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金剛経註解 (金剛經註解)

「金剛經註解」について

明 · 洪蓮編 著

7.8 万字 · 約 259 分

『金剛経注解』(洪蓮編)(明)は、明代の高僧・洪蓮による仏教経典『金剛経』への権威ある注釈書です。洪蓮は深遠な仏教学の素養をもとに、禅宗の思想を交えながら経文を一句一句丁寧に解説し、般若の空性の智慧を深く掘り下げて分析しています。本書は明代に成立し、当時の仏教界における『金剛経』研究の水準を反映しており、重要な歴史的価値を有しています。内容においては、洪蓮は経文の実践的な指導的意義を重視し、相(かたち)から離れ執着を破り、心に住することなく清らかな心を生じさせるという修行の要諦を強調しており、後世の学ぶ者たちに明確な修学の道筋を示しています。『金剛経』が大乗仏教の核心的経典であることを踏まえ、洪蓮の注釈はその中国仏教における重要な地位をさらに確固たるものとし、今日においても『金剛経』研究の重要な参考文献として位置づけられています。


No. 468-A

第468-A号

朕惟佛道,弘深精密,神妙感通。以慈悲利物,以智慧覺人。超萬有而獨尊,從曠劫而不壞。先天地而不見其始,後天地而不見其終。觀之金剛般若波羅蜜經,蓋可見矣。是經也,發三乘之奧旨,啟萬法之元微。論不空之空,見無相之相。指明虗妄,即夢幻泡影而可知;推極根原,於我人眾壽而可見。誠諸佛傳心之秘,大乘闡道之宗,而羣生明心見性之機括也。夫一心之源,本自清淨。心隨境轉,妄念即生。如太虗起雲,輒成障翳;如寶鏡蒙塵,隨韜光彩。由此逐緣而墮幻,安能返妄以歸真。惟如來以無上正等正覺,發慈悲至願,閔凡世之沉迷,念眾生之冥昧,為說此經,大開方便。俾解黏而釋縛,咸滌垢以離塵。出生死途,登菩提岸。轉癡迷為智慧,去昏暗即光明。是經之功德,廣矣大矣。雖然,法由心得,非經無以寓夫法;經以人傳,非言無以著夫經。爰自唐宋以來,註釋是經者,無慮數十百家。雖眾說悉加於剖析,而羣言莫克於折衷。朕夙欽大覺,仰慕真如。間閱諸編,選其至精至要,經旨弗違者,重加纂輯。特命鋟梓,用廣流傳。俾真言洞徹,祕義昭融。見之者如仰日月於中天,悟之者若探寶珠於滄海。豈不快哉,豈不偉哉。嗚呼,善人良士,果能勤誠修習,虔禮受持,緣經以求法,因法以悟覺,即得滅無量罪愆,即得獲最勝福田。證果人天,永臻快樂。功德所及,奚有涯涘哉。謹書為序,以俟將來。

私が思うに、仏道は広大深遠にして精妙、神なる力による感応と通達を示すものです。慈悲をもって衆生を利し、智慧をもって人々を覚醒させます。あらゆる存在を超越して独り尊く、久遠の劫を経ても滅びることがありません。天地に先立ってその始まりを見せず、天地の後にあってもその終わりを見せません。このことは『金剛般若波羅蜜経』を見れば明らかでしょう。この経典は、三乗の奥義を説き明かし、あらゆる法の微細な本源を明らかにします。「不空の空」を論じ、「無相の相」を示します。虚妄を指し示すことは、夢や幻、泡沫や影を見れば理解できましょう。根源を極めれば、「我」「人」「衆生」「寿者」という観念において明らかになります。まことに諸仏が心を伝える秘義であり、大乗が道を説く根幹であり、あらゆる衆生が心を明らかにし本性を見るための要諦なのです。

そもそも一心の源は、もとより清らかなものです。しかし心が境に随って転じれば、妄念が生じます。それは大空に雲が湧き、たちまち覆いとなるようであり、宝鏡に塵が積もり、たちまち輝きが隠されるようなものです。こうして縁にしたがって幻に堕ち、どうして妄を返して真に帰ることができましょうか。

ただ如来のみが、無上正等正覚をもって慈悲の至願を発し、凡世の迷いに沈むことを哀れみ、衆生の暗闇にあることを念じ、この経典を説いて大いに方便を開かれました。それによって執着を解き束縛をほどき、あらゆる汚れを洗い清めて、塵を離れさせます。生死の迷いの道を出て、菩提の岸に至らせます。愚痴迷妄を転じて智慧とし、暗闇を去って光明に向かわせます。この経典の功徳は、なんと広大なことでしょうか。

とはいえ、法は心によって得られるものであり、経典がなければ法を宿すことができません。経典は人によって伝えられるものであり、言葉がなければ経典を明らかにすることができません。そもそも唐や宋の時代以来、この経典を註釈した者は数十百家にのぼります。多くの説がことごとく分析を尽くしているとはいえ、諸説が折衷されるには至りませんでした。

私はかねてより大覚を敬い、真如を仰ぎ慕ってきました。折に触れて諸々の註釈書を閲覧し、その中から最も精妙で肝要であり、経典の主旨に反しないものを選び、改めて編纂しました。特に命じて版木に彫らせ、広く流布させることとしました。それによって真実の言葉が明らかに徹底し、秘められた義が照らし出されるように。これを目にする者は、中天に日月を仰ぐがごとく、悟りを得る者は、大海の中で宝珠を探り当てるがごとくでありましょう。なんと喜ばしいことでしょうか、なんと素晴らしいことでしょうか。

ああ、善き人、良き士よ。もしも真摯に努めて修行し、敬虔に礼拝し受持し、経典によって法を求め、法によって覚りを悟るならば、ただちに無量の罪過を滅し、ただちに最も勝れた福田を得るでしょう。人天における果報を証得し、永遠に至福を享受するのです。功徳の及ぶところに、どうして際限がありましょうか。謹んで序文を記し、後の人々に待つことといたします。

明永樂癸卯四月八日序

永楽年間、癸卯の年、四月八日に序す


No. 468-B 金剛經集註原序

CBETA コード: X0468

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