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大発趣論註 (大發趣論注)


大發趣論註
歸命彼世尊應供正等覺者。

南無、世尊(かの せそん)、応供(おうぐ)、正等覚者(しょうとうかくしゃ)。

序說

序説

諸天中之天中天 受天阿修羅供養 清淨禁戒說雙論 其義與法悉甚深
次及第七大雄氏 名色滅者為其名 所說發趣極甚深 論法細飾莊嚴教
我今應將次第釋 汝等當宜一心聽

天の中の天、天と阿修羅の供養を受けられ、 清らかな戒律を説き、二つの論を示された方。 その意味と法は、すべて極めて深遠です。

次に第七の大いなる聖者、 名と形が滅した者と名づけられる方が説かれた、 発趣の教えは極めて深く、 論法は細やかに飾り、荘厳された教えです。

私は今、その順序に従って説明しましょう。 あなたがたは、一心に聴くべきです。

依正等覺說如實言。於順發趣.依二十二種三法所廣說.名為三法發趣。依百種二法所廣說.名為二法發趣。由是更取二十二種三法.涉入百種二法中而說.名為二法三法發趣。更取百種二法.涉入二十二種三法中而說.名為三法二法發趣。又三法涉入於同三法中而說.名為三法三法發趣。二法涉入於同二法中而說.名為二法二法發趣。如是頌曰。

正等覚者が如実に説かれた教えに従い、順な発趣において、二十二種の三法によって広く説かれたものを「三法発趣」と名づける。百種の二法によって広く説かれたものを「二法発趣」と名づける。さらに、二十二種の三法を取って、百種の二法の中に入れて説くものを「二法三法発趣」と名づける。また、百種の二法を取って、二十二種の三法の中に入れて説くものを「三法二法発趣」と名づける。さらに、三法を同じ三法の中に入れて説くものを「三法三法発趣」と名づける。二法を同じ二法の中に入れて説くものを「二法二法発趣」と名づける。このように、偈に曰く。

三法妙發趣 及最上二法 更二法三法 並三法二法 與三法三法 二法二法俱
順中六論法 其法為甚深
於逆發趣。亦依二十二種三法.名三法發趣。依百種二法.名二法發趣。二十二種三法.涉入百種二法中.名二法三法發趣。百種二法.涉入二十二種三法中.名三法二法發趣。三法涉入於同三法.名三法三法發趣。二法涉入於同二法.名二法二法發趣。如是於逆發趣.亦以六論法而廣說之.故說頌言。

逆の発趣においても、二十二種の三法に基づき「三法発趣」と名づけ、百種の二法に基づき「二法発趣」と名づける。二十二種の三法が百種の二法に含まれる時、これを「二法三法発趣」と名づける。百種の二法が二十二種の三法に含まれる時、これを「三法二法発趣」と名づける。三法が同じ三法に含まれる時、これを「三法三法発趣」と名づける。二法が同じ二法に含まれる時、これを「二法二法発趣」と名づける。このように、逆の発趣においても、六つの論法によって詳しく説かれる。よって、偈頌をもって示す。

三法妙發趣 及最上二法 更二法三法 並三法二法 與三法三法 二法二法俱
逆中六論法 其法為甚深

三つの法は、悟りへと進む力を持つ そして、最も優れた二つの法がある さらに二つの法と三つの法 そして三つの法と二つの法 また三つの法と三つの法 二つの法と二つの法がある

逆の順序で説かれた六つの教え それらの法は非常に深い

由是更於順逆發趣.亦依前式所示六論法。故頌之曰。
三法妙發趣 及最上二法 更二法三法 並三法二法 與三法三法 二法二法俱
順逆中六論 其法為甚深

三つの法の妙なる発趣、 および最上の二つの法。 さらに二つの法と三つの法、 ならびに三つの法と二つの法、 また三つの法と三つの法、 二つの法と二つの法とともに、

順逆の中の六種の論、 その法は極めて深い。

其次.於逆順發趣.亦同依此六論法而廣說之。故頌之曰。

次に、逆順の発趣についても、同じくこの六論法に基づいて詳しく説かれている。そこで、それを頌にまとめて示そう。

三法妙發趣 及最上二法 更二法三法 並三法二法 與三法三法 二法二法俱
逆順中六論 其法為甚深

三つの法が巧みに発動し、最上の二つの法がある。 さらに二つの法と三つの法、そして三つの法と二つの法、 また三つの法と三つの法、二つの法と二つの法が共にある。

逆と順をめぐる六つの論、その法は極めて深いものである。

如是於順六發趣.於逆六發趣.於順逆六發趣.於逆順六發趣.綜此二十四全部發趣.乃與之以發趣大論之名。

以上のように、順の六発趣、逆の六発趣、順逆の六発趣、逆順の六発趣、これら二十四のすべての発趣を総合して、発趣大論という名称が与えられます。

已說由綜斯等二十四全部發趣.名發趣大論.則其發趣名義.應亟先知。

以上のように、この24の因縁をすべて説明したものが「発趣大論」と呼ばれる。では、この「発趣」という名前の意味について、まず知っておくべきである。

由何義故為鉢多那.為由種種品類之緣義故。何以故.鉢之為語.表種種品類之義。多那之聲.是表緣義。在『處非處善性』等中所謂緣義.實即多那聲故。今就種種品類之緣而有所說.故於此等二十四鉢多那中.一一名之為鉢多那。又為此等鉢多那之總合故.以此全論為鉢多那應知。

なぜ「プラダーナ」(鉢多那)と呼ばれるのか。それは種々の種類の縁(原因・条件)という意味だからである。なぜかというと、「プラ」(鉢)という語は種々の種類を意味し、「ダーナ」(多那)という音は縁を意味するからである。『処非処善性』などで言われるところの「縁」の意味は、実に「ダーナ」の音によるものである。ここでは種々の種類の縁について説かれているため、これら二十四のプラダーナの一つ一つを「プラダーナ」と呼ぶのである。また、これらのプラダーナを総合したものであるから、この全論を「プラダーナ」と名づけると知るべきである。

有餘理趣。由何義故.名鉢多那.為由分別義故。何以故.謂於隨處『顯示施設故.建立故.開示故.分別故.』故知鉢多那之為分別義。今將善等諸法.就因緣等而分別之.故於此等二十四鉢多那.一一名之為鉢多那。又為此等鉢多那之總合故.綜此全論名為鉢多那應知。

さらなる深い意味があります。では、どのような理由で「プラダーナ(鉢多那)」というのか。それは「分別(分析・説明)する」という意味があるからです。なぜかというと、あらゆる場面において「示し、設定し、明らかにし、分析する」という働きがあるからです。したがって、「プラダーナ」が「分別」を意味することがわかります。

さて、ここでは善などの様々な法(現象)を、因縁などの観点から分別していきます。そのため、これら二十四の「プラダーナ」は、それぞれ一つひとつが「プラダーナ」と呼ばれます。また、これらの「プラダーナ」を総合したものであるため、この論全体を「プラダーナ(分別の書)」と名付けるのです。

有餘理趣。由何義故.名鉢多那.為由發趣義故。謂有由進發義.如云『從牛舍出而行之牛』時.用鉢多那〔之語〕而言『出行之牛.』則由是義為進發故。何以故.於理趣不甚詳之法集論等.一切智性智不易無礙進發.及將善等由因緣等之類而分別之.遂得詳審理趣之結果〔一切智性智.〕轉展無礙而進發。以此之故.於此等二十四鉢多那.一一名之為鉢多那.然又以此等鉢多那之總合故.亦名此全論為鉢多那應知。

さらに別の意味もある。「プラベーダ」(鉢多那)という名は、どのような意味に基づくのか。それは「出発する」「進み発つ」という意味による。例えば、「牛舎から出て行く牛」という場合に「プラベーダ」という語を用いて「出て行く牛」と言う。その意味は「進み出ること」であるからだ。

なぜかと言えば、理趣が詳細に説かれていない『法集論』などでは、一切智性の智慧は容易に、また自在に進み出ることができない。しかし、善などを因縁などによって分類し、ついに理趣を詳しく考察した結果である一切智性の智慧が、自在に転じながら進み出るようになる。

このような理由から、これら二十四のプラベーダのそれぞれをプラベーダと名づける。さらにまた、これらのプラベーダを総合したものであるから、この論全体をもプラベーダと名づけると知るべきである。

此中先就順發趣言.初就三法而說故名為三法鉢多那.分解其句.則以此處所云諸三法之鉢多那〔緣.〕為三法鉢多那。在此說中有對於三法之種種品類之緣之義也。其次考察.諸三法之鉢多那〔分別.〕即為三法鉢多那.由因緣等分別三法之義也。第三考察.由因緣等類所分別中.有宗義之廣說故.向於三法之鉢多那〔發趣.進發.〕即為三法鉢多那。為一切智性智無礙發動地之義也。二法鉢多那等.亦同此理趣。

まず、順発趣について述べる。初めに三つの法について説くので、これを三法(さんぼう)の「波多那」(分別・発趣)と呼ぶ。その語句を分解すれば、ここで言う「諸々の三法の波多那(縁)」が三法の波多那である。この説においては、三法に関する様々な種類の縁の意味が含まれている。次に考察すると、諸々の三法の波多那(分別)は、すなわち三法の波多那であり、因縁などによって三法を分別する意味である。第三に考察すると、因縁などの種類によって分別される中に、宗義の広説があるため、三法の波多那(発趣・進発)に向かうこと、すなわち三法の波多那である。これは一切智性の智が妨げなく生じる地の意味である。二法の波多那なども、これと同じ道理による。

如是知順六發趣.則逆等六發趣.亦可由此方法而知。然於順、逆、順逆、逆順等四各各有六.成二十四.故言二十四全發趣。此等二十四各個趣稱為小發趣.總合而為全發趣.由此二十四全發趣之總合.名之為發趣大論。

このように、順方向の六つの発趣(はっしゅ)を知れば、逆方向などの六つの発趣も、同じ方法で理解することができます。 しかし、順・逆・順逆・逆順という四つのそれぞれに六つずつがあるため、合わせて二十四となります。よって「二十四全発趣」と言います。 この二十四のそれぞれを「小発趣」と呼び、それらを総合したものを「全発趣」といいます。この二十四全発趣の総合を「発趣大論」と名付けます。

然此依三法等而廣說.故言三法發趣.二法發趣.乃至三法三法發趣.二法二法發趣等.分別論列。今為開示分別三法之諸緣.先於初所說.名為論母設置分.亦名緣分別分。此由略說與廣說二部所成。因緣乃至不去緣者.為略說也。

しかし、この経典は「三法」などに基づいて広く説かれています。そのため、「三法による発趣」「二法による発趣」、さらには「三法と三法による発趣」「二法と二法による発趣」などと区分けて論じられています。

ここで、三法における様々な縁について詳しく開示するため、まず最初に述べられているものを「論母設置分」、または「縁分別分」と呼びます。これは、簡略な説明と詳細な説明の二つの部分から成り立っています。

因縁から「不去縁」に至るまでが、簡略な説明です。


略說分釋

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