No. 1645-A六道集敘
六道集 序
世俗日下。則立教者日勞。舜之命禹曰。人心惟危。而孟子則曰。人之所以異於禽獸者幾希。葢聖賢相告。其詞宜簡而該。與流俗人言。則其詞宜詳而近。勢則然也。佛說六道之旨。以窮一心之變。極幽明之故。可謂。痛哭流涕。而後之人。猶漠然視之。吾鄉在犙和尚。乃為採古今近事家喻戶曉者。著以為六道集。葢為未悟人說法。不得不然。吾謂。人所以迷而不悟者。有二端。其一曰。吾人也何至流為異物。其一曰。人生快意耳。遑恤他生。然就其一日之間。一念之頃。已不知幾為天。幾為人。幾為畜生餓鬼。誠得秦鏡懸之於前。使其肝膽畢呈。意念盡露。六道之變相。紛紜交錯。一時並見於胸臆之中。庶其懼而知返乎。在和尚博極羣書。著述數十種。年將七十。而緝此集。其指愈淺。其憂愈深。讀者毋徒視為虗誕之談。而忘其為肝膽之照也。 羅浮陳恭尹拜題
世の中が下り坂になると、教えを立てる者は日々苦労する。舜が禹に命じて言った、「人の心は危うい」。一方、孟子は言う、「人が獣と異なる点はほんのわずかだ」。聖賢が互いに語り合うとき、その言葉は簡潔で要を得ているべきだが、世俗の人々に語るときは、言葉は詳しく、身近なものであるべきだ。そういうものだ。
仏が六道の教えを説いたのは、一心の変化を極め、幽明の道理を究めるためである。まさに、声をあげて泣き、涙を流す思いで説かれたものだ。しかし、後世の人々はなおも冷淡に見ている。我が郷の在犙和尚は、古今の身近な出来事で誰もが知っているものを集め、『六道集』として著した。まだ悟りを得ていない人々に説法するためには、こうするしかなかったのだ。
人が迷い、悟れない理由は二つある。一つは、「私は人間だ、どうして他の生き物に転落するなどあり得るか」という思い。もう一つは、「人生は快楽を楽しめばよい、来世のことなど考える暇はない」という考えだ。しかし、たった一日のうち、一瞬の念の間に、どれだけ天界に生まれ、どれだけ人間に生まれ、どれだけ畜生や餓鬼に転生しているかわからない。もし秦の鏡を目の前に掲げて、その肝胆をすべて映し出し、心の念をすべて露わにすることができれば、六道の変化する姿が入り乱れ、一瞬のうちに胸の中に現れるだろう。そうすれば、恐れて立ち返るのではないか。
在犙和尚は広く書物を読み尽くし、数十種の著作を残した。七十歳に近づいてもこの集を編み、その教えはますます平易に、その憂いはますます深くなった。読者はただ荒唐無稽な話として見るのではなく、肝胆を照らす鏡として忘れないでほしい。
羅浮 陳恭尹 拝題