No. 468-A
第468-A号
朕惟佛道,弘深精密,神妙感通。以慈悲利物,以智慧覺人。超萬有而獨尊,從曠劫而不壞。先天地而不見其始,後天地而不見其終。觀之金剛般若波羅蜜經,蓋可見矣。是經也,發三乘之奧旨,啟萬法之元微。論不空之空,見無相之相。指明虗妄,即夢幻泡影而可知;推極根原,於我人眾壽而可見。誠諸佛傳心之秘,大乘闡道之宗,而羣生明心見性之機括也。夫一心之源,本自清淨。心隨境轉,妄念即生。如太虗起雲,輒成障翳;如寶鏡蒙塵,隨韜光彩。由此逐緣而墮幻,安能返妄以歸真。惟如來以無上正等正覺,發慈悲至願,閔凡世之沉迷,念眾生之冥昧,為說此經,大開方便。俾解黏而釋縛,咸滌垢以離塵。出生死途,登菩提岸。轉癡迷為智慧,去昏暗即光明。是經之功德,廣矣大矣。雖然,法由心得,非經無以寓夫法;經以人傳,非言無以著夫經。爰自唐宋以來,註釋是經者,無慮數十百家。雖眾說悉加於剖析,而羣言莫克於折衷。朕夙欽大覺,仰慕真如。間閱諸編,選其至精至要,經旨弗違者,重加纂輯。特命鋟梓,用廣流傳。俾真言洞徹,祕義昭融。見之者如仰日月於中天,悟之者若探寶珠於滄海。豈不快哉,豈不偉哉。嗚呼,善人良士,果能勤誠修習,虔禮受持,緣經以求法,因法以悟覺,即得滅無量罪愆,即得獲最勝福田。證果人天,永臻快樂。功德所及,奚有涯涘哉。謹書為序,以俟將來。
私が思うに、仏道は広大深遠にして精妙、神なる力による感応と通達を示すものです。慈悲をもって衆生を利し、智慧をもって人々を覚醒させます。あらゆる存在を超越して独り尊く、久遠の劫を経ても滅びることがありません。天地に先立ってその始まりを見せず、天地の後にあってもその終わりを見せません。このことは『金剛般若波羅蜜経』を見れば明らかでしょう。この経典は、三乗の奥義を説き明かし、あらゆる法の微細な本源を明らかにします。「不空の空」を論じ、「無相の相」を示します。虚妄を指し示すことは、夢や幻、泡沫や影を見れば理解できましょう。根源を極めれば、「我」「人」「衆生」「寿者」という観念において明らかになります。まことに諸仏が心を伝える秘義であり、大乗が道を説く根幹であり、あらゆる衆生が心を明らかにし本性を見るための要諦なのです。
そもそも一心の源は、もとより清らかなものです。しかし心が境に随って転じれば、妄念が生じます。それは大空に雲が湧き、たちまち覆いとなるようであり、宝鏡に塵が積もり、たちまち輝きが隠されるようなものです。こうして縁にしたがって幻に堕ち、どうして妄を返して真に帰ることができましょうか。
ただ如来のみが、無上正等正覚をもって慈悲の至願を発し、凡世の迷いに沈むことを哀れみ、衆生の暗闇にあることを念じ、この経典を説いて大いに方便を開かれました。それによって執着を解き束縛をほどき、あらゆる汚れを洗い清めて、塵を離れさせます。生死の迷いの道を出て、菩提の岸に至らせます。愚痴迷妄を転じて智慧とし、暗闇を去って光明に向かわせます。この経典の功徳は、なんと広大なことでしょうか。
とはいえ、法は心によって得られるものであり、経典がなければ法を宿すことができません。経典は人によって伝えられるものであり、言葉がなければ経典を明らかにすることができません。そもそも唐や宋の時代以来、この経典を註釈した者は数十百家にのぼります。多くの説がことごとく分析を尽くしているとはいえ、諸説が折衷されるには至りませんでした。
私はかねてより大覚を敬い、真如を仰ぎ慕ってきました。折に触れて諸々の註釈書を閲覧し、その中から最も精妙で肝要であり、経典の主旨に反しないものを選び、改めて編纂しました。特に命じて版木に彫らせ、広く流布させることとしました。それによって真実の言葉が明らかに徹底し、秘められた義が照らし出されるように。これを目にする者は、中天に日月を仰ぐがごとく、悟りを得る者は、大海の中で宝珠を探り当てるがごとくでありましょう。なんと喜ばしいことでしょうか、なんと素晴らしいことでしょうか。
ああ、善き人、良き士よ。もしも真摯に努めて修行し、敬虔に礼拝し受持し、経典によって法を求め、法によって覚りを悟るならば、ただちに無量の罪過を滅し、ただちに最も勝れた福田を得るでしょう。人天における果報を証得し、永遠に至福を享受するのです。功徳の及ぶところに、どうして際限がありましょうか。謹んで序文を記し、後の人々に待つことといたします。
明永樂癸卯四月八日序
永楽年間、癸卯の年、四月八日に序す