七俱胝佛母所說準提陀羅尼經會釋卷下附五悔儀并持誦法要
七俱胝仏母所説準提陀羅尼経会釈巻下 五悔儀並びに持誦法要を付す
唐天竺三藏法師大廣智不空奉 詔譯
唐の天竺三蔵法師、大広智不空、詔を奉じて訳す
清粵東鼎湖山菩提心沙門弘贊 會釋
清東鼎湖山菩提心沙門弘贊 會釋
○次說準泥佛母畫像法(亦名尊那菩薩)
次に、准胝仏母の画像法について説きます。(またの名を尊那菩薩ともいいます。)
取不截白氎去毛髮者。㡧於淨壁。先應塗壇。以閼伽飲食隨力供養。畵師應受八戒齋。清淨畫像。其彩色中。勿用皮膠。於新器中調色。應畵準泥佛母像。身黃白色。結跏趺坐。坐蓮華上。身佩圓光。著輕縠。如十波羅蜜菩薩衣。上下皆作白色。復有天衣角絡。瓔珞。頭冠。臂皆著螺釧。檀慧著寶環。
毛を切らない白い氎(木綿)を取り、髪の毛を取り除きます。㡧(画像)は清らかな壁に掛けます。まず壇を塗るべきです。閼伽や飲食を力に応じて供養します。画師は八戒斎を受け、清浄に画像を描きます。その彩色の中には、皮膠を用いてはいけません。新しい器の中で色を調えます。準泥仏母像を描くべきです。身体は黄白色で、結跏趺坐し、蓮華の上に座っています。身体には円光を佩び、軽縠を著けています。十波羅蜜菩薩の衣のように、上下ともに白色です。また天衣の角絡、瓔珞、頭冠があり、臂には皆、螺釧を著け、檀慧には宝環を著けています。
檀慧。即二小指。智譯云。種種莊嚴其身。腰下著白衣。衣上有華。又身著輕羅綽袖天衣。以綬帶繫腰。朝霞絡身。其手腕。以白螺為釧。七寶莊嚴。一一手上。著指環。都十八臂。
檀慧とは、すなわち二本の小指のことである。智訳にはこうある。「その身を種々に荘厳し、腰の下には白衣をまとい、衣の上には華がある。また、軽やかな薄絹の天衣をまとい、袖はゆったりとして、帯で腰を締める。朝霞のような薄衣を身に絡める。その手首には、白螺の腕輪をはめ、七宝で飾られている。それぞれの手には指輪をはめている。合わせて十八臂である。」
其像面有三目。十八臂。上二手作說法相。右第二手作施無畏。第三手執劍。第四手持寶鬘。(貫寶華為鬘)第五手掌俱緣果。
その御姿は、顔に三つの目があり、十八本の腕を持つ。上部の二本の手は説法の印を結んでいる。右の第二の手は施無畏の印を示し、第三の手は剣を持ち、第四の手は宝の花飾りを手にする。(宝の花を糸で通して作った花飾り)第五の手は俱縁果を掌に載せている。
梵云微若布羅迦果。華言子滿果。西竺國有。此間無。
梵語で「ヴィジャプリカ果」といい、華語では「子満果」と訳します。この果物は西インドにあり、この地(中国)にはありません。
第六手持鉞斧。第七手執鈎。第八手執金剛杵。第九手持念珠。
第六の手は斧を掲げ、第七の手は鉤を握り、第八の手は金剛杵を持ち、第九の手は数珠を手にする。
智譯以第四手持念珠。第九手持寶鬘。法賢譯第四手執寶鐸。而無寶鬘。
智者の訳では、第四の手に数珠を持ち、第九の手に宝の花鬘を持つ。法賢の訳では、第四の手に宝の鈴を持ち、宝の花鬘はない。
左第二手執如意寶幢。第三手持開敷紅蓮華。第四手執軍持。(澡罐也)第五手執羂索。第六手持輪。第七手持商佉。(螺也)第八手持賢缾。(即淨瓶也)第九手掌般若梵夾。蓮華下畫水池。池中難陀龍王。塢波難陀龍王。拓蓮華。
左の第二の手には如意宝幢を掲げ持ち、第三の手には開きかけた紅蓮華を手にし、第四の手には軍持(浄瓶)を執る。第五の手には羂索を携え、第六の手には輪を握り、第七の手には商佉(法螺貝)を持つ。第八の手には賢瓶(浄瓶)を捧げ持ち、第九の手のひらには般若経典を載せている。蓮華の下には水池が描かれ、その池の中では難陀竜王と跋難陀竜王が蓮華を支えている。
智譯云。二龍王。共扶蓮華莖。
智者の訳によれば、「二匹の龍王が、共に蓮の花の茎を支えていた」ということである。
座右邊畫持誦者。手執香爐。瞻仰聖者準提佛母。矜愍持誦人。眼下顧視。上畫二淨居天子。一名俱素陀天子。手持華鬘。向下承空而來供養聖者。畫像已。隨力僧次。請七僧供養。請開光明。呪願讚歎。於像下應書法身緣起偈。
座の右側には、持誦する者を描きます。手に香炉を捧げ持ち、聖なる準提仏母を仰ぎ見る姿です。仏母は持誦する者を哀れみ、目を下に向けて見下ろしています。上の方には、二人の浄居天の天子を描きます。一人の名は俱素陀天子といい、手に花の鬘を持ち、下に向かって虚空より来り、聖者に供養を捧げています。このように画像を描き終えたならば、力に応じて僧侶の順番に従い、七人の僧侶を請じて供養を行います。そして開眼の供養を請い、祈願し、讚歎します。像の下には、法身の縁起の偈を書くべきです。
偈云。諸法從緣起。如來說是因。彼法因緣盡。是大沙門說。
諸々の法は縁によって起きる。如来はこの因を説く。その法の因縁が尽きるとき、これこそ大沙門の説かれるところである。
將像於精室秘密供養。以帛覆像。念誦時去覆帛。瞻禮供養。念誦畢。却以帛覆。慎勿令人見。何以故。從師受儀軌畫像法。若轉與人呈像。被魔得便。當須秘密。
御本尊を清らかなお部屋に安置し、ひそかにお供えします。お像に布をかぶせておき、念誦のときだけその布を取り去り、お像を拝み、供養します。念誦が終わったら、また布でおおいます。どうか、他の人にお像を見せてはいけません。なぜなら、師匠から受けた儀軌や画像の作り方に従って描いたお像を、ほかの人に見せたり渡したりすると、悪魔につけこまれる恐れがあるからです。ですから、必ずこれをひそかに守らなければなりません。
白氎若無。可倩人織。與西洋布相似。長短濶狹。隨宜織之。如無能織者。可取西洋布權用之亦得。彩色中不聽用皮膠。當用白膠香等。此亦無者。可用桃樹膠。或以肥皂莢仁去上麤皮。取內白淨煎膠。或磨黃豆。白芨用之。皆得。僧次者。恐無財力。不能總請眾僧。又復如來不聽擇請。故隨僧中次第差赴請也。
白い布がなければ、人に頼んで織ってもらってもよい。西洋の布に似せて、長さや幅は自由に織ればよい。もし織れる人がいなければ、西洋の布を代わりに使ってもかまわない。彩色には皮の膠を使ってはならず、白膠香などを用いるべきである。これもなければ、桃の木の膠を使ってもよい。あるいは肥皂莢の仁の粗い皮を取り除き、中の白い部分を煎じて膠とするか、黄粉をすりつぶしたり、白芨を用いてもよい。どれもかまわない。僧次というのは、財力がなくてすべての僧侶を招くことができないことを案じてのことである。また、如来は僧侶を選んで招くことを許されなかったので、僧侶の順序に従って次々に招くのである。
○附五悔儀
附・五悔の儀
經云。每入道場。先應禮佛懺悔隨喜勸請發願已。應自誓受菩提心戒。此之五法。乃諸菩薩六時行道之軌轍。文備諸經論。今略錄其要。以便修持。行者初入道場。長跪合掌。專心定意。手擎香爐云。願此香華雲。徧滿十方界。一一諸佛土。無量香莊嚴。具足菩薩道。成就如來香。
経典にはこう説かれています。道場に入るたびに、まず仏に礼拝し、懺悔し、喜びを共にし、仏法を請い、誓いを立てるべきです。その後に、菩提心の戒を受けようと自ら誓うのです。この五つの行いは、諸々の菩薩が一日中修行する際の道しるべです。その教えは多くの経典や論に詳しく述べられていますが、ここでは要点だけを簡潔に書き出して、修行しやすくしたものです。
修行者は道場に入ったら、まず長く跪いて手を合わせ、心を一つに集中させます。そして香炉を掲げてこう唱えます。「どうかこの香りの雲が、十方の世界に広がりますように。それぞれの仏の国土には、限りない香りの荘厳が満ち、菩薩の道を完全に備え、如来の香りを成就させますように。」
供養已。次應起禮敬。
供養が終わったならば、次に敬って礼拝するべきである。
一心頂禮毗盧遮那牟尼世尊。
一心に毘盧遮那牟尼世尊を礼拝いたします。
分別聖位修證法門云。如來最初於無上乘。發菩提心。由阿閦佛加持故。證得圓滿菩提心。由證菩提。外感空中寶生佛灌頂。受三界法王位。由觀自在王佛加持語輪。說無量修多羅法門。由不空成就佛加持。於諸佛事。及有情事。所修行利樂。皆悉成就。是故如下當次第一一禮之。
分別聖位修證法門にはこう説かれています。如来は最初に、この上ない教え(無上乗)において菩提心をおこされました。阿閦仏の加護によって、完全な菩提心を証得されました。その菩提を証したことにより、外には空の中の宝生仏から灌頂を受け、三界の法王の位を授けられました。観自在王仏の加護によって言葉の働き(語輪)が整い、無量の教えの経典を説かれました。不空成就仏の加護によって、すべての仏の働きや、生きとし生けるもののための働き、修行や利益や喜びが、すべて成就されました。そのため、以下のように順を追って、一つ一つ礼拝するのです。
一心頂禮阿閦世尊。
一心に阿閦世尊(あしゅくせそん)を敬い、礼拝いたします。
一心頂禮寶生世尊。
一心に宝生世尊を礼拝いたします。
一心頂禮觀自在王世尊。
一心に観自在王世尊を敬って礼拝いたします。
一心頂禮不空成就世尊。
一心になって不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)に敬いの礼を捧げます。
一心頂禮極樂世界阿彌陀世尊。
一心に極楽世界の阿弥陀世尊を敬い礼拝いたします。
一心頂禮十方法界諸佛世尊。
一心に十方の世界にいらっしゃるすべての仏さま、世尊に帰依いたします。
一心頂禮七俱胝佛母所說大準提陀羅尼。
一心に、七俱胝の佛母が説かれた大准提陀羅尼を礼拝いたします。
一心頂禮十方法界修多羅藏。一切陀羅尼門。
一心に十方世界の経典の教えと、すべての陀羅尼の門に礼拝いたします。
一心頂禮毗盧遮那宮殿中。七俱胝準提佛母菩薩摩訶薩。
一心に毘盧遮那(びるしゃな)の宮殿の中にいらっしゃる、七倶胝(ななくてい)の準提仏母(じゅんていぶつも)菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)を心から敬って礼拝いたします。
一心頂禮觀自在菩薩摩訶薩。
一心に観自在菩薩摩訶薩を敬って礼拝します。
一心頂禮彌勒菩薩摩訶薩。
一心に彌勒菩薩摩訶薩を敬い礼拝いたします。
一心頂禮虗空藏菩薩摩訶薩。
一心に虚空蔵菩薩摩訶薩を敬って礼拝いたします。
一心頂禮普賢菩薩摩訶薩。
一心に普賢菩薩摩訶薩に敬礼いたします。
一心頂禮金剛手菩薩摩訶薩。
一心に金剛手菩薩摩訶薩を敬って礼拝いたします。
一心頂禮文殊師利菩薩摩訶薩。
一心に文殊師利菩薩摩訶薩に敬礼いたします。
一心頂禮除蓋障菩薩摩訶薩。
一心に頂礼いたします。蓋障を除く大菩薩に。
一心頂禮地藏菩薩摩訶薩。
一心に地蔵菩薩摩訶薩を敬い礼拝いたします。
一心頂禮無能勝菩薩摩訶薩。
一心に無能勝菩薩摩訶薩を敬い礼拝いたします。
一心頂禮大勢至菩薩摩訶薩。
一心に大勢至菩薩摩訶薩を礼拝いたします。
一心頂禮十方法界一切菩薩摩訶薩。
一心に十方の法界にいらっしゃるすべての菩薩の皆さまに、心からお礼を申し上げます。
一心頂禮摩訶迦葉尊者諸大聲聞僧。
一心に摩訶迦葉尊者と、すべての尊い声聞の僧侶たちに敬礼いたします。
一心頂禮十方法界一切三乘賢聖僧。
一心に、十方世界のあらゆる三乗の賢者・聖者の僧侶たちに、心から敬礼いたします。
已上俱一拜。至準提佛母。及準提陀羅尼。各須三拜。此之人法。是道場主故。禮已。次當懺悔。行者應想自身。對三寶前。憶念先罪。及今生所造。若不懺悔。當墮阿鼻地獄。受極大苦。豈能成就所修真言妙行。持明藏儀軌經云。行人於瑜伽法門。若欲修習。求諸悉地者。先於自身。種種作法。懺除宿業。令無障難。若不如此。聖道難成。金剛智譯本。與此儀軌。雖出懺悔等五法。而文簡略。恐行者臨文懇禱之情難伸。故述餘經。以詳其旨。如無量壽儀軌云。自身五體投地。想於一一佛菩薩前。恭敬作禮已。即右膝著地。合掌當心。虔誠發露懺悔。無始以來。一切罪障。則隨喜諸佛菩薩。聲聞緣覺。一切有情。所修福業。又觀十方世界。所有如來。初成正覺者。請轉法輪。所有如來現般涅槃者。請久住世。不般涅槃。又發願言。我所積集善根。禮佛懺悔。隨喜勸請。以此福聚。迴施一切有情。乃至見佛聞法。速證無上正等菩提。如是知已。心生哀切。口宣懺悔。
まず、すべて一同に一拜(いっぱい)します。準提佛母と準提陀羅尼については、それぞれ三拜(さんぱい)ずつ行ってください。この人と法は、道場の主であるからです。禮拝した後に、次に懺悔(さんげ)を行うべきです。修行者は自分の身を思い浮かべ、三寶(さんぼう)の前に立ち、過去の罪や今生で造ったことを思い起こすべきです。もし懺悔しなければ、阿鼻地獄(あびじごく)に落ち、非常に大きな苦しみを受けることになります。それでは、修行している真言の妙行(みょうぎょう)を成就することなどできましょうか。
『持明蔵儀軌経(じみょうぞうきぎきょう)』にはこうあります。「修行者が瑜伽(ゆが)の法門において、修習(しゅじゅう)して諸々の悉地(しっじ)を求めるならば、まず自分の身に対して様々な行いによって、昔からの業(ごう)を懺悔し除き、障難(しょうなん)がないようにすべきである。もしこのようにしなければ、聖道(しょうどう)を成就することは難しい。」
金剛智(こんごうち)の訳本は、この儀軌(きぎ)とともに、懺悔などの五つの法を説いていますが、文が簡略で、修行者が文を前にして切に祈る気持ちを表しにくい恐れがあります。そこで、他の経典を述べて、その趣旨を詳しく説明します。
『無量寿儀軌(むりょうじゅきぎ)』にはこうあります。「自分の身を五体投地(ごたいとうち)して、それぞれの仏・菩薩の前に恭敬して禮拜することを思い浮かべ、その後、右膝を地につけ、合掌(がっしょう)して胸の前に置き、誠心誠意、無始(むし)の昔からの一切の罪障(ざいしょう)を発露(ほつろ)して懺悔する。」そして、諸仏・菩薩・声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・一切の有情(うじょう)が修めた福業(ふくごう)に隨喜(ずいき)します。また、十方世界のすべての如来で、初めて正覚(しょうがく)を成就した方々には法輪(ほうりん)を轉(てん)じることを請い、すべての如来で現在涅槃(ねはん)に入ろうとしている方々には長く世に留まり、涅槃に入らないことを請います。また願を発して言います。「私が積み集めた善根(ぜんこん)、仏を禮拜し懺悔し、隨喜し、勸請(かんじょう)したことを、この福徳の集まりを、すべての有情に回向(えこう)し、乃至(ないし)仏を見て法を聞き、速やかに無上の正等菩提(しょうとうぼだい)を証(しょう)しますように。」
このように知って、心に哀れみと切実さを生じ、口で懺悔を述べるべきです。
我弟子(某甲)至心懺悔。自從無始生死以來。隨惡流轉。共諸眾生。造業障罪。為貪瞋癡之所纏縛。由身口意。造五無間罪。及十惡業。自作教他。見作隨喜。或塔物僧物。自在而用。於諸善人。橫生毀謗。見學聲聞緣覺大乘行者。喜生罵辱。令諸行人。心生悔惱。見有勝已。便懷嫉妬。法施財施。常生慳惜。無明所覆。邪見惑心。不修善因。令惡增長。於諸佛所。而起誹謗。如是眾罪。佛悉知見。我今歸命。對諸佛菩薩聖眾前。皆悉發露。不敢覆藏。未作之罪。更不復作。已作之罪。今皆懺悔。所作業障。應墮三途。及八難處。願我此生。所有業障。皆得消滅。所有惡報。未來不受。亦如過去未來現在諸大菩薩。修菩提行。所有業障。悉皆懺悔。我之業障。今亦懺悔。咸悉發露。不敢覆藏。已作之罪。願得除滅。未來之惡。更不敢造。
私、弟子(某甲)は心から懺悔いたします。無始の昔から生死を経て、そのまま悪しき流れに身を任せ、多くの衆生とともに、業の障りとなる罪を積み重ねてまいりました。貪り・怒り・愚かさに縛られ、身・口・意によって五無間の罪や十の悪業を犯しました。自ら行い、他人に教え、また他人が行うのを見て喜んでもきました。また、仏塔の物や僧侶の物を勝手に使い、善い人々に対して根拠なく誹謗中傷しました。声聞・縁覚・大乗の修行者を見ては、喜んで悪口や侮辱を浴びせ、修行者たちの心に悔やみや悩みを生じさせました。自分より優れた人を見れば嫉妬し、法の施しや財の施しにも常に惜しみの心を持ちました。無明に覆われ、邪見に心を惑わされ、善い因を修めず、悪しきものを増長させました。仏のもとにおいても誹謗を起こしました。このようなすべての罪を、仏は余すことなくご覧になっておられます。私は今、心から仏に帰依し、諸仏・菩薩・聖者の皆さまの前で、すべてを告白いたします。隠し立てはいたしません。まだ犯していない罪は、今後決して犯しません。すでに犯した罪は、今すべて懺悔いたします。積んだ業の障りによって、三途や八難の境地に堕ちるべきでありましょうが、どうかこの生涯におけるすべての業の障りが消え去り、すべての悪い報いが未来に及ばないようお願いいたします。また、過去・未来・現在のすべての大菩薩が菩提の行を修行される際に、すべての業の障りを懺悔されたように、私もまた、自分の業の障りを今、すべて懺悔いたします。すべてを告白し、隠し立てはいたしません。すでに犯した罪は消し去っていただき、未来の悪しき行いは、決して再び起こさないことを誓います。
懺悔已。歸命禮三寶。
懺悔を終え、三宝に帰命し礼拝いたします。
我(某甲)至心隨喜。過去未來現在一切眾生。修行施戒心慧。所有善根。我今皆悉深生隨喜。由作如是隨喜福故。必當獲得尊重殊勝無上無等之果。又於過去未來現在一切諸佛菩薩。聲聞緣覺。所有無量功德之聚。我今至心。悉皆隨而歡喜讚歎。
隨喜已。歸命禮三寶。
喜びを共にし終え、三宝に帰命し礼拝いたします。
我(某甲)至心勸請。十方一切諸佛世尊。現得無上菩提者。未轉法輪。我皆至誠勸請。轉大法輪。安樂有情。十方一切諸佛世尊。欲捨報身。入涅槃者。我今頭面頂禮。至心勸請。久住世間。度脫安樂一切眾生。
私(某甲)は至心に勧請いたします。十方の一切の諸仏世尊で、すでに無上の菩提を得ておられるのに、まだ法輪を転じていない方々には、私は皆、至誠をもって勧請し、大いなる法輪を転じて、有情を安楽にしていただきたいと願います。十方の一切の諸仏世尊で、報身を捨てて涅槃に入ろうとしておられる方々には、私は今、頭面を地につけて礼拝し、至心に勧請して、久しく世間に住まわれ、一切の衆生を度脱し安楽にしていただきたいと願います。
勸請已。歸命禮三寶。
皆さまのご依頼により、三宝に帰命し、礼拝いたします。
我(某甲)至心迴向。從無始來。至於今日。於三寶所。修行成就。所有善根。乃至施與眾生一摶之食。復以如是持誦秘密功德。懺悔勸請隨喜善根。皆悉攝取。回施一切眾生。無悔悋心。是解脫分善根所攝。如諸佛世尊之所知見。不可稱量。無礙清淨。如是所有。功德善根。悉以回施一切眾生。不住相心。不捨相心。我亦如是。功德善根。悉以回施一切眾生。共諸眾生同證無上菩提。得一切智。因此善根。更復出生無量善法。亦皆回向無上菩提。又如過去未來現在諸大菩薩修行之時。功德善根。悉皆回向一切種智。然我所有功德善根。亦皆回向無上菩提。是諸善根。願共一切眾生。俱成正覺。如餘諸佛坐於道場。菩提樹下。不可思議。無礙清淨。住於無盡法藏陀羅尼。首楞嚴定。破魔波旬。無量兵眾。一剎那中。悉皆照了。於後夜中。獲甘露法。證甘露義。我及眾生。願皆同證如是妙覺。猶如諸佛。示現應化。得無上菩提。轉妙法輪。為度眾生。我亦如是。示現應化。得無上菩提。轉妙法輪。度諸眾生。
私は心を込めて回向いたします。無始の昔から今日に至るまで、三宝のもとで修行し成就した全ての善い根、たとえ衆生に一握りの食べ物を施したような小さな善行に至るまで、さらにこのように真言を唱え、秘められた功徳を積み、懺悔し、請願し、随喜する善根も、すべて含めて、全ての衆生に回し与えます。悔やんだり惜しんだりする心はありません。これは解脱の分に属する善根が摂する所です。諸仏世尊が知見されるように、はかり知れず、障りなく清らかです。このような全ての功徳の善根を、すべて一切の衆生に回し施します。相に執着しない心で、しかも相を捨てない心で。私もまたこのように、功徳の善根をすべて一切の衆生に回し施し、諸々の衆生と共に無上の悟りを証得し、すべての智慧を得ます。この善根によって、さらに無量の善い法が生まれ出て、それもまた全て無上の悟りに回向します。また、過去・未来・現在の諸大菩薩が修行する時のように、功徳の善根をすべて一切の種智に回向します。私の持つ全ての功徳の善根も、同じく無上の悟りに回向します。これらの善根によって、一切の衆生と共に、皆が正しい悟りを成就することを願います。他の諸仏が道場に坐し、菩提樹の下で、不可思議で、障りなく清らかに、尽きることのない法蔵陀羅尼と首楞厳定に安住し、悪魔波旬の無量の兵衆を破り、一刹那のうちに全てを照らし了知し、後の夜中に甘露の法を得て、甘露の義を証得されたように、私と衆生も、皆このような妙なる覚りを共に証得することを願います。諸仏が応化を示現し、無上の悟りを得て、妙法輪を転じ、衆生を度するように、私もまたこのように、応化を示現し、無上の悟りを得て、妙法輪を転じ、諸々の衆生を度したいと願います。
迴向已。歸命禮三寶。
廻向を終え、三宝に帰命し礼拝いたします。
我(某甲)至心發願。願諸眾生。悉發無上菩提之心。常念十方諸佛功德智慧。復願一切眾生。頓破無明。得見佛性。猶如諸大菩薩。一切天龍八部。增益威光。擁護國土。及於壇場。却諸魔怨。令我所修諸佛秘密法要。速獲成就。
私は(某甲)、心から誓いを立てます。すべての生きとし生けるものたちが、無上の悟りを求める心を起こし、常に十方の仏様の功徳と智慧を念じることができますように。また、すべての生きとし生けるものたちが、すぐに無明を打ち破り、仏性を見ることができますように。偉大な菩薩たちのように。そして、すべての天龍八部の皆様が、その威光をさらに増し、国を守り、道場を守り、すべての魔の妨害を退け、私が修行する仏の秘密の教えが、速やかに成就しますように。
發願已。歸命禮三寶。次應自誓受菩提心戒。如上懺悔。隨喜勸請迴向。文出大金光明經。而五法皆言悔者。以其悉能除障滅罪。禮佛能除我慢障。得尊貴身。懺悔能除三障。得依正俱足。隨喜能除嫉妬障。得大眷屬。勸請能除慢法障。得多聞智慧。迴向者。謂迴自所修善根。向於三處。即實相。菩提。及與眾生。能除著有及慳悋心。由迴向少善。徧入三際。如滴水投海。如聲入角。則能遠徧。發願能除退屈障。得總持諸行。速獲妙果。然迴向即兼發願。今於迴向開出發願以對治無決定心。喜退屈障。或可入道場時禮佛乃至迴向。持誦畢方兼發願亦得。念誦畢如前次第結印。各誦真言一遍。復修五悔。若時速。不能如上誦懺悔等文。可為偈曰。
発願が終わったならば、三宝に帰命し礼拝する。次に自ら誓って菩提心戒を授かるべきである。先の懺悔のように、随喜・勧請・回向を行う。この文は『大金光明経』に由来する。五つの法すべてを「悔」と称するのは、いずれも障りを除き罪を滅する力があるからである。仏を礼拝すれば我慢の障りを除き、尊貴な身を得る。懺悔すれば三種の障りを除き、依報と正報がともに具わる。随喜すれば嫉妬の障りを除き、多くの眷属を得る。勧請すれば法を軽んじる障りを除き、多く聞き智慧を得る。回向とは、自ら修めた善根を回して三つの場所、すなわち実相・菩提・衆生に向けることをいう。これにより「有」に執着し、ものを惜しむ心を除くことができる。わずかな善を回向しても、三際に広く入り込む。まるで一滴の水を海に入れ、声が角に入るように、遠く広く届くのである。発願すれば退屈の障りを除き、諸行を総持し、速やかに妙果を得る。ただし回向にはすでに発願が含まれる。今、回向の中から発願を開き出して、定まらない心や退屈の障りを対治するのである。あるいは道場に入り仏を礼拝し、回向に至るまで行い、読誦が終わった後にあわせて発願してもよい。念誦が終わったら先の次第どおりに印を結び、それぞれ真言を一編ずつ唱え、再び五悔を修める。もし時間がなく、先の懺悔などの文を唱えられないならば、偈として次のように唱えてもよい。
我弟子某甲。至心懺悔。
わが弟子(某甲)よ、心を込めて懺悔しなさい。
歸命十方佛 大聖準提尊 一切賢聖眾
悉知悉見我 今身若前身 所造諸惡業
我今盡發露 眾罪皆懺悔
南無十方の仏さまたち 大いなる聖者である準提尊 そしてすべての賢者や聖者の方々よ
どうか私のことをすべて知ってください 見守ってください この身や前世において 私が行ってきたすべての悪い行いを
私は今、すべて包み隠さず告白し すべての罪を心から悔い改めます
我弟子某甲。至心勸請。
私の弟子、某甲は心からお願い申し上げます。
十方一切佛 現在成道者 我請轉法輪
安樂諸眾生 十方一切佛 若欲般涅槃
我今頭面禮 勸請久住世
十方すべての仏さま いま正覚を開かれた方々 わたしは法輪を転じていただくよう請い願います すべての衆生を安楽にするために 十方すべての仏さま もし涅槃に入ろうとされるならば わたしは今、頭を地につけて礼拝し 長くこの世に留まっていただくようお願い申し上げます
我弟子某甲。至心隨喜。
わが弟子、某よ。心の底から喜びを共にする。
三世諸如來 菩薩聲聞眾 修習三乘人
乃至凡夫類 所有諸福善 施戒禪定慧
忍辱并精進 我今皆隨喜
三世のすべての如来、菩薩や声聞の衆、三乗を修める人々、さらには凡夫の類に至るまで、あらゆる福徳や善い行い——布施、戒め、禅定、智慧、忍辱、そして精進——そのすべてを、私は今、心から喜び随喜いたします。
我弟子某甲。至心發願。
私の弟子、某甲(某という人)は、心の底から誓いを立てます。
願諸眾生等 悉發菩提心 永斷諸煩惱
當證一切智 復願我今修 準提秘密行
所求諸悉地 隨心速成就
願わくは全ての衆生が等しく菩提心を発し、永遠に全ての煩悩を断ち切らんことを。やがて一切智を証得し、さらに願わくは私が今、準提の秘密の行を修めんことを。求める全ての悉地が心のままに速やかに成就せんことを。
我弟子某甲。至心回向。
我が弟子、某甲よ。心を込めて回向いたします。
以我所修福 及與真言行 回向諸有情
共成無上道 復以今所修 禮拜及懺悔
勸請并隨喜 發願回向善 悉施與眾生
永離三途苦 同趣大菩提 法界真如海
私が修めた功徳と、真言行の力をもって、全ての生きとし生けるものに回向いたします。 共にこの上ない悟りを成就し、また今修めた、礼拝と懺悔、 勧請と随喜、発願と回向の善根を、すべて衆生に施します。 永遠に三悪道の苦しみを離れ、共に大いなる菩提へ向かい、法界の真如の海に至らんことを。
○附持誦法要
附:読誦・修行の要点
今此法要。葢為初機行人。依經修習。三業未淳。不能作諸觀行。然聞陀羅尼功德殊勝。而心急欲持誦。或鈍根之人。聞經真言觀行。心生退怖。遂失菩提法芽無量功德。如經所說。若人纔誦一遍。即生菩提法芽。何況常能念誦受持。由此善根速成佛種。無量功德皆悉成就。故持明藏云。若有眾生作大惡業。無有善種。於菩提心。無由生起。菩提分法。永不獲得。如是之人。忽遇知識。誦此真言。一歷耳根。重罪減劣。善種即生。何況恒常持誦。專注精勤。漫茶羅疏云。念如來之神呪。心心暗契如來心。誦菩薩之密言。願願冥符菩薩願。何生死而不出。何涅槃而不得。有斯利故。由是集此法要。以便受持。行者若欲持誦。先須屏息諸緣。起慇重心。生難遭想。至聖像前。或對鏡壇。正立。作合掌頂禮相。此是準提菩薩最上頂禮印。然後注心觀想尊容。五體投地。頂禮十方佛法僧三寶。次禮毗盧遮那牟尼如來。準提佛母。觀世音菩薩。金剛手菩薩。及一切聖眾已。胡跪合掌。至心懺悔。作如是言。我弟子(某甲)自無始以來。身口意。所作之罪。今對三寶諸佛菩薩前。發露懺悔。不敢覆藏。乃至過去現在未來三世諸佛菩薩。福智圓滿。種種功德。我今隨喜。然後結金剛正坐。以右足壓左䏶上。或半加趺。或隨意坐。次結大三昧耶印。以二手仰掌展舒。將右手在左手上。二大拇指甲相拄。安臍輪下。此印能滅一切狂亂妄念。雜染思惟。既澄定身心。即觀六道眾生。無始已來。於生死海中。輪迴六趣。願彼皆發菩提心。行菩薩行。速得出離。作是念已。即便入淨法界三昧。謂想自身頂上。有一梵書㘕字。此字遍有光明。猶如明珠。或如滿月。想此字已。復結金剛拳印。以左手大拇指捻無名指根第一節。餘四指握大拇指作拳。此印能除內外障染。成就一切功德。右手持數珠。即口誦淨法界真言。二十一遍。真言曰。
この法要は、初心の修行者のために編まれたものである。経典に基づいて修習するとはいえ、身・口・意の三業がまだ清らかになっていないため、様々な観行を成すことができない。しかし陀羅尼の功徳が殊勝であると聞けば、心は急ぎ持誦したいと願う。あるいは鈍根の人は、経典の真言や観行を聞いて、心に退屈や恐怖を生じ、菩提の法芽や無量の功徳を失ってしまう。経典に説くところによれば、もし人がただ一度唱えるだけでも、すぐに菩提の法芽が生じる。ましてや常に念誦し受持するならば、なおさらである。この善根によって速やかに仏の種を成し、無量の功徳がすべて成就する。ゆえに持明蔵に説く。「もし眾生が大悪業を作り、善種がなく、菩提心を生じる由もなく、菩提分法を得ることが永遠にないとしても、このような人が忽然と善知識に遇い、この真言を唱えることを聞けば、一度耳根に触れるだけで、重罪は減じ弱まり、善種はすぐに生じる。ましてや絶えず持誦し、専らに精勤するならば、なおさらである」と。漫荼羅疏に云く。「如来の神呪を念ずれば、心々暗に如来の心に契う。菩薩の密言を誦すれば、願々冥に菩薩の願いに符う。何の生死か出でざらんや。何の涅槃か得ざらんや」と。これらの利益があるがゆえに、ここにこの法要を集めて、受持しやすくしたのである。
行者がもし持誦しようと欲するならば、まず諸々の雑縁を払い落とし、殷重の心を起こし、值い難い思いを生じなければならない。尊い聖像の前に至るか、あるいは鏡壇に向かって、正しく立ち、合掌して頂礼の相を作る。これが準提菩薩の最上の頂礼印である。そして心を注いで尊容を観想し、五体投地して、十方の仏・法・僧の三宝に頂礼する。次に毘盧遮那牟尼如来、準提仏母、観世音菩薩、金剛手菩薩、および一切の聖衆に礼し終えたならば、胡跪して合掌し、至心に懺悔して、このように言う。「我が弟子(某甲)は無始以来、身・口・意によって作った罪を、今、三宝や諸仏菩薩の前に對して発露し懺悔する。覆い隠すことは敢えてしない。さらに、過去・現在・未来の三世の諸仏菩薩の、福智円満の種々の功徳を、今、我は随喜する」と。そして金剛の正坐を結ぶ。右足を左の腿の上に置くか、あるいは半跏趺坐にするか、あるいは随意に坐する。
次に大三昧耶印を結ぶ。両手を仰向けに伸ばし開き、右手を左手の上に置き、両方の拇指の甲を相拄させて、臍の下に置く。この印は、一切の狂乱の妄念や雑染の思惟を滅することができる。身心を澄定させたならば、すなわち六道の衆生を観ずる。無始以来、生死の海の中で六趣に輪廻しているが、願わくば彼らが皆菩提心を発し、菩薩行を行じ、速やかに出離を得んことを。この念を作したならば、すなわち浄法界三昧に入る。自分の頂上に、一つの梵書の「覧」字(らむ)があることを観想する。この字は遍く光明を有し、ちょうど明珠のようであり、あるいは満月のようである。この字を観想し終えたならば、さらに金剛拳印を結ぶ。左手の拇指で無名指の根の第一節を押さえ、残りの四指で拇指を握って拳とする。この印は内外の障染を除き、一切の功徳を成就することができる。右手で数珠を持ち、口で浄法界真言を二十一遍誦える。真言は次のとおりである。
唵㘕(或單持㘕字亦得。㘕或作囕)○(此是梵書唵㘕字)
唵㘕(或単に「㘕」の字だけを唱えてもよい。「㘕」は「囕」とも書く。)○�with梵書の「唵㘕」の字である。(これは梵字で書かれた「唵㘕」です。)
此淨法界㘕字。若想若誦。能令三業。悉皆清淨。一切罪障。盡得消除。又能成辦一切勝事。隨所住處。悉得清淨。衣服不淨。便成淨衣。身不澡浴。便當澡浴。若用水作淨。不名真淨。若兼此法界心㘕字淨之。即名畢竟清淨瓶。如靈丹一粒。點鐵成金。真言一字。變染令淨。偈云。囉字色鮮白。空點以嚴之。
この清らかな法界の「㘕(らん)」の字は、心に思い描いたり、声に出して唱えたりするだけで、身・口・意の三つの行いをすべて清らかにし、一切の罪や障りを尽くして取り除くことができます。さらに、あらゆる善いことを成し遂げ、住まう場所をすべて清らかにします。衣が不浄でも浄衣となり、体を浴びて清めなくても、浴びて清めたのと同じになります。ただ水で清めるのは真の清めとはいえません。この法界の心の「㘕」の字とともに清めるならば、それは究竟の清浄瓶と名づけられます。まるで一粒の霊験あらたかな丹薬が鉄を黄金に変えるように、真言の一文字が染まったものを清らかに変えるのです。偈にこうあります。「囉(ら)の字は色鮮やかに白く、空点がそれを飾る」。
梵書囉字上。安空點。即成㘕字矣。
梵書の「囉」の字の上に、空点を置けば、「㘕」の字となる。
如彼髻明珠。置之於頂上。真言同法界。無量眾罪除。一切觸穢處。當加此字門。故蓮華部念誦法云。若觸穢處。當觀頂上有法界生字。放赤色光明。所謂㘕字也。
かの頂きの宝珠のように、頭の上に置く。真言は法界と同じであり、無数の罪を除く。すべての穢れに触れる場所には、この字門を加えるべきである。ゆえに『蓮華部念誦法』に言う、「もし穢れに触れる場所があれば、頂上に法界から生じた字を観じ、赤色の光明を放つべきである。それが㘕(らん)の字である」と。
若實外緣不具。無水洗浴。闕新淨衣。用此㘕字淨之。若外緣具者。而不洗換。託此以為淨。是無敬信懈怠之人。尚不免輕慢之愆。何能滅罪生福。成就所求悉地。若先用水如法澡浴。洗淨。著新淨衣。更用此真言淨之。即內外俱成清淨。所祈速獲靈騐。
もし実際に外部の条件が整わず、水がなく沐浴できず、新しい清らかな衣もない場合は、この「覽(らむ)」の字をもって清めとする。もし外部の条件が整っているのに、洗い替えもせず、これを清めとすることに託するのは、敬いの心や精進のない怠けた人である。それでは軽んじ侮る過ちさえ免れられない。どうして罪を滅し福を生じ、求めるところの悉地(成就)を得られようか。もし先に水をもって作法どおりに沐浴し、清め洗い、新しい清らかな衣を着て、さらにこの真言をもって清めるならば、すなわち内外ともに清らかとなり、祈りは速やかに霊験を得るであろう。
次誦護身真言。當結本經第二根本印。誦心真言七遍。或結無能勝菩薩印。誦無能勝真言七遍。今時多誦他部。所謂文殊一字真言。
次に、身を守る真言を唱えます。その際、この経典の第二の根本の印を結び、心真言を七回唱えます。あるいは、無能勝菩薩の印を結び、無能勝真言を七回唱えても良いでしょう。近年では、他の部の真言、例えば文殊一字真言を唱える人も多いようです。
唵。齒𡄦(二合)(𡄦字當作離禁切。彈舌道之。或直音疾陵)。(此是梵書唵齒𡄦字)(此亦唵齒𡄦字。原梵書兩種不同。亦如此方之隸篆也)
唵。チリ(※「チリ」は「離禁切」の音で、舌を弾いて発音する。または「疾陵」という直音でもよい)。 (ここに梵字で「唵チリ」と書く。また別の梵字でも「唵チリ」と書く。元々の梵字には二種類の異なる書き方があり、この国の隷書と篆書の違いのようなものである。)
此齒𡄦字作二合。或作三合。叱哩陵。或作四合。體哩呬淫。義淨法師譯作叱洛呬𦦨。如是四字。合為一言。方成梵音一字。如不善梵音者。實難得其真妙。此一字呪王。功力甚大。不可思議。如文殊根本一字陀羅尼法云。世尊告諸天眾言。應知此陀羅尼。於諸呪中。是大呪王。有大神力。若善男子。善女人。能受持者。文殊師利菩薩。常來擁護。或於覺時。或於夢中。為現身相。及諸善事。此呪尚能攝得文殊師利菩薩。況餘菩薩及世出世賢聖等眾。此呪能消一切五逆。四重。十惡罪業。當知是呪於世出世種種呪中。最為殊勝。是諸佛心。能令一切所願。皆悉滿足。未作法時。即能成辦。如意等事。若發無上大菩提心。誦之一遍。力能守護自身。若誦兩遍。力能守護同伴。若誦三遍。力能守護一宅中人。若誦四遍。力能守護一城中人。若誦五遍。力能守護一國中人。若誦六遍。力能守護一天下人。若誦七遍。力能守護四天下人。若以清旦誦一遍。呪水洗面。能令見者歡喜。乃至云。若有眾生為飛頭鬼所執。以手自摩其面。誦呪一百八遍。作可畏相貌。便以左手作本生印。(以大母指。屈在掌中。用後四指。壓大母指上急把拳)即自努目。陰誦此呪。而著病者。所患即除。若患一切鬼病。以呪呪右手。一百八遍。燒安息香熏之。左手作本生印。右手摩病人頭。患即除愈。若欲經過師子。虎狼。毒蛇。怨賊。一切險難之處。當須盡其身心。不得近諸女人。及喫五辛。一切酒肉。於諸眾生。起大悲想。至心誦呪四十九遍。而諸怨惡。自然退散。假令遇之。無不歡喜。此呪假令一切眾生。或於一劫。或無量劫。乃至名字。不可得聞。何況得見。專心念誦。此陀羅尼。能令眾生現世當來。常獲安隱。與諸如來。大菩薩眾。常為眷屬。是故慇懃。生難遇想。勿生輕慢。起疑惑心。廣如經說。此不繁錄。
この「齒𡄦」の字は「二合」と讀む。あるいは「三合」として「叱哩陵」と讀む。また「四合」として「體哩呬淫」と讀む。義淨法師の譯では「叱洛呬𦦨」とする。この四字を合わせて一言とすることで、初めて梵語の一音となる。梵語に詳しくない者にとっては、その真の妙處を體得するのは實に難しい。
この一文字の呪王は、功力が非常に大きく、思いもよらないほどである。『文殊根本一字陀羅尼經』にこうある。世尊が諸々の天眾に告げて言われた。「この陀羅尼は、諸々の呪の中でも大いなる呪王であり、大きな神通力を持つ。善男子・善女人がこれをよく受持するならば、文殊師利菩薩が常に來て守り支え、目覺めている時も夢の中でも姿を現し、種々の善いことを示すであろう。この呪は、文殊師利菩薩をさえ攝することできる。ましてや他の菩薩や、世間・出世間の賢聖たちを攝することは言うまでもない。この呪は一切の五逆・四重・十惡の罪業を消滅させることができる。この呪は世間・出世間の種々の呪の中でも最も殊勝であり、諸佛の心そのものである。一切の願いを悉く滿たし、未だ作法をしない時でも、如意などの事を成辦することができる。」
もし無上大菩提心を發して、この呪を一通誦すれば、その力は自身を守ることができる。二通誦すれば、その力は仲間を守ることができる。三通誦すれば、その力は一軒の家の人々を守ることができる。四通誦すれば、その力は一つの城の人々を守ることができる。五通誦すれば、その力は一國の人々を守ることができる。六通誦すれば、その力は天下の人々を守ることができる。七通誦すれば、その力は四天下の人々を守ることができる。
もし明け方に一通誦して、その呪力のある水で顏を洗えば、人々を歡喜させる。さらにこう説かれている。飛頭鬼に憑かれた衆生があれば、自分の手で顏を摩りながら、この呪を百八遍誦し、恐ろしい相貌を作り、左手で本生印を結ぶ。(大母指を掌中に曲げ、殘りの四指で大母指を壓さえ、急に拳を握る。)そして自ら目を怒らせ、この呪を心の中で誦し、病人に當てれば、その病は除かれる。もし一切の鬼病にかかれば、この呪で右手を百八遍誦し、安息香を燒いてその煙で燻し、左手で本生印を作り、右手で病人の頭を摩れば、病は治癒する。
もし獅子・虎・狼・毒蛇・怨賊など、一切の險難な場所を通過しようとするならば、身心を盡くして(清淨に保ち)、女に近づかず、五辛や一切の酒・肉を食べてはならない。諸々の衆生に大悲の心を起こし、至心にこの呪を四十九遍誦すれば、諸々の怨敵・惡人は自然に退散する。仮に遭遇しても、喜ばないものはいない。
この呪は、假令一切の衆生が一劫あるいは無量劫の間、その名さえ聞くことができないものである。ましてや見ることなどできようか。この陀羅尼を專心に念誦すれば、衆生をして現世および未來において常に安穩を得させ、諸々の如來・大菩薩眾と常に眷屬となることを得せる。それ故に殷勤に、遇い難いことと思いを致し、輕んじたり怠ったり、疑いの心を起こしてはならない。詳しくは經に說かれる通りであり、ここでは繁雜を避けて錄さない。
別譯云。若誦百遍。能護一國。若誦千遍。能護四天下。舊令誦此一字呪王已。復誦六字大明真言。一百八遍。然後誦準提陀羅尼。今恐多雜他部。行人反見難持。故此不錄。如欲持者。當如後誦之。
別の訳にはこうある。「もし百回唱えれば、一国を守ることができる。もし千回唱えれば、四天下を守ることができる」と。以前はこの一字の呪王を唱えた後、さらに六字大明真言を百八回唱え、それから準提陀羅尼を唱えるとされていた。しかし今は、他部の教えが多く混ざり、修行者がかえって唱えにくくなることを案じて、ここでは記さないこととした。唱えたい者は、後の方法に従って唱えるがよい。
次誦加持數珠真言。用末香塗珠上。以二手掌。捧珠當心。誦真言七遍。加持數珠。真言曰。
次に数珠を加持する真言を唱えます。末香を数珠に塗り、両手のひらで数珠を心の前に捧げ持ちます。真言を七回唱えて数珠を加持します。真言は次の通りです。
唵吠嚧(引)遮那(引)摩羅娑嚩(二合)(引)賀(引)
おん びろしゃな まか そわか
加持珠已。心口作是願言。我今欲念誦。惟願本尊諸佛菩薩。加持護念。令速如意。所求圓滿。然後以左手無名指。及大拇指。承珠。右手以大指。無名指移珠。當於心前。澄心觀想準提佛母。與眷屬圍繞。了了分明對坐。誦準提真言時。其聲不緩不急。每稱娑嚩賀字。同時移過一珠。或一百八遍。或一千八十遍。常須定限。不得缺減。若務忙者。誦一百八遍已。後隨意散持之。或結根本大印。於菩薩臂上。記數念誦。誦畢。頂上散印。若一百八滿已。不能多記。可以左手作金剛拳印。右手持珠念誦。根本真言曰。
念珠の加持を終えたならば、心の中でこう願いを発します。
「私は今まさに念誦を始めようとしています。どうか本尊ならびに諸仏菩薩の皆さま、加持し護念してください。私の願いが速やかに叶い、求める所が円満に成就しますように。」
その後、左手の薬指と親指で念珠を受け、右手の親指と薬指で珠を繰りながら、心の前に置きます。心を澄ませて、准提仏母が眷属を従えて囲み、はっきりと目の前に座している姿を観想します。
准提真言を唱える時、その声は緩すぎず急すぎず。娑嚩賀の字を唱えるたびに、同時に一珠繰り過ごします。百八遍、または千八十遍を数えます。常に一定の数を定め、欠かさず減らさないことが大切です。
もし忙しい人は、百八遍を唱えた後に、随意に散持してもかまいません。または根本大印を結んで、菩薩の臂上で数を数えながら念誦します。唱え終わったら、頂上で印を解きます。
もし百八遍満じても、あまり多く数を記せないならば、左手で金剛拳印を結び、右手で念珠を持って念誦します。
根本真言とは次の通りです。
曩謨颯多引南三藐三沒䭾引俱引胝南引怛你也二合他引唵。者禮。主禮。準泥。娑嚩。二合引賀。引(此是梵書準提真言)
若所求事。欲速得成就者。當依如上本經作法。斷除酒肉葷辛。方得應騐。如或隨時獲益。滅罪生福。在家不能全斷酒肉妻妾。可於十齋日持誦。如欲長持無間斷者。非十齋日。縱令酒肉妻妾。但當一心誦持。亦能使短命者增壽。疾病者消除。
もし求める事柄があって、早く成就させたいのなら、上に述べたご本経の作法に従いなさい。酒・肉・臭い野菜を断ち切ってこそ、その効験を得ることができるのです。 もし、その時々で功徳を得たいなら、罪を消し福を生じるのです。 在家の人が酒や肉や妻妾を完全に断てないのであれば、十斎日の間に持誦しなさい。 もし長く絶え間なく持誦したいなら、十斎日でない日にも、酒や肉や妻妾があっても、ただ一心に誦え持てば、短命の者を長寿にし、病気の者を治すこともできるのです。
經律中。謂在家不能長持齋戒。令於每月中十日。受持八關戒齋。斷殺。盜。婬。妄。酒。香華。歌舞。戲樂等。八事為戒。過中不食為齋。由此十日淨持齋戒。故令念誦真言。必獲速騐。今時不知齋戒。但以不食酒肉為齋。謬之久矣。茲許酒肉妻妾持誦者。由近代俗流。酒肉妻妾。是其常業。雖聞佛戒。習性難改若不用此大不思議神呪救拔。何日得出生死。故佛頂頌云。不持齋者。名持齋。不持戒者。名持戒。若聞念佛頂陀羅尼。便得具於聲戒。其有齋戒清淨依法持誦者。豈不速出生死乎。
経や律によると、在家の人は長く斎戒(心身を清める修行)を持続することができないとされています。そこで毎月の十日の間に、八つの戒めと斎(昼以降は食事をとらないこと)を受けることが定められています。その八つの戒めとは、殺さないこと、盗まないこと、婬(みだらな行為)をしないこと、偽りを言わないこと、酒を飲まないこと、香華や歌舞・遊戯などの楽しみを断つことです。そして、日が傾いてからは食べないことが斎とされます。この十日間、清らかに斎戒を守ることで、真言を念誦すれば必ず速やかに験(効果)が現れるのです。
ところが現代の人々は斎戒の意味を知らず、ただ酒や肉を口にしないことだけを斎と思っていますが、これは長い間の誤りです。今、酒や肉、妻や妾を持ちながらも真言を唱えることが許されているのは、近代の俗人たちは酒や肉、妻や妾を持つことが日常の習慣となっており、仏の戒めを聞いても、その習性を改めるのが難しいからです。もしこの大いなる不思議な神呪の力をもって救い上げなければ、いつになったら生死の迷いの世界から出られるでしょうか。それゆえ仏頂経の偈にこうあります。「斎を行じない者も、これを持斎という。戒を持たない者も、これを持戒という」と。仏頂陀羅尼を聞き唱えるならば、その人は声聞(声を聞いて悟る者)の戒めを具えることができるのです。ましてや斎戒を清らかに守り、教えに従って念誦する者は、どうして速やかに生死を出ることがないでありましょうか。
或有無福無相者。求官不遂。貧苦所逼。常誦此呪。能令現世。得轉輪王福。所求官位。必得稱遂。若求智慧男女等。無不稱意。此真言。似摩尼珠。一切隨心所欲。皆得。乃至欲請梵王。帝釋。四天王。閻羅天子等。但誦此呪。隨請必至。所有驅使。隨自心願。此呪於南瞻部洲。有大勢力。移須彌山。竭大海水。呪乾枯木。能生華果。何況更能依法持誦。不轉肉身。得大神足。往兜率天。聽聞正法。及往十方世界。承事諸佛。獲菩提記。若欲成就壇法。如前依經作法。或但用鏡壇。可取一新鏡未曾用者。於佛像前。從月十五日夜。面向東方。置鏡座前。隨力莊嚴供養。具諸香華。閼伽淨水。然後結根本大印。當於心前。誦根本真言。呪鏡一百八遍以囊盛鏡。常將隨身。每欲念誦。但以鏡壇置於面前。結印誦呪。若不能逐日對鏡念誦。但於十齋日對鏡念誦。餘日不對鏡念亦得。若無鏡者。但觀想一鏡在前。持誦亦成。或不能觀想者。但只專注念誦。亦得成就。此準提呪。七十七俱胝如來同說。龍樹菩薩以偈讚曰。
あるいは、福徳も相もない者がいる。官職を求めても得られず、貧しさや苦しみに苛まれている。この呪文を常に唱えれば、現世において転輪王の福徳を得ることができ、求める官職も必ず叶うであろう。智慧や子女などを求めるならば、思いのままにならないことはない。この真言は摩尼珠のようなもので、一切の心の願いが全て叶う。さらに梵王、帝釈、四天王、閻羅天子などを請うたいと思うなら、ただこの呪文を唱えるだけで、請えば必ず来臨する。彼らを使役することも、心のままになる。この呪文は南瞻部洲において大きな力を持つ。須弥山を動かし、大海の水を尽くし、枯れ木に呪すれば花や果実を生じさせることもできる。ましてや、経典に従って正しく持誦するならば、肉身のままで大いなる神通力を得て、兜率天に往き、正しい教えを聞き、さらには十方の世界に至って諸仏に仕え、菩提の記別を得ることができるであろう。壇法を成就させたいならば、前述のごとく経典に従って作法するか、あるいは鏡壇を用いることもできる。新しい未使用の鏡を取り、仏像の前で、十五日の夜から東を向いて、鏡を座の前に置く。できる限り荘厳に供養し、種々の香華や閼伽の浄水を備える。その後、根本の大印を結び、心の前に置いて、根本真言を唱え、鏡に一百八回呪する。そして袋に鏡を入れて常に身に付ける。念誦するたびに、鏡壇を面前に置き、印を結び呪文を唱える。毎日鏡に向かって念誦できなくても、十斎日に鏡に向かって念誦し、他の日は鏡なしでも良い。鏡がなければ、ただ一つの鏡が前に在ることを観想して持誦しても成就する。観想もできないなら、ただ専心に念誦するだけでも成就する。この准提呪は、七十七倶胝の如來が共に説かれたものである。龍樹菩薩は偈をもってこれを賛嘆した。
準提功德聚 寂靜心常誦 一切諸大難
無能侵是人 天上及人間 受福如佛等
遇此如意珠 定獲無等等
準提の功徳は集まり、静かな心で常に唱えるならば、あらゆる大いなる災いも、この人を侵すことはできない。天の上でも人の間でも、福を受けること仏の如く等しい。この如意の宝珠に出逢えば、必ず無等等の悟りを得るであろう。
今時多於準提真言下。兼誦佛頂大輪一字明王真言。所謂部林字。
現代では、準提真言(じゅんていしんごん)を唱える際に、あわせて「佛頂大輪一字明王真言(ぶっちょうだいりんいちじみょうおうしんごん)」、すなわち「部林(ぶりん)」の一字を唱えることが多いです。
此是梵書部林字。亦作彈舌道之。二字合為一字。亦作步林。或作𠽾[口*(隆-一)]。又作部隴。又作勃龍。不空三藏譯作勃嚕唵三字合為一字。其註云。嚕字彈舌共為一音。又引聲從胸喉中出。其聲如繫大鼓。古譯云步林。訛不正也。如此則音難得其正。惟善梵音者能之。
これは梵字の「部林」の字です。「彈舌(舌を弾く発音)」で唱えることもあります。二字を合わせて一字とします。「步林」とも書き、「𠽾」「」とも書きます。また「部隴」とも「勃龍」とも書きます。不空三蔵は「勃嚕唵」と訳し、三字を合わせて一字としました。その注釈には、「嚕」の字は舌を弾いて一音とし、さらに声を引いて胸の喉の奥から出し、その音は大きな太鼓を打つような響きであるとあります。古い訳では「步林」としましたが、これは訛りで正確ではありません。このように、この音を正しく出すのは難しく、梵語の発音に精通した者だけが可能です。
根本儀軌經云。此佛頂大輪一字明王。得成就者。乃至於諸如來。法欲滅時。能為佛事。復能擁護諸佛如來一切法藏。此一字明王。於佛滅後。末法之時。行於世間。為無能勝諸真言。亦諸佛菩薩悉所受持。乃是過去佛菩薩之所傳說。若復所在有彼行人。專心持誦此大明者。於彼所在五由旬內。地界之中。所有一切諸惡宿曜。不能侵近。諸惡鬼神。皆自馳散。乃至一切諸惡。不能為害。至於天人。聖人。亦不敢近。若持誦者。一切業障。皆得清淨。若作擁護。能隱身入一切部多中。無所障礙。於世間出世間不能為害。能摧世間一切惡呪。此真言。是一切諸佛之頂。是文殊菩薩之心。能施一切眾生無畏。能與一切眾生快樂。凡有修持。隨意得果。同如意珠。能滿一切之願。若持誦餘一切呪不成就者。用此真言。共餘呪一處。同誦持之。決定成就。若不成就及靈騐。其呪神等。即當頭破七分。是知此真言。能助一切呪。疾得成就。若欲單持此真言求一切法成就者。當依彼經作法念誦。若持誦者。不能如前誦淨法界真言。護身真言。乃至大輪一字真言者。便可專持此準提陀羅尼。若年老衰邁氣力短少。不能誦全真言。可初誦三遍已。後但從唵字起。誦下九字亦得。又或不能結準提大印。即當作金剛拳念誦。凡誦呪訖。却用金剛拳印。誦吽字真言。而印五處。先印額上。次印右肩。次印左肩。次印心上。後印喉上。印竟。於頂上散之。能除一切魔障。成就一切勝事。又隨所住處。欲辟除鬼神。可結金剛界。但誦準提真言。呪香水二十一遍。八方上下之。灑即成辟除結界。
根本儀軌経にこう説かれている。この仏頂大輪一字明王を成就した者は、諸如来の教法が滅びようとする時にも、仏のための働きを為すことができる。また、諸仏如来のすべての法蔵を守り護ることができる。この一字明王は、仏が滅度された後の末法の時代に、世間にあらわれて、いかなる真言も敵わない無能勝の力を持つ。これは諸仏・諸菩薩もみな受持するところであり、過去の仏・菩薩によって伝えられたものである。
もし修行者がいて、この大明王を一心に持誦するならば、その場所から五由旬の範囲内では、すべての悪しき星や宿曜が近づくことができず、すべての悪鬼・神々はみな自ら逃げ散る。さらに、すべての悪事も害をなすことができない。天人のような聖者でさえも、近づこうとはしない。この真言を持誦する者は、すべての業障が清らかになる。また、身を守るための擁護を行えば、あらゆる部多(鬼神の一種)の中に身を隠すことができ、何の障りもない。世間・出世間のいかなるものも害することができない。世間のすべての悪い呪いを打ち破ることができる。
この真言は、すべての諸仏の頂であり、文殊菩薩の心である。すべての衆生に畏れのない心を与え、すべての衆生に安楽を与えることができる。修行する者は、その思いのままに果報を得ることができる。如意珠と同じく、すべての願いを満たすことができる。
もし他のすべての呪いを唱えても成就しない場合には、この真言をその呪いと一緒に唱えなさい。必ず成就するであろう。もし成就せず、霊験もないならば、その呪いの神々は頭を七つに割られるであろう。このことから、この真言がすべての呪いを助けて、速やかに成就させることが分かる。
もしこの真言だけを唱えて、すべての法の成就を求めるならば、その経典に従って作法し、念誦しなさい。持誦する者が、前述のように浄法界真言や護身真言、大輪一字真言を唱えることができないならば、ただこの準提陀羅尼を専らに持誦すればよい。もし年老いて気力が衰え、体力が少なくて、完全な真言を唱えることができないならば、初めに三遍唱えた後は、唵の字から始まる後の九字だけを唱えてもよい。
また、準提の大印を結ぶことができないならば、金剛拳の印を結んで念誦しなさい。すべての呪いを唱え終わったら、金剛拳の印を用いて、吽字真言を唱えながら五つの場所に印を結びなさい。まず額に、次に右肩に、次に左肩に、次に心臓の上に、最後に喉に印を結ぶ。印を結び終えたならば、頭の上で印を解き放つ。これによって、すべての魔の障りを除き、すべての勝れた事を成就することができる。
さらに、住んでいる場所から鬼神を避け除きたいならば、金剛界を結び、準提真言を唱えて香水を二十一遍かけて、八方に撒きなさい。これがすなわち、辟除と結界となる。
持明藏儀軌云。或作法時。在壇內睡臥。或得惡夢。即誦佛眼真言八百遍。當誦時。右手持珠。左手執金剛杵。真言曰。
唵(引)度曩嚩日囉(二合)郝
オーン、ナモ・ヴァジュラ・ホー
每日依法持誦時。須限定其時分。若一時持。即當早晨。若二時持。則兼黃昏。若三時持。則加正午。如務忙者。不能依時。但有暇時即便持之。若上根者持。得三密相應。一身密(端坐結印)二語密。(口誦真言)三意密。
毎日、法に従って読誦する際には、必ず時間を定めるべきである。もし一回読誦するなら、早朝に行うのが良い。二回読誦するなら、夕方も加える。三回読誦するなら、正午も加える。もし仕事などで忙しく、時間通りに行えない場合は、暇な時があればその時に読誦すればよい。上根の者が読誦するなら、三密の相応を得ることができる。一つ目は身密(端座して印を結ぶこと)、二つ目は語密(口で真言を唱えること)、三つ目は意密である。
一念專注。或想真言梵字。或緣持誦之聲。或想準提聖容。或想菩薩手中所執杵瓶華果等物。
一念に専注して、あるいは真言の梵字を思い浮かべ、あるいは読経の声に心を向け、あるいは準提菩薩の尊いお姿を観じ、あるいは菩薩の手に持つ金剛杵や瓶、花、果物などを思い描くのです。
神變經疏云。若用三密為門。不須經歷劫數。具修諸行。只於此生滿足諸波羅蜜。故五秘密儀軌云。三密金剛以為增上緣。能證毘盧遮那清淨三身果位。釋陀羅尼文字云。若有諸佛不修三密門。不依普賢行願。得成佛者。無有是處。若成佛已。於三密門。普賢行願。有休息者。無有是處。若正持誦時。未滿一百八遍。不得共人語話。如必欲語話時。於自舌上。想一梵書㘕字。縱語話。不成間斷。語話竟。即當續前持之。問曰。為當只持一道真言。功德成就。為復廣持多道真言。功德成就。答曰。此有二門。一者隨根所樂門。謂人根機有於多種。好樂不同。或有樂持三道五道十道。乃至百道等。於中隨根所樂。皆得持誦。二者疾得成就門。謂欲求一切功德。疾得成就。宜專持誦一道真言。成時。一切真言功德。皆悉成就。故文殊儀軌經云。若欲一切功德成就。不得於別真言。而起思想。是也。如上雖有數道真言。而皆是持誦準提真言之次第。助成勝妙故也。又每日對鏡。初欲持誦時。當如本經想自心如一月輪。圓明皎潔。有九聖字梵書。每一一字。想有種種光明。布於心月圓明中。或不能想此九字。可於心月輪中。想一梵書唵字。或想九梵字。安布自身分中。言梵書九字。有種種光明者。如金剛智所譯本。頌云。唵想安頭上。其色白如月。放於無量光。除滅一切障。即同佛菩薩。摩是人頂上。折字安兩目。其色如日月。為照諸愚暗。能發深慧明。𨽻字安頸上。色如紺瑠璃。能顯諸色相。漸具如來智。主字想安心。其色如皎素。猶心清淨故。速達菩提路。𨽻字安兩肩。色黃如金色。猶觀是色相。能披精進甲。準字想臍中。其色妙黃白。速登妙道場。不退菩提故。提字安兩䏶。其色如淺黃。速證菩提道。得坐金剛座。莎嚩字安兩脛。其狀作赤色。常能想是字。速得轉法輪。訶字置兩足。其色猶滿月。行者作是想。速得達圓寂。按顯密圓通取諸部陀羅尼字義。安布觀想。今恐初學。反見尤難。故依本宗為持誦法要。或欲觀想他字義者。當如本經末。別出一法中所明。如有復不能想此梵書者。但只專心持誦。亦具一切三昧。故大悲心經云。陀羅尼是禪定藏。百千三昧常現前。若人緊切持誦時。或遇種種魔障。或忽然怕怖。或口舌難誦。或身心不安。或多嗔多睡。或見諸異相。或於呪生疑心不欲持誦等。當作對治之法。應依本經結第二根本印。誦心真言。或作無能勝真言印契。或觀梵書囉字。或觀阿字。隨作一法。隨觀一字。彼等境界自然消滅。若分別心多者。當觀灑字。即成無分別。若著有為心多者。應觀含字。即得因緣法本空故。又持明藏經云。行人欲作法時。先須澄心。離諸誼閙。於自身分。想微妙字相。一一現前。若得現前。一切罪垢。皆得消滅。微妙字者。先於口門想其𤚥字。於右肩上想暗字。於左肩上想惡字。於頭上復想暗字。於右臂上想阿引字。左臂上想嚩字。於臍輪中想吽字。復於遍身想阿引字。行人每想如是字。於身分現時即復誦真言曰。
《神變經疏》にはこう説かれています。「もし三密を門として用いるならば、長い年月を経て多くの修行を積む必要はない。この一生のうちにすべての波羅蜜を満たすことができる」。したがって『五秘密儀軌』にも「三密の金剛を増上縁として、毘盧遮那仏の清らかな三身の果位を証得できる」とあります。また『陀羅尼文字釈』にはこうあります。「もし諸仏が三密の門を修せず、普賢の行願に依らずして成仏できる者がいるならば、そのようなことはありえない。もし成仏した後に、三密の門や普賢の行願において休むことがあるならば、それもまたありえないことである」。
まさに読誦する時は、まだ108遍を満たしていない間は、人と話してはなりません。もしどうしても話さなければならない時は、自分の舌の上に梵字の「囕(らん)」の字を思い浮かべなさい。そうすれば、たとえ話をしても、読誦の中断にはなりません。話し終わったら、すぐに前に続けて読誦しなさい。
問いかけます。「ただ一つの真言を保ち読誦するだけで功徳が成就するのでしょうか。それとも多くの真言を広く保ち読誦することで功徳が成就するのでしょうか」
答えていいます。「これには二つの門がある。第一は『随根所楽門』である。人の根機には多くの種類があり、好みもそれぞれ異なる。ある者は三つ、五つ、十の真言を楽しんで保ち、あるいは百もの真言を楽しんで保つ。その中で根機に従って好むままに、皆読誦することができる。第二は『疾得成就門』である。すべての功徳を求めて速やかに成就したいならば、一つの真言を専らに保ち読誦すべきである。成就した時には、すべての真言の功徳も皆成就するのである。だから『文殊儀軌経』に『もし一切の功徳の成就を望むならば、他の真言について思いを巡らしてはならない』とあるのは、まさにこのことである。
上に述べたように数種の真言があるが、これらはすべて準提真言の読誦の次第を助け、素晴らしい成就を助成するためのものである。
また、毎日鏡に向かって、最初に読誦しようとする時は、本経のように自分の心を一月輪のように思い浮かべなさい。円く明らかで皎潔であり、そこに九つの聖字の梵字がある。それぞれの一字に種々の光明があると思い浮かべ、心の月輪の円明な中に配するのである。あるいはこの九字を思い浮かべられないならば、心の月輪の中に梵字の「唵(おん)」の一字を思い浮かべなさい。あるいは九つの梵字を思い浮かべて、自分の身体の各部に配することもできる。
九つの梵字に種々の光明があるということについて、金剛智の訳本には偈頌がある。
「唵」は頭の上に思い浮かべよ その色は月のように白く 無量の光を放って すべての障りを除き滅する すなわち仏菩薩の如く 人の頂上を摩するなり
「折」の字は両眼に置く その色は日月の如し もろもろの愚かさの闇を照らして 深い智慧の明りを発せしむ
「𨽻」の字は頸に置く 色は紺琉璃の如く もろもろの色相を現わして 徐々に如来の智慧を具える
「主」の字は心に思い浮かべよ その色は皎潔な白の如し 心の清らかなるがゆえに 速やかに菩提の道に達する
「𨽻」の字は両肩に置く 色は黄金の如く黄色なり この色相を観ずるによって 精進の甲を身に着ける
「準」の字は臍の中に思い浮かべよ その色は妙なる黄白 速やかに妙道場に登り 退転せざる菩提を成就す
「提」の字は両腿に置く その色は浅黄の如し 速やかに菩提の道を証得して 金剛座に坐することを得ん
「莎嚩」の字は両脛に置く その形は赤色をなす 常にこの字を思い浮かべれば 速やかに法輪を転ずることを得ん
「訶」の字は両足に置く その色は満月の如し 行者この思いをなせば 速やかに円寂に達することを得ん
『顕密円通』を調べると、各部の陀羅尼の字義を取り出して、身体に配して観想している。しかし今は初心者がかえって難しいと思うことを恐れて、本宗に依って持誦の要法とするのである。もし他の字義を観想したいならば、本経の終わりに別に示されている一法の通りにすべきである。
もしこの梵字を思い浮かべることさえもできないならば、ただひたすら専心して持誦するだけでよい。それもすべての三昧を具えている。だから『大悲心経』に「陀羅尼は禅定の蔵であり、百千の三昧が常に現前する」とある。
もし人が真剣に持誦している時に、あるいは種々の魔障に遭い、あるいは忽然と怖れをなしたり、口や舌が読誦しにくくなったり、身心が安らかでなくなったり、あるいは多くの怒りや眠気が生じたり、あるいは様々な異相を見たり、あるいは呪いに対して疑いの心を生じて読誦したくなくなったりすることがある。その時は対治の法を作すべきである。すなわち本経に従って第二の根本印を結び、心真言を誦するか、あるいは無能勝真言の印契を作すか、あるいは梵字の「囉(ら)」の字を観ずるか、あるいは「阿(あ)」の字を観ずるか。どれか一つの法を行じ、どれか一つの字を観ずれば、それらの境界は自然に消え滅する。
もし分別の心が多い者は「灑(しゃ)」の字を観ずるべきである。そうすれば無分別を成就する。もし有為の心に執着する者が多いならば「含(かん)」の字を観ずるべきである。そうすれば因縁の法は元来空であることを得るからである。
また『持明蔵経』にはこうある。「修行者が法を行じようとする時は、まず心を澄まし、もろもろの騒がしさを離れなさい。自分の身体の各部に微細な字の相を思い浮かべ、一つ一つを現前させなさい。もし現前することを得れば、すべての罪や垢は皆消え滅するであろう。微細な字とは、まず口の中に「𤚥(まん)」の字を思い浮かべ、右肩には「暗(あん)」の字を、左肩には「悪(あく)」の字を、頭の上にも「暗(あん)」の字を、右腕には「阿」の引声の字を、左腕には「嚩(ば)」の字を、臍の輪の中には「吽(うん)」の字を、さらに全身に「阿」の引声の字を思い浮かべるのである」。修行者がこのようにそれぞれの字を身の各部に現前させる時には、すぐに真言を誦するのである。
吽(引)左𨽻祖𨽻尊禰(引)吽(引)
吽(引く)左𨽻祖𨽻尊禰(引く)吽(引く)
此真言。若誦至一洛叉。能除一切罪。
この真言を、もし十万回唱えるならば、あらゆる罪を除くことができる。
又真言曰。
また、真言(マントラ)を唱えるには、こう唱えます。
唵(引)左𨽻祖𨽻尊禰(引)癹吒(半音)
オン(引)サレイ ソレイ ソンネイ(引)ハッタ(半音)
此真言。若誦至一洛叉。得大智慧。
この真言を、もし一洛叉(十万遍)唱えるならば、大きな智慧を得ることができます。
又真言曰。
また、真言(マントラ)を唱えるには、こう唱えます。
曩莫(引)左𨽻祖𨽻尊禰(引)曩莫
南無 左隷祖隷尊祢 南無
此真言常持。能除一切塵垢。其𤚥字是妙吉祥菩薩根本。昧字是慈氏菩薩根本。室哩字為如來根本。暗字為普賢菩薩根本。惡字為虛空藏菩薩根本。阿字為一切如來根本。阿字又為觀自在菩薩根本。又為金剛手菩薩根本。吽字為焰鬘得迦忿怒明王根本。今略出其印相。先正足立。後却作右旋轉。以二手各作拳。舒中指。作動搖相。此名惹嚩曩印。若行人於大難中。或被禁縛時用。彼一切事。無能為害。
この真言を常に唱えることで、あらゆる汚れや障りを取り除くことができます。 「マン」の字は妙吉祥菩薩の根本であり、「メイ」の字は慈氏菩薩の根本、「シリ」の字は如来の根本、「アン」の字は普賢菩薩の根本、「アク」の字は虚空蔵菩薩の根本、「ア」の字はすべての如来の根本です。また「ア」の字は観自在菩薩の根本でもあり、金剛手菩薩の根本でもあります。「フーム」の字は焔鬘得迦忿怒明王の根本です。 ここでその印の形を簡単に示します。まず足を正しくまっすぐに立て、その後、体を右に回転させます。両手でそれぞれ拳を作り、中指を伸ばして、動かすような形にします。これを「惹嚩曩印」と呼びます。修行者が大きな苦難の中にいる時や、捕らえられ縛られている時にこの印を用いれば、あらゆる災いが害を及ぼすことはできません。
又以右手作拳。直豎中指。此名幢印。若鬬戰時。或有大怖時用。
また、右手で拳を作り、中指をまっすぐ立てる。これを幢印(どういん)と名づける。もし戦いの時や、大きな恐怖がある時に用いる。
又先作跏趺坐。以左手作拳。直豎拇指。以右手執左手拇指。安於臍輪。此名法印。求解脫用。一切天人。皆悉稱讚。
まず、足を組んで座ります(結跏趺坐)。左手で拳を作り、親指をまっすぐ立てます。右手でその左手の親指を握り、へそのあたりに置きます。これを「法印」といいます。これは解脱を求めるためのもので、すべての天や人々がこの行いを称賛するのです。
又以二手展舒。手指各相離。於頭上旋轉。如輪相。此印名八輻輪。威力。能斷除一切大惡。
また、両手を広げて、指をそれぞれ離し、頭上で回転させる。輪の形のように。この印を八輻輪と名づける。その威力は、あらゆる大いなる悪を断ち除くことができる。
又先正立。作右舞勢。右轉。以右手作施願。左手作三旛相。安額上。復作右舞勢。復作左舞勢。此名方位印。能伏師子。龍虎。及部多。必舍左鬼等。乃至賊盜等。
まずまっすぐに立ちなさい。右に舞うような所作をし、右に回ります。右手で施願の印を結び、左手で三つの旛のような形を作って、額の上に置きます。再び右に舞う所作をし、さらに左に舞う所作をします。これを方位印と名づけます。この印は、獅子、龍、虎、そして部多(鬼神)や必舍左(夜叉)などの鬼を調伏し、さらには盗賊などをも退ける力があります。
又以二手各安臂上。各豎頭指。此名鉢哩伽印。能除一切瘧病。
また、両手をそれぞれ臂の上に置き、頭指(ひとさし指)を立てる。これを鉢哩伽印という。この印は、あらゆる瘧(おこり)の病を除く力がある。
又以二手作拳相合。以拇指相交此名搗杵印。當用息除大惡宿曜。
また、両手で拳を作り、合わせて親指を交差させる。これを「搗杵印」という。この印は、大きな悪い星や宿曜の災いを除くために用いるべきである。
又以右手拇指與小指。安於頭指頭。此名鉢致娑印。能降伏阿蘇羅。
また、右手の親指と小指を人差し指の先に置きます。これを「鉢致娑印」と言い、阿蘇羅を降伏させる力があります。
又以二手合掌。二拇指如針。此名說法印。於供養本尊時用。當得諸佛菩薩。及天龍八部。諸持明天尊。皆悉歡喜。能施成就。(已上諸印。皆誦本部真言)如欲成就大事。速求靈騐者。必須依經立壇作法。方獲果遂。
また、両手の手のひらを合わせて合掌し、両方の親指を針のように立てる。これを説法印という。本尊を供養するときに用いる。これによって、諸仏や菩薩、そして天龍八部、諸持明天尊もみな喜び、成就を施してくれるだろう。
(以上の諸印は、すべて本部の真言を唱えること)
もし大きな成就を望み、速やかに霊験を求めるならば、必ず経典に基づいて壇を設け、作法を行うべきである。そうして初めて、願いが叶うのである。
○修悲敬二田。
悲敬の二つの田を修める。
○初修敬田。
まず、敬田を修めることから始めます。
行者欲得定慧增長。福智圓明。必須廣修悲敬二田。上供十方三寶。下濟六道四生。以此為定慧之基。菩提之本。故云菩提心有二種。度無邊眾生為因。無上菩提為果。曼茶羅疏云。夫為道者。上若不供諸佛菩薩。何處展智。欲求菩提。下若不濟諸仙餓鬼。何處行悲。行者如欲修敬。當依本經。結五供養印。誦根本真言。運想供養本尊諸佛菩薩一切聖眾。成就所願。福智圓滿。如或常須供養。不能依經作法。今準諸部陀羅尼。并成佛心要。略而出之。先當於聖像前。一心恭敬。五體投地。遍禮十方法界無盡佛法僧三寶。如五字陀羅尼頌。令結金剛印。以兩手各相背。二小指。二拇指。相鈎。口誦真言七遍。真言曰。
修行者が定と慧を高め、福と智を円満にしたいと願うならば、必ず慈悲と恭敬の二つの田を広く耕さねばなりません。上には十方の三宝を供養し、下には六道の四生を救済する。これが定慧の基盤であり、菩提の根本です。だからこそ、菩提心には二種あると言われます。無辺の衆生を済度することが因であり、無上の菩提を証得することが果であるのです。
『曼荼羅疏』にはこう説かれています。「道を求める者は、上に諸仏菩薩を供養しなければ、どこで智慧を育て、菩提を求められようか。下に諸仙や餓鬼を救済しなければ、どこで慈悲を行うことができようか」と。
修行者がもし恭敬を修めたいと望むなら、この経典に従って、五供養の印を結び、根本真言を唱え、思念をもって本尊や諸仏菩薩、すべての聖衆に供養を施し、願いを成就し、福智を円満にすべきです。
もし常に供養を行いたいけれども、経典に定められた作法に従うことができない場合には、諸部の陀羅尼や『成仏心要』に基づいて、簡略にその方法を示します。
まず聖像の前に進み、一心に恭敬し、五体を地に投げ打って礼拝し、十方の法界に満ちる尽きせぬ仏・法・僧の三宝に遍く礼を捧げます。『五字陀羅尼頌』に説かれるように、金剛印を結びます。両手をそれぞれ背中合わせにし、両小指と両親指を互いに絡めて鉤の形にします。そして口に真言を七遍唱えます。
真言は次の通りです。
唵(引)嚩日囉(二合)勿(微吉切)(亦作吠)
唵(引) 嚩日囉(二合) 勿(微吉切、亦作吠)
誦已。以印頂上散之。由此真言印。不思議力。自然遍法界無盡三寶前。皆有自身禮拜奉事。然後以飲食香華等。隨力所辦。盛於淨器。結普通吉祥印。印之。以右手拇指。與無名指相捻。餘三指舒散。誦淨法界真言加持二十一遍。真言曰。
誦し終えたら、印を頭頂の上で解きます。この真言と印の不思議な力によって、自然に法界の尽きることのない三宝の前のすべてに、自分の姿があり、礼拝し奉仕することになります。その後、飲食や香や華などを、力に応じて用意したものを清らかな器に盛り、普通吉祥印を結びます。印の結び方は、右手の親指と薬指とを捻り合わせ、残りの三本の指は伸ばし広げます。浄法界真言を誦して二十一遍加持します。真言は次のとおりです。
㘕
「ン」
由此真言加持。及手印力。其飲食器物等。自然清淨。遍於法界。蓮華部念誦法云。於一切供養香華等。皆加持此㘕字。放白色光。即無穢觸。所供養物。皆遍法界。次誦無量威德自在光明勝妙力變食真言。合掌加持二十一遍。真言曰。
この真言の加持と印の力により、飲食や器物などは自然に清らかとなり、法界全体に満ちわたります。蓮華部の念誦法にはこうあります。「すべての供養の香や花などには、すべてこの鑁字を加持し、白色の光を放たせる。すると、けがれや触れの汚れがなくなり、供養するものはすべて法界に満ちわたる」と。次に、無量威徳自在光明勝妙力変食真言を唱え、合掌して二十一度加持します。その真言は次の通りです。
娜謨薩嚩(無可切)(下同)怛他(引)(去聲)㜸跢(引)(一)嚩路(引)枳帝(二)唵(引)(三)三(去聲)䟦囉三䟦囉吽(引)(四)
南無すべての如来に帰依します。オーム、完全に清めよ、完全に清めよ、フーム。
由此真言加持力故。其飲食等。即變成諸天種種餚饍上味。奉獻供養十方無盡三寶。亦為讚歎。勸請。隨喜功德。復結出生供養印。二手外相叉合掌。十指各兩節相交。安在頂上。誦出生供養真言二十一遍。真言曰。
この真言の加持力によって、その飲食などは、ただちに天界のさまざまな珍しい味わいのごちそうに変わり、十方の尽きることない三宝に捧げて供養されます。また讃嘆し、お請い求め、共に喜ぶ功徳もなされます。さらに「出生供養の印」を結びます。両手を外側で交差させて合掌し、十の指をそれぞれ二節ずつ交差させて、頭の上に置きます。そして「出生供養の真言」を二十一回唱えます。その真言は次のとおりです。
唵
「オーム」
由此真言及印不思議力。自然遍法界出生無盡香華燈燭幢旛寶葢衣服臥具樓閣音樂等。種種供具。供養遍法界無量三寶等。若無飲食香華等。但於佛前運想結印誦呪。亦自然出生如上種種供具供養法界三寶(此變食真言理趣功德如下廣明)。
この真言と印の不思議な力によって、自然に法界全体に広がり、尽きることのない香、花、灯明、幢旛、宝蓋、衣服、寝具、楼閣、音楽などの様々な供養の品々が生じ出ます。これらは法界に満ちる無量の三宝に捧げられます。もし飲食や香花などがなくても、仏の前で観想し印を結び真言を唱えれば、自然に上記のような様々な供養具が生じ出て、法界の三宝に供養することができます。
○次修悲田。
次に、悲田(ひでん)を修行します。
欲施諸仙食者。以一淨器。盛滿飲食。誦變食真言二七遍。投於淨流水中。即變成天仙美妙之食。供養百千俱胝恒河沙數諸仙。彼諸仙等。得加持食。各各成就根本所願。諸善功德。若人以此真言加持飲食施諸仙眾。能令現世增長福壽。心所見聞。正解清淨。具足成就。梵天威德。一切冤讐。不能侵害。
仙人に食物を施したいと願う者は、清らかな器に飲食を満たし、変食真言を二七遍誦え、清らかな流れる水に投じなさい。すると、それは天人の妙なる美食に変わり、百千の恒河沙の数の仙人たちに供養されます。その仙人たちは加持を受けた食物を得て、それぞれが根本の願いを成就し、様々な善い功徳を備えます。もし人がこの真言で飲食を加持して仙人たちに施せば、現世において福寿が増え、心に見聞するものは正しく理解され、清らかになり、完全に成就します。梵天の威徳を得て、一切の怨敵も害することができません。
欲濟諸餓鬼者。每於晨朝。及一切時。悉無障礙。取一淨器。盛少淨水。置於少飯。及諸餅食。以左手持器。右手作寶印。(以大拇指頭指中指小指舒。以無名指。用攪食上。施諸仙食。亦作此印)誦變食真言七遍加持已。然後稱四如來名號。南無多寶如來(能破餓鬼慳恡業。得福德圓滿)南無妙色身如來(能除餓鬼醜陋形。得色相具足)南無廣博身如來(能令餓鬼喉咽寬大。所施之食。悉皆充足)南無離怖畏如來(能除餓鬼一切怖畏。得離鬼道)
飢えた餓鬼どもを救おうと願う者は、毎朝、またいつの時でも、さまたげられることなく行うことができる。清らかな器を一つ用意し、そこに少量の清浄な水を入れ、少しの飯や様々な餅菓子を盛る。左手で器を持ち、右手で宝の印を結ぶ。(このとき、親指・人差し指・中指・小指を伸ばし、薬指だけを曲げて、その薬指で食べ物の上をかき混ぜる。仙人に施しをするときも、この印を用いる。)そして変食真言を七回唱えて祈りを込めたなら、次に四人の如来の名号を称える。「南無多宝如来」(餓鬼の物惜しみの業を破り、福徳の円満を得させる。)「南無妙色身如来」(餓鬼の醜い姿を取り除き、美しい姿を完全に備えさせる。)「南無広博身如来」(餓鬼の喉を広く大きくし、施した食べ物がすべて十分に行き渡るようにする。)「南無離怖畏如来」(餓鬼の一切の恐れを除き、鬼道を離れさせてくれる。)
稱如來名號已。彈指七遍。取其食器。於淨地上。展右臂瀉之。(淨石木上瓦器亦得)佛言。加持此陀羅尼七遍。能令一食。變成種種甘露飲食。充足百千俱胝那由他恒河沙數。一切餓鬼。及異類鬼神。皆得飽滿。如是等眾。一一各得摩伽陀國。七七斛食。此食此水。量同法界。食之無盡。皆獲聖果。解脫苦身。得生天上。及生淨土。其能施者。便能具足無量福德。則同供養百千俱胝如來功德。等無差別。
如来の名号を称えたならば、指を七度弾き、その食器を取り、清らかな地上で右腕を伸ばして食を注ぎなさい。〈注:清らかな石、木、瓦の器でもよい〉仏は言われた。「この陀羅尼を七度加持すれば、一つの食物が種々の甘露の飲食に変わり、百千倶胝那由他恒河沙の数のすべての餓鬼や異類の鬼神を満たすことができる。彼らはすべて飽き満ち足り、その一つ一つがすべて摩伽陀国の七十七斛の食を得る。この食と水は、その量が法界と同じく、食べても尽きることがない。皆、聖果を得て、苦しみの身から解脱し、天に生まれ、浄土に生まれることができる。施す者は、無量の福徳を具足し、百千倶胝の如来を供養する功徳と同じで、何の差違もない。」
當知此無量威德自在光明勝妙力變食陀羅尼。即是三德秘藏。此之秘藏。具一切法。故能流出無窮。出生無量。周徧法界。普興供養。三德者。法身。般若。解脫。各具常樂我淨四德。法身不獨法身。必具般若解脫。般若解脫。互具亦爾。言威德自在者。即解脫德也。光明者。般若德也。勝妙者。法身德也。力者。三德之力也。梵語陀羅尼。此云總持。謂總持三德。要在一心。一心三德。法爾而具。然則一心。即陀羅尼。陀羅尼。即是法食。莫不以三德共為之體。亦莫不以三德共為之用。圓教之人。由能了知三德秘藏。具一切法。一切諸法。體是三德。故能舉體起用。作此現前所施分段之食。於一一食。出生一切天須陀甘露味。及歡喜丸。酥酪醍醐。一切美味。莫不悉具。於此一一味中。亦復出生妙香。寶華。天衣。瓔珞。眾寶輦輿。一切服用。鐘磬。金鐃。笙。簫。角。貝。樂。絃。歌。一切妙音。流泉浴池。華果園林。光明臺殿。一切住處。復於一一美味。一一服用。一一妙音。一一住處。彼彼出生如上六塵。一切妙供。無不周徧。一器之食。至微至約。而所以能有如是不思議用者。以此一即三德之全體故也。我今持此三德所熏。六塵妙供。普施法界無量群生。一時充足。無所乏少。雖施之物。亦本無有。我及眾生。亦無有相。是為以空為觀者。雖復無與。無取。無物。無我。無眾生。而其施者。受者。及中間物。莫不宛然。歷歷可見。是為以假為觀者。於一心中。了知施者。受者。及所施物。非有非無。三輪俱絕。是為以中為觀者。三觀照一念中。得無後無前。何思何慮。作如是觀。而行施。是為不住相施。是諸眾生。受此施時。一一自然。皆得禪悅法喜之食。以故居天道。則轉增勝福。在人倫。則頓悟真歸。修羅調伏瞋心。餓鬼咸獲飽滿。畜生自得智慧。地獄永脫拘囚。即於此時。咸悔業因。進求出世。應知是法是食。俱得為利。譬如熏藥。藥隨火勢。入人身中。患除方復。法隨食入。亦復如是。或近或遠。終破無明。
知るべし、この無量の威徳自在・光明勝妙・力変の食陀羅尼は、すなわち三徳の秘蔵なり。この秘蔵は、一切の法を具える。故に無窮に流出し、無量に出生し、法界に周徧して、普く供養を興すことを得る。三徳とは、法身・般若・解脱なり。各々常楽我浄の四徳を具える。法身は独り法身のみにあらず、必ず般若・解脱を具える。般若・解脱も互いに具すること、またしかり。威徳自在と言うは、すなわち解脱徳なり。光明は、般若徳なり。勝妙は、法身徳なり。力は、三徳の力なり。梵語の陀羅尼は、これを総持と云う。三徳を総持して、要は一心に在ることを謂う。一心は三徳を、法爾として具える。然らばすなわち一心は即ち陀羅尼なり。陀羅尼は、すなわち法食なり。三徳を以て共にその体となさざるはなく、三徳を以て共にその用となさざるもなし。円教の人、三徳秘蔵が一切の法を具え、一切の諸法が体は三徳なることを了知するが故に、挙体起用して、この現前に施す所の分段の食を作すことを得。一一の食の中に、一切の天須陀の甘露味、および歓喜丸、酥酪・醍醐、一切の美味を出生し、具えざるは莫し。この一一の味の中に、また妙香・宝華・天衣・瓔珞・衆宝の輦輿、一切の服用、鐘・磬・金鐃・笙・簫・角・貝・楽・弦・歌、一切の妙音、流泉・浴池・華果・園林・光明・台殿、一切の住処を出生す。また一一の美味・一一の服用・一一の妙音・一一の住処の中に、彼彼として上の如き六塵を出生す。一切の妙供、周徧せざるはなし。一器の食は、至微至約なれども、かくの如き不思議の用ある所以は、この一が即ち三徳の全体なるが故なり。我、今この三徳に熏ぜられたる六塵の妙供を持ちて、法界の無量の群生に普く施し、一時に充足せしめ、乏少あることなし。施す所の物も、もとより有ることなし。我および衆生も、相有ることなし。これは空を観と為す者なり。復た与うるもなく、取るもなく、物もなく、我もなく、衆生もなけれども、その施す者・受くる者・および中間の物は、宛然として歴歴に見ゆ。これは仮を観と為す者なり。一心中に、施す者・受くる者・および施す所の物は、有にあらず無にあらず、三輪ともに絶することを了知す。これは中を観と為す者なり。三観は一念の中を照らして、後もなく前もなし。何をか思い何をか慮らん。この如く観じて施を行ずる、これを不住相の施と為す。これらの衆生、この施を受くる時、一一自然に皆禅悦法喜の食を得ることを得。故に天道に居れば則ち勝福を転増し、人倫に在れば則ち頓に真帰を悟る。修羅は瞋心を調伏し、餓鬼は咸く飽満を得、畜生は自ら智慧を得、地獄は永く拘囚を脱す。即ちこの時に当りて、咸く業因を悔いて、出世を進み求む。知るべし、この法とこの食とは、倶に利と為ることを得。譬えば薬を熏ずるに、薬は火の勢いに随って人の身中に入り、患除かれて方に復るが如し。法、食に随って入ることも、またこの如し。或いは近く或いは遠く、終に無明を破る。
若取水一掬。用甘露真言。加持七遍。散於空中。其水一滴。即皆變成十斛甘露。一切餓鬼。並得飲之。無有乏少。皆得飽足。真言曰。
一掬の水を取り、甘露真言を用いて七度お加持し、空中に散じます。その水の一滴は、すべて十斛の甘露に変じます。すべての餓鬼たちは、これを飲むことができ、乏しくなることはなく、皆が満ち足りるのです。その真言は次の通りです。
南無素嚕皤耶。怛多揭他耶。怛姪他。唵。素嚕。素嚕。皤囉素嚕。皤囉素嚕。莎嚩(二合)訶
設無飲食。即以甘露真言。加持水施之。令一切餓鬼。皆悉飽滿。若有四輩弟子。以此真言。及四如來名號加持飲食。施諸餓鬼。便能具足無量功德。壽命延長。福德增榮。又得顏色鮮潔。威德強記。速能滿足檀波羅蜜。一切夜叉羅剎。諸惡鬼神。人非人等。皆畏是人。不敢侵害。
もし飲食が無ければ、甘露真言を用いて水に加持し、それを施すことで、全ての餓鬼を満腹にさせることができる。もし四衆の弟子が、この真言と四如来の名号で飲食を加持し、餓鬼に施せば、無量の功徳を具足し、寿命が延び、福徳が増し栄える。また、顔色が鮮やかで清らかになり、威徳があり記憶力も強くなる。速やかに檀波羅蜜(布施の完成)を満たすことができる。全ての夜叉や羅刹、諸々の悪鬼神、人非人などは、皆この人を畏れ、侵害することができない。
○智矩如來心破地獄真言
智矩如来の心、地獄を破る真言
別行經云。此呪若誦一遍。無間地獄。碎如微塵。於中受苦眾生。悉生極樂。若梵書此呪。於鐘皷鈴鐸。作聲木上等。有諸眾生得聞聲者。所有十惡五逆等罪。悉皆消滅。不墮惡趣之中。真言曰。
別の経典にはこう説かれています。この呪文を一度でも唱えるならば、無間地獄は微塵のように砕け散り、そこで苦しむすべての衆生は極楽浄土に生まれ変わる。もし梵字でこの呪文を鐘や太鼓、鈴や鐸、音を発する木などに書き記せば、その音を聞くすべての衆生は、十悪や五逆などの罪がことごとく消え滅し、悪趣に堕ちることはない。真言は次のとおりである。
曩謨。阿灑吒二合悉底引喃引。三摩也二合三母䭾。故緻引喃引。唵。艮齧二合曩引。嚩婆引。悉蹄哩。提哩。吽(以梵漢字。兼書之於鐘皷等上。更妙)
南無阿灑吒。悉底喃。三摩耶。薩怛縛。故致喃。唵。枳囊。婆縛。悉地。帝利。提利。吽。
※この真言を、梵字と漢字を併せて、鐘や太鼓などの上に書くと、さらによい。
○毗盧遮那佛大灌頂光真言。
毘盧遮那仏大灌頂光真言
不空羂神變經云。若諸眾生。具造十惡五逆四重之罪。數如微塵。滿斯世界。身壞命終。墮諸惡道。以此真言。加持土沙一百八遍。散亡者屍骸上。或散塚墓上。彼所亡者。若在地獄。餓鬼。修羅。傍生等中。以此真言加持力故。應時即得光明及身。除諸罪報。捨所苦身。往於西方極樂國土。蓮華化生。直至成佛。更不墮落。真言曰。
不空羂索神変経にこう説かれています。もし多くの衆生が、十悪・五逆・四重の罪を、微塵の数のように数えきれないほど作り、この世界を満たしてしまったとしても、この真言で土や砂を一百八遍加持して、亡くなった人の遺骨の上に散らすか、あるいは墓の上に散らせば、その亡くなった人が、もし地獄・餓鬼・修羅・傍生などの世界にいるときでも、この真言の加持の力によって、その時にすぐに光明と身体を得て、さまざまな罪の報いを除き、苦しみの身体を捨てて、西方極楽国土へと往き、蓮華の中に化生し、成仏するまで、再び堕落することはありません。真言は次のとおりです。
唵(喉中擡聲引呼)(一)阿謨引伽上聲尾嚧左曩(二)摩賀引母捺囉二合麼抳(三)鉢納麼二合入嚩二合攞(四)鉢囉二合靺哆野(靺亦作韈)吽引(五)(○合口呼。胸喉中聲如牛吼。尾亦作吠。廢。微。左亦作遮者。母亦作畆。抳亦作儗)
嗡(おん)(喉の奥で声を引き伸ばして唱える)(一)阿謨伽(あもが)上声 尾盧左曩(びるしゃな)(二)摩訶母捺囉(まかむだら)麼抳(まに)(三)鉢納麼(はどま)入嚩攞(じばら)(四)鉢囉靺哆野(はらばたや)(靺は韈とも書く)吽(うん)引(五)(○口を閉じて唱える。胸や喉の奥から牛の吼えるような声を出す。尾は吠・廢・微とも書く。左は遮・者とも。母は畆とも。抳は儗とも)
阿字去聲呼。阿謨伽。此云無間斷。古云不空者。謬也。尾嚧左曩。亦作吠嚧遮娜。或用紙帛等。書此真言置亡人身上。或骨上。亦妙。故偈云。真言梵字觸屍骨。亡者得生淨土中。見佛聞法親授記。速證無上大菩提。不空羂索經云。若聞此呪。二三七遍經耳根者。即得除滅一切罪障。若有眾生。連年累月。痿黃疾惱。苦楚萬端。是病人者。先世業報。以是真言。於病者前一二三日。每日高聲誦此真言。一千八十遍。則得除滅宿業病障。若為鬼嬈。魂識悶亂。失音不語。持真言者。加持手一百八遍。摩捫頭面。以手按於心上額上。加持一千八十遍。則得除瘥。若諸鬼神魍魎之病。加持五色線索。一百八結。繫病者腰臂項上。及加持衣。則便除瘥矣。
「阿」の字は去声で発音する。「阿謨伽」とは、この地で「間断なし」という意味である。昔の人が「不空」と訳したのは誤りである。「尾嚧左曩」は「吠嚧遮娜」とも書く。あるいは紙や布などにこの真言を書いて、亡くなった人の体の上や骨の上に置くのも良い。だから偈にこうある。「真言の梵字が屍骨に触れれば、亡者は浄土に生まれることを得る。仏を見て法を聞き、親しく授記を受け、速やかに無上の大菩提を証する」。不空羂索経にはこうある。「もしこの呪を聞き、二度三度、七度と耳に入る者は、すなわち一切の罪障を除滅することを得る」。もし衆生がいて、長年にわたり、病に苦しみ衰え、万端の苦しみを受けることがあれば、この病人は前世の業報によるものである。この真言をもって、病人の前に一日二日三日の間、毎日声高らかにこの真言を一千八十遍誦するならば、すなわち宿業の病障を除滅することを得る。もし鬼に取り憑かれ、魂識が乱れ昏倒し、声が出ず言葉を失ったならば、真言を持つ者は手に一百八遍の加持をし、頭や顔を撫で、手を心臓の上や額の上に置き、一千八十遍加持するならば、すなわち癒えることを得る。もし諸々の鬼神や魍魎による病であれば、五色の糸で索を作り、一百八の結び目を結んで、病人の腰・腕・首に繫ぎ、また衣に加持すれば、すなわち癒えるのである。
○觀自在菩薩甘露真言
観自在菩薩甘露真言
觀自在菩薩陀羅尼經云。若人誦此呪者。所有過去現在。四重。五逆。謗方等經。一闡提罪。悉皆消滅。無有遺餘。身心輕利。智慧明達。若身若語。悉能利樂一切有情。若有眾生廣造一切無間等罪。若得遇此持呪人影。暫映其身。忽得共語。或聞語聲。彼人罪障。悉皆消滅。又若欲利益一切有情者。每至天降雨時。起大悲心。仰面向空。誦此真言二十一遍。其雨滴所霑一切有情。盡滅一切惡業重罪。皆獲利樂。真言曰。
観自在菩薩陀羅尼経にこう説かれている。もし人がこの呪を誦するならば、その者の過去・現在における四重罪、五逆罪、方等経を誹謗した罪、一闡提の罪は、すべて消え去り、何ひとつ残らない。身心は軽やかになり、智慧は明らかに開ける。その身も言葉も、すべての生きとし生けるものを利益し楽しませることができる。もし多くの衆生が、一切の無間等の罪を広く造ったとしても、この呪を誦する人の影に触れ、しばしその身を映し、ふと共に語り合い、あるいはその声を聞くことがあれば、その者の罪の障りはすべて消え去る。また、すべての有情を利益しようと願う者は、雨が降るたびに、大きな慈悲の心を起こし、顔を空に向けて、この真言を二十一遍誦しなさい。その雨の滴が触れるすべての生きとし生けるものは、すべての悪業や重い罪を消し尽くし、皆が利益と楽しみを得るのである。真言は次の通りである。
曩謨囉怛曩二合怛囉二合夜引野曩謨阿引去哩也二合嚩路枳帝濕嚩二合囉平引野冐地薩怛嚩二合野摩賀引薩怛嚩二合野摩訶迦引嚕抳迦野怛你也二合他引唵引度𩕳度𩕳迦度𩕳娑嚩二合賀引(迦。或作葛。抳或作禰。𩕳或作你)
若樂略者。但唵字以下持之。唵字已上。是歸敬辭。又怛你也他已上之文。或不慣誦。可依大悲呪曩謨字誦起。至迦盧尼迦耶。向下如本真言誦之。若書此真言於鐘皷鐸等。一切出聲物上。或有撞擊吹振出聲。一切眾生聞此聲者。悉皆清淨。命終得生西方淨土。
もし簡略を好むならば、「唵」の字より下だけを唱えなさい。「唵」より上は、帰依の言葉です。また「怛你也他」より上の文は、もし慣れて唱えにくければ、「大悲呪」の「曩謨」の字から唱え始め、「迦盧尼迦耶」に至り、それから下は元の真言の通りに唱えなさい。もしこの真言を鐘や太鼓、鈴などの音を出すものに書くならば、あるいはそれらを打ち鳴らしたり、吹いたり、振ったりして音を発すれば、すべての生きとし生けるものはその音を聞いて、みな清らかになり、命終わった後には西方浄土に生まれることができるでしょう。
○六字大明真言
六字大明真言
唵引麼抳鉢訥銘二合引吽引
唵、阿莫嘎、摩尼、钵纳摩、吽。
莊嚴寶王經云。時觀自在菩薩說此大明時。四大部州。并諸天宮。悉皆震搖。四大海水。波浪騰湧。一切諸魔作障者。悉皆怖散馳走。佛告除蓋障菩薩言。此六字大明陀羅尼。難得值遇。若有得此六字大明王者。是人貪瞋癡毒。不能染污。若戴持在身中者。是人亦不染著三毒病。此真言無量相應如來。而尚難知。菩薩云何而得知此觀自在菩薩微妙本心處耶。若人能常受持此大明者。於持誦時。有九十九殑伽河沙數如來集會。復有微塵數菩薩集會。復有無數天龍八部而來衛護是人。此持誦人。七代種族。皆當得其解脫。腹中所有諸蟲。當得不退轉菩薩之位。若身中頂上戴持。有人得見是戴持人。則同見於金剛之身。乃至見於如來。若能依法念誦。即得無盡辨才。日日具六波羅蜜圓滿功德。若口中所出之氣。觸他人身。彼人發起慈心。離諸瞋毒。當得不退轉菩薩。疾證無上菩提。此戴持之人。以手觸人。或以眼見。乃至異類諸有情等。悉皆速得菩薩之位。如是之人。永不受生老病死諸苦。又佛言。所有微塵。我能數其數量。乃至大海水。我能知其數量。若有念六字大明一遍。所獲功德。而我不能數其數量。假如四大部洲。一切男女。皆得七地菩薩之位。所有功德。與念六字大明一遍功德。而無有異。若人書寫此大明者。同寫八萬四千法藏。若以天金寶造作如來形像。如微塵數。不如書寫此六字大明中一字。所獲果報功德。不可思議。是人當得一百八三摩地門。但念一遍。當得一切如來。以衣服飲食湯藥。及座臥等資具。一切供養。此法於大乘中最上精純微妙。一切如來。及諸菩薩。而皆恭敬合掌作禮。說此六字真言時。有七十七俱胝如來皆來集會。同說七俱胝準提陀羅尼。是知此六字真言。與準提真言。首尾相須。如欲與準提真言同誦者。可於準提真言前念誦。然須要得其訥銘二字合為一字。始符梵音不謬。或欲單持誦者。功德準如上說。若欲如法結壇念誦。詳彼經文。此不繁錄。
観自在菩薩がこの大いなる光明の真言を説かれた時、四大部洲(しだいぶしゅう)とすべての天宮が揺れ動き、四大の海の水は大波を立てて湧き上がりました。そして、あらゆる障りをなす魔どもは、みな恐れおののいて散り散りに逃げ去りました。
仏は除蓋障菩薩に告げられました。「この六字大明陀羅尼(ろくじだいみょうだらに)に出会うことは、まことに難しいことである。この六字大明王を得た者は、貪り・怒り・迷いの三毒に染まることがない。身に戴き持つ者は、その人もまた三毒の病に染まることがない。この真言は、無量の如来でさえも、その深い意味を知ることは難しい。まして菩薩が、どうして観自在菩薩のこの微妙な本心の境地を知ることができようか。
人がこの大いなる明(みょう)を常に受け持ち唱えるならば、その誦持(じゅじ)の時には、九十九のガンジス河の砂の数の如く多くの如来が集まり来たり、さらに微細な塵の数の如く多くの菩薩が集まり、無数の天・竜・八部衆がやって来てこの人を守り支える。この唱える人の七代の一族は、みな解脱を得るであろう。その腹の中にいるすべての虫たちも、退かない菩薩の位を得るであろう。
もし身の上や頭の上に戴き持つならば、その人を見る者は、金剛の身を見るのと同じであり、さらには如来を見るのと同じである。もし法の通りに唱えるならば、尽きることのない弁才を得て、日々に六波羅蜜の完全な功徳を成就する。
もしその口から出る息が他の人の身に触れるならば、その人は慈しみの心を起こし、怒りの毒を離れ、退かない菩薩の位を得て、まもなく無上の悟りを証するであろう。この戴き持つ人が手で人に触れるか、目で見るならば、あるいは様々な種類の生きとし生けるものたちも、みな速やかに菩薩の位を得る。このような人は、永遠に生・老・病・死の様々な苦しみを受けることがない。」
また仏は言われました。「すべての微細な塵の数であっても、私はその数を数えることができる。いや、大海の水の量であっても、私はその量を知ることができる。しかし、六字大明を一度でも唱えた者が得る功徳は、私でさえその数を数えることができない。
たとえ四大部洲のすべての男女が、みな七地の菩薩の位を得たとしても、その功徳は六字大明を一度唱えた功徳と同じであり、それ以上ではない。
人がこの大いなる明を書き写すならば、八万四千の法蔵を書き写すのと同じである。もし天の金や宝で如来の像を微細な塵の数ほど造ったとしても、この六字大明の中の一字を書き写すことには及ばない。その得る報いの功徳は、思いもよらないほどである。この人は一百八の三摩地の門を得るであろう。
ただ一度唱えるだけで、すべての如来から衣服・飲食・薬湯・座臥具など、すべての供養を授かるであろう。この法は大乗の中でも最も優れ、精妙で清らかである。すべての如来と諸菩薩も、みな恭敬し合掌して礼をする。
この六字真言が説かれた時、七十七の倶胝(くてい)の如来が来集し、ともに七倶胝の準提陀羅尼(じゅんていだらに)を説かれました。これにより知られるのは、この六字真言と準提真言とは、頭と尾のように相補い合うものであるということです。もし準提真言と共に唱えたいならば、準提真言の前に唱えるとよい。ただし、その際には「訥銘」の二字を合わせて一字とする必要があり、それによって梵音(ぼんのん)の誤りがなくなるのです。
あるいは、この真言だけを唱えることもできます。その功徳は、上に説いた通りです。もし法の通りに壇を結んで唱えたいならば、詳しくはその経文に示されている通りであり、ここでは省略します。
○文殊菩薩五字心呪。
文殊菩薩の五字心呪。
阿囉跛者娜(梵書)
阿羅波者那(梵字)
金剛頂經五字真言勝相云。若人纔誦一遍。如誦八萬四千十二圍陀藏經。若誦兩遍。文殊普賢隨逐加被。護法善神在其人前。又若誦一遍。能除行人一切苦難。若誦兩遍。除滅億劫生死重罪。若誦三遍。三昧現前。若誦四遍。總持不忘。若誦五遍。速成無上菩提。若人一心獨處閑靜。梵書五字輪壇。依法念誦。滿一月已。文殊菩薩。即現其身。或於空中演說法要。是時行者得宿命智。辯才無礙。神足自在。勝願成就。福智具足。速能皆證如來法身。但心信受。經十六生。決定成正覺(欲作法加持結界。詳如五字心陀羅尼品)。
『金剛頂経』の五字真言の功徳について、このように説かれています。
もし人がこの真言を一度唱えるならば、それは八万四千の十二囲陀(ヴェーダ)の経蔵すべてを唱えたのと同じ功徳があります。二度唱えるならば、文殊菩薩と普賢菩薩がその人を守り導き、護法の善神たちがその人の前に現れます。
また、一度唱えるだけで、修行者のすべての苦しみや困難を取り除くことができます。二度唱えるならば、億劫にわたる生死の重い罪を消し去ります。三度唱えるならば、三昧(深い瞑想の境地)が目の前に現れます。四度唱えるならば、総持(陀羅尼)の力を忘れることがありません。五度唱えるならば、速やかに無上の菩提(悟り)を成就します。
もし人が一心不乱に静かな場所に独りでいて、五字の真言を梵字で書き、輪壇(曼荼羅)を設けて、教えの通りに念誦すること満一ヶ月に及ぶならば、文殊菩薩がその身を現します。あるいは虚空の中で法の要を説き示します。その時、修行者は過去世を覚る智慧を得て、弁才は自在で妨げられることがなく、神通力も自由自在となり、優れた願いを成就し、福徳と智慧を満たし、速やかに如来の法身を悟ることができます。ただ心をもって信じ受け入れるならば、十六生を経て、必ず正覚を成就することができます。
(<注記>加持や結界の作法を欲するならば、詳しくは『五字心陀羅尼品』に記載の通りです。)
○大寶廣博樓閣善住秘密陀羅尼。
大寶広博樓閣善住秘密陀羅尼。
曩謨薩嚩怛他(引)孽多(去聲)喃(引)(一)。唵(二)。尾補攞孽陛(三)(亦作毗布羅揭陛。尾又作肥。陛亦作鞞)。麼抳鉢囉(二合)陛(四)(抳亦作尼去聲。囉亦作臘)。怛他多(五)(他上聲。多去聲)。你捺捨寧(六)(亦作那捺你捨泥。又作達囉設你)。麼抳麼抳(七)(抳亦作尼)(上聲)。蘇(上聲)鉢囉(二合)陛(八)(蘇亦作素。囉亦作臘)。尾麼黎(九)(亦作肥摩麗。又作毗末梨)。娑(引)孽囉(十)(孽亦作竭)。儼鼻[口*隸](十一)(亦作鉗鼻囇。又作鉗苾𠼝)。吽(十二)。吽(十三)。入嚩(二合)攞入嚩(二合)攞(十四)(亦作什皤羅。又作什伐囉)。沒䭾尾盧枳帝(十五)(亦作勃陀嚩𡀔。枳羝。又作勃陀毗路吉帝)。麌呬作(二合)地瑟恥(二合)多(上聲)孽陛(十六)(麌呬夜。亦作矩醯耶)。娑嚩(二合)訶(引)(十七)。(下是梵書。舊本多訛。今校正。若欲書於物上。須華梵兩存。然書華文。不必書其句下別譯之文)(引)(引)(一)(二)(三)(四)(五)(六)(七)(八)(九)(引)(十)(十一)(十二)(十三)(十四)(十五)(十六)(十七)
## 真言(陀羅尼)
帰命いたします、すべての如来たちよ。
唵。
輝く大いなる宝の世界よ。
宝珠の輝きよ。
如来の智慧による救済よ。
宝珠よ、宝珠よ。
見事に輝く世界よ。
清らかな光よ。
すべてを包み込む如来の世界よ。
獅子のごとき力よ。
フーム、フーム。
動き輝け、動き輝け。
仏陀の智眼よ。
秘密の加持による輝きよ。
スヴァーハー。
○心呪。
心の呪文。
唵(一)麼抳嚩日囉(二合)(二)吽(三)(一)(二)(三)
オン マニ パドメ フン
○隨心呪。
随心の呪い。
唵(一)麼抳(尾軫切)駄(上聲)哩(二合)(二)吽(三)泮吒(半音)(四)(一)(二)(三)(四)
唵、瑪尼、貝美、吽。
おお、蓮華の宝よ、吽。
此呪前後三譯。初譯失譯人名。開元附梁錄。次菩提流志譯。三不空三藏譯。今恐初學苦於梵音。乃校其三譯。正錄不空所譯之文。以餘二譯。字有不同者。贅於句下。俾習者。宛得其音。而無疑滯焉。
この陀羅尼(呪)は、古今にわたり三つの翻訳があります。最初の翻訳は、訳者の名前が失われており、「開元の録」が梁の時代のものとして附しています。次の翻訳は菩提流志によるもの、三番目は不空三蔵によるものです。私は初心者が梵字の発音に苦労するのを案じ、三つの訳をご覧に入れました。特に不空の訳文を正本として取り上げ、他の二つの訳で字が異なる場合には、本文の下行に補として付記しました。これにより、修行者たちはその音を正しく得て、迷いや滞りがありませんように。
經云。此陀羅尼有大威德。佛由此成道。由此降魔。能滅惡障。能成六度。若書於幢上。殿上。氎紙上。墻板等上。有諸眾生暫得見者。或身手觸者。或影中過者。及於人轉觸此人者。或佩身。或頂戴。或書於有聲物上。其聞聲者。或讀誦者。或有但聞此陀羅尼名者。如是眾生等。縱有四重五逆十惡等罪。悉皆消滅。決定當得無上菩提。能於現世獲無量百千功德。常得國王宰官四眾喜敬。不受世間種種諸苦。毒藥刀杖水火等難。一切師子虎狼諸惡禽獸不敢為害。又無一切盜賊鬼神邪魅諸毒蛇難。又現身不受一切諸病。所謂一切瘧病眼病耳病鼻病舌病齒病。脣病喉病。頭病項病諸支分病。手病背病。腰病臍病。痔病淋病。痢病瘻病。瘡病髀病。脚病疔病。斑病肚病。疥病疱病。癩病癬病。如是等病。悉不著身。不為厭禱蠱毒呪詛著身。無橫災死。臥安覺安。於其夢中。見百千佛剎。及見諸佛并諸菩薩圍繞。臨命終時。心不散亂。一切諸佛現前安慰。又一切傍生鹿鳥。蚊蝱飛蛾螻蟻。乃至胎卵濕化諸有情等。聞此陀羅尼名者。或身觸者。或影中過者。決定當得無上菩提。又人於高山頂上。誦此陀羅尼者。盡眼所見處。一切眾生。皆得滅除一切罪業(廣如經說)。
この陀羅尼には、大きな威徳と力があります。仏はこれによって悟りを開き、これによって悪魔を降伏しました。悪しき障りを滅ぼし、六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を成就することができます。
もしこの陀羅尼を旗の上や、堂の上、布や紙、壁や板などに書き記せば、それを見た人々、手や体で触れた人々、その影の下を通った人々、あるいはその人に触れた人々、身に付けたり、頭に頂いたり、音の出る物に書き記してその音を聞いた人々、読み誦する人々、ただこの陀羅尼の名前を聞いただけの人々も、たとえ四重禁戒や五逆罪、十悪などの重い罪を犯していても、すべて消え去り、必ず無上の悟りを得ることができるでしょう。
また、現世において無量の功徳を得て、常に国王や役人、四衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)の喜びと尊敬を受けることができます。世の中のさまざまな苦しみ、毒薬や刀杖、水火などの災難を受けることはありません。獅子や虎や狼などの猛獣も害を加えることができず、盗賊や鬼神、邪魅、毒蛇などの災いもありません。
さらに、現世で一切の病にかかることもありません。それは、あらゆる熱病、眼病、耳病、鼻病、舌病、歯病、唇病、喉病、頭痛、首の病、手足の病、手の病、背中の病、腰の病、臍の病、痔病、淋病、痢病、瘻病、瘡病、腿の病、足の病、疔病、斑病、腹の病、疥癬、水疱、らい病、たむしなどの病です。これらの病はすべて身に付きません。
また、呪いやまじない、毒薬、呪詛が身に及ぶこともなく、不慮の災難で命を落とすこともありません。寝ても安らかで、目覚めても安らかです。夢の中では、百千の仏の世界を見ることができ、諸仏や菩薩たちに囲まれているのを見るでしょう。
臨終のときには心が乱れることなく、すべての仏が現れて慰めてくださいます。
また、鳥や鹿、蚊や蝿、蛾、蟻などの動物や、胎生・卵生・湿生・化生のすべての生きとし生けるものが、この陀羅尼の名を聞いたり、身に触れたり、その影を通ったりすれば、必ず無上の悟りを得ることができるでしょう。
さらに、高い山の頂上でこの陀羅尼を誦するならば、目に見える範囲のすべての衆生が、そのすべての罪業を滅ぼすことができます(詳しくは経典に説かれている通りです)。
○功德寶山陀羅尼。
功德宝山陀羅尼(功徳を宝の山のように積む陀羅尼)。
南無佛陀(引)耶 南無達磨(引)耶 南無僧伽(引)耶唵 悉帝護嚕嚕 悉都嚕 只利波(二合)吉利婆(二合)悉達哩 布嚕哩 娑嚩(二合)(引)訶(引)(○護亦作胡。都亦作度。只亦作遮。波亦作婆。哩亦作尼去聲)
南無仏陀に帰依し、南無ダルマに帰依し、南無サンガに帰依します。 オーム、シチフルル、シツル、チリハ、キリハ、シタリ、ブルリ、ソワカ。
大集經云。若人誦此呪一遍。如禮大佛名經四萬五千四百遍。又如轉大藏六十萬五千四百遍。造罪過十剎土。入阿鼻大地獄受罪。劫盡更生。念此呪一遍。其罪皆得消滅。不入地獄。命終決定往生西方世界。得見阿彌陀佛。上品上生。
『大集経』にこう説かれている。もし人がこの呪を一遍誦すれば、それは『大仏名経』を四万五千四百遍礼拝するのと同じ功徳がある。また、大蔵経を六十万五千四百遍転読するのと同じである。もしも十の仏国土にわたるほどの罪を造り、無間地獄に落ちて苦しみを受けるべきところであっても、この呪を一遍念じれば、その罪はすべて消え去り、地獄に落ちることはない。命終わるときには必ず西方極楽世界に生まれ変わり、阿弥陀仏にお目にかかることができ、上品上生を遂げるのである。
造罪過十剎土者。謂造罪過於十世界微塵也。劫盡更生者。謂此娑婆世界壞時。其罪未畢。即寄往他方世界地獄中。此界成已。復移其人迴此方地獄中受苦也。
○三字總持真言
三字総持真言(さんじそうじしんごん)
唵啞吽(啞亦作阿)(此是梵書唵啞吽字)
唵・阿・吽 (「啞」は「阿」とも書きます) (これは梵字で書いた唵・阿・吽の三字です)
瑜伽大教王經云。唵字是大遍照如來。(即毗盧遮那佛)啞字是無量壽如來。(即阿彌陀佛)吽字是阿閦如來(即不動佛)。
『瑜伽大教王経』にはこう説かれています。「唵」の字は大遍照如来(すなわち毘盧遮那仏)を表し、「啞」の字は無量寿如来(すなわち阿弥陀仏)を表し、「吽」の字は阿閦如来(すなわち不動仏)を表す、と。
如來因住多年修道。不得菩提。後習此觀。於初夜分。便成正覺。謂唵字具含無量法門。是一切真言之母。一切如來皆因觀想此字。而得成佛。阿字是毗盧佛身。亦是法界。亦是菩提心。若人想念。能生無量功德。吽字總攝金剛部。一切真言。是金剛部主身。亦是三解脫門若常想念。能除一切罪障。成就一切功德。
如来は長年にわたり修行を積みましたが、菩提を悟ることはできませんでした。後にこの観想法を修行して、初夜のうちに正覚を得たのです。すなわち、「唵」の字には無量の法門が含まれており、これはすべての真言の母であり、すべての如来はこの字を観想することによって成仏したのです。「阿」の字は毘盧遮那仏の身であり、また法界であり、また菩提心です。もし人がこれを思念すれば、無量の功徳を生じることができます。「吽」の字は金剛部を総摂し、すべての真言は金剛部主の身であり、また三解脱門でもあります。もし常に思念すれば、すべての罪障を除き、すべての功徳を成就することができます。
諸教決定名義論云。吽字即法身。阿字即報身。唵字即化身。如是三字。攝此三身。彼分別說。三乘解脫道。是為正說因。所有聲聞緣覺。及一切智智。由是出現。說一切法。即彼三字。亦是金剛三業。如實安住。所謂唵(引)阿(引)吽。(引)此中唵字。是名金剛身業。阿(引)字金剛語業。吽字金剛心業。又復吽字而為心智。覺了一切法。如上所說。一切文字。當知皆從盎阿(引)吽三字所生。由是諸法。起種種相。今當分別。彼一切法。皆與盎阿(引)二字。初後相攝。此中吽字。出生一切。於三界中。出現眾色。所有天。人。龍。阿修羅。迦樓羅。緊那羅。乾闥婆。成就持明天。吉祥天。辯才天。烏摩天。帝釋天。梵王天。那羅延天。大自在天。如是等天。及天后。所有一切有情界中。男子女人。乃至諸佛菩薩等。皆從此吽字出生變化。彼一一心住此字相。若心想此字時。當住虗空。出生無礙。所謂三界心。同此一心入。入是心已。此得名為現證菩提。當知此心。無等無取。無著無住。無表無相。是即虗空平等。一切智。無所得。相應。無自無他。相應正行。世間所有旃陀羅等。最下族類。彼等諸行。乃至傍生等類。彼所行行。種種差別。如是諸行。雖復差別。皆亦不離一切智智。相應正行(云云)。
『諸教決定名義論』にこう説かれています。
「吽」の字は法身を表し、「阿」の字は報身を表し、「唵」の字は化身を表す。この三字は、この三身をすべて含んでいる。
そこで説き分ける。三乗の解脱の道は、正しい教えの因である。すべての声聞・縁覚、そしてすべての智者の智慧も、これによって現れ出る。
すべての法を説くとき、その根拠となるのが、この三字である。この三字はまた、金剛の三つの業(身・語・意の働き)でもあり、真実のままに安住している。すなわち、唵(引く)・阿(引く)・吽(引く)である。
このうち「唵」の字は金剛の身の業と名づけ、「阿」(引く)の字は金剛の語の業、「吽」の字は金剛の心の業と名づける。
さらに「吽」の字は心の智慧であり、すべての法を覚り了知する。
先に述べたとおり、すべての文字は、この「盎・阿(引く)・吽」の三字から生まれることを知るべきである。それによって、すべての法は種々の形を現す。
では、ここで説明しよう。すべての法は、すべて「盎」と「阿」(引く)の二字によって、初めと終わりが互いに繋がれている。このうち「吽」の字は、すべてを生み出す。三界の中に、さまざまな色形を現す。
すべての天、人、竜、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、乾闥婆、成就持明天、吉祥天、辯才天、烏摩天、帝釋天、梵王天、那羅延天、大自在天など、これらの天や天后たち。また、すべての有情の世界における男子・女子、さらには諸仏・菩薩なども、すべてこの「吽」の字から生まれ、変化したものである。
それらの一つ一つの心は、この字の相に安住する。もしこの字を想うときは、虚空に安住し、障害なく生じる。
いわゆる三界の心は、同じこの一心に入る。この心に入ったならば、これを「現に菩提を証する」と名づける。
この心は、比べるものなく、執着なく、とらわれることなく、住するところなく、表現もなく、形もないことを知るべきである。これはすなわち、虚空と平等であり、すべての智であり、得るものなく、対応し合い、自も他もなく、正しい行いと相応するものである。
世の中の旃陀羅などの最も低い身分の者たち、そのような者たちの行い、さらには畜生などの生き物の行い、それらの行う行は、さまざまに異なっている。
このような諸々の行いは、たとえ違いがあるとしても、すべて「すべての智者の智慧」と相応した正しい行いから離れることはないのである。
成佛儀軌頌云。
『成仏の儀軌の頌(偈)にこう説かれている。』
由誦此唵字 加持威力故 縱觀想不成
於諸佛海會 諸供養雲海 真實具成就
由諸佛誠諦 法爾所成故 由適誦啞字
摧滅諸罪障 獲諸悅意樂 等同一切佛
超勝眾魔羅 不能為障礙 應受諸世間
廣大諸供養 由吽字加持 虎狼諸毒蟲
惡心人非人 盡無能陵屈 如來初成道
於菩提樹下 以此印密言 摧壞天魔眾
この「オン」の字を唱える 加持の力によって、たとえ観想が十分にできなくても 諸仏の集まりの海会において 様々な供養の雲のように広がる功徳は、 真実として完全に成就する 諸仏の真実の誓いによって 自然にそのまま成立するからである。また「ア」の字を唱えることにより あらゆる罪や障害が消え去り 喜びに満ちた安らかさを得て、すべての仏と等しくなる あらゆる悪魔を超え越え 妨げとなるものは何もなく、世の中からの 広大な供養を受けるにふさわしくなる 「フーン」の字の加持によって、虎や狼などの毒のある生き物も 悪意を持つ人も、人間でない者も すべて打ち負かすことができない 如来が初めて悟りを開かれたとき 菩提樹の下で、この印と真言によって 天魔の群れを打ち破ったのである
大佛頂陀羅尼經言。設有眾生。於散亂心。口持神呪。尚有八萬四千那由他恒河沙俱胝金剛藏王菩薩種族。一一皆有諸金剛眾而為眷屬。晝夜常隨侍護此人。縱令魔王。求其方便。終不可得。諸山鬼神。去此善人十由旬外。若魔眷屬。欲來侵擾是善人者。諸金剛眾。而以寶杵殞碎其首。猶如微塵。恒令此人所作如願。
『大仏頂陀羅尼経』にこう説かれています。もしも眾生がいて、心が散り乱れている状態であっても、口でこの神呪を唱えるならば、八万四千那由他恒河沙倶胝という無数の金剛蔵王菩薩の眷属たちが——その一人一人にまた多くの金剛の衆が眷属として従っていますが——昼夜を問わず常にこの人に随い、守り支えます。たとえ魔王であっても、この人に付け入る隙を求めることは、ついにできません。諸々の山の鬼神たちも、この善人から十由旬の外に離れ去ります。もし魔の眷属たちが、この善人を侵し擾そうとしてやって来ようものなら、諸々の金剛の衆は宝杵をもってその頭を打ち砕き、まるで微塵のようにしてしまいます。そして常にこの人の為すところが、願いのままになるようにしてくれるのです。
已上修持悲敬諸真言等。若不能各各誦持書寫者。一切所作。悉用準提真言亦得。以準提真言。似如意珠。若持誦行人。處處用之。皆得成就也。上言誦持真言能滅五逆。十惡四重罪者。須知罪有性遮。懺具事理。性則無論受戒與不受戒。作便是罪。遮謂曾受佛戒。故心毀犯。事須披陳發露。禮佛名經。行方等儀。能伏業本。理謂專觀實相。達罪性空。滅業根源。此諸真言神呪。若能依法誦持。即事理雙運。業本罪源並消。若犯禁戒。準律說悔。加以神呪。則事理兼備。性遮齊遣。不可纔聞神呪功力。便乃違犯禁戒。不依律懺。遮罪猶存。或托真言儀軌。數造眾過。譬如愚人。恃王勢力。廣作諸惡。禍終滅頂。業心不斷。罪實難除。必使身心俱捐。方得罪滅如日消霜矣。
以上、慈悲と敬愛の真言などを修めることについて述べました。もし、これらの真言をそれぞれ個別に唱えたり書いたりすることができない場合は、あらゆる行いにおいて、準提真言を用いても構いません。準提真言は如意宝珠のようなものです。これを修行する人が、あらゆる場面で用いるならば、すべて成就するでしょう。
先に、「真言を唱えれば五逆罪や十悪、四重禁などの罪を滅することができる」と言いましたが、ここで知っておくべきことがあります。罪には「性罪」と「遮罪」という二つの種類があり、忏悔にも「事」と「理」という二つの修行方法があるのです。
性罪とは、戒律を受けているかどうかに関わらず、行ったこと自体が罪となるものです。一方、遮罪とは、仏の戒律を受けた者が、故意にその戒律を破ることによって生じる罪です。
事の忏悔とは、罪を深く反省し告白して、仏の名を唱える経典を読み、方等の儀式を行うことで、罪の根本を抑えるものです。理の忏悔とは、物事の真実の姿を深く観察し、罪の本性が本来空であることを理解して、罪の根源を断つものです。
これらの真言と神呪は、もし教えに従って唱えるならば、事と理の両方の修行を同時に成就させることができ、罪の根本と根源を共に消し去るのです。
もし戒律を破ってしまったならば、律に従って忏悔し、それに加えて神呪を用いるならば、事と理の両方が備わり、性罪も遮罪も共に除かれます。
決して、神呪の力強さを聞いたからといって、戒律を破ってもよいと考えてはいけません。律に従った忏悔をせずにいれば、遮罪はなお残ります。あるいは、真言の儀軌に頼って、何度も過ちを重ねる人もいます。これはちょうど、愚かな人が王様の権力を恃んで様々な悪事を働き、最後には滅びの災いを招くようなものです。罪を生み出す心が絶えなければ、罪は本当に除きがたいのです。
必ず、行いも心も共に清め尽くしてこそ、罪の消滅は、日光が霜を溶かすかのように得られるのです。
○數珠功德法
数珠功徳の法
夫數珠者。記心之奇術。積功之初基。持之者成德。戴之者滅垢。世出世果莫不由斯。如金剛頂瑜伽念珠經云。爾時毗盧遮那世尊。告金剛手言。善哉善哉。為諸修真言行菩薩者。說諸儀軌。哀愍未來諸有情等。說念珠功德勝利。由聞如是妙意趣故。速證悉地。時金剛薩埵菩薩。白佛言。唯然世尊。我今為說之。爾時金剛薩埵菩薩。而說偈言。
数珠とは、心を記すための巧みな術であり、功德を積む初めの基盤である。これを身に持つ者は德行を成就し、これを身に帯びる者は罪障を除くことができる。世間・出世間の果報も、すべてこれによるのである。『金剛頂瑜伽念珠経』にこう説かれている。その時、毘盧遮那世尊は金剛手に向かって告げられた。「善きかな、善きかな。まさに諸の真言行を修する菩薩たちのために、諸の儀軌を説き、未来のすべての有情を哀れみ、念珠の功德と勝れた利益について説くであろう。このような妙なる意趣を聞くことによって、速やかに悉地を証得するであろう」と。その時、金剛薩埵菩薩は仏に申し上げた。「承知しました。世尊よ。今まさに、このことを説きましょう」と。その時、金剛薩埵菩薩は、偈を説いてこう言われた。
珠表菩提之勝果 於中間絕為斷漏
繩線貫串表觀音 母珠以表無量壽
慎莫驀過越法罪 皆由念珠積功德
硨磲念珠一倍福 木槵念珠兩倍福
以鐵為珠三倍福 熟銅作珠四倍福
水精真珠及諸寶 此等念珠百倍福
千倍功德帝釋子 金剛子珠俱胝福
蓮子念珠千俱胝 菩提子珠無數福
佛部念珠菩提子 金剛部法金剛子
寶部念誦以諸寶 蓮華部珠用蓮子
羯磨部中為念珠 眾珠間雜應貫串
念珠分別有四種 上品最勝及中下
一千八十以為上 一百八珠為最勝
五十四珠以為中 二十七珠為下類
二手持珠當心上 靜慮離念心專注
本尊瑜伽心一境 皆得成就事理法
設安頂髻及掛身 或安頸上及安臂
所說言論成念誦 以此念誦淨三業
由安頂髻淨無間 由帶頸上淨四重
手持臂上除眾罪 能令行者速清淨
若修真言陀羅尼 念諸如來菩薩名
當獲無量勝功德 所求勝願皆成就
珠は菩提の勝れた果を表し、その間に絶えて漏を断つことを表す。 紐は観音を貫き通して表し、母珠は無量寿を表す。 慎んで飛び越えて通るな、法罪を越えることなかれ、全ては念珠の功徳を積むによる。 硨磲の念珠は一倍の福、木槵の念珠は二倍の福。 鉄を以て珠とせば三倍の福、熟銅を以て珠と作れば四倍の福。 水晶、真珠及び諸々の宝、これ等の念珠は百倍の福。 千倍の功徳は帝釈子、金剛子の珠は倶胝の福。 蓮子の念珠は千倶胝、菩提子の珠は無数の福。 仏部の念珠は菩提子、金剛部の法は金剛子。 宝部の念誦は諸宝を以てし、蓮華部の珠は蓮子を用いる。 羯磨部の中にて念珠と為すは、衆珠を間雑して貫き通すべきなり。 念珠の分別に四種あり、上品、最勝、及び中、下。 一千八十を以て上と為し、一百八珠を最勝と為す。 五十四珠を以て中と為し、二十七珠を下の類と為す。 両手に珠を持して心の上に当て、静慮して念を離れ心を専注す。 本尊瑜伽の心一境、皆、事理の法を成就す。 設い頂髻に安じ及び身に掛け、或いは頸上に安じ及び臂に安ず。 説く所の言論は念誦と成り、此の念誦を以て三業を浄める。 頂髻に安ずるに由りて無間を浄め、頸に帯ぶるに由りて四重を浄む。 手に持ち臂上にすれば衆罪を除き、行者をして速やかに清浄ならしむ。 若し真言陀羅尼を修し、諸の如来・菩薩の名を念ぜば、 当に無量の勝れた功徳を獲て、求むる所の勝願皆成就せん。
三部念誦持數珠手印相。今當分別。如蘇悉地供養法云。以右手大指。捻無名指頭。直舒中指。小指微屈。以頭指著中指上節側。此通三部執數珠印。其蓮華部執珠印。以右手大指。捻中指頭。餘三指直舒。左手亦然。其金剛部執珠印。以右手作拳。展直大指。捻頭指。左手亦然。持明藏儀軌經云。用童女合線。以二十一合成條穿珠。或持誦時。以大拇指掐一珠。一誦真言。
三部念誦で数珠を持つ手の印相について、これから詳しく説明します。『蘇悉地供養法』にこうあります。「右手の親指で薬指の先を押さえ、中指はまっすぐ伸ばし、小指は軽く曲げ、人差し指を中指の上の関節の側面に置く。これは三部すべてに共通する数珠を持つ印である。」蓮華部の数珠を持つ印は、右手の親指で中指の先を押さえ、残りの三指はまっすぐに伸ばします。左手も同じようにします。金剛部の数珠を持つ印は、右手で拳を作り、親指だけを伸ばして人差し指を押さえます。左手も同じようにします。『持明蔵儀軌経』にはこうあります。「童女に糸を合わせさせ、二十一本を一束にして数珠を通す。あるいは誦経するときは、親指で数珠を一つずつ繰りながら、一つにつき真言を一回到唱する。」
七俱胝佛母所說準提陀羅尼經會釋卷下(終)
七俱胝仏母所説準提陀羅尼経会釈 巻下(終)
音釋郝
「音釋郝」の日本語訳:
音壑。𭘻
音が響く谷。
音諍。張開畵繒也。縠
音競い。絵絹を広げるなり。
音斛。紡絲織之。細如霧。一名方空。言其紗薄如空也。那由他
音斛という。糸を紡いで織ったもので、その細かさは霧のようである。またの名を方空という。その紗が薄く空のようであるからである。那由他。
此云萬億。拔折羅
これは「万億」といいます。跋折羅(バジュラ)のことです。
此云金剛即金剛杵。棓
これは金剛といい、すなわち金剛杵(こんごうしょ)のことである。棓(ぼう)ともいう。
同棒。部多
同じ棒。
鬼也。淨居天子
鬼です。浄居天子(じょうこてんし)は、そのような存在です。
色界第四禪。共有九天。上五天。名五淨居天也。瘻
色界の第四禅には、全部で九つの天があります。その上の五つの天を、五浄居天と呼びます。
音閭。痀瘻。曲脊病。必舍左
閻浮(えんぶ)よ。腰が曲がり、背中が丸くなる病。必ず左の手を放たねばならない。
此云啖精氣。謂噉人。及五穀之精氣。殑伽河
これは「精気を啖う(食べる)」という意味です。人や五穀の精気を取ることを指します。ガンジス川(殑伽河)のことです。
舊云恒河。三障
昔は「恒河」と言った。三つの障り。
一煩惱障。二業障。三報障。五悔法
三つの障害があります。第一に煩悩の障害、第二に業(ごう)の障害、第三に報いの障害です。そして、五つの悔い改めの方法があります。
一禮佛。二懺悔。三隨喜。四勸請。五發願。餘經或不以禮佛為五。以迴向足五。元迴向即兼發願。若本經初入道場時。令發願。持誦畢。乃兼迴向。意謂以現所修真言功德。迴向三處也。或有以隨喜在勸請後。謂先懺滌身器。次欣法雨。後攝他同己迴向三處。若勸請在隨喜後。以隨喜是懺悔中別義。事勢相連。故先明之。平等廣大。方堪聞法也。大金光明經云。有四種重業。難可滅除。一者於諸菩薩律儀。犯極重罪。二者於大乘經。心生誹謗。三者於自善根。不能增長。四者貪著三有。無出離心。有四對治。能滅四罪。一者於十方佛。至心親近。說一切罪。二者為一切眾生。勸請諸佛說深妙法。三者隨喜一切眾生所有功德。四者所有善根。悉皆迴向無上菩提。如是隨喜。當德無量功德之聚如恒河沙三千大千。世界眾生。皆成阿羅漢。有人盡其形壽。以上妙四事供養。不及隨喜功德十分之一。其勸請所得功德。假使人以滿恒河沙數大千世界七寶。供養一切諸佛。所德功德。其勸請功德。亦勝於彼。云云。䟦
一、仏を礼拝する。二、懺悔する。三、随喜する。四、勧請する。五、発願する。他の経典では、礼仏を五つの項目に入れず、代わりに廻向(えこう)をもって五つ目とすることがある。もともと廻向には発願の意味が含まれている。しかし、この経典では、道場に入る最初に発願し、読誦が終わった後に廻向を行う。これは、今修行して得た真言の功徳を、三つの場所に廻向するという意味である。あるいは、随喜を勧請の後に行う場合もある。これは、まず身と心の器を懺悔によって清め、次に法の雨を喜び、最後に他者をも自分と同じくして三つの場所に廻向するという順序である。もし勧請を随喜の後に行うなら、随喜は懺悔の中で別の意味合いを持つもので、その性質が連続しているので、先に明らかにするのである。心が平等で広大であってこそ、はじめて法を聞くに値するのである。『大金光明経』にはこうある。滅し難い四つの重い罪がある。一つ目は、諸々の菩薩の戒律に対して、極めて重い罪を犯すこと。二つ目は、大乗経典に対して、心に誹謗の念を起こすこと。三つ目は、自分の善い根を、成長させることができないこと。四つ目は、三界に執着し、出離の心がないことである。これに対治する四つの方法があり、その四つの罪を滅することができる。一つ目は、十方の仏に、心を込めて親しく近づき、すべての罪を告白すること。二つ目は、すべての衆生のために、諸仏に深く妙なる法を説くよう勧請すること。三つ目は、すべての衆生の功徳を喜ぶこと。四つ目は、すべての善い根を、ことごとく無上の悟り(菩提)に廻向することである。このように随喜すれば、その功徳の集まりは計り知れず、恒河沙の数の三千大千世界の衆生が、すべて阿羅漢になったとしても、ある人がその一生の間、最上の四つの供物をもって彼らを供養したとしても、その功徳は、この随喜の功徳の十分の一にも及ばないのである。また、勧請によって得られる功徳は、たとえ人が恒河沙の数の大千世界を満たす七宝をもって、すべての諸仏に供養したとしても、その得られる功徳よりも、この勧請の功徳の方が勝っているのである。……(跋)
鞞揭切。數珠一百八
珠を数え終えて、数珠は百八つある。
表除一百八煩惱。謂九十八使。更加十纏。是也。儗
ここに、百八の煩悩を表すことを説く。九十八の使(け)に、さらに十纏(じゅうてん)を加えたものが、それである。
偶起切音擬。
突然、切るような音を思い起こさせる。
有清信士問曰。準提有懺法否。答曰。經云每入道場。先應禮佛。懺悔。隨喜。勸請。發願。此之五悔。即是懺法。無別有以為懺也。問曰。近見有云夢授懺儀。或云鏡中所現。復圖諸形像。今某甲未辯邪正。特請師決。答曰。若不與本經文合。皆是魔事。或持呪行人。不善作法。魔現佛像。菩薩像。種種異相。令行人生喜生怖。皆不足信。倘行人遇斯境者。觀其所現。不合經文。即當以無能勝呪印辟除之。魔遂不得便。問曰。鏡上可用梵書九字否。答曰。行者不能如法結壇。故以鏡為壇。元梵書。只宜想布於心月輪中。奚用書於鏡為。問曰。世云五月初十日。復云某月日。是準提菩薩誕晨。果否。答曰。準提乃法身菩薩。既不降生人間。何有誕耶。
ある在家の信心深い方が尋ねた。「准提(じゅってい)菩薩には懺悔の作法がございますか?」 答えて言われた。「経典には、道場に入るたびに、まず仏を礼拝し、懺悔し、喜びに随い、請い勧め、願いを発すべしとある。この五つの悔い(五悔)こそが懺法であり、他に別の懺法があるわけではない。」 問う。「近頃、夢の中で授けられた懺法の作法だとか、鏡の中に現れたものだとか、また様々な形像を描いたものを見かけます。私はまだ邪正を判別できず、どうか師にご判断いただきたく存じます。」 答えて言われた。「もし本来の経典の文と合わないならば、それはすべて魔の仕業である。あるいは呪を唱える修行者が、作法を正しく修めずに、魔が仏像や菩薩像など様々な異相を現し、修行者に喜びや恐れを起こさせることがあるが、それらはすべて信ずるに足りない。もし修行者がこのような境地に遭ったなら、その現れたものが経典の文に合わないのを見て、直ちに無能勝(むのうしょう)呪印を用いて退けよ。魔はすなわち便乗するすべを得ない。」 問う。「鏡の上に梵字の九字を用いてもよろしいでしょうか?」 答えて言われた。「行者が如法に曼荼羅の壇を結べないとき、故に鏡をもって壇とするのである。元来、梵字はただ心の月輪の中に思い描くべきもので、どうして鏡に書く必要があろうか。」 問う。「世間では五月十日だとか、また某月某日だとか言って、それが准提菩薩の降誕の日だと申しますが、本当でしょうか?」 答えて言われた。「准提は法身の菩薩である。そもそも人間に降り生まれることはない。どうして誕生日などがあり得ようか。」