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仏説義足経 (佛說義足經)

「佛說義足經」について

呉 · 底本の訳者:支謙

1.8 万字 · 約 60 分

仏説義足経は、三国時代の呉において訳経家・支謙によって漢訳され、初期中国仏教の重要な経典の一つです。支謙は月氏の末裔として梵語と漢語に精通し、孫権の支援のもと建業で訳経事業を行いました。この経典は小乗仏教に属し、四諦や八正道などの根本教義を主に説き、智慧によって無明を断ち、輪廻から解脱することを強調しています。経中では問答形式と譬えを用いて、仏教の核心的な哲学観念を体系的に論じています。漢魏期に最初に伝来した仏典の一つとして、この訳本は中国における仏教教理体系の形成に基礎を築き、中国仏教の初期伝播史を研究する上で貴重な文献を提供しており、仏教思想史と翻訳史の両方において重要な位置を占めています。


佛說義足經卷上(八雙十六輩)

『仏説義足経』巻上(八双十六輩)

吳月支優婆塞支謙譯

呉の月支優婆塞支謙訳

桀貪王經第一

第一品 桀貪王経

聞如是:

このように私は聞きました:

佛在舍衛國祇樹給孤獨園。時有一梵志。祇樹間有大稻田,已熟,在朝暮當收穫。梵志晨起,往到田上,遙見禾穟,心內歡喜,自謂得願,視禾不能捨去。佛是時從諸比丘,入城求食,遙見梵志喜樂如是,便謂諸比丘:「汝曹見是梵志不?」皆對言:「見。」佛默然入城,食後各還精舍。

ある時、仏は祇園精舎(※1)におられた。

折しも一人のバラモン(※2)が、祇園の林の中に広がる大きな稲田を持っていた。 その田は実り、今まさに収穫が近づいていた。

そのバラモンは朝早く起きると、田んぼへ出かけて行った。 遠くから稲穂を見つけた彼の心は喜びで満たされ、「ついに願いが叶う」と悦に入り、稲穂から目を離すことができなかった。

仏はその時、比丘たちと共に托鉢のため城へ入ろうとして、遠くにこのバラモンが悦びに浸っている姿をご覧になった。

そこで比丘たちにお尋ねになった。 「お前たち、あのバラモンが見えるか?」

比丘たちは皆、答えた。 「はい、見えます。」

仏はそのまま黙って城へ入られ、食事を済ませた後、皆それぞれの精舎へと戻られた。

(※1)祇

即日夜,天雨大雹,皆殺田中禾。梵志有一女,亦以夜死。梵志以是故,愁憒憂煩,啼哭無能止者。明日,眾比丘持應器入城求食,便聞梵志有是災害,啼哭甚悲,非沙門、梵志、及國人所能解其憂者。比丘食竟,還到佛所,作禮白:「梵志意狀如是。」言適竟,梵志啼哭,來到佛所,勞佛竟,便坐佛邊。

即(すなわ)ちその夜、天より大きな雹(ひょう)が降り注ぎ、田んぼの稲をすべて打ち倒してしまいました。また、バラモン(梵志)には一人の娘がいましたが、その夜に亡くなってしまいました。このためバラモンは深く嘆き悲しみ、憂いに沈み、泣き叫ぶのを誰も止められませんでした。

翌日、大勢の修行者たち(比丘)は托鉢(たくはつ)のために町へ入り、このバラモンに降りかかった災難と悲痛な泣き声を聞きました。それは僧侶や他の修行者、あるいは国の人々でもその悲しみを晴らすことができるものではありませんでした。托鉢を終えた修行者たちは仏のもとに戻り、礼拝して申し上げました。「バラモンの心はこのような有様でございます。」と言い終わるか終わらぬうちに、バラモンは泣き叫びながら仏のもとにやって来て、礼を尽くした後、仏のそばに座りました。

佛知其本憂所念,即謂梵志言:「世有五事,不可得避,亦無脫者。何等為五?當耗減法,欲使不耗減,是不可得;當亡棄法,欲使不亡棄,是不可得;當病瘦法,欲使不病瘦,是不可得;當老朽法,欲使不老朽,是不可得;當死去法,欲使不死去,是不可得。

仏はその梵志の心配していることを察し、こう告げられた。「世の中には、避けることも逃れることもできない五つのことがある。それは何か? 必ず減るものだが、それを減らさないようにしようとしても、それはできない。必ず失うものだが、それを失わないようにしようとしても、それはできない。必ず病むものだが、それを病まないようにしようとしても、それはできない。必ず老いるものだが、それを老いないようにしようとしても、それはできない。必ず死ぬものだが、それを死なないようにしようとしても、それはできない。」

「凡人無道、無慧計,見耗減、亡棄、老、病、死法來,即生憂憒悲哀,拍髀熱自,耗身無益。何以故?坐不聞知諦,當如是。梵志!我聞有抱諦者,見耗減法、亡棄、老、病、死法來,不以為憂。何以故?已聞知諦,當如是。不是獨我家耗,世悉亦爾。世與耗俱生,我何從獨得離?慧意諦計,我今已耗,至使憂之,坐羸不食,面目委色,與我怨者快喜、與我厚者代憂,慘慼家事不修計耗,不可復得。已諦如是,見耗減、亡棄、老、病、死法來,終不復憂也。」

世の中の普通の人々は、道を悟らず、智慧による判断もありません。そのため、財産を失ったり、家族を亡くしたり、老いや病、死といった避けられない出来事に直面すると、ただちに心配や悲しみ、嘆きに陥ります。そして、腿を叩いて泣き叫び、自分自身を傷つけ、体を消耗させるだけで、何の益もありません。なぜそんなことをするのでしょうか。それは、真理を知らず、本来あるべき物事の道理を理解していないからです。

バラモンよ、私は教えを聞き、真理をしっかりと抱く人がいることを知っています。その人は、財産の減少や喪失、老い、病、死といった出来事に直面しても、悲しみや嘆きに陥ることはありません。なぜでしょうか。すでに真理を聞き知り、物事の本来の姿を理解しているからです。「決して私の家だけが損をしているわけではない。世の中はみな同じである。この世に生まれた以上、損失や衰えは避けられない。なぜ私だけがそれを免れようとするのか」と、智慧をもって正しく考えます。

ある人は、「私はもう財産を失ってしまった。そのために悲しみに暮れ、やつれて何も食べられず、顔色も青ざめている。私を怨む者はこれを喜び、私を親しく思う者は私のことを心配するだろう」と考え、家のことも顧みず、落ち込んで何もせず、失ったものは二度と戻らないと嘆くのです。しかし、真理を正しく理解している人は、財産の減少や喪失、老い、病、死といった出来事に直面しても、決して悲しみ嘆くことはありません。

佛以是因緣,為梵志說偈:

その因縁(ゆえん)によって、仏は梵志(バラモン)に次の偈(げ)を説かれました。

「不以憂愁悲聲, 多少得前所亡?
痛憂亦無所益, 怨家意快生喜。
至誠有慧諦者, 不憂老病死亡,
欲快者反生惱, 見其華色悅好。
飛響不及無常, 珍寶求解不死,
知去不復憂追, 念行致勝世寶。
諦知是不可追, 世人我卿亦然,
遠憂愁念正行, 是世憂當何益?」

憂し悲しみ嘆く声で、 失われたものが戻ってくるだろうか。 嘆き悲しんでも何の益もなく、 怨みも心はむしろ喜ぶ。

誠実で智慧ある者は、 老いも病も死も憂えず、 楽しみを求めればかえって苦しみ、 美しい花の色に心を奪われる。

飛ぶ音も無常には及ばず、 宝を求めて不死を得られず、 去るものを追って憂えず、 行いを思い、世の宝に勝る宝を得よ。

まことに知れ、追うことはできぬ、 世の人も我も皆同じ。 憂いを遠ざけ、正しい行いを思い、 この世の憂い、何の益があろうか。

佛復為梵志極說經法,次說布施、持戒,現天徑欲善,其惡無堅固。佛知梵志意軟向正,便見四諦。梵志意解,便得第一溝港道,如染淨繒,受色即好。便起,頭面著佛足,叉手言:「我今見諦,如引鏡自照。從今已後,身歸佛、歸比丘僧,受我為清信士,奉行五戒,盡形壽淨潔不犯戒。」便起,繞佛三匝而去。

仏はさらに梵志(修行者)のために経典の教えを詳しく説き、次に布施と戒律の実践について語り、天界に至る道を示した。善には価値があるが、悪には確かなものはないと説いた。仏は梵志の心が柔らかく正しい方向に向いていると知り、四つの真理(四諦)を示した。梵志は教えを悟り、第一の預流果(初果)を得た。それはまるで清らかな絹を染めれば美しい色がつくように、すぐさま教えを受け入れたのである。そこで立ち上がり、頭を仏の足の下につけて礼拝し、合掌して言った。「私は今、真理を見ました。ちょうど鏡をのぞいて自分の姿を見るかのように。これからは、身も心も仏と比丘僧伽(僧団)に帰依します。私を清らかな在家信者として受け入れてください。五戒を守り、生涯を終えるまで清らかに過ごし、戒を破りません。」そう言って立ち上がり、仏の周りを三度巡りながらその場を去った。

眾比丘便白佛言:「快哉!解洗梵志意乃如是,至便喜笑而去。

多くの比丘たちが仏に申し上げました。「なんと素晴らしいことでしょう!梵志(修行者)の心をそのように解き明かし、彼はとても喜んで笑いながら去って行きました。」

佛語諸比丘:「不但是返解是梵志憂。過去久遠,是閻浮利地有五王。其一王名曰桀貪,治國不正,大臣、人民悉患王所為,便共集議言:『我曹家家出兵。』皆拔,白到王前,共謂:『王寧自知所為不正、施行貪害萬姓不?急出國去,不者必相害傷。』王聞大恐怖、戰慄,衣毛悉竪,以車騎而出國去,窮厄織草䓸,賣以自給。大臣、人民取王弟拜作王,便正治,不枉萬姓。

仏は比丘たちに告げられた。「あのバラモンの悩みは、これだけが理由ではない。遠い昔、このインドの地に五人の王がいた。その一人の名を『貪欲な王』(桀貪)といった。彼は国を正しく治めず、大臣や民衆は皆、王の行いに苦しんでいた。そこで彼らは集まって相談し、『我々は皆、兵を出すことにしよう』と決めた。そして武装して王の前に進み出て、こう言った。『王よ、お前は自分の行いが正しくなく、貪欲に民を害していることを知っているか?すぐに国を出て行け。さもなければ必ずお前を害することになるぞ。』王はこれを聞いて大いに恐れおののき、全身の毛が逆立った。そして車に乗って国を逃げ出し、極貧のうちに草鞋を編んで売り、自らの生計を立てた。大臣と民衆は王の弟を連れてきて新たな王に立て、国を正しく治め、民を不当に扱うことはなかった。」

「故王桀貪聞弟興將為王,即內歡喜計言:『我可從弟有所乞,可以自活。』便上書,具自陳說,便從王乞一鄹,可以自給。王即與之,愍傷其厄,得一𨽁便正治;復乞兩𨽁、四、五至十𨽁;二十、三十、四十、五十至百𨽁;二百至五百𨽁;便復乞半國,王即與之,便正治。

そこで、昔々、ある王様がおりました。この王様は欲深く、弟が王となるのを聞いて心の中で喜び、「弟に何か物を乞うて、生計を立てることができるだろう」と考えました。そこで王様は手紙を書き、自らの状況を詳しく述べて、弟王に一つの村を請いました。すると弟王はその不幸を哀れに思い、村を与えました。王様はその村を得て統治しました。次に二つの村を請い、さらに四つ、五つ、十の村を請い、二十、三十、四十、五十、百の村を請い、二百から五百の村を請い、ついには国の半分を請いました。弟王はそれも与え、王様はその半分の国を統治しました。

「如是久遠,桀貪生念,便興半國兵,攻弟國即勝,便自得故國。復生念:『我今何不悉興一國兵,攻二國、三國、四國?』便往攻,悉得勝,復正治四國。復生念:『今我何不興四國兵,攻第五國?』便往攻,即復得勝。是時,陸地盡,四海內皆屬王,便改號自立為大勝王。

このようにして長い年月が経ち、桀貪王は「今、自分の国だけでは満足できない」という思いを抱き、自国の半分の兵を動員して弟の国を攻め、勝利しておのれの元の国を取り戻した。さらに彼は思った。「今こそ、なぜ一国の全軍を挙げて、二カ国、三カ国、四カ国を攻めないのか?」そこで攻め込み、ことごとく勝利し、四カ国を統治するようになった。さらにまた思った。「今こそ、なぜ四国の全軍を率いて、第五の国を攻めないのか?」そこで攻め入り、またも勝利を収めた。こうして地上の陸地はすべて、四海の内がことごとくこの王の支配下に入った。そこで王は称号を改め、自らを「大勝王」と名乗ったのである。

「天帝釋便試之,寧知厭足不?便化作小童梵志,姓駒夷,欲得見王,被髮、拄金杖、持金瓶,住宮門。守門者白王言:『外有梵志,姓駒夷,欲見王。』王言:『大善。』便請前坐,相勞問畢,却謂王言:『我屬從海邊來,見一大國豐樂,人民熾盛,多有珍寶,可往攻之。』王審足,復欲得是國,王言:『我大欲得。』天王謂言:『可益裝船,興兵相待,却後七日,當將王往。』適言天王便化去。

天帝釈が試みて、彼が満足を知っているかどうかを確かめようとした。そこで、天帝釈は童形の梵志(バラモンの修行者)に変身し、姓は駒夷といった。彼は王に会いたいと思い、髪を振り乱し、金の杖をつき、金の瓶を持って宮門に立った。門番が王に申し上げた。「外に駒夷という姓の梵志がおり、王にお目にかかりたいと申しております。」王は「それは素晴らしい」とおっしゃり、彼を招き入れて前に座らせた。互いに労わり問いかける挨拶を終えると、梵志は王に向かって言った。「私は先ほど海辺から来ましたが、そこに立派な国があり、実り豊かで、人々は栄え、宝がたくさんありました。どうか攻め取ってください。」王は既に満ち足りていたが、さらにその国を欲しがり、「私はぜひ手に入れたい」と言った。天の王は「船を準備し、兵を集めて待ちなさい。七日後にはあなたをその国へ導きましょう」と言った。そう言い終えると、天の王は姿を消した。

「到其日,便大興兵益裝船,不見梵志來。是時,王愁憂不樂,拍髀如言:『怨哉!我今以亡是大國,如得駒夷不堅獲,如期反不見。』是時,一國人民迴坐向王,王啼亦啼,王憂亦憂。王處憂未甞止,聞識經偈,便生意而說言:

その日が来ると、王は大いに兵を集め、船の装備を整えたが、予言者の姿はどこにも見えなかった。王は深く憂えて、自らの腿を打ちながら言った。「ああ、なんと無念なことか。私は今、この大いなる国を失ってしまった。駒夷を得ながらも確かに手に入れられず、約束の日が来てもその姿を見ることはできなかった。」すると、国中の民が皆、王に向かって座り、王が泣けば民も泣き、王が憂えれば民も憂えた。王の憂いは尽きることなく、ある時、経典の偈(うた)を耳にすると、その心に思うことを言葉にして語り出した。

「『增念隨欲, 已有復願, 日盛為喜,
從得自在。』

「思いが募り、欲に従い、 すでに得たものにさらに望み、 日毎に盛んになっては喜び、 手に入れては自由を得たように感じる。」

「王便為眾人,說欲偈意,有能解是偈義者,上金錢一千。時坐中有少年,名曰鬱多。鬱多即白王言:『我能解是義,相假七日乃來對。』到七日,白母言:『我今欲到王所解王憂。』母謂子:『子且勿行,帝王難事如燃火,其教如利刀,難可親近。』子言:『母勿愁憂,我力自能淹王偈義,當得重謝,可以極自娛樂。』便到王所言:『我今來對其義。』即說偈言:

王は人々のために欲に関する偈を説き、その意味を解く者には金貨千枚を与えると約束しました。その時、座中に鬱多という少年がいて、王に申し上げました。「私がこの意味を解き明かせます。七日間の猶予をいただき、その後にお答えします。」七日後、鬱多は母に言いました。「今、王のもとへ行き、王の憂いを解きたいと思います。」母は子に言いました。「そのようなことはやめなさい。王を相手にするのは火を扱うように危険で、その教えは刃のように鋭く、近づきがたいものです。」子は言いました。「母よ、心配しないでください。私の力で王の偈の意味を十分に解き明かし、きっと厚い報酬を得て、十分に楽しむことができます。」そして王のもとへ行き、「私は今、その意味を解き明かしに参りました。」と言って、偈を説きました。

「『增念隨欲, 已有復願, 已放不制,
如渴飲湯。 悉以世地, 滿馬金銀,
悉得不厭, 有黠正行。 如角距生,
日長取增, 人生亦爾, 不覺欲增。
飢渴無盡, 日日復有, 金山拄天,
狀若須彌, 悉得不厭, 有黠正行。
欲致痛冥, 未嘗聞之, 願聞遠欲,
厭者以黠, 厭欲為尊, 欲漏難離。
黠人覺苦, 不隨愛欲, 如作車輪,
能使致堅。 稍稍去欲, 意稍得安,
欲得道定, 悉捨所欲。』

欲望というものは、心に浮かんではまた新たな欲を求め、 すでに得たものがあってもさらに願い、 ゆるめてしまえば抑えが効かなくなる。 まるで渇いた者が熱いスープを飲むかのように。

たとえこの世のすべての地を、馬や金銀で満たしても、 すべてを得ても満足することはない。 賢明な人は、正しい行いをする。

ちょうど角や牙が生えて、 日々に伸びていくように、 人の人生もまた同じで、 気づかぬうちに欲望は増えていく。

飢えや渇きには限りがなく、 日々また新たな欲望が生まれる。 金の山が天を支え、 その様相は須弥山のようであっても、 すべてを得ても満足することはない。 賢明な人は、正しい行いをする。

欲望は痛みと闇をもたらす。 このことをまだ聞いたことのない人よ、 どうか遠くの欲望について聞きなさい。 厭離する者は智慧によって、 欲望を厭うことを尊びとする。 欲望の漏れは離れがたい。

賢い人は苦しみを覚り、 愛欲に従わない。 ちょうど車輪を作る者が、 それをしっかりと丈夫にするように。 少しずつ欲望を遠ざければ、 心は次第に安らぎを得る。 もし道の定めを得ようと望むなら、 すべての欲望を捨て去りなさい。

「王言:『知意。悉治世地,盡四海內無不至屬,是亦可為厭,乃復遠欲貪海外國。』大勝王即謂鬱多言:

王は言った。「私の思い通り、世界中のすべての土地を治め、四海の内で私の支配が及ばないところはない。それでもなお飽き足らず、さらに遠く海のかなたの国々をも欲しがっているのだ。」大勝王はそこで鬱多に言った。

「『童子若善, 以尊依世。 說欲甚痛,
慧計乃爾。 汝說八偈, 偈上千錢,
願上大德, 說義甚哀。』

「若い修行者よ、よく聞きなさい。尊い方に従い生きるなら、欲望とは大きな苦しみであると説かれます。智慧ある考え方こそが大切なのです。 あなたは八つの偈を唱え、その一つ一つに千の銭を添えて、高徳の僧に捧げました。その教えの意味は、まことに哀れ深いものです。」

「鬱多以偈報言:

鬱多(うった)は偈(げ)で答えた。

「『不用是寶, 取可自給。 最後說偈,
意遠欲樂。 家母大王, 身羸老年,
念欲報母, 與金錢千, 令得自供。』

「『この宝には用がない、自分で足りるものを持っていきなさい。最後に偈を説こう。

遠くの楽しみを欲しがる心から離れよ。母であり大王であるあなたは、年老いて体が弱っている。

母に報いたいと思うなら、千の金を与えて、自らを養えるようにしなさい。』」

「大勝王便上金錢一千,使得供養老母。」

大勝王は、すぐに千枚の金貨を与え、老いた母親を養うことができるようにした。

佛語諸比丘:「是時大勝者,即種稻梵志是也;時童子鬱多者,則我身是也。我是時亦解釋是梵志痛憂,我今亦一切斷是梵志痛憂已,終不復著苦。」

仏は比丘たちに告げられました。「その時の大勝者とは、稲を植える梵志のことである。その時の童子ウッタラ(鬱多)とは、この私のことである。私はその時も、この梵志の苦しみや悲しみを解きほぐした。そして今、私はこの梵志の苦しみや悲しみをことごとく断ち切り、もはや再び苦しみに執着することはない。」

佛以是本因,演是卷義,令我後學聞是說,欲作偈句,為後世作明,令我經法久住。

仏はこの根本因によって、この経の意味を説き示し、私たち後世の学び手がこの教えを聞いて、偈(うた)の言葉を残し、後の世に明かりを灯し、私の教えが永く世に留まるようにされたのです。

義足經:

**『義足経』について**

「增念隨欲, 已有復願, 日增為喜,
從得自在。 有貪世欲, 坐貪癡人,
既亡欲願, 毒箭著身。 是欲當遠,
如附蛇頭, 違世所樂, 當定行禪。
田種珍寶、 牛馬養者, 坐女繫欲,
癡行犯身, 倒羸為強, 坐服甚怨,
次冥受痛, 船破海中。 故說攝意,
遠欲勿犯, 精進求度, 載船至岸。」

思いが次々と欲にかられ、 すでに得たものにさらに望みを重ね、 日々に増えゆくことを喜びとする。 それこそが、自在を得る道だと錯覚する。 世の欲に執着する者、 愚かさゆえに執着する人は、 欲の願いが消え去った後も、 毒矢が身に刺さったままである。 この欲は遠ざけるべきだ、 蛇の頭に触れるように。 世の楽しみに背くとき、 静かに坐り、瞑想を定めよ。 田を耕し、宝を蓄え、 牛馬を飼い育てる者も、 女への欲に縛られ、 愚かな行いで身を汚す。 弱さを強さと思い込み、 怨みに服し、暗闇の中で苦しみ、 船が海で破れるように。 ゆえに教えよう、心を整え、 欲を遠ざけ、犯すな。 精進して悟りを求め、 船に乗り、岸に至れ。

佛說是義足經竟,比丘歡喜。

仏がこの義足経を説き終えた時、比丘たちは皆、喜びに満ちました。


2 優填王經

CBETA コード: T0198

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