第五明出世時節久近
劫初人壽命數不同,或云千萬億歲,或云四萬歲,或云八萬四千歲也。漸漸轉促,止於百年,乃至十歲,《雜心》亦同也。故《樓炭經》云「人壽至十歲時,有三小劫:一者刀劍劫;二者穀貴劫;三者疾疫劫。刀劍者,人多貪麁,行十惡法;若行善,眾共笑,推為愚爭,共壞滅,相教作惡,無一善人。爾時,人民亦壽十歲,時女生五月日生兒,人多行非法。女嫁所有飲食羹味,一切衣服皆悉滅盡,天下山林豁谷崖岸自然而生,所有七寶皆沒,地中但棘荊。于時人民不孝父母,不承卑,沙門無人,人民相見但欲殺害,譬如獵師見鹿麞便欲殺之。于時草木瓦石皆化為刀劍,展轉相殺。人既止壽十歲,中有黠之者,見此相殺,走入山林谿谷深河相中藏避,言:『無有能殺我者,我亦不殺汝人。』便在山林食諸樹根果。相殺七日便止。」又經云「七日方止,時人死者,皆墮泥利中也。」相殺既止,智者乃出相見,共相約勅不宜相殺害。於是天下人民更善行,其後生子皆壽二十歲,如是後生孫壽四十歲,稍增至八十,乃至百千一萬二萬四萬六萬歲。既約相戒,並為善行,其壽稍稍增長。如久久天下人民皆壽八萬四千歲,然後當有佛出世,名彌勒。天下興衰,其相如此,是為刀兵劫也。飢餓劫者,人多作非法惡疾,邪見慳貪,嫉妬守財不施,水旱不節,田種無收,米穀轉盡,食粒驚貴。釋粃糠街巷葉落,以自車爾粃葉既盡,家鑿地下,食草木根。在先而死,捺則死,人復共食噉。噉之轉飢渴,於屠殺之處乃至塚間,拾諸骸骨煮汁飲之,以此自消。餓飢死盡者,生餓鬼中,名為飢餓劫也。疾病劫者,人皆正見,修行十善,終不生三劫中也。但人無福德,值惡時惡人,故疾病眾多,又無他方計,少有賢業,雖行眾善,不能攘劫,遇病輒死。生平在世侵燒撾打捶,既其心亂,臨死時接其精神,直落三惡道中受無量苦也。故經云「一日一夜持不殺戒,終不生刀兵劫、疾病劫」也。又云「若以呵梨勒果施僧,終不生病疾疫劫中;若一食施僧供僧,終不生飢饉劫。」此閻浮提惡劫可起,餘方少;此間刀劫起,彼唯重嗔;此間疾病劫起,彼惟氣力羸劣;此有飢饉劫,彼但小小渴之耳。此三劫者,出《長阿含經》、《三法度經》、《華嚴經》及《大論》與《雜心論》等撰之也。經云三劫者,時序改發惡時為小劫,非是四十里方名等小中大三劫也。
劫初の時代、人の寿命は様々で、ある説では千万億歳、あるいは四万歳、あるいは八万四千歳ともいわれます。それが次第に短くなり、百年にまで縮まり、ついには十歳に至ります。『雑心論』も同様に説いています。そこで『楼炭経』にはこうあります。
「人の寿命が十歳になった時、三つの小さな劫が起こる。一つは刀剣の劫、二つは穀物の高騰の劫、三つは疫病の劫である。刀剣の劫とは、人々が貪欲で粗暴になり、十悪の行いを行うようになること。もし善行をしようとする者がいれば、皆が笑い、愚か者として争いを起こし、共に滅ぼそうとする。互いに悪を教え合い、善人は一人もいなくなる。その時、人々の寿命も十歳となり、女の子は生後五か月で子供を産むようになる。人々は非道な行いを多く行い、嫁入りの際の飲食や衣服など、すべてのものが尽き果てる。天下の山林や谷、崖岸は自然に荒廃し、七宝はすべて地中に没し、ただ茨や荊棘だけが残る。その時、人々は父母に孝行せず、目上の者を敬わず、沙門もいなくなる。人々は互いに会えば殺害しようとする。まるで猟師が鹿や麞を見ればすぐに殺そうとするかのようである。その時、草木や瓦石までもが刀剣に変わり、互いに殺し合う。人の寿命は十歳にまで縮まっているが、その中に賢い者がいて、この殺し合いを見て、山林や渓谷、深い河の合流点に逃げ込み、隠れて言う。『私を殺せる者はいない。私もお前たちを殺さない』と。そして山林で木の根や果実を食べて生き延びる。殺し合いは七日で止む。」
また経典にはこうあります。「七日でようやく止む。その時に死んだ者は、皆、泥梨(地獄)に堕ちる。」殺し合いが止むと、賢者は出てきて互いに会い、共に約束して殺し合いをしないようにする。そこで天下の人民は再び善行を行うようになり、その後生まれる子は皆、二十歳の寿命を持つ。そうして後に生まれる孫は四十歳、次第に増えて八十歳、さらには百千、一万、二万、四万、六万歳に至る。互いに戒め合い、善行を行うようになったので、寿命は次第に増えていく。長い時を経て、天下の人民は皆、八万四千歳の寿命を持つようになり、その後に弥勒という名の仏が世に出る。天下の興隆と衰退は、このような相を呈する。これが刀兵の劫である。
飢餓の劫とは、人々が多く非道な悪行を行い、邪見で貪欲、嫉妬深く、財を守って施さず、水害や旱魃が調節されず、田畑の収穫がなく、米穀が尽き、一粒の米も驚くほど高価になることである。もみ殻やぬかが街に散らばり、落ち葉を集めて食べる。落ち葉も尽きると、家の地下を掘り、草木の根を食べる。先に死んだ者を踏みつけ、死んだ者を共に食らい合う。食らい合ううちに飢えと渇きが募り、屠殺場や墓場にまで行き、骸骨を拾って煮汁を飲み、それで命をつなぐ。飢えで死に尽くした者は餓鬼の世界に生まれ、これを飢餓の劫という。
疾病の劫とは、人々が皆、正しい見解を持ち、十善を行っていれば、決してこの三つの劫に生まれることはない。しかし人に福徳がなく、悪い時代や悪人に遭遇するため、病気が多く流行し、また他に頼る術もなく、善行も少ない。たとえ多くの善行を行っても、劫を避けることはできず、病気にかかればすぐに死ぬ。生前、世の中で他人を侵害し、焼き打ちし、殴打した者は、心が乱れ、死ぬ時にその精神が引き継がれ、まっすぐ三悪道に落ちて無量の苦しみを受ける。だから経典にはこうあります。「一日一夜でも不殺生の戒めを守れば、決して刀兵の劫や疾病の劫に生まれることはない。」またこうも説かれています。「もし呵梨勒果(ハリロクカ)を僧に施せば、決して疫病の劫に生まれることはない。もし一度でも食事を僧に施し、僧を供養すれば、決して飢饉の劫に生まれることはない。」
この閻浮提(人間世界)では悪い劫が起こりやすいが、他の世界では少ない。ここで刀兵の劫が起これば、あちらではただ重い怒りがあるだけ。ここで疾病の劫が起これば、あちらではただ気力が衰えるだけ。ここに飢饉の劫があれば、あちらではただ少しの渇きがあるだけである。この三つの劫は、『長阿含経』『三法度経』『華厳経』および『大論』と『雑心論』などに説かれている。経典に説く三劫とは、時が移り変わり、悪い時代が訪れる小さな劫のことであって、四十里四方を基準とする小・中・大の三劫のことではない。