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仏説無量清浄平等覚経 (佛說無量清淨平等覺經)

「佛說無量清淨平等覺經」について

後漢 · 底本の訳者:支婁迦讖

2.8 万字 · 約 95 分

『仏説無量清浄平等覚経』は、後漢時代の著名な訳経師、支婁迦讖によって漢訳された大乗仏教の経典であり、浄土宗の重要な典籍の一つです。この経典は、阿弥陀仏の極楽世界とその優れた功徳を説き、名号を称える念仏と清らかな心を修めることで、浄土に往生できることを強調しています。経文には極楽世界の荘厳な光景が詳細に描かれ、すべての生きとし生けるものが平等に仏となれるという核心理念が明らかにされています。 支婁迦讖は初期の仏典漢訳の開拓者として、その訳本は中国における浄土思想の形成に深い影響を与えました。この経典は『無量寿経』『阿弥陀経』とともに「浄土三部経」と称され、浄土門を修める根本のよりどころとして、漢伝仏教において重要な地位を占めています。


佛說無量清淨平等覺經卷第一

仏説無量清浄平等覚経 巻第一

後漢月支國三藏支婁迦讖譯

後漢・月支国・三蔵 支婁迦讖 訳

佛在王舍國靈鷲山中,與大弟子眾千二百五十人、菩薩七十二那術、比丘尼五百人、清信士七千人、清信女五百人、欲天子八十萬、色天子七十萬、遍淨天子六十那術、梵天一億,皆隨佛住。

仏は王舎城の霊鷲山に、大弟子たち千二百五十人、菩薩七十二那由他、比丘尼五百人、清信士七千人、清信女五百人、欲界の天子八十万、色界の天子七十万、遍浄天の天子六十那由他、梵天の者一億と共に留まられました。皆、仏に従って住んでいたのです。

神通飛化弟子,名曰:知本際賢者、馬師賢者、大力賢者、安詳賢者、能讚賢者、滿願臂賢者、無塵賢者、氏聚迦葉賢者、牛呞賢者、上時迦葉賢者、治恒迦葉賢者、金杵坦迦葉賢者、舍利弗賢者、大目揵連賢者、大迦葉賢者、大迦旃延賢者、多睡賢者、大賈師賢者、大瘦短賢者、盈辯了賢者、不爭有無賢者、知宿命賢者、了深定賢者、善來賢者、離越賢者、癡王賢者、氏戒聚賢者、類親賢者、氏梵經賢者、多欲賢者、王宮生賢者、告來賢者、氏黑山賢者、經剎利賢者、博聞賢者。

神通力を持つ弟子たちは、以下のように名付けられています。

根本智を識る賢者、馬師賢者、大力賢者、安詳賢者、よく讃える賢者、満願臂賢者、無塵賢者、氏聚迦葉賢者、牛呞賢者、上時迦葉賢者、治恒迦葉賢者、金杵坦迦葉賢者、舎利弗賢者、大目揵連賢者、大迦葉賢者、大迦旃延賢者、多睡賢者、大賈師賢者、大瘦短賢者、盈辯了賢者、有無を争わぬ賢者、宿命を知る賢者、深定を了する賢者、善来賢者、離越賢者、癡王賢者、氏戒聚賢者、類親賢者、氏梵経賢者、多欲賢者、王宮生まれの賢者、告来賢者、氏黒山賢者、経刹利賢者、博聞賢者。

其女弟子,名曰:大欽姓比丘尼、幻者比丘尼、蓮華色比丘尼、生地動比丘尼、生地擔比丘尼、生則侍者頭痛比丘尼、安豐殖比丘尼、體柔軟比丘尼、勇生行比丘尼、自淨比丘尼。

その女弟子たちとは、すなわち、大欽姓比丘尼、幻者比丘尼、蓮華色比丘尼、生地動比丘尼、生地擔比丘尼、生則侍者頭痛比丘尼、安豐殖比丘尼、體柔軟比丘尼、勇生行比丘尼、自淨比丘尼です。

清信士,名曰:給飯孤獨長者、安念眾長者、快臂長者、火英長者、善容長者、具足寶長者、名遠聞長者、香辟疫長者、安吉長者、施寶盈長者、欣讚長者、胎施殷長者、供異道長者、勇降怨長者、寶珥長者、寶結長者。

清信士、その名を、給飯孤獨長者(ぎゅうはんこどくちょうじゃ)・安念衆長者(あんねんしゅちょうじゃ)・快臂長者(かいひちょうじゃ)・火英長者(かえいちょうじゃ)・善容長者(ぜんようちょうじゃ)・具足寶長者(ぐそくほうちょうじゃ)・名遠聞長者(みょうおんもんちょうじゃ)・香辟疫長者(こうへきえきちょうじゃ)・安吉長者(あんきつちょうじゃ)・施宝盈長者(せほうえいちょうじゃ)・欣讚長者(きんさんちょうじゃ)・胎施殷長者(たいせいんちょうじゃ)・供異道長者(くいどうちょうじゃ)・勇降怨長者(ゆうごうおんちょうじゃ)・寶珥長者(ほうじちょうじゃ)・寶結長者(ほうけつちょうじゃ)であります。

清信女,名曰生僂、名曰黑哲、名曰信法、名曰軟善、名曰樂涼、名曰忍苦樂、名曰樂愛優婆夷。

清信女の、生僂という方、黒哲という方、信法という方、軟善という方、楽涼という方、忍苦楽という方、楽愛優婆夷という方々です。

如此之人皆一種類——消盡諸垢勇淨者也——無數之眾悉共大會。

このような人々は皆、同じ仲間です。 すなわち、あらゆる汚れを消し尽くし、勇ましく清らかな者たちです。 数え切れないほどの多くの人々が、皆ともに集まっています。

於時佛坐,思念正道,面有九色光,數千百變,光甚大明。賢者阿難即從座起,更正衣服,稽首佛足,長跪叉手,前白佛言:「今佛面目光色,何以時時更變明乃爾乎?今佛面目光精數百千色,上下明徹好乃如是。我侍佛已來,未曾見佛身體光曜巍巍重明乃爾,我未曾見至真、等正覺光明威神有如今日明好不妄,會當念諸過去、當來若他方佛國今現在佛。」

その時、仏陀は座して正道を思惟しておられた。その顔には九色の光が現れ、それが数百・千もの変化をなし、光は非常に明るく輝いていた。尊者阿難はすみやかに座を立ち、衣服を正し、仏陀の足に頭を伏してお礼をし、長く跪いて合掌し、進み出て仏陀に申し上げた。

「今、仏陀のお顔やお目元の輝きは、どうして時折こうも変わり、これほどまでに明るくおられるのでしょうか。今、仏陀のお顔やお目元の光輝は、数百・千もの色を放ち、上下に明るく清らかで、これほどまでに見事であります。私は仏陀にお仕えして以来、仏陀の御身体の光がこれほどまでに荘厳で、重なって明るく輝かれたのを、いまだかつて見たことがございません。私はこれまで、真実に至り、正しく覚られた方の光明と威神力が、今日のように明らかで、優れ、たゆみないのを見たことがございません。これはきっと、過去や未来の、あるいは他方の仏国土に今現れている諸仏のことをお考えになったからでありましょう。」

佛告阿難:「有諸天來教汝、諸佛教汝,令問我耶?若自從智出乎?」

仏は阿難に告げられた。「天の人々が教えて、あなたに質問させたのですか。それとも、諸仏たちが教えて、あなたに私に尋ねさせたのですか。それとも、あなた自身の智慧から出たのですか。」

阿難白佛言:「亦無諸天、無諸佛教,我今問佛者,自從意出來白佛耳。每佛坐起,若行出入有所至到,所當作為、所當教勅,我輒知佛意。今佛獨當展轉相思,故使面色光明乃如此耳。」

阿難が仏に向かって申し上げた:「諸天(天の神々)もおらず、諸仏(多くの仏)の教えもありません。私が今、仏に質問するのは、私自身の思いから出て、仏に申し上げているのです。仏がお立ちあそばされる時も、お歩きになられる時も、出入りされるときも、どこかにお着きになる時も、なされるべきこと、教え戒めるべきことがあれば、私はすぐに仏のお心を察することができます。しかし今日、仏がただお一人で思いを巡らされているので、そのためか、お顔の色がこのように輝いておられるのです。」

佛言:「善哉,阿難!若所問者甚深快善,多所度脫。若問佛者,勝於供養一天下阿羅漢、辟支佛,布施諸天、人民及蜎飛蠕動之類累劫,百千萬億倍矣。」

仏は言われた。「善いかな、阿難よ。あなたの問いは実に深く、素晴らしく、多くの者を救い導くものだ。あなたが仏に問うたことは、天下の阿羅漢や辟支仏(びしぶつ)の一柱に供養し、諸天や人々、そして細かい虫や動くものすべてに長きにわたって布施するよりも、百千万億倍も勝れているのである。」

佛言:「阿難!今諸天、帝王、人民、及蜎飛蠕動之類,汝皆度脫之。」

仏が言われた。「阿難よ、今、天界の者たち、帝王、人々、そして飛び回る虫や這うものたちに至るまで、あなたはすべてを救い渡しなさい。」

佛言:「佛威神甚重難當,若所問者大深,汝乃慈心,於佛所哀諸天人民。若比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷大善當爾爾,皆過度之。」

仏が言われた。「仏の威神力は非常に重く、受け止めがたい。あなたの問いは非常に深いものである。あなたは慈しみの心をもって、仏のもとで天の人々を哀れんでいる。比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷にとって、これは大変善いことである。あなたは彼らすべてを救い渡すべきである。」

佛語阿難:「如世間有優曇鉢樹,但有實、無有華,天下有佛乃有華出耳。世間有佛甚難得值,今我作佛出於天下,若有大德聰明善心豫知佛意,若不妄在佛邊侍佛也。若今所問,善聽諦聽。」

仏が阿難に告げられました。「世の中にはウドンバラの木があるが、それには実だけがあって花はない。この世に仏が現れる時、その花が咲くのだ。世の中に仏が現れることは極めて稀であり、今まさに私は仏としてこの世に出現した。もし大きな徳と聡明さ、善い心を持ち、仏の御心をあらかじめ知ることができるなら、決して油断せずに仏のそばでお仕えしなさい。あなたが今問うていることについて、よく聞き、心して聞きなさい。」

佛語阿難:「前已過去劫,大眾多不可計,無邊幅不可議。及爾時有過去佛,名定光如來。復次,有佛名曰曜光。復次,有佛名日月香。復次,有佛名安明山。復次,有佛名日月面。復次,有佛名無塵垢。復次,有佛名無沾污。復次,有佛名曰如龍無所不伏。復次,有佛名曰日光。復次,有佛名大音王。復次,有佛名寶潔明。復次,有佛名曰金藏。復次,有佛名焰寶光。復次,有佛名曰有舉地。復次,有佛名曰琉璃光。復次,有佛名日月光。復次,有佛名曰日音聲。復次,有佛名光明華。復次,有佛名神通遊持意如海。復次,有佛名嗟歎光。復次,有佛名具足寶潔。復次,有佛名光開化。復次,有佛名曰大香聞。復次,有佛名曰降棄恚嫉。復次,有佛名妙琉璃紫磨金焰。復次,有佛名心持道華無能過者。復次,有佛名積眾華。復次,有佛名水月光。復次,有佛名除眾冥。復次,有佛名日光蓋。復次,有佛名溫和如來。復次,有佛名曰法意。復次,有佛名師子威象王步。復次,有佛名曰世豪。復次,有佛名曰淨音。復次,有佛名不可勝。復次,有佛名樓夷亘羅,在中教授四十二劫,皆已過去乃爾劫時作佛。

仏が阿難に語られた。「はるか昔、過ぎ去った劫(長い時間)の数は数えきれず、はかりしれない。その時、過去仏である定光如来がおられた。さらに、曜光という名の仏がおられた。さらに、日月香という名の仏がおられた。さらに、安明山という名の仏がおられた。さらに、日月面という名の仏がおられた。さらに、無塵垢という名の仏がおられた。さらに、無沾汚という名の仏がおられた。さらに、如竜無所不伏という名の仏がおられた。さらに、日光という名の仏がおられた。さらに、大音王という名の仏がおられた。さらに、宝潔明という名の仏がおられた。さらに、金蔵という名の仏がおられた。さらに、焔宝光という名の仏がおられた。さらに、有挙地という名の仏がおられた。さらに、瑠璃光という名の仏がおられた。さらに、日月光という名の仏がおられた。さらに、日音声という名の仏がおられた。さらに、光明華という名の仏がおられた。さらに、神通遊持意如海という名の仏がおられた。さらに、嗟歎光という名の仏がおられた。さらに、具足宝潔という名の仏がおられた。さらに、光開化という名の仏がおられた。さらに、大香聞という名の仏がおられた。さらに、降棄恚嫉という名の仏がおられた。さらに、妙瑠璃紫磨金焔という名の仏がおられた。さらに、心持道華無能過者という名の仏がおられた。さらに、積衆華という名の仏がおられた。さらに、水月光という名の仏がおられた。さらに、除衆冥という名の仏がおられた。さらに、日光蓋という名の仏がおられた。さらに、温和如来という名の仏がおられた。さらに、法意という名の仏がおられた。さらに、師子威象王歩という名の仏がおられた。さらに、世豪という名の仏がおられた。さらに、浄音という名の仏がおられた。さらに、不可勝という名の仏がおられた。そして、楼夷亘羅という名の仏がおられ、その方は四十二劫もの間、教えを説き導かれた。これらの仏々は、すべてはるか劫の昔に仏となられたのである。」

「天上、天下人中之雄,經道法中勇猛之將,佛為諸天及世人民說經講道莫能過者。

天の上でも天の下でも、人々の中での雄(すぐれた者)であり、教えや道、法の中でも勇猛な将であり、仏さまは諸天や世の中の人々のために経を説き、道を講じても、これにまさる者はいない。

「世饒王聞經道,歡喜開解,便棄國位行作比丘,名曇摩迦留。發菩薩意,為人高才,智慧勇猛,無能踰者,與世絕異。

世饒王は経典の教えを聞いて、深く喜び理解を得ました。そして国主の位を捨て、修行者となり、曇摩迦留と名乗りました。菩薩の誓いを立て、その人は優れた才能を持ち、智慧は勇猛で、誰も及ぶ者はいませんでした。世の中の人とはまったく異なる存在でした。

「到世饒王佛所,稽首為禮,長跪叉手,稱讚佛言:

世饒王仏のおられる所に到り、ひざまずいて礼拝し、両手を合わせ、仏を称賛しておっしゃいました。

「『無量之光曜, 威神無有極,
如是之焰明, 無能與等者。
若以日摩尼、 火、月、水之形,
其景不可及, 其色亦難比。
顏色難稱量, 一切世之最,
如是大音聲, 遍諸無數剎。
或以三昧定、 精進及智慧,
威德無有輩, 殊勝亦希有。
深微諦善念, 從是得佛法,
持覺若如海, 其限無有底。
瞋恚及愚癡, 世尊之所無,
嗟歎佛世雄, 終始無厭足。
佛如好花樹, 莫不愛樂者,
處處人民見, 一切皆歡喜。
令我作佛時, 願使如法王,
過度於生死, 無不解脫者。
檀施調伏意、 戒忍及精進,
如是三昧定, 智慧為上最。
吾誓得佛者, 普逮得此事,
一切諸恐懼, 我為獲大安。
假令有百千、 億萬那術佛,
如是佛之數, 使如恒水沙,
計以沙等佛, 一切皆供養,
不如求正道, 堅勇而不怯。
譬如恒水中, 流沙之世界,
復倍不可計, 無數之剎土。
光焰一切炤, 遍此諸數國,
如是精進力, 威神難可量。
令我為世雄, 國土最第一,
其眾殊妙好, 道場踰諸剎。
國如泥洹界, 而無有等雙,
我當常愍哀, 度脫一切人。
十方往生者, 其心悅清淨,
已來到我國, 快樂喜安隱。
幸佛見信明, 是我第一證,
發願在於彼, 精進力所欲。
十方諸世尊, 皆有無礙慧,
常念此尊雄, 知我心所行,
令我身止住, 於諸苦毒中,
我行精進力, 忍之終不悔。』

「限りない光の輝き、その威神は極まりなし。 その炎の明るさ、比べられるものはない。 たとえ太陽や宝石、火、月、水の形であっても、 その輝きは届かず、その色もまた及ばない。 その色は計り知れず、世の中のすべてにおいて最上である。 かくも大きな音声が、無数の世界に満ちわたる。 あるいは三昧の定、精進、そして智慧によって、 威徳は比類なく、殊勝であり希有である。 深く微細に、真実に善く念じ、そこから仏の教えを得る。 覚りを海のように保ち、その限りは底なし。 怒りと愚かさは、世尊にはない。 仏世雄を讚嘆すること、終わりなく飽くことがない。 仏は美しい木の花のようで、愛さない者はない。 人々が至る所で見れば、皆が喜ぶ。 私が仏となるとき、願わくは法王のようでありたい。 生死を超え渡り、解脱しない者はいない。 布施に心を調え、戒、忍辱、そして精進。 かくのごとき三昧の定、智慧が最も優れている。 私は誓って仏となる、すべてを悟りに至らせる。 一切の恐怖を、私は大きな安らぎに変える。 たとえ百千、億万、那由多の仏がいても、 それら仏の数が、ガンジスの川の砂のようにあったとしても、 それら砂のように多くの仏すべてに供養するよりも、 真理の道を求め、堅く勇んで怯まない方がよい。 たとえばガンジスの川の、流れる砂のような世界、 さらに倍して計り知れない、無数の国土。 その光の炎はすべてを照らし、これら多くの国々に及ぶ。 かくのごとき精進の力、その威神は計り難い。 私を世の雄とし、国土を最も優れたものとせよ。 その衆は殊妙で美しく、道場は他の世界に勝る。 国は涅槃の境地のごとく、並ぶものはない。 私は常に慈しみ、すべての人を救い渡す。 十方から来たる者は、心が清らかに喜び、 すでに私の国に来て、楽しみ喜び安らぐ。 幸いにも仏が明らかに信じたもう、これが私の第一の証であり、 願いを起こしたのはあの時、精進の力のままに。 十方の諸々の世尊には、皆、無礙の智慧がある。 常にこの尊雄を念じ、私の心の行いを知りたまう。 私の身を、様々な苦しみの中に留め置き、 私は精進の力をもって、それを忍び、ついに悔いることはない。」

「法寶藏比丘說此唱讚世饒王如來、至真、等正覺已,發意欲求無上正真道最正覺:『我立是願:如多陀竭佛所有者,願悉得之;拔人勤苦生死根本,悉令如佛。

法蔵比丘は、このように世饒王如来、すなわち真実に達し、正しく覚った方を讃える偈を唱え終えると、無上の正しい覚りを求める心を起こしました。

「私はこのように誓います。如来がお持ちのすべての功徳を、私もまた得たいと願います。人々の苦しみや生死の根本を除き去り、すべての人を仏のように導きたいのです。」

「『唯為說經,所可施行,令疾得決,我作佛時令無及者。

ただただ経典を説き、その教えを実践することで、速やかに悟りを得させたい。 私が仏となるとき、誰も及ばないものとしよう。

「『願佛為我說諸佛國功德,我當奉持、當即中住,取願作佛國亦如是。』」

「仏様、どうか私に諸仏の国々の功徳をお説きください。私はその教えを守り、身に受け止め、仏の国を建てたいと願います。自らもまた、そのように仏の国を実現したいのです。」

佛語阿難:「其世饒王佛知其高明所願快善,即為法寶藏菩薩說經言:『譬如大海水,一人升量之,一劫不止尚可枯盡,令海空竭得其底泥。人至心求道,何而當不可得乎?求索精進不休止者,會得心中所欲願耳。』

仏が阿難に告げられた。「その世自在王仏は、彼(法蔵菩薩)の高く明らかな理解と、その願いのすぐれた善であることを知って、法蔵菩薩にこう説かれた。『たとえば大海の水を、一人の者がますで汲み続け、一劫の間やめなくとも、ついには枯れ尽きて、海は空しく干上がり、その底の泥にまで至るであろう。人が真心を尽くして道を求めるならば、どうして得られないことがあろうか。休むことなく精進し求め続ければ、必ず心に願うところのものを得られるのである。』」

「法寶藏菩薩聞世饒王佛說經如是,則大歡喜踊躍。其佛則為選擇二百一十億佛國中諸天人民善惡國土之好醜,為選心中所願用與之。

法蔵菩薩は、世饒王仏がこのように経典を説かれるのを聞いて、大いに喜び踊りました。すると、その仏は二百十億もの仏国土の中から、天人の善悪や国土の美醜を選び取り、その心の願いにかなうものを選んで与えられました。

「世饒王佛說經竟,法寶藏菩薩便壹其心,則得天眼徹視,悉自見二百一十億諸佛國中諸天人民之善惡國土之好醜,則選心所欲願,便結得是二十四願經,則奉行之,精進勇猛,勤苦求索。如是無央數劫所師事供養諸佛已,過去佛亦無央數,其法寶藏菩薩至其然後自致得作佛,名無量清淨覺最尊,智慧勇猛,光明無比。今現在所居國甚快善,在他方異佛國教授八方上下無央數諸天、人民及蜎飛蠕動之類,莫不得過度解脫憂苦者。

世饒王仏が説法を終えられると、法寶蔵菩薩は心を一つにしました。するとたちまち天眼が開けて、はるか遠くまで見通せるようになり、二百一十億もの諸仏の国々にいる天や人々の善悪、また国土の素晴らしさや劣っている様子を、すべて自らの目で見てとりました。そこで彼は心に願うところを選び取り、この二十四の願いの経典をまとめました。そしてそれを実践し、励み勇み、精進に努め、苦労をいとわずに求め続けました。

こうして数えきれないほどの長い歳月の間、多くの諸仏に師事し供養してきました。過ぎ去った仏もまた無数におられます。その法寶蔵菩薩はついには自ら仏となるに至り、その名を「無量清浄覚」といい、最も尊く、智慧に満ち、勇猛で、その光明は比べるものがないほどです。今もなお、その住まう国はとても素晴らしく、他の方々の仏の国においても、あらゆる方向の無数の天や人々、さらには羽のあるもの、這うもの、動くものに至るまで教えを説き、憂いや苦しみから救われずに済む者は一人もいません。

「無量清淨佛為菩薩時,常奉行是二十四願,珍寶愛重,保持恭順,精進禪行之。與眾超絕,卓然有異,皆無有能及者。」

無量清浄仏は、菩薩であったときにこの二十四の願いを常に実践されました。そして、その願いを宝のように大切に思われ、敬い守り、丁寧に従われ、精進して修行を続けられました。その姿は他の者たちをはるかに超え、とびぬけて優れており、誰も及ぶ者はいませんでした。

佛言:「何等為二十四願者?

仏がおっしゃった。「二十四の願いとは何か。

「一、我作佛時,令我國中無有地獄、禽獸、餓鬼、蜎飛蠕動之類,得是願乃作佛;不得從是願終不作佛。

**第一条の願い** 私が仏となる時、私の国には地獄、畜生、餓鬼、そしてあらゆる小さな生き物たちが存在しません。この願いが成就して初めて、私は仏となります。もし成就しなければ、決して仏とはなりません。

「二、我作佛時,令我國中人民有來生我國者,從我國去,不復更地獄、餓鬼、禽獸蠕動;有生其中者,我不作佛。

二、私が仏となるとき、私の国土に生まれた人々が、この国から去って再び地獄・餓鬼・畜生・這う虫などに落ちることがないようにします。もし彼らがそうした世界に生まれることがあれば、私は仏とはなりません。

「三、我作佛時,人民有來生我國者,不一色類金色者,我不作佛。

三、私が仏となる時、私の国に生まれてくる人々の中で、もし一人でも金色の身色を持たない者がいるなら、私は仏とはなりません。

「四、我作佛時,人民有來生我國者,天人、世間人有異者,我不作佛。

四、私が仏となる時、私の国に生まれ来る人々の中に、天人と人間の間に違いがあるなら、私は仏とはなりません。

「五、我作佛時,人民有來生我國者,皆自推所從來生本末、所從來十億劫宿命;不悉知念所從來生,我不作佛。

五、私が仏になる時、私の国に生まれ来る人々は、皆自らの過去世の因縁や、十億劫にわたる宿命を自ら明らかにできるようになります。もし、彼らが自らの来歴を全て知り、憶念することができないなら、私は仏となりません。

「六、我作佛時,人民有來生我國者,不悉徹視,我不作佛。

「第六の誓い。私が仏となった時、私の国に生まれてくる人々が、誰一人として全てを透視する力を持たないなら、私は仏となりません。

「七、我作佛時,人民有來生我國者,不悉知他人心中所念者,我不作佛。

「第七の誓い。私が仏となる時、私の国に生まれてくる人々が、互いの心の中で思っていることをことごとく知ることができなければ、私は仏とはなりません。」

「八、我作佛時,我國中人民不悉飛者,我不作佛。

私が仏となった時、私の国に生まれる人々がみな飛ぶことができるようになっていなければ、私は仏とはなりません。

「九、我作佛時,我國中人民不悉徹聽者,我不作佛。

九、私が仏となるとき、私の国に生まれる人々が、すべてを完全に聞き透かすことができなければ、私は仏となりません。

「十、我作佛時,我國中人民有愛欲者,我不作佛。

十、私が仏となる時、私の国に住む人々の中に愛欲に執着する者がいるなら、私は仏とならない。

「十一、我作佛時,我國中人民住止盡般泥洹;不爾者,我不作佛。

十一、私が仏となるとき、私の国に住む人々は皆、完全な涅槃に入ります。そうでなければ、私は仏となりません。

「十二、我作佛時,我國諸弟子,令八方上下各千億佛國中諸天、人民、蠕動之類作緣一覺大弟子,皆禪一心,共數我國中諸弟子,住至百億劫無能數者;不爾者,我不作佛。

我が仏とならん時、我が国の諸々の弟子たちに、八方上下それぞれ千億の仏の国々にある天、人、生きとし生けるもののすべてを、縁覚の大弟子とせしめん。皆、禅定に一心となりて、共に我が国の諸々の弟子たちを数えんとすれども、百億劫に至るまで数うること能わずんば、我、仏とならず。

「十三、我作佛時,令我光明勝於日月、諸佛之明百億萬倍,炤無數天下窈冥之處皆常大明,諸天、人民、蠕動之類見我光明,莫不慈心作善來生我國;不爾者,我不作佛。

第十三条の誓い:私が仏となった時、私の光明が太陽や月、そしてすべての仏の光明よりも百億万倍も勝れ、無数の世界の暗く冥いところまでも常に明るく照らし出しますように。すべての天人、人間、そして虫の類にいたるまで、私の光明を見たならば、慈しみの心を起こさない者はいなくなり、善行を積んで私の国に生まれようと願うようになります。もしそうでなければ、私は仏とはなりません。

「十四、我作佛時,令八方上下無數佛國諸天、人民、蠕動之類令得緣一覺果證弟子,坐禪一心,欲共計知我年壽幾千萬億劫,令無能知壽涯底者;不爾者,我不作佛。

十四、私が仏となるとき、八方上下の無数の仏国にいる天の人々や、動くものたちが、縁覚の悟りを得て弟子となり、一心に坐禅を組み、私の寿命が幾千万億劫あるかを知ろうとしても、その果てを知る者がないようにします。もしそうでなければ、私は仏となりません。

「十五、我作佛時,人民有來生我國者,除我國中人民所願,餘人民壽命無有能計者;不爾者,我不作佛。

十五、私が仏となる時、私の国に生まれ来る人々の中で、私の国の人々が望むこと以外については、その寿命を計算できる者はいないでしょう。もしそうでなければ、私は仏となりません。

「十六、我作佛時,國中人民皆使莫有惡心;不爾者,我不作佛。

「第十六の誓い。私が仏となる時、私の国の人々は皆、悪心を持たないようにさせる。もしそうでなければ、私は仏とならない。」

「十七、我作佛時,令我名聞八方上下無數佛國,諸佛各於弟子眾中歎我功德國土之善,諸天、人民、蠕動之類聞我名字,皆悉踊躍來生我國;不爾者,我不作佛。

「第十七願。私が仏になる時、私の名前が東西南北、上下、あらゆる無数の仏の国々に広く知れ渡りますように。それぞれの仏が、弟子たちの中で私の功徳と国土の素晴らしさを称えてくださいますように。そして、天の人々、人間、あらゆる生きとし生けるものが、私の名前を聞けば、皆が喜び勇んで私の国に生まれたいと願うようになりますように。もしそうでなければ、私は仏とはなりません。」

「十八、我作佛時,諸佛國人民有作菩薩道者,常念我淨潔心,壽終時,我與不可計比丘眾飛行迎之,共在前立,即還生我國作阿惟越致;不爾者,我不作佛。

「第十八の誓い。私が仏となる時、諸仏の国の人々で菩薩の道を歩む者が、常に私の清らかな心を思い念じるならば、その命が終わる時、私は数えきれないほどの比丘の僧侶たちと共に空を飛んで迎えに行き、彼らの前に立つであろう。そして、その人はすぐに私の国に生まれ変わり、退転しない境地(阿惟越致)に達するであろう。もしこの通りにならなければ、私は仏とはならない。」

「十九、我作佛時,他方佛國人民前世為惡,聞我名字及正為道欲來生我國,壽終皆令不復更三惡道,則生我國在心所願;不爾者,我不作佛。

「第十九の誓い。わたしが仏となる時、ほかの仏の国にいる人々が前世で悪い行いをしたとしても、わたしの名前を聞き、正しい道に従ってわたしの国に生まれたいと願うならば、その命が終わるとき、必ず再び地獄・餓鬼・畜生の三つの悪い道に落ちることなく、心の願いどおりにわたしの国に生まれることができるようにしよう。もしそうでなければ、わたしは仏とはならない。」

「二十、我作佛時,我國諸菩薩不一生等,置是餘願功德;不爾者,我不作佛。

二十、私が仏となる時、私の国の菩薩たちが、この他の誓いの功徳を除いては、一度の再生も受けないのでなければ、私は仏とならない。

「二十一、我作佛時,我國諸菩薩不悉三十二相者,我不作佛。

二十一、私が仏になる時、私の国にいるすべての菩薩が三十二の尊い相を具えていなければ、私は仏とはなりません。

「二十二、我作佛時,我國諸菩薩欲共供養八方上下無數諸佛,皆令飛行,欲得萬種自然之物,則皆在前,持用供養諸佛悉遍已,後日未中則還我國;不爾者,我不作佛。

「第二十二の誓い。私が仏となる時、私の国の菩薩たちが、八方上下の無数の仏を共に供養しようと願うならば、皆を飛行させ、万種の自然の供物を欲するままに、そのすべてを目の前に現れさせ、それらの仏を供養し終えた後、日がまだ中天に至らぬうちに、私の国に帰らせよう。もしこのことが実現しなければ、私は仏とならない。」

「二十三、我作佛時,我國諸菩薩欲飯時,則七寶鉢中生自然百味飲食在前,食已,鉢皆自然去;不爾者,我不作佛。

二十三、私が仏となる時、私の国の菩薩たちが食事を望むならば、七宝の鉢の中に自然に百種類の味わいのある食べ物が現れ、それを食べ終われば、鉢はすべて自然に消え去るであろう。もしそうでなければ、私は仏とはならない。

「二十四、我作佛時,我國諸菩薩說經行道不如佛者,我不作佛。」

「第二十四条 私が仏になるとき、私の国のすべての菩薩たちが、経を説き、修行する功徳が仏と同じでなければ、私は仏にならない。」

佛告阿難:「無量清淨佛為菩薩時,常奉行是二十四願,分檀布施,不犯道禁,忍辱精進,一心智慧。志願常勇猛,不毀經法,求索不懈。每獨棄國捐王,絕去財色,精明求願,無所適莫。積功累德無央數劫,自致作佛悉皆得之,不忘其功也。」

仏は阿難に告げられた。「無量清浄仏は菩薩の頃、常にこの二十四の願いを実践されました。施しを惜しまず、道の戒めを犯さず、忍耐と精進に励み、心を一つにして智慧を磨かれました。その志は常に勇ましく、経典の教えを損なうことなく、求め続けて怠ることがありませんでした。また、国や王位を捨て、財産や欲望から離れ、智慧を明らかにして願いを求め、どのような状況でも偏りがありませんでした。無数の劫の間、功徳を積み重ね、ついに仏となって、すべての願いを成就されました。その功績を忘れることはなかったのです。」

佛言:「無量清淨佛光明最尊第一無比,諸佛光明皆所不及也。八方上下無央數諸佛中,有佛項中光明照七丈、中有佛項中光照一里、中有佛項中光明照五里、中有佛項中光明照二十里、中有佛項中光明照四十里、中有佛項中光明照八十里、中有佛項中光明照百六十里、中有佛項中光明照三百二十里、中有佛項中光明照六百四十里、中有佛項中光明照千三百里、中有佛項中光明照二千六百里、中有佛項中光明照五千二百里、中有佛項中光明照萬四百里、中有佛項中光明照二萬一千里、中有佛項中光明照四萬二千里、中有佛項中光明照八萬四千里、中有佛項中光明照十七萬里、中有佛項中光明照三十五萬里、中有佛項中光明照七十萬里、中有佛項中光明照百五十萬里、中有佛項中光明照三百萬里、中有佛項中光明照六百萬里、中有佛項中光明照千二百萬里。

仏は仰せられた。「無量清浄仏の光明は、最も尊く、第一であり、比べるものがない。諸仏の光明も、みなこの及ぶところではない。八方上下の数えきれない仏たちの中に、その頭の光が七丈を照らす仏があり、その頭の光が一里を照らす仏があり、その頭の光が五里を照らす仏があり、その頭の光が二十里を照らす仏があり、その頭の光が四十里を照らす仏があり、その頭の光が八十里を照らす仏があり、その頭の光が百六十里を照らす仏があり、その頭の光が三百二十里を照らす仏があり、その頭の光が六百四十里を照らす仏があり、その頭の光が千三百里を照らす仏があり、その頭の光が二千六百里を照らす仏があり、その頭の光が五千二百里を照らす仏があり、その頭の光が一万四百里を照らす仏があり、その頭の光が二万一千里を照らす仏があり、その頭の光が四万二千里を照らす仏があり、その頭の光が八万四千里を照らす仏があり、その頭の光が十七万里を照らす仏があり、その頭の光が三十五万里を照らす仏があり、その頭の光が七十万里を照らす仏があり、その頭の光が百五十万里を照らす仏があり、その頭の光が三百万里を照らす仏があり、その頭の光が六百万里を照らす仏があり、その頭の光が千二百万里を照らす仏がある。」

「中有佛項中光明照一佛國、中有佛項中光明照兩佛國、中有佛項中光明照四佛國、中有佛項中光明照八佛國、中有佛項中光明照十五佛國、中有佛項中光明照三十佛國、中有佛項中光明照六十佛國、中有佛項中光明照百二十佛國、中有佛項中光明照五百佛國、中有佛項中光明照千佛國、中有佛項中光明照二千佛國、中有佛項中光明照四千佛國、中有佛項中光明照八千佛國、中有佛項中光明照萬六千佛國、中有佛項中光明照三萬二千佛國、中有佛項中光明照六萬四千佛國、中有佛項中光明照十三萬佛國、中有佛項中光明照二十六萬佛國、中有佛項中光明照五十萬佛國、中有佛項中光明照百萬佛國、中有佛項中光明照二百萬佛國。」

仏の頂きの光明が一仏国土を照らす仏があり、二仏国土を照らす仏があり、四仏国土を照らす仏があり、八仏国土を照らす仏があり、十五仏国土を照らす仏があり、三十仏国土を照らす仏があり、六十仏国土を照らす仏があり、百二十仏国土を照らす仏があり、五百仏国土を照らす仏があり、千仏国土を照らす仏があり、二千仏国土を照らす仏があり、四千仏国土を照らす仏があり、八千仏国土を照らす仏があり、万六千仏国土を照らす仏があり、三万二千仏国土を照らす仏があり、六万四千仏国土を照らす仏があり、十三万仏国土を照らす仏があり、二十六万仏国土を照らす仏があり、五十万仏国土を照らす仏があり、百万仏国土を照らす仏があり、二百万仏国土を照らす仏がある。

佛言:「八方上下無央數諸佛,其項中光明所照皆如是也;無量清淨佛項中光明焰照千萬佛國。所以諸佛光明所照有遠近者何?本前世宿命求道為菩薩時,所願功德各自有大小,至其然後作佛時,悉各自得之,是故令光明轉不同等。諸佛威神同等耳,自在意所欲作為不豫計。無量清淨佛光明所照最大,諸佛光明皆所不能及也。」

仏は言われた。「八方向(東西南北と四隅)の上と下、数えきれないほどの多くの仏たち――その頭の光が照らす範囲も、みなこのようなものである。無量清浄仏(阿弥陀仏)の頭の光の炎は、千もの仏の国々を照らし渡るのである。

なぜ仏たちの間で、光明が照らす範囲に遠い近いの違いがあるのか。それは、前世の昔、菩薩として道を求めた時、それぞれが立てた願いと積んだ功徳に大小があったからである。その後に仏となった時、それぞれがその結果を得たのであり、それゆえに光明の照らし方も同じではないのである。

もっとも、諸仏の威神力はすべて等しい。ただそれぞれが自在に、思いのままに振る舞うだけであって、あらかじめ計画してそうなるのではない。

無量清浄仏の光明が照らす範囲は最も大きく、他の諸仏の光明は、すべてそれに及ぶことができないのである。」

佛稱譽無量清淨佛光明:「無量清淨佛光明極善,善中明好甚快無比,絕殊無極也。無量清淨佛光明殊好,勝於日月之明百億萬倍也。無量清淨佛光明,諸佛光明中之極明也;無量清淨佛光明,諸佛光明中之極好也;無量清淨佛光明,諸佛光明中之極雄傑也;無量清淨佛光明,諸佛光明中之快善也;無量清淨佛光明,諸佛光明中之王也;無量清淨佛光明,諸佛光明中之最極尊也;無量清淨佛光明,諸佛光明中之壽明無極。

仏は無量清浄仏(阿弥陀仏)の光明を称賛しておられます。「無量清浄仏の光明はこの上なく優れ、善いものの中でも最も明るく美しく、喜ばしく比類なく、この上なく優れたものです。無量清浄仏の光明は、日や月の光よりも百億万倍も勝れています。無量清浄仏の光明は、すべての仏の光明の中で最も明るいものです。無量清浄仏の光明は、すべての仏の光明の中で最も優れています。無量清浄仏の光明は、すべての仏の光明の中で最も雄大で際立っています。無量清浄仏の光明は、すべての仏の光明の中で最も喜ばしく善いものです。無量清浄仏の光明は、すべての仏の光明の中の王です。無量清浄仏の光明は、すべての仏の光明の中で最も尊いものです。無量清浄仏の光明は、すべての仏の光明の中で、寿命の明るさが限りなく続くものです。」

「無量清淨佛光明焰照諸無央數天下幽冥之處皆常明,諸有人民、蜎飛蠕動之類,莫不見無量清淨佛光明,見無量清淨佛光明莫不慈心歡喜者。世間諸有婬妷、瞋怒、愚癡,見無量清淨佛光明莫不作善者。諸泥犁、禽獸、薜荔考掠勤苦之處,見無量清淨佛光明至,皆休止不得復治,死後莫不得解脫憂苦者也。

無量清淨仏の光明は、無数の世界のすべての暗い場所を照らし、常に明るく照らし続けます。すべての人々、空を飛ぶ虫や地を這う生き物に至るまで、無量清淨仏の光明を見ない者はなく、その光明を見た者は、皆慈しみの心を起こし喜びを得ない者はありません。世の中の淫らな心、怒り、愚かさを持つ者も、無量清淨仏の光明を見れば、皆善を行うようになります。地獄・畜生・餓鬼の満ちる苦しみの世界でも、無量清淨仏の光明が届けば、その苦しみは止み、再び責め苦を受けることはなく、命を終えた後には、憂いや苦しみからの解脱を得ない者はないのです。

「無量清淨佛光明,名聞八方上下無窮無極無央數佛國,諸天人民莫不聞知,聞知者莫不得過度者。」

無量清淨仏の光明は、その名声が八方上下の果てしない多くの仏の国々にまで届いています。天の人々も人間も、その名を聞かない者はありません。その名を聞いた者は、誰もが救いを得ない者はないのです。

佛言:「我不獨稱譽無量清淨佛光明也,八方上下無央數諸佛、辟支佛、菩薩、阿羅漢,所稱譽皆如是。」

仏は言われた。「私はただ無量清浄仏の光明だけを称えているのではない。八方上下の数え切れないほどの諸仏、辟支仏、菩薩、阿羅漢たちも、皆このように称えているのだ。」

佛言:「其有人民——善男子、善女人——聞無量清淨佛聲,稱譽光明。如是朝暮常稱譽其光明明好,至心不斷絕,在心所欲願往生無量清淨佛國,可得為諸菩薩、阿羅漢所尊敬,智慧勇猛。若其然後作佛者,亦當復為八方上下無央數辟支佛、菩薩、阿羅漢所稱譽光明,亦當復如是。則眾比丘僧、諸菩薩、阿羅漢、諸天、帝王、人民聞之,皆歡喜踊躍,莫不讚歎者。」

仏はおっしゃった。「世の人々——善き男子、善き女人たちよ——もし無量清浄仏(阿弥陀仏)の名を聞き、その光明をたたえ称えるならば、こうして朝晩いつもその光明の素晴らしさを称え、心を込めて絶え間なく、心の中で無量清浄仏の国に生まれたいと願うならば、その人は諸々の菩薩や阿羅漢から尊敬され、智慧が深く勇猛になるであろう。もしその後に仏となるならば、また八方上下の数えきれない辟支仏や菩薩、阿羅漢たちからその光明を称えられ、また同じように尊ばれるであろう。それを聞いた比丘たちや菩薩、阿羅漢、天人、帝王、人々は、みな歓喜して躍り上がり、讚嘆しない者はないであろう。」

佛言:「我道無量清淨佛光明姝好,巍巍稱譽快善,晝夜一劫尚未竟也,我但為若曹小說之耳。」

仏陀はおっしゃった。「私の教えの道には、無量清浄仏の光明がこの上なく美しく、その素晴らしさは言葉に尽くせないほどである。たとえ昼夜を問わず一劫の間称え続けても、称え尽くすことはできないだろう。私はただ、あなたがたのためにその一端を簡略に語ったにすぎないのである。」

佛說無量清淨為菩薩,求索得是二十四願。時阿闍世王太子與五百大長者迦羅越子,各持一金華蓋,前上佛已,悉却坐一面聽經。

仏が仰せになった。無量清浄の菩薩は、この二十四の願いを求めて得たのである。その時、阿闍世王の太子と五百人の大長者・迦羅越の子らが、それぞれ一つの金の華蓋(はながさ)を持って、仏の前に進み出で、それを捧げた後、皆退いて一方に坐し、経を聴いた。

阿闍世王太子及五百長者子,聞無量清淨佛二十四願,皆大歡喜踊躍,心中俱願言:「令我等後作佛時,皆如無量清淨佛。」

阿闍世王の太子と五百人の長者の子らは、無量清浄仏の二十四の誓いを聞いて、皆大いに喜び躍り上がり、心の中で共に願って言った。「私たちも後にお釈迦さまとなるとき、皆が無量清浄仏のようにありたい」と。

佛則知之,告諸比丘僧:「是阿闍世王太子及五百長者子,却後無央數劫皆當作佛,如無量清淨佛。」

仏はそれをご存知で、比丘たちにお告げになった。「この阿闍世王の太子と五百人の長者の子らは、はるか未来の劫を経て、皆それぞれ仏となるであろう。その姿は無量清浄仏のようである。」

佛言:「是阿闍世王太子、五百長者子,作菩薩道已來無央數劫,皆各供養四百億佛已,今復來供養我。是阿闍世王太子及五百人等,皆前世迦葉佛時為我作弟子,今皆復會是共相值也。」則諸比丘僧聞佛言,皆心踊躍,莫不歡喜者。

仏は言われた。「この阿闍世王の太子と五百人の長者の子らは、菩薩の道を歩んでから数えきれないほどの劫の時間が経ち、それぞれが四百億の仏に供養してきた。そして今、再び私を供養している。この阿闍世王の太子と五百人たちは、みな前世の迦葉仏の時代に私の弟子だった者たちであり、今また再びこの場で出会ったのである。」すると、比丘たちは仏の言葉を聞いて、心が躍り上がり、喜ばない者はいなかった。

佛告阿難:「無量清淨佛作佛已來凡十八劫,所居國名須摩提,正在西方,去是閻浮利地界千億萬須彌山佛國。

仏は阿難に告げられた。「無量清浄仏が仏となってから、すでに十八劫の時が経ちました。その国は須摩提と名付けられ、まさに西方にあります。ここ閻浮利の地界から、千億万の須弥山の仏国土を隔てた彼方に位置しています。」

「其國地皆自然七寶:其一寶者名白銀,二寶者名黃金,三寶者水精,四寶者琉璃,五寶者珊瑚,六寶者虎珀,七寶者車𤦲。是七寶皆以自共為地,曠蕩甚大無極;皆自相參轉相入中,各自焜煌參光極明,自然軟甚姝好無比。

その国の大地は、すべて自然に七種の宝から成り立っています。第一の宝は白銀、第二の宝は黄金、第三の宝は水晶、第四の宝は琉璃、第五の宝は珊瑚、第六の宝は琥珀、第七の宝は車𤦲(しゃこ)です。これらの七種の宝がともに合わさって大地を形作り、その広がりは限りなく、非常に雄大です。それぞれの宝が互いに混じり合い、溶け込み合い、それぞれが光り輝き、その光は交わり合って非常に明るく、自然に柔らかく、この上なく美しく、比べるものがないほどです。

「如其七寶地,諸八方上下眾寶中精,都自然之,合會共化生耳,其寶比如第六天上之七寶也。

その七宝(しちほう)の地は、八方上下にある多くの宝の精髄がすべて自然に集まり、共に化現したものです。その宝は、第六天(そくてん=他化自在天)の七宝に喩えられます。

「其國中無有須彌山,其日、月、星辰、第一四天王、第二忉利天,皆在虛空中。

その国には須弥山がなく、太陽、月、星々、第一の四天王天、第二の忉利天も、すべて虚空の中にあります。

「其國土無有大海水、亦無小海水,無江河恒水也,亦無山林溪谷,無有幽冥之處。

その国には大海もなく、小さな海もなく、川や大河もありません。また、山や林、谷川もなく、暗くて見えない場所もありません。

「其國七寶地皆平正,無有泥犁、禽獸、餓鬼、蜎飛蠕動之類也,無阿須倫、諸龍、鬼神也。

その国の大地は七宝でできており、すべて平らで整っています。そこには地獄や、鳥獣、餓鬼、あるいは這い回る虫たちといったものは一切ありません。また、阿修羅や竜、鬼神といった存在もいないのです。

「終無有大雨時,亦無春、夏、秋、冬也;亦無有大寒亦不大熱,常和調中,適甚快善無比。

そのとき、大雨が降ることもなく、春・夏・秋・冬の区別もありません。また、激しい寒さもなく、ひどい暑さもありません。いつも穏やかで調和がとれ、程よく快適で、この上なく素晴らしいのです。

「皆有萬種自然之物、百味飲食,意欲有所得則自然在前,意不用者則自然化去。比如第六天上自然之物,恣若自然則皆隨意。

すべてのものには、万種の自然の宝や、百種の味わいのある飲食が備わっています。心に求めることがあれば、それは自然と目の前に現れ、必要としなければ、自然と消え去ります。これは、第六天(他化自在天)にある自然の品々のようなもので、思いのままにすれば、すべてが心のままになります。

「其國中悉諸菩薩、阿羅漢,無有婦女,壽命極壽,壽亦無央數劫。女人往生者則化生,皆作男子。

その国の中には、すべて菩薩と阿羅漢ばかりで、婦女は一人もおらず、寿命はきわめて長く、その寿命も数えきれないほどの劫に及びます。女人が往生した場合は化生し、みな男子となります。

「但有菩薩、阿羅漢無央數,悉皆洞視徹聽——悉遙相見、遙相瞻望、遙相聞語聲——悉皆求道善者,同一種類無有異人也。其諸菩薩、阿羅漢,面目皆端正,清潔絕好,悉同一色,無有偏醜惡者。諸菩薩、阿羅漢皆才猛黠慧。其所衣服,皆衣自然之衣。都心中所念常念道德,其所欲語言便皆豫相知意,其所念言道,常說正事。

ただ菩薩や阿羅漢が数えきれないほどおられますが、皆すべて遠くまで見通し、遠くの声を聞き分け、遠くから互いを見合い、互いを瞻仰し、互いの言葉を聞き取ります。皆、道を求める善き者たちであり、同じ種類であって異なる者がありません。その菩薩や阿羅漢たちは、皆顔立ちが端正で、清らかにして優れ、皆同じ色であり、醜い者や悪い者が偏っていることはありません。諸々の菩薩や阿羅漢は皆、才知に優れ、賢く聡明です。彼らの着る衣は、皆自然に与えられる衣です。心に思うことは常に道徳を念じ、言葉にしたいことは皆、予め互いに意を理解し合い、念じるところは道であり、常に正しい事を語ります。

「其國中諸菩薩、阿羅漢自共相與語言輒說經道,終不說他餘之惡。

その国の菩薩や阿羅漢たちは、互いに言葉を交わすとき、いつも教え(経典の教え)を語り合い、決して他人の悪口や欠点を言うことはありません。

「其語言音響如三百鍾聲,皆相敬愛,無有相憎者。皆自以長幼、上下先後言之,都共往會,以義而禮,轉相敬事,如兄如弟。以仁履義,不妄動作;言語而誠,轉相教令;不相違戾,轉相承受。皆心潔淨,無所貪慕,終無有婬妷、瞋怒之心、愚癡之態也。無有邪心念、婦女意也。悉智慧勇猛,和心歡樂,好喜經道。皆自知其前世所從來生、億萬劫世時宿命善惡存亡,現在却知無極。

その言葉の音声は三百の鐘の音のようで、皆が互いに敬い愛し合い、憎み合う者は一人もいません。皆、自らの長幼や上下、先後の順をわきまえて語り合い、ともに集いへと赴き、道理に従って礼を尽くし、互いに敬い仕え合うこと、まるで兄と弟のようです。仁に基づいて義を実践し、みだりに行動せず、言葉は誠実で、互いに教え導き合い、背くことなく、互いに受け入れ合います。皆の心は清らかで、貪り慕うところがなく、ついに淫らな心、怒りの心、愚かな姿はありません。邪な心や婦女への思いもありません。皆、智慧に優れ勇猛で、心は和らぎ楽しみ、経の道を好み喜びます。皆、自らの前世がどこから生まれてきたかを知り、億万劫もの世における宿命の善悪や存亡を、現在に至るまで限りなく知っています。

「無量清淨佛所可教授講堂、精舍,皆復自然七寶——金、銀、水精、琉璃、白玉、虎珀、車𤦲——自共轉相成也,甚姝明好,絕姝無比。亦無有作者,亦不知所從來;亦無有持來者,亦無所從去。

無量清淨仏が教えを説かれる講堂や精舎は、どれもこれも自然に生じた七宝——金、銀、水晶、琉璃、白玉、琥珀、車𤦲——でできており、それぞれが互いに調和して形を成している。その美しさは言葉に尽くせず、比類ないほど輝いている。しかし、そこには作り手もなく、どこから来たのかもわからない。持ってきた者もなく、去って行く先もないのである。

「無量清淨佛所願德重,其人作善故,論經語義、說經行道,講會其中,自然化生耳。其講堂、精舍皆復有七寶樓觀欄楯,復以金、銀、水精、琉璃、白玉、虎珀、車𤦲為瓔珞,復以白珠、明月珠、摩尼珠為交絡,覆蓋其上;皆自作五音聲,音聲甚姝無比。

無量清浄仏の誓いの功徳は非常に深く尊いものです。そのため、善を積んだ人々は、経典の意味を論じ、説法し、道を実践し、講堂に集まって学び合うだけで、自然に浄土に生まれ変わることができます。その講堂や精舎には、七宝でできた楼閣や欄干が立ち並び、金、銀、水精、琉璃、白玉、琥珀、車𤦲で作られた装飾が施されています。さらに、白珠、明月珠、摩尼珠で紡がれた網が、その上を覆い尽くしています。これらの宝はすべて、自然に五つの清らかな音色を奏で、その音色はこの上なく美しく、比べるものがないほどです。

「無量清淨佛國諸菩薩、阿羅漢所居舍宅,皆復以七寶——金、銀、水精、琉璃、珊瑚、虎珀、車𤦲、馬瑙——化生轉共相成也。其舍宅皆悉各有七寶樓觀欄楯,復以金、銀、水精、琉璃、白玉、虎珀、車𤦲為瓔珞,復以白珠、明月珠、摩尼珠為交絡,覆蓋其上,皆各復自作五音聲。

無量清浄仏の国に住む諸菩薩や阿羅漢たちの住まいである館は、すべて七宝——すなわち金、銀、水晶、瑠璃、珊瑚、琥珀、車𤦲、瑪瑙——から自然に生まれ出て、互いに組み合わさって形づくられたものである。その館にはすべて、七宝でできた楼閣や欄干が備わり、さらに金、銀、水晶、瑠璃、白玉、琥珀、車𤦲を飾りの連なりとして使い、白珠、明月珠、摩尼珠を網の目のように張り巡らせて、その上を覆っている。そしてそれぞれが、自然と五つの美しい音を奏でるのである。

「無量清淨佛講堂、精舍,及諸菩薩、阿羅漢所居七寶舍宅中,外內處處皆復自然流泉水浴池。其浴池者,皆復以自然七寶——七寶俱生,金、銀、水精、琉璃、珊瑚、虎珀、車𤦲——轉共相成也。水底沙皆復以七寶——金、銀、水精、琉璃、珊瑚、虎珀、車𤦲也。有純白銀池者,其底沙皆黃金也;中有純黃金池者,其水底沙皆白銀也;中有純水精池者,其水底沙皆琉璃也;中有純琉璃池者,其水底沙皆水精也;中有純珊瑚池者,其水底沙皆虎珀也;中有純虎珀池者,其水底沙皆珊瑚也;中有純車𤦲池者,其水底沙皆馬瑙也;中有純馬瑙池者,其水底沙者皆車𤦲也;中有純白玉池者,其水底沙者皆紫磨金也;中有純紫磨金池者,其水底沙者皆白玉也。

無量清淨佛の講堂や精舎、そして多くの菩薩・阿羅漢たちが住む七宝の舍宅には、内外のいたるところに自然に湧き出る流れの水と浴池が備わっています。その浴池は、すべて自然の七宝——すなわち金、銀、水精、琉璃、珊瑚、虎珀、車𤦲という七つの宝がともに生じ、互いに組み合わさってできています。

水底の砂もまた、すべて七宝——金、銀、水精、琉璃、珊瑚、虎珀、車𤦲でできています。

ある浴池は純粋な白銀でできており、その水底の砂はすべて黄金です。またある浴池は純粋な黄金でできており、その水底の砂はすべて白銀です。純粋な水精の池では、水底の砂はすべて琉璃。純粋な琉璃の池では、水底の砂はすべて水精。純粋な珊瑚の池では、水底の砂はすべて虎珀。純粋な虎珀の池では、水底の砂はすべて珊瑚。純粋な車𤦲の池では、水底の砂はすべて馬瑙。純粋な馬瑙の池では、水底の砂はすべて車𤦲。純粋な白玉の池では、水底の砂はすべて紫磨金。純粋な紫磨金の池では、水底の砂はすべて白玉となっています。

「中復有二寶共作一池者,其水底沙者皆金、銀也;中復有三寶共作一池者,其水底沙者皆金、銀、水精也;中復有四寶共作一池者,其水底沙金、銀、水精、琉璃也;中復有五寶共作一池者,其水底沙皆金、銀、水精、琉璃、珊瑚、虎珀也;中復有六寶共作一池者,其水底沙皆金、銀、水精、琉璃、珊瑚、虎珀、車𤦲也;中復有七寶共作一池者,其水底沙皆金、銀、水精、琉璃、珊瑚、虎珀、車𤦲、馬瑙也。

また、その中に二種の宝が共に作る一つの池がある。その水底の砂は全て金と銀である。また、その中に三種の宝が共に作る一つの池がある。その水底の砂は全て金、銀、水晶である。また、その中に四種の宝が共に作る一つの池がある。その水底の砂は金、銀、水晶、瑠璃である。また、その中に五種の宝が共に作る一つの池がある。その水底の砂は全て金、銀、水晶、瑠璃、珊瑚、琥珀である。また、その中に六種の宝が共に作る一つの池がある。その水底の砂は全て金、銀、水晶、瑠璃、珊瑚、琥珀、車渠(しゃこ)である。また、その中に七種の宝が共に作る一つの池がある。その水底の砂は全て金、銀、水晶、瑠璃、珊瑚、琥珀、車渠、瑪瑙(めのう)である。

「其浴池中有長四十里者、中有池長八十里者、中有池長百六十里者、中有池長三百二十里者、中有池長六百四十里者、中有池長千二百八十里者、中有浴池長二千五百六十里者、中有浴池長五千一百二十里者、中有浴池長萬二百四十里者、中有浴池長二萬四百八十里者,其縱廣各適等。是浴池者,皆諸菩薩、阿羅漢常所可浴池。」

「その浴池の中には、長さ四十里のものがある。中には長さ八十里の池、中には長さ百六十里の池、中には長さ三百二十里の池、中には長さ六百四十里の池、中には長さ千二百八十里の池、中には長さ二千五百六十里の浴池、中には長さ五千百二十里の浴池、中には長さ万二百四十里の浴池、中には長さ二万四百八十里の浴池があり、その縦と横はそれぞれちょうど等しい。これらの浴池は、すべての菩薩や阿羅漢たちが常に沐浴するところの池である。」

佛言:「無量清淨佛浴池長四萬八千里,廣亦四萬八千里。其浴池皆七寶轉自共相成,其池水底沙皆復以七寶、白珠、明月珠、摩尼珠也。

仏は言われた。「無量清浄仏の沐浴の池は、長さが四万八千里、広さもまた四万八千里である。その池はすべて七宝でできており、互いに組み合わさって成り立っている。池の底の砂もまた、すべて七宝、白珠、明月珠、摩尼珠でできている。」

「無量清淨佛及諸菩薩、阿羅漢浴池中水皆清淨香潔,中皆有香華——悉自然生百種華,種種異色、異香——華皆千葉。諸華甚香無比,香不可言也。其華香者亦復非世間之華,復勝天上之華;是華香者,八方上下眾華香中精自然生耳。池中水流行,轉相灌注;池中水流亦不遲亦不駃,皆復自作五音聲。」

無量清浄仏および諸々の菩薩、阿羅漢の方々の浴池の中の水は、全て清らかで香り高く清潔です。その中には香りの良い華が満ちており、皆自然に百種の華が生じ、様々な色、様々な香りを放っています。華は全て千枚の花びらを持っています。これらの華は非常に香り高く、比類なく、その香りは言葉にすることもできません。その華の香りは、世間の華に似るものではなく、天上の華をも超えています。この華の香りは、四方八方、上下すべての衆生の華の香りの中から、その精髄が自然に生じたものなのです。池の中の水は流れ、互いに注ぎ合い、循環しています。池の中の水の流れは、遅すぎることもなく、速すぎることもなく、また自然に五つの音声を奏でています。

佛言:「八方上下無央數佛國諸天、人民、及蜎飛蠕動之類,諸生無量清淨佛國者,都皆於是七寶水池蓮華中化生,便則自然長大,亦無乳養之者,皆食自然之飲食。其身體者,亦非世間人之身體也,亦非天上人之身體也,皆積眾善之德,悉受自然虛無之身體,甚姝好無比。」

仏は言われた。「八方上下、無数の仏国土の諸天・人民、そして羽虫や這う虫などの生きとし生けるもののうち、無量清浄仏の国に生まれる者は、みなこの七宝の池の蓮華のなかで化生する。そして自然に成長し、乳を飲んで育てられる者はいない。みな自然の飲食を食す。その身体は、世間の人の身体でもなく、天上の人の身体でもない。みな衆善の徳を積み、自然で虚無の身体を受けるのである。その美しさは比類なくすぐれている。」

佛語阿難:「如世間貧窮乞丐人,令在帝王邊住者,其人面目形貌何等類乎?寧類帝王面目形貌顏色不?」

仏が阿難に告げた。「たとえば、世の中の貧しくて物乞いをする人が、帝(王)のそばに住むとしたら、その人の顔や姿はどのようなものであろうか。はたして帝王の顔つきや姿、色つやに似るであろうか。」

阿難言:「假令使子在帝王邊住者,其面目形狀甚醜惡不好,不如帝王面目形類姝好百千億萬倍也。所以者何?見乞人貧窮困極,飲食未曾有美食時也。既惡食不能得飽食,食栽支命,骨節相撐拄。無所用自給,常乏無有儲,飢餓寒凍,怔忪愁苦。但坐其前世宿命為人時,愚癡無智富益慳,有財不肯慈哀、仁賢為善、博愛施與,但欲唐得,貪惜飲食,獨食嗜美,不信施貸後得償報也。復不信作善後世得其福,蒙籠頑佷益作眾惡。如是,壽終財物盡索,素無恩德無所恃怙,入惡道中坐之適苦,然後得出解脫。今生為人,作於下賤貧家作子,強像人形,狀貌甚醜。衣被弊壞,單空獨立,不蔽形體,乞匃生活耳。飢寒困苦,面目羸劣,不類人色。坐其前世身之所作,受其殃罰,示眾見之莫誰哀者;棄捐市道,暴露痟瘦,黑醜惡極不及人耳。

阿難よ、たとえ人が帝王のそばに住んでいたとしても、その人の顔立ちや姿は非常に醜くて見苦しく、帝王の美しく整った姿には、千倍、万倍、百億万倍も及ばないのです。なぜかと言えば、乞食のように貧しくて極度に困窮し、これまで一度も美味しい食べ物を口にしたことがないからです。粗末な食べ物さえ満足に食べられず、かろうじて命をつなぎ、骨と骨が互いに支え合っているような有様です。自分の力で生計を立てることもできず、常に乏しくて蓄えがなく、飢えと寒さに悩み、不安と苦しみに苛まれています。これはひとえに、前世で人として生きた時の行いの報いなのです。愚かで無知なのに、富んでいるといっそう欲深く、財産があっても慈しみの心を持たず、仁徳ある善行をせず、広く愛を施すこともありません。ただただ不当に手に入れようと欲しがり、食べ物や飲み物に執着して、良い物を独り占めして味わい、施しをすれば後で必ず報いがあるということを信じず、善行を積めば後世に幸福が得られるということも信じませんでした。頑なで愚かで、様々な悪業を重ねたのです。こうして寿命が尽き、財産もすべて失われ、元々の恩徳もなく頼るべきものもなく、悪道に落ちて苦しみを受けた後、ようやく解脱して出てくることができました。今、人として生まれても、賤しい貧しい家の子として生まれ、かろうじて人の形をしているものの、姿は非常に醜いのです。衣服はぼろぼろで破れ、ただ一枚の薄着で、体を覆うこともできず、物乞いをして生計を立てています。飢えと寒さに苦しみ、顔つきはやつれて弱々しく、人の色とは思えないありさまです。これは前世の身が行ったことの報いであり、その災いと罰を受けているのです。人々に示され、見せしめにされても、誰も哀れむ者はなく、街角に捨てられ、やせ細り、黒ずんで醜く、並の人間にも劣るのです。

「所以帝王人中獨尊最好者何?皆其前世宿命為人時作善,信愛經道,布施恩德,博愛順義,慈仁喜與。不貪飲食,與眾共之,無所遺惜,都無違諍。得其福德,壽終德隨,不更惡道。今生為人,得生王家,自然尊貴,獨王典主,攬制人民,為人雄傑。面目潔白,和顏好色,身體端正,眾共敬事。美食、好衣隨心恣意,在樂所欲自然在前,都無違諍。於人中姝好,無憂快樂,面色光澤,故乃爾耳。」

だから、帝王は人々の中で最も尊く、最高の存在であるのはなぜか。それはすべて、前世の宿命で人として生きた時に善を行い、経典の教えを信じ愛し、施しを行い徳を積み、広く慈愛をもって皆を愛し義に従い、慈悲深く喜んで与えたからである。食べ物に執着せず、皆と分かち合い、惜しむことなく与え、争うことがなかった。その功徳により、寿命が尽きても徳がともにあり、悪い道に落ちることはなかった。今世に人として生まれ、王家に生まれることができ、自然と尊く貴く、唯一の王として民を治め、人々の模範となる。顔は清らかで白く、優しい表情で美しい姿を持ち、体は端正で、皆が敬い仕える。美食や良い衣服も心のままに楽しめ、望むものは自然と目の前に現れ、争うことがない。人々の中で最も優れて美しく、憂いなく幸せで、顔色は光沢に満ちている。だからこのようなのである。

佛說無量清淨平等覺經卷第一

仏説無量清浄平等覚経 巻第一


第二

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