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大唐西域記 (大唐西域記)

「大唐西域記」について

唐 · 底本の訳者:玄奘、辯機

10.6 万字 · 約 354 分

『大唐西域記』は、唐代の高僧・玄奘三蔵の口述を、弁機が筆録・編纂し、貞観二十年(646年)に完成しました。全十二巻からなる本書は、玄奘が十九年にわたる求法の旅で巡った西域やインドなど百三十八か国の地理、政治制度、宗教文化、仏教遺跡を詳細に記録しています。 古代の国際交通史における重要な文献として、七世紀の中・南アジアに関する貴重な史料を伝え、仏教の伝播やシルクロード文明の研究に欠かせない学術的価値を持ちます。特にナーランダ寺院をはじめとする仏教聖地の記述は詳細を極め、インド仏教史を考証する上での核心的な根拠とされています。 漢伝仏教における四大旅行記の筆頭に挙げられ、世界の宗教史および地理学の分野においても高い評価を得ています。


大唐西域記敘

『大唐西域記』序文

尚書左僕射燕國公張說製

尚書左僕射・燕国公張説が製す

若夫玉毫流照,甘露灑于大千;金鏡揚暉,薰風被于有截。故知示現三界,粵稱天下之尊;光宅四表,式標域中之大。是以慧日淪影,像化之跡東歸;帝猷宏闡,大章之步西極。

玉のような光が照らし出され、甘露が大いなる世界に降り注ぎます。黄金の鏡が輝きを放ち、香り高い風が果てしなく広がります。それゆえ、この世に姿を現すことは、天下の尊きものと称えられるのです。光が四方を包み込み、世界の中で最も偉大なものとして示されるのです。智慧の太陽がその影を沈めると、仏の教えの跡は東へと帰っていきます。帝王の道は大きく開かれ、偉大な歩みは西方の果てにまで及びます。

有慈恩道場三藏法師,諱玄奘,俗姓陳氏,其先頴川人也。帝軒提象,控華渚而開源;大舜賓門,基歷山而聳構。三恪照于姬載,六奇光于漢祀。書奏而承朗月,遊道而聚德星。縱壑駢鱗,培風齊翼。世濟之美,欝為景胄。法師籍慶誕生,含和降德,結根深而䓲茂,道源浚而靈長。奇開之歲,霞軒月舉;聚沙之年,蘭薰桂馥。洎乎成立,藝殫墳素。九皐載響,五府交辟。以夫早悟真假,夙照慈慧,鏡真筌而延佇,顧生涯而永息。而朱紱紫纓,誠有界之徽網;寶車丹枕,寔出世之津途。由是擯落塵滓,言歸閑曠。令兄長捷法師,釋門之棟[榦-木+禾]者也。擅龍象于身世,挺鶖鷺于當年。朝野挹其風猷,中外羨其聲彩。既而情深友愛,道睦天倫。法師服勤請益,分陰靡棄。業光上首,擢秀檀林;德契中庸,騰芬蘭室。抗策平道,包九部而吞夢;鼓枻玄津,俯四韋而小魯。自茲遍遊談肆,載移涼燠。功既成矣,能亦畢矣。至于泰初日月,燭曜靈臺;子雲鞶悅,發揮神府。于是金文暫啟,佇秋駕而雲趨;玉柄纔撝,披霧市而波屬。若會斵輪之旨,猶知拜瑟之微。以瀉瓶之多聞,泛虛舟而獨遠。迺于轘轅之地,先摧鍱腹之誇;并絡之鄉,遽表浮桮之異。遠邇宗挹,為之語曰:「昔聞荀氏八龍,今見陳門雙驥。」汝、頴多奇士,誠哉此言。

慈恩道場に三蔵法師あり。諱を玄奘といい、俗姓は陳氏、その先祖は潁川の人である。軒轅帝が象を掲げ、華渚を統べて源を開き、大舜が門に賓し、歴山を基として高く構えた。三恪は周の時代に輝き、六奇は漢の祭祀に光り輝く。奏上される書は明月を継ぎ、道を遊ぶ者は徳星を集める。鱗を連ねるものは縦に行き、風を培うものは翼を斉しくする。世々にわたる美は、盛んにして高貴な家柄となる。

法師はその慶びを受けて生まれ、和を抱き徳を降ろし、根を深く結んで枝葉は茂り、道の源は深くして霊験は長く続く。特別な才が開かれた年には、霞のように高く月のように挙がり、砂を集める年には、蘭のように薫り桂のように馥郁たる香りを放つ。成長するに及んで、芸は典籍を極め、九皐に響き渡り、五府から交わって招かれる。

早くに真偽を悟り、慈しみの智慧に照らされ、真実の教えの鏡に立ち止まりつつ、生涯を顧みて永遠に休息する。朱紱や紫纓は、まさに迷いの世界の飾り網であり、宝車や丹枕は、実に世を超えるための渡し舟である。それゆえに世俗の塵を払い捨て、閑かで広々とした境地に帰した。

兄の長捷法師は、仏門の大黒柱である。この世に龍や象の力を持ち、当年には鳶や鷺のごとき際立ちを示す。朝廷や民間はその風格を慕い、内外ともにその声望を称えた。やがて兄弟の情愛深く、天の定めの絆を大切にし、法師は努めて教えを請い、一刻も無駄にすることはなかった。

その功績は上首に輝き、檀林の中で秀で、徳は中庸に叶い、蘭の室に香りを放つ。平らかな道に馬を進め、九部の経典を包み込んで夢を飲み、玄妙な川に舟を漕ぎ、四つの韋陀経を俯して小魯の境地に至る。ここからあまねく談論の場を巡り、時の移り変わりを経た。功はすでに成り、能力もまた極まった。

泰初の日月のごとく、心の台を照らし、子雲の鞶悦のごとく、神の府を輝かせる。ここに金文を開けば、秋の駕を待って雲が集まるように、玉の柄を振るえば、霧の市を払って波が連なる。轍の心を得た者の趣旨にかなうこと、琴を弾く微細な技を知ることのごとし。瓶に注ぐごとき多聞をもって、虚ろな舟に乗って独り遠くへと向かう。

そこで轘轅の地にて、まず銅の腹を誇る者を打ち破り、并絡の郷にて、すぐさま浮杯の不思議を示した。遠近の人々が敬い引き寄せられ、語って言うには、「昔、荀氏に八龍ありと聞いたが、今、陳門に双驥を見る」と。汝や潁の地には奇士が多い、まことにこの言葉の通りである。

法師自幼迄長,遊心玄理。名流先達,部執交馳,趨末忘本,摭華捐實,遂有南北異學,是非紛糾。永言于此,良用憮然。或恐傳譯踳駁,未能筌究,欲窮香象之文,將罄龍宮之目。以絕倫之德,屬會昌之期,杖錫拂衣,第如遐境。于是背玄㶚而延望,指葱山而矯迹。川陸綿長,備甞艱險。陋博望之非遠,嗤法顯之為局。遊踐之處,畢究方言,鐫求幽賾,妙窮津會。于是詞發雌黃,飛英天竺;文傳貝葉,聿歸振旦。

法師は幼い頃から成長するまで、玄妙な真理を心に遊ばせました。名高い学者や先達たちは宗派ごとに競い合い、末端に走って本質を忘れ、飾りを拾い集めて実質を捨て去ったため、南北で異なる学説が生まれ、正誤が入り乱れていました。これを思い、まことに嘆き悲しまれました。あるいは経典の翻訳に誤りがあり、その真意を捕らえ切れていないのではないかと憂い、優れた経典の文章を究め、龍宮の教えのすべてを明らかにしようと志されました。卓越した徳をもちながら、会昌の時代に遭い、杖と衣を携えて、遠い地へと旅立ちました。そこで玄灞を背に遠くを見渡し、葱山を指して足跡を印しました。道のりは長く、辛苦を味わい尽くされました。博望侯の旅も遠く及ばず、法顕の限界を嗤われるほどでした。足を踏み入れた地々では方言をことごとく究め、隠された深義を掘り起こし、その真髄を見事に会得されました。そこで言葉は練り上げられ、その名声は天竺にまで響き渡りました。経典は貝葉に記され、ついに大唐へともたらされたのです。

太宗文皇帝金輪纂御,寶位居尊。載佇風徽,召見青蒲之上;廼睠通識,前膝黃屋之間。手詔綢繆,中使繼路。俯摛睿思,乃製《三藏聖教序》,凡七百八十言。今上昔在春闈,裁《述聖記》,凡五百七十九言。啟玄妙之津,書揄揚之旨。蓋非道映鷄林,譽光鷲嶽,豈能緬降神藻,以旌時秀。奉 詔翻譯梵本,凡六百五十七部。具覽遐方異俗,絕壤殊風,土著之宜,人備之序,正朔所暨,聲教所單,著《大唐西域記》,勒成一十二卷。編錄典奧,綜覈明審,立言不朽,其在茲焉。

太宗文皇帝が金輪の位に坐し、宝座の尊きに居られました。風雅の美(優れた徳)を尊び、嘗て青蒲の上に召し出され、広い見識を愛され、黄屋にて膝を前に進めて接されました。自ら細やかな詔(みことのり)を下され、中使(使者)が道に連なりました。やがて叡智の想いを巡らせ、『三蔵聖教序』を撰されました。その文、凡そ七百八十言でございます。

今上(当時の皇帝)は昔、春宮(東宮)におられた頃、『述聖記』を編まれました。その文、凡そ五百七十九言でございます。玄妙(深遠なる真理)の道を開き、称賛の趣旨を表されました。そもそも、かの道が鷄林(インド)に輝き、その誉れが鷲嶽(霊山)に光を放っていなければ、どうして神々しい筆の働きを下され、当時の優れた才を顕彰されることがありましょうか。

ご詔勅を奉じて梵本の翻訳が行われ、凡そ六百五十七部にのぼりました。また、遠方の異なる風俗、果ての国々の異なる習わし、その土地に適した暮らし、人々の備える秩序、正朔(暦法)の及ぶところ、声教(教化)の届くところを広く観覧し、『大唐西域記』を著し、一十二巻にまとめ上げられました。この書に奥深い教えを編録し、綿密に考察し明らかに審らかにされており、言葉を不朽のものとするという偉業は、まさにここにあります。

大唐西域記卷第一(三十四國)

大唐西域記 巻第一(三十四国)

三藏法師玄奘奉 詔譯

三蔵法師玄奘奉詔訳

大總持寺沙門辯機撰

大総持寺沙門・弁機撰


序
三十四國

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