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title: "雜阿含經 · 306"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
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### （三〇六）

如是我聞：

> このように私は聞いた。

一時，佛住舍衛國祇樹給孤獨園。

> ある時、お釈迦様は舎衛国の祇園精舎におられました。

時，有異比丘獨一靜處，專精思惟，作是念：「比丘云何知、云何見而得見法？」作是思惟已，從禪起，往詣佛所，稽首禮足，退坐一面，白佛言：「世尊！我獨一靜處，專精思惟，作是念：『比丘云何知、云何見而得見法？』」

> 時に、一人の比丘が静かな場所で、ひたすら思索にふけり、このように考えました。 「比丘はどのように知り、どのように見て、法を見ることができるのだろうか？」 そのように考えた後、彼は禅定から立ち上がり、仏陀のもとへ赴き、礼拝して一礼し、脇に座り、仏陀に申し上げました。 「世尊よ、私は一人で静かな場所にて、ひたすら思索にふけり、このように考えました。 『比丘はどのように知り、どのように見て、法を見ることができるのだろうか？』と。」

爾時，世尊告彼比丘：「諦聽，善思，當為汝說。有二法。何等為二？眼、色為二……」如是廣說，乃至「非其境界故。所以者何？眼、色緣生眼識，三事和合觸，觸俱生受、想、思，此四無色陰、眼、色，此等法名為人，於斯等法作人想、眾生、那羅、摩㝹闍、摩那婆、士夫、福伽羅、耆婆、禪頭。

> その時、世尊はその比丘に告げられた。「よく聞きなさい。善く考えなさい。あなたのために説きましょう。二つの法があります。どのような二つか？眼と色が二つです……」このように広く説かれ、ついに「その境界ではないからです。なぜならば？眼と色の縁によって眼識が生じ、三つの事が和合して触となり、触とともに受・想・思が生じます。これら四つの無色の蘊と眼・色、これらの法を人と呼びます。これらの法について人想・衆生・那羅・摩㝹闍・摩那婆・士夫・福伽羅・耆婆・禅頭と想うのです。」

「又如是說：『我眼見色，我耳聞聲，我鼻嗅香，我舌甞味，我身覺觸，我意識法。』彼施設又如是言說：『是尊者如是名、如是生、如是姓、如是食、如是受苦樂、如是長壽、如是久住、如是壽分齊。』比丘！是則為想，是則為誌，是則言說，此諸法皆悉無常、有為、思願緣生；若無常、有為、思願緣生者，彼則是苦。又復彼苦生，亦苦住，亦苦滅，亦苦數數出生，一切皆苦。若復彼苦無餘斷、吐、盡、離欲、滅、息、沒，餘苦更不相續，不出生，是則寂滅，是則勝妙。所謂捨一切有餘、一切愛盡、無欲、滅盡、涅槃。耳、鼻、舌，身觸緣，生身識，三事和合觸，觸俱生受、想、思，此四是無色陰，身根是色陰，此名為人……」如上說，乃至「滅盡，涅槃。緣意，法生意識、三事和合觸，觸俱生受，想、思，此四無色陰、四大，士夫所依，此等法名為人……」如上廣說，乃至「滅盡、涅槃。若有於此諸法，心隨入，住解脫不退轉，於彼所起繫著，無有我。比丘！如是知、如是見，則為見法。」

> またこのように説かれています。「私は眼で色を見、耳で声を聞き、鼻で香りを嗅ぎ、舌で味を味わい、身で触れを感じ、意識で法を知る」と。そのような想いが起こり、このように言い表すのです。「この尊者はこのような名を持ち、このように生まれ、このような姓を持ち、このようなものを食べ、このように苦楽を受け、このように長寿であり、このように長く生き、このような寿命の限りがある」と。 比丘よ、これが想いであり、これが心の働きであり、これが言葉による表現です。これらのすべての現象は、無常であり、作られたものであり、思願によって縁起したものです。もし無常であり、作られたものであり、思願によって縁起したものであれば、それらは苦なのです。さらに、その苦が生じることも苦であり、存在し続けることも苦であり、滅びることも苦であり、繰り返し生じることも、すべてが苦なのです。 もしその苦が残ることなく断たれ、吐き出され、尽き果て、欲望から離れ、滅び、静まり、消え去り、それ以上の苦が続かず、生じることがなくなったなら、それが寂滅であり、それが勝れた妙なる境地です。すなわち、一切の余分なものを捨て、一切の愛が尽き、欲望がなくなり、尽き果てた境地、涅槃です。 耳、鼻、舌、身が触れと縁って身識が生じ、三つの事柄が和合して触れが起こり、触れとともに受、想、思が生じます。この四つは無色の蘊であり、身根は色の蘊です。これが人と呼ばれるもの……と先に説かれたように、ついに「滅尽し、涅槃に至る」まで。 意が法と縁って意識が生じ、三つの事柄が和合して触れが起こり、触れとともに受、想、思が生じます。この四つの無色の蘊と四大（地水火風）が、人としての基盤となります。これらの現象が人と呼ばれるもの……と先に広く説かれたように、ついに「滅尽し、涅槃に至る」まで。 もしこれらの諸法に対して、心が深く入り、解脱に住して退転せず、そこに生じる執着に「我」がないならば、比丘よ、このように知り、このように見ることが、すなわち法を見ることなのです。

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏がこの経を説き終えられると、諸比丘たちは仏の説かれたことを聞き、歓喜してこれを行じ奉った。