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大楽金剛不空真実三昧耶経般若波羅蜜多理趣釈 (大樂金剛不空真實三昧耶經般若波羅蜜多理趣釋)

「大樂金剛不空真實三昧耶經般若波羅蜜多理趣釋」について

唐 · 底本の訳者:不空

1.5 万字 · 約 49 分

『大楽金剛不空真実三昧耶経般若波羅蜜多理趣釈』は、唐代の高僧、不空三蔵によって漢訳された仏教密教の経典であり、『理趣経』に対する重要な注釈書です。不空は唐代密教の代表的な人物の一人で、善無畏、金剛智とともに「開元の三大士」と称され、中国における密教の発展に深遠な影響を与えました。この経典は、般若波羅蜜多の甚深なる理趣を明らかにし、顕教と密教の教義を融合させ、大楽と空性の不二の関係を重点的に解き明かすとともに、即身成仏という密教思想を強調しています。経文は十七清浄句の意義を体系的に解釈し、密教修行の理論的根拠を提供しており、唐密および東密の体系において崇高な地位を占め、密教哲学と実践を研究する上で重要な文献です。


大樂金剛不空真實三昧耶經般若波羅蜜多理趣釋卷上

大楽金剛不空真実三昧耶経般若波羅蜜多理趣釈 上巻

開府儀同三司特進試鴻臚卿肅國公食邑三千戶賜紫贈司空謚大鑒正號大廣智大興善寺三藏沙門不空奉 詔譯

開府儀同三司・特進・試鴻臚卿・肅国公・食邑三千戸・紫衣賜与・司空追贈・諡号大鑑・正号大広智・大興善寺三蔵沙門不空、詔を奉じて訳す。

「如是」者,所謂結集之時,所指是經也。「我聞」者,蓋表親從佛聞也。「一時」者,當說經之時,其地六種震動或天雨眾花,餘時則無此相。又三乘種性皆獲聖果,乃稱一時也。「婆伽梵」者,能破義也。所破者,破四魔也。又有六義,如聲論所釋,熾盛、自在與端嚴等也。「成就殊勝」者,毘盧遮那自覺聖智也。「一切如來」者,准瑜伽教中五佛是也。其五佛者,即盡虛空遍法界無盡無餘佛聚成此五身也。「金剛加持」者,表如來十真如、十法界、十如來地,以成上下十峰金剛大空智處。加持者,表如來於中道,十六大菩薩普賢智從此展轉流出,共成三十七位,已成解脫輪大曼茶羅。「三昧耶智」者,誓也,亦曼茶羅也。勿令將來最上乘者不從師受而專意自受也,是故得知修最上乘者必須師受三昧耶然後可修行也。「已得一切如來灌頂寶冠為三界主」者,如來在因地從灌頂師入三昧耶智曼茶羅,阿闍梨加持弟子身中本有如來藏性,發金剛加持,以成修真言行菩薩法器,則堪任持明等乃至傳受印可等灌頂階位,以此為初因,由三密四智印相應,成究竟三界法王主以為果。「已證一切如來一切智智瑜伽自在。」已證一切如來者,同上所說五佛也。一切智智者,唯佛自證之智,皆以瑜伽法相應,獲得於法自在。能作一切如來一切印者,四智印也。「平等種種事業,於無盡無餘一切眾生界,一切意願作業皆悉圓滿。」能作,由獲瑜伽自在故能作。一切如來,五佛,亦如前釋。一一佛皆有一切印平等羯磨處智,遍至無盡無餘佛剎眾生界,能作種種利益,究竟安樂一切有情界悉令圓滿,上中下一一皆成九品悉地。「常恒三世一切時」者,身語意業金剛大毘盧遮那如來也。常恒者,表如來清淨法界智,無始時來本有,處煩惱而不減,與淨法相應,證清淨而不增也。三世者,為過去未來現在是也。一切時者,在於異生時,後證聖果時,三業清淨猶如虛空,身語意業不被虛妄分別所生煩惱所染故也。金剛者,證得佛地一切法自在。得證身口意三密金剛,於藏識中修道,煩惱習氣堅若金剛難摧,用以大空金剛智三摩地證得法身光明遍照毘盧遮那如來也。

「如是」とは、結集の時に指し示された、まさにこの経のことです。「我聞」とは、親しく仏から聞いたことを表しています。「一時」とは、この経を説かれる時のことで、その地に六種の震動が起こり、あるいは天から多くの花が降り注ぎますが、他の時にはこのような瑞相はありません。また、三乗の種性が皆、聖なる果を得る、それゆえ「一時」と称するのです。「婆伽梵」とは、能く破るという意味です。破るものとは、四魔を破ることです。また六つの意味があり、声論で説かれるところによれば、熾盛・自在・端厳などです。「成就殊勝」とは、毘盧遮那の自覚聖智のことです。「一切如来」とは、瑜伽教における五仏に準じます。その五仏とは、すなわち虚空を尽くし法界に遍じる無尽無余の仏が集まって、この五身を成じたものです。「金剛加持」とは、如来の十真如・十法界・十如来地を表し、それによって上下十峰の金剛大空智の処を成じます。加持とは、如来が中道において、十六大菩薩の普賢智がここから展転して流出し、共に三十七位を成し、すでに解脱輪の大曼荼羅を成じたことを表しています。「三昧耶智」とは、誓いであり、また曼荼羅でもあります。将来の最上乗の者たちが、師から受けずに勝手に独りで受けることがないようにするためです。それゆえ、最上乗を修める者は必ず師から三昧耶を受けてから、修行することができると知られるのです。「已得一切如来灌頂宝冠為三界主」とは、如来が因地において灌頂の師から三昧耶智の曼荼羅に入り、阿闍梨が弟子の身中に本有の如来蔵性を加持し、金剛加持を発し、真言行を修める菩薩の法器を成じて、持明などを保ち、さらには印可などを伝受する灌頂の階位に堪えることができることです。これを初因とし、三密と四智印が相応することによって、究竟の三界法王主を成じることを果とするのです。「已証一切如来一切智智瑜伽自在」とは、すでに一切如来を証するとは、前述の五仏と同じです。一切智智とは、ただ仏のみが自証する智であり、すべて瑜伽の法をもって相応し、法において自在を得るのです。能く一切如来の一切印を作すとは、四智印のことです。「平等種々事業、於無尽無余一切衆生界、一切意願作業皆悉円満」とは、能く作すとは、瑜伽自在を得たことによって能く作すのです。一切如来、五仏も、また前述のとおりに解釈します。一一の仏に皆、一切印平等の羯磨処智があり、無尽無余の仏刹衆生界に遍至し、能く種々の利益を作し、究竟の安楽を一切有情界に与えてことごとく円満せしめ、上中下の一一が皆、九品の悉地を成じます。「常恒三世一切時」とは、身語意業の金剛大毘盧遮那如来のことです。常恒とは、如来の清浄法界智を表し、無始時来、本有にして、煩悩の処にあっても減ぜず、浄法と相応して、清浄を証しても増さないのです。三世とは、過去・未来・現在です。一切時とは、異生の時においても、後に聖果を証する時においても、三業は清浄なること虚空のようであり、身語意業が虚妄分別から生じる煩悩に染められないからです。金剛とは、仏地において一切法の自在を証得することです。身口意の三密金剛を証得し、蔵識の中で道を修し、煩悩の習気は堅固なること金剛のごとく摧き難く、大空金剛智の三摩地をもって法身光明遍照の毘盧遮那如来を証得するのです。

經云「在於欲界他化自在天王宮中一切如來常所遊處,吉祥稱嘆大摩尼殿,種種間錯鈴鐸繒幡微風搖擊,珠鬘瓔珞半滿月等而為莊嚴。」他化自在天宮者,名為欲界頂,他化自在天王宮殿。菩薩證得第六地,位現前地菩薩,住般若波羅蜜觀,多作此天眾王,為天人說般若波羅蜜。其天界,五欲殊勝超越諸天,是故毘盧遮那佛為金剛薩埵說大樂大貪染,加持現證瑜伽理趣速疾。由是得聞,不染世間雜染諸煩惱,超越摩羅之境。其宮殿是大樂不空金剛薩埵大曼茶羅,皆從毘盧遮那佛福德資糧出生。大妙金剛五寶所成金剛峰寶樓閣,其曼茶羅四方,八柱列八位。四門中位毘盧遮那遍照如來內證之智,解脫是也。其八位,後當說。

経にこう説かれています。「欲界の他化自在天の王宮の中にあり、すべての如来が常に遊行される場所である。吉祥と称えられる大摩尼殿には、さまざまなものが交じり合って飾られ、鈴や鐸、繒や幡が微風に揺れて鳴り響き、珠の鬘や瓔珞、半満月などが荘厳をなしている。」他化自在天宮とは、欲界の頂点にあたる、他化自在天王の宮殿をいいます。菩薩が第六地を証得し、位が現前地に至りますと、般若波羅蜜の観を住し、多くこの天の衆の王となり、天人のために般若波羅蜜を説きます。その天界は、五欲が殊勝で他の諸天を超越しています。それゆえ毘盧遮那仏は金剛薩埵のために、大楽と大貪染を説き、加持して瑜伽の理趣を現証し速疾に成就させます。これによって聞くことができ、世間の雑染なる諸煩悩に染まらず、摩羅の境界を超越します。その宮殿は、大楽不空金剛薩埵の大曼茶羅であり、すべて毘盧遮那仏の福徳資糧から生じたものです。大妙金剛の五宝によって成る金剛峰宝楼閣であり、その曼茶羅の四方に、八柱が八位を並べています。四門の中位は、毘盧遮那遍照如来の内証の智慧、すなわち解脱です。その八位については、後に説きます。

經云「與八十俱胝菩薩眾俱,所謂金剛手菩薩摩訶薩、觀自在菩薩摩訶薩、虛空藏菩薩摩訶薩、金剛拳菩薩摩訶薩、文殊師利菩薩摩訶薩、纔發心轉法輪菩薩摩訶薩、虛空庫菩薩摩訶薩、摧一切魔菩薩摩訶薩,與如是等大菩薩眾恭敬圍繞而為說法。」一一菩薩同類種性,有十俱胝眾。金剛手菩薩者,在毘盧遮那前月輪中,表一切如來菩提心。初發菩提心,由金剛薩埵加持,修證普賢行願,證如來地。觀自在菩薩者,在毘盧遮那後月輪,表一切如來大悲。隨緣六趣,拔濟一切有情生死雜染苦惱,速證清淨三摩地,不著生死不證涅槃,皆由觀自在菩薩金剛法現證。虛空藏菩薩者,在毘盧遮那右月輪,表一切如來真如恒沙功德福資糧聚。由修虛空藏菩薩行,行四種施,後當說。三輪清淨,喻若虛空,無盡有為無漏成受用變化身資糧也。金剛拳菩薩,在毘盧遮那左月輪,表一切如來三種祕密在金剛拳菩薩掌。由真言行菩薩,以入輪壇得灌頂者,得聞如來三業密教修行,獲得世出世殊勝悉地,淨除無始十種不善惡業,證得無障礙究竟智。文殊師利菩薩,在東南隅月輪,表一切如來般若波羅蜜多慧劍。住三解脫門,能顯真如法身常樂我淨。由菩薩證此智,便成等正覺也。纔發心轉法輪菩薩者,在西南隅月輪,表一切如來四種輪:金剛界輪、降三世輪、遍調伏輪、一切義成就輪。由修真言行菩薩,得入如是等輪,依四種智印以成十六大菩薩生,便證無上菩提。虛空庫菩薩者,在西北隅,表一切如來廣大供養儀。由修真言行菩薩,修得虛空庫菩薩瑜伽三摩地,於一念頃,身生盡虛空遍法界一一佛前,於大眾會以種種雲海供養奉獻如來,便從一切佛聞說妙法,速滿福德智慧資糧。以虛空為庫藏,隨緣諸趣拯濟利益諸有情,漸引致無上菩提以為巧便。摧一切魔菩薩,在東北隅,表一切如來大悲方便。外示現威怒、內懷悲愍,住加行位,護持修行、辟除諸障。成菩提時,摧伏天魔及摩醯首羅一切難調伏者,令彼等受化,致於無上菩提,以忿怒智而成究竟。如上所釋八大菩薩,攝三種法,所為菩提心、大悲、方便是也。如上所釋諸菩薩,包括一切佛法真言門及一切顯大乘,如是等大菩薩眾恭敬圍遶。八供養及四門菩薩等,以表如來三昧眷屬。

経に云く、「八十倶胝の菩薩衆と俱なり。いわゆる金剛手菩薩摩訶薩、観自在菩薩摩訶薩、虚空蔵菩薩摩訶薩、金剛拳菩薩摩訶薩、文殊師利菩薩摩訶薩、纔発心転法輪菩薩摩訶薩、虚空庫菩薩摩訶薩、摧一切魔菩薩摩訶薩と、かくのごとき等の大菩薩衆と共に恭敬囲繞して、ために法を説きたまう」と。一一の菩薩は同じ類の種性にして、十倶胝の衆があります。金剛手菩薩は、毘盧遮那の前の月輪におられ、一切如来の菩提心を表します。初めて菩提心を発し、金剛薩埵の加持によって普賢行願を修証し、如来地を証します。観自在菩薩は、毘盧遮那の後の月輪におられ、一切如来の大悲を表します。縁に随って六趣に赴き、一切有情の生死雑染の苦悩を抜済し、速やかに清浄なる三摩地を証し、生死に著せず涅槃にも証せず、すべて観自在菩薩の金剛法の現証によるものです。虚空蔵菩薩は、毘盧遮那の右の月輪におられ、一切如来の真如恒沙の功徳福資糧聚を表します。虚空蔵菩薩の行を修することにより、四種の施を行じますが、それは後に説きます。三輪清浄にして虚空のごとく、無尽の有為無漏にして受用変化身の資糧を成します。金剛拳菩薩は、毘盧遮那の左の月輪におられ、一切如来の三種の祕密が金剛拳菩薩の掌にあることを表します。真言行の菩薩が、輪壇に入り灌頂を得た者は、如来の三業の密教修行を聞き、世出世の殊勝なる悉地を得、無始の十種の不善悪業を浄除し、無障礙究竟の智を証得します。文殊師利菩薩は、東南の隅の月輪におられ、一切如来の般若波羅蜜多の慧剣を表します。三解脱門に住し、よく真如法身の常楽我浄を顕します。菩薩がこの智を証すれば、すなわち等正覚を成じます。纔発心転法輪菩薩は、西南の隅の月輪におられ、一切如来の四種の輪、すなわち金剛界輪、降三世輪、遍調伏輪、一切義成就輪を表します。真言行を修する菩薩が、かくのごとき等の輪に入り、四種の智印によって十六大菩薩の生を得れば、すなわち無上菩提を証します。虚空庫菩薩は、西北の隅におられ、一切如来の広大なる供養の儀を表します。真言行を修する菩薩が、虚空庫菩薩の瑜伽三摩地を修得すれば、一念の頃に、身が尽虚空遍法界の一一の仏の前に生じ、大衆会において種々の雲海の供養をもって如来に奉献し、すなわち一切の仏より妙法を聞き、速やかに福徳智慧の資糧を満たします。虚空をもって庫蔵となし、縁に随って諸趣に赴き諸有情を拯済利益し、漸く無上菩提に引き致すをもって巧便となします。摧一切魔菩薩は、東北の隅におられ、一切如来の大悲方便を表します。外には威怒を現じ、内には悲愍を懐き、加行位に住し、修行を護持し諸障を辟除します。菩提を成ずる時、天魔および摩醯首羅の一切難調伏の者を摧伏し、彼等をして化を受けしめ、無上菩提に致し、忿怒の智をもって究竟を成じます。以上に釈したところの八大菩薩は、三種の法を摂します。いわゆる菩提心、大悲、方便であります。以上に釈したところの諸菩薩は、一切の仏法の真言門および一切の顕大乗を包括します。かくのごとき等の大菩薩衆が恭敬囲遶します。八供養および四門菩薩等は、如来の三昧の眷属を表します。

經云「而為說法初中後善」者,所說何法?諸大菩薩般若理趣。初善者,一切如來身密,一切契印,身威儀也。中善者,一切如來語密,真言陀羅尼,法王教勅不可違越也。後善者,本尊瑜伽,一切三摩地無量智解脫也。又一釋:初善者,增上戒學;中善者,增上心學;後善者,增上慧學。「文義巧妙」者,文巧,依聲論,詞韻清雅,具六十四種梵音也。義妙者,依二諦,世俗、勝義諦也。「純一」者,表如來瑜伽不與三乘同共教故,唯如來究竟內證不共佛法法園樂智。「圓滿」者,由如上智能斷三界九地見道修道一切煩惱及習氣,斷二種障,二種資糧圓滿也。「清淨」者,表離垢清淨。由瑜伽法,一念淨心相應,便證真如實際,不捨大悲,於淨穢土受用身變化身成佛。

経に「而も為に法を説くこと初め・中・後みな善し」とあるのは、どのような法を説くのでしょうか。諸の大菩薩の般若理趣です。初めの善とは、一切如来の身密、一切の契印、身の威儀のことです。中の善とは、一切如来の語密、真言陀羅尼であり、法王の教勅は違えることはできないということです。後の善とは、本尊瑜伽、一切の三摩地の無量の智解脱です。また別の解釈では、初めの善とは増上戒学、中の善とは増上心学、後の善とは増上慧学です。「文義巧妙」とは、文が巧みであるとは声論に依り、詞韻が清雅で、六十四種の梵音を具えていることです。義が妙であるとは二諦、すなわち世俗諦と勝義諦に依ることです。「純一」とは、如来の瑜伽が三乗と共通の教えではないことを示し、ただ如来の究竟の内証である不共の仏法、法園楽智のみであることです。「円満」とは、以上の智慧によって三界九地の見道・修道の一切の煩悩および習気を断じ、二種の障を断じ、二種の資糧が円満であることです。「清浄」とは、垢を離れた清浄を示します。瑜伽の法により、一念の浄心が相応すれば、ただちに真如実際を証し、大悲を捨てず、浄土にも穢土にも受用身・変化身として成仏します。

經云「潔白」者,清淨法界本來不染,與無量雜染覆蔽異生無明住地,其性亦不減;預聖流證佛地,其性亦不增加。

経に「潔白」というのは、清浄な法界がもともと汚れに染まらず、無量の雑染に覆われて異生の無明住地にあるときも、その本性は減ることはなく、聖流に預かり仏地を証しても、その本性は増えることはない、ということです。

經云「說一切法清淨句門」者,為修瑜伽行者於生死流轉不染故,廣作利樂有情事故,速證無量三摩地解脫智慧故,速集廣大福德資糧故,超越一切魔羅、毘那夜迦眾,速疾得世出世間勝願滿足故,說如來大悲。「愍念最上乘種性」者,脫十七種清淨瑜伽三摩地,是故諸契經說三界唯心,由心清淨有情清淨,由心雜染有情雜染。又說有情界是菩薩淨妙佛國土,由修得十七清淨句門是也。

経に「一切法清浄句門を説く」とあるのは、瑜伽行者が生死の流転において染まらないためであり、広く有情のために利楽の事を作すためであり、速やかに無量の三摩地解脱智慧を証するためであり、速やかに広大な福德資糧を集めるためであり、一切の魔羅・毘那夜迦の衆を超越し、速やかに世間・出世間の勝願を満足させるためであるとして、如来の大悲を説かれています。「最上乗の種性を愍念する」とは、十七種の清浄なる瑜伽三摩地を脱することをいい、それゆえ諸の契経には三界は唯心であり、心が清浄であれば有情も清浄であり、心が雑染であれば有情も雑染であると説かれています。また有情界は菩薩の浄妙なる仏国土であると説かれており、それは十七の清浄句門を修めて得ることによるのです。

經云「所謂妙適清淨句是菩薩位」者。妙適者,即梵音蘇囉多也。蘇囉多者,如世間那羅那哩娛樂。金剛薩埵亦是蘇囉多,以無緣大悲遍緣無盡眾生界,願得安樂利益心曾無休息,自他平等無二,故名蘇囉多耳。由修金剛薩埵瑜伽三摩地,得妙適清淨句,是故獲得普賢菩薩位。「欲箭清淨句是菩薩位」者,由修慾金剛瑜伽三摩地,得慾箭清淨句,是故獲得慾金剛菩薩位。

経典に「いわゆる妙適清浄句はこれ菩薩の位である」とあるのは、妙適とは、すなわち梵語の蘇囉多です。蘇囉多とは、世間の那羅那哩の娯楽のようなものです。金剛薩埵もまた蘇囉多です。無縁の大悲によって尽きることのない衆生界をあまねく縁とし、安楽と利益を得させたいという心がかつて休むことがなく、自他平等で二つがないため、蘇囉多と名づけるのです。金剛薩埵の瑜伽三摩地を修めることによって、妙適清浄句を得て、それゆえに普賢菩薩の位を獲得します。「欲箭清浄句はこれ菩薩の位である」とあるのは、欲金剛の瑜伽三摩地を修めることによって、欲箭清浄句を得て、それゆえに欲金剛菩薩の位を獲得するのです。

「觸清淨句是菩薩位」者,由修金剛髻離吉羅瑜伽三摩地,得觸清淨句,是故獲得金剛髻離吉羅菩薩位。

「触清浄句はこれ菩薩の位なり」とは、金剛髻離吉羅(こんごうけいりきら)の瑜伽三摩地を修めることによって、触清浄句を得るのであり、それゆえに金剛髻離吉羅菩薩の位を獲得するのです。

「愛縛清淨句是菩薩位」者,由修愛縛金剛瑜伽三摩地,得愛縛清淨句,是故獲得愛金剛菩薩位。

「愛縛清浄句はこれ菩薩の位である」とは、愛縛金剛瑜伽の三摩地を修めることによって、愛縛清浄句を得るのであり、それゆえ愛金剛菩薩の位を獲得します。

「一切自在主清淨句是菩薩位」者,由修金剛傲瑜伽三摩地,得一切自在主清淨句,是故獲得金剛傲菩薩位。

「一切自在主清淨句是菩薩位」とは、金剛傲(こんごうごう)の瑜伽三摩地を修めることによって、一切自在主清淨句を得るのであり、それゆえに金剛傲菩薩の位を獲得するのです。

「見清淨句是菩薩位」者,由修意生金剛瑜伽三摩地,得見清淨句,是故獲得意生金剛菩薩位。

「見清浄句これ菩薩の位なり」とは、意生金剛瑜伽三摩地を修行することによって、見清浄句を得るため、それゆえに意生金剛菩薩の位を得るのです。

「適悅清淨句是菩薩位」者,由修適悅金剛瑜伽三摩地,得適悅清淨句,是故獲得適悅金剛菩薩位。

「適悦清浄の句はこれ菩薩の位なり」とは、適悦金剛瑜伽の三摩地を修めることによって、適悦清浄の句を得て、それゆえに適悦金剛菩薩の位を獲得するということです。

「愛清淨句是菩薩位」者,由修貪金剛瑜伽三摩地,得愛清淨句,是故獲得貪金剛菩薩位。

「愛清浄句はこれ菩薩の位なり」とは、貪の金剛瑜伽三摩地を修めることによって、愛清浄句を得て、それゆえに貪金剛菩薩の位を獲得するのです。

「慢清淨句是菩薩位」者,由修金剛慢瑜伽三摩地,得慢清淨句,是故獲得金剛慢菩薩位。

「慢清浄句はこれ菩薩の位なり」とは、金剛慢(こんごうまん)の瑜伽三摩地を修めることによって、慢清浄句を得るのであり、それゆえに金剛慢菩薩の位を獲得するのです。

「莊嚴清淨句是菩薩位」者,由修春金剛瑜伽三摩地,得莊嚴清淨句,是故獲得春金剛菩薩位。

「莊嚴清浄句是れ菩薩の位なり」とは、春金剛瑜伽の三摩地を修めることによって、荘厳清浄句を得て、それゆえに春金剛菩薩の位を獲得するのです。

「意滋澤清淨句是菩薩位」者,由修雲金剛瑜伽三摩地,得意滋澤清淨句,亦云喜悅清淨句,是故獲得雲金剛菩薩位。

「意滋澤清浄句是菩薩位」とは、雲金剛瑜伽三摩地を修めることにより、意滋澤清浄句、またの名を喜悦清浄句を得て、それによって雲金剛菩薩の位を獲得することをいいます。

「光明清淨句是菩薩位」者,由修秋金剛瑜伽三摩地,得光明清淨句,是故獲得秋金剛菩薩位。

「光明清浄句はこれ菩薩の位である」とは、秋金剛瑜伽の三摩地を修めることによって、光明清浄句を得るのであり、それゆえに秋金剛菩薩の位を獲得するのです。

「身樂清淨句是菩薩位」者,由修冬金剛瑜伽三摩地,得身樂清淨句,是故獲得冬金剛菩薩位。

「身楽清浄句はこれ菩薩の位である」とは、冬金剛瑜伽の三摩地を修めることによって、身楽清浄句を得て、それゆえに冬金剛菩薩の位を獲得するということです。

「色清淨句是菩薩位」者,由修色金剛瑜伽三摩地,得色清淨句,是故獲得色金剛菩薩位。

「色清浄句はこれ菩薩の位なり」とは、色金剛瑜伽三摩地を修めることによって、色清浄句を得て、それゆえに色金剛菩薩の位を獲得するという意味です。

「聲清淨句是菩薩位」者,由修聲金剛瑜伽三摩地得聲清淨句,是故獲得聲金剛菩薩位。

「声清浄句はこれ菩薩の位である」とは、声金剛瑜伽三摩地を修めることによって声清浄句を得るため、それゆえ声金剛菩薩の位を獲得するのです。

「香清淨句是菩薩位」者,由修香金剛瑜伽三摩地,得香清淨句,是故獲得香金剛菩薩位。

「香清浄句はこれ菩薩の位なり」とは、香の金剛瑜伽三摩地を修めることによって、香の清浄句を得て、それゆえに香金剛菩薩の位を獲得するということです。

「味清淨句是菩薩位」者,由修味金剛瑜伽三摩地,得味清淨句,是故獲得味金剛菩薩位。「何以故?一切法自性清淨,故般若波羅蜜多清淨」者,雖一切法本來清淨,由有客塵煩惱習氣覆蔽身心輪迴六趣。由獲得瑜伽理趣四種智印,所謂大智印、三昧耶智印、法智印、羯磨智印,如前菩薩一一具四種印,相應方得離垢清淨,便證普賢大菩薩位。設使因緣不具不得四智印,如經「所說一聞於耳,獲得勝福決定不異,疾證無上正等菩提。」以為正因。

「味清浄句是れ菩薩の位なり」とは、味金剛瑜伽三摩地を修めることによって味清浄句を得て、それゆえに味金剛菩薩の位を獲得するということです。「何以故にか。一切法の自性清浄なるがゆえに般若波羅蜜多も清浄なり」とは、すべての法は本来清浄であるけれども、客塵煩悩の習気が身心を覆い隠すために六趣を輪廻するのです。瑜伽の理趣による四種の智印、すなわち大智印・三昧耶智印・法智印・羯磨智印を獲得し、前述のように菩薩が一々に四種の印を具えて、それらと相応して初めて垢を離れて清浄となり、そのまま普賢大菩薩の位を証するのです。たとえ因縁が具わらず四智印を得ることができなくても、経に「説かれるところの、ひとたび耳に聞けば勝れた福を得て決定して異なることなく、速やかに無上正等菩提を証する」ということが、正しい因となると考えます。

「金剛手!若有聞此清淨出生句般若理趣,乃至菩提道場,一切蓋障及煩惱障,法障,業障設廣積集,必不墮於地獄等趣。設作重罪,消滅不難。若能受持、日日讀誦、作意思惟,即於現生證一切法平等金剛三摩地,於一切法皆得自在,受於無量適悅歡喜。以十六大菩薩生獲得如來及執金剛位」者,毘盧遮那佛在大眾中,為未來有情修瑜伽者,對諸十地菩薩,說受持讀誦具修行福利,速滅無始時來無量諸重業障,乃至盡未來際,以悲愍廣大願力,周遊六趣利樂有情。由聞及修,不染不受諸不善異熟業,獲得世間出世間殊勝悉地,即於十六大生作金剛薩埵菩薩等乃至金剛拳菩薩,最後身便成毘盧遮那身也。

金剛手よ、もしこの清浄出生句般若理趣を聞いて、さらには菩提道場に至るまで、一切の蓋障および煩悩障・法障・業障を、たとえ広く積み集めたとしても、必ず地獄などの趣に堕ちることはありません。たとえ重い罪を作しても、消し滅ぼすことは難しくありません。もしよく受持し、日々に読誦し、作意思惟するならば、すなわち現生において一切法平等金剛三摩地を証し、一切法において皆自在を得て、無量の適悦歓喜を受けます。十六大菩薩の生によって、如来および執金剛の位を獲得するのです。

というのは、毘盧遮那仏が大衆の中で、未来の有情で瑜伽を修める者のために、諸の十地菩薩に対して、受持読誦し修行を具える福利を説かれました。それは、無始時来の無量の諸々の重い業障を速やかに滅ぼし、さらには未来際を尽くすまで、悲愍の広大な願力によって、六趣を周遊して有情を利楽するというものです。聞くことと修めることによって、諸々の不善の異熟業に染まらず受けず、世間と出世間の殊勝な悉地を獲得し、すなわち十六大生において金剛薩埵菩薩などをはじめ、金剛拳菩薩に至るまでとなり、最後身においてはそのまま毘盧遮那の身となるのです。

「時婆伽梵一切如來大乘現證三昧耶一切曼茶羅持金剛勝薩埵於三界中調伏無餘一切義成就金剛手菩薩摩訶薩為欲顯明此義故,熙怡微笑,左手作金剛慢印、右手抽擲本初大金剛作勇進勢,說大樂金剛不空三昧耶心」者,婆伽梵義如前所釋。一切如來,大曼茶羅中五方佛也。大乘有七義:一者法大、二者心大、三者勝解大、四者意樂大、五者資糧大、六者時大、七者究竟大。由諸菩薩承此大乘,證得無上正等菩提。現證者,瑜伽師所證三摩地境也。三昧耶者,名為本誓,亦名時,亦名期契,亦為曼茶羅之異名。一切曼茶羅者,於本部四種曼茶羅:一、大曼茶羅;二、三昧耶曼茶羅;三、法曼茶羅;四、羯磨曼茶羅。以此四種曼茶羅,攝瑜伽一切曼茶羅。金剛勝薩埵者,金剛義菩提心是也。勝,謂最勝。薩埵,名勇猛。於三界中調伏者,三界謂欲界、色界、無色界,於中能調伏摩醯首羅等諸天難調伏者,令得受化無餘。一切義成就者,普賢菩薩異名也。金剛手菩薩摩訶薩者,此菩薩本是普賢,從毘盧遮那佛二手掌親受五智金剛杵,即與灌頂,名之為金剛手。菩薩摩訶薩者,如前所釋。為欲重顯明此義故者,所謂顯明大智印幖幟,首戴五佛寶冠。熙怡微笑,左手作金剛慢印、右手抽擲本初大金剛作勇進勢本初者,本來清淨法界也。左手作金剛慢印者,為降伏左道左行有情,令歸順道。右手抽擲五智金剛杵作勇進勢者,令自他甚深三摩地,順佛道念念昇進,獲得普賢菩薩之地。「即說大樂金剛不空三昧耶本誓心真言吽字」,吽字者,因義。因義者,謂菩提心為因,即一切如來菩提心,亦是一切如來不共真如妙體恒沙功德皆從此生。此一字具四字義,且賀字以為本體,賀字從阿字生,由阿字一切法本不生故,一切法因不可得。其字中有污聲,污聲者,一切法損減不可得。其字頭上有圓點半月,即謂麼字者,一切法我義不可得。我有二種,所謂人我、法我,此二種皆是妄情所執,名為增益邊。若離損減、增益,即契中道。

時、婆伽梵(世尊)について。すべての如来、大乗の現証、三昧耶、すべての曼荼羅、金剛を持する勝れた薩埵、三界の中で余すところなく調伏し、すべての義を成就する金剛手菩薩摩訶薩が、この義を明らかにしようとして、にこやかに微笑み、左手で金剛慢印を結び、右手で本初の大金剛を抽擲して勇進の勢いを示し、大楽金剛不空三昧耶心を説かれた。

「婆伽梵」の義は前述のとおりです。すべての如来とは、大曼荼羅の中の五方仏のことです。大乗には七つの義があります。第一に法大、第二に心大、第三に勝解大、第四に意楽大、第五に資糧大、第六に時大、第七に究竟大です。もろもろの菩薩がこの大乗を受持することによって、無上正等菩提を証得します。現証とは、瑜伽師が証する三摩地の境涯です。三昧耶とは、本誓と名づけ、また時とも名づけ、また期契とも名づけ、また曼荼羅の異名でもあります。すべての曼荼羅とは、この部の四種の曼荼羅、すなわち第一に大曼荼羅、第二に三昧耶曼荼羅、第三に法曼荼羅、第四に羯磨曼荼羅です。この四種の曼荼羅によって、瑜伽のすべての曼荼羅を摂めます。

金剛勝薩埵とは、金剛の義は菩提心のことです。勝とは、最も勝れたものという意味です。薩埵とは、勇猛と名づけます。三界の中で調伏するとは、三界すなわち欲界・色界・無色界の中で、摩醯首羅などのもろもろの天で調伏しがたい者をよく調伏し、余すところなく教化を受けさせることができるということです。一切義成就とは、普賢菩薩の異名です。金剛手菩薩摩訶薩とは、この菩薩はもともと普賢であり、毘盧遮那仏の両の掌から直接五智の金剛杵を授かり、ただちに灌頂を受けて、金剛手と名づけられました。菩薩摩訶薩については、前述のとおりです。

「為欲重顯明此義故」(重ねてこの義を明らかにしようとするため)とは、大智印の幟を明らかにすることをいい、頭に五仏の宝冠を戴くことです。熙怡微笑とは、にこやかに微笑むことです。左手で金剛慢印を結び、右手で本初の大金剛を抽擲して勇進の勢いを示すとは、本初とは、本来清浄な法界のことです。左手で金剛慢印を結ぶとは、左道・左行の有情を降伏し、道に帰順させるためです。右手で五智の金剛杵を抽擲して勇進の勢いを示すとは、自他ともに甚深の三摩地を、仏道に順じて念々に昇進させ、普賢菩薩の地を獲得させるためです。

「即説大楽金剛不空三昧耶本誓心真言吽字」(すなわち大楽金剛不空三昧耶本誓心の真言、吽の字を説く)とは、吽の字とは、因の義です。因の義とは、菩提心を因とするということです。すなわちすべての如来の菩提心であり、またすべての如来に共通しない真如の妙体、恒沙の功徳がみなここから生じます。この一字に四字の義が備わっています。まず賀の字を本体とし、賀の字は阿の字から生じます。阿の字によってすべての法は本として生じないので、すべての法の因は不可得です。その字の中に污の声があります。污の声とは、すべての法は損減することが不可得であるということです。その字の頭の上に円点と半月があり、すなわち麼の字といいますが、すべての法の我の義は不可得であるということです。我には二種あり、いわゆる人我と法我です。この二種はみな妄情が執着するところであり、增益の辺と名づけます。損減と增益を離れれば、すなわち中道に契います。

「􈁴唵」字者,金剛薩埵法智印明也。

「唵」という字は、金剛薩埵の法智の印明です。

「􄗥麼」字者,欲金剛法智印明也。

「麼」という字は、欲金剛の法智印明を表しています。

「􄚩賀」字者,金剛悅喜法智印明也。

「賀」という文字は、金剛悦喜法智印明です。

「􈂼蘇」字者,愛金剛法智印明也。

「蘇」という字は、愛金剛法智印明です。

「􄑌佉」字者,慢金剛法智印明也。

「佉」という字は、慢金剛法智印明です。

「􄙖嚩字」者,意生金剛法智印明也。

「嚩字」とは、意より生じた金剛法の智印の真言のことです。

「􄦽日囉」字者,金剛髻離吉羅法智印明也。

「日囉」という字は、金剛髻離吉羅法智印明です。

「􄙺娑」字者,愛金剛法智印明也。

「娑」という字は、愛金剛法智印明です。

「􄽙多嚩」字者,金剛傲法智印明也。

「多嚩」という字は、金剛傲(金剛慢)の法智印明です。

「􄓁弱」字者,春金剛法智印明也。

「弱」という字は、春の金剛法智印明です。

「􈅼吽」字者,雲金剛法智印明也。

「吽」という字は、金剛法智の印明であると言われています。

「􈆯鑁」字者,秋金剛法智印明也。

「鑁」という字は、秋の金剛法智印の真言です。

「􈁟縠」字者,冬金剛法智印明也。

「縠」という文字は、冬金剛法智印明です。

「􈂼蘇」字者,色金剛法智印明也。

「蘇」という文字は、色金剛法智印明です。

「􄗽囉」字者,聲金剛法智印明也。

「囉」という字は、金剛法智印明の音声です。

「􄕗多」字者,香金剛法智印明也。

「多」という字は、香金剛法智印明です。

「􈁁薩多鑁」字者,味金剛法智印明也。

「薩多鑁」という字は、味金剛法智印明です。

此密言十七字,則為十七菩薩種子,即成法曼茶羅;若畫一一菩薩本形,即成大曼茶羅;若畫本聖者所執持幖幟,即成三昧耶曼茶羅;如前種子字各書本位,即名法曼茶羅;各鑄本形安於本位,即成羯磨曼茶羅。

この密言の十七字は、すなわち十七菩薩の種子であり、そのまま法曼荼羅となります。もし一々の菩薩の本来の姿を描けば、すなわち大曼荼羅となります。もし本の聖者がお持ちになっているしるしを描けば、すなわち三昧耶曼荼羅となります。先の種子字をそれぞれ本来の位置に書き記せば、すなわち法曼荼羅と名づけます。それぞれ本来の姿を鋳造して本来の位置に安置すれば、すなわち羯磨曼荼羅となります。

次說安立次第分曼茶羅位。中央九位,外院更加一重,中央安金剛薩埵,依薩埵菩薩前安慾金剛,右邊安髻離吉羅,後安愛樂金剛,左安金剛慢,右邊前隅安意生金剛,右邊後隅安髻離吉羅,左邊後隅安愛金剛,左邊前隅安傲金剛。以次外院如前,次第安布四隅,初安春金剛,次安雲金剛,次安秋金剛,次安冬金剛。外院前安色金剛,右安聲金剛,後安香金剛,左安味金剛。既安布已,則修行者結三昧耶等印,成本尊瑜伽,加持四處,五方佛灌頂被甲,誦四字明,令召入令縛令歡喜,獻閼伽,即與四智印相應,入三摩地念誦。或瑜伽師坐於中位三摩地中,如前布列,即誦十七字真言,心緣一一理趣清淨句,入一一理趣門,遍周法界,乃至第十七位;周而復始,以心得三摩地為限,即名為大樂不空真實修行瑜伽儀軌(已上大樂不空金剛薩埵初集會品)。

次に、曼荼羅の配置の次第を説きます。中央に九つの位を設け、外院にはさらにもう一重を加えます。中央には金剛薩埵をお安置します。薩埵菩薩の前に慾金剛を、右側に髻離吉羅を、後ろに愛楽金剛を、左側に金剛慢を、右側の前の隅に意生金剛を、右側の後ろの隅に髻離吉羅を、左側の後ろの隅に愛金剛を、左側の前の隅に傲金剛を、それぞれお安置します。次に外院は先ほどと同じように、順を追って四つの隅に配置します。初めに春金剛を、次に雲金剛を、次に秋金剛を、次に冬金剛をお安置します。外院の前には色金剛を、右には声金剛を、後ろには香金剛を、左には味金剛をお安置します。こうして配置を終えたならば、修行者は三昧耶などの印を結び、本尊瑜伽を成し遂げ、四つの場所を加持し、五方仏の灌頂を受けて甲を着け、四字の明を誦し、召し入れて縛し、歓喜させ、閼伽を捧げます。すなわち四智印と相応し、三摩地に入って念誦します。あるいは瑜伽師が中位の三摩地の中に座り、先ほどと同じように配置して、十七字の真言を誦し、心に一つひとつの理趣の清浄な句を縁じ、一つひとつの理趣の門に入り、法界に遍く周り、第十七位に至るまで及びます。これを繰り返し巡らせ、心が三摩地を得ることを限りとし、これを大楽不空真実修行瑜伽儀軌と名づけます。(以上、大楽不空金剛薩埵初集會品)

「時婆伽梵毘盧遮那如來」,婆伽梵者,如前所釋。毘盧遮那如來,名遍照,報身佛,於色界頂第四禪色究竟天成等正覺,為諸菩薩說四種自證自覺聖智、說四智菩提。所謂「金剛平等現正等覺,以大菩提金剛堅固故」者,由如來淨阿賴耶於大圓鏡智相應,證得堅固無漏之三摩地,能淨無始無明地微細煩惱。「義平等現等正覺,以大菩提一義利故」者,第七無漏末那與第八淨阿賴耶識中無漏種子能緣所緣平等平等,離能取所取故,證得平等性智,流出隨其眾生愛樂身,由如眾色摩尼,能作無邊有情義利。「法平等現等覺,以大菩提自性清淨故」者,猶如來清淨意識與妙觀察智相應,證得一切法本性清淨,於淨妙佛國土為諸菩薩能轉無上法輪。「一切業平等現等覺,以大菩提一切分別無分別性故」者,由如來無漏五識與成所作智相應,現三業化,於淨妙國土及雜染世界任運無功用無分別作佛事、有情事。

「時に婆伽梵毘盧遮那如来」とあります。婆伽梵については、すでに前に説明したとおりです。毘盧遮那如来とは、遍照という名で、報身仏です。色界の頂点である第四禅の色究竟天において等正覚を成し、もろもろの菩薩のために四種の自証自覚の聖智を説き、四智の菩提を説かれました。

いわゆる「金剛平等に現に正等覚を現し、大菩提が金剛のように堅固であるがゆえに」とは、如来が清浄な阿頼耶識を大円鏡智と相応させ、堅固で無漏の三摩地を証得し、無始以来の無明地の微細な煩悩を浄めることができるということです。

「義平等に現に等正覚を現し、大菩提が一つの義利であるがゆえに」とは、第七の無漏末那と、第八の浄らかな阿頼耶識の中の無漏の種子とが、能縁と所縁とが平等平等であり、能取と所取とを離れているため、平等性智を証得し、それぞれの衆生の好みに応じた身を流れ出させるということです。それはさまざまな色の摩尼宝のように、無辺の有情のために利益をなすことができます。

「法平等に現に等覚を現し、大菩提が自性清浄であるがゆえに」とは、如来の清浄な意識が妙観察智と相応し、一切の法の本性が清浄であることを証得し、浄妙な仏国土においてもろもろの菩薩のために無上の法輪を転ずることができるということです。

「一切業平等に現に等覚を現し、大菩提が一切の分別・無分別の性であるがゆえに」とは、如来の無漏の五識が成所作智と相応し、三業の化を現し、浄妙な国土および雑染の世界において、任運に無功用・無分別に仏事と有情の事とをなすということです。

「金剛手若有聞此四出生法,讀誦受持,設使現行無量重罪,必能超越一切惡趣,乃至當坐菩提道場,速能剋證無上正覺」者,佛告金剛手菩薩,為未來有情聞此中修理趣福利,心不猶預能發淨信修行,則現世惡報及來生能轉定業,疾證無上菩提也。

「金剛手よ、もしこの四出生法を聞き、読誦し受持する者があれば、たとえ無量の重い罪を現に行っていても、必ず一切の悪趣を超越し、さらには菩提道場に座して、速やかに無上正覚を証することができる」とあるのは、仏が金剛手菩薩に告げて、未来の有情がこの中の修行の理趣と福利を聞き、心にためらいなく清らかな信を発して修行すれば、現世の悪報および来生の定業を転じることができ、速やかに無上菩提を証することを示されたものです。

「時婆伽梵如是說已欲重顯明此義故(此句可以意解不釋),熙怡微笑,持智拳印說一切法自性平等心」者,熙怡微笑持智拳印者,希奇於事,表修行者具一切結使諸煩惱,纔結毘盧遮那大智印、誦心真言,等同遍照尊,則應受一切世間殊勝供養、應受一切如來諸大菩薩禮敬,是故有此微笑也。

「時に婆伽梵がこのように説き終えて、この意義を重ねて明らかにしようとしたので(この句は意味で解することができ、釈する必要はない)、にこやかに微笑み、智拳印を結んで『一切法自性平等心』を説いた」とは、にこやかに微笑み智拳印を結ぶというのは、その事の希有であることを示しています。修行者が一切の結使と諸々の煩悩を備えていても、ただちに毘盧遮那の大智印を結び、心真言を誦すれば、遍照尊と等しくなり、すべての世間の殊勝な供養を受けるべき者となり、一切の如来や諸大菩薩の礼敬を受けるべき者となる、それゆえにこの微笑があるのです。

「􇩱惡引字心真言」者,具含四字為一體:

「悪引字心真言」とは、四字が一体となったものを含んでいます。

􆿅阿字,菩提心義。如此字,一切字之為先,於大乘法中,趣向無上菩提,菩提心為先。

阿字は、菩提心の意味です。この字がすべての字の先頭であるように、大乗の法においては、無上菩提を目指すとき、菩提心がまず第一になります。

􆿆阿引字者,行義,則四智印。瑜伽教中修行速疾方便,由集福德智慧資糧,證成無上菩提正因。第三字極長高聲。

「阿」という字は、行の意味であり、すなわち四智印です。瑜伽の教えにおける修行の速やかな方便であり、福徳と智慧の資糧を集めることによって、無上の菩提を証する正しい因となります。第三の字は、きわめて長く高い声で唱えます。

􆿓暗字者,等覺義,由證無邊智解脫三摩地陀羅尼門,摧伏四種魔羅,受十方一切如來三界法王灌頂,轉正法輪。

暗字(あんじ)は、等覚の意味です。無辺の智解脱の三摩地と陀羅尼の門を証得することによって、四種の魔羅を打ち伏せ、十方のすべての如来から三界の法王の灌頂を受け、正しい法輪を転じられます。

第四惡字者,涅槃義,由斷二種障,謂煩惱、所知之障,證得四種圓寂,所謂一者自性清淨涅槃、二者有餘依涅槃、三者無餘依涅槃、四者無住涅槃。前三通異生、聲聞、緣覺,第四唯佛獨證,不同諸異乘。則此四字是毘盧遮那佛自覺聖智四種智解脫。外現四大轉輪王菩薩,所謂第一金剛薩埵、第二金剛寶菩薩、第三金剛法菩薩、第四金剛羯磨菩薩是也。

第四の悪字とは、涅槃の意味です。二種の障り、すなわち煩悩の障りと所知の障りを断つことによって、四種の円寂を証得します。いわゆる第一は自性清浄涅槃、第二は有余依涅槃、第三は無余依涅槃、第四は無住涅槃です。前三は異生・声聞・縁覚に共通しますが、第四はただ仏だけが独り証得されるもので、他の諸々の異乗とは異なります。この四字は、毘盧遮那仏の自覚聖智による四種の智解脱です。外には四大転輪王菩薩として現れます。いわゆる第一は金剛薩埵、第二は金剛宝菩薩、第三は金剛法菩薩、第四は金剛羯磨菩薩です。

修行者應建立曼茶羅,中央毘盧遮那佛,背日輪,頭冠瓔珞,身著白縠繒衣,結智拳印,坐師子座,身如月殿。毘盧遮那佛前。金剛薩埵菩薩,背月輪,戴五佛冠,右手持金剛杵、左手持鈴,半跏而坐。毘盧遮那佛右邊,虛空藏菩薩,背月輪,右手持金剛寶、左手施願,半跏而坐。毘盧遮那後,觀自在菩薩,左手持蓮華、右手開敷花勢,亦半跏而坐。於毘盧遮那佛左邊月輪,金剛羯磨菩薩,二手作旋舞置於頂上勢。內四隅安四內供養,各各如本形。外四隅置外四供養,各各持本供養具。四門置鉤、索、鎖、鈴菩薩,各住本威儀。毘盧遮那佛成等正覺,由四種瑜伽三摩地,所謂金剛薩埵、金剛寶、金剛法、金剛羯摩等瑜伽三摩地。從金剛薩埵至羯磨,次第流出嬉戲、鬘、歌、舞等菩薩。又從四內供養,依次流出香、花、燈、塗香等四外供養菩薩。又從四大菩薩,各流出四門菩薩。四種曼茶羅,大智三昧耶法羯磨輪也,如前大樂中所說類同。若修瑜伽者成就般若理趣,位於中位,即誦毘盧遮那佛真言:

修行者は曼荼羅を建立すべきです。中央には毘盧遮那仏がおられ、日輪を背にして、頭には瓔珞をいただき、身には白い穀繒の衣をまとい、智拳印を結び、師子座に坐しておられ、その身は月殿のようです。

毘盧遮那仏の前には、金剛薩埵菩薩がおられ、月輪を背にして、五仏冠を戴き、右手に金剛杵を持ち、左手に鈴を持ち、半跏の姿勢で坐しておられます。

毘盧遮那仏の右側には、虚空蔵菩薩がおられ、月輪を背にして、右手に金剛宝を持ち、左手で願を施し、半跏の姿勢で坐しておられます。

毘盧遮那仏の後ろには、観自在菩薩がおられ、左手に蓮華を持ち、右手は花を開かせるしぐさをなし、同じく半跏の姿勢で坐しておられます。

毘盧遮那仏の左側の月輪には、金剛羯磨菩薩がおられ、両手で旋舞のしぐさをなして頭上に置く姿勢をとっておられます。

内側の四隅には四内供養を安置し、それぞれが本来の形のままです。外側の四隅には外四供養を配置し、それぞれが本来の供養具を持っています。

四つの門には鉤・索・鎖・鈴の菩薩を配置し、それぞれが本来の威儀を保っておられます。

毘盧遮那仏が等正覚を成じられたのは、四種の瑜伽三摩地によるものです。いわゆる金剛薩埵・金剛宝・金剛法・金剛羯磨などの瑜伽三摩地です。

金剛薩埵から羯磨に至るまで、次第に嬉戯・鬘・歌・舞などの菩薩が流れ出ます。また四内供養から、順に香・花・燈・塗香などの四外供養菩薩が流れ出ます。また四大菩薩から、それぞれ四門の菩薩が流れ出ます。

四種の曼荼羅とは、大智・三昧耶・法・羯磨の輪です。前の大楽において説かれたものと同類です。

もし瑜伽を修める者が般若理趣を成就し、中位に位置するならば、すなわち毘盧遮那仏の真言を誦します。

「嚩日囉(二合)馱都惡(五字引)」

「嚩日囉(二合)馱都惡(五字引)」

自作本尊瑜伽,以四字明召請曼茶羅聖眾,誦四出生法,運心一一出生遍周法界,周而復始。皆以五智相應,念念能滅諸宿障惡業,現生證菩薩地,後十六生證成毘盧遮那無邊法身,能現於無量淨穢諸剎土報化,現證無上菩提。

自ら本尊瑜伽を行い、四字明によって曼荼羅の聖衆を召請し、四出生法を誦し、心を運らして一つ一つを出生させて法界に遍く行き渡らせ、これを繰り返します。いずれも五智と相応し、念々に宿障の悪業を滅することができ、現生において菩薩地を証し、その後の十六生において毘盧遮那の無辺の法身を証得し、無量の浄穢の諸刹土に報身・化身を現すことができ、無上の菩提を現証します。

大樂金剛不空真實三昧耶經般若波羅蜜多理趣釋卷上

大楽金剛不空真実三昧耶経般若波羅蜜多理趣釈 上巻


第二

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