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居士伝 (居士傳)


竺叔蘭

竺叔蘭

本天竺人也。其大父婁陀。好學有節操。時國王無道。有為將者得罪懼誅。欲要婁陀共反。婁陀拒之。遂殺婁陀以作亂。婁陀子達摩尸羅。先在他國。聞亂即與其婦兄二人之為沙門者犇晉。居於河南。生叔蘭。叔蘭幼從二舅受經法。一聞輒悟。通華梵語及書。然性輕躁。好遊獵。甞遇虎墮馬。折其右臂。母數呵禁。終不改。已而為之蔬食乃止。頃之暴亡。三日而蘇。自言入一朱門。金銀為堂。見一人自云是其大父。謂叔蘭曰。吾脩善累年。今得此報。汝罪人。何得來耶。守門者以杖驅之入竹林中。見其獵伴為鷹犬所啄齧。流血號叫。叔蘭走避數十步。值牛頭人欲扠之。叔蘭曰。吾累世佛弟子。常供二沙門。何罪見治。牛頭曰。此雖有福。不救獵罪。俄而見其兩舅來語牛頭曰。我等二人恒受其供。惡少善多可得相免。二舅遂導之還家。俄而甦。於是改節修慈。專志經法。以晉元康元年譯出放光經及異維摩詰經十餘萬言。旋遭母喪。葬畢遇石勒之亂。避之荊州。後無疾忽告知識曰。吾將死矣。數日便卒(出三藏記集)。

この人物はもともと天竺の人でした。彼の祖父は婁陀といい、学問を好み、節操のある人物でした。当時の国王は無道であり、将軍の中に罪を得て処刑を恐れる者がいました。その者は婁陀を仲間に引き入れようとしましたが、婁陀は拒否しました。そのため、その将軍は婁陀を殺して反乱を起こしました。

婁陀の子である達摩尸羅は、以前から他国におり、反乱の知らせを聞くと、妻の兄で出家していた二人の沙門と共に晋の国へ逃げました。彼らは河南に住み、そこで叔蘭が生まれました。

叔蘭は幼い頃から二人の叔父(母の兄)について経典や教えを学びました。一度聞けばすぐに悟り、中国語と天竺語、そして書物に通じました。しかし、性格は軽率で、狩猟を好みました。ある時、虎に遭って馬から落ち、右腕を折ってしまいました。母は何度も叱って止めさせようとしましたが、ついに改めることはありませんでした。その後、母が菜食を始めたことでようやく狩りをやめました。

しばらくして、彼は突然亡くなりましたが、三日後に蘇りました。自らの言葉によれば、朱塗りの門の中に入り、金銀で作られた堂がありました。そこに一人の人がおり、それが自分の祖父だと言いました。祖父は叔蘭に言いました。「私は長年善行を積み、今この報いを得ている。お前は罪人だ。どうしてここに来たのか。」門番が杖で彼を追い払い、竹藪の中に入れました。すると、かつての狩りの仲間たちが鷹や犬に食いちぎられ、血を流して叫んでいるのを見ました。叔蘭は数十歩逃げましたが、牛頭の者に捕まりそうになりました。叔蘭は言いました。「私は何代も続く仏弟子であり、常に二人の沙門を供養してきた。どうして罰せられるのか。」牛頭の者は言いました。「その福はあるが、狩りの罪は救えない。」しばらくして、二人の叔父が現れ、牛頭の者に言いました。「我々は常に彼の供養を受けてきた。悪は少なく、善が多い。許してやってもよいだろう。」二人の叔父は彼を連れて家に帰り、ほどなくして彼は息を吹き返しました。

これ以降、彼は心を改めて慈しみを修行し、経典の教えに専心しました。晋の元康元年に『放光経』と『異維摩詰経』合わせて十余万語を翻訳しました。その後まもなく母の喪に遭い、葬儀を終えると石勒の乱に遭い、荊州に避難しました。後に病気もなく、突然知人に「私はもうすぐ死ぬだろう」と言い、数日で卒去しました(出三藏記集)。


支恭明
竺長舒

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