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円覚経直解 (圓覺經直解)

「圓覺經直解」について

明 · 德清解 著

3.5 万字 · 約 117 分

明代の高僧憨山徳清(かんざんとくせい)が著した『円覚経直解(えんがくきょうちょっかい)』は、仏教の重要経典『円覚経』に対する権威ある注釈である。徳清大師は晩明の四大高僧の一人であり、禅と教学に精通し、禅浄一致を主張した。同書は平易で率直な言葉をもって『円覚経』の深遠な義理を解き明かし、円覚妙心(えんがくみょうしん)、如来蔵(にょらいぞう)思想、および修行の次第に重点を置いて解説しており、明代仏教が各宗を融合させた特質を体現している。『円覚経』注釈の代表作として、同書は経文の原旨を保ちつつ、禅宗の心髄を融和させており、仏教義学史上において重要な地位を占め、今日に至るまで『円覚経』を研鑽する上での重要な参考文献である。徳清の注解は学問性と実践性を兼ね備え、大乗仏教の心性論(しんしょうろん)を理解する上で指導的意義


大方廣圓覺脩多羅了義經直解卷上

大方広円覚修多羅了義経直解 巻上

唐罽賓國沙門佛陀多羅譯
明匡山逸臾憨山釋德清解

明匡山逸臾憨山釈徳清解

明新安 程夢暘覺我較閱

明新安 程夢暘覚我校閲

此經,以單法為名,一真法界如來藏心為體,以圓照覺相為宗,以離妄證真為用,以一乘圓頓為教相。以單法為名者,論云:所言法者,謂眾生心。圓覺二字,直指一心,以為法體。此有多稱,亦名大圓滿覺,亦名妙覺明心,亦名一真法界,亦云如來藏清淨真心。楞伽云:寂滅一心,即起信所言一法界大總相法門。體稱謂雖多,總是圓覺妙心。唯此一心,乃十法界凡聖迷悟依正因果之本,為諸佛之本源,號為法身,為眾生之心地,故名佛性。一切諸法,皆依此心建立,故單以法為名。其大方廣,乃此心法所具體相用三大之義。然大即體大,謂此一心,包法界而有餘,擴太虗而無外,橫該竪遍,大而無外,故名大也。方即相大,又方訓法也,謂此一心,為眾生之佛性,以有此性軌則,一聞佛性,便能生解,長劫輪迴,持而不失,故曰軌物生解,任持自性。以無相真心,而為有相之法則,故方為相大也。廣即用大,以稱此心體,周遍無遺,無剎不現,無物不周,故為用大也。以此法義,圓備一心,以此經中,直指此心,為生佛迷悟脩證之本,故云單法為名也。脩多羅是梵語,此云契經,以凡是佛所說之經通名契經,謂是契理契機之教,但應機有大小,為小乘人說者名不了義經,為大乘人說者名了義經,謂顯了究竟之極談,以題中通指此經乃經藏中了義之經,非不了義經也。上十字乃一經所詮之法義,下一經字乃別指當經能詮之文字也。一真法界如來藏心為體者,經云入於神通大光明藏,即如來藏清淨心體平等不二,故曰一真。又云如法界性究竟圓滿,是則名為因地法行,首稱大陀羅尼門,即一法界大總相法門,體為諸佛之因地,菩薩之行本,故以此為一經之體也。以圓照覺相為宗者,經云一切如來本起因地,皆依圓照清淨覺相,永斷無明方成佛道,故以為一經之宗也。離妄證真為用者,經云知是空華即無輪轉,又云知幻即離離幻即覺,故以此為用也。一乘圓頓為教相者,以此經純談覺性,圓脩三觀頓證一心,雖列二十五輪,但是一心轉換,並無階級次第,故以圓頓為教相也。然此五重乃天台釋經之軌則,攝盡全經之旨趣,故學者開卷了此則恩過半矣。

この経典は、単一の法を名とし、一真法界如来蔵心を体とし、円照覚相を宗とし、妄を離れて真を証することを用とし、一乗円頓を教相とします。

「単法を名とする」とは、『論』に「いわゆる法とは、衆生の心を謂う」とあるように、「円覚」の二字が直ちに一心を指し、これを法体とすることです。これには多くの呼び名があり、大円満覚とも、妙覚明心とも、一真法界とも、如来蔵清浄真心とも言われます。『楞伽経』には「寂滅一心、すなわち『起信論』の言う一法界大総相法門なり」とあります。体の呼称は多くありますが、すべて円覚妙心に帰します。ただこの一心こそが、十法界の凡聖・迷悟・依正・因果の根本であり、諸仏の本源として法身と号し、衆生の心地として仏性と名付けられます。一切の諸法は皆この心に依って建立されるため、単に法を名とするのです。

「大方広」とは、この心法が具える体・相・用の三大の義です。「大」とは体大であり、この一心が法界を包んで余りあり、大虚を拡げて外なく、横に遍く縦に遍き、大いにして外なきことを言います。「方」とは相大であり、また「方」は法を訓じます。この一心が衆生の仏性であり、この性の軌則があるため、一度仏性を聞けば直ちに理解が生じ、長劫の輪廻の中でも保持して失わない。故に「物に軌して解を生じ、自性を任持する」と言います。無相の真心が有相の法則となるため、方をもって相大とするのです。「広」とは用大であり、この心体が周遍して遺すところなく、現れざる刹なく、遍かざる物なし、故に用大とします。

この法義が一心に円満に備わり、この経中で直ちにこの心を指し、衆生と仏の迷悟・修証の根本とするため、「単法を名とする」と言うのです。

「修多羅」は梵語で、ここでは契経と言います。凡そ仏の説かれた経は通じて契経と名付け、理に契い機に契う教えを指します。ただし応じる機根に大小があり、小乗の人に説くものは不了義経、大乗の人に説くものは了義経と言います。顕了で究竟の極談を指し、題中で通じてこの経が経蔵中の了義の経であって、不了義経ではないことを示しています。上の十字は一経の詮ずる法義であり、次の一「経」字は特に当経の能詮する文字を指します。

「一真法界如来蔵心を体とする」とは、経に「神通大光明蔵に入る」とあり、これは如来蔵清浄心体が平等不二であるため、一真と言います。また「法界性の如く究竟円満なり」とあり、これがすなわち因地法行と名付けられ、初めに大陀羅尼門と称します。これは一法界大総相法門であり、体は諸仏の因地、菩薩の行本となるため、これを一経の体とするのです。

「円照覚相を宗とする」とは、経に「一切如来の本起因地は、皆円照清浄覚相に依り、永く無明を断じて方に仏道を成ず」とあるため、これを一経の宗とします。

「妄を離れて真を証することを用とする」とは、経に「空華なることを知れば即ち輪転無し」、また「幻なることを知れば即ち離れ、幻を離るれば即ち覚なり」とあるため、これを用とします。

「一乗円頓を教相とする」とは、この経が純粋に覚性を談じ、円く三観を修して頓に一心を証し、二十五輪を列するといえども、ただ一心の転換であり、階級次第がないため、円頓を教相とするのです。

しかしこの五重は天台の経を釈する軌則であり、全経の旨趣を摂め尽くします。故に学ぶ者が巻を開いてこれを了れば、恩は半ばを過ぎるでしょう。


譯師

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