No. 656-A大般涅槃經玄義文句會本序
大般涅槃経玄義文句会本序
蓋聞大般涅槃之為教以續常住之命然苟血氣旺臟腑壯六氣之迭衝五味之交嬈適足以養其軀而奚命之須續也及其衰也風雨霧露外侵甘酸哀痛內傷治表肝脾乘陵補中寒熱增劇如欲排邪扶正氷玉留年非阿伽陀之玅靡能濟焉方夫佛日照高山平地而后當午無影之時法運赫盛尚奚憂慧命之不續也佛鑑叔末澆漓溷濁輒陷邪見公畜不淨辟之穀貴而賊侵其伶俜且病者乎急執悶絕小心徐引憔悴法身張之踽踽凉凉弛之莽莽蕩蕩當是之時面欲戒捉定愛服餌甘露以續慧命非扶律談常莫收功焉是教也接邪誘小從漸入頓又即無常而修於常邐迆參差畢會乎常帝網之珠千燈之光無微不具無物不融則塵芥神昆蟲靈小彌大邪彌正能令伶俜疾苦悉佩長生符是為最上阿伽陀要之莫非救衰世也章安惟念渴飲甘露入山泝江想盲思狗情之不已廣尋舊疏陰林席箭具嘗百苦始成玄疏其所以如此莫非救衰世也暹師覽叔季根薄才謭要賴此典而玄疏又幽不指之方其必泣岐所以文句以批大郤莫非救衰世也然句則屬無何有疏則被禪人莫糊粵有守篤大和尚者早浴王泉流嚴持瓔珞珠教觀該深述作極富視此疏如此慨歎莫已遂復舊雪冤分會精粹和尚雖寂繼志者多校讎益勤宋明和本無不勘契由疏及玄由玄及句亡羊是尋畢於橫川鷄足獲其寫本使予校會其為書也其閻浮河中金乎今及刊行敢告學人夫眾彥所以致力此典莫非救衰世也今也則衰運極矣伶俜疾苦接武聯袖而此玅良藥擣簁和合見在于茲矣乃不肯服夭傷慧命其於佛祖先達苦心如何哉。
そもそも、大般涅槃経という教えは、常住の命を継ぐためにあると聞く。しかし、血気が盛んで臓腑が丈夫な時は、六気が次々に襲い、五味が交じり乱れても、かえってその体を養うのに十分であり、どうして命を継ぐ必要があろうか。それが衰えるに及んで、風雨や霧露が外から侵し、甘酸や哀痛が内から傷つけ、表を治そうとすれば肝脾が乗り陵ぎ、中を補おうとすれば寒熱が増し激しくなる。もし邪を排し正を扶け、氷玉のように年を留めようとするなら、阿伽陀の妙薬でなければ救うことはできない。
さて、仏の日が高山を照らし、平地を過ぎて真昼に影のない時、法運が赫々と盛んな時は、どうして慧命が継がれないことを憂えようか。仏は末法の世の澆漓と溷濁を見て、たちまち邪見に陥り、公畜の不浄を避ける者を、穀物が貴くて賊に侵された伶俜の病人のように思われた。急に執って悶絶させ、小心に徐々に引き、憔悴した法身を張れば踽踽涼涼とし、弛めれば莽莽蕩蕩とする。この時、戒を面に捉え、定愛を服し、甘露を餌として慧命を継ごうとするなら、律を扶け常を談じるのでなければ功を収めることはできない。この教えは、邪を接ぎ小を誘い、漸から入って頓に至り、また無常に即して常を修め、逦迆参差としてことごとく常に会する。帝網の珠、千燈の光、微なるものなく具わらず、物なく融けざるはない。すなわち塵芥も神となり、昆虫も霊となり、小は大に弥がり、邪は正に弥がり、伶俜の疾苦をしてことごとく長生の符を佩かしめる。これこそ最上の阿伽陀であり、要するに衰えた世を救うことなのである。
章安大師はただ、渇いて甘露を飲むことを念じ、山に入り江を溯り、盲を想い狗を思う情に已むことなく、広く旧疏を尋ね、陰林に席を箭にし、百苦を具に嘗めて、初めて玄疏を成された。その所以がこのようであるのは、まさに衰えた世を救うためである。暹師は末法の世の根が薄く才が謭いことを覧て、この典に頼るべきことを要し、しかも玄疏がまた幽にして指さない方であるのを、必ず泣き岐する所以として、文句をもって大郤を批する。これもまた衰えた世を救うためである。
しかし、句は無何有に属し、疏は禅人に被せられて糊するものがない。ここに守篤大和尚という方がおられ、早くから王泉に浴し、流嚴に瓔珞珠を保持し、教観に該深で、述作極めて富み、この疏をこのように慨歎して已むことがない。遂に旧を復して雪冤し、精粹を分かち会する。和尚はすでに寂せられたが、志を継ぐ者多く、校讎益々勤しみ、宋明の和本ことごとく勘契せず。疏より玄に及び、玄より句に及び、亡羊を尋ねて畢に横川の鷄足にその写本を獲、私に校会させられた。その書たるや、まさに閻浮河の中の金であろう。今、刊行に及んで、敢えて学人に告げる。そもそも衆彦がこの典に力を致す所以は、みな衰えた世を救うためである。今や衰運極まり、伶俜の疾苦接武聯袖するに、この妙良薬擣簁和合してここに見在する。しかるに服することを肯ぜず、慧命を夭傷するならば、仏祖先達の苦心にどうして報いようか。
寬政壬子春二月權僧正慈等謹序
寛政壬子の春二月、権僧正慈等、謹んで序す。