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増壱阿含経 (增壹阿含經)

「增壹阿含經」について

東晋 · 底本の訳者:瞿曇僧伽提婆

36.8 万字 · 約 1226 分

増一阿含経は、仏教の重要な経典の一つです。東晋時代の訳経僧、瞿曇僧伽提婆によって漢訳されました。この経典は初期仏教の阿含部に属し、教えを一から十へと数字を増やしながら段階的に説き明かす形で編まれています。四諦、八正道、因果と業といった核心的な思想を網羅し、仏陀の説法、弟子たちとの問答、修行の指導を含む、体系的な内容となっています。原始仏教を研究する上で重要な文献であり、漢伝仏教の根本経典の一つとして、歴史上高い位置を占めています。後世の禅修行や教理研究に重要な基盤を与え、東アジアの仏教発展に深い影響を及ぼしました。


序品第一

序品第一

自歸能仁第七仙, 演說賢聖無上軌;
永在生死長流河, 世尊今為度𪏭庶。
尊長迦葉及眾僧, 賢哲阿難無量聞;
善逝泥曰供舍利, 從拘夷國至摩竭。
迦葉端思行四等, 此眾生類墜五道;
正覺演道今去世, 憶尊巧訓懷悲泣。
迦葉思惟正法本, 云何流布久在世?
最尊種種吐言教, 總持懷抱不漏失。
誰有此力集眾法, 在在處處因緣本?
今此眾中智慧士, 阿難賢善無量聞。
即擊揵椎集四部, 比丘八萬四千眾,
盡得羅漢心解脫, 以脫縛著處福田。
迦葉哀愍於世故, 加憶尊恩過去報;
世尊授法付阿難, 願布演法長存世。
云何次第不失緒? 三阿僧祇集法寶,
使後四部得聞法, 已聞便得離眾苦。
阿難便辭吾不堪, 諸法甚深若干種,
豈敢分別如來教, 佛法功德無量智!
今尊迦葉能堪任, 世雄以法付耆舊;
大迦葉今為眾人, 如來在世請半坐。
迦葉報言雖有是, 年衰朽老多忘失,
汝今總持智慧業, 能使法本恒在世。
我今有三清淨眼, 亦復能知他心智,
一切眾生種種類, 無有能勝尊阿難。
梵天下降及帝釋, 護世四王及諸天,
彌勒兜術尋來集, 菩薩數億不可計。
彌勒梵釋及四王, 皆悉叉手而啟白:
一切諸法佛所印, 阿難是我法之器。
若使不欲法存者, 便為壞敗如來教;
願存本要為眾生, 得濟危厄度眾難!
釋師出世壽極短, 肉體雖逝法身在;
當令法本不斷絕, 阿難勿辭時說法!
迦葉最尊及聖眾, 彌勒梵釋及四王,
哀請阿難時發言, 使如來教不滅盡。
阿難仁和四等具, 意轉入微師子吼,
顧眄四部瞻虛空, 悲泣揮淚不自勝。
便奮光明和顏色, 普照眾生如日初;
彌勒覩光及釋梵, 收捨遲聞無上法。
四部寂靜專一心, 欲得聞法意不亂;
尊長迦葉及聖眾, 直視覩顏目不眴。
時阿難說經無量, 誰能備具為一聚?
我今當為作三分, 造立十經為一偈。
契經一分律二分, 阿毘曇經復三分;
過去三佛皆三分: 契經、律、法為三藏。
契經今當分四段, 次名增一、二名中,
三名曰長多瓔珞, 雜經在後為四分。
尊者阿難作是念: 如來法身不敗壞,
永存於世不斷絕, 天人得聞成道果。
或有一法義亦深, 難持難誦不可憶;
我今當集一法義, 一一相從不失緒。
亦有二法還就二, 三法就三如連珠,
四法就四五亦然, 五法次六六次七,
八法義廣九次第, 十法從十至十一;
如是法寶終不忘, 亦恒處世久存在,
於大眾中集此法, 即時阿難昇乎座;
彌勒稱善快哉說, 諸法義合宜配之。
更有諸法宜分部, 世尊所說各各異;
菩薩發意趣大乘, 如來說此種種別。
人尊說六度無極: 布施、持戒、忍、精進、
禪、智慧力如月初, 逮度無極覩諸法。
諸有勇猛施頭目, 身體血肉無所惜,
妻妾國財及男女, 此名檀度不應棄。
戒度無極如金剛, 不毀不犯無漏失,
持心護戒如坏瓶, 此名戒度不應棄。
或有人來截手足, 不起瞋恚忍力強,
如海含容無增減, 此名忍度不應棄。
諸有造作善惡行, 身口意三無厭足,
妨人諸行不至道, 此名進度不應棄。
諸有坐禪出入息, 心意堅固無亂念,
正使地動身不傾, 此名禪度不應棄。
以智慧力知塵數, 劫數兆載不可稱,
書䟽業聚意不亂, 此名智度不應棄。
諸法甚深論空理, 難明難了不可觀,
將來後進懷狐疑, 此菩薩德不應棄。
阿難自陳有是念: 菩薩之行愚不信,
除諸羅漢信解脫, 爾乃有信無猶豫。
四部之眾發道意, 及諸一切眾生類;
彼有牢信不狐疑, 集此諸法為一分。
彌勒稱善快哉說, 發趣大乘意甚廣;
或有諸法斷結使, 或有諸法成道果。
阿難說曰此云何? 我見如來演此法,
亦有不從如來聞, 此法豈非當有疑?
設我言見此義非, 於將來眾便有虛;
今稱諸經聞如是, 佛處所在城國土,
波羅捺國初說法, 摩竭國降三迦葉;
釋翅、拘薩、迦尸國, 瞻波、句留、毘舍離。
天宮、龍宮、阿須倫, 乾沓和等拘尸城;
正使不得說經處, 當稱原本在舍衛。
吾所從聞一時事, 佛在舍衛及弟子,
祇桓精舍修善業, 孤獨長者所施園。
時佛在中告比丘: 當修一法專一心,
思惟一法無放逸。 云何一法?謂念佛,
法念、僧念及戒念, 施念去相次天念,
息念、安般及身念, 死念除亂謂十念。
此名十念更有十, 次後當稱尊弟子;
初化拘隣真佛子, 最後小者名須拔。
以此方便了一法, 二從二法三從三,
四五六七八九十, 十一之法無不了。
從一增一至諸法, 義豐慧廣不可盡;
一一契經義亦深, 是故名曰增壹含。
今尋一法難明了, 難持難曉不可明;
比丘自稱功德業, 今當稱之尊第一。
猶如陶家所造器, 隨意所作無狐疑;
如是阿含增一法, 三乘教化無差別。
佛經微妙極甚深, 能除結使如流河;
然此增一最在上, 能淨三眼除三垢。
其有專心持增一, 便為總持如來藏;
正使今身不盡結, 後生便得高才智。
若有書寫經卷者, 繒綵花蓋持供養,
此福無量不可計, 以此法寶難遇故。
說此語時地大動, 雨天華香至于膝,
諸天在空歎善哉! 上尊所說盡順宜。
契經一藏律二藏, 阿毘曇經為三藏;
方等大乘義玄邃, 及諸契經為雜藏。
安處佛語終不異, 因緣本末皆隨順;
彌勒諸天皆稱善, 釋迦文經得久存。
彌勒尋起手執華, 歡喜持用散阿難;
此經真實如來說, 使阿難尋道果成。

第七の仙・能仁に自ら帰依し、 賢聖の無上の軌則を説き明かす。 生死の長き流れの河に永くありしが、 世尊は今、衆生を度すために現れた。

尊き長老カッサパと僧伽の衆、 賢哲アーナンダは無量の聞持力あり。 善逝の涅槃と舎利の供養の後、 拘夷国より摩竭陀国へと至る。

カッサパは端坐して四無量心を行じ、 この衆生類が五趣に墜つるを思う。 正覚者は道を演べ今世を去り、 尊き巧みな訓戒を憶い悲泣を懐く。

カッサパは正法の根本を思惟す、 いかにして流布し久しく世に在らんか。 最も尊き種々の言葉の教えを、 総持として抱き漏れ失わず。

誰かこの力ありて衆法を集め、 在在処処の因縁の本を明らかにせん。 今この衆中に智慧の士あり、 アーナンダは賢善にして無量の聞持力あり。

即ち揵椎を撃ちて四部衆を集め、 比丘八万四千の衆、 ことごとく阿羅漢の心解脱を得て、 縛著の処を脱し福田に処す。

カッサパは世を哀愍する故に、 尊き恩を憶い過去の報いに加えんとす。 世尊は法を授けアーナンダに付し、 願わくは法を布演して長く世に存せしめん。

いかにして次第を失わず緒を継がんか。 三阿僧祇劫に集めし法の宝を、 後の四部衆に法を聞かしめ、 聞きてすなわち衆苦を離れしめん。

アーナンダはすなわち辞して曰く、われ堪えず。 諸法は甚深にして種々あり、 あえて如来の教えを分別せんや。 仏法の功徳は無量の智慧なり。

今、尊きカッサパこそ能く堪え任す。 世の雄は法を耆旧に付す。 大カッサパは今、衆人のために、 如来在世の時、半座を請うたる者なり。

カッサパ答えて言う、かくの如しといえども、 年老いて朽ち、多く忘失す。 汝は今、総持の智慧の業ありて、 法の本を恒に世に在らしむることを能くす。

われ今、三種の清浄眼あり、 また他心を知る智もあり。 一切衆生の種々の類の中、 尊きアーナンダに勝る者なし。

梵天降下し及び帝釈、 護世の四王及び諸天、 弥勒は兜率天より尋ね来たり集い、 菩薩の数は億計すべからず。

弥勒、梵釈及び四王、 皆悉く叉手して啓白す。 一切の諸法は仏の印する所、 アーナンダは我が法の器なり。

もし法の存することを欲せざれば、 すなわち如来の教えを壊敗するに便り。 願わくは本要を存して衆生のため、 危厄を済度し衆難を度せしめん。

釈師の出世は寿極めて短く、 肉体は逝くとも法身は在り。 まさに法の本を断絶せしめず、 アーナンダよ、辞することなかれ、時に法を説け。

カッサパの最尊及び聖衆、 弥勒、梵釈及び四王、 哀れみてアーナンダに請う、時に発言せよ、 如来の教えの滅尽せざらんことを。

アーナンダは仁和にして四等を具え、 意は微に入り師子吼を転ず。 顧みて四部衆を眄し虚空を瞻り、 悲泣して涙を揮い自ら勝えず。

すなわち光明を奮い顔色を和らげ、 普く衆生を照らすこと日の初めの如し。 弥勒は光を覩し及び釈梵、 遅聞を収捨して無上の法を聞く。

四部衆は寂静にして専ら一心、 法を聞かんと欲して意乱れず。 尊き長老カッサパ及び聖衆、 直に視て顔を覩し目を眴めず。

時にアーナンダは経を説くこと無量、 誰か能く備え具えて一聚と為さん。 われ今まさに三分を作らんとす、 十経を造立して一偈と為す。

契経は一分、律は二分、 阿毘曇経はまた三分。 過去の三仏も皆三分せり。 契経、律、法、これ三蔵なり。

契経は今まさに四段に分つべし、 次に名づけて増一、二は中と名づけ、 三は長と曰い多く瓔珞の如く、 雑経は後に在りて四分と為す。

尊者アーナンダは是の念いを作す。 如来の法身は壊れず、 永く世に存して断絶せず、 天人は聞きて道果を成ぜん。

或いは一法ありて義もまた深く、 持ち難く誦し難く憶うべからず。 われ今まさに一法の義を集めん、 一一相従いて緒を失わず。

また二法ありてすなわち二に就き、 三法は三に就くこと連珠の如く、 四法は四に就き五もまた然り、 五法は次に六、六は次に七、 八法は義広く九は次第に、 十法は十より十一に至る。 かくの如き法の宝は終に忘れず、 また恒に世に処して久しく存在す。 大衆の中にこの法を集め、 即時にアーナンダは座に昇る。 弥勒は善しと称え快哉と説く、 諸法の義は合わせ配するに宜し。

さらに諸法ありて分部すべく、 世尊の説きたまう所は各々異なり。 菩薩は発意して大乗に趣く、 如来はこの種々の別を説きたまう。

人尊は六度無極を説く。 布施、持戒、忍辱、精進、 禅定、智慧の力は月の初めの如く、 無極に逮度して諸法を覩る。

諸の勇猛なる者は頭目を施し、 身体血肉を惜しむことなし。 妻妾国財及び男女、 これ名づけて檀度、棄つべからず。

戒度無極は金剛の如く、 毀らず犯さず漏失なし。 心を護り戒を保つことは坏瓶の如く、 これ名づけて戒度、棄つべからず。

或いは人来たりて手足を截るとも、 瞋恚を起こさず忍力強し。 海の如く含容して増減なし、 これ名づけて忍度、棄つべからず。

諸の善悪の行いを造作するも、 身口意の三つに厭足なし。 人の諸行を妨げて道に至らず、 これ名づけて進度、棄つべからず。

諸の坐禅出入息するも、 心意堅固にして乱念なし。 正使地動くも身傾かず、 これ名づけて禅度、棄つべからず。

智慧の力をもって塵数を知り、 劫数兆載は称すべからず。 書疏の業聚も意乱れず、 これ名づけて智度、棄つべからず。

諸法は甚深にして空理を論じ、 明かし難く了し難く観ずべからず。 将来の後進は狐疑を懐く、 この菩薩の徳は棄つべからず。

アーナンダ自ら陳う、是の念いあり。 菩薩の行いは愚か者信ぜず、 諸の阿羅漢の信解脱を除きて、 爾にして信ありて猶豫なし。

四部の衆は道意を発し、 及び諸の一切の衆生類。 彼らに牢なる信ありて狐疑せず、 この諸法を集めて一分と為す。

弥勒は善しと称え快哉と説く、 大乗に発趣する意は甚だ広し。 或いは諸法ありて結使を断ち、 或いは諸法ありて道果を成す。

アーナンダ説いて曰く、これは云何。 われ如来のこの法を演ずるを見たり。 また如来より聞かざるものもあり、 この法は豈に疑いあるべからざらんや。

もしわれ見たりと言えばこの義に非ず、 将来の衆に対して虚妄あり。 今、諸経に称えて「聞くこと是の如し」と。 仏の処する所の城邑国土、 波羅捺国に初めて法を説き、 摩竭陀国にて三迦葉を降す。 釈翅、拘薩、迦尸国、 瞻波、句留、毘舎離。 天宮、龍宮、阿須倫、 乾沓和等、拘尸城。 正使に経を説く処を得ずとも、 当に原本を称えて舎衛国に在りとす。

われの聞く所に従う一時の事、 仏は舎衛国に在して及び弟子、 祇桓精舎に善業を修め、 孤独長者の施す所の園。 時に仏は其中に在りて比丘に告ぐ。 まさに一法を修めて専ら一心に、 一法を思惟して放逸することなかれ。 云何が一法。謂く、仏を念じ、 法を念じ、僧を念じ及び戒を念じ、 施を念じ、相を去りて次に天を念じ、 息を念じ、安般及び身を念じ、 死を念じ、乱を除く、十念と謂う。 これ名づけて十念、さらに十あり、 次後に当に尊弟子を称すべし。 初めに化す拘隣は真の仏子、 最後の小なる者は名づけて須抜。 この方便をもって一法を了す。 二は二法より、三は三より、 四五六七八九十、 十一の法も了せざるなし。 一より増一して諸法に至るまで、 義豊かに慧広くして尽くすべからず。 一一の契経の義もまた深し、 是の故に名づけて増壹含と曰う。

今、一法を尋ぬるも明らかにし難く、 持ち難く曉し難く明らかにすべからず。 比丘は自ら功徳の業を称す、 今まさにこれを称して尊き第一とす。 陶家の造る所の器の如く、 意のままに作して狐疑なし。 かくの如き阿含の増一法、 三乗の教化に差別なし。

仏経は微妙にして極めて甚深、 能く結使を除くこと流河の如し。 然るにこの増一は最も上に在り、 能く三眼を浄め三垢を除く。 その専心に増一を持つ者は、 すなわち総持として如来の蔵と為る。 正使に今身に結を尽くさずとも、 後生に便ち高き才智を得ん。 もし書きて経巻を作る者あれば、 繒綵の花蓋を持ちて供養せん。 この福は無量にして計るべからず、 この法の宝、遇い難きが故に。

この語を説く時、地大いに動き、 天より華香を雨らして膝に至る。 諸天は空中に在りて善哉と歎ず。 上尊の説く所は尽く順宜なり。

契経一蔵、律二蔵、 阿毘曇経は三蔵と為す。 方等大乗の義は玄邃にして、 及び諸の契経は雑蔵と為す。 仏語を安処して終に異ならず、 因縁本末皆随順す。 弥勒諸天皆善しと称え、 釈迦文の経は久しく存すことを得ん。

弥勒は尋ね起ちて手に華を執り、 歓喜して持ちてアーナンダに散ず。 この経は真実、如来の説きたまう所、 アーナンダをして尋ねて道果を成ぜしむ。

是時,尊者阿難及梵天將諸梵迦夷天,皆來會集;化自在天將諸營從,皆來會聚;他化自在天將諸營從,皆悉來會;兜術天王將諸天之眾,皆來會聚;豔天將諸營從,悉來會聚;釋提桓因將諸三十三天眾,悉來集會;提頭賴吒天王將乾沓和等,悉來會聚;毘留勒叉天王將諸厭鬼,悉來會聚;毘留跛叉天王將諸龍眾,悉來會聚;毘沙門天王將閱叉、羅剎眾,悉來會聚。

その時、尊者アーナンダと梵天は、多くの梵迦夷天を率いて集まりに来た。化自在天は多くの従者を連れて集まりに来た。他化自在天も多くの従者を連れて集まりに来た。兜術天王は多くの天の衆を率いて集まりに来た。豔天も多くの従者を連れて集まりに来た。帝釈天は三十三天の衆を率いて集まりに来た。持国天は乾闥婆などを率いて集まりに来た。増長天は多くの夜叉を率いて集まりに来た。広目天は多くの龍を率いて集まりに来た。多聞天は夜叉や羅刹の衆を率いて集まりに来た。

是時,彌勒大士告賢劫中諸菩薩等:「卿等勸勵諸族姓子、族姓女,諷誦受持增一尊法,廣演流布,使天、人奉行。」

その時、弥勒菩薩は賢劫の諸菩薩たちに告げられました。 「皆さん、あらゆる善男善女たちを励まし、増一阿含の尊い教えを読誦し、受け持ち、広く説き広めなさい。 天界の人々も人間も、共にこの教えを実践するように導きなさい。」

說是語時,諸天、世人、乾沓和、阿須倫、伽留羅、摩睺勒、甄陀羅等,各各白言:「我等盡共擁護是善男子、善女人,諷誦受持增一尊法,廣演流布,終不中絕。」

この言葉が語られた時、諸天、世人、乾沓和、阿須倫、伽留羅、摩睺勒、甄陀羅など、それぞれが声を揃えて言いました。 「私たちは皆、この善男子、善女人を守り支えます。 彼らが増一尊法を読み、受け入れ、広く説き広め、決して途絶えることのないよう、共に支えていきましょう。」

時,尊者阿難告優多羅曰:「我今以此增一阿含囑累於汝,善諷誦讀,莫令漏減,所以者何?其有輕慢此尊經者,便為墮落為凡夫行。何以故?此,優多羅,增一阿含,出三十七道品之教,及諸法皆由此生。」

その時、尊者アーナンダはウッタラに告げました。 「私は今、この『増一阿含経』をあなたに託します。 よく読み誦し、欠けることのないようにしなさい。 なぜなら、この尊い経典を軽んじる者は、 凡夫の行いに堕ちてしまうからです。 どうしてでしょうか、ウッタラよ、 この『増一阿含経』は三十七道品の教えを説き出し、 あらゆる法は皆ここから生じるのですから。」

時,大迦葉問阿難曰:「云何,阿難!增一阿含乃能出生三十七道品之教,及諸法皆由此生?」

時、大迦葉が阿難に尋ねました。「阿難よ、どうして増一阿含が三十七道品の教えを生み出し、あらゆる法がここから生じるというのですか?」

阿難報言:「如是,如是,尊者迦葉!增一阿含出生三十七品,及諸法皆由此生;且置增一阿含,一偈之中,便出生三十七品及諸法。」

阿難は答えて言いました。「その通りです、その通りです、尊者迦葉よ。増一阿含経から三十七道品が生まれ、あらゆる教えもここから生じます。増一阿含経はさておき、たった一つの偈の中からも、三十七道品とあらゆる教えが生まれるのです。」

迦葉問言:「何等偈中出生三十七品及諸法?」

迦葉が尋ねた。「どのような偈(詩句)の中から、三十七品(悟りへの三十七の修行法)や、あらゆる教えが生まれてくるのですか?」

時,尊者阿難便說此偈:

その時、尊者のアーナンダは次の偈(うた)を詠んだ。

「諸惡莫作, 諸善奉行, 自淨其意,
是諸佛教。

あらゆる悪を行わず、 あらゆる善を行い、 自らの心を清らかにする、 これが諸仏の教えである。

「所以然者,諸惡莫作,是諸法本,便出生一切善法;以生善法,心意清淨。是故,迦葉!諸佛世尊身、口、意行,常修清淨。」

「なぜならば、諸々の悪しき行いをしないということが、すべての教えの根本であり、そこからすべての善い行いが生まれるからです。善い行いが生まれることで、心は清らかになります。それゆえに、迦葉よ、諸仏・世尊の身・口・意の行いは、常に清らかに保たれているのです。」

迦葉問曰:「云何,阿難!增壹阿含獨出生三十七品及諸法,餘四阿含亦復出生乎?」

迦葉が尋ねた。「阿難よ、どのようにお考えですか。増一阿含には三十七品(三十七の修行の道)や様々の法が独自に現れ出でたのでしょうか。それとも、他の四つの阿含(経典群)にもまた同じように現れ出でるのでしょうか。」

阿難報言:「且置。迦葉!四阿含義,一偈之中,盡具足諸佛之教,及辟支佛、聲聞之教。所以然者,諸惡莫作,戒具之禁;清白之行,諸善奉行;心意清淨,自淨其意;除邪顛倒,是諸佛教,去愚惑想。云何,迦葉!戒清淨者,意豈不淨乎?意清淨者,則不顛倒;以無顛倒,愚惑想滅,諸三十七道品果便得成就。以成道果,豈非諸法乎?」

阿難は答えました。「迦葉よ、少しお聞きください。四阿含の教えのすべては、たった一つの偈の中に尽くされているのです。それは、辟支仏や声聞の教えもすべて含んでいます。なぜならば、『諸悪莫作(あらゆる悪を行わないこと)』というのは戒律を完全に守ることです。『衆善奉行(あらゆる善を行うこと)』というのは清らかな行いです。『自浄其意(自ら心を清めること)』というのは心を清らかに保つことです。そして『是諸仏教(これが諸仏の教えである)』というのは、邪見や妄想を除くことです。

どう思われますか、迦葉よ。戒律が清らかであれば、心も清らかではないでしょうか。心が清らかであれば、顛倒(誤った見方)はありません。顛倒がなければ、愚かな妄想は消え去り、三十七道品の果報はすべて成就します。道の果報が成就するならば、それはすべての諸法を具えていることにはなりませんか。」

迦葉問曰:「云何,阿難!以此增一付授優多羅,不囑累餘比丘一切諸法乎?」

迦葉が寻ねて言った。「阿難よ、なぜあなたはこの増一の経典を優多羅に付嘱し、他の比丘たちにすべての法を任せなかったのか?」

阿難報言:「增一阿含則是諸法,諸法則是增一阿含,一無有二。」

阿難は答えた。「増一阿含とは、すなわちすべての真理そのものです。すべての真理とは、すなわち増一阿含のことです。二つではなく、一つなのです。」

迦葉問曰:「以何等故,以此增一阿含囑累優多羅,不囑累餘比丘乎?」
阿難報曰:「迦葉當知,昔者九十一劫,毘婆尸如來、至真、等正覺出現於世。爾時,此優多羅比丘名曰伊俱優多羅,爾時彼佛以增一之法囑累此人,使諷誦讀。自此以後三十一劫,次復有佛名式詰如來、至真、等正覺。爾時,此優多羅比丘名目伽優多羅。式詰如來復以此法囑累其人,使諷誦讀。即彼三十一劫中,毘舍婆如來、至真、等正覺,復出於世。爾時,此優多羅比丘名龍優多羅,復以此法囑累其人,使諷誦讀。

阿難は答えました。「迦葉よ、知っておいてください。遠い昔、九十一劫の昔に、毘婆尸如来、至真、等正覚がこの世に現れました。その時、この優多羅比丘はイグ優多羅という名前でした。その仏は増一の法をこの人に託し、読誦させました。それから三十一劫の後、次に式詰如来、至真、等正覚という仏が現れました。その時、この優多羅比丘は目伽優多羅という名前でした。式詰如来もまたこの法をこの人に託し、読誦させました。同じ三十一劫の中で、毘舍婆如来、至真、等正覚もまた世に現れました。その時、この優多羅比丘は龍優多羅という名前で、再びこの法をこの人に託し、読誦させたのです。」

「迦葉當知,此賢劫中有拘留孫如來、至真、等正覺,出現於世。爾時,優多羅比丘名雷電優多羅,復以此法囑累其人,使諷誦讀。此賢劫中次復有佛,名拘那含如來、至真、等正覺,出現於世。爾時,優多羅比丘名天優多羅,復以此法囑累其人,使諷誦讀。此賢劫中次復有佛,名迦葉如來、至真、等正覺,出現於世。爾時,優多羅比丘名梵優多羅,復以此法囑累其人,使諷誦讀。

迦葉よ、知るがよい。この賢劫(現在の大いなる時代)の中に、拘留孫如来、至真、等正覚(完全に悟りを開かれた尊い方)が世に現れた。その時、優多羅という比丘がいて、名は雷電優多羅といった。その者にこの教えを託し、心して読み、唱え、学ぶよう伝えたのである。 この賢劫において、次にまた仏が現れた。その名は拘那含如来、至真、等正覚。その時、優多羅という比丘がいて、名は天優多羅といった。その者にこの教えを託し、読み、唱え、学ぶよう命じた。 この賢劫において、さらに次に仏が現れた。その名は迦葉如来、至真、等正覚。その時、優多羅という比丘がいて、名は梵優多羅といった。その者にもまた、この教えを託し、読み、唱え、学ぶよう伝えたのである。

「迦葉當知,今釋迦文如來、至真、等正覺,出現於世。今此比丘名優多羅,釋迦文佛雖般涅槃,比丘阿難猶存於世。世尊以法盡以囑累我,我今復以此法授與優多羅。所以者何?當觀其器,察知原本,然後授法。何以故?過去時於此賢劫中,拘留孫如來、至真、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師,號佛、眾祐,出現於世。爾時,有王名摩訶提婆,以法治化,未曾阿曲,壽命極長,端正無雙,世之希有,八萬四千歲中於童子身而自遊戲,八萬四千歲中以太子身以法治化,八萬四千歲中復以王法治化天下。

迦葉よ、知るがよい。今、釈迦牟尼如来・至真・等正覚がこの世に現れたまわれた。今この比丘は優多羅という名である。釈迦文仏はすでに般涅槃に入られたが、比丘の阿難はなおこの世に生きておられる。世尊は法のすべてをわたしに嘱託された。わたしは今、この法を優多羅に授け渡すのである。なぜそうするのかというと、その者の器量を見きわめ、その素姓を察知してから、法を授けるべきだからである。なぜならば、過去のこの賢劫において、拘留孫如来・至真・等正覚・明行成就・善逝・世間解・無上士・道法御・天人師、号して仏・衆祐という方がこの世に出現された。そのとき、摩訶提婆という名の王があり、正しい法によって国を治め、いささかも曲がったところがなかった。寿命はきわめて長く、姿は端正で並ぶ者がなく、世にも稀な方であった。八万四千歳の間は童子の身のままで遊び戯れ、八万四千歳の間は太子の身として正しい法で治め、八万四千歳の間はまた王の法をもって天下を治められた。

「迦葉當知,爾時世尊遊甘梨園中,食後如昔常法中庭經行,我及侍者,爾時世尊便笑,口出五色光。我見已,前長跪白世尊曰:『佛不妄笑,願聞本末。如來、至真、等正覺,終不妄笑。』爾時,迦葉!佛告我言:『過去世時於此賢劫中,有如來名拘留孫至真、等正覺,出現於世,復於此處為諸弟子而廣說法。復次,於此賢劫中,復有拘那含如來、至真、等正覺,出現於世,爾時彼佛亦於此處而廣說法。次復,此賢劫中迦葉如來、至真、等正覺,出現於世,迦葉如來亦於此處而廣說法。』

迦葉よ、知るがよい。その時、世尊は甘梨園に遊び、食事の後、いつものように中庭を経行しておられた。私と侍者がいた時、世尊は微笑まれ、口から五色の光を放たれた。私はそれを見て、前に進みひざまずいて世尊に申し上げた。「仏は意味もなく笑われることはありません。どうかその因縁をお聞かせください。如来、至真、等正覚は、決して無意味に笑われることはありません。」その時、迦葉よ、仏は私に告げられた。「過去の世、この賢劫の中で、拘留孫如来、至真、等正覚という如来が世に現れ、この場所で弟子たちのために広く説法された。また、この賢劫の中で、拘那含如来、至真、等正覚が世に現れ、その仏もまたこの場所で広く説法された。さらに、この賢劫の中で、迦葉如来、至真、等正覚が世に現れ、迦葉如来もまたこの場所で広く説法されたのである。」

「爾時,迦葉!我於佛前長跪白佛言:『願令後釋迦文佛亦於此處,與諸弟子具足說法,此處便為四如來金剛之座,恒不斷絕。』

その時、迦葉よ、私は仏の前にひざまずいて、こう申し上げました。「どうか、後の釈迦牟尼仏もこの場所で、弟子たちとともに十分に説法してくださいますように。この場所が四人の如来の金剛の座となり、絶えることなく続きますように。」と。

「爾時,迦葉!釋迦文佛於彼坐,便告我言:『阿難!昔者此坐,賢劫之中有王出世,名摩訶提婆。乃至八萬四千歲以王法教化,訓之以德,經歷年歲,便告劫比言:「若見我首有白髮者,便時告吾。」爾時,彼人聞王教令,復經數年,見王首上有白髮生,便前長跪白大王曰:「大王當知,首上已生白髮。」時王告彼人言:「捉取金鑷,拔吾白髮,著吾手中。」爾時,彼人受王教令,便執金鑷,前拔白髮。

その時、迦葉よ、釈迦文仏はその座において、私にこう告げられた。「阿難よ、昔、この座において、賢劫の時代に一人の王が世に現れた。その名を摩訶提婆といった。その王は八万四千歳の間、王法によって民を教化し、徳をもって導いた。年月が過ぎると、王は侍者にこう命じた。『もし私の頭に白髪を見つけたならば、すぐに私に知らせなさい。』その時、侍者は王の命令を聞き、さらに数年が過ぎて、王の頭に白髪が生じているのを見ると、前に進み出でてひざまずき、大王に申し上げた。『大王よ、ご存じのとおり、頭にすでに白髪が生じました。』その時、王は侍者にこう言った。『金の鑷子を取り、私の白髪を抜いて、私の手の上に置きなさい。』その時、侍者は王の命令に従い、金の鑷子を手に取り、前に進み出でて白髪を抜いた。」

「『爾時,大王見白髮已,便說此偈:

その時、大王は白い髪を見ると、この偈を説かれた。

「『「於今我首上, 已生衰耗毛;
天使已來至, 宜當時出家。

「今、私の頭には、すでに衰えの白い毛が生えてきた。天使(死の使い)がすでに訪れたのだ。今こそ、出家すべき時である。」

「『「我今已食人中之福,宜當自勉昇天之德,剃除鬚髮,著三法衣,以信堅固,出家學道,離於眾苦。」

「私はすでに人としての幸せを味わいました。今こそ自らを励まし、天に生まれ変わるような善い行いを積むべきです。髪やひげを剃り、三道の衣をまとい、確かな信心をもって出家し、道を学び、あらゆる苦しみから離れましょう。」

「『爾時,王摩訶提婆便告第一太子,名曰長壽:「卿今知不?吾首已生白髮,意欲剃除鬚髮,著三法衣,以信堅固,出家學道,離於眾苦。汝紹吾位,以法治化,勿令有失,違吾言教,造凡夫行。所以然者,若有斯人,違吾言者,便為凡夫之行。凡夫者,長處三塗、八難之中。」爾時,王摩訶提婆以王之位授太子已,復以財寶賜與劫比,便於彼處剃除鬚髮,著三法衣,以信堅固,出家學道,離於眾苦。於八萬四千歲善修梵行,行四等心,慈、悲、喜、護,身逝命終,生梵天上。

その時、王マハーデーヴァは第一の太子である長寿に告げて言った、「そなたは知っているか。我が頭にはすでに白髪が生じた。私は髪と髭を剃り、三法衣をまとい、確固たる信念をもって出家して道を学び、さまざまな苦しみから離れようと思う。そなたは我が位を継ぎ、法によって国を治めよ。過ちがあってはならず、我が教えに背いて凡夫の行いをしてはならない。なぜなら、もし我が言葉に背く者がいれば、それは凡夫の行いとなるからだ。凡夫は長く三塗(地獄・餓鬼・畜生)と八難の中に留まるのである。」その時、王マハーデーヴァは太子に王位を譲り、さらに財宝をカピに与えた。そして、その場所で髪と髭を剃り、三法衣をまとい、確固たる信念をもって出家して道を学び、さまざまな苦しみから離れた。八万四千年の間、よく梵行を修め、慈・悲・喜・捨の四等心を行じ、身が終わり命が尽きると、梵天に生まれたのである。

「『時,長壽王憶父王教,未曾暫捨。以法治化,無有阿曲,未經旬日,便復得作轉輪聖王,七寶具足。所謂七寶者,輪寶、象寶、馬寶、珠寶、玉女寶、典藏寶、典兵寶,是謂七寶。復有千子,勇猛智慧,能除眾苦,統領四方。

時に、長壽王は父王の教えを心に刻み、決して一時も忘れることはありませんでした。彼は正しい道に基づいて国を治め、少しの不正もありませんでした。十日も経たないうちに、再び転輪聖王となることができ、七つの宝をすべて備えていました。その七つの宝とは、輪宝・象宝・馬宝・珠宝・玉女宝・典蔵宝・典兵宝であり、これらを七宝といいます。また、千人の王子たちがおり、皆、勇敢で賢く、あらゆる苦しみを取り除き、四方を統治することができました。

「『時,長壽王以前王法,如上作偈:

その時、長壽王はかつての王の教えに従い、次のような偈(うた)を唱えた。

「『「敬法奉所尊, 不忘本恩報;
復能崇三業, 智者之所貴!」』

「戒律を敬い、尊ぶべき師を大切にし、 根本の恩を忘れず、その報いを果たす。 さらに身・口・意の三つの行いを清らかに保つ—— これを賢者は最も尊いこととする。」

「我觀此義已,以此增一阿含授與優多羅比丘。何以故?一切諸法皆有所由。」

私はこの意味を観じたのち、この『増一阿含経』を優多羅比丘に伝授した。それはなぜか。すべての法には、それぞれに由来する理由があるからである。

時,尊者阿難告優多羅曰:「汝前作轉輪聖王時,不失王教,今復以此法而相囑累,不失正教,莫作凡夫之行。汝今當知,若有違失如來善教者,便墮凡夫地中。何以故?時,王摩訶提婆不得至竟解脫之地,未得解脫至安隱處;雖受梵天福報,猶不至究竟;如來善業,乃名究竟安隱之處,快樂無極,天、人所敬,必得涅槃。以是之故,優多羅!當奉持此法,諷誦讀念:莫令缺漏。」

時に、尊者アーナンダは優多羅に告げて言われた。「そなたが昔、転輪聖王であった時、王の教えを失わなかった。今またこの法をそなたに託して付与する。正しい教えを失わず、凡夫の行いをするな。そなたは今、知るべきである。もし如来の善き教えに背き失う者があれば、凡夫の境地に堕ちるであろう。なぜならば、王マハーデーヴァは究極の解脱の地に至ることができず、安らかなる所への解脱を得なかったからである。梵天の福報を受けたといえども、なお究竟には至らなかった。如来の善き業こそ、名づけて究竟の安らかなる所とし、楽しみは限りなく、天・人の敬う所となり、必ず涅槃を得る。このゆえに、優多羅よ、この法を受持し、諷誦し、読誦し、念じなさい。欠け漏れあらしめるな。」

爾時,阿難便說偈曰:

その時、阿難は偈(うた)をもってこう述べた。

「於法當念故, 如來由是生;
法興成正覺, 辟支羅漢道。
法能除眾苦, 亦能成果實;
念法不離心, 今報後亦受。
若欲成佛者, 猶如釋迦文;
受持三藏法, 句逗不錯亂。
三藏雖難持, 義理不可窮;
當誦四阿含, 便斷天人徑。
阿含雖難誦, 經義不可盡;
戒律勿令失, 此是如來寶。
禁律亦難持, 阿含亦復然;
牢持阿毘曇, 便降外道術。
宣暢阿毘曇, 其義亦難持;
當誦三阿含, 不失經句逗。
契經阿毘曇, 戒律流布世;
天人得奉行, 便生安隱處。
設無契經法, 亦復無戒律;
如盲投於冥, 何時當見明?
以是囑累汝, 并及四部眾,
當持勿輕慢, 於釋迦文尼!」

法を念ずることをもってのゆえに、如来はここより生ずる。</br>法が興りて正覚を成し、辟支仏・羅漢の道に至る。</br>法はよく衆苦を除き、また果実を成就す。</br>法を念じて心を離れず、今の報いも後の報いも受く。</br>もし仏と成らんと欲するならば、ちょうど釈迦文のごとく、</br>三蔵の法を受持して、句読を錯乱せず。</br>三蔵は持ちがたくとも、義理は窮め尽くすべからず。</br>まさに四阿含を誦して、天人の道を断つべし。</br>阿含は誦しがたくとも、経の義は尽きることなし。</br>戒律を失わしめるなかれ、これは如来の宝なり。</br>禁律も持ちがたく、阿含もまた同じ。</br>かたく阿毘曇を持すれば、すなわち外道の術を降す。</br>阿毘曇を宣暢すれども、その義もまた持ちがたし。</br>まさに三阿含を誦して、経の句読を失わざれ。</br>契経・阿毘曇・戒律は世に流布し、</br>天人も奉行を得て、安穏なる処に生まれる。</br>もし契経の法なく、また戒律もなければ、</br>盲者が闇に投ぜられるがごとく、いつになって明かりを見ることができようか。</br>これをもって汝に嘱累し、また四部の衆とともに、</br>持ちて軽んじ怠ることなかれ、釈迦文尼においては。</br>

尊者阿難說是語時,天地六反震動,諸尊神天在虛空中,手執天華而散尊者阿難上,及散四部之眾。一切天、龍、鬼神、乾沓和、阿須倫、加留羅、甄陀羅、摩休勒等,皆懷歡喜而悉歎曰:「善哉!善哉!尊者阿難!上中下言,悉無不善,於法當恭敬。誠如所說,諸天、世人無不從法而得成就。若有行惡,便墮地獄、餓鬼、畜生。」

尊者阿難がこの言葉を説かれたとき、天地は六度にわたり震動しました。虚空におられる多くの神々は、天の花を手に取って尊者阿難の上に散らし、また四部の大衆の上にも散らしました。すべての天・龍・鬼神・乾沓和・阿須倫・加留羅・甄陀羅・摩休勒などは、みな歓喜の心を抱き、そろって讃嘆して言いました。「善哉、善哉、尊者阿難よ。上中下の言葉は、すべて不善なるものがありません。法に対しては恭敬の心を持つべきです。まさに説かれたとおり、諸天も世人も、みな法に従うことによって成就を得るのです。もし悪を行う者があれば、その者は地獄・餓鬼・畜生に堕ちるでしょう。」

爾時,尊者阿難於四部眾中而師子吼,勸一切人,奉行此法。爾時,座上三萬天、人得法眼淨。爾時,四部之眾、諸天、世人,聞尊者所說,歡喜奉行。

その時、尊者アーナンダは四部の衆のただ中で獅子吼(師子吼)し、すべての人々にこの教えを実践するよう勧めました。その時、座にいた三万人の天と人が、清らかな法眼(真理を見る眼)を得ました。その時、四部の衆、天、世人たちは、尊者が説かれたことを聞いて、歓喜し、心から実践しました。


序
2 十念品

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