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大宝積経 (大寶積經)

「大寶積經」について

唐 · 底本の訳者:菩提流志

89.5 万字 · 約 2985 分

『大宝積経』は、唐代の高僧である菩提流志によって漢訳された重要な仏教経典であり、大乗仏教の宝積部に属する核心的な典籍です。この経典は、初期大乗仏教の複数の経典を集大成したもので、紀元2世紀から4世紀にかけて成立し、菩薩の修行、般若の智慧、浄土思想など、大乗仏教の教義を広く含んでいます。菩提流志は唐の玄宗皇帝の命を受け、8世紀に漢訳を完成させ、全120巻に及び、大乗仏教の修行の階梯と解脱の道を体系的に説いています。大乗仏教における重要な集成経典として、『大宝積経』は中国仏教史上で高い地位を占め、漢伝仏教の諸宗派、特に華厳宗や浄土宗の発展に深い影響を与え、大乗仏教思想体系を研究する上で鍵となる文献です。


大寶積經述

大宝積経の解説

唐朝議郎行河南府告成縣主簿徐鍔撰

唐の議郎、河南府告成県主簿を務めた徐鍔が撰す

夫日月出矣而輝耀十方,時雨降矣而澡漉萬物。況我身常樂,湛虛空之相,妙覺圓明,融心行之本,唯曒唯昧、不生不滅者哉。是以闢無學之地聿修迦蘭,啟息言之津亶作羅奈,智勝菩薩起方便之緣,淨居天人發成就之力,稱謂所絕者其第一義乎!自恒星夜掩、仙虹晝爍,青鉢傳其睟容,寶棺現其金臂。法山摧仞,拂魔箭於危屏,直水橫流,係慈航於彼岸。烏虖!妙藏不可以常祕,戒輪不可以終盭,雖雙林下砉示於泥洹,逮一千年遹被於聲教。龍持貝葉亟傳摩竭之城,象負蓮華遂滿真丹之境。三十七品慈悲於火宅,一十二經引喻於沙界矣。大寶積經者,後漢迦葉摩騰、竺法蘭及今朝玄奘法師、菩提流志等,咸自西天竺所致也。如來昔在鷲峯利建平等,金口注海,酌之而不竭,寶言如綸,振之而有緒。烱茲瑞憲,久翳鴻都,原壑屢非,市朝多變。歷代侚齊之主競興參譯,跋陀授記之言罕能丕就。洎我唐之有天下也,功橫鐵圍,化緜忉利,苑禦千界,提封萬剎。張四攝之扉,廣納諸有;騁六道之驥,冥濟群惑。太上皇以澤深智海掌耀禪珠,神皇帝以勛格梵空胸懸法印,肅敷玄誥,照灑鴻波,歷選緇徒,明𫾻列寀,博考同異,聿興刊緝,勇振頹綱,嚴持絕紐。爰有沙門大德思忠、東天竺國婆羅門大首領臣伊舍羅等譯梵文者,求善住緣,悟無生忍,博聞強識,精而譯之。復有天竺沙門波若屈多、沙門達摩證梵義者,開忍辱場,破煩惱眾,弼諧神侶,明而辨之。復有沙門大德履方、宗一、普敬、慧覺等筆授者,令聞孔膠,威儀不忒,手握仙札,受而字之。復有沙門大德深亮、勝莊、塵外、無著、慧迪等證義者,國之大師、佛之右臂,探諸了義演而證之。復有大德沙門承禮、雲觀、神暕、道本等次文者,庇影多林,息肩香窟,勤修精進,纂而次之。復有潤文官者,銀青光祿大夫邠王傅上柱國固安縣開國伯盧粲、銀青光祿大夫太子詹事崇文館學士兼修國史上柱國東海縣開國公徐堅、朝議大夫守中書舍人崇文館學士上柱國野王縣開國男蘇晉、朝議郎給事中內供奉崔璩等,位列鳳舞,聲流雞圃,分別二諦,潤而色之。復有銀青光祿大夫守侍中兼太子左庶子兼修國史上柱國鉅鹿縣開國公魏知古、兵部尚書上柱國郭元振、銀青光祿大夫檢校中書令上柱國范陽縣開國男張說、銀青光祿大夫行中書侍郎同中書門下三品監修國史上柱國興平縣開國侯陸象先等,朝踐瑣闥,夕遊珠域,護持四法,總而閱之。爾乃杖錫之士、端珪之俊,麻列定筵,林攢樂土,蔭祥雲而演譯,倐換炎涼,吸甘露而勤求,載淹衡晷,大乘章句義不唐捐,小品精微拯無遺溺,能事畢矣!佛何言哉!

太陽や月が昇れば、世界をくまなく照らし出し、慈雨が降れば、万物を洗い清めるように、私の本性である永遠の安楽は、虚空のように清らかなその姿に湛え、悟りの智慧は円かに明らかに、心の働きの根源に融けている。それはただ明るく、ただ静かで、生まれることも滅することもないものなのだ。それ故に、学ぶことのない境地(無学の地)を開いて寺(伽藍)を建て、言葉を超える教え(息言)の橋渡しとして、羅奈(精舎)を作った。智慧に優れた菩薩は方便の縁を起こし、浄居天の天人たちは成就の力を発揮する。その名や言葉で表すことができないものこそ、第一義(究極の真理)なのである。

恒星(明星)が夜に隠れ、天の虹が昼に輝く(釈尊の入滅)時から、青い鉢はその清らかな姿を伝え、黄金の棺はその金の腕を現した。仏法の山は崩れ、危険な障壁から魔の矢を払い、真理の水はまっすぐに流れ、慈悲の船を彼岸へと導いた。ああ! 妙なる宝蔵は永遠に隠しておくことはできず、戒めの輪も終わることなく続く。双林の下で示した涅槃の後も、千年を経て、その声の教えは広く伝えられた。龍は貝葉の経典を支え、マガダ国の城へと運び、象は蓮華を背負い、真丹(中国)の地にまで満ちた。三十七の修行(菩提分)は火宅の世界に慈悲を施し、十二の教え(十二部経)は無数の世界にたとえをもって導いた。

『大宝積経』は、後漢の迦葉摩騰、竺法蘭、そして今の唐朝の玄奘三蔵法師、菩提流志などが、それぞれ西インドから請来したものである。如来はかつて霊鷲山において平等の教えを説き、金の口から注がれた教えは海のようで、汲んでも尽きることがなく、宝の言葉は綸のようで、振るえば秩序が生まれる。この瑞々しい教えは、長く都に隠されたままであったが、峡谷や丘陵は何度も変わり、市場や朝廷も移り変わった。歴代の学問を尊ぶ君主たちは翻訳を競ったが、跋陀(菩提流支)の授記は成し遂げられることはほとんどなかった。

我が唐の天下が建ってから、その功績は鉄囲山を越え、その教化は忉利天にまで及び、庭は千の世界を統べ、領土は一万の仏刹に広がった。四つの摂(布施・愛語・利行・同事)の門を開き、あらゆるものを広く受け入れ、六つの道の駿馬を駆って、迷いの群れを救った。太上皇は智慧の海に深く、禅の宝珠を手に輝かせ、神皇帝は功績は梵天に及び、胸には法の印を掲げ、厳かに大いなる教えを布いて、波のような広大な慈悲の光を注ぎ、多くの僧侶を選び、明らかに召し抱え、広く同じと異なりを調べ、校訂・出版に取りかかり、勇んで衰えた綱紀を振るい、厳かに断たれた綱を結び直した。

そこで僧侶大徳の思忠・東インド出身のバラモン大首領イシュヴァラらが梵文を翻訳し、善き住処の縁を求め、無生の忍びを悟り、広く聞きよく覚え、精密に翻訳した。また、インド僧侶のプラジュニャ・グプタ、僧侶ダルマが梵文の意味を確認し、忍辱の場を開き、煩悩の衆を破り、神の仲間を助け、明らかに弁別した。また、僧侶大徳の履方・宗一・普敬・慧覚らが筆で書き取り、良き評判は膠のようで、威儀は間違いなく、手に天子の筆を取り、受けて文字にした。また、僧侶大徳の深亮・勝荘・塵外・無著・慧迪らが意味を確認し、国の大師、仏の右腕として、様々な了義を探求し、演じて確認した。また、僧侶の承礼・雲観・神暕・道本らが文章を整理し、多林(祇園精舎)に身を寄せ、香りの窟に休息し、勤めて精進し、編纂して順序立てた。また、文章を潤色した官として、銀青光禄大夫邠王傅上柱国固安県開国伯の盧粲、銀青光禄大夫太子詹事崇文館学士兼修国史上柱国東海県開国公の徐堅、朝議大夫守中書舍人崇文館学士上柱国野王県開国男の蘇晋、朝議郎給事中内供奉の崔璩らがおり、鳳凰の舞う如くに位し、鶏の園(学問の場)に声を流し、二諦(世俗諦と勝義諦)を分別し、潤して彩りを加えた。さらに、銀青光禄大夫守侍中兼太子左庶子兼修国史上柱国鉅鹿県開国公の魏知古、兵部尚書上柱国の郭元振、銀青光禄大夫検校中書令上柱国范陽県開国男の張説、銀青光禄大夫行中書侍郎同中書門下三品監修国史上柱国興平県開国侯の陸象先らがおり、朝には宮殿の門を踏み、夕には宝玉の世界(仏教の境地)に遊び、四つの法(教・理・行・果)を護持し、統括して閲覧した。

かくして、錫杖を携えた僧侶たち、玉の笏を帯びた高官たちは、座に麻のごとく並び、林のごとく楽土に集い、瑞雲の陰に憩いながら翻訳を進め、瞬く間に季節は移り変わり、甘露を吸いながら精進し、時の移り変わるままに勤めた。大乗の教えの章や句は決して無駄になることはなく、小乗の微細な教えも漏れなく救い尽くし、これらの事業は完全に成し遂げられた。仏は何を語られたのであろうか!(もはや言葉は不要である。)

今所新翻經,凡有四十九會、七十七品,合一十二帙,以類相從撰寫咸畢。以先天二年六月三十日進太上皇,八月二十一日進皇帝。禁闈曉闢,真教上聞,仙宁克怡,宸襟允穆。竦鈞陣於白日,親御靈臺;落雲雨於彤霄,荐加殊尉。賢愚稽首,以為利見仁王;真俗歸心,以為潛登覺道。次有清信佛弟子,前少府監丞李式顏等,皇朝金紫光祿大夫兵部尚書贈侍中隴西公逈秀子也。復有清信佛弟子,前右拾遺徐鐈等,皇朝銀青光祿大夫太子賓客昭文館學士高平公子也,咸屬彼穹降禍私門墜構,陟遙岵而崩心,瞻冥途而獻福。於是胠篋探笥,檀波羅蜜,廣疊簡牋,首崇書寫,不變槐火,遽盈苔袟,然後裝之鏤軸、綴以瓊籤。羅綵簟而霓舒,播珠函而錦縟,方使猛風吹嶽,長存妬路之文,劫火燒天,不壞多羅之典。

今回新たに翻訳された経典は、合わせて四十九座の説法会、七十七の品から成り、十二帙にまとめられ、内容に応じて分類し、書き写しがすべて完了しました。

先天二年六月三十日に太上皇に、八月二十一日には皇帝に献上されました。

朝早く宮門が開かれ、真実の教えが朝廷に伝えられました。天子の安らぎを得て、皇帝の心は深く静まりました。昼なお輝く法の教えに、自ら天子は霊台に臨み、天から雲雨が降り注ぐように、さらに特別な恩寵が加えられました。

賢者も愚者も皆、頭を下げて、これを仁慈あふれる王にまみえる幸いとし、修行者も在家者も心から帰依し、密かに悟りの道に入ることを喜びとしました。

次に、清らかな信仰を持つ仏弟子で、元少府監丞である李式顔らは、唐朝の金紫光禄大夫・兵部尚書・贈侍中・隴西公である李迥秀の子です。また、清らかな信仰を持つ仏弟子で、元右拾遺である徐鐈らは、唐朝の銀青光禄大夫・太子賓客・昭文館学士・高平公の子であり、皆、天がその家に不幸を降らせ、父を失う悲しみに見舞われました。遠く山を望んで胸も裂ける思いで、暗き冥途を見つめては幸福を祈りました。

そこで、箱や筺を開き、布施を行い、たくさんの紙を積み、まず写経を尊び行いました。季節が巡る間に、苔むす経巻がたちまち積み重なり、それを軸に巻き付け、美しい栞で飾り、錦の敷物の上に虹のように広げ、珠の箱に収めて絹の飾りを施しました。

こうして、たとえ烈風が山を吹き飛ばそうとも、この経典の文字は永遠に残り、劫火が天を焼き尽くそうとも、この多羅の経典は壊れることがないのです。


并序
1 三律儀會

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