在此中精研妙明,四大不織,少選之間身能出礙。此名精明流溢前境,斯但功用暫得如是,非為聖證。不作聖心,名善境界;若作聖解,即受群邪。
「阿難よ、この境地において、微細にこの妙なる明を究めるとき、四大が織りなすこともなく、しばらくの間に身体が障りを離れて出ることができる。これを名づけて、精妙なる明が前方の境に溢れ流れ出るという。これはただの一時的な働きであり、得られたに過ぎず、聖者の悟りではない。聖者の心を立てなければ、これを善き境地という。もし聖者の悟りとして解すれば、たちまち諸々の邪悪に陥ることになる。」
「阿難!復以此心精研妙明,其身內徹,是人忽然於其身內拾出蟯蛔,身相宛然亦無傷毀。此名精明流溢形體,斯但精行暫得如是,非為聖證。不作聖心,名善境界;若作聖解,即受群邪。
「アーナンダよ、さらにこの心を精進して探究し、微妙な光明を極めるならば、その人の身体の内側は透き通り、ふとその身内から蟯虫や回虫を取り出すことがある。しかし、体の形はそのままで、傷つくことも損なわれることもない。これを『精明の流れが形体的な体に溢れ出た状態』という。これはただ精進の行により、一時的にそうなるだけであり、聖なる境地としての証得ではない。聖なる心としてとらえなければ、これは良い境地である。もし聖なる境地であると理解するならば、さまざまな邪悪なものに惑わされることになるであろう。」
「又以此心內外精研,其時魂魄、意志、精神,除執受身,餘皆涉入,互為賓主;忽於空中聞說法聲,或聞十方同敷密義。此名精魄遞相離合成就善種,暫得如是,非為聖證。不作聖心,名善境界;若作聖解,即受群邪。
また、この心をもって内外を精(くわ)しく研(みが)き究(きわ)めると、その時、魂魄(こんぱく)や意志・精神が、身体への執着を除いて、すべて互いに入り交じり、互いに主となり客となります。すると突然、虚空の中で説法の声を聞いたり、十方(じっぽう)から同時に密(みつ)なる義(ぎ)が説かれるのを聞くことがあります。これは精魂(せいこん)と魄(はく)が互いに離れたり合わさったりして、善い種(しゅ)を成就させたもので、一時的にこのような状態になるのであって、聖なる境地の証(あかし)ではありません。聖なる心としないならば、それは良い境界(きょうがい)といえます。しかし、もし聖なる境地だと解釈するならば、あらゆる邪(よこしま)なものに影響されてしまうでしょう。
「又以此心澄露皎徹,內光發明,十方遍作閻浮檀色,一切種類化為如來。于時忽見毘盧遮那踞天光臺,千佛圍繞,百億國土及與蓮華俱時出現。此名心魂靈悟所染,心光研明照諸世界,暫得如是,非為聖證。不作聖心,名善境界;若作聖解,即受群邪。
また、この心が澄み渡り、露のように清らかに透き徹ると、内なる光が現れ輝き、十方の世界がすべて閻浮檀金の色に変わります。そして、あらゆる種類のものがすべて如来の姿となります。このとき、忽然と毘盧遮那仏が天光の台座に座し、千の仏が周囲を取り囲み、百億の国土と蓮華が同時に現れるのを見ます。これは、心と魂が霊妙な悟りに染まり、心の光が研ぎ澄まされて諸々の世界を照らし出すために、一時的にこのような姿を現すものです。しかし、これは聖なる悟りとは言えません。これを聖なる心とせずに受け流せば、良い境地と呼べます。もしこれを聖なる悟りと解釈すれば、様々な邪悪なものに惑わされることになります。
「又以此心精研妙明,觀察不停,抑按降伏制止超越,於時忽然十方虛空成七寶色、或百寶色,同時遍滿不相留礙,青、黃、赤、白各各純現。此名抑按功力踰分,暫得如是,非為聖證。不作聖心,名善境界;若作聖解,即受群邪。
「又以此心研究澄徹,精光不亂,忽於夜合在暗室內,見種種物不殊白晝,而暗室物亦不除滅。此名心細密澄其見,所視洞幽,暫得如是,非為聖證。不作聖心,名善境界;若作聖解,即受群邪。
「又以此心圓入虛融,四𨈛忽然同於草木,火燒、刀斫曾無所覺。又則火光不能燒爇,縱割其肉猶如削木。此名塵併排四大性一向入純,暫得如是,非為聖證。不作聖心,名善境界;若作聖解,即受群邪。
「又以此心成就清淨,淨心功極,忽見大地十方山河皆成佛國,具足七寶光明遍滿。又見恒沙諸佛如來,遍滿空界,樓殿華麗。下見地獄、上觀天宮,得無障礙。此名欣厭凝想日深,想久化成,非為聖證。不作聖心,名善境界;若作聖解,即受群邪。
「又以此心研究深遠,忽於中夜遙見遠方市井街巷,親族眷屬,或聞其語。此名迫心逼極飛出,故多隔見,非為聖證。不作聖心,名善境界;若作聖解,即受群邪。
「又以此心研究精極,見善知識形體變移,少選無端種種遷改。此名邪心含受魑魅,或遭天魔入其心腹,無端說法,通達妙義,非為聖證。不作聖心,魔事銷歇;若作聖解,即受群邪。
「阿難!如是十種禪那現境,皆是色陰用心交互,故現斯事。眾生頑迷,不自忖量,逢此因緣,迷不自識,謂言登聖。大妄語成,墮無間獄。汝等當依如來滅後,於末法中宣示斯義;無令天魔得其方便,保持覆護,成無上道。
「阿難!彼善男子修三摩提,奢摩他中色陰盡者,見諸佛心,如明鏡中顯現其像。若有所得而未能用,猶如魘人,手足宛然,見聞不惑,心觸客邪而不能動;此則名為受陰區宇。若魘咎歇,其心離身,返觀其面,去住自由,無復留礙,名受陰盡,是人則能超越見濁。觀其所由,虛明妄想以為其本。
「阿難!彼善男子,當在此中得大光耀,其心發明內抑過分,忽於其處發無窮悲。如是乃至觀見蚊虻猶如赤子,心生憐愍,不覺流淚。此名功用抑摧過越,悟則無咎,非為聖證;覺了不迷,久自銷歇。若作聖解,則有悲魔入其心府,見人則悲,啼泣無限,失於正受,當從淪墜。
「阿難!又彼定中諸善男子,見色陰銷、受陰明白,勝相現前,感激過分,忽於其中生無限勇。其心猛利,志齊諸佛,謂三僧祇一念能越。此名功用凌率過越,悟則無咎,非為聖證;覺了不迷,久自銷歇。若作聖解,則有狂魔入其心腑,見人則誇,我慢無比。其心乃至上不見佛,下不見人,失於正受,當從淪墜。
「又彼定中諸善男子,見色陰銷、受陰明白,前無新證,歸失故居。智力衰微,入中墮地,逈無所見。心中忽然生大枯渴,於一切時沈憶不散,將此以為勤精進相。此名修心無慧自失,悟則無咎,非為聖證。若作聖解,則有憶魔入其心腑,旦夕撮心懸在一處,失於正受,當從淪墜。
「又彼定中諸善男子,見色陰銷、受陰明白,慧力過定,失於猛利,以諸勝性懷於心中,自心已疑是盧舍那,得少為足。此名用心亡失恒審溺於知見,悟則無咎,非為聖證。若作聖解,則有下劣易知足魔入其心腑,見人自言:『我得無上第一義諦。』失於正受,當從淪墜。
「又彼定中諸善男子,見色陰銷、受陰明白,新證未獲,故心已亡,歷覽二際自生艱險,於心忽然生無盡憂,如坐鐵床,如飲毒藥,心不欲活,常求於人令害其命,早取解脫。此名修行失於方便,悟則無咎,非為聖證。若作聖解,則有一分常憂愁魔入其心腑,手執刀劍自割其肉,欣其捨壽。或常憂愁,走入山林,不耐見人。失於正受,當從淪墜。
「又彼定中諸善男子,見色陰銷、受陰明白,處清淨中心安隱後,忽然自有無限喜生,心中歡悅不能自止。此名輕安無慧自禁,悟則無咎,非為聖證。若作聖解,則有一分好喜樂魔入其心腑,見人則笑。於衢路傍自歌自舞,自謂已得無礙解脫。失於正受,當從淪墜。
「又彼定中諸善男子,見色陰銷,受陰明白,自謂已足,忽有無端大我慢起。如是乃至慢與過慢,及慢過慢,或增上慢,或卑劣慢,一時俱發。心中尚輕十方如來,何況下位聲聞、緣覺。此名見勝無慧自救,悟則無咎,非為聖證。若作聖解,則有一分大我慢魔入其心腑,不禮塔廟,摧毀經像。謂檀越言:『此是金、銅、或是土、木,經是樹葉、或是疊花。肉身真常,不自恭敬;却崇土木,實為顛倒。』其深信者,從其毀碎埋棄地中,疑誤眾生,入無間獄。失於正受,當從淪墜。
「又彼定中諸善男子,見色陰銷、受陰明白,於精明中圓悟精理,得大隨順,其心忽生無量輕安,己言成聖得大自在。此名因慧獲諸輕清,悟則無咎,非為聖證。若作聖解,則有一分好輕清魔入其心腑,自謂滿足,更不求進。此等多作無聞比丘,疑誤眾生,墮阿鼻獄。失於正受,當從淪墜。
「又彼定中諸善男子,見色陰銷、受陰明白,於明悟中得虛明性,其中忽然歸向永滅,撥無因果,一向入空。空心現前,乃至心生長斷滅解。悟則無咎,非為聖證。若作聖解,則有空魔入其心腑,乃謗持戒名為小乘,菩薩悟空有何持犯!其人常於信心檀越,飲酒、噉肉,廣行婬穢。因魔力故,攝其前人不生疑謗。鬼心久入,或食屎尿與酒肉等,一種俱空。破佛律儀,誤入人罪。失於正受,當從淪墜。
「又彼定中諸善男子,見色陰銷、受陰明白,味其虛明深入心骨,其心忽有無限愛生,愛極發狂,便為貪欲。此名定境安順入心,無慧自持,誤入諸欲;悟則無咎,非為聖證。若作聖解,則有欲魔入其心腑,一向說欲為菩提道,化諸白衣平等行欲,其行婬者名持法子。神鬼力故,於末世中攝其凡愚,其數至百,如是乃至一百、二百或五六百,多滿千萬。魔心生厭,離其身體,威德既無,陷於王難;疑誤眾生,入無間獄。失於正受,當從淪墜。
「阿難!如是十種禪那現境,皆是受陰用心交互,故現斯事。眾生頑迷,不自忖量,逢此因緣,迷不自識,謂言登聖;大妄語成,墮無間獄。汝等亦當將如來語,於我滅後傳示末法,遍令眾生開悟斯義。無令天魔得其方便,保持覆護,成無上道。
「阿難!彼善男子修三摩提受陰盡者,雖未漏盡,心離其形,如鳥出籠;已能成就從是凡身、上歷菩薩六十聖位,得意生身隨往無礙。譬如有人熟寐寱言,是人雖則無別所知,其言已成音韻倫次,令不寐者咸悟其語。此則名為想陰區宇。若動念盡,浮想銷除,於覺明心如去塵垢;一倫死生首尾圓照,名想陰盡,是人則能超煩惱濁。觀其所由,融通妄想以為其本。
「阿難!彼善男子受陰虛妙,不遭邪慮,圓定發明;三摩地中心愛圓明,銳其精思,貪求善巧。爾時,天魔候得其便,飛精附人,口說經法。其人不覺是其魔著,自言謂得無上涅槃。來彼求巧善男子處,敷座說法。其形斯須或作比丘令彼人見,或為帝釋,或為婦女,或比丘尼;或寢暗室,身有光明。是人愚迷,惑為菩薩。信其教化,搖蕩其心,破佛律儀,潛行貪欲。口中好言災祥變異,或言如來某處出世,或言劫火、或說刀兵,恐怖於人,令其家資無故耗散。此名怪鬼,年老成魔,惱亂是人。厭足心生,去彼人體;弟子與師俱陷王難。汝當先覺,不入輪迴;迷惑不知,墮無間獄。
「阿難!又善男子受陰虛妙,不遭邪慮,圓定發明;三摩地中心愛遊蕩,飛其精思,貪求經歷。爾時,天魔候得其便,飛精附人,口說經法。其人亦不覺知魔著,亦言自得無上涅槃。來彼求遊善男子處,敷座說法。自形無變,其聽法者、忽自見身坐寶蓮華,全體化成紫金光聚。一眾聽人,各各如是,得未曾有。是人愚迷,惑為菩薩,婬逸其心,破佛律儀,潛行貪欲。口中好言諸佛應世,某處某人當是某佛化身來此,某人即是某菩薩等來化人間。其人見故、心生傾渴,邪見密興,種智銷滅。此名魃鬼,年老成魔,惱亂是人。厭足心生,去彼人體;弟子與師俱陷王難。汝當先覺,不入輪迴;迷惑不知,墮無間獄。
「又善男子受陰虛妙,不遭邪慮,圓定發明;三摩地中心愛綿㳷,澄其精思,貪求契合。爾時,天魔候得其便,飛精附人,口說經法。其人實不覺知魔著,亦言自得無上涅槃。來彼求合善男子處,敷座說法。其形及彼聽法之人,外無遷變,令其聽者,未聞法前心自開悟。念念移易,或得宿命、或有他心、或見地獄、或知人間好惡諸事,或口說偈、或自誦經。各各歡喜,得未曾有。是人愚迷,惑為菩薩。綿愛其心,破佛律儀,潛行貪欲。口中好言佛有大小,某佛先佛,某佛後佛,其中亦有真佛、假佛、男佛、女佛,菩薩亦然。其人見故,洗滌本心,易入邪悟。此名魅鬼,年老成魔,惱亂是人。厭足心生,去彼人體;弟子與師,俱陷王難。汝當先覺,不入輪迴;迷惑不知,墮無間獄。
「又善男子受陰虛妙,不遭邪慮,圓定發明;三摩地中心愛根本,窮覽物化性之終始,精爽其心,貪求辯析。爾時,天魔候得其便,飛精附人,口說經法。其人先不覺知魔著,亦言自得無上涅槃。來彼求元善男子處,敷座說法。身有威神摧伏求者,令其座下雖未聞法自然心伏。是諸人等,將佛涅槃、菩提、法身,即是現前我肉身上。父父子子遞代相生,即是法身常住不絕。都指現在即為佛國,無別淨居及金色相。其人信受,忘失先心,身命歸依,得未曾有。是等愚迷,惑為菩薩。推究其心,破佛律儀,潛行貪欲,口中好言眼、耳、鼻、舌皆為淨土,男女二根即是菩提涅槃真處。彼無知者,信是穢言。此名蠱毒魘勝惡鬼,年老成魔,惱亂是人。厭足心生,去彼人體;弟子與師,俱陷王難。汝當先覺,不入輪迴;迷惑不知,墮無間獄。
「又善男子受陰虛妙,不遭邪慮,圓定發明;三摩地中心愛懸應,周流精研,貪求冥感。爾時,天魔候得其便,飛精附人,口說經法。其人元不覺知魔著,亦言自得無上涅槃。來彼求應善男子處,敷座說法。能令聽眾,暫見其身如百千歲,心生愛染,不能捨離。身為奴僕,四事供養不覺疲勞。各各令其座下人心,知是先師本善知識。別生法愛,粘如膠漆,得未曾有。是人愚迷,惑為菩薩。親近其心,破佛律儀,潛行貪欲。口中好言:『我於前世、於某生中先度某人,當時是我妻妾兄弟,今來相度;與汝相隨歸某世界,供養某佛。』或言:『別有大光明天,佛於中住,一切如來所休居地。』彼無知者,信是虛誑,遺失本心。此名厲鬼,年老成魔,惱亂是人。厭足心生,去彼人體;弟子與師,俱陷王難。汝當先覺,不入輪迴;迷惑不知,墮無間獄。
「又善男子受陰虛妙,不遭邪慮,圓定發明;三摩地中心愛深入,克己辛勤,樂處陰寂,貪求靜謐。爾時,天魔候得其便,飛精附人,口說經法。其人本不覺知魔著,亦言自得無上涅槃。來彼求陰善男子處,敷座說法。令其聽人各知本業;或於其處語一人言:『汝今未死已作畜生。』勅使一人於後踏尾,頓令其人起不能得。於是一眾傾心欽伏。有人起心,已知其肇。佛律儀外,重加精苦。誹謗比丘,罵詈徒眾,訐露人事,不避譏嫌。口中好言未然禍福,及至其時,毫髮無失。此大力鬼,年老成魔,惱亂是人。厭足心生,去彼人體;弟子與師多陷王難。汝當先覺,不入輪迴,迷惑不知,墮無間獄。
「又善男子受陰虛妙,不遭邪慮,圓定發明;三摩地中心愛知見,勤苦研尋,貪求宿命。爾時,天魔候得其便,飛精附人,口說經法。其人殊不覺知魔著,亦言自得無上涅槃。來彼求知善男子處,敷座說法。是人無端於說法處,得大寶珠。其魔或時化為畜生,口銜其珠,及雜珍寶、簡策、符牘、諸奇異物,先授彼人,後著其體。或誘聽人藏於地下,有明月珠照耀其處。是諸聽者得未曾有。多食藥草,不飡嘉膳,或時日飡一麻一麥,其形肥充,魔力持故。誹謗比丘,罵詈徒眾,不避譏嫌。口中好言他方寶藏,十方聖賢潛匿之處。隨其後者,往往見有奇異之人。此名山林、土地、城隍、川嶽鬼神,年老成魔。或有宣婬破佛戒律,與承事者潛行五欲;或有精進純食草木,無定行事,惱亂彼人。厭足心生,去彼人體;弟子與師,多陷王難。汝當先覺,不入輪迴;迷惑不知,墮無間獄。
「又善男子受陰虛妙,不遭邪慮,圓定發明;三摩地中心愛神通種種變化,研究化元,貪取神力。爾時,天魔候得其便,飛精附人,口說經法。其人誠不覺知魔著,亦言自得無上涅槃。來彼求通善男子處,敷座說法。是人或復手執火光,手撮其光,分於所聽四眾頭上。是諸聽人,頂上火光皆長數尺,亦無熱性,曾不焚燒。或水上行如履平地,或於空中安坐不動,或入瓶內,或處囊中,越牖透垣曾無障礙,唯於刀兵不得自在。自言是佛,身著白衣,受比丘禮,誹謗禪律,罵詈徒眾,訐露人事,不避譏嫌。口中常說神通自在,或復令人傍見佛土,鬼力惑人非有真實。讚歎行婬,不毀麁行,將諸猥媟以為傳法。此名天地大力山精、海精、風精、河精、土精、一切草樹積劫精魅,或復龍魅,或壽終仙再活為魅,或仙期終計年應死、其形不化他怪所附,年老成魔,惱亂是人。厭足心生,去彼人體;弟子與師,多陷王難。汝當先覺,不入輪迴;迷惑不知,墮無間獄。
「又善男子受陰虛妙,不遭邪慮,圓定發明;三摩地中心愛入滅,妍究化性,貪求深空。爾時,天魔候得其便,飛精附人,口說經法。其人終不覺知魔著,亦言自得無上涅槃。來彼求空善男子處,敷座說法。於大眾內其形忽空,眾無所見,還從虛空突然而出,存沒自在。或現其身洞如瑠璃,或垂手足作栴檀氣,或大小便如厚石蜜。誹毀戒律,輕賤出家。口中常說無因無果,一死永滅,無復後身及諸凡聖。雖得空寂,潛行貪欲,受其欲者,亦得空心,撥無因果。此名日月薄蝕精氣、金玉芝草、麟鳳龜鶴、經千萬年不死為靈,出生國土,年老成魔;惱亂是人。厭足心生,去彼人體;弟子與師,多陷王難。汝當先覺,不入輪迴;迷惑不知,墮無間獄。
「又善男子受陰虛妙,不遭邪慮,圓定發明;三摩地中心愛長壽,辛苦研幾,貪求永歲,棄分段生,頓希變易細相常住。爾時,天魔候得其便,飛精附人,口說經法。其人竟不覺知魔著,亦言自得無上涅槃。來彼求生善男子處,敷座說法。好言他方往還無滯,或經萬里瞬息再來,皆於彼方取得其物。或於一處在一宅中數步之間,令其從東詣至西壁,是人急行累年不到。因此心信,疑佛現前。口中常說十方眾生皆是吾子,我生諸佛,我出世界,我是元佛,出世自然不因修得。此名住世自在天魔,使其眷屬如遮文茶,及四天王毘舍童子未發心者,利其虛明,食彼精氣。或不因師,其修行人親自觀見,稱執金剛與汝長命。現美女身,盛行貪欲,未逾年歲,肝腦枯竭。口兼獨言,聽若𩲓魅。前人未詳,多陷王難,未及遇刑,先已乾死。惱亂彼人,以至殂殞。汝當先覺,不入輪迴;迷惑不知,墮無間獄。
「阿難當知,是十種魔於末世時在我法中出家修道,或附人體,或自現形,皆言已成正遍知覺;讚歎婬欲,破佛律儀。先惡魔師與魔弟子,婬婬相傳。如是邪精,魅其心腑,近則九生,多踰百世,令真修行總為魔眷。命終之後必為魔民,失正遍知,墮無間獄。汝今未須先取寂滅,縱得無學,留願入彼末法之中,起大慈悲,救度正心深信眾生;令不著魔,得正知見。我今度汝已出生死,汝遵佛語,名報佛恩。
「阿難!如是十種禪那現境,皆是想陰用心交互,故現斯事。眾生頑迷,不自忖量,逢此因緣、迷不自識,謂言登聖,大妄語成,墮無間獄。汝等必須將如來語,於我滅後傳示末法,遍令眾生開悟斯義。無令天魔得其方便,保持覆護,成無上道。
大佛頂萬行首楞嚴經卷第九