名色初門第一
名色の初門、第一。
一名 二色
一つの名、二つの色。
今辨法界初門。先從名色而始者。至論諸法本原清淨。絕名離相。尚非是一。何曾有二。不二而辨其二者。以行者初受一期妄報歌羅邏時。但有名色二法。當知名色即是一切世間出世間法之根本。能生一切法。普攝一切法。即是一切法。若諸大聖分別說一切法門。皆約名色而分別之。無有一法出於名色。故智度論偈云。
まず法界の初門を明らかにします。最初に名色から始めるのは、そもそも諸法の本原は清浄であり、名を絶ち相を離れていて、まだ一であることすらなく、どうして二があるでしょうか。二でないものを二として明らかにするのは、修行者が最初に一期の妄りの報いとして歌羅邏(からら)を受ける時、ただ名色という二つの法があるからです。名色こそが一切の世間と出世間の法の根本であると知るべきです。すべての法を生み出すことができ、すべての法を広く包み込み、すなわちこれが一切の法なのです。もし大聖たちが一切の法門を分別して説かれるならば、みな名色に基づいてそれを分別されます。名色から出る法は一つもありません。それゆえ智度論の偈にこう説かれています。
一切諸法中 但有名與色
若欲如實觀 但當觀名色
雖癡心多想 分別於異事
更無有一法 出於名色者
すべての諸法においては ただ名と色とがあるだけです もしありのままに観たいと思うなら ただ名と色とを観るべきです 愚かな心で多くを思い描き さまざまな事ごとを分別しても 名と色を超え出るような法は ただの一つもありません
一名 心但有字故曰名也。即是心及相應數法。雖有能緣之用而無質礙可尋。既異於色而有心意識及諸數法種種之別名。故謂之為名也。
一つの「名」とは、ただ文字(名称)があるという意味で、「名」と呼びます。これはすなわち心と、それに伴う心所の法です。対象を認識するはたらきはあっても、形や障害として捉えられる実体はありません。色とは異なるものであり、心・意・識およびさまざまな心所の法という種々の別々の名称があるため、これを「名」と呼ぶのです。
二色 有形質礙之法謂之為色。是十入及一入少分。皆是質礙之法。並無知覺之用。既異於心意識法。故稱為色也。
二色。形があり、質碍のある法を色と呼びます。この十入および一入の少分は、いずれも質碍のある法であり、知覚のはたらきはありません。心・意・識の法とは異なるため、色と称するのです。