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  1. 景徳伝灯録 (景德傳燈錄)
  2. 第二 (第二)
  3. 七佛天竺祖師
  4. 天竺祖師
  5. 第二十一祖婆修盤頭
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景徳伝灯録 (景德傳燈錄)


第二十一祖婆修盤頭者。羅閱城人也。姓毘舍佉。父光蓋。母嚴一。家富而無子。父母禱于佛塔而求嗣焉。一夕母夢吞明暗二珠。覺而有孕。經七日有一羅漢。名賢眾。至其家。光蓋設禮。賢眾端坐受之。嚴一出拜。賢眾避席云。迴禮法身大士。光蓋罔測其由。遂取一寶珠跪獻賢眾試其真偽。賢眾即受之殊無遜謝。光蓋不能忍。問曰。我是丈夫致禮不顧。我妻何德尊者避之。賢眾曰。我受禮納珠貴福汝耳。汝婦懷聖子。生當為世燈慧日故吾避之。非重女人也。賢眾又曰汝婦當生二子。一名婆修盤頭。則吾所尊者也。二名芻尼(此云野鵲子)昔如來在雪山修道。芻尼巢於頂上。佛既成道芻尼受報。為那提國王。佛記云。汝至第二五百年生羅閱城毘舍佉家與聖同胞。今無爽矣。後一月果產子。尊者婆修盤頭年至十五禮光度羅漢出家。感毘婆訶菩薩與之授戒。行化至那提國。彼王名常自在。有二子。一名摩訶羅。次名摩拏羅。王問尊者曰。羅閱城土風與此同(舊本作何)異。尊者曰。彼土曾三佛出世。今王國有二師化導。曰二師者誰。尊者曰。佛記第二五百年有一神力大士出家繼聖。即王之次子摩拏羅是其一也。吾雖德薄敢當其一。王曰。誠如尊者所言。當捨此子作沙門。尊者曰。善哉大王。能遵佛旨。即與受具。付法偈曰。

第二十一祖の婆修盤頭(ばしゅばんず)は、羅閲城(らえつじょう)の人です。姓は毘舎佉(びしゃきゃ)、父は光蓋(こうがい)、母は厳一(げんいち)といいました。家は豊かでしたが子がなく、父母は仏塔に祈って跡継ぎを求めました。ある日の夕べ、母は明暗二つの珠を呑む夢を見て、目覚めると身ごもっていました。七日が過ぎたころ、賢衆(けんしゅう)という名の羅漢がその家にやって来ました。光蓋が礼をささげると、賢衆は端座してこれを受けました。厳一が出て拝すると、賢衆は席を避けて、「法身大士(ほっしんだいし)にお礼を返します」と言いました。光蓋はその理由が分かりませんでした。そこで一つの宝珠を取り、跪いて賢衆に差し出し、本物かどうかを試しました。賢衆はそのまま受け取り、特に遠慮して礼を述べることもありませんでした。光蓋は耐えられなくなり、問いました。「私は男として礼をしたのに顧みられない。私の妻にどんな徳があって、尊者は席を避けられるのか」。賢衆は答えました。「私は礼を受け、珠を納めた。それはあなたに福を授けるためです。あなたの妻は聖子を宿しています。生まれれば世の灯・慧日(えにち)となるでしょう。だから私は避けたのです。女を重んじたのではありません」。賢衆はさらに言いました。「あなたの妻は二人の子を生むでしょう。一人は婆修盤頭といい、まさに私が尊ぶ方です。もう一人は芻尼(すに)(ここでは野鵲子(やじゃくし)といいます)といいます。昔、如来が雪山で修行されたとき、芻尼が頂の上に巣を作りました。仏が成道された後、芻尼は果報を受けて那提国(なだいこく)の王となりました。仏は記しておられます。『あなたは第二の五百年に羅閲城の毘舎佉の家に生まれ、聖者と同胞となるであろう』と。今、その通りになりました」。それから一か月後、果たして子が生まれました。尊者婆修盤頭は十五歳になると、光度羅漢(こうどらかん)に礼して出家しました。毘婆訶菩薩(びばかぼさつ)が感応して戒を授けました。行化して那提国に至りました。そこの王は常自在(じょうじざい)といい、二人の子がいました。一人は摩訶羅(まから)、次は摩拏羅(まぬら)といいます。王が尊者に問いました。「羅閲城の風土はここと同じか、異なるか」。尊者は答えました。「あの地にはかつて三仏が出世されました。今、王の国には二人の師が化導しています」。王が「二人の師とは誰か」と問うと、尊者は答えました。「仏は記されました。第二の五百年に一人の神力大士が出家して聖を継ぐと。すなわち王の次子摩拏羅がその一人です。私は徳は薄いですが、あえてその一人を引き受けましょう」。王は言いました。「まことに尊者のお言葉の通りです。この子を捨てて沙門としましょう」。尊者は言いました。「善哉(よきかな)、大王。よく仏の御心に従われます」。そこで具足戒を授けました。法を付す偈に曰く。

泡幻同無礙 如何不了悟
達法在其中 非今亦非古

泡と幻は同じく妨げがなく、どうして悟らないことがありましょうか。 法に達する者はその中におり、今でもなく昔でもありません。

尊者付法已。踊身高半由旬屹然而住。四眾仰瞻虔請復坐跏趺而逝。荼毘得舍利建塔。當後漢殤帝十二年丁巳歲也(當作安帝十一年蓋殤帝在位止一年耳)。

尊者は法を付嘱し終えると、身を躍らせて半由旬の高さにそびえ立ったまま留まりました。四衆は仰ぎ見て、うやうやしく再びお座りになるようお願いすると、結跏趺坐のままお亡くなりになりました。荼毘に付して舍利を得て、塔を建てました。後漢の殤帝の十二年、丁巳の年であります。(安帝の十一年とすべきところです。殤帝の在位はわずか一年であったからです。)


第二十祖闍夜多
第二十二祖摩拏羅

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